>第一研究室
>紋章継史
>FireEmblemマケドニア興隆記
>二十章
FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
二十章 霞む時
自由に動くことができるようになったエルレーンは、魔道士隊の雑務をヨーデルへ任せ、自分なりにガーネフへ対抗する術を編み出すべく研究に没頭しつつあった。
この時に本人は気付いていなかったが、エルレーンはガーネフの魔法を目の当たりにして生きて帰ってくることができた数少ない例だった。大司祭ミロアと言い、ガーネフに制圧されたカダインの権力中枢と言い、ガーネフが敵視した者は皆ガーネフの魔法がどのような物か意識することも無く世を去った。
ガーネフはメディウスとお互いを滅ぼすことができず、ガーネフには弱点が無いと言われている。だが、誰もその理由までは知らなかった。ガーネフを何故傷つけることができないのか、メディウスのようにどのような剣も魔法もはじき返す強靭な体躯を持っているわけでもない一介の魔道士には過ぎた形容である。
マケドニア軍がガーネフと対峙して始めてその理由の一端が判明した。もっとも、これらはエルレーンが見たことに基づいて思考している為、必ずしも正しいとは限らない。それでも、今までの情報からすれば段違いに有用な物であった。
エルレーンはガーネフの魔法を見てすぐに、これは闇の魔法であると直感した。もっとも、その時のガーネフはあからさまに闇を自身の周りに漂わせていたのだ。エルレーンでなくとも、魔法に詳しいものでなくとも、そう感じる者は多くいただろう。
しかし、魔道士にとって、闇を操ると言うことは特別なことを意味した。
魔法は、自分の魔力を媒介に自然にある力を集めて発散させて大きな力を得る。扱うことができる力の種類によって癖があり、魔道士によって得手不得手が存在する。
例えば、エルレーンは雷の魔法が得意だし、マリクは風の魔法が得意だ。エルレーンなどは風の魔法をも習得したかったのだが、風の魔法については同時期に修行していた弟弟子のマリクに劣り、修得することがかなわなかった。エルレーンは、マケドニアで魔道士隊長となってからもその劣等感をぬぐいきることができていない。
こういった魔法の種類で良く使われるものは大きく四種類に分類される。火、雷、氷、風だ。基本的に後者ほど扱いが難しい。
しかい、さらに扱いが難しい……と言うよりはほぼ扱うことができない魔法の種類が存在する。それが光と闇である。
光の魔法を使用できた魔道士は現在のところただ一人、大司祭ミロアのみである。ミロアが使用した魔法として名高いのがオーラの魔法だ。光の奔流で目標を包み込み、取り潰し、四散させる究極の魔法である。その実際の威力を知る者は少なく、話のみが大陸中に伝わっている部分も多いが、カダインにいた者はそれが確かに実在する魔法であることを知っている。
闇の魔法はカダインの中でも存在しないと言われていた。ただ、光の魔法があることからその存在は常々示唆されていた。存在しないと言われながらも存在しないことが証明されることもなかった。
闇の魔法に関する議論についてはエルレーンももちろん知っていた。だからこそ、エルレーンはガーネフが闇を纏っているところを見て驚愕した。
ガーネフの魔法は攻防一体の術であった。
ガーネフが纏っている闇は極上の鎧であった。こちらの魔法はガーネフが纏っている闇に吸い込まれるようにかき消されていた。放たれた矢は十分な力で射出されているにも関わらず、ガーネフにたどり着くことなく失速し地に落ちた。近接戦を挑もうにも見えない壁が存在しているがごとく闇に阻まれ、跳ね返されていた。
ガーネフの攻撃はその闇を千切り、目標へ大量に射出するものであった。その闇の塊は命あるものに触れるとそれを奪った。
エルレーンはこれをとてつもなく密度の高い闇の魔力であると考えていた。物質に干渉できるほどの高密度な魔力を纏い、完全な防御力を得る。またこれを切り離して、防ぐことができない攻撃とする。
ここまでの結論はよかった。しかし、どのようにすればこれを打ち破ることが可能となるのか全く想像がつかない。闇の防御を無効化し、その向こうにいるガーネフをしとめるには。
