>第一研究室
>紋章継史
>FireEmblemマケドニア興隆記
>二十一章
FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
二十一章 静寂の神殿にて
潜伏してから四年、カミユの過ごしてきた時間は決して充実しているとは言えないものであった。本来であればグルニアを解放する為に立ち上がり、行動をしているべきところであることは、彼自身も自覚している。
焦燥感が無いと言えば嘘になる。しかし、その行動指針ははっきりとしている。だからこそ、カミユはうかつに動くことができない。
現在のカミユ達は決してその存在を知られてはならない立場にある。グルニアを解放することよりもアカネイアのニーナ王女へ危害が加わらないことの方が重要である。潜伏場所にいる元黒騎士団団員達は少数であるが故にカミユのこの方針をよく理解し、従っていた。
国王のルイが崩御し、グルニアがその形式までもドルーアの支配下に入ってしまった時も、ユベロ王子、ユミナ王女の行方不明が知らされたときも、カミユは動くことはなかった。
数奇な成り行きでカミユと行動を共にすることとなったナバールは、カミユのその方針には文句を言うこともなく従っていた。人里離れた森の奥深くという不自由な境遇にも何一つ不平を言わない。強い男であった。
フィーナはカミユのところへ来てしばらくは色々と不平を言うこともあったが、滞在期間が三ヶ月、半年となる頃には不平の種もそうそう芽を出すことはなくなっていた。フィーナにしてみればこれでも元々居た旅芸人の一座と比べれば数段待遇は上だったのだ。
最初の内は臆していたこともあったものの、ニーナの相手もそう苦になるものではない。特に騎士達はフィーナに対して考えられないほど紳士的であった。騎士達にしてみれば婦人への接し方として当然とする部分ではあったが、庶民以下の生活しか知らないフィーナにとっては大きく驚くべきところであった。今では、フィーナの持つ最も大きな不満は、いつまでたっても通り一遍の対応しかしてくれないナバールになっている。
カミユ達は自由に使える時間の多くを武芸の鍛錬に費やしていた。特にカミユの槍とナバールの剣は甲乙つけ難く、カミユの年齢はすでに壮齢と呼ばれるものに近くなっていたが、その腕にはなお一層の磨きをかけていた。
ユベロとユミナがドルーアから脱出し、マケドニアを頼っていることはカミユには知らされていない。しかし、多方向の情報収拾からユベロ、ユミナがドルーアで行方不明となったことはカミユも知っていた。
ミシェイルは、ユベロにもカミユがマケドニアの保護下で潜伏していることを報せていない。ドルーアに敵対する意思をはっきりと表すことができるようになるまで、ミシェイルは可能な限り根回ししている情報を伏せるつもりでいる。
しかし、このことにカミユは悩んだ。二人の子に万が一のことがあれば、グルニアの王統は途絶える。今の状況下では、二人の探索を進めることもままならない。カミユの苦悩は周囲の者がそれと気付き、皆心配したくらいであるから相当なものであった。
カミユは、自分自身が率先してグルニアを動かさなければならないというのに、ニーナについているということを一番の問題としていた。ニーナを保護することは大陸にとっては確かに重要なことかもしれない。しかし、グルニアの民にとっては明日生きるための糧こそが重要な問題である。
カミユは自分を縛り付けているものがニーナに惹かれているという私情であることを疑っていなかった。ミシェイルに依頼されたこの状態を、五年、十年を見越してその行動を視野に入れていなかった自分も責めていた。
この事態が予見できたならば、ニーナの保護は信頼できる者に任せて自分はグルニア解放の為に戦うといったことも可能だったのではないか。カミユは潜伏期間が長くなるにつれて何度となくそう考える機会が増えていた。
実際にはミシェイルにも諭された通り、カミユが立ったところでグルニアを取り戻すことは非常に困難な状態にあることは目に見えていた。カミユがルイの方策に従っている間にグルニアの生産力は極限状態まで低下していたし、カミユの指揮する黒騎士団ですら腐敗を免れえぬ状態であった。そう、カミユにはカミユがドルーアに反旗を翻したとして、グルニアを解放するまでの道筋が見えていなかった。特に、ある程度の兵力を集める自信はあっても、それを維持することは不可能だと判断していた。
さらに、グルニアからは王子と王女がドルーア王都に人質となっている。彼らを盾に出頭を求められればカミユが拒むことは不可能だ。
カミユには、現在の状況把握から武装蜂起に意味が無いことがわかっていた。それでも尚、今こうしているのはニーナの側にいたいだけではないかという感情を捨てきることができなかった。最終的には国王に従ってきた心の弱さがカミユに何度となく問い掛けを発していたのである。
そういった鬱屈した感情が、二人の子息が行方不明となった時に知らず噴出したのだ。
そこにいた者の中で、最も立場的にしっかりしていたのはアカネイアのニーナ王女だった。ニーナはここでカミユの保護を受けることができなくなれば、さし当たって頼るべき者もいない。無論、アカネイアの王女であるからそれなりに礼を尽くす者は多くいるだろうが、それ以上に敵対する者がいる。その後の無さがニーナを強くさせていたのかもしれない。
