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FireEmblemマケドニア興隆記
 竜王戦争編
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二十二章 星辰の魔法

 ミシェイルはカミユから確かに宝玉と書状を受け取った。マチスも回復の方向が見え、ガーネフ打倒の方策も見えてきたところでミシェイルの喜びもひとしおでであったが、その書状の内容には驚きが隠せなかった。
 遺跡の中に、竜がいたという。竜人からの変化で、竜となる前は年端も行かない少女の姿をしていたと書かれていた。
 その記述は、ミシェイルに老賢者から聞いた最後の言葉を思い出させた。
「竜の姫君が眠っている。」
 老賢者はそう言っていた。
 事の真贋をより詳しく知っておく必要があると判断したミシェイルは、四年半ぶりにカミユと直接会談を持った。もちろん、行動は極秘だ。表向きはミネルバと示し合わせた上でオレルアン視察に赴いていることとなっている。
 カミユ同様、ミシェイルも竜人の竜となった後の姿を知っている数少ない者の一人だった。そして、ミシェイルもカミユと同じ結論をだすことになった。
 遺跡の竜は、ドルーアの竜とは別の竜であると。
 聞くべきことを聞いたミシェイルは、ニーナへの挨拶もそこそこに王城へ帰還した。
 手に入れたオーブの中に光と星のオーブが含まれていることはすぐに判明した。とは言え、正確には予測がついた程度のものではあった。
 光を放つ宝玉が光のオーブ、透き通るような黒の中に光の点が無数に瞬いている宝玉が星のオーブと考えられた。残る濃い緑色をした宝玉は何のオーブか検討がつかなかったが、命のオーブがレフカンディにあり、闇のオーブがガーネフの元にあるとすれば、それは大地のオーブであるはずだった。
 前提が整ったと判断したミシェイルは、ユベロへ事の次第を始めて話した。さすがにユベロは驚いたものの、老賢者の元へ同行することはすぐに承諾した。ミシェイルは多忙であるため、承諾を得るとここでもマリアに挨拶することもなくすぐに王城へ戻った。ユベロはその日はどこに出かけることもなく、深く考え事をしていたという。

 ミシェイルは予定を強引に切り詰めると、ユベロを伴い、二つのオーブを持って老賢者を訪ねた。さすがに今回は老賢者も留守にはしていなかった。ドアをノックするとすぐに老賢者が現れ、二人は小屋の中へ招かれた。相変わらずの粗末な小屋は、人が一人増えただけでだいぶ窮屈に見えた。
「グルニアのユベロ王子ですかな。」
 老賢者が相変わらずゆっくりとした口調で言う。対するユベロは老賢者へ強い視線を注いで、むしろ睨んでいた。
「……ガトー殿、お初にお目にかかります。」
 ユベロはさも何事もないかのようにうやうやしく一礼した。
 驚いたのはミシェイルであった。ミシェイルもこの老賢者が大陸一の賢者であるガトーではないかとは常々考えてはいたが、確信はしていなかった。もっとも、ミシェイルが驚いたのはどちらかと言えばユベロの挑戦的な態度の方である。ユベロと老賢者は初対面のはずなのだ。
「わしがガトーですと?」
 老賢者の口調は変わらなかった。
「ガトー殿。知らない振りをされなくともよろしいでしょう。ガーネフに対抗できるほどの魔法を作り出すことができる人物はこの大陸に三人、ガーネフ、ミロア大司祭、そして大賢者ガトーしかいない。ミロア大司祭が亡く、ガーネフでないのであれば、あなたはガトー殿でしかありえない……違いますか?」
 老賢者は豊かに蓄えられた白い髭をゆっくりと撫でていた。
「さて……どうですかな。わしが世間で言われているガトーであるにせよないにせよ、ユベロ殿はガーネフに勝る魔道書が得られればよいのではないですかな。」
「あなたがガトー殿であるならば聞きたいことがある。……いや、言いたいことがある。言わせてもらう。」
 ミシェイルはユベロに不自然さを感じていた。それはミシェイルがユベロに初めて会った時と同じものだった。ミシェイルにはユベロがあえて激昂しているように見えた。
 だが、ただ形だけ激昂しているようにも見えなかった。その証拠にガトーはこう言った。
「……ユベロ王子。今を生きるお主らにわしは既に必要ないものだ。しかし、相応の償いはさせてもらう。」
 その会話はミシェイルには理解できないものだった。ユベロだけが何事かに肯いていた。
「ならば聞かせて頂きたい。あなたが何を誤ったのかを。」
 一転して、ユベロは落ち着いた口調へと戻った。
「わしの過ちは……人を個でなく、種として見ていたことだ……。」
 老賢者はゆっくりと話し始めた。
「人が……竜に滅ぼされることはないようにと、わしはかのお方から封印の盾を託された。しかし、気が付けば盾は失われ、オーブもまた失われた。オーブは取り戻したものの、封印の力はもはや幾ばくも存在しなかった。わしはオーブを安置し、人に新しい力を与えた。」
 新しい力が魔法であることは、ミシェイルにも理解できた。やはりこの賢者がガトーに間違いはないのだ。
「わしは人を信じていたのかも知れぬ。しかし、その個に図らずとも力を与えてしまい、人に関係はすまいと決めたのだ。」
 ユベロが老賢者を見据える。
「ガトー殿、あなたにはガーネフを処断する責務があるはずでしょう。何ゆえ自らそれをなされないのですか。」
 ガトーはミシェイル、ユベロと視線を移すと、ゆっくりと話した。
「ミシェイル殿、ユベロ殿、お主達はガーネフを止めたいと願っておろう。わしはお主たちにその方法を与えることはする。しかし、その力は絶対ではない……この意味はわかろう。」
「……ガーネフのことは人の間のこと……あくまでガトー殿は介入なさらないと申しますか。」