エルレーンは何とかして光魔法を自分のものとできないかどうかを模索することにした。闇に対しては光と言うのがまずはエルレーンの単純な論理の帰結だった。
だからと言って、簡単な道ではないことは明らかであった。エルレーンも光や闇の魔法について調べたことがなかったわけではない。しかし、それらは極端に資料が少ないのだ。
今は比較的下位の魔法ですらカダインの高司祭にしか行えない魔道書の生成。エルレーンはそこまでを視野に入れる必要性を感じていた。
無論、光の魔法や闇の魔法を何も無いところから作り上げることなど、カダインの高司祭でも可能かどうかはわからないことである。しかし、おそらくはガーネフはそうして闇の魔法を作り上げている。この程度ができなくてはガーネフに対抗できない。
エルレーンは、かつて取得しようとして取得できなかった風の魔法を越えるものを手に入れようと、研究に力を入れた。
さすがのミシェイルも、マチスが重傷であるという知らせを受けては平静では居られなかった。もっとも、その動揺は、よほどミシェイルのことを良く知るものでなくてはわからなかっただろうが。
ミシェイルはガーネフがより大きな現実的脅威となっていることを再認識した。幸運だったことはエルレーンの観察眼、文章表現力、記憶力が確かであり、ガーネフのことをよりよく知ることができたことである。
今まで、メディウスとガーネフしか知らなかったであろうガーネフの力。しかし、これに対抗するとなるとミシェイルには雲を掴むような話であった。ガーネフに対する対抗策の研究をエルレーンが始めたことは、ミシェイルもミネルバを経由して聞いていた。目下のところ、魔法に詳しいエルレーンに頼るしかなかった。
マチスについてはガーネフとの戦いによって負傷し、レフカンディにて療養中であるとのみ発表した。ミネルバはその発表の上でマチスの代理としてオレルアンへ向かわされた。
マチスの状態は、それ以上のことは発表することもできなかったため、マケドニアの王都とはいえさまざまな憶測が噂として飛び交うことを止めることはできなかった。今となってはマチスも民衆にとってはミシェイルやミネルバと同等の尊敬を向ける対象である。これからの行く末に不安感を唱える声が巷間に多く聞かれた。
ミシェイルとしてもこれからのことには大きく頭を悩ませていた。現状を維持することに不安は無い。オレルアンの統治システムはマチスがいなくても問題なく稼動する。ミネルバはどちらかと言えば監視役である。
ただ、ガーネフがこのままでいるとは思えない。ガーネフへの対抗手段の模索はすでにミシェイルではどうにもならないレベルとなっている。そのような状況下での、最も頼るべき存在の不在である。
ミシェイルの希望はエルレーンの解析に掛かっている。しかし、エルレーンとは別にガーネフとの戦闘があったことを聞き、その詳細を知りたいとミシェイルに強く働きかける者がいた。
グルニアのユベロ王子である。
マチスとガーネフ、互いが率いる軍勢の間で戦闘が行われた時期は、ユベロ達がマケドニアを頼ってから二月程度しか経っていない頃である。
ユベロ達はミシェイルへ保護を求めたあと、マケドニア王都郊外のとある屋敷へ逗留していた。ミシェイルが戦時にあたり、半ば強引に有害な貴族の領地を取り上げて増やした直轄領。そのうちの一つの領主が館として使用していた屋敷だった。それなりに豪華である。
マケドニア領へ保護を求めたユベロ、ユミナ、シーマ、オグマ、サムソンの総勢五人がその屋敷に暮らしていた。公に帰還したことがわかると問題があるマリア王女も一緒にいる。
屋敷は、ミシェイル直属の竜騎士団が管理していた。もっとも、竜騎士団の担当者は、食料や日用品などの必要なものを屋敷に運び込む程度のことしかしない。他には厳重に口止めをされている住み込みのメイドが二人ほど勤めている。
屋敷は二、三人の兵士が常に周囲を見回りしているが、警戒らしい警戒は全くなされていない。屋敷の中にいるのは百戦錬磨の剣士オグマ、それに同行するサムソンもかなり腕が立つように見えたし、ユベロの魔法も手強いだろう。これだけの人物を警戒させずに押さえ込むことなど到底不可能だと、ミシェイルは最初から諦めていた。自由にさせておけば外からの襲撃にも上手く対処してくれるだろう。