カミユの部下達が苦悩するカミユへ様々な進言をする中で、ニーナはあなたがグルニアの王になればよいと、簡単に言ってのけたのである。
カミユには自分がグルニアの王となることだけはどうしても許せなかった。大恩あるグルニア王家を助けることもできず、どのようにしてグルニアの民に会わせる顔があるというのかと、そう思い詰めていた。
グルニアではカミユ自身へ民衆の人気は集中しているのだが、カミユはそれを王家への忠誠が自分に投影されているに過ぎないと信じて疑っていない。
カミユが持つとされている大きな美徳として語られる忠誠心は、それゆえカミユが国王には向いていないとミシェイルなどに言わせる要因でもある。カミユ自身も、能力的にも自分が国政に向いているとは考えていない。今までも、長期的視野で国を引っ張っていくのは内政に長けた国王であったルイの役目だった。
しかし、それでもニーナは言い切った。
グルニアの王統がなくなるのであれば、あなたはグルニアで王に次ぐ地位を受け継ぎ、民たちの支持を受けているのだから、その責任を果たさなければならないと。
この言葉はカミユと付き合いが長くなり、その場で唯一カミユを諭せるニーナだからこそ強く口に出せたものだった。そして、自分がグルニアの国民に対して責任を果たさなければならないと考えることができるなら、それはその通りだとカミユはひとまず納得したのである。
もっとも、事で悩んでいたのはほとんどカミユだけであった。ニーナは先に言った通り現状を維持することが最も安全であることを確信している。確かにカミユへ惹かれるところはあるのだが、決してそれだけではない。マケドニアの思惑も今は明確に理解できることであるし、それが間違いなければアカネイアを再興することもできる。今はマケドニアの動きを待つことが一番の選択肢であることをニーナはニーナなりに理解している。
カミユの部下達はカミユ自身とは異なり、大陸中に名前が知られているわけではない。彼らは、時々は大陸各地の様子を探りに行っている。だからこそ、グルニア解放の戦いを起こすことの無謀さを痛いほど知っている。グルニアにはドルーアへ反抗するだけの力は芽ほどもない。結局は部下達も頼むところはマケドニアなのである。
カミユも現状の戦況は十分に把握しつつも、グルニアへの忠誠心故に割り切れない心を持っている。政治家には決してなれないとミシェイルに言わせる男の側面がそこにあった。それでも、その場から動くことが正しくないことを知っているカミユは、外に向かって働きかけることはなかった。
大陸を巡る戦いは新しい局面を迎え、ガーネフがマケドニア軍をグラで撃退したこともカミユへ伝えられた。ガーネフに対抗するため二つのオーブが必要となり、カミユへラーマン神殿探索の依頼が届けられたのは、その情報と前後してのことである。
マケドニアに恩義を感じているカミユは一も二もなくこの依頼を引き受けた。
幸い、ラーマン神殿内部の状態についてはナバールが比較的詳しかった。以前、護衛を依頼された盗賊団にある程度詳しい話を聞いていたからである。
カミユ達はナバールを含め総勢四人でラーマン神殿の探索に向かうこととした。残り二人はフィーナとニーナの護衛として残る。
しかし、その一行にナバールが待ったをかけた。何が待ち受けているかわからない遺跡に行くとなれば、罠感知、罠外し、鍵開けに長けた者の同行が必要だとカミユに説いた。
それは、盗賊と呼ばれる盗みを生業とする人間に他ならなかった。どちらかといえば社会の闇の方に属する人種だ。貴族や豪商の館に忍び入り、金品をくすねるような者であればましなほうである。大体は、手当たり次第に盗みを働くもの、金さえ渡されれば人殺しだろうが何だろうがやってのける者、村を襲うにしても徒党を組んで破壊しつつ襲うものなど、国の兵士に捕らえられれば即座に首を刎ねられてしまうような罪人ばかりだ。
しかし、今回のように遺跡の探索に赴く時や、魔法に頼らず各地の情報を集めたい時などにはそのような技を持つものの同行は欠かすことができない。
盗みを働かず、探索の技のみを鍛えるような者もいないではなかったが、全体からすれば極わずかだ。それに、盗賊行為無しでそういった技術を鍛えることには無理もあった。特に、盗賊の世界で仲間を作ることができず、協力し合えないデメリットが非常に大きい。探索されるような遺跡など、今ではほとんどないこともあって、良い方面への名声だけで有名になっている盗賊(という書き方もおかしいが)はいない。
盗賊達の多くは盗みの情報交換と共にそういった依頼の情報交換もする為に、盗賊団のようなギルドを構成している。山賊や海賊の仲間となっているような者、盗品を各地に売りさばく商人など、構成人員は多彩でその組織力はあなどれない。
ナバールはそういった組織へ協力を要請することを強く勧めた。
大規模なギルドは、ギルド自体がなくなってしまえば盗賊達の統制自体が取れなくなってしまうため、大体の国はその存在を黙認している。そのくらいのギルドになればこういった依頼をすることにもある程度信頼がおけるのだ。
無論、カミユ達にそのような人種のつてがあるわけもなく、話はナバールを中心に推移した。
ナバールのような傭兵は、戦争や護衛などのまともな仕事が無ければ山賊の手伝いや人殺しの請負など、まともではない仕事に就くことも多い。ナバールも幾度と無く山賊や海賊の用心棒として雇われていた時期があるという。