 ガトーが肯く。
「ガトー殿、さらに聞かせて欲しい。メディウスを打ち倒したとして、竜人族はどうなりますか?」
 ユベロがドルーアで書物を調べていて不思議に感じたことがある。ユベロが知識を得たとおり、ドルーアの知識はメディウスが最初に復活する百年前よりも、さらに前から詳細な記録が残っている。
「……メディウスを倒したとしても、竜人族の脅威はなくならないのではありませんか。」
 これは、メディウスが封印されていた間も竜が活動していたことを示す。そうであれば、メディウスが封印されたとしても竜達は活動できることになる。
「ユベロ殿、なぜそう思われる?」
「ドルーアの書物には、アドラが封印の盾を盗み出したとき、あなたに封印の盾が盗まれたことを気が付かせないよう動いていた一派が存在したと書かれていました。確かに、百年前のメディウス復活まで、竜人族が積極的に人に関わった記録は人の歴史には存在していません。」
「しかし、だからと言って竜人が歴史に関わっていない証にはならないでしょう。メディウス復活を準備していたとして、人に気付かせず、ドルーア帝国の建国を突然のように見せかけることは長い時を生きる竜人であれば可能だったはずです。だからこそ、八年前にドルーア帝国が復活したとき、あれほど早く勢力を拡大できたのではありませんか。メディウスを倒したとしても、竜の人への干渉がなくならないのであれば、根本的な解決にはなりません。」
 ユベロは当時、人の治世に腐敗があったことを知らない……ミシェイルにはそう感じた。ドルーアの急速な勢力拡大、その背後にはアカネイア国内の情勢不安が大きく影響していた。アカネイアの基盤がしっかりとしていれば、グルニアはともかくマケドニアやグラがドルーアに付くことは……少なくとも一戦もせずにドルーアに付くことはなかったはずだ。
 ユベロは当時は十歳になるかならないかという年齢だった。その上でドルーアに人質として送り込まれたのだ。いくらユベロが聡いとはいっても、グルニア近辺の情勢はともかく、大陸各地の情勢を総合的に判断できる年齢とは思えない。確かにドルーア帝国の再興を支えていた者はいたかもしれないが、それが全てとは思わない。
 だが、ガトーは全く違う観点から、ユベロのその指摘を覆した。
「……ユベロ殿……アンリに封印されたメディウスが、どのようにして百年後にまた復活したかはご存知か。」
「いえ……今回のメディウス復活に関しては、まだ話が新しいことらしく、私が読んだ史料の中には記載がありませんでした。」
 ガトーはゆっくりと話を進める。
「今回メディウスを復活させたのは……他でもない、ガーネフなのだよ。」
 やはりと感じたのは、薄々そうではないかと勘ぐっていたミシェイルである。ミシェイルにとってはドルーアと同盟を結んだ当初から、なぜガーネフとメディウスが表面的ではあってもあれほど親しくしていたのか、そのことが疑問だったのだ。
 その回答は、メディウスの復活を魔道の力で感じ取ったガーネフがこれ幸いと行動を起こしたか、ガーネフが行動を起こした結果としてメディウスを復活させたか。この二通りくらいしかないと考えていた。思い起こせば、最初にガトーに会った時にそのことを示唆された気もする。
「……なぜですか。ガーネフにはどのような意図が……。」
 ユベロの驚きは大きかった。
「事のあらましから説明しよう。」
 ガトーは語った。
 百年前のメディウス騒動も落ち着き、徐々に過去のものとなりつつあった時、ガトーは密かにカダインにあり、魔道の伝道を影から手助けしていた。
 大陸の六つの王国が内部に軋みを抱えながらも発展しつつあった頃、頭角を現していた二人の魔道士をガトーは直接面倒を見ることにした。
 ミロアは沈着冷静、そして世界の秩序を保つことを最優先に考えていた。
 対するガーネフは激情家であり、何よりも真理の探究を欲した。
 二人とも魔道の才能は甲乙付けがたかった。そして、性格の違い過ぎる二人は言い争うことも多く、何かにつけて対立した。二人の論争は相手の論旨を認めつつも自分の論旨を曲げないため、決着がつくことはほとんどなかった。
 ガトーの元で研鑚を積んだ二人は、やがてカダインの高司祭に列席するほどになった。大陸に三賢者の異名が知れ渡ったのもこの頃である。そして、ミロアが最高司祭としてアカネイア王国に招かれることとなった。
「……この時、わしはガーネフをカダインの最高司祭にして、後は人に関わることを止めようと考えていた。」
 ガトーは組織作りを優先するミロアに比べると、真理を追究する姿勢を崩さないガーネフの方が、カダインの指導者としてふさわしいと考えていた。その折のミロアの招聘であったから、ガトーは快くミロアをアカネイアへ送り出した。その時、ガトーは光の魔法であるオーラを作り出し、ミロアへと渡した。
 ガーネフはその後もガトーの元にあったが、ある時、魔道の源を探しに行くと言い残してカダインを去った。
「その時は、わしはまだガーネフを信用していた。ガーネフは特に魔道を作り出す研究に熱心でな、すでにサンダーやエルファイアーの魔道書を作り出す術を心得ていた。じゃが……ガーネフはわしがラーマン神殿に安置しておいたオーブを盗み出したのじゃ。」
 ミシェイルは奇妙に感じた。報告には、ラーマン寺院には侵入者を撃退するような仕掛けが無いに等しかったとあった。
「……光のオーブと星のオーブを探しているとき、私はある人にラーマン神殿を探索させました。見たこともない竜がいたということを聞き、それはそれで驚くべきことなのですが……他に侵入者を撃退するような仕掛けは一切なかったと聞いています。」
