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FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
二十三章 繋がる意思
ガトーとの会見から一日、ミシェイルはエルレーンと単独会見の場を設けた。場所自体は密談用の空間ではなかったが、人払いをし、随所に歩哨を立たせ、中に人が入って来られないようにした。
ミシェイルはそこでエルレーンに対ガーネフ戦略の構想を語った。グルニアの王子ユベロをその中心にしたものである。ミシェイルはこの戦略について、エルレーンへ全体の統括と支援を依頼した。
エルレーンはグルニアの王子、王女がマケドニアに匿われていたことに驚いた。グルニアの王子であるユベロがそこまで魔法の才能を持っていたことはさらに大きな驚きであった。
「予の方策は、ワープの術を駆使してカダインの中枢へ直接攻め込み、他の動きに目もくれずにガーネフを打ち倒すこと。ただそれだけだ。そこで、まず卿に聞きたいことは、そのようなワープの運用方法が可能であるかということと、可能であるとして何人程度送れるかどうかだ。」
ミシェイルの方針は確かであり、聞く限り準備も万端であった。自らガーネフを打ち倒すという目論見が外れ、エルレーンはやや気を落としていたが、ミシェイルの問いにはしっかりと答えた。
「まず……ワープの術は距離が離れるほど、正確性、運搬性などの精度が落ちてきます。なるべく目標に近いところから術を使ったほうがよろしいでしょう。そのことを考えると、拠点として考えられるのはグルニアの北端、もしくはオレルアンの西端です。」
「では、そこから人数を送り込むとして、どの程度送り込める。」
「ワープの術が使えるもの、ワープの杖の本数等によりますが、行き帰りを考えると三十人程度かと。」
「そうか……。」
それほど多い人数を送り込むことはできないだろうとはミシェイルも予測していたが、五十人程度は必要だろうと考えていたミシェイルは考え込んでしまった。ユベロは魔法戦闘しかしないのだから魔法対策をしっかり行った人間が十人ほどいれば問題ないと言っていたが、さすがにそれは言いすぎだと感じていた。
しかし、ミシェイルはエルレーンを信頼もしている。エルレーンが三十人と言うからにはやはり三十人程度しか送ることはできず、過不足の誤差があったとしても五人程度だろうと考えた。
「……しかたがない。その人数で何とかしなければならぬか……。何か方法はあるか。」
エルレーンは少しの間考え込んだ。今、聞かれたばかりの話に、今、答えなくてはならないことを難しいとは考えても、無理とは考えていない。
「……できる限り準備をしておくべきでしょう。まず、突入隊は、魔法に強い者を中心に、バランスの取れた編成であることが肝心です。三十名の中心は魔道士になるでしょうが、少なくとも回復の杖を使用できる者を五名程度、近接戦闘を得意とするものを五名程度必要とするでしょう。」
「近接戦闘?魔法戦では足手まといにならないか。」
「……いえ、腕の立つ者であれば、魔法は避けることも可能です。逆に、詠唱中の魔道士は、魔法攻撃にはある程度の耐性を持ちますが、近接攻撃には無力です。敵に戦士や剣士がいた場合、数名でも命取りになります。逆に、隙をつければこちらの剣士が相手の魔法詠唱を邪魔できるかもしれません。」
エルレーンは魔道軍の将軍に任命される前から、戦闘において魔道士と他の通常部隊との連携を重視してきた。グラの戦いでは、相手がほとんど魔道士であったために、これらの連携策は全く役に立たなかったのだが、素早い動きを身上とする熟練した軽歩兵は十分魔道士に対抗できると判断できた一戦でもあった。
火や氷の魔法よりも、雷の魔法は低位の魔法でも威力が大きいため、魔道士たちに好まれる。そして、例え威力が低いと言われている火の魔法であったとしても、通常の兵士たちがそういった魔法をその身に受ければ大怪我を負う。低位でも雷の魔法となれば運がよければ生き残れる……という評価がされるほどで、低位の魔法でも魔法は強大な威力を発揮し兵士達に恐れられるものである。
ただ、エルレーンは見たのだ。マケドニアの魔道士とカダインの魔道士が猛烈な魔法の撃ち合いをしているとき、その魔法を巧みに避けて戦闘範囲外に離脱した者が数名いることを。
彼らはそろって軽歩兵であった。重歩兵は魔法の打ち合いをしている場面には追いつけなかったのだが、ガーネフの直接攻撃によって多数が命を落としたことから、魔法には弱いことがわかる。実際、ガーネフに狙われてもその攻撃を避けきった者も少数いるが、これも軽歩兵である。重歩兵でガーネフの近くにいて生き残れたのは運が良かったと見るべきだった。
他に対魔道にはペガサスナイトも有用と言われている。ペガサスが魔法に対する高い耐性を持っているため、この保護が期待できるのだ。実際、グラの戦いではペガサスナイトの被害は軽微だった。
もっとも、軽歩兵であればある程度魔法に対処できるという判断をもともとしていたのはマチスだった。だからこそ普段は重装歩兵が中心に編成される軍が、あの戦いでは魔道士、軽歩兵、ペガサスナイトをバランスを取って配置した混成軍だったのだ。
あの戦いを通じて魔法と戦うことの難しさ、方法をいくつかは考えることができた。エルレーンはそれを有効に活用しているのみである。マチスの影響を受けているかもしれないが、有用なものは取りこぼさない。それが、エルレーンの信条でもある。
「卿がそう言うのであれば間違いなかろう。基本的に人選は卿に任せるが、何人か入れて欲しい者がおる。そして、卿には後方指揮のため出撃拠点に残って欲しい。」
エルレーンは思わず拳を強く握り締めた。ガーネフとの戦いのためにマケドニア軍へ入ったエルレーンにとって、ガーネフの戦いに参加できないことは我慢のならないことだった。
「……ガーネフとの決戦に……後ろにいろと。」
「後方で指揮するのも将軍の務めだ。卿はすでに軽々しく先頭に立つべき立場ではない。卿には卿がやるべきことをやってもらう。」
ミシェイルは命令口調でそう言う。
「今回、ユベロ殿に対ガーネフの直接行動を指揮してもらうつもりでいる。ユベロ殿の魔力が並外れて大きいことはさっき話したとおりだ。他に、詳しくは話せないが風の魔法を操る魔道士にも参加してもらうつもりでいる。」
