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FireEmblemマケドニア興隆記
暗黒戦争編
ニ章 小さな敗戦の余波
初夏のやや強い日差しの中、森深きマケドニア街道を疾駆する三つの影があった。打ち続く戦乱のため、めっきり旅人が減ってしまい、ここ一時余り彼らは人影を見ていなかった。影は二騎が前を走り、それに一騎が続くという形で進んでいる。
「隊長。大丈夫ですかい。」
時々前を走る者が後ろを心配そうに振り返る。後ろから追いかけている人物は半ばたてがみにもたれながら走っており、額には油汗が浮んでいるのがはっきりと見て取れた。
「私なら大丈夫だ。……先を急ごう。」
「あまり無理しない方がいいですぜ。少しくらいペースを落としても今日の夕方にはマケドニアに着けるはずですぜ。」
「ああ、わかっている。だが私は今日中に陛下との面会を行ないたいのだ。」
マチスはとても辛そうにしている。十人が彼を見たならば十人が間違いなくそう思うだろう。緑条城を出てから二日目の昼にアカネイアパレスのお膝元であるノルダの町を過ぎそのまま休みもせずに走り続けている。緑条城に駐留中のマケドニア騎馬隊が敗北したという報は、伝令部隊が彼らと同じ道を通り同じ目的地を目指しているのにも関わらずまだマチスにはもたらされていなかった。朝は日が昇る前の僥倖から走り出し、夕は日が沈みわずかな残光が大地を照らすことを止めるまで彼らは走り続けている。もともと体力に自信のある方ではないマチスにはこれはかなり辛いことであった。しかし今までも何度かクラインに止められたにもかかわらずマチスはそのまま走り続けている。今の彼の頭の中には一刻でも早くマケドニアの王城にたどり着くということしかなかった。
「マチス様。お兄様のいうとおりペースを落としましょう。もしこのままの状態で陛下に御拝謁しても普通に話し合いができるとはとても思えないのですが。」
クラインはこれだけの強行軍を強いられておきながらほとんど息を乱さずに付いてくるエリエスにあきれながらも感心していた。従軍シスターなどをやっているおかげでそれなりに頭もまわる。もっともこんな性格と性質で嫁の貰い手があるのかどうか。クラインはそっちの方が心配だったが。
それでもマチスば、エリエスのその言葉を聞くと歩調を落とし、何かを考え始める。二人もそれに倣い速度を落とした。
「エリエス。すまない。焦るあまり本来の目的を忘れるところだった。礼を言わせてもらう。」
マチスは完全に立ち止まりエリエスへ顔を向けると静かにそう言った。
「いいえ。そこまで言われるようなことでは……。」
エリエスは急に声を小さくすると、真っ赤になってうつむいた。そんな様子を見て、クラインは首をかしげたが次の思考よりも早くマチスが話し出す。
「そうだ。私が相手をするのはまずミシェイルだったな。あの男こそどのような敵よりも警戒すべき相手であるのに、この様な状態で挑もうとしていたとは我ながら愚かなことだ。」
「マチス様……。」
エリエスの哀しげな表情に、クラインは今度はしっかりと気付いた。その様子を見るとクラインは後ろを向き小さく溜め息を吐いた。
クラインはマチスが感情的になるのを彼の側にあってもほとんど見たことがない。ただ、国王ミシェイルのことになるとそうもいかないようだ。クラインにしてみればミシェイルも他のマケドニアの貴族もあまり変わったものではない。一つの国にとって頭が変わったからといってそう急激に変化が訪れることもない。民衆は皆、日々を暮らしていくのに精いっぱいだということが彼にはわかっていたからだ。ただ、傭兵時代からマケドニアが海外貿易をしていたおかげで、良質な武器や防具が手に入っているということは国に感謝している。しかし、妹のためにマケドニアの軍属になったとはいえ国王や貴族などとは関係ない。妹と二人だけの家族が、特に妹には平和に暮らしてほしかっただけだ。
クラインとエリエスの両親はクラインが中途半端な年代で周りの大人たちによくばかにされていた頃、流行り病で亡くなった。クラインはその後食うために傭兵となり、めきめきと頭角をあらわしていった。マケドニアやグルニアでしか活動していなかったため、大陸中で勇名があるというわけではないが、傭兵時代にはゆくゆくは死神ナバールか剣士オグマに匹敵するようになるだろうとさえ言われていた。
一方のエリエスは近くの修道院に入り、シスターとして修行する一方孤児たちの世話もしていた。ドルーア同盟が成立し、大きな戦争が始まるのがわかると、気が強くじっとしていられない性格の彼女は自ら従軍シスターとして軍に志願した。それを聞いたクラインも妹を見守るためにマケドニアの軍属となった。今では彼の傭兵時代の勇名を知る者は少ない。