 ミシェイルが疑問を口にする。ミシェイルからは、その竜が神殿の守備をしていたとして、どれほどの脅威となるのかを断定することはできない。しかし、どれほどの脅威であったとしても、実際にカミユ達はオーブを持ち帰ることができているし、それだけでは絶対的な脅威とはとても思えない。まして、ガーネフが相手となれば一体だけでとても守りきれるものとは思えない。
「ラーマン神殿にはわしが設置した魔法の罠がある。……お主の仲間が神殿を探索しに来た時だけ罠は解除しておいた。いつもは途中の通路にワープの術を利用した罠が仕掛けてある。奥へ行こうとするとある程度進んだところで気付かれないように入り口近くに転移する。」
 ガトーはそう答えた。
「……なるほど。侵入者達はそうと知らずに、その罠以外は何も危険のない通路を延々と歩かされ……やがて疲弊してしまうわけか。」
「だが、ガーネフはその罠を見破った。そのワープの罠を逆にワープの術で強引に突破し、最奥部までたどり着いた。そしてあろうことか、闇のオーブを持ち出した。」
「闇のオーブ……ガーネフが魔法を作成するための触媒に利用した道具ですね。」
 ユベロもガーネフが闇のオーブを用いて魔法を作成したことは、ここに来る道中でミシェイルからのまた聞きではあったが聞いていた。ここに来て、ようやく話が核心に迫ったことをユベロは感じた。
「闇のオーブはそれだけで危険なものだ。封印が作られたとき、五つのオーブは世界に充満する力を凝縮して作られた。昼の日の光から光のオーブが、夜の星の煌きから星のオーブが作られたとき、昼の光と夜の光が失われた位置に闇が凝縮した。闇のオーブは意識して作られたものではない。結果的に作られたものなのだ。」
「危険?どのように危険なものなのですか。確かに闇と聞かれれば私たちのような人は単純に恐れます。聞いたように、意図的に作られたものではないのかもしれません。しかし、力の質としては他のオーブとも変わりはないのではありませんか。」
 ユベロも魔法使いである。普通の人が闇と聞いて避けたがるとしても、使用できそうな力はまずは検証してみる。それが貪欲な魔法使いの習性たった。
「……確かに単純に力として比較するのであれば、光と闇に違いはあるまい。現に人に、生き物に、様々な恩恵を与える光であっても、オーラのような強力な攻撃手段になりえる。しかし、影響を与える方向を取ればその危険性が明らかになる。光は人を安心させ、安定させるが、闇は人を不安にさせ、破滅へ向かわせる。他のオーブはいざ知らず、闇のオーブだけは人が持って良いものではないのだ。」
 突然、ミシェイルが眼光鋭く、ガトーを睨んだ。
「ガトー殿!以前、ガーネフが闇に魅入られていると言っていたのはこのことだったのか!予としても甚だ疑問だ。何ゆえそれほど早くから事実を知っていながら、今まで対策を取らなかったのか。」
 ミシェイルは勢いよく机を叩いた。
「ミシェイル殿……いつぞ、そのようなことを告げましたかな。」
「九年前だ。予が始めてあなたを訪ねた時、予は始めてガーネフに掌握されたカダインがドルーアに付いていることを聞いた。その時だ。」
 かなり前のことであり、もはやミシェイルもその時の会見についてはおぼろげな印象でしか思い出すことはできない。ただ、いくつか重要な要素があり、忘れてはならないこともあった。ガーネフのことについては、三賢者の一人と言われながら突然カダインを武力制圧し、強引に最高司祭の座につくなど、動きがはっきりしていたため、注視するべき点であった。
「ミシェイル殿、わしがユベロ殿の魔力に気付いたのは極最近だ。ユベロ殿の補佐をなくしてオーブの力を行使すれば、光のオーブ、もしくは星のオーブどちらかが失われる可能性が大きい。……これは可能な限り避けるべきことだ。例え、ガーネフを野放しにしていてもだ。」
「……何か、理由がおありですね。」
「ユベロ殿は封印の盾のことも知っておろう。封印の盾は、五つのオーブを当てはめて始めてその本来の力を発揮するものだが、これにはめ込まれている五つのオーブもそれ単体で僅かながらの封印の力を持つ。」
 この話はミシェイルもユベロから聞いていたものと合致した。封印の盾の詳細な形までは聞いていないが、ユベロから聞いた話と異なっている部分はない。
「封印の盾は理性を失った竜族を封印するものだと聞いています。しかし、竜族があふれ出してこないのは封印の力が完全に失われていないからですか。」
 ガトーが首を振る。
「それだけではない。知ってのとおり、わしは人に魔法の力を与えた。理性を失った竜が人を襲わないのは、その存在が明るみにでていなかったり、存在が変質したりしているからだ。」
 ガトーがミシェイルに向き直る。
「最も変質したのは飛竜族だ。飛竜族の者はすべからく人として生きることを拒み、竜石にその力を封じて理性を保った者がどれだけいるか。少なくともわしが知らぬほどには少ない。彼らは野生化した後、炎を操る術を失ったが、不思議なことに繁殖する力は復活した。」
「後の飛竜族はミシェイル殿の知る通りだ。アイオテがドルーアの残党に奴隷とされていたとき、野生化した飛竜を手なづけ竜騎士を作り出した。」
 ミシェイルがうなずく。
「竜騎士団の騎竜も、他の竜とは特徴が大きく異なる。しかし、アイオテ以来、確かに竜の眷属であることが伝えられている。」
 ガトーが続ける。
「他の野生化した竜も封印の盾によって封印され、眠りの床にあったのだが、封印が弱まったことによって表層に封印されていた火竜や氷竜が蘇っている。そういった竜の多くはカダインの北東部にある火山地帯や、寒冷地帯で人知れずに存在している。火竜は冷気に弱く、氷竜は逆に炎に弱い。人里にでてきたとしても、魔法で撃退できよう。このため、人目にはまずつかない。しかし……深層に存在する地竜族だけは別だ。地竜族は最も力を持っているが故に最も深層に封じられた。封印の力の弱まった今も外に出てくることはできぬ。野生化せず、理性を保ったままで封印を破ったメディウスも、地上の封印に抑えられ居城の外へ出ることができずにいる。」
