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FireEmblemマケドニア興隆記
 暗黒戦争編
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一章 アリティアの王子とマケドニアの侯爵

「マルス様。オレルアン平原が見えましたぞ。」
 広く豊かなオレルアン草国。その全てを見降ろせる位置に彼らは立っていた。先頭に立つ男は肩に無骨な装飾のついた立派な鎧を纏っていた。その白髪と、深い皺の刻まれた顔は男が若いという年齢をとうの昔に過ぎてしまっていることを物語っていたが、その鎗は未だ研ぎ澄まされている。
 その男の後から現れたのはまだ背丈の成長しきっていない少年だった。鎧を纏い、青いマントを身に付けている。口を真一文字に結び、目の前にある平原をみつめていた。
「ここに、ニーナ王女がおられるのか。」
「さようです。ニーナ様を失えば我等の此の度の旗揚げは無意味なものとなりましょう。いざ。」
 少年はしっかりと頷くと、後を振向く。そこには数は少ないながらも精鋭でならすアリティアの宮廷騎士団と、タリスからの義勇兵がいた。その数およそ二百余名。
「みんな。ここから先は戦場だ。気を引締めていくぞ。」
 群衆から、喚声が上がる。その遥か上を一羽のペガサスが舞っていた。マルス王子を慕って国を飛出してきたタリスの王女は、少し首をかしげながら下を眺めていた。

 マケドニア軍が緑条城を攻略したのは、もう半年も前の事である。この時王弟ハーディンこそ逃したものの国王夫妻は虜囚の身となった。しかし、ミシェイルはこれを処刑することを許さず夫妻は未だに地下牢に幽閉されている。守備隊を指揮するマリオネス将軍と攻撃隊を指揮するムラク将軍はある程度有能な将軍で、圧倒的な戦力差と徹底的な消極戦術でまだ負けを知らなかった。
 しかし、アリティア軍がタリスの乱を鎮めサムスーフ山の盗族団を壊滅せしめたことが判明すると緑条城は大きな動揺に包まれた。アリティア軍の数は彼らにとって決して看過しえるものではなかったのだ。
「マチスよ。奴らはどう動くと思う。」
 マリオネス将軍が彼の部屋に呼寄せたのは赤毛の青年だった。少し頼りなげな体つきと顔つきをしてはいるが、それでもマケドニアの有力貴族の一人だった。本来なら戦争などに赴くような身分の者ではないのだが、彼の妹がミシェイルからの求婚を断ったためにこの様な境遇にある。それでも貴族にしては頭が切れるためマリオネスは彼を重宝していた。
「はい。おそらく真っ先にハーディンの部隊と合流を試みるでしょう。」
「うむ。ハーディンが率いるのももう百人足らずだ。それでも合流すれば三百人近くになる。やはり我が軍としては奴らが合流する前に全力でこれを叩き、返す刀でハーディンをも討ち取ろうと思うが?」
 その問にマチスは頭を伏せがちにして答える。
「恐れながら申上げます。我が軍は数において彼らの三倍と勝ってはおりますが、彼らの士気は高く、万が一敗れるようなことがあればハーディンの隊との挟撃にあう恐れもあります。ここは万全を記すためにも本国に増援を求めるべきであると思います。」
 マリオネスは今までにも功にはやるムラクを押え、敵の五倍以上の兵力をもって事に当っていた。それもみなマチスの進言だった。皮肉にも自分を陥れたものの言葉を一番理解していたのはマチス自身だったのである。
 最初マリオネスがマチスに策を尋ねたのは単なる戯れからであった。何も知らぬ貴族の孺子をいたぶってやろうと思ったからだ。しかし、マチスはこれを難なく論破してみせ、以来マリオネスは彼を側近のように扱っている。マチスの進言は常に的確であり、今回もマリオネスはマチスの言葉をもっともなものとして受け止めた。
「うむ、それではどうするのだ。奴等が合流して城を出たところを一気にたたくか。」
「そうですね。その際、近辺の森に伏兵をひそませておいて一気に襲わせれば効果は大きいでしょう。しかし、敵にペガサスナイトがいることが報告により判明しています。これにより敵はかなりの範囲の情報を得ることが可能なはずです。ありきたりな行動はすぐに敵の知るところとなりましょう。」
「ううむ。」
 マリオネスは低い声でうなった。ペガサスナイトの有用性はマケドニアの軍が一番わかっている。ペガサスは力的には普通の騎馬と同等か少し劣るくらいであるが、基本的に若年の女性しか乗り手に選ばないためペガサスナイトに武勇を求めるのは難しい。だが、空を飛べるというのはそのことを差し引いてもとても有用なことである。ペガサスナイトは他のどんな兵種よりも広範囲を偵察でき、情報を伝えることができる。だがペガサスを乗りこなすということ自体が難しいことであるので大規模な軍として存在するのはマケドニアの白騎士団しかない。他にペガサスを操れる国は微々たるものである。
 そしてそれ故に、ペガサスナイトすら擁する反乱軍を侮りがたいとマチスは思っている。聞けば僧侶や魔術師、盗賊まで反乱軍にはいるという話だ。数こそ少ないものの少数であることの機動性の高さと兵種の豊富さによる戦術選択の広さは十分に脅威だ。
(だったら奴等を大軍にしてしまえばよい)
 マチスの考えは即ちそういうことであった。少数の中にあって魔術師や僧侶の存在は大きい。特に少数で統制の取れた軍隊であるならば魔法を最大限有効に活用できるであろう。だが大軍となれば味方の動き次第で魔法が使えなくさせることができる。最も重要な点は統制のよく取れた少数精鋭よりもそれほど統制の取れてない大軍の方が混乱させやすいということだ。大軍の弱点はマケドニアとしても抱えてる部分はあるのだが、指揮官の出世争いはあっても末端の兵士部分ではどうにか一枚岩と呼べるような状況にある。反乱軍はすでにタリス、アリティアの連合軍という形を取っている。これにほんの少し刺激を与えてやればたやすく混乱させ得るだろう。
 逆に少数でゲリラ的に動かれてはたまったものではない。今までの彼らの動きは戦略的にあまり意味のない行動、サムスーフ山の盗賊の殲滅なども行ってきた。だがそれにより彼らの人気は民間で徐々に高まりつつある。それが効果を狙ったものだとしたら……。どちらにせよ彼らを少数のまま行動させるのは得策ではない。
 大軍にするということは彼らの動きを読みやすくするということでもある。彼らの次の行く先はマルスの性格と草原の狼との異名を取るオレルアン王弟ハーディンの性格を考えれば一つに定まる。