傭兵の仕事は、だいたい大きな町の酒場に転がっている。国も富豪もならず者も、荒事を行う人探しをしようとすれば酒場へ依頼を持っていく。表の仕事も裏の仕事も雑多に集まってくる。盗賊も例にもれず、依頼をするなら、酒場を利用するのが手っ取り早い。そこで、事情に詳しいナバールが町へ出て、腕利きの盗賊を見繕ってくることとなった。
カミユの部下には、そういった者から機密が漏れはしないかと心配する者もいた。このことについて、ナバールは大方の心配はいらないと言った。こういった仕事をしている者は雇い主を選びはするが、自らの信用にかけて余計な詮索をするようなことは無いという。彼らの持つネットワークは強力であり、下手なことをすれば次からの仕事はない。
しかし、一通りの用心はしておく方が良いと、ナバールはいくつかの指示をした。
まず、黒騎士団の制服は当然着用を禁じられた。さらに軍刀や徽章の類も携帯、着用を禁じた。武器や服装は別個にナバールが用意することとした。
そこまでしても場違いな印象が強いのがカミユだった。見事な金髪とその長髪、どこからどうみても美男子と言えるその容姿は隠そうとして隠せるものではない。
ナバールはカミユに髪を短く切りそろえ、黒く染めるべきだと言った。カミユはナバールのこの進言に素直に従った。カミユの部下達はこの潔さに頭を下げた。印象を大きく変えたカミユを見て、フィーナだけは大きく騒ぎ立てていた。
ナバールがグルニア第二の都市、オルベルンで見つけてきたのは、グルニア北部一帯を縄張りとする盗賊団の一員で、ダールという男だった。聞けば、盗賊団の中でもかなり立場が上の人物らしい。
盗賊団とは言うものの、普段は傭兵として各国に雇われ、戦闘に参加することもある。ナバールは傭兵連中には良く知られた、半ば伝説と化しているような人物であるから、腕利きの盗賊を探すことも難しくはなかった。
実際、目的がラーマン神殿であれば探索のための人数を探すのも一苦労する。ラーマン神殿は大陸でも有名な遺跡であり、その中のめぼしい物はすでに何百年も前に盗掘され、今では探索するのはよほどの物好きしかいないからだ。以前、ナバールが護衛として雇われていた盗掘団も、元はといえば背後に金払いのいい、しかし決して表には立たないような人物の存在があった。
そのような状況だったから、依頼人がナバールのような人物でなければラーマン神殿の探索などに名乗りを上げる者はいなかったであろう。
その男の報酬として提示された額はかなりの額ではあったが、マケドニアが支払うのであるからなんら問題はなかった。ナバールは早速ダールといくつかの約束事をした。
ダールとの合流場所はラーマン神殿だった。グルニアの人里からラーマン神殿までの道は決して安全な道ではなく、森の中を獣が徘徊し、場合によっては野盗に襲われる恐れもあるような場所だ。
ダールは、集合場所はラーマン神殿の入り口でよいとナバールへ告げた。これは間接的にダールの腕のよさを証明することになる。ナバールはこれを了承した。
カミユは、普段から無口であまり喋らず、決して愛想がいいとはいえないナバールが、こういった交渉ごとを難なくまとめてきたことに驚いていた。ナバールはただ、生きるために身に着けたことだとだけ言った。
おかしな男だ。と、カミユは思った。
ナバールほどの名声と、傭兵の腕前を持った者であれば、どこの軍に所属を願い出てもそれなりの待遇は得られるだろう。確かに、死神の二つ名が示すように、ナバールを忌避するような人々も多い。だが、たとえばマケドニアのミシェイルのように名を取らず実を取るような人物であればそのようなことは取るに足りない些細な問題のはずだ。
結局ナバールは一箇所に留まることができない性質なのだろう。それでもカミユは、せめてグルニアの主権を取り戻すことができるまでは、ナバールに側にいて欲しいと願っていた。
三日後、ラーマン神殿についたカミユ達四人は、約束どおりダールと合流した。その場でそれぞれの紹介と簡単な打ち合わせを行うと、早速神殿の奥へと進む。
当然ながらダールへはナバールらの詳しい素性は知らせていない。ただ、目的についてはある程度教えなければ話にならないのでこれは伝えてある。もっとも強力な魔力を持った宝玉……という程度の情報でしかない。
しかし、この目的を伝えたことによってナバールは新たな情報も得ていた。ここ十数年、そのような物がラーマン神殿から発掘されたことは無いというのだ。ダールの属する組織は、グルニアの裏社会に比較的名の通った組織であり、この情報にはある程度の信憑性が持てた。
もっとも、その十数年という時間はダールが把握している範囲の話であり、それ以前にどの程度の間、人が立ち寄ることの無かった領域なのか、想像こそすれ確たることがわかることではなかった。
一行は薄暗い神殿の中をどんどん奥へと進む。一応、ランタンを用意してきてはいたが、日が差さないはずの神殿の内部は内壁がかすかな燐光を放っており、歩くことに不自由しない程度の明るさが保たれている。
ラーマン神殿の奥は深い。最奥部まで辿り着いたという記録は見つかっていない。
ラーマン神殿の入り口近くはそのほとんどが盗掘のために荒らされている。探すような宝玉があるとするのならば、人が踏み込んだ形跡もないほど奥にあるだろう。とは、ダールの言葉である。