 これはミシェイルにも思い当たることはある。メディウスは、山腹に作られた宮殿から外に出ることは決してなかった。
「……メディウスが城の外へ出ることがなかったのはそのためなのか。ところで地竜族が封印によって未だに閉じ込められているならば、メディウスはなぜ復活することができたのか。」
「私の見聞したところによると、メディウスは他の理性を失った竜が封じられる時に、一緒に封じられてしまったそうですが……。」
 ガトーはゆっくりと首を振る。
「……メディウスは竜石に力を封じ、理性を保っていたが、ナーガ様とは違った考えを持っていた。ナーガ様は竜族自体の寿命が来ていると言い、人に大陸の行く末を任せる方針でいたが……メディウスはあくまで竜として生きることを望んだ。そして、そう望む者は少なくはなかった。」
 このことはユベロがドルーアで見てきたことと一致する。
「メディウスは、理性を失った竜の処断については意見をナーガ様と同じくしていたが、先を見据えた行動についてはナーガ様と正反対の意見を持っていた。……そのままではナーガ様とメディウスの対立は避けられなかった。特にナーガ様は既に老い先短く、死の足音がすぐそこにまで迫っていた。そして、ナーガ様の娘……この娘が竜族にとって最後の子供だったのだが……その娘は幼少でその時は何の力も持っていなかった。ナーガ様が亡くなってしまえば、竜族がメディウスに従うことも考えられる……これをナーガ様は避けたがった。」
 と、ガトーは息をついた。
「ナーガ様は理性を失った竜を一所に封印する時、その行動には協力していたメディウスと彼の仲間たちを共に封印した。……そして、メディウスにその封印の監視を任せたと一族に告げた。……実際は封印されていて、何も行動できる状態ではなかったことがはっきりとわかったのは……百年前にメディウスが復活した時だったのじゃ。」
 三者三様、あまりと言えばあまりな話に、その場の者は押し黙ってしまった。口を開いたのは薄笑いを浮かべたユベロだった。
「随分と泥臭いやりとりですね。つまり、その時にメディウス一派を完全には封じ込めることができなかったわけですか。ナーガの言葉をおかしく感じた残党が、封印の解除方法を探り、アドラが封印を盗み出すとこれを手助けし、徐々に徐々に復活の手助けをしてきたと。一般的に神と崇められているほどの存在でも、万能ではありえないということですかね。」
 ユベロの指摘は痛切なものだった。ガトーは静かに語り続ける。
「……ナーガ様は……自分から積極的に野生化された竜族を涙ながらに処断されていた。当時、竜を大きく脅威としていた人から見れば、神と呼ぶにふさわしかったのだろう。……人の姿で何度か人前に出てもおるしな。じゃが、竜とて生命としては変わりなく、できることにも限界はある。現に、今では人が竜に勝てるようにもなっているはずだ。……わしにはナーガ様を責めることはできん。」
 少々間をおいて、再びガトーが話し出す。
「話を戻す……つまり、今はわずかながらでも封印の力が効いているため、深層に封印されている野生化した魔竜族や地竜族の竜は出てこられないでいる……オーブが一つでも失われれば彼らが出てくる可能性が非常に高まる。魔竜族ですら魔法に対する抵抗力が強く、やっかいな存在だが、地竜族に復活されては大陸は蹂躙され尽くされる……残されたナーガ様の末裔にこれを抑えるだけの力は備わっていない。」
「確か……メディウスも地竜族だったか。」
 ミシェイルがつぶやく。
「そうじゃ。メディウスは地竜族の長。封印されている地竜族はメディウスには力は劣るが……ファルシオンなしでは、人に太刀打ちはでない。お主にドラゴンキラーを渡したことがあったな。地竜の鱗はドラゴンキラー程度では貫き通せぬ。魔法も全てはじかれてしまう。」
「つまり……封印が完全に解けてしまえば、彼らを止める方法はないと。」
「……そうじゃ。彼らを動かすのは人への憎しみではないが、どちらにせよ人の生活が破壊されることは間違いない。」
 ユベロはじっと考えている。
「オーブを破壊したくない理由、納得はいきません……。あなたほどの力と知識があれば、そのようなオーブに頼ることなくガーネフへの対策ができるのではないかと思いますが……。」
 たたずむガトーを見て、ユベロはそれ以上の言葉を繰り出すことをためらった。
 結局ガトーはガーネフがこのような行動までも取るとは思わず、倒す機会を失ったのではないかというのがユベロの推測だった。このような状態とはいえ、ガーネフはガトーが直接魔道を教えた愛弟子のはずであった。不測の事態に動きが鈍って機を損ねることは十分考えられることだ。
「……結局、ガーネフはどんな理由でメディウスを復活させたのだ?」
 ミシェイルがたずねる。しかし、ガトーは首を振った。
「わしは……最初はガーネフが闇のオーブに取り込まれていると考えていた。メディウスを復活させたのも、ただただ破壊衝動からだと。……しかし、最近ではそうは考えにくくなってしまっている。ドルーアから離れた後のグラ取り込みなどは……闇のオーブからある程度自由でなければできないような行動だ。しかも、ガーネフはメディウスと袂をわかった……。」
「……ガーネフの行動が、単純に勢力拡大を目的にしているとはとても思えない。ガトー殿、ガーネフに講和の意思はあると考えますか?」
 ミシェイルの疑問を唐突なものだと考える者はここにはいない。それほどガーネフの行動は不自然なのだ。
