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FireEmblemマケドニア興隆記
暗黒戦争編
序章 ドルーア同盟
「殿下。ドルーア帝国の使者なるものが参っておりますが、いかがなさいましょうか。」
それは、とある夏の熱い盛りの日の話であった。ミシェイルはこの話を聞いた時、少し驚きながらも皮肉じみた笑いをうかべた。
「なんだと。」
ミシェイルはその長く伸びた赤毛を手ですくうと、申し出た兵に向き直った。
「そのようなことをいうのはどこの酔狂な輩だ。ドルーア帝国の話なぞ子供でも知っている昔話ではないか。」
ミシェイルに見降ろされた兵卒は恐縮しながら続けた。
「私共としてもどうしていいものかわからず、とりあえず陛下にお知らせする前に殿下にお知らせしようと思いまして。」
(そのようなことで、わざわざ私に知らせてきたのか。とっとと追払えばよいものを。)
ミシェイルはそう思ったが、少し考えると兵に命じた。
「わかった。父王は多忙であるから私が話を聞こう。火竜の間に案内しろ。」
「はっ。かしこまりました。」
兵卒は踵を返すと部屋の外へとでていった。
「ドルーア帝国の使者というのは貴様か?」
ミシェイルは部屋に入ってきた恐らくは男であろう人物を睨み付けた。恐らくというのは、その人物は背丈は並みの男より遥かに大きいが、全身を黒いローブで覆っており、表情を伺うことができなかったからだ。ミシェイルは容貌によって畏怖を覚えるような人物ではなかったが、表情がわからないことで内心やりにくいと感じていた。
「さよう。私はメディウス陛下の近侍の者にてゼムセルと申す。以降お見知りおきを。」
その人物は礼儀正しく一礼したが、その声は冷たく、まるで周りにいるものを貫き通す針のようであった。
「ふむ。しかしドルーア帝国なるものは100年前に滅ぼされたはず。貴様はその亡霊だとでもいうのか。」
ミシェイルは軽く皮肉って見せる。そのとき、ミシェイルにはゼムゼルが小さく笑ったように見えた。
「我等が偉大なるメディウス陛下は陛下の大いなる理解者であるガーネフ卿の協力により100年の眠りからさめた。今はドルーア城にて英気を養っておられる。他のマムクート達も次々と眠りから覚め、周辺の部族は全て我等に従属した。そこで次は貴殿らの番という訳だ。」
「馬鹿な。」
ミシェイルは余りの話の突飛さに一瞬言葉を失った。ドルーア帝国が復活するなどありえない。だがゼムセルのもつその独特の雰囲気が、彼の考えを完全なものにさせなかった。
「そうまでいうのなら証拠を見せてみろ。この俺を納得させるだけの証拠をな。」
その時のミシェイルにはそれだけをいうのが精一杯だった。
「よろしいでしょう。それでは人払いできるところでどこか広いところはありますかな?」
「それならば東の大聖堂がよいだろう。ついてこい。」
本来は客の案内などを自らつとめるようなことをミシェイルはしなかった。だが、ミシェイルはゼムセルから危険な匂を感じ取っていた。こ奴を城の中で単独行動させてはいけない。しかし、そうは思っても、ミシェイルにはゼムセルの正体は掴めなかった。
移動している最中。二人は一言も言葉を交わさなかった。ミシェイルは足早にコツコツと靴をならして廊下を歩いていく。ゼムセルはそれに音も立てずただ黙々とついていった。
大聖堂に着くと、ミシェイルは二十人余りの兵に周りを固めさせると、外との扉を全て閉め、ゼムセルと二人きりになった。大聖堂の中は昼でも薄暗く、昨日の蝋燭の匂いがまだ消えずに残っていた。
「ここならいいか。」
ミシェイルは会談の部屋を出てから始めて後を振向いた。ゼムセルには奇妙な存在感がある。
「少し狭いがよかろう。お主は端に避けているがいい。」
「端に?」
ミシェイルはゼムセルの口から出た言葉よりもその口調が突然変ったことをいぶかしんだ。
(いったいなにをするつもりだ。)
ゼムセルはローブの懐から黒くそして鈍く光る宝玉を取り出した。ゼムセルが何かを詠唱し始めると周囲の空気が震えた。上の方に作られた色鮮やかなステンドグラスがかたかたと音を立てる。ゼムセルはその姿を巨大な竜の姿へと変っていった。その肌は黒く、翼は無いが長い首と尾を持っていた。大きさもミシェイルの乗る飛竜の三倍はあり、姿だけでも見る者を圧倒させるに十分であった。
ミシェイルは竜騎士団の竜とは似てもにつかぬ姿をしているこの怪物を、すぐに竜の一種だと理解した。ゼムセルは自らが放つ気配を隠そうとはしない。それは紛れも無く竜の、しかも邪悪なものが持つ類のものであった。
「こ、これは。」
ミシェイルは茫然と竜を見上げ、それだけを言うのがやっとだった。マムクート。自らの力を石に封じ、普段は人のなりをしているが自らの意志で自由に本来の姿に戻り、その強大な力を行使する伝説の種族だ。地竜メディウスを筆頭とし一時はこの大陸を制するほどの力を持っていたというが、百年前の戦いでメディウス共々滅んだといわれていた。
(これが私の真の姿だ。この力の前ではお前たちの力など無きに等しいことがわかるだろう。)
竜の姿を取ったゼムセルはミシェイルの精神に直接話し掛けてきた。