盗掘が進んでいるような浅い部分に用事はない為、一行はどんどん進んでいく。
神殿の内部構造はそれほど複雑ではない。入り口からゆるい下り坂となっている太い道が真っ直ぐに伸びている。そこから両側に伸びる通路があったり、部屋の扉があったりしている。部屋の中やその細い通路の先、枝分かれした小部屋はほとんど盗掘されている。燐光を発している壁面や天井は非常に綺麗に平面に加工され、絵も模様も、もちろん案内も無く、歩く者の距離感を阻害させる。実際に、鬱蒼と茂った森の中にある入り口の印象からすれば、内部は不自然に広い。
誰が何のために建てたのかすら定かではない。ただ、描かれた壁画に竜と戦う巨人の姿があり、そこから来たのであろう、もういつからかわからない昔からここは神殿とか、寺院とか呼ばれている。実際にその広さを実感すると、人がこの建築物を建てることはとても不可能に思える。
有史以来、竜も巨人も、神話時代の伝承に中にのみ存在していた。百年前にメディウスが復活するまで、ほとんどの人々は知能を失った飛竜や火竜しか知らず、竜が勢力として目の前に立ちはだかるところなど想像だにしていなかった。
大陸には、そんな神話時代の遺物と言われている建造物が二つある。ここと、カダインのさらに北方にあると伝えられるテーベの塔だ。テーベの塔はカダインから荒々しい蛮族が跋扈する砂漠を長距離踏破しなくてはたどり着けず、いかに盗掘家でも探索に成功したという話は聞かない。
「ここからだ。」
だいぶ歩いただろうか。太い通路の突き当たりで、先頭を行くダールの足が止まった。
「ここから先はそうそう入り込んだって話を聞かねぇ。この両側の通路沿いくらいは見て回ることもあっただろうが、この先は俺も何があるかは知らん。」
ダールは通路の突き当たりから伸びる細い通路を交互に指差して見せた。
太い通路の突き当たりは丁字路になっており、横に真っ直ぐ伸びる細い通路と繋がっている。細いといっても大人が余裕を持って二列で歩ける程度の広さはある。
「行きましょう。」
一行はそこでしばらく休憩した後、カミユの一言で進み始めた。
右側の通路に入る。神殿の構造は今まで見てきた横道とそう変わることは無かった。試みに左右に連なる小部屋を探索してみたが、埃の中に机や椅子、粗末な雑貨などが散乱していることが見受けられるくらいで、目的の物はもとより、何らかの価値がありそうなものすら見つかりそうになかった。
左側へ入り込む通路があり、一行は更に神殿の深部を目指す為、その通路へ入った。ダールを先頭に慎重に進む。
そこから先は、しばらく阿弥陀くじの目のように入り組んだ通路が続いていた。積もった埃が、既に何十年か、何百年かと人が訪れていなかったことを示していた。
「噂にはきいていたが……複雑な構造をしてるな。」
ダールがつぶやいた。
確かにその遺跡は、神殿と呼ぶには複雑な構造をしていた。しかも、尋常ではないほど広い。地上から見れば、周囲をぐるりと回ってもそれほど時間が掛かるわけではないので、構造物の大部分は地下に存在しているのであろう。
全ての通路が直角に交わっている為、自分の向いている方角さえしっかり把握していれば迷う危険性は少ない。どちらかと言えば、同じ風景を連続で見せられていつの間にか自分の位置を見失っているタイプの構造をしている。
どちらにせよ、何かを安置するために作られたと考えれば、納得のいく構造だった。安置されている物が神聖性を持つ物であればその建物は神殿となる。特にこれだけの規模を持つ遺跡は大陸内に例がなく、重要な建築物であることは間違いない。
ただ、落とし穴や吊り天井、自動弓や槍衾などのトラップの類には遭遇することが無かった。このことに関してはダールが
「人が大勢集まる神殿に罠が仕掛けられていたらまずいだろ。」
と、言っていた。その理由は、カミユにはあまり納得のいくものでもなかった。どう考えても、この神殿が人が集まるために作られた建造物には思えない。
細い通路に入ってからは、周囲の小部屋もある程度は探索していた一行ではあったが、部屋の数が非常に多く、また中を調べても有用な物がない為、まずは遺跡の最深部を目指すこととした。
やがて一行は複雑な通路を抜け、再び広い通路に出てきた。音もせず、埃が雪原のように通路を覆っている。通路の上に足跡が無いことから、最初の広い通路とは異なる通路であることがわかる。
再び小休止した後、一行は通路を進んだ。その通路を進んでも、相変わらず侵入者を排除する為の罠がある気配はなかった。先頭を行くダールは、慎重に進みながらもその歩みが止まることはなかった。
通路は、場違いなほど広い広間へぶつかり、終わっていた。広間は闇に飲み込まれており、どれくらいの広さが有るのかは一見わからない。
カミユ達は始めてランタンに炎を点し、中空へ掲げた。
その広間は、広さも異常であったが何よりも高さが異常であった。ランタンを掲げて天井を映し出そうとしても、はるか彼方にかすかに文様が刻まれている様を見ることができる程度である。
壁には所々に文様や壁画が描かれていたが、基本的には殺風景なまま左右へ続いていた。正面は、ランタンをかざしても向こう側が見えるか見えないかと言った感じである。
カミユの中で警鐘がならされた。