彼らの命運を変えたのはやはりマチスであったのだろう。マチスは、他の貴族たちのように礼儀作法を身につけたり、槍の腕を磨くなどといったことはせずにただひたすら本を読み続けていた。彼の母は妹を生んでまもなく病死しており、親戚や父親などからも比較的放任されていた彼は日がな本を読んで過ごし、自分をわかってくれない家族とはあまり話さず、専ら領民と多く接していた。そんな彼を唯一肉親で理解してくれたのが妹のレナであり、レナの小さい頃は彼女が眠る前にベッドの側でさまざまな話をしてあげたものだった。
父親までも病死した後、後を継いだマチスは領民に大いに好意的に迎え入れられた。領民はみなマチスの温厚な人柄をよく思っており、彼の領土運営は順調で、そのためにあいた時間をさらに読書のために割くことができた。しかし、それも妹のレナがミシェイルの求婚を断り姿を消すまでの短い間しかもたなかったのだが。
エリエスといえばマチスに引き合わせてくれた偶然にとても感謝している。エリエスは貴族といえば時々見回りにくるアカネイアの役人と、それに媚びへつらいそれでいて領民には厳しいマケドニアの貴族しか知らない。だからマチスのように温厚で、いつもは何も考えていなさそうなのにちょっとした賢者を名乗る者程度ならやすやすと論破して見せるであろう程の知識と思考をもった、そんな貴族など今まで見たことはなかった。がさつで何をやるにも力任せの兄とは正反対の人物を目の当たりにして、エリエスは不思議な人もいるものだと変に感心したものだ。
クラインは指揮権をマチスに取られた後、マチスから示される指示がどれだけ的確かを対アカネイア、オレルアン戦でいやというほど味わった。それと同時にただの傭兵では学びようもなかったことを多く学んだ。戦いにおいて個人個人の能力は確かに重要だが、それだけで全てが決まるわけではないということを、マチスは隊員たちに諭すように、それでいてしっかりと刻み込んだ。そうして彼らは、武骨とか勇猛とかいった言葉には無縁な男に徐々に惹かれていったのだ。
エリエスがマチスに惹かれるには傭兵たちほど時間はかからなかった。マチスは自分に対して少々甘いところがあったものの周りに対してはそれ以上に温厚に接していた。特に余計な争いごとは一切作らず、他人同士の揉め事もその話術でよくおさめることが多かった。たまに失敗して傷だらけになることもあったが結果として争いごとが解決したとき、彼は満足そうに微笑む。そんな彼をできることならば自分の手で守ってあげたい。エリエスは次第にそう思うようになっていた。
(エリエスも厄介な奴に惚れたもんだ。隊長は朴念仁だからなあ。)
マチスにエリエスという組み合わせはクラインには今一つピンと来るものがなかった。マチスには清楚でおとなしそうな娘こそ似合うのではないだろうか。そう思っていたからだ。もっとも、そんなことを考えるようになったのもエリエスの心の中をなんとなくだが感じてからだ。
「さあ、それでは行こうか。いくら遅くても今日中には王都までたどり着かなければならないのだからな。」
マチスは、エリエスのそんな心情に気が付いたのか付かないのか、彼女に笑ってそう言ってみせた。彼女にとっては今はそれで十分だった。
「はい!」
疲れていることをかけらほどもあらわさずにエリエスは笑顔でマチスに答えた。マチスもつられて少しばかりの笑顔を見せた後手綱をいれる。少し先に進んだところで二人を見ていたクラインがそっと肩をすぼめた。
マケドニア王城。その日は朝から緊迫した空気に包まれていた。
昨夜、夜遅くにやってきたオレルアン緑条城からの使者により、駐留中の部隊がアリティア軍により手痛い敗戦を喫したという報がもたらされたからだ。今回の敗戦はマケドニアにとっては大きな意味を持っていた。マケドニアはドルーア同盟成立後の戦闘において常に絶対的なる優位に立って戦闘を行ってきたため副将軍クラスを失うような大きな敗戦は初めてだったのだ。
ミシェイルはその知らせを執務室で聞いた。もうすぐその日の決済を終わりにすることができるその間際に使者はやってきたのだ。ミシェイルは使者を怒鳴り散らすようなことこそしなかったが、驚愕と憤懣は隠し通そうとしてもかなうものではなかった。
「わかった。遠路はるばる報告ご苦労だった。今宵は宿舎でゆっくりと休むがよい。」
怒鳴られることを予期していた使者は予想がよい方に裏切られしばし呆然と立ち尽くしてしまった。
「どうした。下がってよいぞ。」
「はっ。」
ミシェイルの一言で使者は跳ね上がったように我に帰り、敬礼すると部屋を出ていった。だが、国王に始めて謁見するような一兵士にはわからないような微妙な国王の変化も、執務室での彼の事務を補佐する側近には敏感に感じて取れた。彼は、ミシェイルが黙り込んでしまい、しきりに何かを考えているさまをただ動かずに見ていることしかできなかった。
「レンデル。」
「はい。」
彼の側近であるレンデルははた目に見てもかわいそうなくらい緊張していた。母国マケドニアの敗戦という事態は、彼にとっても初めてのものであり、国王の反応も未知のものであった。そんなレンデルのしぐさがおかしかったのか、まじめに話そうとしたミシェイルの顔が緩んだ。