「ガーネフとの講和が可能として……お主からそれが提案できるのですかな?」
「いえ……マケドニアからガーネフに対し講和を提案することはできません。可能性の話だけですが……。」
 ドルーアと同盟を結んでいる以上、ドルーアと敵対するガーネフと単独で講和を行うわけにはいかない。さらに、民衆の印象もよろしくない。マケドニアは基本的にガーネフに対しては敵対する方針でおり、民衆にもその意識は広がっている。上意下達を無理やり押し通すこともできるが、そこまでして考慮に入れるようなことでもない。
「……わしは……今のガーネフなら、マケドニアとの講和には応じると考えている。お主のことだ、グラのことは聞いておろう。」
「はい。ガーネフはグラを傘下に収めましたがレギノス将軍へはほとんど干渉していないと聞きます。逆に、グラの方がドルーアから解放されたことでガーネフへ感謝しているとか。」
「ガーネフの長期的な目的はわしにもわからん。だが、短期的な目的であればお主にもわかろう。」
 ミシェイルが肯く。
「ガーネフは、アリティアを攻め併呑しました。アリティアもグラに任せているとのことですが……、これでマケドニア、ドルーアに対抗する下地はできたと考えます。次の狙いは……ドルーアかマケドニア、どちらかでしょう。先のドルーアへの奇襲を考えると、ドルーアを攻める公算が強いと考えますが、あのガーネフのことです。いつどういう手に出てくるかわからず、マケドニアとしても国内の重要拠点には四六時中の警戒を継続させているところです。」
 ミシェイルは現状に困惑していることを見せる。マチスであれば答えを出せるであろうかと言う思いが、脳裏をよぎった。
「ガーネフがその気になればマケドニアの都は一瞬で灰燼に帰りましょう。私はドルーアの都が崩れ落ちるところを見ました。しかし、それに耐え、残った竜達はすぐに魔道の源を探り出し、反撃に転じました。反撃を受けたカダインの魔道士達はどれほどが倒されたかはわかりませんが……その攻撃は夜明け前に始まり、夜が明けきったころには既に終わっていました。同じ攻撃をドルーア以外が受けた時、防ぎきれるとは思えません。」
 ドルーアから脱出してきたユベロの言葉は重い。ミシェイルが唇を噛む。
「今の状況は……ガーネフとメディウスがお互いに牽制しあっている状態だ。マケドニアとしてはどちらかがどちらかを滅ぼしても良い未来にならない。勝った方は即座に、全力でマケドニアを攻撃してくるだろう。だが、両者ともマケドニアを攻める隙にもう一方から攻撃をされてはたまらないから、動きが慎重になっている。その結果、ガーネフのカダインがドルーアの支配地域を徐々に切り崩し、ドルーアはマケドニアにガーネフを攻撃させると言う状況が生まれているのだ。……マケドニアが生き残るためには両国がこの状態にある間に何とかするしかない。幸か不幸かマケドニアはドルーアにカダインへの攻撃を任されている。ここでガーネフを滅ぼすことはこちらの方針にも合っているのだ。」
 ミシェイルもユベロも、この場で口にすることはなかったが、ドルーアかカダインか、どちらが厄介かと言えばカダインであるという見解を持っていた。メディウスにはファルシオンというアキレス腱があるのに対し、ガーネフの魔法は破る術がなかったこと。カダインの魔道士が神出鬼没であること。
 ドルーアの竜が大挙して進軍すれば、それはもちろん人の世を破壊しつくさんばかりの脅威となりえる。しかし、にらみ合いが続いている限りは、カダインの魔道士がワープで奇襲を掛けてくる方が脅威だ。
 もちろん、カダインの魔道士の中でも、隕石の魔法や毒虫の魔法など、高度な魔法を使える者はそう多くはいない。しかし、その数少ないガーネフの一派が現在の大陸で大きな力として存在している現実は、二人とも忘れてはいない。
「ガーネフは……ユベロ王子に魔法を作ってもらえれば打ち倒すことは可能だ。その魔法はミシェイル王、お主に委ねる。この場は遠見の術に対して霧を発生させているが、この魔法のことは決してガーネフに気付かれてはならぬ。」
「メディウスは……ファルシオンがあれば打ち倒すことが可能だ。ファルシオンにはわし自ら血の呪いを掛けていて、アリティア王家の者以外が使用したとしても効果は半減するが……知っておるのだろう?アリティア王家の者の居場所を。」
 ミシェイルはかすかに肯く。
「……ミシェイル殿……アリティアをも織り込み済みですか。」
「オレルアン、タリス、アカネイアも方策済みだ。竜から大陸を完全に取り戻すためには、その間だけでも人は一つにならねばならぬ。策を打って、打ちすぎるということはない。」
 ユベロは絶句した。
「……父上にも……ミシェイル殿の十分の一程でも才気があれば……。」
「一世代前のことなど関係ない。ユベロ殿、グルニアは貴殿が再興させるのだ。……貴殿であれば必ずなせる。そうであろう?」
 ミシェイルがそう言いながらも複雑な表情をしていることをユベロは感じ取った。ミシェイルも父王を追い落として王位に就いている。父王と衝突することの多かったミシェイルのほうが、より多く思うところがあるのかもしれない。
 ガトーが話を引き戻す。
「じゃが、メディウスはファルシオンで封印できたとしても、このまま封印の盾が失われたまま封印の力が弱まり続ければ、いつかまた復活してしまう。わしも……封印の盾を探しているのじゃが……封印の盾は封印の力を増幅することはできるものの、そのもの自体に魔力はない。アカネイア王宮を念入りに捜索し、その後数百年を経て大陸全土に捜索範囲を広げたのじゃが……見つからぬ。その形が変わっているとしか思えぬ。」
 ミシェイルは唸った。メディウスを倒すことまではマケドニアの方策に予定として存在していることであるが、その先があるとするならばそこまでも考えなくてはならない。