彼らが逃げ出すことがあれば、その時はその時だとも考えていた。グルニアをまとめるためのもう一つの手は大分前から打ってあるのだ。
だから、彼らの外出も特に制限を設けず自由にさせた。自分たちの立場を思えば、そうそう外出などしないだろうとミシェイルは多寡をくくっていたのだ。しかし、その考えは甘かった。
ユベロとオグマの二人は積極的に外出したのである。
ミシェイルは念のため、マリアだけは外出を固く禁止した。さすがにマリアはマケドニア王都ではその姿を知られすぎている。
もっとも、オグマは人目を避ける術に長けている。ユベロは王子とは言え隣国の王子で、しかも六年間ドルーアに幽閉されていた身である。昔の面影は極親しい人でなければ見出せないだろう。今のところ、騒ぎとなるようなことは起きていない。
ユベロが外出して行っていることは二つ。街に出て情報収集と、郊外に出て魔道の鍛錬であった。ユベロの魔道は、技量を見ればつたない面もあるが、魔力を考えれば他の者は到底追従できないレベルにあった。純粋に魔力をぶつけ合ってユベロにかなう魔道士はそうはいないはずだ。
また、長い間ドルーアに閉じ込められていたことで周囲の情勢を知ることができなかったユベロは、積極的に大陸の情報を欲した。しかし、マケドニア領内の情報は入手することができても、ユベロが一番知りたがったグルニアの情報はほとんど入ってこなかった。
ドルーアの支配下となっている地域とは一部の商人などが行商などをしているため交流がないわけではない。しかし、好んでドルーアの地へ行こうとする者は少なく、その現状となるとマケドニアの王都でも知っている者は少なかった。
特にグルニアの場合は、海を隔てている分ドルーアの王都よりも遠い。また、国王ルイの崩御以降、完全にドルーアの支配下に置かれその実情をうかがい知ることは普通にはできない状態にあった。
それでも町にいれば色々な情報が入ってくる。ユベロはマケドニアへ来て始めて、ガーネフによるドルーアの王都襲撃が突発的に行われたものではないことを知った。そして、カダインが支配するグラへの侵攻が失敗し、マチスが重傷を負ったことも知ったのだ。
マチスがどのような傷を負ったのか。そこまでは明らかにされてはいなかったが、そうそう簡単に大将のいる本陣へ攻め込まれていることが不自然であった。
また、今回始めての活動となる魔法隊が今回の戦闘で大きな被害を被ったという情報もユベロは手に入れていた。これは、街の噂程度の情報でしかなかったが、ほどなくして魔道士隊隊員の追加募集が大々的に行われるに至って、正しい情報であるとの確信に変わった。
グラの戦力そのものがどれほどのものか。ユベロにはその正確なところはわかるはずもなかったが、ドルーアからガーネフの側へ寝返った直後、しかも長らく内部で混乱をしていただろうことから本来の国力から見ても脆弱な戦力しか持っていないだろう事は予測できた。
それにもかかわらず、今回のマケドニア軍の敗退は余りに早すぎた。易々と総大将が危機に陥っているのもおかしい。
おかしいが、それらが矛盾無く実行可能な方法が存在する。それが魔法だった。強力な魔法ならば少数で軍隊への打撃を与えることが可能だ。また、ワープの杖などの転移手法があれば直接総大将を狙うこともまた可能だ。
そして、魔法戦となればマケドニア側で主力になるのは白騎士団と魔道士達のはずである。本陣急襲という面だけを見れば、精強な軍隊の奇襲攻撃が行われた可能性もあるが、魔道士の数が減っていることからも魔法戦であった可能性が高い。
ユベロはマケドニア軍はグラの軍に敗れたのではなく、カダインの軍に敗れたのだと予測した。だとすれば戦闘において重要な位置を占めているのは敵、味方共に魔法の運用であるはずである。
魔法を主軸にした戦いがどのように遷移したのか、ユベロはそれを知りたがっていた。
ユベロはこの件について、ミシェイルへ度々会見を申し入れた。この時、マケドニアの側でユベロ達の存在を知っていたのはミシェイルとミネルバ、そしてその直属のわずかな人達だけであった。ユベロからマケドニア側へ何かを要請するにはミシェイルへ要請するしか方法がなかった。
ただ、ミシェイルも多忙である。ミネルバをオレルアンへ移動させたため、ますます多忙となっていた時期でもあり、ユベロの話を聞いている余裕はなかった。それでもユベロは繰り返しミシェイルとの会談を望んだ。