 そうなれば策はあるのだ。彼らを一つにまとめた上でアリティア、オレルアン、タリスの連合軍を一気に無力化させるための策が。しかしマチスにはそこまで兵を動かすだけの権限はない。この策が受け入れられるかどうかはマリオネス将軍にかかっていた。
 いつもより姿勢を正し、少し緊張気味にマチスは話し出した。
「詭計を用いましょう。」
「何か作戦があるのかね。」
「はい。この作戦を使えばほぼ確実に彼らを無力化できます。その理由は彼らのこれからの行動が確定しているからです。」
「それで、具体的にはどうするのだ。」
 マチスは自信を落ち着かせるために深く息を吸い込んだ。これから彼が進言しようとしていることは戦術戦略の常識から大きくかけ離れていることだった。
「アリティアの軍とオレルアンの軍はまず南の砦にて合流を果たし、緑条城を目指すでしょう。その時、緑条城は適度に抵抗を示した後これを明け渡します。」
「何だと?」
「彼らはその後、十分な休息の後に全軍をあげアカネイアの奪回へと向かうでしょう。我が軍はその間にレフカンディの砦に兵を終結させておき、彼らが出発した後別働隊を彼らに悟られないように緑条城へ向かわせます。彼らの進軍はレフカンディで押さえ、別働隊は手薄な緑条城を陥とした後、直ちに進撃を再開し、レフカンディで彼らを挟撃するのです。」
 マチスは息もつかぬほどの勢いで自らの考えを述べた。
「そんなことが可能だと思うのかね?」
 マリオネスはマチスに半ば圧倒されながらもかろうじてそれだけを答えた。マリオネスのもっともな問いにマチスは即答した。
「全マケドニアの力を持ってすれば充分可能です。そしてこれが、彼らが現れてからどうすれば確実に彼らを撃破できるか私なりに考えた結論なのです。」
 マチスの顔には汗が浮かんでいた。部屋の中を一瞬の沈黙が支配する。
 ふと、マリオネスの顔に笑みが浮かんだ。
「マチスよ。」
 マリオネスの反応にマチスは戸惑っていた。マチスはマリオネスがこの作戦を聞いたらにべもなく怒り出すだろうと考えていたからだ。
「お前がそこまで言うのは初めてだな。」
 予想外の反応にマチスは少なからずうろたえていた。もし誰かがこの場面を冷静に観察していたら、マチスの情けない表情を記憶にとどめることができただろう。
「私はこれまでお前の言葉はよく理解してきたつもりだ。オレルアンにきてから一度も負け戦がないということはお前なしでは考えられなかったと思う。ムラクがこんなことを聞いたらきっと何か言い返してくるだろうがな。しかし、お前の作戦を私が理解できたのはそれが全て私の知識の範囲に収まっていたからだ。」
「将軍……。」
 マチスにはマリオネスの言わんとしていることがよく分からなかったが、この作戦には反対らしいと感じた。
「マチス。今回のお前の案は非常に興味深い。特にわざと城を明け渡すなどは私には絶対にできない発想だ。お前はこの作戦には相当な自信があるのだろう?」
「はい。」
 いまだ緊張は解けていなかったがしっかりとマチスは答えた。
「この作戦は味方に説明する段階ですでに二つの大きな欠点を持つ。一つは当然反乱軍に城を明け渡すこと。もう一つは反乱勢力を大きなものにしてしまうということだ。私はお前にずいぶんと助けられている。だから、お前の言うことが理解はできなくても信じることはできる。それでも兵士たちの動揺は大きいだろうし、ほかの将軍たち、特にムラク将軍とハーマイン将軍が何というかわからない。とくにこの二人の将軍が協力してくれなければこの作戦は成立しない。」
 マチスを悩ませていたのはこの部分だった。ムラク将軍は攻撃隊の司令官として、この緑条城に駐留している。また、ハーマインはレフカンディの谷を守備する将軍である。マチスは作戦自体には絶対的な自信を持ってはいたが、彼自身はマリオネス配下の一士官でしかなく、いくら参謀役としてマリオネスに重用されている身ではあっても自由に動かせる兵はほとんど持っていなかった。この作戦を行うにはマケドニア全軍をあげる必要がある。この戦いが現実のものとなり、完全な勝利に終われば、この大陸に敵対するものはいなくなる。完璧を期すために用兵が大規模な作戦となってしまったのだ。
 だが、やはりマケドニアの全軍を動かすのは無理があるようだ。特にマチスをよく知っているマリオネス将軍にさえ難色を示されてはどうしようもない。それに、こんなありさまでほかの将軍たちを説得する自信はマチスにはなかった。マチスはあきらめて次善の策を示そうとした。
「そうですね、やはりここは彼らが合流し緑条城へ向かう途中を……。」
「ちょっと待てマチス。」
 マリオネスは話を変えようとするマチスを慌てて遮った。
「言っただろう。マチス。その案は非常に興味深いと。しかし残念ながらこの私にもそれだけの兵を動かせる権限はない。」
 将軍は何を言いたいのだろう。と、マチスは思った。この調子だとわざわざ作戦は無理だというような感じではないが……。
「だからそれだけの権限を持っている方に直接交渉してみてはどうだ?」
 その瞬間、マチスはマリオネスが何を言いたいのか、その意図を理解した。
「ミシェイル陛下に直接交渉しろといわれるのですか!」
「そうだ。」
 マリオネスは大きく頷いた。
「マチス。お前はそこいらの名前ばかりの貴族とは大違いだ。そしてお前は若い。お前がこれから望むのであれば丞相の位すら手に入るかもしれない。」
「そんな。ご冗談を。」
 丞相というのは国王の代理として国政と軍事を司る国で最高の地位である。マケドニアでは国王が補佐役を必要とした時に国王自らが選任していた。現在はミシェイルが親政を行っているために空位になっているが、国王が一つ一つの細かいことまで裁決するのには無理があり、ふさわしい人材が見付かった時点で丞相に任命するだろうといわれていた。 しかしマチスは自分がそれほどの器であるとは考えてもいなかった。それだけにマリオネスが自分のことをそこまで買ってくれているというのは、ありがたさを通り越して逆に恐く思った。
「冗談などではない。私がお前に会ったとき、貴族の中にもこのようなものがいるのかととても驚いた。お無視なら陛下も認めてくださるかも知れん。どうだ。この話、受けるか?」
 マチスはその言葉の意味を噛み締め、戦慄を覚えていた。マチスはミシェイルの逆鱗に触れ、軍に放り込まれたとき、自分の人生の終わりを感じた。一応貴族ということで小隊長という地位についてはいたが、彼の治めていた領地はミシェイルの直轄になり、彼に残されたのは名前ばかりの侯爵の地位でだけであった。それが道楽半分で学んできた戦術論が意外に役に立ち、もう一度ミシェイルに会うことができるようになるなどとは夢にも思っていなかったのだ。