(我が国との同盟。よく考えて返事をするがよい。)
そういうとゼムセルは元の姿へと戻った。どういうからくりになっているのか服まで元通りになっている。大聖堂の中は散々な状況だった。祭壇は倒れ、整然と並んでいたはずの長椅子は踏潰されて跡形もない。
ミシェイルにはゼムセルが不気味に笑ったような気がした。
「私は七日の後に返事を聞きに来よう。賢明な殿下と陛下のことだ。いい返事が聞けることを期待しているよ。」
そう言うとゼムセルは去って行った。相変らず表情を伺うことはできなかったが、心の内では笑っているに違いない。ミシェイルはどこか遠くへ行ってしまった感じのする自分の意識の中でそのようなことを考えていた。だが、彼はすぐに今何をすべきなのかを考え自らををはっきり取り戻した。
ゼムセルが出て行って開け放しになっている扉から外に居る兵士に声をかけると、急いで集合をかけさせた。そして集った兵士の様子から彼らが事の成行きを知っていると確信した。一人の兵士の前で立止まり、その兵士に話し掛ける。
「お前に一つ聞く。この大聖堂の中で何が行なわれていた。」
「わ、私は何も……。」
「正直に答えろ!!」
ミシェイルの声が僅かに怒気をはらんだものとなった。恐縮した兵士はそれ以上は何も話そうとしない。隊長らしき男が代りに答えた。
「殿下。申し訳ございません。大きな音がしたので何事かと思い中を見てしまったのです。本来なら全員で助けに行かなければならないところを皆足がすくんでしまい動くこともかないませんでした。」
隊長の言葉を聞いて、ミシェイルは考えた。
(こいつらが乗込んでこなくてよかった。最悪の場合皆殺しになっていたかもしれない。それよりこれからどうするかだ。)
「まあ、見てしまったものはしかたがない。私は中には誰も入れるなとは命じたが中を見るなとは言ってないからな。」
見てはいけないものを見てしまった。兵士たちはそう考えていたのでミシェイルのこの言葉を聞き心から安堵した。しかしそれもつかのま、ミシェイルはふたたび険しい表情になった。
「だが、今見たことは決して他言してはならないぞ。わかったか。」
「はっ、はい。」
いくらか落着きを取戻した隊長はなんとかいつもの調子で敬礼した。部下がそれにならう。
「よし。わかったなら各自持場に戻れ。」
それだけいうとミシェイルは足早に大聖堂を後にした。兵士達の手前、毅然とした態度を保っていたが、彼の頭の中には様々な考えが渦を巻いていた。その中で一番の問題は、この事を父王に報告するかどうかということであった。
(父王は間違ってもアカネイアを裏切るようなことはしないだろう。だが……。)
ミシェイルが継ぐはずのマケドニアはタリス、グルニアと並んでこの大陸の宗主国であるアカネイアからは辺境と呼ばれていた。そのなかでタリスはまさに辺境の島国といわれれば誰もが納得するほどの国力しかもってなかったが、グルニアには黒騎士団があり、マケドニアには竜騎士団と白騎士団があり、軍事力だけでいえばこの二国だけで大陸全体のほぼ半分を所有していた。しかし、アカネイアはとかく辺境を軽視する傾向がある。アカネイアから派遣されている役人の行いに腹を立てているのはミシェイルだけではない。マケドニアの国民はアカネイアに対して恨みをもっているものが少なくなかった。
それでも父王はアカネイアに心の底から敬服していた。ミシェイルはそれを内心苦々しく思いながら黙ってみていることしかできなかった。今のマケドニアの国力では大陸全てを敵に回せる力はとうていなかったからだ。ミシェイルは現時点の国力を上げることに重点を置いて、今まで父王を助けてきた。ペガサスや飛竜を使って他の大陸と貿易を始めたのもミシェイルの案だ。
しかし、ドルーアが復活したとなると話が変ってくる。ドルーアと戦争になった場合、まず第一に問題となるのがアカネイアが援軍を送ってくれるかどうかだ。恐らく今のアカネイア中央軍では、迅速に援軍をマケドニアまで送る能力はないはずだ。最悪の場合、援軍を全く送ろうとせずにに自国の防備に徹する可能性すらある。
そうなった時にマケドニアの軍だけでドルーアを押えられるとはミシェイルには思えなかった。他の国はどうか。グルニアはすぐにでも援軍を送ってくれるだろう。今のグルニア王は頼りにならないが、軍権は全て黒騎士団の長であるカミユ将軍に任されている。グルニアが来てくれればかなりまともな戦いが期待できるだろう。その他はグラはほとんど戦力外だとしても、アリティアの宮廷騎士団は数は少ないが精強で有名だ。オレルアンの騎士団もマケドニア、グルニアほどではないがそこそこ強い。だがマケドニアからは遠過ぎて、援軍にくる頃には戦闘が終っている可能性が高い。
色々考えた末にミシェイルは父王に報告することをとりあえず保留した。父王に報告すれば必ずアカネイアにこの事を知らせるであろう。そうすればドルーアと同盟をくむという選択肢を取りにくくなる。わざわざ選択肢を狭める愚を侵すことは避けよう。そうミシェイルは判断した。