「そう固くならなくてもよい。余にとって敗戦の知らせは初めてのものではあるがまったく予想されていなかったものではない。国家の運営、殊に戦争となれば自分の思い通りにいかないことなど多くあってしかるべきだ。今までこのようなことがなかったことの方が不思議なくらいだとも言える。」
だが、ここまで言った時点でミシェイルの顔には再び厳しさが戻った。彼の顔はまっすぐ壁にかけられたアカネイア大陸の地図に向けられた。
「しかしここにきてついに我々に打ち勝てるだけの力を持つものが現れたということだ。対策はしっかり立てる必要がある。明日の朝までには方策を考えておこう。今日はもう休むがよい。」
「御意。」
レンデルは恐縮して一礼した。
ミシェイルは明けると直ちに敗戦の知らせを城内にふれさせた。そしてそれ以来、まるで腫れ物にでも触るかのような応対を取る臣下たちに、ミシェイルはいい加減うんざりしていた。
(この分ではオーダイン将軍もあてにはならぬだらうな)
ミシェイルは彼なりの考えをもって結論を出してはいた。そしてそれを会議にかけて実行に移そうと考えていた。ミシェイルとしては会議において活発な議論が交わされることこそが望ましいのであるが、このぶんではそれはどうやらかないそうにはない。彼はアリティア軍に対しての対策を考えることよりも、臣下達の考えを聞き出す方法について頭を悩ませていた。
「陛下。マリオネス将軍の使者が面会を申し込んでおります。とりあえず書簡をこれに。」
朝の執務を始めてから一時ほど経ったとき、ミシェイルがそのような考え事をしている時にマチスは王城に現れた。マリオネス将軍からの書簡に一通り目を通したミシェイルはよい気分転換になると思い、すぐに使者を通すよう侍従に命じた。しばらくして入ってきたマチスをミシェイルが思い出すのにはしばらくかかった。
「お目通りかない光栄に感じます陛下。」
マチスはミシェイルの前にひざまずくと型通りの挨拶をした。
「面を上げよ。」
ミシェイルは顔を上げたマチスを見た。マチスは真剣そのものといった表情で、その視線はミシェイルを釘ざしにしているかのようだった。
「お前。名を何という。」
「私はマリオネス将軍の配下にて一部隊を預らせて頂いていますマチスと申すものです。」
「ああ、それでは。」
名前を聞いてようやくミシェイルはばか正直な地方領主のことを思い出した。彼を軍隊へと追いやった後、その領地の民衆が領主を大切にしているのを不思議に思ったことも思い出した。確かあの時は彼のやり方は理想論だと一蹴したはずだ。そういえば、かの美しくも気丈な令嬢はどうしたのだろうか。
「妹君は元気かね。」
「レナのことでしたらあれ以来大陸中を旅に周っており、もう半年以上も連絡がありません。私としても消息が非常に気になっているところです。」
「そうか……。」
ミシェイルは一時目を閉じるとゆっくりと頭を振った。マチスはふと思った。この男にも人としての情が存在するのだろうか、と。少なくとも記憶の片隅にぐらいは覚えていたらしいが。
「この話はもういいだろう。……本題に入ろうか。」
ミシェイルはおもむろにマリオネスからの親書を取り出し、広げて見せた。
「この手紙には予にとっては実に興味深いことが書いてある。卿が予に提案を行うこととはいったいどのようなものなのだ。手紙には我がマケドニアに絶対的な勝利をもたらすものであると書かれているが、将軍自身はその作戦の是非は判別つかないともある。知っての通り我が軍の将軍たちは抜きんでた能力を持つものこそ少ないが皆生え抜きの武人ばかりだ。此度の戦いにおいても彼らがあったればこそ我が国はアカネイアの東半分を領有することができ、さらにオレルアンをも併合しようとしている。それらの戦いの殊勲者たるマリオネス将軍に理解できぬ策とはいったいどのようなものなのか?」
「その前に陛下に一つお伺いしたい事がございます。アリティアの残党がタリスを発ち、オレルアンに入ったというのはご存知ですか。」
「うむ。前々からその情報は確認を急いではいたが昨夜遅く緑条城から連絡があった。ムラク将軍配下のベンソン将軍が騎馬隊を用いた奇襲作戦に失敗し、部下の七割を失いベンソン将軍自身も戦死したそうだ。」
「なんですと!!」
「今回の敗戦はこの戦いが始まって以来我が国で初の負け戦だ。よもこの事態に対応すべくいろいろと策を考えていたところだ。」
「くっ。マリオネス将軍にあれほど出撃は控えるようにお願い申し上げたというのに。」
マチスが独り言のようにつぶやいた一言をミシェイルは聞き逃さなかったようだ。
「卿には何らかの考えがあったようだな。」
ミシェイルの問いにマチスどう答えたものか、ふと考え込んだ。そして、逆に次ぎのように尋ねた。
「陛下におかれてはこのような状況において、何かよい案をお持ちなのでしょうか?」
ミシェイルはひとしきり間を置いて答えた。
「そうだな……。その前に卿の策とやらを聞こうとしようか。」