 ゆえにマチスにとってこれは大きな機会だった。元々ミシェイルの気紛れで放り込まれた軍だ。また気紛れで取りたててもらえるかもしれない。握った手のひらにも、知らず力が入った。
「わかりました。直に陛下に上奏してまいります。」
「そうか。なら陛下への書状は明日の朝までにそろえておこう。お前はこれから出立の準備にかかるがよい。」
「かしこまりました。」
 マチスは深深と頭を下げた。
「そう固くなるな。陛下は若くしてマケドニアを救われた。建国王アイオテの再来といわれるほどのお方だ。必ずやお前の期待以上の結果になろう。」
 マリオネスのその言葉に、マチスは思わず苦笑しそうになった。自分が振られた腹いせにその相手の兄の領地を没収し、軍隊へ送り込むなど、およそ英雄の所業とは思えなかったからだ。その一部の激情的な部分を除けばミシェイルはその平等さと寛容さでこれまでにないほど国民に支持されている。だが、マチスにはどうにも気に入らない相手だった。「マリオネス将軍、あといくつか頼みがあるのですが。」
「ん、何だね。」
 この作戦がミシェイルに認められる可能性はあまりないだろうとマチスは思ったが、とにかく準備だけはしておくにこしたことはない。作戦のために兵力を温存しておくことも重要だった。
「まず。ここ緑条城のなるべく細かい図面を作成しておいてください。できれば隠し通路なども完全に調査できると最高です。」
「うむ。再度ここを攻略するときに必要となるものだな。」
「あと、私が戻るまでアリティア軍への攻撃は行わないでほしいのです。できれば偵察だけはかかさず行っていただきたいのですが。」
「わかった。何とかしよう。私がムラク将軍を押さえている間に話をつけてくるのだぞ。」
 マリオネスは守備隊の将軍であり、攻撃隊として駐留しているムラク将軍とは仲がいいとは言えなかった。ムラク将軍は攻撃型の武将であり、時として無茶な作戦を行おうとすることがある。今までマリオネスは、マチスから知恵を借りてムラクをやり込めていたのだ。ムラクはこの状況からかならず攻撃に出ようとするだろう。だがもとよりマリオネスはマチスのいないときに攻撃を行うつもりはなかった。
「ありがとうございます。それでは私はこれで失礼いたします。」
「うむ、明朝一番に書状を取りに来るがよい。」
 マチスはマリオネスの執務室を後にしたが、体の震えはしばらくおさまりそうになかった。

「よう。マチス隊長。どうしたんだい。」
 マチスが宿舎に戻ろうとすると、背の高い男が壁によりかかりながら話し掛けてきた。
「ああ、クラインか。」
「おいおい大丈夫かよ。顔が真っ赤だぜ。」
「ああ、そうだな。ちょっと体がほてっていたところだ。そうだ、クライン、ちょっと手合わせしてくれ。」
「ええ!?」
 クラインは派手に驚いて見せた。それもそのはずで、マチスは作戦や戦法を考えるのは得意だったが、実際の白兵戦は苦手としていたのだ。
「そりゃまたどういう風の吹き回しですかい。」
「何、あまりにいろいろなことが起こるので少し頭を切り替えようと思ってな。」
「はあ……。」
「ほら、ぼけっとしてないで練習場へいくぞ。」
「へいへい。」
 クラインはぼやきながらもマチスに付き合うことにした。ちょっとした暇つぶしくらいにはなるだろう。

 荒い息遣いが聞こえる。マチスとクラインはすでに汗だくになっていた。マチスが踏み込み右肩から斬り込もうとする。クラインはそれを弾き返すと、マチスの持つ剣の根元を狙った。鈍い音が当たりに響き、マチスの持つ剣は床へと転がった。
「隊長。もういいかげんにしようぜ。」
「ああ、そうだな。」
 負けたにもかかわらずマチスは笑っている。彼はそのまま仰向けに寝転んだ。
 もっともマチスは最初から勝てると思ってはいなかった。クラインはマチスの隊では一番腕が立ち、それゆえクラインはマチスの隊で副隊長として扱われていた。
 マチスは軍に入隊したときからこの隊の隊長を務めている。この隊はマケドニアの軍の中でももっとも扱いにくい連中を集めた隊だった。それまで将軍から任命された小隊長は次々に逃げ出すありさまだった。その中でもクラインはもっとも腕っぷしが強く、彼らの中ではリーダー格であった。マチスが隊長として赴任したとき、クラインはマチスに一騎打ちを申し込んだ。マチスが勝てばその指示に従うといったのだ。マチスの細い体付きを見て、クラインの取り巻きたちは大声で笑った。その中でマチスは口の端に微笑を浮かべるとこういった。もっと面白いことがある、と。
 マチスが提案したのは郊外の平地における模擬戦だった。五十人近くいるこの小隊を二つに分け、一方をマチス一方をクラインが指揮して戦うというもので、マチスが負けたときはクラインに従うと約束したのでクラインは申し出を受けることにした。そしてマチスは人の振り分けを任す代わりに場所の指定は自分で行った。結果は模擬戦の前に周到に検討をしていたマチスの圧勝だった。クラインは約束を守り、彼の小隊は安定した。だがこの時点での彼の勝利は偶然だという者がまだ大多数を占めていた。
 だが、それ以降のアカネイア、レフカンディ周辺の制圧作戦においても、マチスの指示は的確に小隊を動かし、被害を最小に押さえながらそれなりの戦果を上げてきた。マチスがマリオネスに見出されてからは彼の隊はマリオネスの近衛隊のような立場となっていた。隊員は皆、ならず者であることに変わりはなかったが、マチスの指揮の下にある彼らをならず者の集まりと呼ぶような声は次第になくなってきている。
 マチスは任されたのがこの隊でよかったと今では思えるようになってきていた。元がならず者の集団であるだけに彼らの剣の腕は水準を超えて高かった。ゆえにマチスは普段の鍛練をクラインに任せることができ、自分は戦術や戦略の研究に没頭することができた。もっともマチスが最初の賭けに負けていたのなら彼にとっては悲惨なことになっていたであろう。
「隊長、どうして急に手合わせなんぞしようとしたんですか?」
 普段が普段だけにクラインはマチスの行動が不思議でしょうがなかった。
「クライン。明日からマケドニア本城へいくぞ。お前も付いてこい。」
「そりゃまた急な話で。どうしたんですか一体。マリオネス将軍の使いですかい?」
 マチスと同じように床に寝転がっていたクラインは跳ね起きてマチスに聞いた。取り合えず答えはしたもののただの使いであれば伝令を出せば事足りる。
「ははは。聞いて驚け。ミシェイル陛下に作戦の認可を打診しに行くんだ。マケドニア王国、いやこのアカネイア大陸の全ての歴史を探しても見つからないような大きな作戦のな。」