ここまで大規模な広さではないが、アカネイアパレスにも大広間とか、ホールとか呼ばれるような空間がある。当初は、玉座と入り口を結ぶ通路上からは離れた位置に存在していたその広間だったが、ドルーア占領下となってから改築が行われ、その広間を通らずには玉座へ到達できないよう変更されてしまっていた。
それは、その広間を防衛の要としようと占領軍が考えたからである。もちろんそこにはドルーア帝国軍のマムクートが配置されている。
「皆、気をつけろ。竜が出てくるかもしれないぞ。」
カミユはその直感を皆に告げた。
「竜だって?旦那は竜の匂いでもわかるのかい。」
驚いたのはダールだった。ダールが感覚を研ぎ澄ませたとしても、そこに何者かがいるというようなことは感じない。
「この広間の広さは不自然だ。天井が高すぎる。儀式をするにしても、人を集めるにしてもここまで高くする必要があるのか?」
「ここなら、竜の姿で暴れられる……と言うことですか。」
黒騎士団もカミユに付き従ってきたような者であれば、友軍として戦闘してきたも竜の姿も知っている。慌てたのはダールだった。
「冗談じゃねぇ。竜なんか現れた日にゃ、消し炭になっちまうぞ。」
ラーマン神殿に奥があることは知られていても、このような広間があることは知られていない。ダールにしても、予想外のことであり、それ故に何が起こってもおかしくはない印象があった。
「だが、我々は宝玉を捜さなくてはならない。……皆、よいか。竜が現れたら戦おうとせず、この通路まで退くのだ。竜はその姿のままでは通路まで追いかけて来る事はできん。」
カミユの言葉に、ナバールと部下達が同意した。ダールはここから戻ることを主張したが、最後には渋々ながら奥へ進むことに同意した。
しかし、落ち着いて気を張り詰めてみれば、その広間に動く者がいる気配はない。改めてランタンを掲げたダールが先頭に立つと、一行は右の壁沿いに歩みを進めた。
殺風景な広間は壁沿いにしばらく進むと左に折れ、更に今までの二倍ほどの時間を進むと左に折れていた。どうやら、広間は辺の長さをかなり長く持った正方形をしているらしい。
その形から、カミユはその部屋に何かがあるとしたら広間の中心か、通路から直進した突き当たりの壁だろうと予測した。カミユはさらに壁沿いに進んだ。
一行の前に、祭壇が現れた。移動してきた距離から概算するに、通路の真正面だろう。
祭壇は多少高台になっていた。その上に上がり、ランタンで照らすと、五角形の石陣が見て取れた。五角形の中央には炎の文様。そのそれぞれの頂点にはくぼみがあり、内三つにこぶし大の大きさをした宝玉がはまっている。聞かされていたような重要な宝物を安置するにはいかにも粗末な作りに見えた。
「……これですかい?やけにあっさり見つかりやしたが。」
ダールの懐疑的な声を横に、カミユはそのうちの一つ、白い宝玉を取り出した。しっかりとはまっている宝玉を、短剣をつかって器用に掘り起こす。
宝玉は不意に外れると、カミユの手に収まり淡い光を放った。見る者を落ち着かせるやさしい光であった。
「これかどうかはわからぬが、ここより奥に進むこともできなさそうだ。これを持ち帰るより他あるまい。」
カミユは残る二つの宝玉を祭壇から取り外した。一つ、透き通っているようには見えないにもかかわらず、中から夜空のようなきらめきを窺がえる宝玉はナバールへ、くすんだ緑色をした宝玉は部下の一人へ手渡した。それらの宝玉は、カミユ達が探索を依頼された二つのオーブ、光のオーブと星のオーブに印象としては合致している。一行は、祭壇の周りをも念入りに調べたが、他に重要そうなものはない。
台座には、単純な文様が記されていたが、貴重な品がついているわけでもない。何か重要なことが書かれているのかもしれなかったが、ここにいる者に理解できるはずもなかった。
「戻ろう。帰りは広間を横切る。」
カミユの言葉に、皆めいめいにうなずく。一行は祭壇を後にし、帰路についた。
広間を進む。まだまだ広間の向かい側には距離があるころ、一行の目の前に現れた影があった。
「お兄ちゃんたち、だあれ?」
その影からは幼い少女のような声が聞こえた。余りに場違いであったので、誰もが空耳かと思い目を見合わせた。
最初にその少女に気が付いたのはダールであった。
「お嬢ちゃんどうしたんだい。道に迷ったのかい。」
ダールはばかばかしく思いながらも、その少女に声をかけた。
ダールが声をかけたころには、一行の全員がその少女の姿を認識していた。くすんだ色のローブに身を包んだその姿は、一見すると見習いシスターのようである。明るい場所であれば、少女の目の奥に不思議な色の光を見ることもできたかもしれないが、それに気付く者はいない。
誰もが目の前の少女に現実を感じていなかった。少女は少女以外の何にも見えず、そこから聞こえた声もまた、年端も行かない幼い子のものだった。話しかけたダールにしても、相手が幻であれば冗談ですむくらいのつもりでいた。
少女は、話しかけたダールではなく、奥のカミユを見つめていた。
「……その宝石は持って行っちゃだめなんだよ。おじいちゃんに怒られちゃうよ。」
咄嗟にカミユは警戒を強めた。少女は明らかに宝玉のことを言っている。まさかと思いつつもカミユは答えた。
「すまない。用が済めば返しにくる。少しの間預からせてもらいたい。」
少女は小さく首を横に振る。
「だめだよ。五つそろう前に一つ取られちゃったけど、もう持って行かせない。」