とにかく情報が欲しい。特にドルーアが復活したと知った時他の国がどの様に反応するか。ドルーアと戦闘になった時、勝算はあるのか。の二点は重要だ。だがその二つとも手に入れることは不可能だと判断せざるをえなかった。とにかくできることからやるべきだと結論付けたミシェイルは、早速行動を起こすために妹のミネルバの執務室を訪れた。
ミネルバはマケドニアのもう一つの主力部隊である白騎士団を率いている。皆に優しく多くの国民に慕われているが彼女自身優秀な竜騎士であり、一度戦場にでれば鬼神の様な強さを見せるだろうといわれていた。他国にはマケドニアの赤い竜騎士として名前の通った名将である。ミシェイルはその彼女の執務室の前まで来るとその扉を軽くノックした。
「ミネルバ、ミシェイルだ。入っていいか?」
「どうぞ。」
中から張りのいい声が聞える。扉を開けて中にはいるとミネルバは中央の机に向って座っていた。普段はごく普通の服を着ているが、その真っ赤な髪は見るものに鮮烈な印象を与える。戦う時はその上に真っ赤に彩られた鎧を着込むゆえにその二つ名がある。
「兄上。如何なされたのだ。」
「いや。少々厄介な事になってな。」
ミシェイルはミネルバにドルーアの事を話したものかどうか思案した。ミネルバは確かに将軍として並みならぬ力量をもっていたが、一軍の将としては優し過ぎるという側面ももっていた。もし皆の安全が確保できるのならば出来るだけ戦闘を避けようろするだろうし、そうでなければ自ら先頭に立ち皆を守るために戦うだろう。だからこそ、マケドニアが侵略戦争を起こそうとしたならば自分の命を掛けてでもそれを止めようとするだろう。 彼女がドルーアの事を知ったらどうするだろうか。しかし、今ここでドルーアの事を話さずに後でこの事を知られればミシェイルが信用を失うだろう。第一、この事を話さずにミネルバに事を頼むのは困難に過ぎる。
「ミネルバ。ドルーア帝国が復活したらしい。」
単刀直入にミシェイルは切出した。
「はい?ドルーア帝国……ですか。」
ミネルバはミシェイルが言った言葉の意味がわからなかった。誰でも現実に起こりえないと信じていることを急に言われては理解することなどできないだろう。
ミシェイルはミネルバの机の上に両手をつくと一気に話し出した。
「ドルーア帝国が復活したのだ。近侍のゼムセルと言う者が使者として同盟を求めてきた。もっとも同盟とは名ばかりで我等に服従せよと言っておるのだと思うが。」
「まさか。兄上はその者の言うことをまに受けたのですか?」
「私だって最初は疑ってかかったさ。しかし、目の前で竜に変身されては信じぬ訳にはいくまい。」
「そんな。まやかしか何かではないのですか。」
「それはない。」
ミシェイルは机から手を話すと強い口調で断言した。
「そやつが去った後大聖堂の中はぼろぼろになっていた。そしてなによりそやつからは得体の知れない怪しい気が感じられた。もし、やつが真にマムクートでないにしても危険な存在であることは断言できる。」
ミネルバは兄の言う言葉を一つ一つ確かめるように聞いていた。兄の様子からは冗談で言っているようにはとても見えない。
「それで、この事は父上には話されたのですか?」
「いや、父上には状況がはっきりするまでこの事は話さない方がいいだろう。そこでお前に頼みがある。」
「何でしょう。」
「お前の信頼できる部下にこの事を話して各国の動向を調べさせて貰いたいのだ。ドルーアの使者は七日後に返事を聞きに来ると言っていた。だから五日後位に帰ってくるようにすればよいだろう。グルニアとアカネイアとアリティアだけでよい。この事が知れているかどうか。どういう反応をしているかが知りたいのだ。」
「わかりました。それでしたら、パオラ、カチュア、エストの三姉妹に任せましょう。」「そうか。グルニアの動向は特に重要だ。アカネイアはあてにできないからな。」
ミネルバの顔がにわかに曇った。
「兄上もアカネイアの事を恨んでらっしゃるのですか?」
「当たり前だ。あやつらが何かと我が国に干渉してくるから我が国はいつまでも豊かにならんのだ。」
ミネルバはそのまま黙ってしまった。彼女としては周辺の諸国との関係はなるべく良好に保っておきたかったのだが、アカネイアのやりかたがひどいものであることは彼女も否定できなかったからだ。彼女はアカネイアを信じたかった。だが心の奥底で信じきってはいないのも事実であった。
「ミネルバ。我々には我々の国を豊かにし、我々の国民を幸せにする義務がある。我々の国民を守る義務もある。これは全てに優先する。わかるな。」
「……はい。」
ミネルバは力なくうなずいた。
「事と次第によってはドルーアと同盟を組み、アカネイアに敵対することになるかもしれん。その事を覚悟しておくことだ。」
「し、しかし兄上。」
「なに。まだそうと決ったわけではない。では各国の内偵の件、頼んだぞ。」
ミシェイルは深く考え込むミネルバを尻目に彼女の執務室を後にした。