「風の魔法を使う魔道士……マリクがいるのですか!」
エルレーンは驚いた。エルレーンが知る限り、風の魔法を扱う魔道士はマリクただ一人しか存在しない。ミシェイルは確かにマリクのことを示していたのだが、エルレーンは他に風の魔法が使える者が存在する可能性を微塵も考えなかった。
エルレーンは風の噂でマリクがアリティアのマルス王子と合流したことは聞いていた。しかし、レフカンディで彼らの軍が敗れてからは、その後のことは全く知ることができていなかった。
ミシェイルは、エルレーンとマリクが共にカダインで同じ師に師事したライバル同士であることは知らない。ただ、ガーネフの元に神剣ファルシオンの存在と、マルスの姉、エリスが幽閉されているという情報があるため、決戦の時にアリティア側から誰かを連れて行くのは既定のことだった。マルスの方もこの段階に至ってはこの話も承諾している。少人数のこともあって機密保持的にはそれほど問題はないとミシェイルは考えていた。
このエルレーンの反応はミシェイルの予想外だった。そもそも、エルレーンがマリクのことを知っていたことがミシェイルには予想外である。
「陛下……私は魔法の技でマリクに勝ったことがありません、聞く限り、魔法の力ではユベロ殿下にかなうものではありません……。私は……どのように努めたとしても彼らを超えることはできないのですか……。」
エルレーンは震えていた。ミシェイルはそのエルレーンの震えに、エルレーンが持っている大きな誇りを感じ取っていた。
「エルレーン、卿の誉れは何か。」
と、ミシェイルは聞く。
「……私の目指すところは、魔道の追求。魔道の技と、その真理の追究です。いつかは魔道の境地へたどりつきたいのです。」
エルレーンの心からの言葉だった。
ミシェイルから見て、エルレーンは有能な人材であった。高すぎる誇りを持っているが、ミシェイルはこれもその能力に比べて自尊しすぎているわけではないと判断していた。そして、有能であるがゆえに、自身と他の能力を冷静に比較することもできる。しかし、その方向はまだ一方向を向きすぎていたのだ。
ミシェイルはエルレーンへこう言った。
「私は卿の作戦能力を高く評価している。卿を将軍職に任命したのは何もヨーデルを大臣に取り上げる傍らで行ったことではない。グラの戦いでマチスが倒れた後の撤退戦、見事な指揮だったと聞いている。此度の問答も私にとっては満足がいくものだ。卿はユベロでも、マチスでも、もちろんマリクでもない。卿には卿のできることがある。そうではないか?」
「陛下?」
エルレーンにはどのような返答をしたらよいかわからなかった。ミシェイルのその言葉は、今のエルレーンにはまだ突飛なものだった。
カダインへ入ってからこの方、エルレーンは常に魔道と共にあり、それはマケドニアに所属してからも変わることはなかった。
確かにマチスの下に配属され、一隊を指揮する立場となった以上、戦場で魔道士たちが足手まといにならぬよう戦術の基礎を学んではいた。オレルアンはマチスの下、その文化を維持する政策も取られており、知識を学ぶことも比較的容易だった。
エルレーンは自分では全く気がついていなかった。魔道士は通常では軍単位の戦術など考えない。将軍は魔道に詳しくなく、魔道士を有効に活用しているとはいいがたい。エルレーンは学んだ戦術を独自に魔法と組み合わせより効果的な戦術を模索することもあったが、そのようなことを行っていた魔道士は彼の他にはいなかったのだ。
撤退戦の評価については、随分と買いかぶられているとエルレーンは感じた。あの時、カダインもグラもなんら追撃をしてこなかった。グラからアカネイアへ戻る船も問題なく確保できた。確かに撤退中は立場上軍の一番上に立ち、その指揮を執っていたが、緊張こそしていたものの、それほど難しいことをしていたつもりは無い。
しかし、ここ数年の戦いを見てきた者は知っている。敗れて撤退する軍がいかにもろい存在であるかを。自壊させずに整然と撤退する軍の将には、それなりの器が備わっているはずだった。
「作戦の草案を一週間で作成せよ。予は卿に期待するところが大きい。願わくば……予が失望するようなことがないようにな。」
そう言うミシェイルに、エルレーンは慌てて頭を下げた。
「謹んで拝命いたします。」
答えるエルレーンの顔は、気色ばんでいた。
「よろしく頼むぞ。」
ミシェイルはただそうとだけ言うと立ち上がり、会見の場所を後にした。警備についていた兵士からは、去っていくミシェイルがたいそう機嫌よくしているように見えた。ミシェイルはエルレーンが彼の期待に答えてくれることを確信していたのである。
ミシェイルは、マルスの元へガーネフを打ち破る作戦への協力を求める一方、レフカンディで療養中のマチスと会見を持つ段取りを整えた。新大臣のヨーデルと側近のレンデルへ必要な指示を出した後、ミシェイルはレフカンディへ向かい騎竜を飛ばした。
マチスの方とは言えば、固形の食料を口にし、ベッドから離れて歩くこともある程度できるくらいまでには回復していた。エリエスの懸命な看護と、傍らにある命のオーブのおかげである。ただ、歩き回るにはまだ誰かの補佐がいないと危なっかしい。
マチスは、念のためマチスが療養している部屋ではなく、別の部屋でミシェイルと打ち合わせをするよう手はずを整えた。この時、エリエスはミシェイルとの会見であるにも関わらず、もしもの時のためにそばにいると言ってきかなかった。マチスは何とか聞き分けてもらおうと頭を悩ませていたが、それよりも先に話を聞いたミシェイルがエリエスの同席を許可した。マチスは驚いたが、エリエスのことは既にミシェイルの耳にも入ってきており、同席させても大丈夫だとミシェイルは判断していた。
レフカンディでは、ミシェイルを出迎えたのは案内のためにハーマインに指示された士官だけであった。あくまで秘密での行動のため、ハーマインは普段どおりの業務を行っていたためだ。
ミシェイルは用意された応接間へと案内された。部屋の扉を開けると、ゆったりとした服装に身を包んだマチスと、地味な修道衣に身を包んだ女性がミシェイルの目に入った。二人はテーブルを前にしたやわらかそうな椅子に深く腰掛けている。話には聞いていたが、ミシェイルの想像以上にマチスは痩せていた。
そのマチスが、部屋に入ってきたミシェイルに頭を下げる。
「……陛下、長らくご心配を掛けて申し訳ありません。御預かりした兵を多く失ってしまったこと、申し開きのしようも御座いません。」