そこで、ミシェイルはエルレーンから送付された戦闘の報告書をユベロへと送ることとした。本来は軍の機密書類であるから他国の者に見せるなどということはないのだが、ミシェイルはその報告書にユベロに知られて不都合なことは特にないと判断した。
報告書を受け取ったユベロは早速これを読み出した。そして、ユベロはガーネフとの直接対決があったことを知ったのだ。
ドルーアで竜人族の知識を吸収したユベロにとって、そこに書かれていることは驚くべきことだった。
ユベロは再びミシェイルとの会見を望んだ。ガーネフが使用した魔法について話があると、ミシェイルを呼んだのだ。
それでもミシェイルは忙しく、何度か書状でのやりとりが続いた。しかし、ガーネフに対抗する方法についての話になると、ようやくミシェイルはユベロの元へと赴くこととなった。話が有用なものであれば、マケドニアが抱える問題が一つ無くなるかもしれない。
公務の合間を縫い、ミシェイルは密かにユベロの屋敷を訪れた。
「ガーネフに対抗する術があるとか。」
形通り一通りの挨拶を済ませた後、ミシェイルは早速本題を切り出した。
「その前に。ガーネフが使った魔法が闇の魔法だと言うことは明らかなのですか。」
「エルレーンの報告を信じれば正しいと言うことになる。予も直接見たわけではないから真偽のほどをここで断言することはできぬ。しかし、ユベロ殿もその報告書は読んだのであろう。」
報告書はわかりやすく詳細に書かれていた。ガーネフの魔法の特徴など、見たものでなければ想像も付きつきそうなことが無いようなことも書かれていた。報告書に書かれているように魔法を防御に使用することは一般的ではないかもしれないが、できないとも考えられていない。
ミシェイルはその報告書に書かれていたことは正しいと判断した。
「それに予はそれほど魔道について詳しいわけではない。そこに書かれている内容が正しいかどうか、予よりも貴殿の方が判断できるのではないか。」
すると、会談に当たって持ち歩いていたのであろう、ユベロはその報告書を取り出して見せた。
「……確かに、ここに書かれていることは実際に起こったことでしょう。しかし、闇の魔法はそれほど容易に実現できるものではありません。」
「それを実現したからこそ、ガーネフは今の地位にあるのではないかな。」
ユベロがおかしなことを言っている、とミシェイルは感じていた。ガーネフが特殊な魔法を操っているという話は、不思議でも何でもない話であった。むしろ不思議なものと受け止めず、滅ぼさなければならない存在が用いる現実的な力として向き合わなければならない話だ。しかし、ユベロは闇の魔法を使うことはできないと言っているようにミシェイルには聞こえる。
「そうではありません。闇の魔法は、人が生み出すことができる魔法ではないのです。ガーネフに魔法を与えた何者かがいるはずです。」
「……どういうことだ?」
ミシェイルは話の筋が読めなかった。しかし、このことを確認しなければ話は先に進みそうにない。
ユベロはドルーアの書庫で手に入れた知識を語った。
炎や雷など魔法と言うのものは、魔法書を介在して行使されるが、これは光や闇の魔法だとしても変わりは無い。
「光の魔法?そのようなものがあるのか?」
「ガーネフに敗れたアカネイアの大司祭、ミロア様が使ったオーラの魔法です。しかし、大司祭はオーラの魔法を持ちながらもガーネフに敗れました。」
「つまり、光の魔法でもガーネフに対抗することはできないと?」
「いえ、それはわかりません。もしかすると大司祭は不意を打たれオーラの魔法を使用することができなかったのかもしれません。」
確かに、アカネイアのミロア大司祭がガーネフに暗殺された話はミシェイルも聞いていた。真偽のほどは定かではない。真実はおそらくガーネフにしかわからないことであろう。
「ガーネフがミロア大司祭を害したことは確かなことなのか。」
さも見てきたかのように語るユベロに、ミシェイルはつい聞き返してしまった。
「……確実とまでは言えませんが、カダインの魔道士達にとっては周知の事実とのことです。しかし、重要なことはそこではありません。」
ミシェイルは冷静に対処した。どうやらユベロにとっても確実なことではないらしい。ユベロの断定口調には気をつける必要がありそうである。