そらからのミシェイルは彼のための全ての時間を無駄にしなかった。自分の執務の間に百年前の聖戦について、各国の関係や人物について、竜神族の生態について、ありとあらゆることを調べてまわった。ドルーア帝国が復活した以上どの様な形にしろ戦いは避けられない。中立を保つかアカネイアと同盟関係のままであればドルーアの近くにあるマケドニアは真っ先に攻撃を受けることになる。かといってドルーアと同盟を組めばアカネイアやアリティアとの戦いになる。そこで焦点はどちらが有利かということになる。グルニアの黒騎士団と協力すればいかにマムクートといえど撃退できるという自信をミシェイルはこの短い間に掴んでいた。それは竜族に対抗できる武器ドラゴンキラーの存在を知ったからだ。ミシェイルは直属の部下にこれを買求めてくるように命じ、すでに数本のドラゴンキラーは彼のもとにあった。
もっともグルニアにしてもマケドニアの動向によってその旗印が決る状況にある。もし竜族と竜騎士団に総攻撃を受けたらグルニア一国では一たまりもないからである。マケドニアがドルーアと組むのであればグルニアはドルーアに従うか滅びるかを選ぶことになる。ミシェイルはこの七日間の間にグルニアに使者を送り今後の対策を講じることもできた。だが、彼は彼自身も未だ気付いていない彼自身の意志によってその行動を取らなかった。この時点で彼は自分がどの様な行動を取るべきか、考えあぐねていたのである。ただ彼は全ての状況に対処しようとひたすらに情報を集めていた。城中の書物を調べ城下へも積極的に出かけた。
ドルーアから使者が来て三日後。ミシェイルはドルーアとマケドニアの国境らしきところへと来ていた。ここに偉大な賢者が住んでいるとの情報があったのだ。その小屋は山の中腹の木々の間に隠れるように建っており、ミシェイルはもう少しで見過ごすところだった。森の中に僅かな隙間を見つけると、ミシェイルはそこに飛竜を下ろした。この様な何も無いところでどうやって暮しているのであろう。ミシェイルは余りに質素な小屋の前でしばし立ち尽くした。上を見上げると視界の半分は木々でうめつくされていた。おそらく少しでも森の中に入れば視界の全ては木で覆いつくされてしまうだろう。ひとしきり周りの様子を伺ったところでミシェイルは小屋の扉をノックした。中でごそごそと動く音がする。
「ほう。こんなところまでお客とは珍しいのう。お主どうやってここまできたのじゃ。」 中から現れたのは白髪と白い髭を十分に蓄えた老人であった。相当な年に見えるがその腰は真っ直ぐに伸びており、ミシェイルには相手の年齢ははかりかねた。
老人の目が辺りを見渡し一箇所で止った。木に阻まれて少ししか見えないがそこには確かに飛竜の影が見えた。
「そうか、お前さんマケドニアの竜騎士か。確かにここまで来るには空を飛んでくるよりほかにはないからのう。」
「お初にお目にかかる賢者殿。私はマケドニアの王子にてミシェイルと申す者。こちらに高名な賢者殿がおられると聞き少々尋ねたきことがあり参りました。よろしければその時間を私めの為に頂けませんでしょうか。」
老人は相手が思ったよりも高貴な人であったので内心で驚いていた。
「ミシェイルと申したな。この様な老いぼれに何を望むのだ。私がそなたにしてやれるような事は何も無いと思うが。」
「賢者殿はドルーア帝国の事を御存知ですか?」
老人の動揺は今度は見て取れるようになった。明らかに驚いた後険しい顔へと変った。「そうか、入口で話すのもなんだから中へ入るとよかろう。」
誘われるままに中に入ったミシェイルは小屋の中が余りに殺風景なのでまた驚いていた。一つしかない部屋にあるのはベッドと机と椅子がそれぞれ一つずつ。それに日の光を取入れる窓が一つにランプや食器などの家財がのった棚が一つあるだけであった。ミシェイルが想像していたような本の山や魔法の道具などは欠けらも見当らなかった。
「このとおり何も無い部屋じゃが……。」
老人はミシェイルに椅子に座るように勧めると、自らはベッドに座った。
「さて、お前さんはドルーアが復活したということを知っていおるのか?」
「ドルーア帝国から同盟を求める使者が参りました。最初はただの戯れ言だと思っていたのですが……。」
ミシェイルは椅子に座りながら答えた。老人は右手を髭を弄びながら思い出すように口を動かす。
「そうか、お前さんがどうやってその事を知ったか、細かいことはわからぬが、ドルーア帝国が復活したのは事実だ。」
「そうですか。私が聞きたいのは竜族に打ち勝つ術があるかどうかです。」
「ふむ。竜族とて万能の存在ではない。普通の武器で傷を付けることも可能であるし、倒すこともできる。だが竜族の強靱な肉体に致命傷を与えるのはとても困難なことだ。一匹や二匹ならどうにかなるかもしれないが、統率された竜族の軍に勝利するだけの力はおそらくどの国にもないだろう。」
「では、わがマケドニアといえどもドルーアには勝てぬと。」
「ねばっても三、四日だろう。」
ミシェイルは考え込んだ。そのような状況ではたとえアカネイアが迅速に行動を起こしても援軍は間に合わない。
「我が軍は現在、大陸中のドラゴンキラーを集めているところです。これを使っても奴らには対抗できませんか?」
「ドラゴンキラーを持っているのか。それならば少しはまともな戦いができるかもしれない。しかし、あれは今や極端に数が少なくなっているはずだ。ドルーアに対抗できるだけの数を揃えるのは不可能だろう。」