そう言ったきり、マチスは頭を上げなかった。
「よい……。」
ミシェイルはただそれだけを言うとマチスの対面に座った。
「勝敗は人事もあるが、多くは状況が決める。あの戦いで亡くなった者と、その者達に近しい者には気の毒なこととなったが、あの戦いのおかげでガーネフへの突破口がつかめたのだ。決して無駄な戦いではない。……それよりも、卿を失わずに済んでよかった。予にはまだ卿が必要だ。」
ミシェイルの言いたいことは、最後の一言に集約されていた。
「現状のだいたいの状況は、先の書状にて知らせた通りだ。」
ミシェイルは会見に先立って、マチスが倒れてからこちら一月余りの状況の変化を、書状でマチスに知らせていた。それは、エルレーンが起稿し、エルレーンが知らないところをミシェイルが補佐する形で記述したものだった。
マチスはミシェイルの様子を見ると気持ちを切り替えた。
「エルレーンを将軍に取り立てたとか。」
「エルレーンはマケドニア軍の体質を変えてくれるはずだ。」
「陛下も相変わらず思い切った人事を実行なさる。」
「……何、親父の代からの旧態依然とした貴族勢力からは、ほとんど中央へ影響を与えることができないほどその力を殺いだ。予の好きなようにする。」
「陛下は、以前から好きなようにされていると……私は考えておりましたが。」
ミシェイルは静かに笑う。
「これは一本取られたな。だが、やりやすさは全然違うぞ。……で、どうだ。」
ミシェイルが聞いているのはこれからの展望に違いない。マチスはここのところ考える時間だけはふんだんにあったので、マケドニアの方針についても多方面から検討を行っていた。
「ガーネフを倒すための方法は手に入れたことは幸いなことです。しかし、ガーネフの位置は特定できるのですか。」
ミシェイルの書状には、ガーネフの居場所を突き止めた後、ワープの術を使用して一気に強襲し打ち破る戦術が記されていた。そのためにはガーネフの居場所を確認しなければならない。
ユベロが遠見の術を使えるようになったため、これはユベロが行っていたが、ガーネフが遠見の術に対して何も警戒していないとは考えられない。
「……細かい作戦案はエルレーンに作成を依頼中だ。今はなんとかしてガーネフの位置を特定するようユベロに依頼している。」
「では……私から一つ提案です。ガーネフの居場所だけでなく、ファルシオンやエリス殿下の居場所も探してみてはいかがでしょう。」
マチスは与えられていた時間を使って考えていたことの一つを述べた。
「なるほど。ファルシオンを取り戻そうとしてガーネフを釣り出すということか。」
と、ややあってミシェイルが言った。
「ガーネフが現れないようならそのままファルシオンを持ってきてしまえばよいのです。ですが、ファルシオンはガーネフがメディウスに対する優位性を示すために絶対失いたくないものです。必ず自ら阻止に向って来るでしょう。一方のエリス殿下はガーネフに捕らわれていると言われているものの、噂に過ぎず、すでに生死すら定かではありません。狙いはファルシオンの方がよろしいでしょう。」
「この作戦、細かいところはエルレーンの作戦案を待って提案することになるだろうが……もとよりファルシオン、そしてアリティアのエリス王女の探索を行うことも睨んでいる。狙いに問題は無いだろう。」
「ガーネフのことです。これらの存在する場所も魔法では感知できないよう保護されていると思って間違いないでしょう。ですから、ガーネフの膝元で常に魔法で保護されている場所があるのならば、そこが怪しいということです。」
「……わかった。ガーネフはユベロが遠見の術を使っていることは知らないだろうが……いや、これは楽観できないな。ただし、ガーネフの活発な動きを見るとそれほど時間的余裕があるとも思えない。」
「いえ……それは大丈夫でしょう。」
マチスは目の前にあるお茶を一口ほど口に含む。
「何故だ?」
意見の違いをミシェイルは確かめた。
「確かに、ガーネフの動きには予測できない部分もあるのですが……陛下が行おうとしていることと同様にガーネフもまたドルーアやマケドニアの本拠地を攻撃しようと思えばいつでも攻撃できるはずです。」
「確かに、ガーネフはグラ、アリティアと勢力を少しずつ伸ばす方向で動いている。しかし、以前にドルーアの都を直接攻撃したこともあるのだぞ?」
「ですが、あの攻撃は徹底的な攻撃とは言いがたい……。ガーネフもまた、随意に攻め込むことができない理由を持っていると考えられます。今しばらくは大丈夫かと。」
マチスの言葉は推測口調ながら、強い説得力をミシェイルに感じさせた。
実際には、マチスはガーネフだけでなく、ドルーアにも積極的に勢力を伸ばすことのできない何らかの理由が存在するのではないかと考えている。ガーネフとの戦いがマケドニアに任されているとは言っても、聞いている限りではグラやアリティアの失陥に関するドルーアの反応が鈍すぎる。
ここは、マケドニアが主導権を得ることができる場面であり、積極的に動くべき時である。ミシェイルから対ガーネフ戦略の見通しが示されたことも好機の一つだ。マチスはさらに行動を推し進めるべく、自分の考えを述べる。
「……その作戦、私も別方面から参加させていただきます。」
ミシェイルは仰天した。それまで黙って話を聞いていたエリエスも呆れと驚きと怒りが混ざったような複雑な表情をしている。
「卿は、まだ戦場に立てるほど回復しておらんだろう。この戦いは私やエルレーン、もしくはミネルバに任せておけばよい。」
「そうです。この状態で戦場に出るなどしてはいけません!まだ、出歩くこともやっとなのに。」
ミシェイルもエリエスも、次々にマチスをたしなめる。対してマチスは苦笑するばかりだった。
「陛下、これはドルーアに大打撃を与える機会なのです。ガーネフを打ち破った後、そのことがメディウスに報告されるまでの間。ここがドルーアに完全な奇襲を行える、一番の機会なのです。」
心配そうにマチスを見つめるエリエスを尻目に、ミシェイルは腕を組み考える。しかし、ミシェイルはその機会に気がついていなかっただけで結論はマチスと同じだ。メディウスがどれだけマケドニアのことを警戒しているかはわからない。それでもガーネフがいる状況といない状況で、どちらがよりマケドニアが警戒されるかを考えれば比較するまでもない。