「盾……アイオテの盾と同じようなものですか。」
「盾と呼ばれてはいるが……正五角形をしておるから見た目は違うのぅ。」
「……紋章の盾はご覧になりましたか。」
「アカネイア王家の証か……見てはみたが特別な意匠ではなかった。普通に盾の形をしておったしい色も異なる。……炎の紋章は昔からアカネイア王家が使用してきた紋章であろう。」
「ガトー殿……、かの盾はニーナ姫がマルス王子へ託して初めて世に出てきたものですぞ。それまでは、存在すら知られていなかった。多少、詳しく見るべきだ。」
 ミシェイルが語気を強めた。
「む……ならば、もう一度確認してみるとしよう。」
「ともかく、メディウスを追い落とした後でその封印の盾を取り戻すのであれば、マケドニアは全面的に協力する。その場合、大陸全土に告知を行うこととなるぞ。」
「いたしかたなかろう。できれば余計な者にこのことを知られたくはなかったのだが……。」
「ガトー殿、その見通しは甘いことを指摘せざるをえません。ドルーアの書物にはナーガが行った封印に関してもある程度詳しいことが書かれていました。彼ら、人に対する敵対勢力は、あなたがその封印の盾を探していることを知っていて、それを妨害していました。あなたにも心当たりはあるはずです。」
 ガトーはユベロに詰められ、押し黙ってしまった。
「お主らに話したのじゃ、封印を取り戻すまではお主たちが道を外さぬ限りお主たちの力になろう。全てが解決した後には、ナーガの娘共々姿を消すでな。」
 ガトーは寂しそうに笑った。
「ただ、オーブにはそれぞれ力が備わっているが、封印の盾それ自体にはなんら力は備わっておらん。オーブを形どおりに配置した時に封印の力を強めることが唯一最大の効果じゃ。普通に人が探したとして、何の変哲も無い盾として置かれておれば、見つけ出す手段はわしにも検討がつかぬ。」
「やっかいなことだ。」
 ミシェイルは心の底からそう感じていた。
「……仕方がありません。その盾が無いことを望む勢力がこの大陸にはあるようです。そのものたちの仕業なのでしょう。」
 竜から人へと、世代交代に何者の意思が働いているのかは、いづれの神も信じないユベロにとっては意味を持たないことだった。いづれにせよ異なる意思を持つものが争いを起こす。なかなか平穏にはいかないものである。

 話の方が一段落すると、ガトーはおもむろに立ち上がった。
「さて……光のオーブと星のオーブを取り出すがよい。この……。」
 ガトーは部屋の隅の机の上に置いた一冊の本を取り、三人が面している机の上に置いた。
「書に新しい魔法を刻み込む。」
 ガトーが置いた本を開き、無造作にページをめくって見せた。中は何も書かれていない、ただ真っ白な書面があるのみである。
 ミシェイルは懐から二つの宝玉を取り出し、机に並べた。ガトーは、二つの宝玉を交互に見つめしばし瞑目すると、宝玉と何も書かれていないその本が丁度正三角形を描くように配置した。
「……ふむ、光と星のオーブに間違いない。わしがこれから魔道書を作るための文言を述べる。この文言は二つのオーブから大量の魔力を奪う。ユベロ殿は……二つのオーブに手を置き、魔力を送り続けて欲しい。」
「……わかりました。」
 当然のようにユベロは両手を二つのオーブに添えた。
「魔力を送る?魔法の力と言うものはそのように扱える物なのか?」
 ミシェイルは、いや、ほとんどの者は、魔法とは魔道書か杖を媒介にして発動されるものだと考えている。魔道士や僧籍にある者以外で魔法について深く考える者はまれで、ミシェイルのその疑問も見当違いの事ではあったが、そう考えても仕方のないところではあった。
「魔道士は、基本的に魔道書などを用いて魔法の力を発動する。逆にこういった道具を使わないで魔法を発動させるにはかなりの魔力を必要とする。こんなことができるのは大陸に数人いるかいないか。わしと、ガーネフと、お主くらいではないかの。」
 と、ガトーは言う。ミシェイルはユベロに対する驚きを新たにした。
「さ、始めるとするぞ。ミシェイル殿は少々下がっていてもらえるか。」
「……わかった。」
 ミシェイルがたじろぎ気味に部屋の隅に寄ると、ガトーは早速文言を繰り出した。低く長く、ガトーは詠唱を続ける。ミシェイルからは、光のオーブと星のオーブがそれぞれの色の燐光を放っているだけとしか見えない。ただ、ユベロの色白で艶やかなその額に脂汗が浮いていることが見て取れた。
 ユベロがやっていること自体は単純なことであった。
 魔道書を使い魔法を行使するときは魔道書に集中する。別段そういった道具を使わずに魔法を行使するときは、魔法を行使したい一点、空間の一点に集中する。試みが成功すればその一点には炎をイメージしていれば炎の力が、氷をイメージしていれば氷の力が現れる。
 本来は魔道書を介して空間に伝わる魔道の力を、ユベロは自身の思考を介して行うことができる。ユベロはその程度までは理解している。それ以上深い原理まで理解しているわけではなかったが、そこまで理解していれば応用は利く。
 今、ユベロが行っていることは、純粋な力のイメージを宝玉を掴んだ両手の平へ送ることだった。
 ガトーが何も言わないところを見ると、誤った方法ではないのだろう。何よりも力を込めるに従ってのしかかってくる疲労感が何よりの証拠だった。手のひらから腕を伝わり五臓六腑から力が抜け出ていくような感触をユベロは味わっていた。
 ユベロが目眩を覚えるほどになった頃、二つの宝玉からかすかな光が分離し、本へと集まった。ユベロは力を吸われる感覚が無くなったことに気がついた。本へ集まった光はだんだんと収まって行き、やがて完全に気配を消した。
「……完成じゃ。」