「我が軍とグルニアで協力してドルーアに当ればどうですか?」
「それでやっと序盤戦は五分といったところじゃな。ドルーアはすぐにでも増強を送り出してくるだろうからそれまでに押戻さなければ、お主らの国はは竜族に踏み潰されるであろう。」
やはりアカネイアの力なくしてはドルーアを破ることはおろか、ドルーアから守ることすら危ういのか。と、ミシェイルはこの老人の話を真実だと受取った。マケドニアを守るために何をすべきか、ミシェイルは答えをだそうとしていた。
「対ドルーア帝国の鍵はアリティアにある。」
「ファルシオン……ですか。」
ファルシオンとはアリティア王国に伝わる聖剣の名前である。百年前、ファルシオンはドルーアの王、地竜メディウスを倒すのに用いられた。メディウスを倒すことはかなわなかったが、封印することに成功したアンリは、その功績を讃えられ、アカネイアからアリティアを任され、初代アリティア国王となった。それ以来、ファルシオンはアリティアの家宝として、現在は第四代の国王であるコーネリアスが受継いでいる。
「そうだ。ファルシオン無くして地竜族には勝てぬ。逆にアリティアの援軍が間に合えばドルーアに打ち勝つことも不可能ではない。」
「それは私も考えないではありませんでした。しかし……。」
「他の国は信用できない……か。」
「アリティアは信用できます。草原の国オルレアンも。しかし、アカネイアだけは信用できません。自国の民を守るために私は……。」
「はたしてそれだけかな?」
老人はうつむいていた顔を上げミシェイルの言葉をさえぎった。
「賢者殿。それはどういうことですか。」
「まあよい。私は未来を見通す目をもっているわけではないからな。全てはお主次第だ。」
「はい……。」
ミシェイルには老人の言わんとすることが理解できなかったが、マケドニアの勢力ではドルーアに対抗できないことは確かなようだった。老人を完全に信用するわけではない。だが、唯一であった竜人族からもその事を認めずにはいられなかった。
「それともう一つ。メディウスにはガーネフが味方している。」
「ガーネフ……。あの偉大な魔術師であるガーネフ卿がですか。」
ガーネフとはこの大陸の三賢者の一人である。大賢者と呼ばれるガトーとその弟子のミロアとガーネフは合せて三賢者と呼ばれていた。
「なぜですか。あの様な偉大な賢者様が……。」
そういえばドルーアからの使者もそのようなことをいっていた。この賢者はなんでも見通す力をもっているのに違いない。ミシェイルはそうしらずしらずそう信じ込んでいた。
「闇に魅入られたのだ……とだけ言っておこう。今はな。ガーネフは兄弟子のミロアを殺しカダインを手中におさめた。奴の力はメディウスには劣るが決して侮れる物ではない。」
「しかし、カダインが陥ちているのならアリティアは援軍に来れぬのでは。」
「アリティアの王はメディウスこそが最大の脅威であることを知っている。ドルーアが復活したとあればどんな犠牲を払ってでもメディウスを倒そうとするはずだ。」
「そうですか……。」
ミシェイルの返事はもはや生返事だった。ドルーアは最低でもカダインを伴う。ミシェイルにはこの戦いが長く辛いものになるであろう事が予想できた。
「賢者殿。今日は貴重な情報を多々御享受頂き感謝している。今日の事がマケドニアが進道の道しるべになることは間違いがないだろう。」
ミシェイルは席を立った。これ以上の話は聞くだけ無駄だと感じた。
「王子、待ちなされ。ここまで訪ねて下さったのだ。手ぶらで帰らせるわけには参らぬだろうて。」
老人の手にはどこから取り出したのか五本のドラゴンキラーがあった。
「賢者どのそれは……。」
「王子。そなたの決定で幸福になるものもおれば不幸になるものもおる。自国を守るのも結構なことだが願わくば世界全体の事も考えてほしいものじゃ。」
「あなたは一体……。」
「この剣はそなたに預けよう。決して後悔だけはせぬようにな。」
ミシェイルは何も言わずに頷くと、剣を受取った。一礼して老人の家を去り、竜へとまたがる。主人の帰りを待ちわびていた飛竜が一度いなないた。ミシェイルは気もそぞろに帰路についた。考えなければならないことが多過ぎる。
グルニアがドルーアに屈した事をミシェイルが知ったのはその翌日だった。
「兄上は本気でドルーアと同盟を組むつもりなのか!?」
ミネルバの怒鳴り声が城重を震わせた。怒声を浴びせられた人物は浴びせた人物に背を向け淡々とはなしている。
「ミネルバ。国民の為だ。」
「兄上はアカネイアを裏切るのですか!!この難事に七王国が力を合せて立向かわずにどうするのですか!」
「アカネイアが我々に何をしてくれた!!」
ミシェイルの美しい顔が怒りに震えた。彼がこの様な顔をみせることはめったにない。ミネルバは一瞬自分の怒りを忘れてしまった。
「奴らは奪えるものだけ奪って我々には何もしてはくれなかったではないか。特に今の総督など何だ。我々を家畜としか思っていないのではないか?」
「あ、兄上。」
ミネルバの驚いた顔に気付き、ミシェイルは自分を取戻した。しかし、険しい表情は変っていない。