「はい。それでは……。」
一呼吸おいてマチスは彼の考えを語った。アリティアの残党は中枢を少数精鋭で有名なアリティア宮廷騎士団で構成されているほか魔導師やペガサスナイトなど意外と多彩な兵種で構成されていること。オレルアンの騎士団も緑条城を落とされたといえども地の利を生かして頑強に抵抗を続けており、一気呵成に攻略することが難しいということ。その上で彼らは緑条城を取り戻したのならば必ず次にパレスを目標にするだろう、と。マチスは取り乱さず、あくまで冷静に彼の考えを語った。
ミシェイルは周辺各国からドルーア復活とともに現れた姦雄と見られている。しかし彼は確実に新しい時代の人であった。ミシェイルはマチスから語られた話を聞き、その案が彼が最初に考えていた案よりもはるかに優れたものであることを理解した。
「マチス。卿の考えはしっかりと受け止めた。確かにその方が効率的であるだけでなく確実だ。予も昨日よりこの問題に対してどのような対処を行うか考えておったのだがたいした考えは出てこなかった。敵の場所ははっきりしているようだからレフカンディから大部隊を進ませて緑条城の部隊と挟撃させようと思っていたところだ。」
「恐れながら、それでは敵に地の利を最大限与えてしまいます。敵は攻略の難しい砦をその本拠としており、周りは身を隠すには絶好の森が広がっております。そのようなところへ大軍をもってして攻め込みましてもいたずらに被害を大きくするだけでしょう。」
「予は森を火で焼き払ってしまうことも考えたのだが。」
「敵の中にはかなりの能力を持つと思われる魔導師が存在します。もし、その炎を逆に利用されたら魔法に弱い我が軍勢では一たまりもありません。さらに我が軍の最大の特徴である飛行部隊すら投入できなくなってしまいます。なによりも制圧した後の民衆心理とかの地の生産能力に壊滅的な打撃を与えることになってしまいます。仮に当方の被害が軽微であったとしても最初に考えられる収益の七、八割は失われてしまうでしょう。」
「そのとおりだ。卿の案のすばらしいところはここにある。今ここで無理矢理反乱軍を叩いたとしても第二、第三の反乱は必ず起こるだろう。しかし、今一度緑条城を敵に与えれば敵はさらに勢力を増やしてパレスへ向かおうとするだろう。そこを完膚なきまでに叩けばもはや二度と反乱の目は起こらないだろう。仮に起こったとしても鎮圧は容易なはずだ。我がマケドニアはドルーアのように併呑した領土に圧政を敷くような馬鹿なことはしない。さすれば民どもも次第に恭順するだろう。」
マチスは彼の考えがあっさりと理解されたことに非常に驚いていた。この人は本当に私のことを理解してくれたのか。
一方のミシェイルも新鮮な驚きによって心中を満たされていた。彼が政権の座についてから四年、彼がもっとも苦慮したのは彼の考えを部下に伝え実行させることだった。臣下の方から提案が行われ、ミシェイルが検討し採用するといったケースは極めてまれであった。後の歴史にはよく伝えられている。当時のミシェイルには有用な才知はあったが臣下はいなかったと。
「よいだろう。卿の申し出は予が検討するに十分に値する。予の方では昨晩の報告を受けて昼過ぎより緊急の作戦会議を行うことがすでに決定している。出席者は予と本土守備隊のオーダイン将軍。それに将軍の幕僚たちだ。知っての通り我が軍は東アカネイア大陸の各地に進駐しており急いで集められる者がこれぐらいしかいなかったのだが卿にもこの会議に参加してもらいたい。」
「御意。」
マチスは再び深く頭を下げた。他の将軍の前で自分の考えを述べるのはまたとない機会である。マチスはこの事の推移を自分に有利な物として受け取った。
「会場にはレンデルに案内させよう。場所がわかれば昼過ぎにまたそこにくればよい。長い道程を早駆けしてきたのだから疲れているだろう。会議までのしばしの間骨を休めるがよい。」
「お心づかい感謝いたします。」
「レンデル。」
「はっ。マチス殿。ではこちらへ……。」
と、マチスとミシェイルの会見はひとまずの区切りを得た。
マチスはレンデルに案内をされている間、ふと気にかかることがあった。陛下はなぜ私が急いできたことがわかったのだろうか。私はそのようなことは陛下に申し上げなかったはず……。そしてマチスは自分がアリティア軍がオレルアンに姿をあらわしてから緑条城を発ったことを思い出した。確かにそのことは陛下にも伝えたはずだ。そしていつオレルアンにアリティア軍が現れたかは伝令によってもたらされているはず。だとすれば重要な作戦の説明の間にそのような考え方をしてあのような言葉をかけて下さったのだとしたら……。だとすればやはり陛下は切れる人物なのだろうか。確かにここまでの戦略、政略は凡人には到底不可能だし、陛下を支える大臣や将軍に際立って有能な人物がいるという噂も聞かない。しかし、そうとなれば妹の一件は理解しがたい。マチスはミシェイルという人物がどういう人物であるのか判断することができなくなっていた。ただ、それが自分の感情による物であるとはマチス自身は気がついてはいなかった。