「そりゃあ……本当ですかい。」
「ああ本当だ。私もまさかここまで話が大きくなるとは思わなかったがな。まあ、この作戦が実行されるとなればどうしても大きな話になるか。」
「はあ。」
 クラインはすっかり床に座り込んでため息をついた。いつもの温和なマチスの性格とはかけ離れた彼の行動にすっかり毒気を抜かれてしまっている。それにクラインは軍の副隊長、しかも下級兵士上がりだ。国王のことなぞ雲の上のことだろう。
「どうした。気のない返事だな。一緒に来てくれるだろう。」
「いえ、妹が駄々こねなけりゃいいと思ったんですがねえ。」
 クラインはどう答えていいかわからず適当に話題を変えた。
「ああ、エリエスのことか。」
 エリエスとはクラインの妹で、マケドニア軍の従軍シスターをしている。傷ついた兵士たちを治療する重要な役だが、軍の一部であることは間違いがなく、前線が崩壊すれば危険にさらされることも十分ありえる。クラインは腕利きの傭兵として大陸中を巡っていたが、エリエスがマケドニアの軍に入ったと聞いて、彼もマケドニアの軍属となった。クラインもエリエスも互いに互いが心配なのだが、無鉄砲なところや気の強いところも兄弟で同じため、たわいもないことで年中けんかしている。もちろん仲が悪いわけではない。彼らを知るものは似た者同士が仲良く暮らしているということを知っている。
 マチスの妹はミシェイルの求婚を断った後旅に出てしまった。名前はレナといい、現在は行方知れずになっている。マチスも自分の目の届くところにレナをおいておきたかったのだが、旅に出るという彼女を引き止めることはできなかった。レナからマチスへの最後の便りが届いたのはレナが緑条城にいたときだった。マチスは緑条城を陥としたとき、城下中を探してまわったのだが、その消息を知ることはできなかった。今はただレナが無事でいることを祈るのみである。
 そのようなことがあって、クラインがエリエスを心配していることをマチスは感覚的に理解していた。エリエスがクラインのことを思う気持ちもわからないではなかった。
「おそらくあいつはまたついて行くというと思うんですよ。」
「別に連れて行っても私はかまわんが?」
 エリエスは小さいころから兄を慕い、行動を共にすることが多かったため、騎乗にも長けていた。騎乗にはマチスのほうが戸惑うくらいだ。一緒に行動する分には何ら問題はない。特に乗馬のできるシスターなどそう何人もいるわけではなく、後方支援部隊の中でも貴重な存在だ。
「とんでもない、こんな戦争の真っ最中にあんなの連れて小人数で歩き回るわけにはいかないでしょう。」
 マケドニア軍は緑条城を陥としはいたがだからといって近隣のすべての地域を掌握しているわけではない。特にオレルアンの南部には広大な森林が広がっており、その中の砦の一つにハーディンはいる。この国の代名詞にもなっている広大な草原が存在する北部とは対照的に平時でも危険な要素が多い場所だ。その中心を切り開いてオレルアンからレフカンディの谷をぬけアカネイアパレスとマケドニアに続いているのがレフカンディ街道である。その街道も今は安全ではなく迂回するにしてもほかの道は本当に森に詳しいものでなくてはたちまち迷ってしまうような複雑なものだ。危険を覚悟で街道を通るしかないということになってしまう。
 しかし、マチスはそんなにエリエスを心配はしていなかった。街道というくらいだからその道は当然馬車がすれ違えるくらいの道幅はある。それだけの広さの場所でこの兄妹に追いつけるものはそうざらにはいない。足手まといになるとしたらむしろマチスの方だろう。
「そうか?エリエスなら馬の扱いもうまいし私なんかよりはよほど安全だと思うがな。まあそのあたりのことはおまえに任せるよ。お前は連れて行くからな。国王への使者が一人きりでは格好がつかないからな。」
「へいへい。で、明日はいつ頃出発するんですかい。」
「なるべく早くだ。明日のうちにレフカンディの口ぐらいまでは移動したい。マリオネス将軍から書簡を頂いたらすぐ出発する。だからお前はその前に私達がいない間の訓練の指示を部下たちに出してやってくれ。」
「それはわかりましたが、俺達がいない間に戦闘状態になったらどうするんだい。」
「それは大丈夫だ。マリオネス将軍に決してこちらから手出しはしないように頼んでおいた。」
「それでも相手が攻撃してくることもあるんだろう。俺達がいないと勝手に戦いだしますぜ、あいつら。」
 マチスの隊は隊員が隊員だけにもともと団体行動というものが苦手であった。しかし例の模擬戦のおかげで、隊員同士の連携の重要さを知り、今ではだいぶましになったといえる。しかし彼らの連携がうまく行っているのはマチスが個人個人の能力を正確に把握し、戦場でその能力を最大限に発揮できるように指示を与えているからだということをクラインは知っている。他の隊員はどうか知らないが長い間ならず者達のリーダーをやってきたクラインには何となくそのことが分かったのだ。今はクラインにも戦場で部隊をバラバラにすることなく秩序を保つよう指示することが可能なはずだ。だが、この部隊はマチスかクラインのいうことしか聞かない。例えマリオネス将軍といえども戦場で彼らをまとめることができるかどうかは疑問だ。最悪の場合味方を混乱に陥れる可能性もありえる。それだけにクラインが二人がいない間の戦闘について危惧を抱くのはもっともなことだといえた。
 そんなクラインにマチスは笑って答えた。
「敵から攻めてくることはないよ。いまハーディンはマルス王子のアリティア軍と真っ先に合流したいだろうからね。今はただひたすら戦力を温存しようとするはずだよ。少なくとも二週間ぐらいは大丈夫だと思うよ。」
 ここからマケドニア城までは馬で駆けてほぼ五日の距離である。
「まあ、私の分析が正しくないこともありえるし、お前のいいたいこともわかるからなあ。それならもし出撃するようなことがあっても私の隊は出撃させないようにマリオネス将軍にお願いしておこう。理由を話せば分かってくれるだろう。」
「それはいいですけどあいつらが納得しますかねえ。」
「私からの命令ということにしておいてくれ。」
「わかりました。そういうことなら早速あいつらにいってきましょう。」
 そういうとクラインはすくっと立ち上がった。
「おいおい。もう今日の訓練はとっくに終わっただろう。どうするんだ。」
「なあに、皆いつもの場所で呑んだくれてますよ。ついでに俺も一杯やってきますよ。」
 マチスがあきれた顔でクラインを見上げた。そしてしょうがないなあという顔になった。