「別方面と言ったな。卿の考えは。」
「はい。ガーネフの撃破と同時にアカネイアパレスを急襲、アカネイア全土の対ドルーア勢力を糾合し、アカネイア全土を一気にドルーアから解放させます。」
マチスは滔々と自身の考えを語った。
グラを攻撃するためと称して大軍をレフカンディに終結。その後、真のガーネフ攻略隊の動作にあわせてグラへ進撃する。ただし、この部隊はノルダとアカネイアパレスの中間に駐留し、表向きは休息をとっているように見させ、ガーネフ撃破の知らせを受けたあと一気にアカネイアパレスを攻略。
その後、ニーナをアカネイアの旗頭に据えてマケドニアがアカネイアに敵対するものではないことを示した後、反ドルーアの抵抗勢力と力をあわせ、アカネイア内のドルーア勢力を掃討する。
「知っての通り、大陸内部の人口比率を考えると、広大なアカネイア全土は抑えておくべき土地です。レフカンディとサムスーフはマケドニア統治領となっていますが、アカネイア全土に比べると面積では三割弱、人口比では一割程度でしょう。アカネイアの真の力はアカネイアパレス周辺のアカネイア中央にあります。」
「確かに……しかも、アカネイアは今のマケドニアともさまざまな用件を取り決める必要があるため、パレスの内部構造は我々に筒抜けだ。奇襲を掛ければまず落とせる……か。」
ミシェイルは俄然、この話に乗り気になっていた。
「ここは、私に指揮を取らせていただきたいのです。ですが、見ての通りまだ私はアカネイアまで出向けるような体ではありません。そこで、進撃を一月ほど待っていただきたいのです。」
「……なるほど、それで先ほど作戦時期を遅らせて欲しいと言っていたのだな。」
ミシェイルは茶化すように言ったが、それだけではないことも見て取っていた。エルレーンに図った対ガーネフの作戦は、魔法が主力という特殊さもあるがたかだか攻撃要員が三十名。バックアップの人員を入れても百名も必要ない陣容だ。作戦立案から実施まで、二週間もあればできるだろう。
ところが、同時にアカネイアパレスを急襲するとなれば話は別だ。
「パレスの攻撃に見込む人員数はわかるか。」
「……こちらの陣容を見せるためにも一万は連れて行きたいかと。」
ミシェイルは計算した。本国から連れて行けるのが一万、オレルアンから出せるのが七千程度。それ以外の地域からかき集めて戦力として使用できるマケドニアの総戦力がだいたい三万程度。無理をすれば五万程度は動員できるが、こうすると重要拠点の守りまで薄くしなければならなくなる。一万程度であれば問題は無い。本国の守備に就いている兵を割かなくとも、マチス旗下の三将軍の兵力だけで事足りる。
次に、準備を考える。一万をレフカンディに集結させ、糧食の準備を万全にし、行軍を開始させる。
「無茶を言うな。それだけの人数を集めて出撃の準備をさせるのに一月で足りるわけがなかろう。一月半から二月は掛かるのではないか?」
と、ミシェイルは結論付けた。
「いえ……今は戦時ですから常日頃からいざという時の急な動員に耐えることができるよう、レフカンディと緑条城ではあわせて五千の兵であればすぐに動かせるようになっているはずです。これに五千を上乗せすれば問題ありません。」
マチスの言うことは間違っていないのだろう。こういった点についてもミシェイルはマチスを信頼している。
「しかし、まだ作戦の骨子すら固まっておらん。動きはそのあたりが見えてからになるだろう。そうだな。具体的な作戦の段取りが決まるのは早くても再来週だ。卿の言うことは性急にすぎるぞ。」
と、そう言ったミシェイルも、マチスができるだけ行動を早く起こしたい考えは理解できる。何にせよ、ガーネフは何をしてくるかわからないのだ。グラの取り込み、アリティアの攻略。ガーネフの行動はかなり早い。
しかし、ガーネフの軍には致命的な欠点がある。ガーネフ一人の力に寄ることが多いために、末端の人員補充は全く効かないも同然なのだ。
もちろん、ドルーアにしても、マケドニアにしても、兵力の補充は有限だ。しかし、その懐のう深さを考えればガーネフの軍は他の二つに大きく劣る。
このことを考えると、少数だが大きな攻撃力を持つガーネフは、短期決戦で次々と各地を攻撃していく方が有利だし、マケドニア側は長期戦で相手を消耗させる方が有利だ。
もっとも実際にはそこまで単純にはなっていない。ガーネフは、陥とした土地を他の勢力に取られないようにするため、少ない手駒をやりくりして地盤を固めることに時間を取られている。一方のミシェイルも、ガーネフの威力が長期戦で消耗させる以前にマケドニアを瓦解させるだけの力があることを知っている。
本来であれば、マチスの策によってオレルアンを守り、グラを攻略し、それなりの時間を稼ぐ予定ではあったが、グラについてはガーネフに裏をかかれ、攻略に失敗した。
ミシェイルが考えているガーネフ急襲作戦は乾坤一擲の作戦だった。失敗すればグルニアの王子とガーネフに対する切り札の双方を失いかねない。これにアカネイアパレスの攻略が加わればさらに重要度は増す。
「まずは予とエルレーンに任せるのだ。卿の話を参考にするのはそれからだ。」
と、ミシェイルは言い切った。
「……わかりました。こちらの件については今しばらくは陛下へお預けいたします。」
マチスには考える時間はあるし、情報を得る手段がないわけでもない。ミシェイルがここまで強く言うのはマチスの健康を気遣ってのことであることは明らかだ。
自分が指揮を取れば一月で作戦案を取りまとめ、作戦を開始できる。マチスはそう考えてはいたが、そこまでしてミシェイルに逆らう意味もなかった。何より、今この時点でも、マチスが何か無茶なことを言い出さないかと、エリエスが凄い形相で睨んでいる。
マチスは、さらにもう一つ考えていたことへ話を移した。
「ドルーアとの対決を睨んで、もう一つ動いておきたいことがあります。」
「何だ。言ってみよ。」
「はい。グルニアのことです。陛下もご存知の通り、グルニアはドルーアの搾取を正面から受け、大変過酷な状況に置かれています。我が国では彼の国の王子、元騎士団長を隠しており、グルニア奪回を画策していますが現在のところこれは表立ってグルニアの拠り所にはなっていません。しかし、パレスが落ちればグルニアの民の間にいくらかの希望が生まれるはずです。」
「その通りだ。その時こそ、ユベロ、カミユと共にグルニアに攻め入り、ドルーアの影響を絶つ。」