そして会議は始まった。出席者が集まるとミシェイルは開口一番本題に入った。
「さて、今日ここに集まってもらったのは他でもない。我がマケドニアの精兵がアリティアとオレルアンの残党に敗北したということは今朝の発表で諸君らも知るところであろう。彼らの兵力は無視できぬものだ。そこで有能なる諸君らによい案があれば予に提示してもらいたい。」
「陛下。その前に一つ。レンデル殿の右に座られている御人はどなたにあらせられますのか?」
オーダインは丁寧な口調で問いただした。その人物はオーダインとその幕僚が会議室に姿を見せたときすでにそこに座っていた。不審に思った幕僚の一人が話し掛けようとしたところミシェイルが現れ、そのまま会議を始めてしまったのだ。
将軍の言葉を受けてマチスは挨拶のために立ち上がろうとしたが、ミシェイルはそれを手を振って押さえた。
「この者はマリオネス将軍の部下で事態を憂慮した将軍がアリティア軍がオレルアンに現れたとき策を持って予に送ってくれた者だ。故にこの会議には将軍の代理として参加してもらうことにした。」
「陛下がそうおっしゃるのでしたら何も申すことはございませんが。」
「それでは将軍の方から何か策があれば聞かせてもらおうか。」
「はっ。それでは私と幕僚たちでまとめた案を述べさせて頂きます。」
ミシェイルがマチスの案を発表する前にオーダインに案を求めたのは二つの案を比較するためだろうと思われた。マチスにしても将軍がどれだけの作戦立案能力を持っているのか興味深いところである。
「私のもとには彼らアリティア軍とオレルアン軍は合わせても三百余名であり、緑条城に駐留する我が軍のおよそ三分の一程度の戦力であるとの情報が入っております。彼らは後背の危険を取り除くため必ずや緑条城に攻め寄せるでしょう。緑条城は基本的に平城であり敵が攻めて来ればすぐに分かります。それに彼らの動きは常時斥候のつかむところとなっていると聴きます。それで彼らが攻めてくると同時に城を出て野戦に持ち込めば勝利は疑いなしでしょう。」
きわめて常識的な判断だとマチスは感じた。しかし、確かに兵力差で見ればこの作戦で問題はないのだが将軍は大きな問題を見逃している。すなわち我が軍が拠点とするのが元々占領した土地であるオレルアンにあるということだ。
「マチスはこの将軍の案をどうとらえるか?忌憚無き意見を述べてみよ。」
マチスはついに来たと思った。ミシェイルの意を読み取ったマチスは将軍の案を潰す意見を述べるべく席を立った。
「将軍の案にはいくつかの落とし穴があります。まず緑条城は平城でありながら城壁の周りは深い空堀で囲われ、常識的に攻め落とそうとすれば攻撃側には守備側の三倍以上の兵力が必要になります。このような状態の中、圧倒的に兵力の少ないオレルアン側連合軍が無理な攻城戦を仕掛けてくるとは思えません。」
「それでは奴等は攻撃をかけては来ないというのかね。」
自分の案をいきなり頭ごなしに否定されて将軍の口調はやや強くなっていた。
「彼らの動きとしては二つあります。まず、現在彼らは彼らにとって有利なオレルアン南部の森林地帯にある砦に立てこもっているということです。その中ではオレルアン王弟ハーディン公、アリティアのマルス王子が中心的人物ですが、アカネイアのニーナ王女が彼らの中にあって健在であるということが広く流布されております。そこでニーナ王女の名を持って激を飛ばし、兵を集め、緑条城を奪い返そうとするのがその一。」
マチスの熱心な語りにミシェイルはすっかり聞き入ってしまっている。
「しかしこの方法は彼らにとって時間的な制約や糧食の問題などさまざまな不安要素があります。むしろ警戒すべきは次の方です。」
マチスはほんの一息だけつくと再び一気に語りだした。
「正攻法が難しいとなれば奇襲戦法が考えられます。オレルアンは彼らが長年領有してきた土地であり、我々の思いも寄らないところから突破口を開き攻め寄せることが考えられます。特に緑条城は平城ではありますが、一国の王城である以上万が一の場合に備えた抜け道などの存在する可能性がおおいにあります。普通の家臣程度では知らないような物でも、王弟であるハーディンなら知っているでしょう。我々も緑条城を占拠してからまだ半年と日が浅く、巧妙に隠されているような隠し通路をすべて把握しているとはとても言い切れません。もしそのような通路があれば、少数精鋭で有名なアリティア軍は城内の構造に詳しいオレルアン軍の案内によって一気に将軍をねらい勝負をつけようとするでしょう。」
「マチスとか申したな。」
マチスが話しおわるとそれまで黙って話を聞いていたオーダインが口を開いた。
「そなたの話はよく分かった。それでは、彼らが全く動かなかった場合はどうするのだ。損害を恐れて手をこまねいて見ているだけであるのならば、占領地の政策に大きな不安材料が残ることになるぞ。」
「その時は黙って見ていればよいのです。」