少女はそう言ったきり黙ってしまった。
「下がっていろ。」
カミユもナバールも異常な状態に最大限警戒していた。それまでふざけた様子でそのやり取りを眺めていたダールもさすがに警戒し、カミユの後ろに下がった。
「宝石は……あげないよ。」
少女がそう言うと、周囲の雰囲気が変化した。ドルーアの竜人と相対するような、闇に押しつぶされてしまうようなプレッシャーではない。どちらかと言えば真逆の、清々しい印象を受ける気をカミユは感じていた。
しかし、それは、人が受けるには強すぎる気でもあった。
カミユは自分の持つ宝玉をとっさにナバールへ渡した。
「走れ!」
カミユが叫んだ。躊躇する部下を横目に、真っ先にナバールが少女の横を走り抜けた。ダールがそれに続き、状況を把握したカミユの部下二人も続く。
少女の胸元から光があふれ始め、広間が照らし出されてゆく。カミユは佩いていた剣を真正面に持ち少女へ相対した。
走っていくナバール達が少女に邪魔されることはなかった。ただ、少女は放つ光を急速に増大させてゆく。
カミユはじりじりと後退した。
甲高い咆哮が、その存在にとっては狭すぎる空間に反響した。カミユは直感でそれが竜のものであると感じた。
光が収まらない中、カミユは光に向かって真横に全力で走り出した。光が収まってくると、今までカミユがいた場所をすさまじい勢いで光の霧が通り過ぎた。
霧の中から姿を現したその竜は、今までカミユが見たどの竜とも異なっていた。全身に光を纏い、その身は金色の鱗に覆われている。胸元は純白の毛で覆われており、カミユが今まで見てきて禍々しい雰囲気を纏った竜とは全く印象が異なっていた。
竜は、目の前から消えたカミユをゆっくりと探しているように見えた。
カミユは大きく竜を回りこむと、その死角から横腹に強烈な一撃を叩き込んだ。
カンッと剣は大きく甲高い音を立てて弾かれた。剣が折れるようなことは無かったものの、カミユの右腕は鈍く痺れていた。
竜が短く吼えた。カミユは痺れた腕でなんとか剣を持ち直すと、さっとその場を離れる。そしてそのまま逃走に移った。今の剣戟で傷を負わせることができないのであれば、この竜を倒すことは難しい。
同行者を先行させたのは正解だった。彼らは、上手く通路に逃げ込めたであろうか。
竜の放つ光に照らされて来たときとはまるで印象を変えてしまった広間の中を、通路に向かって一直線に駆けた。
竜が、立ち止まり首をもたげたのを、カミユは感じた。咄嗟に横に転がった。
一瞬前にいた空間を光の奔流が駆け抜けた後、カミユは左足に疼痛を感じていた。
見なくともわかる。足首から先がひどい有様になっていた。動物の皮で作られた靴は焼け焦げ、爛れた皮膚はいやな匂いを発していた。
竜は光の息を吐き出した後、しばし呼吸を整えているように見えた。
カミユは自分の左足が自重を支える役割を果たせないことを悟った。剣を杖代わりにし、無理やり右足のみで立ち上がる。通路までの距離はだいぶあった。
ここで終わるのか。しかし、カミユは無意識に通路へ向かい歩き始めていた。やるべきことをやらずして、このようなところで人知れず死ぬわけにはいかない。
竜は、追っては来なかった。剣が空を切り、金属がぶつかる音がする。カミユが振り向くと、ナバールがその二本の剣を使って竜を翻弄しているところだった。
早く行け。ナバールの動きがそう語っていた。
竜は目標を完全にナバールへ切り替えた。ナバールは竜の足近くをたくみに動き、その攻撃を受け流した。竜の巨体では、自分の至近にいる相手に対して機敏な行動を取ることができない。竜は光の霧を吐くこともできず、前足でナバールを捕まえようとしていたが、ナバールはそれを余裕をもって避けている。
そのままナバールは竜を相手に攻撃を避けつづけていた。
一方のカミユは入ってきた通路へ向けゆっくりと歩いた。
「大丈夫ですか!」
先行して通路に逃げ込んでいた部下二人が走りより、カミユを支えた。竜の出現によって周囲が明るくなり、通路へ逃げ込んだ部下達からもカミユの姿がすぐに見えたことが幸いした。一行は再び通路へ逃げ込んだ。
「命に関わるほどの怪我でもない。それより、竜の光が吐かれた時にこの一直線の通路では危険だ。脇道に避けるぞ。」
一行は、急いで横道にそれた。
ナバールは竜をいなしつつ、横目でカミユが無事に逃れたことを知った。十分時間を稼いだと判断したナバールは、剣の柄を握り締めた。汗が額を伝うのを拭いもせず、ナバールは集中した。竜の口の奥に、光が濃淡を持ってゆらめいている。竜の攻撃を竜の近くでしのぐことよりも、息の間合いから逃れることの方が何倍も難しいことをナバールは理解していた。
ナバールは一度竜の右足に剣を叩きつけ、竜の注意を逸らすと、その反対側に跳躍し一気に距離を取った。気が付いた竜が咆哮し、その口をナバールへ向かって大きく開ける。ナバールは、再度竜に向かって駆け、姿勢を低く取った。
竜の息吹がナバールの頭上を通過した。光の渦が消えず、熱気が残る広間を、ナバールは今度こそ竜に背を向け全速で駆け抜けた。
竜は息吹を連続で吐くことができない。ナバールはカミユが竜と相対している時にそう判断していた。そして、息吹は竜から離れた場所にいれば拡散して逃げ場所を失うが、竜に近いところであれば少し動けば避けることができる。
ナバールの動きに戸惑った竜は一瞬だけ動きを忘れ、ナバールはその隙に十分な距離を稼ぐことができた。