「一番の問題は、ガーネフがどのようにして闇の魔法を手に入れたのか。その方法です。」
そう主張するユベロの、続く説明はこうだった。
魔道書の作成は竜人族が人に一つの技術として与えた手法だと言うことである。竜ほどの強力な能力を持たない人に、これに代わる力として魔法を与えたのだと。
いくつかの魔道書と共にその作成技法も伝授された。しかし、人が高度な魔道書を作り出すためには個としての能力がどうしても足りない。
「確かにこれらは私がドルーアでドルーアの書物から手に入れた知識であるのですから、真偽のほどを証明する術はありません。しかし、このことが事実であるとすれば納得がいくことも確かなのです。」
ユベロに言わせると、光の魔道書そのものについて、大司祭ミロアが使うオーラの魔道書のみしか存在しないのがそもそもおかしいという。強力な魔道書であるのならば、大量の作成が試みられているはずで、それがミロアしか保持していないのはそれ以上の魔道書を作成できないからに他ならない。
「……竜人族が人に魔法を与えた?ドルーアが人と友好だったことがあるのか?」
ユベロが首を振る。
「いいえ。人に魔法を伝えたのはドルーアの竜人族ではありません。人に味方する竜人がいるのです。……千年前から伝えられる伝説を知っていますか?」
「……話だけならばな。」
それは、ミシェイルも聞いたことがある伝説であった。いつ、誰によって綴られ、まとめられたかすらもわからない古い古い話である。大陸に流布されている通説によれば、その伝説に語られる事件が発生したのはおよそ千年ほど前であると言う。
この年代には全く信憑性が無い。アカネイア聖王国が成立してから六百年余り経っているのだが、それ以前の歴史になるとほぼ記録が存在していないのである。
その伝説とは、人々が竜の脅威に滅ぼされようとしていた時に、救いの神が現れ、竜達を撃退したという内容のものであった。これより他に要約しようも無い単純な話である。
しかし、人の間では忘れ去られていてもドルーアにはその時の記録が克明に残っていた。ユベロはそれらを読み解いていたのだ。
ユベロは、ドルーアに残されたドルーアから見た歴史を語る。
千年前のその時期は、丁度人と言う種が大陸中に広がろうとしていた時期であった。
当時、大陸を支配していたのは竜族であった。竜族は高い知性、強靭な体躯、長い寿命を持ち、繁殖力こそ低かったもののそれを補って余りある能力を使い安定した社会を築いていた。
しかし、いつのころからかもともと弱かった繁殖力は極端に衰え、人口の増加が皆無となった。同時に、知性を失い野生に帰り周囲を破壊して回る竜族が現れ始めた。
知性を失う症状は一種の病気とされ、回復方法が検討されたが、一度知性を失った竜族を元に戻すことは高い知性を持つ竜族でも不可能であった。かろうじて見つかった対処法は、自分の力を石へ封じ込め、人の形を取り細々と生きることだった。
原因は不明ながら竜族の持つ強すぎる力が知性へ悪影響を与えているのだと言われた。
その症状はその次代の比較的短い期間に急速に伝播したものであった。なぜ、そのような特殊な症状が急に竜族へ蔓延するようになったのか。竜族の賢者達は、能力的には竜族に大きく劣るも、繁殖力の強さから大陸中に広がりつつある人と、自分達の惨状を鑑みて、竜族に種族としての寿命が来ているのだと結論付けた。
竜族の長、神竜族のナーガは天命を受け入れると、竜族はおとなしく滅び、大陸の主を竜族から人へ移行するべきだという考えを示した。
その時すでに、知性を失った竜が人を害する問題が多発していた。ナーガは竜達に人を害することが無いよう、力を石へ封じ込めることを義務付けた。力の封じ込められた石は独特の光彩を放ち、竜石と呼ばれるようになる。こうして、力を封じた者は竜石の力を借りて竜になることができる人となった。これらの者が今もなお竜人族、マムクートと呼ばれる存在である。
しかし、ナーガの独断に反発する者も少なからず存在した。その多くは力を竜石へ封じることを拒み、やがて知性を失い、人を襲うようになった。
竜の長として、その能力的にも他に比べ勝るものを持っていたナーガは、泣く泣くこうした竜達を処分し、人を守った。これが今に伝わる伝説となっているのだと言う。