マチスは表情を崩しつつそう答えた。
「なに?」
オーダインがこちらは表情を固くしつつそれにこたえる。
「もちろん彼らを常に監視しておくことは必要です。しかし、彼らが行動を起こさないのであるのならば、我々もあえて行動を起こす必要はありません。彼らが何もしないのであればオレルアンの民衆が彼らに対して抱いている期待は徐々に消えてゆき、それだけ我々のオレルアンに対する支配がしやすくなります。」
もっとも、オレルアンの王族がよほど民衆に慕われているとしたら話は違うだろう。マチスはその否定的な意見は表に出さなかった。オーダインは反論はせずにただ黙り込んでしまった。ミシェイルだけが一瞬マチスに視線を泳がせたが、それにはマチスは気がつかなかった。
「オーダイン。その案に対しては予もマチスと同じ意見だ。彼らに地の利を与えたときの戦力は軽視できるものではない。実際、彼らを軽視した者は奇襲に失敗し、多大な被害を出して自らは戦死したばかりだ。彼らが動かなければそれでよい。治安が落ち着いているペラティとワーレンから部隊を割き、別働隊を率いてタリスを制圧してしまえば彼らが頼るべきところもなくなる。」
「しかし、彼らが無策であるとは考えられません。彼らに兵を集めるの動きがなければ必ずや緑条城に対する奇襲が行われるはずです。」
「お主はなぜそこまで言い切れるのだ。」
マチスの強い口調がオーダインを思考の淵から呼び戻したらしく、これも強い口調でオーダインが答えた。
「それでは将軍は彼らがどのような行動を取ると思われるのかな?」
さすがに聞きとがめたミシェイルがゆっくりとオーダインに尋ねた。
「そ、それは……」
口ごもるオーダインに対してミシェイルはさらに続けた。
「彼らが積極的な行動を取るのであらば考えられるのはその二つだけだと予も思う。まさか南へ進軍するような自殺行為を取ることはないだろう。その外で考えられるのはその場で解散するかタリスへ落ち延びるかだが、マルス王子がタリスから旗揚げしたことや彼らの掲げる主義からいってそれもありえない。だから、我々の行動もそういった彼らの行動をにらんだものとなる。」
「は、はい……。」
恐縮するオーダインを見てミシェイルはとりあえず満足はしたようだ。口元にかすかに笑みが浮かんだ。
「よろしい。そこで、彼の者は実に面白い提案を予にしてくれた。マチス。この場にいる者たちに今一度作戦の説明をお願いする。」
「御意。では、改めて私の案を皆様方にご説明いたします。」
マチスは立ち上がると、彼の持つ案を語りはじめた。時には淡々と、時には強く、マチスの説明は続いていく。ミシェイルはテーブルに頬杖をつきながらじっとそれに聞き入り、オーダインはしきりに顔色を変えながら聞いていた。
「以上です。」
説明が終わると、それまでは額に浮かぶ汗をぬぐいもせず冷静を装って聞いていたオーダインが手を上げて発言を求めた。
「あなたの考えは確かにうかがった。しかし、少々非現実的すぎやしないかね。」
「それは、どのような点でしょうか。」
「そもそも緑条城は我が軍がやっとの思いで陥とした城ではないか。それをあっさり引き渡すことを将軍たちが納得するとお思いか?」
「私はこの方法が彼らに対処するにあたって最も優れた方法であると確信しております。将軍たちもその利点が明らかになれば納得してくれるでしょう。少なくともマリオネス将軍からはよい感触をつかんでおります。」
「ああ、あの臆病者のマリオネスか。開戦してから臆病風に吹かれるとはとんでもない奴だ。」
「なっ。」
マチスは一瞬言葉を詰まらせた。マリオネスは開戦以来、勝算の少ない戦いは徹底して避けようとしてきた。それはマチスの示唆によるところもあるし、将軍本来の持つ気質でもある。そして立てた手柄は他のどの部隊よりおおきかった。当然のように他の将軍からは妬まれることも大きかったのだ。先王オズモンドはとりあえず周囲が治まっていれば何もしないタイプの人間で、将軍たちの間に簡単に溝ができてしまうような組織編成には気づいていなかった。ミシェイルが王位を継承して以来一番頭を悩ませている問題である。もちろん、ミシェイルはマリオネスがこの戦いにおいて誰よりも優秀な将軍であることを知っている。だからオーダインの礼を失した言動に彼が怒りを覚えたのは至極当然のことだった。
「オーダイン!口を慎め!予の前でかように無礼な発言は許さぬぞ!」
「はっ。申し訳ありません。」
それは時折ミシェイルが見せる怒りをあらわにした表情だった。彼の周りにいる者は彼の怒りを心の底から恐れている。だが、それゆえに彼の怒りの本当の理由を理解するものはほとんどいなかった。
「この作戦については予の認めるところでもあるのだぞ。すでに予はこの案を採用することを考えている。オーダイン。何か不安な点があれば聞くが?」
「陛下。」