「こっちだ!」
通路に飛び込んだナバールへダールが呼びかける。ナバールは反射的に声が聞こえた方へ体を躍らせた。
一行がお互いの状態を確かめ合っていると、轟音を響かせながら光の霧が広い通路を通り過ぎていくのが見て取れた。間隔をおいて二度、三度、霧は通りすぎたが、やがて静まり、元の静寂が訪れた。
もはやその通路からは、竜が発していた光も見えなかったし、その少女も見えなかった。物音も全く聞こえない。見たことのない竜といるはずのない少女との遭遇に一行は今見たことが幻ではないかと疑ったが、カミユが負っている傷がそれを否定していた。
一通り安全を確かめると、一行は帰路についた。
「あの少女が、竜人だったのか?」
いつも口数の少ないナバールが、珍しく口を開く。
「そう考えざるを得まい……。だが、私が知っている竜とは特徴が全く違っていた。これはミシェイル殿には報せておく必要がある。」
一行の中では、カミユだけが実際の竜を見知っている。
「ドルーアの竜はあのようなものではない。もっと禍々しく暗い力を纏っているものだ。力は……先ほどの少女の方が強いようだったがな。」
カミユにはどうも納得いかなかった。遺跡に少女の姿をした竜人がいたこと。その竜からはドルーアの火竜、魔竜をしのぐ力が感じられたこと。遺跡の奥地まで難なくたどり着けたこと。その考えは結局正しかったのだが、自分達が何者かに誘導されてこのような結果になったのではないかとカミユは考えていた。
帰路に障害はなく、時間はかかったが無事遺跡の入り口に到達した。カミユと部下二人は、先行して隠れ家に戻った。ナバールは入り口に留まり、カミユの部下がダールへの報酬を持ってくるまでダールと共にいた。報酬を支払うと、ダールは一仕事終えたことの挨拶だけし、そのまま去っていった。一行はなんとか三つのオーブを持ち帰ることができたのだ。
カミユの怪我は、ニーナがリライブの杖で施術すると跡形もなく治った。骨までは傷ついていなかったことが幸いしたらしい。もっとも、普通に歩く分には支障はないものの、機敏な動作を取り戻すまでには幾分の時間と訓練が必要そうだった。
後日、カミユは遺跡で起こったことの詳細を書状にしたため、オーブを受け取りに来た竜騎士に一緒にミシェイルへ渡すよう手渡した。
カミユへオーブ探索を依頼している間も、ミシェイルは多忙であった。国外には動きを待っている状態のため、国内の整備に力を入れる。
ミシェイルはまず、魔道士隊の副長でめきめきと頭角を現しているヨーデルに目をつけた。それは軍事的才覚ではなく、内政的才覚を見抜いたものである。
ミシェイルが魔道士隊の予算が考えているよりもかなり少ないことに気が付いたのは、国の決済書類を処理していた最中だった。この時、エルレーンが独自に対ガーネフの研究を進めていることもあり、遥かに多くの財貨が魔道に費やされてもミシェイルは文句を言うことはなかっただろう。
気になって魔道士隊に詳しい者に聞いてみると、ヨーデルと言うカダインからエルレーンに付き従ってきた魔道士が魔道士隊の副長として魔道士隊の会計などこまごまとしたことを引き受けていることが判明した。エルレーンから直接話を聞き、緊張気味だったヨーデルとも直接話をした。
その結果、ミシェイルはヨーデルをマケドニアの財務大臣に抜擢することを決定した。もっとも、マケドニアには財務大臣という役職は存在しない。今ある役職者を追い出すことなく仕事を任せるため、新設である。
この大陸の国は国王の下は宰相がおり、軍事は複数の将軍が、政務は複数の大臣が取りまとめて取り仕切っていることが通常だ。そのほとんどは貴族階級に属しており、貴族以外が重要な役職についていたのはマケドニア以外ではアリティア、オレルアン、タリスくらいである。これには、各国の出自が如実に影響を与えている。アリティア、タリスは建国の王が平民出だったし、マケドニアに至っては奴隷階級の革命だ。グルニアのみ例外で初代オードウィン以来、この将軍の末裔が国王に就いている。とはいうもののグルニアにしたところで、この国の貴族階級である騎士階級以外から重職者が輩出されていることはほぼない。
オレルアンは本来アカネイアと関係を密にする貴族上位の国家であったが、ハーディンが草原の民との同調を図って以来、貴族上位はなくなった。もっともこれにはハーディンに反目する者と、ハーディン一派との内乱があり、力で勝ち取られたものである。ハーディンに敗れた残党が、ガーネフにそそのかされてマケドニア支配下のオレルアンを狙ったが、これはマチスに見破られて失敗に終わった。
こういった各国の重職者の中でも、宰相は国王に準じる地位として、いることもあればいないこともある。権限が大きくなりすぎるきらいがあるため、アリティアなどでは原則として設けない。アカネイアのミロア大司祭など、宰相とは呼ばれないものの、ほぼ同等の地位というものも存在する。これは、現在のマチスや、黒騎士団団長時代のカミユ、オレルアンの王弟ハーディンなどが立場上にたような位置にある。
宰相とはいかなくても、それなりに人数がいる大臣にはそれぞれ政務や財務、外交など主な役割が与えられる。しかし、それらは流動的で、それぞれがそれぞれの職務の境界を持っていないため、職務があいまいであり、非効率的なことが常であった。大臣は国政を補佐する立場にいるが、大体は自分の領地も持っているため、自分から政務を取り仕切ることはあまりなく、補佐官に任せっぱなしの場合も多い。