「明日は早いんだぞ。程々にしとけよ。」
「わかってますって。それじゃお先に。」
 クラインは向こうを向いたまま一度きり手を振ると訓練場から出ていった。

「例のものは出来上がりましたでしょうか。」
 翌日、マチスは朝一番にマリオネス将軍をたずねた。
「もういくのか?ずいぶんと早いな」
「私は一週間で帰ってくるつもりです。そのためにできるだけ距離を稼いでおきたいのです。」
 マリオネスは少しあきれた顔でマチスを見ると、引き出しからきれいに封をされた手紙を取り出した。
「そうか。それではこの書状を持ってゆくがよい。これがあれば陛下に謁見することができるはずだ。ところで何をそんなに急いでおるのだ?」
「それは、アリティア軍とオレルアン軍が合流するのが早い場合一週間くらいになると思われるからです。彼らは戦力が整い士気が上がったところですぐに緑条城に攻撃を仕掛けるでしょう。その時までに計画の承認を頂かなければなりません。」
「わかった。実はこちらも少しまずいことになってきている。」
 少し顔をしかめつつマリオネスは話す。
「ムラクがアリティア軍がオレルアン軍と合流する前にそれを撃破しようと言い出したのだ。何とか説得はしているが、今までの言動が祟ってかあやつはわしのいうことにあまり耳を貸さぬ。どうしたものか。」
 ムラクの戦略は短期的に見れば正しいといえる。だが、
「何とか挟撃の危険性の大きさを説いて説得できませんか。彼我の戦力は確かに当方が三倍強と勝ってはいますが、向こうには地の利があります。闇雲に攻めるだけでは例えハーディンを追い落とせてもこちらに被害もばかにならないでしょう。今は守りに徹して敵が合流して広い草原を戦場に選ぶ時こそが好機であるとするのです。」
 マチスの言葉は一見正しそうだがこの見解には一つの誤りがある。確かに緑条城は草原の真ん中にあり、ここを陥とすには草原を横断しなければならない。そこを大軍で包囲殲滅するのは理想的な戦術だ。しかし、もともとオレルアンの軍は草原での戦いになれており、騎馬兵や騎馬弓兵はそれこそ指揮官の命令一つで自由自在に動く。緑条城を陥とせたのもマケドニア側の陽動作戦がうまく決まったからだった。
 現状ではマケドニアがオレルアン、アリティアの連合軍と戦えば草原のような小手先の技が効かないような戦場なら七割程度勝利はマケドニアのものだろうとマチスは考えていた。つまり今一歩の確実性が足りないのだ。ハーディン率いるオレルアンの残党に対しても同じ事がいえる。こちらに関していえば総攻撃を掛ければ兵力の面から見ても相手側は三日も持たないことは明白だった。そしてもう一つ。こちらの被害が甚大な量になることも明白だった。いたずらに攻撃を仕掛けてオレルアン軍を追いつめるよりも、マケドニアのオレルアン支配を確立し、彼らの戦意を失わせることが上策だとマケドニアの二人の将軍は判断した。
 ところが、タリスという思わぬところからアリティア軍という思わぬ横やりが入ったことで戦局の見直しをせまられているというのが現在の状況だ。マチスは当然アリティアの王子がどこかに落ち延びたらしいという情報を手に入れており、彼らが蜂起する可能性も考えてはいたが、恐ろしく現実味にかけていたので対策は何も考えていなかった。
 マケドニア軍が異変を感じたのは二ヶ月ほど前、ガルダの港町に駐留している小部隊が一切の連絡を絶ったことによる。不信を抱いたマケドニア軍は様子を探るが、その時にはガルダの港はアリティア軍によって奪回された後であり、すでに部隊はオレルアンへと向かった後であった。そのことが知らされたのが一週間ほど前。サムスーフ山の盗賊の話も相次いでもたらされた。マチスがいかにして彼らを無力化するかを考え始めたのもこの頃である。
 オレルアンの南から森林の中を目立たないように進むアリティア軍の情報は二日に一度くらいの割合でもたらされていたので、アリティア軍を強襲するというのは決して不可能な話ではなかった。それに成功すればそれだけでアリティア軍を無力化できる。普通の将軍ならこの作戦を実行することにためらわないだろう。奇襲が失敗する危険性よりも、彼らが合流する危険性の方がはるかに大きいからだ。
 ゆえにマチスはどちらの危険性も消せるこの戦法を提示した。そしてこの戦法を使う限り今回の攻撃は意味がない。もちろん、成功すればこの戦役全体に対する役割はパレス攻略、緑条城攻略に次いで大きなものになるがマチスは常にそのリスクの大きさで物事を計っていた。
「おそらくこの少ない情報量からしてムラク将軍は騎馬隊を遊撃させておき彼らの居場所が分かり次第攻撃に移るつもりでしょう。ならば動員できる兵力は自然と騎馬隊のみに限られてくるはずです。しかし、敵は確かに寄せ集めの軍かもしれませんがガルダ、サムスーフと勝利を得て戦意は高いはずです。」
 マチスの弁に力が入る。マリオネスはゆっくりとそれを押しとどめた。
「いや、私も最大限の努力はしてみるつもりだがもし説得しきれなかったとき何か被害を出さない方法はあるかね。」
 マリオネスは自分で変なことを言っていることに気付いた。自分は今、マケドニア軍が負けると仮定して話している。いつから自分はこんなに臆病になったのか、と。
 マチスはマリオネスのそんな複雑な表情には気付かず、憮然としていい放った。
「現状で奇襲を掛けるにあたっては絶対にしてはならないことが一つあります。それはオレルアン軍が潜んでいる砦の近くを戦場に選ばないことです。彼らは近辺の地形を熟知しており、我が軍を挟撃してくるのはほぼ間違いがないと思います。ただ今の時点で攻撃するには敵が森の中にいるのでそれだけでも我が軍に不利だと思ってください。」
「わかった。とにかくムラクには私からよく聞かせておく。だが、私の説得に限界があることは私自身よくわかっている。なるべく早く話をまとめてきてくれ。」
 そういうとマリオネスは再び書状を前に押し出した。
「わかりました。全マケドニアと自分自身のためにこの作戦の実行と成功を掴み取ります。」
 マチスは一礼して書状を受け取ると、力強く歩き出した。その後ろ姿にマリオネス将軍はあいつはあんなに強い男だったのかと、しばし呆気に取られていた。

「マチス様、おはようございます。」
 急いで出立するために厩へとたどり着いたマチスを明るい声が迎えた。すでに騎上の人となっているその人物はゆったりとした清楚な法衣に旅支度をしたものと思われる皮袋を背負っていた。その左手には立派な杖が握られており、その長い黒髪が彼女の可愛さを十二分に引き出していた。