オーダインは恐れはしていたが、この作戦が無茶苦茶なものであるということは信じて疑ってなかった。たとえミシェイルが何といおうともここを諌めるべきが自分の役割だともわかっていた。そして、将軍の常識的な考えは、合理的でこそ無かったが多くの人の賛同を得る意見ではあったであろう。
「恐れながら申し上げます。此度のベンソン将軍戦死の報を聞き、城内では不安を口にするものが多くなっております。故意とはいえこの上緑条城までもを失ったのであれば兵士に関する影響は多大なものとなり、今後の作戦への影響は計り知れないものがあります。先ほどのお考えは伺いました。どうか彼らには監視を強化するにとどめおき、城を明け渡すなどという下策を採用なされないようお願い申し上げます。」
「オーダインよ。確かに我々は緑条城を支配してはいる。だが、オレルアンの民までを完全に支配しているわけではない。これから先、他の諸国に負けぬ力をつけるためにはこの戦いが終わった後どのようにして国家を再建するかが問題となる。そして、これはオレルアンを一時的に統治するには最もよい方法だ。それに我が軍の動揺を押さえるにはよい方法がある。先の敗戦のために城内では兵力が十分でなく、やむを得ずレフカンディまで撤退した、というのはどうだ?」
「陛下……。」
オーダインは黙り込んでしまった。ミシェイルは今までもこのように強引に会議を推し進めてしまったことが何度もある。王国という形態を取っている以上、臣下は国王に絶対従うわけであるからこうなってしまってはオーダインは従うほかない。それでもミシェイルの人気が高いのは王子の時代から彼のとってきた強引な施策がみな的を得たように機能しているからだった。
「陛下、レフカンディへの撤退の件は私もそのように考えておりました。また、さらにその情報を敵に知らせることで敵がこちらを攻撃しやすくしようとも考えております。」
マチスの語りには淀みが無い。心中は興奮のため体中が熱くてしかたが内のだが頭の中だけがなぜか冷静だった。
「オーダイン。まだ、何か申すことはあるか?」
「いいえ。」
こうなったミシェイルには何を言っても無駄である。オーダインは小さく一言答えただけだった。
「レンデル。例のものをここへ。」
「はい。ただいま。」
ミシェイルの背後で一部始終控えていたレンデルは部屋の外へ出ると、何物かをもってもう一度現れた。
「そ、それは……。」
オーダインは自分の目を疑った。レンデルが持って現れたのはいくつかの書簡と一つの盾であった。だが、それはただの盾ではない。
レンデルが持ってきたものを確認し、満足そうに肯くと、ミシェイルは起立してマチスに向き直った。
「マチス。」
「はい。」
あわててマチスも席を立つ。彼の座っていた椅子ががたがたと大きな音を立てた。
「この盾がなんだかわかるか?」
「いいえ。」
マチスにとってはもちろん初めて見る盾である。マケドニア王国の紋章の中に小さく図案化されているとはいえ初めて見てそれがなんだかわかる者はまずいないだろう。あまり派手さはなく、だが非常に使いやすそうなことが見た目にもわかる機能的な盾だ。
「これは建国王アイオテが使ったといわれている盾だ。普通はアイオテの盾と呼ばれているらしいな。これを卿に預ける。」
「それは、いったい……。」
どういう意味なのでしょうか?そう問おうとしてマチスは声を詰まらせてしまった。
「今日の会議はとても興味深いものであった。予は卿の案に全面的に賛成し、この作戦全体の指揮を卿にはとってもらう。よって卿には大将軍という新たな地位を授け、ムラク、マリオネス、ハーマインには卿の旗下に入ってもらう。」
「御意……。」
マチスの体の震えはもはや周囲にも明らかであった。もっとも、このような状況で落ち着いていられる人間が何人いるかははなはだ疑問であるが。
「おそらく卿の考えに賛同しない者は多くいるであろう。その時のためにアイオテの盾を卿に託すのだ。また、大将軍という地位は我がマケドニアには存在しないためしばらくは仮の地位ということになる。この戦いに見事勝利し、大将軍の地位を確たる者にすることを期待しているぞ。三人の将軍への命令はこの書簡に記してある。まずは将軍たちの部隊の掌握からしていくとよい。」
「お心づかいありがたく承ります。この非才の身にかような大役をお申しつけ頂いたからには期待に添えるようできる限りの努力を惜しみません。」
「よろしくたのむぞ。それから、レンデルはこの事を全軍に布告するように伝えてくれ。当面の間、彼の地位は予とミネルバに次ぐ。彼の言葉に従わざる者は予に反するものとみなす、とな。」
「御意。」
「ではこれにて会議は閉会とする。」
そして、ミシェイルは一人足早に会議室を出ていってしまった。あとには余りのことに呆然としているマチスとオーダインがいた。二人ともしばらく動く気配すらなかった、とオーダインの幕僚の一人が語っている。
クラインはマチスが王城にいっている間、酒場になっている宿屋の一階でのんびりと一人で飲んでいた。マチスがやっと帰ってきたのはもう夕刻になってからである。
「隊長。王様は何か言ってたかい?」