彼らは政務大臣、財務大臣などと呼ばれることはなく、ノア侯、サムスーフ侯などお互いは爵位で呼び合う。大臣は平民から見た彼らの呼称だ。
ミシェイルはこのうち、国の財務の一切をヨーデルに任せることにした。有能な補佐官を何人かつけ、他の貴族大臣は一切口出しできないようにした。マケドニアは、マチスを除くとほぼミシェイルの親政状態である。もともと少ない貴族大臣の領分はこれによってさらに削られた。また、ミシェイルの負担の方は大幅に軽減されるはずであった。
エルレーンについては今まで大隊長格であったのを正式に将軍格とした。将軍の下には大隊と呼ばれるほぼ千人単位の軍が四つから八つ程度つくのだが、魔道士隊はその一つにも満たない。そんな魔道士隊を一つの重要な部隊として、マケドニアの一翼を担う立場を与えることをミシェイルは選択した。当然のことながらヨーデルが抜けることによる運営面での補佐や予算面は特に充足することをミシェイルは約束した。
ミシェイルにとっては、マチス一人に負担をかけるわけにもいかず、その分担を狙った人事でもあった。二人の就任式典は王宮で盛大に行われた。二人はマケドニア出身者ではなかったが、この就任は平民達にも好意的に受け止められた。もとより平民達に強く支持されているミシェイルが決定したことである。大きな不満も、問題も出ることはなかった。
その後、ミシェイルには相次いで二つの報告がもたらされた。
ひとつは良くない報せである。ガーネフの軍がアリティアを制圧したというのだ。
この報せは、ミシェイルが大陸各地に放っている密偵と、ドルーアの外交筋両面からもたらされた。
ドルーアからは、ガーネフの魔道軍とグラの連合軍との激しい衝突によりアリティアが失われたと聞かされたが、密偵による話はかなり異なる。確かに、グラの軍もアリティアへは侵攻していたのだが、実質的に戦ったのはガーネフ率いるカダインの魔道士達。しかも、極少数だった。
ドルーア側は、アリティアに竜人を配置していたが、ガーネフの魔法の前には無力であり、ろくに抵抗もできずにアリティアは陥落したのだ。
ガーネフは変則的ながらカダインからアリティア、グラと近い位置にある二つの島国を手中にしていた。ガーネフに人を統治するつもりはなく、実質的にはグラの兵力が駐留しアリティアの管理をしている。
もう一つの報せは良い報せである。ようやくマチスが意識を取り戻したのだ。
その日、エリエスが看病の途中、水を取り替えて戻ってくると、目を覚ましてじっとしているマチスがいた。
「マチス様!」
長い時間寝たままの体は、腕も足も痩せて細くなっている。目を開けていることに気が付いたエリエスは慌ててマチスへ駆け寄った。マチスの唇が細かく動くのが見て取れた。
「エリエス……ですか。……夢をみていましたよ。天馬に乗った騎士や、赤い鎧を纏った騎士たちが、闇の底から呼んでいるのです。闇は深く、とても相手の姿が見えるわけはないのに、私からは彼ら一人一人の姿がはっきりとわかるのです。」
マチスの声は消えるような小さい声だった。
「マチス様、しっかりして下さい。」
エリエスの目からは涙が溢れていた。
「エリエス、随分と心配を掛けてしまったようですね。」
マチスは体を起こそうとして、失敗した。腕の力が上半身を支えきれなかったのだ。エリエスは慌ててマチスの体を支えた。
「……私が……倒れてから、どれくらいが経っていますか。」
「……三週間ほどです。」
マチスは、細くなってしまった自分の腕をじっと眺めていた。エリエスにはマチスが何を考えているのかがわからなかった。ただ、マチスはじっとしていて消えそうな印象があり、エリエスにはそれが何よりも心配で、こぼれるものを拭うこともなくマチスを見つめていた。
一方のマチスは、目を覚ましたことをしっかりと意識し、正しく判断する能力を取り戻していた。ただ、自分の腕を見て、どれほど細くなったのかと思いを馳せていた。これでは、鏡を見たときに驚いて気を失いそうである。
「エリエス……安心してください。ここは戦場ではありません。私が目を覚まして……あなたがいるのですから、もう私が倒れることはありません。」
目の前のエリエスをとにかく安心させるためだろう。マチスはしっかりとエリエスを見つめ、呟いていた。
エリエスは涙ながらに何度も頷く。
「……もう少し……休ませて下さい。」
それだけ言うと、マチスはゆっくりと目を閉じた。不安にかられたエリエスだったが、一時期に比べれば血色の良くなったマチスの表情を見て落ち着きを取り戻した。
次に起きた時、マチスは少量ながらエリエスの作っておいたスープを飲むことができた。一夜明けてもマチスの意識がはっきりしていることを確認すると、エリエスは伝令にマチスの意識が戻ったことを伝えさせた。
伝令を受けたハーマインはすぐに王城へ伝令を飛ばした。また、マチスへ面会しようとしたが、エリエスに断固拒否された。
エリエスはマチスがある程度回復するまで、ハーマインだけでなくミシェイルにも合わせない覚悟でいた。熱心なマチスのことだから一度会談となったら、無理を押すに決まっている。
ミシェイルもそれを知ってか知らずか、マチスについては回復に専念せよと通知するに留まっていた。