「……確かに興味深い話であるが……では、そのナーガとやらが人に魔法を与えたと言うのか。」
ユベロが話した伝説の話は、長くはあったが前振りでしかない。
「いいえ、ナーガは程なくして寿命を迎え世を去りました。残されたのはナーガの娘。そのナーガの娘を保護しつつ、人の世界に干渉を続けた神竜族の者がいるのです。」
「……何者だ。」
「巷間で大賢者と呼ばれるガトーです。」
ミシェイルは唸った。そしてどこかで納得もしていた。
三賢者と呼ばれる人物がいる、大賢者ガトー、大司祭ミロア、そしてガーネフ。ガトーは通称的に大賢者と呼ばれる。ミロアは生前、アカネイアの大司祭を務めていたのでその後も大司祭と呼ばれている。
ガーネフは特に特殊な呼ばれ方をしていない。ガトーに師事していたことから賢者の一人に数えられてはいたが、その実情は最も知られていない。カダインを掌握しドルーアと手を結んで以降は闇の魔王などと呼ばれることもあるくらいである。カダインを自分の物とする以前に独特の地位についていなかったことも、特に呼称が決まってない一因でもあるだろう。
ガーネフとミロアは共にガトーの弟子である。ミロアが既に亡く、ガーネフと接触することが不可能なだけに本人の口から確証を求めることは難しいが、これは確かなことであるらしい。生前のミロアがそのようなことを言っていたという。ミロアとガーネフではガーネフの方が兄弟子であるという。
おかしいのはカダインの歴史だ。カダインは何も無い砂漠に作成された学術都市として二百年を超える歴史を持っているが、その創始者がガトーであるとされているのだ。
ガーネフとミロアが師事したという話とこれは辻褄が合わない。少なくともどちらかが偽者になる。だからこそ、巷間ではガトーの存在その物が疑問視されていた。
しかし、ガトーが竜人族であるなら話は別だ。竜族は二千年や三千年の時を平気で過ごす。今までの不可解な伝承の数々もガトーが竜人族であるということならば合点が行く。
「つまり、私が考えるところ、ガーネフに対する対抗策はガトーへ尋ねるのが最も早い道だと言うことです。」
ユベロの結論は、ミシェイルには多少強引過ぎるように感じた。
「それは余りに難しすぎるのではないか。」
ガトーはカダインを去って以降、人の前に現れたことがない。未だ大賢者として存在しているのかどうかも定かではない。
「そうです。ガトーの居場所がわからない現状では難しすぎるでしょうし、仮に会えたとしても協力してもらえない可能性もあります。」
「……それではどうするのだ。」
「他に魔道書を作る方法があるのです。ガーネフはおそらくその方法を用いて独自に闇の魔法を作り、自分のものとしているはずです。ガトーがガーネフへ闇の魔法を与えたとは考えられませんから。」
ユベロの話は回りくどく、なかなか核心へ迫らない。
「その方法は、強い魔力を持つ道具を利用するというものです。また、千年前の話に戻ります。」
千年前、神竜族のナーガは野生化した竜族から人を守ったが、竜族を抑えきれたわけではなかった。竜族の中でも力の強かった地竜族に対しては強力な封印を使って一箇所に封じ込めるのがやっとだったのである。
「地竜族?」
「はい。その地竜族の長がメディウスです。」
ユベロの話は続く。
メディウスは、その力を竜石へ封じ込めたため、理性を失うことはなかった。しかし、竜族が滅びようとしているという説を受け入れず、人との生存競争を勝ち抜こうと考えていた。他にも、竜石へ力を封じ込め、人の姿になったとしても大陸の覇権を人に渡すまいとする竜達は少なくなかった。メディウスはこう考えていたグループの長だったのである。
メディウス一派の最大の障害は人ではなく、竜族全体の長であるナーガだった。
ただ、メディウス達から見ても竜人とならず理性を失った竜は邪魔な存在であり、そういった竜を処分したり封じたりせざるを得なかった。このため、ナーガ一派とメディウス一派は考え方の面で対立しつつも、行動は同じくする状況が続いた。
状況が変わったのはその病がメディウスの属する地竜族に及んだ時であった。地竜族は竜族の中でも力の面を見れば卓越した存在であった。理性を失った地竜族が暴走を始めると神竜族のナーガを持ってしてもこれに対応することは難しかったのである。