マチスが肯く。ドルーアに対する時にグルニアを解放していくことは、二人の間では既に決められたことである。
「そろそろ手を打って行きたいと考えています。グルニアの領内にそれとなくユベロ王子、ユミナ王女、カミユ将軍が健在で、グルニア解放のために潜伏しているという噂を流したいと思います。」
マチスの言うことは、噂ではなく事実であったが、その情報があるとないとではグルニアの影響力は大きく変わってくる。
有効な策であることはミシェイルにもわかる。しかし、時期が早すぎればグルニアの民意が空中分解するだろうし、遅すぎれば噂が広まらず有効手になりにくい。より大きい効果を得るためにはタイミングを計る必要がある。
「……わかった。だが、ガーネフに対する作戦を立案した上で、少し時期を見たい。よいか。」
「それでよろしいでしょう。よろしくお願いします。」
マチスは再び頭を下げた。
「さて……さし当たって、必要なことは話せただろう。そろそろ失礼する。」
と、ミシェイルは立ち上がった。
「陛下?大枠の戦略については確かにこの程度で問題はないでしょうが……オレルアン、旧アカネイア領の情勢や、部隊の維持経費の件などについてお話したいことがあるのですが。」
ミシェイルはマチスを見る。仕事熱心なマチスのその顔にはやや疲労の色が浮かんでいるように見えた。
「マチス……今日の打ち合わせは終わりだ。まだ本調子には程遠いだろうから無理はしないように。……いや、エリエス。」
「はっ、はい。」
今まで全く話の外に置かれていたと言うのに、ここで急に名前を呼ばれたエリエスの返事は、ややどもったものとなってしまった。
「マチスに無理をさせないでくれ。……くれぐれも頼むぞ。」
ミシェイルはなかばくだけた感じで頭を下げた。
「はいっ。任せてください!」
元気に答えるエリエスを、マチスはやれやれと言った表情で眺めていた。この様子ではまだ当分の間は自由に行動させてもらえそうもなかった。
会見を後にしたミシェイルは、少し時間を置いた後に一人だけでエリエスを呼んだ。レフカンディ城砦の屋上。ミシェイルはここへ騎竜を乗り付けている。日差しはやや斜めになっているものの、谷間の夏の日差しは強い。
エリエスは屋上へ出ると、まぶしい日差しに慣れるまでこれを手で遮っていた。南から北へ抜ける風が適度に吹いており、それほど不快ではない。
ミシェイルが乗ってきた騎竜は屋上の一角に、太い鎖に繋がれている。豪奢な装いに身を包んだミシェイルは騎竜の前にいた。エリエスはそれを確認すると、ミシェイルの目前で膝を折り、礼を取った。
「拝命により御前に参りました。どういった用向きで御座いましょうか。」
「……細かく礼を取る必要は無い。立ち上がって楽にしなさい。」
そしてエリエスが立ち上がるのを確認すると、ミシェイルは言った。
「先ほどの予とマチスの話、そなたはどの程度理解した?」
「だいたいはわかっているつもりです。」
細かいところまではエリエスもわからない。例えば、ユベロ、ユミナというのがグルニアの王子、王女で、マケドニアにいるというところまでは今回初めて聞いたことだ。しかし、マチスの側にこれだけ長い間いると、それでなくとも一般人以上の知識が身についてしまう。
「そなた……確か、クラインの妹であったな。」
「はい。クラインは私の兄ですが……兄が何か?」
エリエスの表情が、奇妙に歪む。
マチスであればともかく、エリエスくらいの者が極端に位の高いものに呼び出されることにがあれば、良い話よりも悪い話ではないかと心配する。特にエリエスは兄のクラインがいろいろと問題を起こしがちなことをよく知っているので、こう言われると気が気ではなかった。
「いや……そなたの兄はよくやってくれている。マチスが動けないところをよく補佐しているし、オレルアンでも多少はミネルバの助けになっているようだ。」
ミシェイルが言う。
「……そなたも、マチスの近くにいることがこれから多くなろう。自分の聞いたことには責任を持て。マチスを手助けするのであればそなた自身が支えとなれるよう、よく考えるのだ。」
「陛下。……それはどのようなことでしょうか?」
エリエスは、ミシェイルが何を言いたいのか今ひとつ良くわからなかった。
「やはり気付いてはおらぬか。そなたはオレルアン以来、我が国の中でも重要な位置におるのだ。これからもよくマチスの補佐をしてくれぬか。」
ミシェイルは、エリエス個人のことを気に掛けていた。エリエスは、もはやマケドニア領内でもかなりの有名人である。マチスの影に隠れて表立って名前が出てくることはないが、軍部で将軍位より上の地位にあれば知らない者はいない。やっかみからか悪い噂も立つことはあったが、彼女に関する逸話のその多くは概ね好意的なものであった。
ミシェイルが打ち合わせにエリエスの同席を許したのは、単純にマチスに近い者であるからという理由ではない。ミシェイル自身がエリエスを同席させて問題ないと判断したからだった。
ミシェイルは長年にわたって面従腹背の外交を行っている。それはマケドニアのためをミシェイルが信じて行っていたことではあるが、その中に存在する機密は非常に繊細なもので、扱いに注意しすぎてもしすぎないことはない。
その機密保持を続けていられたのは、マチスの力に寄るところが大きい。マチスには大きな働きをする直属の一隊がいる。言うまでも無くクラインが率いる部隊だ。他の将軍にも直属の部隊はいるが、それはほぼ幕僚の一人に指揮される将軍の守備隊という意味合いでしかない。
クラインの部隊は、マチスから直接命令を受け、さまざまな活動を実行する実動部隊だ。だから、クラインを初めとする隊員はマケドニアのこういった機密のことを知っている。そのため、この隊は他の隊と必要以上に交流を持たない。だからこそ、一般的にマチス閣下の親衛隊などと陰口を叩かれたりもする。
マチスがこのあたりの機密事項を共有しているのはクラインの隊と、オレルアンに拠点を置き、マケドニア各地の連絡を担う一方で対ドルーア勢力との連絡も行うカチュアが率いる白騎士団の一隊、そしてエリエスだけである。エリエスはマチスがお忍びでマルスの隠れ家へ赴いた際、オレルアンで居留守を任されたこともある。