 隣でクラインがいかにもばつが悪そうな感じでいる。マチスはなんとなくこうなることは分かっていたので取り乱さず挨拶を返した。
「おはよう、クライン、エリエス。私もすぐに準備をする。今回は強行軍だぞ。」
「はい!!」
 元気に返事をしたのはエリエスだった。やはりこうなったかと、少し歪んだクラインの表情が物語っていた。

 緑条城、夕方の会議室。昼過ぎに始まった二人の議論は白熱し、気がつくと窓から日が差し込んでくるほどに時間が経っていた。二人とも疲れていた。そして相手が自分と正反対の意見を持っていること、相手が自分の意志を曲げることがないということを二人とも理解していた。
 ムラク将軍とマリオネス将軍。マケドニア軍オレルアン方面軍のトップが話し合っているのはオレルアンの残党とアリティアの残党に対する対策だった。ムラク将軍は合流前のアリティア軍の撃破を、マリオネス将軍は緑条城周辺での決戦を主張した。オレルアン軍がこもる砦の処置では一致した見解を見せた二人だが、今回は共通点のかけらも見当たらなかった。しかし、幕切れはあっけなかった。
「要するに貴公の考えは戦力の温存にあるのだろう。」
 ムラクの言葉にマリオネスはまたかと思った。一見相手の意見を認めるような言い方だがこの後には決まって十倍する反論が展開される。そしてムラクは考え込んだ。
「貴公がここまでいうのなら仕方がない。今回は貴公の顔を立てようではないか。このオレルアンの攻防では貴公の知略に幾度となく助けられたからな。」
 その言葉を聞いた瞬間、マリオネスの顔がほころんだ。マリオネスの知略というがもちろんそれはマチスの立てた作戦である。
「わかってくれましたか。それならば今は城兵の訓練に努めることです。来るべき決戦に向けて準備を怠ることがない様にしましょう。」
「そうだな。ではこの件は結論が出たということで私は執務室に戻らせてもらおう。」
「それではそのように。」
 ムラクがそそくさと会議室を出ていったのを後ろで見ながらマリオネスは溜め息をついた。どうやら一日目は無事に過ぎ去ったようだがこんなことがあと十日以上続くのかと思うとうんざりした。マチスが早く帰ってきてくれることを祈らずにはいられないマリオネスであった。

「ムラク将軍。軍議はいかがでしたか?」
 仏頂面をしたムラクを迎えたのは彼の副将であるベンソン将軍だ。面長な顔に落ち窪んだ目が特徴的で左頬の傷もあってお世辞にも人相が良いとは言い難い。実際、彼は部下に厳しく自分に甘いところがあり、人に慕われることより憎まれることの方が多い性質であるといえる。そのような性格ではあったが、攻撃隊を指揮するところの猛々しさでは他を一歩圧倒するところがあり、攻撃隊の副将という立場は彼にとっては最もよい居場所といえた。最近では活躍の場が少なく、ベンソンは少し退屈気味であった。そして久々に攻勢に出る機会があると思いムラクの執務室前で軍議が終わるのを待っていたのだ。もっとも最初は日暮れすぎまで待つことになるなどとは思っていなかったのだが。
「どうしたもこうしたもない。マリオネスの奴、今は討って出るときではないの一点張りだ。相手が合流したところを見計らって一気に包囲するという奴の言い分も分からないではないが、どうも納得いかない。精鋭と謳われているアリティア軍ではあるが高々二百そこそこの軍勢に負けるとは思えないのだが……。」
「では奇襲は……。」
「とりあえず無しだ。また明日説得してみよう。しかし今日のマリオネスはいつになく頑固だったな。わしがいろいろな理由をつけて出撃を促してもことごとく言い返されてしまった。」
 ムラクはさも疲れたといわんばかりの緩慢な動作で彼のいすに腰を下ろした。ベンソンが独り言のようにつぶやく。
「あのマチスとかいうのが何か入れ知恵をしているのかもしれませんな。」
「ああ。マリオネスの隊にいる指揮官だろう。噂は聞いているよ。なんでもどんな士官でもその隊の隊長を投げ出したというのにそいつは一週間で部隊をまとめちまったって話だな。」
「ええ。何でもその隊長。やたらと切れるらしくてマリオネスは何かとそいつに相談しているらしいですよ。」
「はん。マリオネスの幕僚もかわいそうだな。」
 ムラクは机の上においてある愛用のキセルにおもむろに煙草を詰めると、火をつけて大きく吸い込んだ。煙が部屋の中をたゆたう。
「しかし、アリティア軍をこのまま野放しにしておいてよいのですか?彼らはすぐにでもオレルアンの残党と合流するかもしれないのですぞ。」
「それはそうだがマリオネスが動かないのであればことは難しいぞ。」
「それならばわたしに二百の騎馬隊を御与えください。今彼らの不意をつけば必ずアリティア軍は壊滅するはずです。」
 マリオネスとムラクは一つの城を拠点としているがその兵権は全く別のものである。マリオネスが兵を動かすのにムラクの許可はいらないし、逆もまた然りだ。なぜこんなややこしいことになったかというと、もともとマリオネスの部隊はパレス攻略のために編成されたものがパレスがあっけなく陥ちたためオレルアンの攻略隊にまわされることになったためだ。それでもともと攻撃隊だったムラクと二つの頭を形作ることになってしまったのだ。ミシェイルはこの二人のどちらもがどちらかに式を委ねることを拒むに違いないと考えた。情けない話だとは思うがマケドニアには将軍クラスに際立って有能なものがいない。有能な将軍といえば赤騎士と呼ばれる妹、ミネルバぐらいしかいないということはミシェイルにもわかっていた。ミシェイルは将軍たちの能力を考え、最大限の配慮をしなければならなかった。
 オレルアンの件に関していえば片方を攻撃隊、もう片方を守備隊とすることで片をつけた。そして大規模な作戦を行う前には必ず二人で話し合うことを義務づけた。そしてそれ以上の枷をはめればどちらかが暴発しかねないとみて、それ以上の規則を彼らに与えなかったのだ。
 ムラクはキセルを吹かすとベンソンを見上げた。
「夜襲を掛けるというのか。だが彼らの居場所をはっきりと特定することはできないのだぞ。」
「ムラク将軍。その点に関しては大丈夫です。我が隊の斥候隊を総動員して彼らの監視に当たらせております。現在オレルアンの残党がこもる南の砦から東に半日ほどの森の中で野営をしております。このまま何もしなければあと二日ほどで彼らは合流するでしょう。」
「何、もうそんなところまできているのか。」
 この知らせにはムラクも驚いた。彼はオレルアン軍とアリティア軍が合流するのはまだ一週間程度先のことだと思っていたのだ。それまでにマリオネスを説得できればよいと。しかし、状況の推移は彼の想像をはるかに越えていた。ムラクは一転して深く考え込む。