困ったナーガは地竜族を封印するための特殊で強力な祭壇を作り上げた。地竜族を封じ込めるその封印が完成した時、メディウスを含む竜石に力を預けた地竜族の者も一緒に封じられてしまったのだ。
「それでは、何者かが封印を解いたというのか。」
「そうです。」
地竜族の封印後、ナーガは理性を失った竜達を人から遠ざけあるいは断腸の思いで滅ぼした。竜の害悪が人に影響を与えることがなくなった時、ナーガは一人の娘を残してこの世を去った。
地竜族が封印された場所は、残った竜族、竜人族に竜の祭壇と呼ばれた。
以降、竜人は人との接触を避け、ひっそりと暮らしたと言う。種族としての数も減ってしまい、ガトーが実質的に長の立場にいたが、集団としての意味は無くなっていた。
ただ、人を排除しようとする集団と、ナーガの意に添おうとする集団の確執は消えたわけではなかった。
六百年前、竜の祭壇に一人の盗賊が現れた。
その盗賊、アドラは、大陸の力を集め、地竜族の封印を行っていた盾、封印の盾を盗み出した。
封印の盾が消えたからと言って、すぐに封印の効果がなくなるわけではない。ナーガが施した封印はそこまでも強固なものだ。
しかし、いづれは封印の効果はなくなる。そうすれば人を排除しようとする者の長、メディウスも復活する。人を排除しようとする集団は、封印の盾が消えたことをガトー達に知られないように隠した。本来なら人の手によって行われるはずのない封印の解除はこうして行われたのである。
「アドラとは……あのアドラ一世のことか。」
「神聖アカネイア王国の初代国王、アドラ一世のことです。」
封印の盾には五つの強大な力を持った宝玉が組み込まれていた。アドラはこの宝玉を外し、売り飛ばし、多大な富を築いた。
そして、財力を背景に武力を雇い入れ、周辺の豪族を征圧することに成功した。ガトーが封印の盾の紛失に気が付いたときには、すでにアカネイア王国が成立していた。
アカネイアの武力を象徴する三種の神器。グラディウス、メリクル、パルティアも神器でも何でもなく、この時期に財力の限りを尽くし、とてつもなく強力な武具として作られたものである。
「ふん、神聖と呼ぶのも馬鹿らしいな。出自が盗賊では、奴隷であった我が国と比べても五十歩百歩だ。」
常に反アカネイアの立場を取ってきたミシェイルはそう吐き捨てた。
これらの記述は全てメディウスに組みしてきた竜人族が長い時間の中で記録してきたものだという。ユベロはドルーアに拘留されていた時期、半ば無駄に多く存在した時間のほとんどをこれらの読解に努めた。
メディウス一派の話は無駄が多く、歴史の重要な部分をつなげることには苦労したが、三、四年経つ頃にはドルーア側からの事実がほぼ飲み込めたとユベロは語った。
「ガトーが知らない話もここには多くあるはずです。」
記録には、封印の盾を失った後のガトーの行動も書かれていた。その後、ガトーは失われた宝玉を探し、見つけた宝玉を安置する為に人里から離れた場所へラーマン神殿を作り上げたこと。封印の盾はどうしても見つからなかったこと。やがて、ラーマン神殿も人に見つかり、いくつかの宝玉が再び盗まれたこと。
竜族の復活に力の面から対抗させるために、ガトーはカダインを作り出し人に魔道という新しい力を与えた。これが二百年ほど前の話である。
百年前、とうとう地竜族の長であるメディウスが復活し、人が打ち立てていた国にならいドルーア帝国を号した。
この時、メディウスは後にアリティア王国の始祖となるアンリによって再び封印される。この時、アンリに聖剣ファルシオンを与えたのもガトーである。聖剣ファルシオンにはナーガの牙が埋め込まれており、それ故にメディウスを封印することができるのだという。
「少し話がずれてしまいました。封印の盾に埋め込まれた五つの宝玉。それぞれ、光、星、大地、命、闇のオーブと呼ばれています。おそらくガーネフは闇のオーブを持っていて、そこから闇の魔法を作り出したのでしょう。」
ミシェイルにも話の途中からはユベロの言いたいことはわかっていた。ガーネフが闇のオーブを持っているならば、光のオーブを使用してガーネフに対抗できる魔法を作成すれば良いということだろう。
「その情報、正しいという確証はないであろう。ユベロ殿、貴殿はドルーアでその情報を入手したはずであろう。」