情報の扱いに関してはミシェイルからマチスに一任されており、エリエスにこの情報が伝わっていることはマチスの一存である。このあたりの機密を知っている人数はミシェイルの側よりもマチスの側の方が多い。ミシェイルの側で知っている者は、ミシェイル直属の竜騎士団員精鋭の少数名、側近のレンデル、出奔から帰還した後のミネルバ、そして最近話をしたエルレーンと、この位である。クライン部隊の主なる者と、カチュアの部隊の主なる者まである程度の事情が知らされているマチスの側と比べるといかにも少ない。これは、この情報についての行動をマチスが主に行っていると言う点もある。
マチスはもとよりエリエスを信用しているし、ことの次第をエリエスに話しておくことはクラインの精神的安定に寄与するだろうとの狙いもあった。エリエスに事の次第を話すことにためらいはなかった。マチス自身の安定にも繋がるとはマチスも認めるところである。こうして、エリエスは実働部隊以外の人物で唯一マケドニアの外交機密を知る人物となっている。
マチスとエリエスが町娘などに噂されるような関係であることはミシェイルも聞き及んでいる。ミシェイルがマチスから機密を話した者としてエリエスの名前を挙げたのは、そういった噂が広まる前の話であったから、この噂自体はエリエスの人物評価に大きく影響しない。もとより、マチスがそういった面でミシェイルの期待を裏切るとはミシェイルは思考の端にも乗せていない。
しかし、あのマチスが気にかける女性である。マチスが信頼している者であるから信頼できる……という一面以上に、ミシェイルはエリエスに興味を持った。エリエスを同席させたのはミシェイル自身が彼女を見極めたいと考えたからでもある。
ミシェイルから見たエリエスは、緊張はしているようだったが物怖じはしていなかった。マケドニアの民としては珍しい黒く長い髪を持ったその美麗な女性は、瞳の奥に強い意志を感じさせた。
二言、三言話してわかったことは、この女性にはマチスが全てであるということだった。その女性の言葉はいずれもマチスに関係したことだったし、打ち合わせの最中も常にマチスを気に掛けていた。そのような女性だ、マチスを裏切るようなことは決してしないだろうことはミシェイルにもわかった。
エリエスを一人で呼び出したミシェイルの願いは、エリエスへマケドニアに関わっているという自覚を持たせること。エリエスがどの程度聡明な女性かまではミシェイルは見極めることができてはいない。だからこその依頼であった。
「陛下。私はマチス様の影です。付き従い、離れもせず、勝手に動くことも無い影です。それではいけませんか?」
エリエスの答えを聞き、ミシェイルはかすかに微笑んだ。逆光になっているエリエスからはその様子はよくは見えなかった。
「……よい。それでよい。今はそなたのお陰でマチスはその力をより発揮できておろう。そなたは影であっても、その輝きを鈍らせることのないようにな……。ご苦労だった、下がってよいぞ。」
エリエスは黙って一礼する。そのまま、その場を立ち去った。
エリエスにはマチスの考えに介入する気はない。マチスに対してはただ慈愛の念を持って接している。ミシェイルはそのような感情を、しかしただ優しいのではなくその身を挺しても守ろうとする苛烈さをもって感じ取った。
マケドニアへと戻る飛竜の上で、ミシェイルは一人考える。マチスとエリエスはお互いに支えあうような関係を続けて来たに違いない。だからこそ、エリエスはマチスのことをあのように言えるのだし、人々に噂されるような事実が存在したとしてそれがなかなか悪い噂にならないのだろう。
ミシェイル自身は既に年も三十に近く、標準的な婚期を大きく過ぎていると言ってもよい。カミユやハーディン、それにマチスも、乱世の中、なかなか伴侶を娶ることができないでいる。こんな世で、正式に添い遂げることが無くとも心を寄せ合う存在がいるということはどのようなことなのか、ミシェイルはマチスやユベロ、そして一人の女性を脳裏に浮かべつつ、思いを巡らせていた。
城に戻ったミシェイルは、エルレーンと連絡を取り、マチスの意向を伝えた。マチスの意見を聞いた上で作戦立案に変更はあるかとミシェイルが聞くと、アカネイアパレス攻略については一から考え直す必要があるが、ガーネフに対する方針は大きく変更は無いとエルレーンは答えた。エルレーンもまた、ガーネフを倒すためにはファルシオンの捜索を軸に行ったほうが良いと考えていたのである。
また、会談の次第を全てを話さずにミシェイルはエルレーンにこう聞いた。奇襲攻撃でアカネイアパレスを落とすために、どの程度の兵力と、どの程度の準備期間が必要かと。エルレーンは人員を八千、準備期間を一月と見積もった。多少の誤差はあってもマチスと似たような見解である。ミシェイルは苦笑した。
ミシェイルは再度、一週間の期間を設け、アカネイアパレス急襲を視野に入れた全体作戦案の見直しをするようエルレーンへ命じた。そして、作戦実行時期を二月後、アカネイアパレス攻略の指揮はマチスが取る前提とすることを伝えた。
その傍ら、ミシェイルはミネルバを通し、オレルアンのクラインと直接連絡を取るようにした。ガーネフと対決するときにアリティアの手を借りるためだ。マチスが療養中であるため、直接連絡を行うことができず、なかなかに時間がかかるやり取りであったが、後はなんとか時間と場所を指定しさえすればアリティアの協力を得られるところまでこぎつけた。
ミシェイルは知らなかったが、マルスの隠れ家では、マルス自身がマリクと共にガーネフ討伐へ同行すると言っていた。マリクが魔法を使わない身でカダインに挑むことは死にに行くようなものだと、マルスを宥めた。なかなかマルスは納得していなかったのだが、エリス王女を自分の手で救い出したいと言う熱心なマリクの説得にようやく折れた経緯があった。
エルレーンは作戦立案中、自分より腕の立つ魔道士達に思いを馳せた。エルレーンも若年で雷系の魔法をマスターしてはいるが、上には上がいる。特に今回は相手がガーネフと言うこともあり、関係者に大陸指折りの魔法使いが集中している。
大賢者ガトー、ガーネフは格違い。技ではライバルのマリクに劣り、ガトーが認めたところによれば力ではユベロにかなわないだろう。そして、未だ師であるウェンデルに追いついているとも思えない。
その中で、ふと思い出した名前がある。アカネイア王国の最高司祭ミロア。ミロア自身は当然格が違うレベルでの実力者であるのだが、確か彼には魔道士としてその将来の腕を嘱望されていた娘がいたはずだ。幼少ながら魔道の基本をことごとくマスターしていたと言う。