マチスは城下の宿屋に帰った後も呆けたままだった。もはやどこをどう歩いて帰ってきたのかすら、背中に担いだ盾の重さすら憶えていない。クラインに声をかけられなければそのまま部屋に戻り、今までのことが現実に起こったことなのかどうかすら判断できなくなってしまっていただろう。ミシェイルから受け取った書簡とアイオテの盾は確かに存在しているのに、だ。
マチスの様子がおかしいことにはクラインもすぐに気がついた。
「隊長?どうしたんだい。」
マチスはクラインの側をそれとは気づかずに通り過ぎようとした。
「隊長!!」
クラインはマチスの肩をつかむと激しく揺さぶった。背中に担がれた目立たない盾がカタカタと小さな音を立てた。
「あ、クラインか。……いつのまに宿屋に着いたのだ、私は。」
「隊長。しっかりして下さいよ。で、会議はどうだったんだい?」
「あ、ああ。そうか。あれは現実だったのだな……。あっ!」
マチスはあわてて背中の盾を取り出した。震える両腕でそれでも落とさないようにしっかりと持ち、その盾を確認する。
「やはり……。現実だったのか。」
「隊長?」
(やれやれ、まだ目が覚めていないようだ。城内でよほど恐い目にでも合わされたのかな。)
と、クラインはとんと見当違いのことを考えていた。
「あー、隊長?とりあえず隊長もどうだい?一杯。一人で飲んでると辛気臭くていけねえや。エリエスはたまに王城なんかに来たもんだからとっととどっかいっちまうしよ。まあ、いたらいたでうるせえんだけどさ。」
「すまん。いろいろ考えたいことがあるんだ。部屋に帰らせてくれ。」
そう言うと、マチスはとぼとぼと階段を上がっていってしまった
(だめだな、こりゃ)
いいかげんさじを投げたクラインは再び自分のテーブルに戻って酒をあおりはじめた。
「兄さん。起きて下さい。マチス様がお待ちかねですよ。」
いつもと同様にクラインは強引に起こされるはめになった。いつもと違うのはそこが我が家でないということだけだ。
「何だよ、もう少し寝てたっていいだろ。」
クラインは傭兵などやっているおかげで寝付きも寝起きも良い方である。年少のころから身を守るすべを叩き込まれた結果であるのだがこの日に限っては様子が違った。久しぶりの王城で、この機会にうまい酒を浴びるほど飲んでおこうと考えたクラインは、結局酒場が閉まる最後まで飲んでいたのだ。頭が芯からずきずき痛んでいる。
「いたた。ちょっと、もう少し寝かせろよ。今まで急いできたんだからすこしくらいゆっくりしてもいいだろ。」
「だめだめ。マチス様が明後日中にはレフカンディにつきたいからもう出発するって。ほら起きなさいってば!!」
クラインは耳元で怒鳴りまくるエリエスの罵声を聞きながら、うそだろと心中でつぶやいた。クラインは昨日のマチスの様子からしばらくは動けないだろうと踏んでいたのだ。それが、レフカンディまで三日というのはかなりの強行軍だ。
「ああ、わかったわかった。起きるよ。」
半ば投げやりになって上半身を起こそうとしたクラインの頭をまるで絞られるかのような痛みが走り抜ける。
「兄さんまた飲みすぎたんでしょう。もう、早くしないとおいてっちゃうわよ。私、マチス様と一緒に下で馬の準備してるから早く起きてきてよ!!」
「わかったよ。」
いったい何がどうなっているのかはわからないが急いだ方が良いというのは本調子でない頭でも理解できた。昨日は着替えることもなくそのまま床についてしまったので、そのまま起きると窓辺に立てかけた剣を取り、表に急いだ。
「クライン。遅かったな。」
宿の表には早くも馬の用意を終えた二人が既に出発するだけの状態で待っていた。
「隊長。そんなに急いでもいいことありやせんよ。」
さっそくクラインが悪態を突く。
「悪いがまたできるだけ早く緑条城に戻らねばならないのでね。話は道すがらするとしよう。」
「へいへい。」
クラインはやれやれといった感じで自分の馬の手綱を取った。だが、その後に聞いた話でクラインの酔いはすっかり覚めてしまった。レフカンディに寄る目的がハーマイン将軍を説得することにあると知ったからである。そして、マチスが実質的な国軍のNo.3として任命されたこと、対オレルアン戦のすべてを任されたことを知った。
「知っての通り私は武芸に関してはてんで才能が無い。そこでクラインは私の部隊を引継ぎ、そのまま私の直属の部隊となってもらう。君たちのことはこの二年間で良く見させてもらっている。せっかく集団戦闘が板に付いてきたのにもったいないとは思うが、個人プレイも多くなるだろう。とにかくそういうことだから、よろしく頼むよ。」
大変なことをさらりと言ってのけるマチスだが、実はかなり動揺しているということもクラインはわかっていた。そしてこのように話が飛躍することをクラインは予期していたわけではなかったが国王のことを考えると不思議な気はしなかった。もっとも自分の腕だけを頼りにして今までやってきたクラインにとって、複雑な心境であることに間違いはなかった。