「興奮してすまない。だが、もう決ったことなのだ。諸将は皆賛成してくれた。」
「父上は、父上はどうなさるのですか。」
「これから話す。最悪の場合には父上には退位して貰うつもりだ。」
「兄上!!」
「父上が現実を良くみつめていて、自国の民を真に思っていることを祈っているよ。」
ミシェイルが去って行く。ミネルバはただ呆然とそれを見送ることしかできなかった。 廊下には二人の将軍が待機していた。
「ルーメル、リュッケ。父王に閲見だ。行くぞ。」
「はっ。しかしミネルバ様の事はよろしいので。」
「あいつも馬鹿ではない。私の考えもわかるはずだ。」
「では。」
三人はその後無言で城の奥へと向った。国王の執務の間には警備の兵が数人と国王オズモンドが雑務をしているだけであった。三人は合図もせずに無言で執務の間に入った。警備の兵が動きかけ、その顔を見て動きを止め敬礼した。
「ミシェイル何事だ。部屋に入る時は一声ぐらい掛けるものだぞ。」
「父上お話があります。」
ミシェイルのただならぬ様子にさすがにオズモンドも気を引き締めた。
「何だ。」
オズモンドも聞く準備ができた。だが、ミシェイルの口からでてきた話は彼の想像を遥かに超えたものだった。
「父王、過日ドルーア帝国が復活し、我が国に同盟を求めてきました。グルニアはすでにドルーアの傘下となったようです。それゆえドルーアとの戦いに我が国は勝ち目がなく、もし戦えば多くの民を不幸にする結果となるでしょう。ドルーアと対等の同盟を組むには今しか機会がありません。我が国を守るためにもドルーアとの同盟を御決断下さい。」
ミシェイルは一気に話した。オズモンドはしばらくその意味を考えていたが、理解した後の決断は素速かった。
「ミシェイル。先日から何か慌ただしいと思っておったがまさかそんなことになっていたのか。だがすまないがドルーアとの同盟はできん。我々は最後の一国になっても彼らとは戦わねばならぬ。」
「父上。何を言っておられるのです。ドルーアに最初に倒されるのは我々ですよ。民を見殺しにしてよいと言うのですか?」
「そうは言っておらん。」
オズモンドはため息をついた。どうやってこの熱血息子を鎮めようか。
「よいか、我々はアカネイアのおかげで建国できたのだ。恩を仇で返すようなことはできぬ。それにお前は竜人族に奴隷扱いされていた我々の建国以前の歴史を知らぬ訳ではあるまい。」
「アカネイアが何をしてくれたというのですか。我々の国でやりたいほうだいではありませんか。アカネイアを信用するわけにはいきません。」
「ミシェイル。ドルーアと同盟を組んでも戦いは避けられないのだぞ。民が苦しむことに変りはないんだ。」
「それでも国が死に絶えるよりはいいでしょう。」
「まだわからぬか!!」
オズモンドは普段の彼からは想像もつかぬような大声をだした。
「ドルーアにどの様な正義があるというのだ。竜人族はは我々を虫けらのようにしか考えていない。ドルーアと組んで民が連いて来ると思っているのか。」
ミシェイルは拳をにぎりしめた。ここまでだ、と思った。リュッケとルーメルの二人の足をオズモンドに気付かれないように軽くこづいた。
「父上。将軍たちは連いてきてくれましたよ。」
「何!?」
「これはもう決ったことなのです。できればこの様なことはしたくなかったが……。父上あなたには退位して頂く。」
「血迷ったか。ミシェイル。」
ルーメルが手をたたいた。二十人余りの兵がおしよせ、あっというまにオズモンドと周りの兵士達の自由を奪った。
「ミシェイル……。貴様。」
「父上はもう少し物わかりのよい人だと信じていましたがこの様なことになって残念です。父上を水の間にお連れしろ。丁重にな。」
「はっ。」
ミシェイルは一度天井を見上げた。
「殿下……。」
リュッケが心配そうにミシェイルを見上げる。
「リュッケ、ルーメル。これで後戻りはできなくなった。諸将への連絡は任せる。私は明日、ドルーアの使者と会見しなければならぬ。その結果次第で今後の方策が決るであろう。」
「はっ。」
いつもの様子に戻ったミシェイルに安心すると両将軍は自らの役割へと戻った。やることは幾らでもある。ミシェイルはこの日、城の中を一通り見回ると、明日の会見の事を考えながら眠りについた。方針は決ったのだ。後は進だけだろう。この時、まだミシェイルはミネルバの事を無意識に避けている自分に気がついてはいなかった。
翌日ドルーアの使者は前と同じく城の正門からやってきた。そしてミシェイルは火竜の間でゼムセルと対峙した。
「ゼムセル殿。貴国との同盟の件。我が国は有難く受けさせて貰うことにした。どうかメディウス殿にお伝え願いたい。」
ミシェイルははっきり言ってこの者を好いてはいなかった。できれば話は短く済ませたいと思っていた。
「そうか。よい返事を聞けてよかったよ。それではこれからの事について話そう。」
ゼムセルの顔にはいやらしい笑いがうかんでいる様に感じた。
「我が国は今日より十日後。アカネイアに対して進撃を開始する。この事は秘密裏に行われ、全くの奇襲となることをメディウス陛下は期待しておられる。いかに天然の守りにおおわれたアカネイアといえども平和に慣れきっているところに奇襲を掛ければ陥とすのは容易い。」