「ということは奇襲を掛けるにしても遅くなればなるほど不利だな。オレルアンの残党も森とはいえそこかしこに走る道筋くらいは知っているだろう。要するに奴等に気付かれずまたは援軍を出す余裕を与えずにけりをつけるかだが……。ベンソン。アリティア軍がそこに居るという情報は確かなのだろうな。」
「もちろんです。ついさっき夕方に戻ってきた斥候の報告ですから。アリティア軍には今は常に斥候を張り付かせてあります。もし万が一彼らが移動したとしてもその位置は明確に分かるはずです。」
 ムラクの念押しにベンソンは澱みなく答えた。ついにムラクは決断せざるをえなかった。
「わかった。お前は我が隊の騎馬隊二百を率い、夜明けまでにアリティア軍を殲滅せよ。奴等の情報はお前の方が詳しいだろうから細かい戦法等はお前に任せる。」
 ベンソンは口の端を少し上げ、普通の神経を持つものが見たら顔を顰めるような笑みをもらした。
「主命。確かに承りました。後のことは万事御任せ下さい。」
 一礼して執務室を出て行くベンソンを見て少し早まったことをしたかと考えたムラクだが、命令を変更しようとは思わなかった。

「王子さん。」
 樹にもたれかかってうつらうつらしているマルスに言葉を掛けたのは左頬に十字の傷のある鋭い顔つきをした男だった。この様な戦地であるに関わらず男は皮鎧にショルダーガードといういたって軽装であり、彼が正規兵ではないことがわかる。そんな身分に関わらず彼はマルス王子に気軽に声を掛けられる人物の一人であった。
「ああ。オグマか。」
 マルスは俯いていた顔をおこし閉じていた瞼を開き彼に向き直った。
「休んでいるところすまないが話がある。マケドニアの偵察がうるさくなっているのに気がついているか?俺は十中八九、奇襲を掛けてくるとにらんでいるが。」
「そうか。」
 そう一言呟くと、マルスは再びその瞼を閉じた。オグマは彼の次の言葉をじっと待つ。非常に静かな顔だと思いながら。
「オグマ。すまないがジェイガンとマリク、それにジュリアンを呼んできてくれない。」
「わかった。」
 マルスはそのままの姿勢でたたずみ、風景の一部となったかのようであった。もうすぐ太陽が沈む。森の中は早くも夜の帳に包まれようとしていた。

「王子。全員集まりましたが?」
 数刻後マルスの周りには四人の人影があった。マルスに問い掛けたのが老練な聖騎士にしてこのアリティア軍の軍師役を勤めるジェイガン。その左隣には先ほどマルスと話をしていたオグマがいる。
 彼は東方の島国タリス王国の親衛隊の隊長であるがマルスが蜂起したとき部下を引き連れて従軍した。タリス国王モスティンはタリスを統一した後全軍を解散してしまったため、彼が隊長を勤めるなかば義勇軍のような親衛隊が唯一の戦力だったのだが、彼の隊がいなくなってしまったため現在のタリスに戦力はない。それでもモスティンが彼らをマルスにつけたのは大陸全部を制覇されてしまってはタリス王国のみではそれに対応できないこと、シーダが無茶をしないように見守ること、そして何よりマルス王子に大陸の未来を賭けたからこそであった。
 オグマはまだ三十前の壮健な剣士である。もとはパレスの城下町で剣闘士奴隷として毎日戦わされていた身であったが、幼き日のシーダに気に入られてタリスに仕えるようになった。それ以来彼はタリスに剣を捧げている。モスティンはそんな彼を親衛隊の隊長に抜擢した。彼はそんな期待にこたえるべく努力を重ねてきた。今や彼のことを傭兵上がりだとか奴隷のくせになどと陰口を叩くものは真面目な人々の中にはいない。そして彼の名は凄腕の剣士として大陸中に広まっていた。
 ジェイガンの右後ろには魔導士が控えている。青いローブを纏った彼はアリティアの公爵家の者でマリクという。マルスとは幼なじみだ。彼は長い間カダインに修行に出ており、マルスの挙兵を風の便りで聞いて急いで戻ってきた。アリティア軍に合流したのはつい先日である。
 その後ろにいるのはジュリアン。サムスーフ山に巣食う盗賊団の一員であったが捕らえられたシスターを助けるために組織を裏切り、そのシスターともども組織を討伐したアリティア軍に居着いてしまった。もっとも彼がいなければこんなにも早くオレルアンの奥深い森の中を移動することはできなかったであろう。
 四人を前にしてマルスはゆっくりと顔を上げた。
「もうオグマから話は聞いたと思う。今夜にでもマケドニア軍が攻撃を掛けてくる可能性が高い。そこでこれから迎え撃つ準備をする。」
 四人の顔が俄かに引き締まった。
「マルス様。何か作戦でもおありですか。」
 丁寧な口調で聞き返したのはマリクだった。
「うん。この時のためにちょっと考えていたことがあるんだ。聞いてくれるかな。」
 五人の輪が狭まる。サムスーフ山を出発して以来、久しぶりの軍議が始まろうとしていた。

 まばらに茂った森の中を二百ばかりの騎馬隊が静かに行進している。聞こえるのは蹄が草を踏む音、風が草木を震わす音、そしてただ夜行性の虫や鳥が悲しげに鳴くだけ。
「将軍。この先になります。」
「わかった。全軍に轡を外すように伝えよ。私が松明を掲げると同時に突撃する。」
「かしこまりました。」
 全員の準備が整ったことを確認すると、ベンソンはあらかじめ用意しておいた松明に火をつけ、背中から前へと振るった。不意の明かりにベンソンの乗馬が高く嘶く。その二つが引き金となり、一団は黒い濁流となって前方へ押し寄せた。
「敵襲だ!!」
 アリティア軍の見張りはその役目を終えるとその生命を絶たれた。野営地はたちまち乱戦の舞台となった。一団は楔型の陣形を取るとアリティア軍の中に鋭く突き刺さる。その様子を木の影から慎重に見ている一人の影があった。いや、ただ見ているだけではない。丈夫そうな本を片手で胸に抱きしめ何事かを呟いている。
「THANDER!!」
 目も眩むばかりの雷球が突如として中空に現れたかと思うと騎馬隊に襲い掛かった。隊列の一番左側を疾駆していた騎士が一瞬にして消し炭になる。隊列が一時混乱した。ベンソンが叫ぶ。
「うろたえるな!敵に魔導士がいることは確認済みのはずだ。マルスの首を取ることだけに専念しろ!」
 痛烈な魔法の一撃とはいえ、騎馬隊に与えた影響はほとんどなかった。アリティア軍はろくに戦いもしないで左右に逃げ散ってゆく。そう時間もかからず彼らは一番立派なテントの前へとやってきた。松明の明かりに彩られたテントの前では青い髪をした少年が細身の剣を斜めに構えて待っている。ベンソンはその異常な雰囲気に包まれた空間で思わず立ち止まった。