名前までは覚えていない。彼女はアカネイア陥落時に行方不明になっている。アカネイア陥落時と言えばもう十年近く前のことだ。表に出てこないところを見れば、とても生きているとは思えない。そのようなことも時折は考えながら、エルレーンは次々に筆を進めて行く。
エルレーンはきっかり一週間で作戦案をまとめた書類を作ると、ミシェイルへ送った。
ミシェイルの希望通り、作戦実行は二月後に予定された。アカネイアパレス攻略のための動員数は約八千。繁農期であるため、民間からの徴募兵には頼らないと注釈が書かれていたが、そのようなことは最初から考慮されていない。職業軍人のみで各地の防御も残しつつ余裕をもって動員できる兵力である。
メインとなるガーネフへの人員は支援要員を三十名、切り込み要員を三十名としていた。切り込み要員のメンバーは既に決まっているユベロ、マリクの他、エルレーンの希望としてクラインなどの名前が挙げられている。魔道士隊でも有能な者、補佐に回る僧籍の者たちがそこに上げられていた。クラインと共に切り込む軽歩兵についてはエルレーンにも指定のしようがなく、クライン他四名と言う記述がされているのみである。
切り込み隊は魔道士二十人、杖を使える僧侶が五人、軽歩兵五人という構成だった。マケドニアには高位の司祭が存在しないため、杖と魔道書を両方扱えるような人材はいないので、ここには入っていない。もっとも、そういった人材はだいたいが高齢であるので、こういった過酷な任務には耐えられそうもない。
この切り込み隊はオレルアンの西端からカダインへ飛ぶ。このための支援拠点はそのオレルアン西端に作られることとなった。
これは一時的な施設ではあったがそう短期的なものでもない。作戦に先んじて遠見の術でカダイン領内を探索しているユベロを拠点ができ次第そこへ移し、カダインの探索を引き続き行ってもらうことになっている。目標に近いほうが効果的に遠見を行うことができるゆえの措置である。
しかし、事は機密性を要するため、この拠点設置のための人員も選択する必要があった。人数が人数であるからそこまで大掛かりな設備は必要ないのだが、機密は守られなければならない。
エルレーンは、マチス配下のクラインの部隊にこれを頼めないかと打診した。このようなことが可能なのは、ミシェイル直属の竜騎士か、クラインの部隊しかいない。ミシェイルはこの申し出を妥当なものとして受け取った。
アカネイアパレス攻略隊は、対外的……とは言っても対象はドルーア帝国しか存在しないが……にはグラ進攻軍として発表される。レフカンディへ終結し、同じ経路をたどってグラへ向かう。違うのはアカネイアパレスにとノルダの間にしばらく駐留することだ。ここで、ガーネフ攻撃成功の知らせがあれば即座にアカネイアパレスを奇襲する。
この部隊はこの案がマチスの発案であることや、マチスがこの戦いを直接指揮しようとしていることを考えて、マチスが総指揮を取ることを前提とした。ガーネフへの攻撃が失敗した場合は、マチスの体調が悪化したため一度レフカンディへ引きあげるということになっている。
もっとも、ガーネフへの攻撃は必ず成功させなくてはならず、もしもの時でもこれは一時しのぎの手にしかならないであろうことはミシェイルもわかっている。
ガーネフへの攻撃成否は、場合が場合であるためオレルアン西端の支援拠点からワープの術を使用して直接アカネイアパレス攻撃軍へ伝えられる。普段はペガサスナイトなどを伝令とするマケドニアだったが、今回だけは最速、かつ最高コストの方法が取られることが決定された。
ミシェイルはエルレーンからざっと説明を受け、これにミシェイルとしての認可を与えた。
二日後、エルレーンは急にミシェイルから二週間の休暇をもらうと、マケドニア王都からその姿を消した。同じ頃、オレルアンからはクラインが姿を消していた。
「二人とも、長い間苦労をかけてしまっていますね。エルレーンは将軍に取り立てられたとか、おめでとうございます。」
一礼するエルレーンの前にはマチスがいた。クラインとエリエスも同席している。
場所はレフカンディの療養施設の一室、つまりマチスが療養している部屋だ。マチスが出歩けるようになってからはこの部屋を訪れる客も増え、いろいろと話をしたりすることも多くなった。そこで、マチスは粗末ながらテーブルと椅子を用意させた。四人が顔を会わせているのはこの簡単な応接セットがある場所である。
テーブルや椅子のせいで寝台は隅に追いやられ、もともとある程度の広さを持った部屋だったが、今は大分手狭に感じる。
何のことは無い、エルレーンが休暇を与えられたのは口実で、マチスに作戦案を渡しに来たのである。クラインはミシェイルからミネルバ経由でマチスへ会いに行くよう命じられた。クラインの方は一隊の隊長と言ってもオレルアンにいないことは多く、一月程度連続で姿を消していても誰も何とも思わない。
「で、旦那。今度は何をやろうって言うんだい。」
「クラインには、ちょっと大工仕事をお願いします。」
クラインは肩をすくめて見せた。
「大工かい。山道も作ったことがあるくらいだからそれくらいは造作は無いだろうがな。で、どういうことだい。」
「……エルレーン、説明をお願いできますか。」
これを皮切りにエルレーンから今回の作戦に対する説明が始まった。
マチスはこの打ち合わせに先立ってこの前日にエルレーンから作戦案を受け取り、一通り目を通している。だから一通りは頭に入っている。
エルレーンは将軍としての態度も真面目で融通が効かないように見られていたが、それが参謀としての能力へも反映されているのか、その作戦案は几帳面でありきめ細かかった。
当然、マチスも一晩だけで全てを把握しているわけではないし、クラインもエルレーンの話を聞いても全てを理解することはできない。だからそれぞれに確認は必要となる。
「つまり、俺がやることはその支援拠点の建設と、カダイン攻撃の切り込み役か。」
「はい、それと、カダインへの攻撃にはクライン殿の他に数名の戦士を同行させて欲しいと考えています。このメンバーの選定もお願いしたいのですが。」
「わかった。問題ない。」
クラインは無造作にそう答える。ガーネフへの攻撃は難しい任務かもしれないが、クラインにとっては単なる任務の一つである。
「マチス閣下からは、何かございませんか。」
エルレーンが問うと、皆の視線が一斉にマチスへと向いた。