 ガトーはゆっくりと本にかざしていた両手を下ろした。そして、その手で本を開く。
「星の光が闇を切り裂き、目標に到達した時点で強く弾けて相手を倒す。……スターライト・エクスプロージョンじゃ。」
「……これが……ガーネフの闇に対抗できる魔法。」
 真っ白だった本には、今や複雑な文様が刻まれている。オーブから離した両手を机の上につき肩で息をしているようなユベロであったが、一度本が開かれると食い入るようにそれを見つめた。
 賢者の肩書きは伊達ではない。ユベロが強く感じたのはそのことだった。
「これは……攻撃に使うエネルギーを一点に集中している?今までのただ力で圧倒する魔法とは全く違う。敵の攻撃を相殺せずにすり抜けるわけですか。」
「威力を発動する場所を調整すればマフーとの相殺も可能じゃ。しかし、攻撃的魔法であることは間違いない。攻防を考えればマフーほど万能の魔法ではないから、使い方には気をつけることだ。」
 ガトーの言葉が聞こえているのかどうか、ユベロは魔道書に集中してしまっていた。そのユベロの様を見て、ミシェイルは魔道書の価値が本物であることを確信した。
「賢者殿、これでガーネフに対抗できるだろう。礼を言う。」
「まあ待て。もう少し話しておくことがある。」
 今にもすぐに戻りそうな勢いであったミシェイルを、ガトーは引き止めた。
「ガトーは闇のオーブを持っておろう。闇のオーブは先にも言ったとおり危険なものだ。だが、その力は光のオーブを持つことで相殺され、影響力を消すことができる。ガーネフに相対するときはその者に光のオーブを所持させよ。そして、他のオーブもお主に預けておくからしっかりと保管しておくのだ。くれぐれも、所在がわからなくなったり、何者かに奪われたりしてはならぬ。」
 ミシェイルはその言葉に首を傾げる。ミシェイルは宝玉は命のオーブも含めて神殿に返すものだとばかり思っていたのである。
「……ガトー殿、今までオーブはガトー殿が管理していたはず。なぜ今になって私にそれを託すのですか。」
「わしは、歴史から消えねばならぬ。アカネイアも、アリティアも、カダインも……結局はわしの望み、考えていた方向へは歩いていかなんだ。おそらく……お主たちのマケドニア、グルニアもわしの考えていたようにはならんのだろう。じゃが、もう大陸は竜のものではなく、お主たち人のものだ。……もともと、重要な力は段階的に人に任せるつもりでいた。今回はいい機会じゃろ。」
 ガトーは中空へ視点を泳がせた。
「全てのことが終われば、わしはラーマン神殿の奥深くに在って、もはや日の目は見ないつもりだ。」
 ユベロは理解していた。ガトーは竜族の完全な封印を行うことを目的として行動していたのだ。しかし、対立する竜族に邪魔され、人には理解されない。かといって、現存する竜族からの脅威から人を守ることもしなければならず、空回りすることの多かった千年なのであろう。
「ガトー殿、私らにそこまで話したのは私がドルーアから知識を得ていたからですか。」
「それも理由の一つじゃが……もう一つの理由はミシェイル殿、お主は大陸有史以来最も広大な領土を治める領主となっていることを知っているか。」
「いいえ……確かに現在のアカネイアのうち、面積で言えば六割は領土として持っていますが……王国分裂以前のアカネイアに比べれば小さいのでは?」
 ミシェイルもアカネイアから七王国が分離するまでは、アカネイア王国が大陸で唯一の国家であったことを知っている。当然、大陸全土をアカネイアは支配しているものだと考えていた。
「旧アカネイアが支配していたのは現在のアカネイア王国に加えてグラとアリティアくらいじゃ。オレルアンとグルニアは森林に阻まれ、マケドニアは海峡と山脈に阻まれ、そこまで支配はしていなかった。広さてとしては今のマケドニアのほうが広い。」
「それと……何の関係があるのですか。」
「今のマケドニアは、大陸全土に影響を行き渡すことができる……大陸全土を守護することができれば、もうわしが人を守ることもあるまい。」
 ミシェイルは考え込んだ。ガトーに頼らずマケドニアを、大陸を導く。このことに異論は無い。
 ミシェイルはまた、メディウスに思いをはせていた。ミシェイルがかつて選択を迫られた竜達と同じ立場に立ったときどのような選択をするか。おそらくメディウスと同じ行動を取るだろう。それでは、ナーガはなぜこの選択ができたのか。
 ミシェイルが考え込んでいる間に、ユベロが言う。
「……それが、あなたの意思かどうか、尋ねることは意味が無いことでしょう。しかし、メディウスが人に対する支配を行う以上、かの存在は敵です。」
 ユベロの答えは明解だった。ガトーの背景を知ってなお、メディウスは相容れない存在としてしか認識していなかった。
「ガトー殿、ガトー殿に限らず人に敵対しない竜もいるのだろう。……人は、彼らと共存することができるだろうか。」
 ガトーも黙ってしまった。ガトーの脳裏には、人を受け入れようとしないメディウスの一派の竜の考えがあった。
「……ラーマン神殿の奥に、竜がいたそうじゃな。」
 いかにも不自然な話題の転換だった。
「……はい。探索に行かせたのはドルーアをよく知る者です。そして、ドルーアのどの竜とも異なる竜だったと聞きました。その竜は少女から変化し、今まで見たことのない白い光に包まれた竜だったと。」
 ガトーがミシェイルを見据える。
「……その竜こそ、亡きナーガ様の忘れ形見、神竜族の王女、チキ様じゃ。チキ様は何も知らぬ。強い力を持っているが……それは滅び行く力じゃ。」
 ガトーの見せるなんともさびしげな表情に、ミシェイルは何も言えなくなっていた。「……どうされるおつもりですか。」
 そう聞いたのはユベロだった。
「言った通りじゃ。わしはラーマン神殿にチキと共にいて、もう外に出ることはせん。」