ミシェイルは早速来たか、と思った。もっともミシェイルもドルーアとの同盟を決意した時点で、アカネイアを真っ先に潰すことは決めていた。むしろ問題はその後だとミシェイルは考えていた。
「その件については当方としても準備にぬかりはありません。で、どういった作戦を用いますか。」
「なあに作戦など要らぬ。」
ゼムセルはそこで一息ついた。
「我等マムクートにただの人が勝てるわけはない。我等はアカネイアパレスに踏込むだけでよい。」
ミシェイルはあっけにとられた。こいつらはそれほどに強いのか。慢心しているだけなのか。
「貴国にはパレスへの陸空からの奇襲とレフカンディの制圧を行って貰いたい。グルニアには当面アリティアを押えて貰うつもりだ。すでにグラは我が軍に協力することが決っている。うまく行けばパレスと同時にアリティアも陥ちるだろう。我が軍との合流は八日後の夜、パレス西方の山麓にて行う。それでよいか。」
確かにずさんな戦術だが戦略としてはしっかりしている。ミシェイルはそう判断した。少なくともメディウスは常識的な戦略眼は持っているのだろう。とすれば、自らの軍に対する評価もあながち過大ではないのかもしれない。
「我が軍はどれほどの勢力をパレスに向ければよいのか。」
「それは、そちらで決めてくれてかまわない。ただ、レフカンディの攻略だけは必ず成功させてほしいと言うことだ。守りは薄いだろうが一度戦争になればあそこは大陸の要衝となる。」
「わかった。それでは我が軍はパレス、アリティア、レフカンディの三方面に軍を派遣するとしよう。」
ゼムセルはその言葉を聞いて少し驚いたようだ。まさか、マケドニアに三方向に一度に攻め込めるだけの兵力が有るとは思っていなかったのだろう。この国には危険な要素が有るかもしれない。ゼムセルはそう感じた。
「では話はこれだけだ。よい結果がでることを期待しているよ。ミシェイル王子。」
「うむ。だが、父王にはすでに退いてもらった。これからは私がこの国の王であるからそのつもりでいるように。」
「ほほう。それはそれは。」
ゼムセルは何か言掛けたがそれ以上は何も言わなかった。
ミシェイルは閲見の間に全ての将軍を集めた。だいたいの将軍は何が起こったのかを把握していたが、それでもその数は全員ではなかったのだ。ミシェイルの号令が広間に響く。
「皆、よく集ってくれた。今日は大事な発表がある。」
全ての将軍が玉座のミシェイルを凝視している。
「ドルーア帝国が復活し、グルニアをその勢力下においた。我が国は自らを守るためにドルーアと同盟を組むにいたった。」
どよめきは小さい。何も知らなかった僅かな者が驚いているのだ。
「残念だがこの事に父王の了承は得られなかった。ゆえに、父王には退位して頂き、これからはこのミシェイルが王として采配をとる。」
多くの者はこの事態を予測していたために、ここでも混乱は生じなかった。ただミネルバだけがミシェイルと視線を合わそうとしない。
「いまや最大の脅威はアカネイアである。本日より十日の後、ドルーア軍と協力し全力を挙げてアカネイアを討つ。」
ミシェイルの張りのある声が閲見の間に響きわたった。
「アカネイア討つべし!!」
将軍のうちの一人から声が上がった。無論、声を発したのはミシェイルの手の者だったがその声は閲見の間全体に広がった。マケドニアの将軍たちは多かれ少なかれアカネイアに反感を抱いているものがほとんどだったのだ。
「アイオテの盾をここに。」
「はっ。」
玉座の横に陳座していた将軍が差し出したのは、マケドニア建国王から代々受継がれているアイオテの盾だった。ミシェイルは盾を左手に受取り、玉座から立上がるとその盾を天高く掲げた。将軍たちから一斉に喚声が上がる。
「ミシェイル陛下万歳!!」
「アカネイアの横暴を許すな!!」
ミシェイルは黙ってうなずくと盾を下ろした。
「我が軍は十日後の日の出と共にアカネイア攻略戦を開始する。」
ミシェイルは声高に宣言した。
「マリオネス。」
「はっ」
「卿には先峰を命じる。卿は騎士団を率い一日早く出立し、アカネイアパレス攻略のための橋頭堡を確保せよ。」
「承知。」
「ハーマインは重装歩兵を率いてレフカンディの谷を制圧し、アカネイアの後方を押えると共にオルレアンからの援軍を阻止せよ。卿の作戦こそこの戦いの鍵と思え。」
「御意。」
「ムラクは我が竜騎士隊の後に位置し、城門が開くと共に突撃を掛けよ。」
「奴らを存分に蹴散らして見せましょう。」
「ジェーコフ。」
「はっ。」
「卿はドルーア、グルニアの軍と共にアカネイアの傀儡たるアリティアを討て。すでにグラのジオル将軍は我等に付くことを表明している。手柄を立ててこい。」
「私の槍にかなうものは奴らにはおりますまい。」
「ミネルバ。」
ミシェイルがその名前を呼ぶとそこにいたほとんどの人の視線が呼ばれた対象に集った。
「……。」
ミネルバはうつむいたまま返事をしない。
「お前には白騎士団を率いて予と共にアカネイアパレスに奇襲をかける。期待しているぞ。」
「御意。」
ミネルバは一言そういうとまたそれきり黙り込んでしまった。