「……大枠で特に問題らしいところはありませんが、一つ要望があります。」
「なんでしょうか。」
「エルレーンはこの作戦でオレルアン側の拠点で指揮を取ることになっているかと思いますが、できれば私と一緒にパレス攻略戦へ参加して欲しいのです。」
マチスはエルレーンに説明する。
アカネイアパレスへ向かう兵はマチスが提案した一万ではなく、エルレーンが提案した八千で計画されている。マチスから見て、特に反対する必要がある数字ではないので、この点については問題はない。
戦時中の動員体制は既に十分整えられているので、数をそろえることについても問題はない。今回は、準備に余裕があるのである程度の融通も効くだろう。しかし、集められた全体を見ると一つの問題が浮かび上がってくる。
こうして揃えられた兵はマチスを頂点とした指揮系統を取る。基本的に将軍の直下に位置する幕僚以外の上級士官は大隊長と呼ばれるが、この兵はマチス配下のマリオネス、ムラク、ハーマインが持つ約十個の大隊のうち、準動員状態にある兵が集められることとなる。
つまり、大隊長から下は出撃もとの部隊が違ってくるのである。これでは上からの指揮系統は問題ないが、大隊の横の連携に齟齬が発生する危険性が高い。
前回のグラ攻略の際、その横の連絡を行っていたのが白騎士団の一中隊であり、これを間接的に統率していたのがエルレーンだった。
「つまり、エルレーンには副官として付いてきてもらいたいのです。もちろん、ムラク将軍や、ハーマイン将軍から選ぶことはできますが、彼らには今の守りを優先してもらいたいですし……正直、彼らでは荷が重いでしょうから。」
これは、エルレーンにとって見れば良い提案だった。後方で支援をするくらいであれば、違う方面でも前線で指揮を取っていたほうが良い。それに、マチスの近くにいればエルレーンとしてもさらに学ぶべきこともあるだろう。それでは、ガーネフの支援はどうするか。
「ガーネフはユベロ殿下に任せるべきだと申されますか。」
これは、エルレーンからしてみれば確認だった。エルレーンもユベロがそれほどの人材なのかどうか、判断できるだけの材料を持っていない。しかし、ミシェイルはユベロのことを大きく買っているようだから、おそらくガーネフへの攻撃はユベロに任せても問題ないと判断を下すだろう。逆に、ミシェイルがそう判断しなければ、この場での決定事項がミシェイルに持ち込まれたとき、却下されるだけだ。
「そう、ユベロ殿下であれば問題はないでしょう。それに、そちらにはクラインも行きます。実行前に何か問題があればクラインから報告が来るでしょう。その意味で、心配はしていません。」
「やれやれ、旦那も相変わらずだな。ま、悪くならないようにやるのが俺の仕事ってとこさ。」
エルレーンがクラインを見る。クラインは椅子に浅く腰掛け、背もたれにあるがままに体を預けていた。足は手前で組み、手を頭の後ろで組んで首を支えている。今にもあくびでもしそうな、だらしない格好であった。
「閣下は、クラインのことを信頼しているのですね。」
「クラインは優秀ですよ。少人数で行動した場合、これほど的確に動いてくれる人を私は知りません。今回も、あなたの推薦どおりガーネフの部隊へ同行させることは、まさに適材適所でしょう。」
誉められているクライン自身は、すでにそ知らぬ顔をしている。エリエスだけが、顔を赤くしている。兄の態度のだらしなさは、何度も注意しても直らなかったのでエリエスはすでに諦めている。
「それに対して、アカネイアパレスの方は八千という人数です。これは私が直接把握できる人数ではありません。エルレーンがいたとしても把握できる人数ではないのですが、部隊の動きを良くできるはずです。」
マチスは、ユベロに任せたとしても、クラインがそれを補佐すれば問題は発生しないだろうと言う。マチスがクラインと共に仕事をするようになってかなり経つ。マチスがそのように考えるのであれば、ガーネフの方は問題はないのかもしれない。
「それでは、私も同行することにします。私の魔道隊は隊を二つに分け、精鋭部隊をユベロ殿へ預け、本体は閣下と合流しましょう。それと……白騎士団の協力もあった方がよさそうですね。」
「白騎士団の方もエルレーンにお願いします。前回と同じく、一中隊ほど出してもらうように打診していただけますか。」
「承知しました。」
エルレーンはマチスの提案を受け入れた。ガーネフの方は支援と行っても物資の確認、予定の調整など、いわばそれほど難しくはない仕事を責任上行う必要がある。これは、誰かに代わってもらうことは可能なはずだ。それならば、アカネイア攻略隊を手伝って欲しいと言うことがマチスの願いであれば、それを受けることはやぶさかではない。
「だいたいのところは、これで良ろしいですか……それでは、一つ一つの作戦についてある程度細かいところを話して行きましょうか。」
再び、エルレーンに議長役が戻された。
エルレーンは将軍職に就いてから始めての作戦であり、知らず全力を尽くそうと熱弁を振るうようになっていた。もっとも、こうした作戦案を作ること自体、エルレーンには始めてのことである。
細かいところでは齟齬も多く、エルレーンはかなりの指摘をマチスに受けた。打ち合わせは、エリエスに怒られつつもかなりの長時間に及んだ。途中、何回かの休憩を挟み、その途中には夕食すら挟んだ。夜中近くになりようやく終わることができた。
マチスはまだ体力が回復しきってなく、かなり疲れていた。それに反比例してマチスとエルレーンは作戦に対する手ごたえを掴んでいた。
打ち合わせが終わったと見るや否や、エルレーンとクラインはエリエスに部屋を追い出された。マチスはエリエスに無理やり着替えさせられると、そのまま寝台に寝かされてしまった。
苦笑いしながら部屋を追い出された後、クラインはエルレーンを酒場へ誘ったが、エルレーンは整理したいことがあるからと言いこれを断った。クラインはマケドニアの兵士で賑わうレフカンディの町の酒場へ一人で繰り出し、朝まで飲み明かした。
翌日、エルレーンとクラインは両者ともまたレフカンディを発つ。
エルレーンはマケドニアで、ミシェイル、ユベロとの調整に入る。
クラインはオレルアンでまずミネルバに状況を知らせ、その後早速支援拠点の作成に掛かることとなっている。
それぞれが、戦いの足音を大きく響かせようとする。季節は夏が終わり、秋を向かえようとしていた。