 ユベロも少し考える。
「そのチキとか言う竜の娘……長じて外に興味を持つこともあるのではありませんか。押さえつけられたまま生きて生かせるよりは、知識を実践から読み取らせて無茶をしないようにさせたほうがよろしいでしょう。その娘が今、どの程度精神的に成長しているかは知りませんが、何も知らずに外に出て、暴れられることだけは困る。」
 ユベロは、チキと呼ばれた竜の娘を、人と一緒に生活させようと言っているに等しい。ミシェイルも神殿に封じ込められるのは余りに不憫だとは考えていたが、ユベロはまた別のことを考えている。
「ガトー殿は一所にいるとしてもよかろう。しかし、娘に自由がないことは不憫ではないのか。」
 と、ミシェイルも言うが、ガトーは首を振る。
「人は我々の真の姿を見れば驚き、恐れる。我々と人を一つ所に住まわせれば、必ず良くない軋轢が生まれる。我々は、表に出るべきではなく、すでに影でも動くべきではないのだ。」
 ガトーのこの言葉にはユベロがすぐに反論した。
「ガトー殿、我々を見くびらないでもらいたい。他の国では知りませんが、ドルーア帝国の復興以前から竜人族と人が共存していた地域がグルニアにはあります。それに、あなたが神殿の奥深くにこもるとは言っても、そのチキという娘はいざ知らず、あなたは自由に出てくることが可能なはずです。何か状況に変化があれば、またあなたは自分の力で何かを変えようとするのではありませんか?申し訳ありませんが、あなたの今までの行動は私に対する信頼を大きく失わせています。」
「……チキという娘の話もあります。長じて人と敵対しないようにするためには、あなたの話だけではなく、人と信頼関係を築くことが大切なのではありませんか。人と接しなければ話があったとしても、不意な事故で人と初めて会った場合に争いになることもありそうな話しです。……おそらく、この場合は無用な争いを仕掛けるのは人でしょう。人の近くにいる事ができれば、近くにいた人を仲介に争いを避けることができるかもしれません。」
 グルニアに、竜人族と人が共存している地域があると言うのはミシェイルには初耳だった。そういった地域はマケドニアには少なくとも存在しない。
 もっとも、これはミシェイルが知らないだけだった。もともと竜人が隠れ住むことが多かったドルーア近辺の国家、グルニアとマケドニアの地域は、百年前にメディウスが復活する以前は竜人と人が共存するところもいくつかあったのだ。これらの村は、アカネイアの支配下になったときでも、竜人は人と同等の存在として村々にあった。
 百年前にメディウスが封印された後、竜人から力で独立を勝ち取ったマケドニアは、自衛の意味で支配領域から竜人を追いやった。追いやられた竜人は人の勢力の強いアカネイアの方へは行けないため、反対側の海を渡りグルニアへ逃れ、それを受け入れたグルニアの村落によって。そういった村がいくつか存在しているのである。
 それらの村の代表者はグルニア初代国王、オードウィンへ事情を説明し、オードウィンはそれを受け入れた。大陸には広く知らされている事実ではなかったが、グルニア王家では重要事項として王家の者に知らされる。
 もっとも、人質前の幼いユベロがそう聞かされていたとしても、完全には理解していない。真実であることをユベロが知ったのは、ドルーアでそういった地域からも軍の挑発が行われていることが耳に入ったからだった。
 ガトーも竜人と人が共存している場所があることは知っている。知っていてなお躊躇った。
「人といることで、人と敵対するようになればどうする。」
 ユベロの答えは明確であった。
「それは仕方がありません。人であっても国が二つあり、その意見が異なれば戦いが起き、大きな被害が発生します。……知識があった上での争いは、これと同じことです。無知による被害を被るよりはよほどましです。」
「……歩み寄りか……生きる者に不必要なはずの心配を取り除くことができるのであれば、私のマケドニアも協力しよう。」
 ミシェイルもこれに同意した。マケドニアはもともと竜人の奴隷から出発した国であったが、開戦時に首脳部の意思は対アカネイアで固まっていた。竜人の件も、グルニアが受け入れるのであれば周囲を納得させることは難しくないとミシェイルは判断した。
「……わかった……お主らに任せることにしよう。」
 ガトーはついに折れた。
「まずはグルニアを再興させなくてはなりません。ミシェイル殿よろしくお願いします。」
 やや苦笑まじりのユベロが言う。
「いや……まずはガーネフだ。こちらはユベロ殿の協力が不可欠だ。今となってはどちらかが欠けても問題だ。これからも頼む。」
 そしてマチスもだ。と、ミシェイルは心の中で続けていた。
 ガトーとは、それからカダインの地形、特徴などを話した。内情などもいくつか聞いた。ガーネフがカダインをそのままにしているはずは無かったが、聞いておいて損はない情報だった。
 またユベロは、ガトーに遠見の術を教えてもらった。ガトーが実演して見せると、ユベロはすぐにそれを習得して見せた。難しくとも、この術でガーネフの居場所を突き止めると、ユベロは二人に語った。
 日が西に沈み、これ以上は竜を飛び上がらせることができなくなるほどの暗さになって、ようやく一行は解散した。ユベロはいつカダインへ攻め込むのかと息巻いたが、ミシェイルはまず作戦の概要を決定してからだとユベロに告げた。
 しかし、ミシェイルはまず、マチスと各種方針を決定する必要を感じていた。マチスの回復は順調であるという。できるだけ早くマチスと会えるよう、ミシェイルは頭の中で自身の予定表をめくっていた。


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