「では諸将準備にぬかりのないように。アイオテの名のもとに正義と勝利はつねに我等にある。解散。」
城の中では慌ただしく戦いの準備が進められている。ミシェイルは今一度父親を説得するために水の間に向った。水の間は一応来客用の部屋なのだが、周りを部屋に囲まれており、昼間でも中はランプの灯りがあるだけである。事実、半分監禁を目的として作られており、今までも何人かのお客に泊って頂いたこともある。オズモンドはまさか自分がここに閉じ込められるはめになろうとは思いもしなかっただろう。
「父上。少しは考え直していただけましたか。」
ミシェイルは低い声ではっきりといった。
「ミシェイル。お前のその行動が世界の平和を乱すのだ。後になって民を苦しめるだけだというのがわからんとは。」
「平和を乱したのはドルーアとアカネイアですよ。父上。私はそれに対して自衛手段を講じたまでの事。父上はマケドニアの滅亡がお望みか。」
「そうはいわん。だが、ドルーアが勝ったとしてこのマケドニアが生残れるとは思わん。私は、たとえ我等が滅ぼうとしても、ドルーアと戦うべきだといっておるのだ。」
「そして、何万という民が犠牲になる。ですか?とても美しいシナリオだ。アカネイアに迫害され続けてきた民たちに是非とも聞かせてみたいものですよ。」
民衆の事を出されては反論のしようがない。
「お前は、確かに私などよりは優秀な国王となるかもしれぬ。現に、武術ではわしはお前の足許にも及ばん。だが、ドルーアは必ずマケドニアにも牙をむくぞ。」
口調の荒いオズモンドに対して、ミシェイルは冷静そのものだった。ミシェイルは部屋の戸棚から取り出したワインをグラス一杯に注ぎ、半分ほど飲干した。
「そんなことはわかっているのですよ。父上。しかし、今ドルーアと戦えば確実に我が国は負ける。だから、この戦いが続く間に少しでも力を蓄え、逆にドルーアを消耗させ、最終的に我が国が生残るようにするのです。そうすれば、我が国の平和を脅かすものは誰もいなくなる。」
オズモンドは、ミシェイルの言葉を聞き全てを理解した。ミシェイルはこの大陸の王となるつもりだと。そして、もはや何をいっても無駄なことも。
「ミシェイルよ、お前の行いを人々がどう受取るかは知らぬ。だが、力で奪ったものには束の間の安らぎしか得ることはできぬと知るがよい。」
そういうと、オズモンドはテーブルの上においてあったナイフを自らの首へと突刺した。それは一瞬の出来事であり、ワイングラスを片手にオズモンドに背を向けて話をしていたミシェイルに止めるすべはなかった。
「父上!!……ばかな!!」
ミシェイルはオズモンドを抱き抱えたが、流れ落ち続ける血はどうしようもなくオズモンドは息を引取った。異変を感じ取り、扉を開けた近似のものは後日その様子をこう述べている。その時、ミシェイル陛下の服は半ば真っ赤に染り、茫然とした表情とあいまってさながら幽鬼のようであった。と。
ミシェイルにはオズモンドを殺すつもりは微塵もなかった。ただオズモンドの考えに賛同して滅びを待つだけということに耐えられなかったのである。この不測の事態に対し、ミシェイルの頭は思考の渦にのみこまれた。そして彼が真っ先に行ったことは周囲に喪を発し、攻撃に加わることを中止したことであった。これは、オズモンドに敬意を示したものと一般には公表されたが、ミシェイルに敵対する者からは彼がドルーアと同盟を組み、父王を弑し、その上でそれを利用して戦力の消耗を防いだと言われた。
実際、この後のミシェイルは時には冷酷と思えるほどの厳格さで事に臨んだ。ミネルバは、そのような状況で心の中の迷いを拭いきれないでいたが、ミシェイルには従っていた。
マケドニアなしで行われたパレス攻略戦はアドリア候ラングとサムスーフ候ベントの寝返りにより三日で終了した。アリティアもグラの裏切により国王コーネリアスと神剣ファルシオンを失って敗走。その戦力の大部分を失った。マケドニアはその後パレス方面に進出せずに大陸の交易の要衝であるレフカンディーの谷を制圧し、オレルアンとの睨み合いになった。パレス攻略戦から二年後、アカネイア王家はからくもパレスを脱出し、抗戦を続けていたが、アドリア峠の戦いを最後に滅亡する。だがその時、グルニアのカミユ将軍によって、王家の一人は命を長らえたという話もある。この時期以降カミユには重要な役回りが来ていないことがこの話の信憑性を高いものにしていた。
その後ドルーア軍はアリティアに総攻撃を掛けこれを併呑した。だが、自らは囚われの身になった王女エリスの機転により、宮廷騎士団はその半数以上が脱出に成功したといわれている。しかし、これらの戦いでドルーアとその同盟国は消耗しており、オレルアンの攻略はマケドニアに任された。ミシェイルはこの命を受けつつも極力戦力の消耗を避ける戦いかたをした。
一年後にはアカネイアの王女ニーナがオレルアンに健在であることが知れ、アカネイア同盟の士気が上がったが、ミシェイルはこれを一つ一つ蚤でも潰すように攻略し、決して一気に勝敗を決するような賭けはしなかった。ドルーア同盟の成立から四年。ここで、戦いは大きな転機を迎えようとしていた。