「貴殿がマルス王子か。」
「そうだ。」
 少年はさも当たり前といわんばかりにうなずく。一つの影が動いた。
「一番手柄はもらった!」
 ベンソンの後ろから一人が飛び出し、後の騎士もそれにしたがった。マルスの左腕がそっと上がり、下がる。マルスの背後から十数本の矢が飛来し、騎士たちに突き刺さった。二回目の一斉射撃が終わると歩兵隊が突撃を開始した。アリティア軍の鬨の声が木霊する。そしてそれまで逃げていたと思われるアリティア軍が三方向から押し寄せた。
「馬鹿な!夜襲を読まれていたというのか。全員散開!撤退する!」
 ベンソンは自ら敵の罠の中にはまったことを遅まきながら悟った。いくら攻撃的な性格の彼であってもこの様な状況下にあって部下が戦えると判断するほど楽天家ではない。一瞬にして退却を指示した。だが包囲陣は完成されつつあり、自然と騎馬隊が逃げる方向が決まった。弓隊と魔導士マリクがここぞとばかりに集中攻撃を掛ける。マケドニアの騎士たちはばたばたと倒れていった。ベンソンが包囲陣を突破したときにはその兵力の四分の一を失っていた。そしてさらに一つの軍団が彼らを待ち構える。
「マケドニアの連中に我がオレルアン騎士団の強さを見せてやれ。全軍突撃!!」
 中央で号令を掛けているのは頭にターバンをかぶり、豊かな口髭を貯えた壮年の男である。白い大きなマントを夜風に翻し、剣を片手に指揮を執っている。少し後ろの優男が手綱を取る馬上には、一人だけ軽装で妙に場違いなジュリアンの姿があった。
「馬鹿な、退路に敵兵だと!?」
 この一団の突撃でマケドニア軍は完全に恐慌状態に陥った。もはや集団で戦うどころの騒ぎではない。ある者は胴をなぎられ、ある者は頭を割られ、マケドニアの騎士たちは次々を命を落としていく。
「どうやらうまくいったようですな。オレルアン軍も実にいいタイミングできてくれた。」
 かすかに微笑むジェイガンの横で、マルスはいまだ厳しい顔をしていた。
「さて最後の仕上げに入りますか。」
 そう言うとジェイガンは馬上の人となった。彼の周りには大陸屈指の精鋭といわれるアリティア騎士団がすでに臨戦態勢で待機している。
「アリティア騎士団、突撃!!」
 そうして彼らも戦場へ向かう。ベンソンは最後の突撃を試みた。もはや彼に後ろを振り返っている余裕はない。その退路をさっきの優男がふさぎ、一合の剣を交えた。
「お前のような軟弱者が私に勝てると思っているのか!」
 ベンソンはその見た目からそのように揶揄したが、次の瞬間脇腹に強烈な痛覚を覚えることになった。見るまでもなく自分が目の前の相手に刺されたのは間違いがなかった。
「馬鹿…な……。」
 ベンソンの脇腹を貫いていた剣を男は引き抜くと、次には首筋を貫いた。ベンソンは血まみれになって落馬する。ベンソンは二度と戻っては来ない意識をこの時失った。
「人を見掛けで判断するからだ。」
 鎧と剣と手についた返り血を見ながら青年は一人呟いた。そんな彼にターバンをを巻いた男が近づいた。
「ロシェ。大丈夫か。」
 この隊の隊長らしきその男は、ロシェと呼ばれた優男が大量の返り血を浴びているのに気付き驚いた。
「隊長!私なら全然大丈夫です。それよりも敵の大将と思われる人物を討ち取りました。」
 ロシェが指を刺したその先には無残にも突っ伏したまま事切れているベンソンの姿があった。
「そうか。これはマルス殿にいい土産ができたというものだ。では私はマルス殿のところに挨拶に伺う。おまえは部隊をまとめて待機していてくれ。」
「了解しました。」
 隊長らしき男は一度うなずき、ベンソンの首を剣で無造作に掻き切った。

「王子さん。いま戻りましたぜ。」
「ジュリアン。よく連絡してくれた。ありがとう。」
 マルスの使っているテントの前からは戦いの喧騒はもはや消え去り、松明の明かりがあたりを静かに包んでいる。闇の中ジュリアンの後ろから例のターバンを巻いた男が現れた。
「マルス王子。お久しぶりですな。」
「ハーディン!!よくきてくれた。貴公と会うのも五年ぶりか。」
 マルスは満面に笑みを浮かべて彼を迎えた。
 ハーディンはオレルアン国王の弟にあたり、オレルアン騎士団の長を勤めている。騎馬を操るときの勇猛さは彼に草原の狼という二つ名を与えた。マケドニア軍の巧妙な作戦にかかり緑条城を奪われてしまったものの、南の砦を拠点としている彼らの存在はオレルアン国民にとって大きな希望だった。
「どうやら立派に成長されたようだ。コーネリアス陛下もあのようなことになってしまったが今の殿下を見ればさぞ安心するだろう。」
「よしてくださいよ。それよりも、今までご無事で何よりです。」
「この者が書状を持ってきたときには驚いたよ。戦闘開始の合図を雷撃の魔法で行うとはなかなか考えたな。それに、噂は聞いていたがこんなにも早く合流できるとは思わなかった。」
「いい道案内を雇ったので。」
 マルスは一度ジュリアンの方を見るとそう言った。
「それはそうとニーナ様がそちらにいらっしゃるという話ですが。」
「ああ。少し手狭な砦で窮屈な思いをさせてしまっているが、元気にしている。今日はもう遅いから明日にでも砦へ案内しよう。まさかマケドニアの奴等も大将を討ち取られて再び夜襲を掛けてくることはあるまい。」
「敵の大将を討ち取ったというのですか!?」
 ハーディンは小脇に抱えていたものを無造作にマルスの前へと投げた。それは紛れもなくベンソンの首であった。
「私の部下にロシェという者がおりまして、その者の手柄です。敵さんだってあれだけの騎馬隊などそうそう用意はできない。後はぐっすり休めるでしょう。」
 ハーディンの行為にマルスは驚いていた。ハーディンが豪快な人物であるとは聞いていたがまさかここまでとは思っていなかったのだ。
「ハーディン公。私も今夜これ以上の襲撃はないと思う。しかし、油断は禁物だ。」
 ハーディンはそんな風にいうマルスの顔を見て感心と驚きを覚えた。この若者はどこまでやれるのか、と。
「マルス王子。この戦いは我々にとっても久しぶりの大規模な勝利なのです。少し位喜んでも罰はあたらないでしょう。」
 ここでハーディンは少しトーンを下げると、こういった。
「確かに油断するのは愚か者のすることですがな。」
 ハーディンの物の言い方にマルスはたまらず吹き出してしまった。それにつられて周りにいるものもハーディンも笑い出す。あたりに広がった明るい空気はやがて勝鬨となって夜の闇に包まれた森を震わせた。
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