「その通り、全面的な信頼が置ける情報であるとは考えていません。しかし、ガーネフが作った闇の魔法の媒体として、闇のオーブ以上に的確な道具が無いとは考えています。さらにアカネイアやカダインの歴史に関する記述には、我々が知るところと比べてもおかしなところはありません。全く信頼できない情報とも言えないでしょう。」
ミシェイルはユベロの論調に誘導されていることに気が付いていた。ミシェイルが疑問に思うことについて、ユベロの返答が明快すぎたからだ。ミシェイルは更に疑問をぶつけた。
「しかし、その宝玉はどうやって探す?闇雲に探すだけの余裕はないぞ。」
この問いにもユベロは明確に答えた。
「ラーマン神殿です。グルニア領内にあるラーマン神殿は、ガトーが宝玉を隠したと言われる場所です。グルニアの森深くにあり、徒歩で行こうと思えばグルニアの王都からでも二週間程度は掛かります。しかし、陛下の竜騎士であればマケドニアの王都からでも一日で到達できるでしょう。」
ラーマン神殿と言えば、カミユの潜伏場所の近くである。ユベロの言うとおり、特に戦闘行為を行うわけでもなく調査のためだけに竜騎士を派遣するのであればたいして負担にならない。ユベロの提案は極現実的なものであった。
「さらに竜を封印していたという盾を復活させることができればドルーアに対する対応も変えることができるに違いありません。物によってはファルシオンを超える切り札になるかもしれません。」
眉唾ものであった。ミシェイルにはドルーアの書物から得られたというその情報を軽々しく信じることはできなかった。確かに聞いた限りではこれらの内容に矛盾は無い。ユベロの考えはより強い物である。
「……マケドニアはドルーアと同盟関係にある。貴殿は我が国がドルーアを攻撃するとお考えか。」
ミシェイルは湾曲な表現に対して、より直接的な問いをユベロへ行った。
「あなたはドルーアに敵対することを恐れてはいない……いや、積極的に敵対しようとしています。私をこうもたやすく受け入れて頂けたのが何よりの証拠でしょう。王女とのこともあるとはいえ、以前の仕儀を見ればそれはたいした歯止めにはならないはずです。」
またもユベロはそう断言した。どういうことであろうか。ミシェイルがドルーアと敵対するがためにユベロ達を保護したとユベロは疑っていない。もしくはそう信じこもうとしているようにしか、ミシェイルには見えなかった。
ユベロほど色々と考えを巡らすような者が、ユベロ達を単に取引の材料として手元においている可能性を考えていないとは思えない。マリアのことはこの場合考えに入れるに値しない。ユベロにとっては軽い保険程度のものでしかないだろう。
しばし沈黙し考えた後、ミシェイルは一つの結論に達した。ユベロには余裕がないのだ。
グルニアはドルーアの支配下にあって長い。グルニアを圧政から解放するその力と可能性を持ち得るのはマケドニアしかない。
グルニアを取り戻すために懸命にマケドニアへ揺さぶりを掛けているのだとミシェイルはそう受け取った。マリアのことも、ユベロにとってマケドニアの出方を見るためには良いカードだ。例えマケドニアの姿勢が虚偽にまみれているものだとしても、一度マリアとのことがマケドニアに認められればこれに対応する何らかの行動を行うことができる。
今回のこのユベロの行動も、その一環であろう。
かと言ってガーネフを何とかしないことにはマケドニアの方策も行き詰る。今回はマチスの働きでオレルアンを失うことを阻止できたが、肝心のマチスは深い眠りにつき生還することすら定かではない状態だ。
今はガーネフが次に何を仕掛けてくるかわからずに警戒することしかできない状態だ。ミネルバではマチスの代わりを勤めさせるにはあまりに不安である。
ガーネフに対し、無駄に終わるとしても、やれるべきことはやっておく必要がある。もともとユベロの提案も、ユベロ自身はドルーアに対することをにらんでいるとはしても、ミシェイルがガーネフへの対応策を探していることを見越してのものであろう。
ミシェイルは、ラーマン神殿を調査することをユベロに約束した。まだユベロとカミユを引き合わせる時期ではないが、神殿の調査はカミユに任せれば良いようにしてくれるだろう。
ユベロは、宝玉の調査をくれぐれもお願いしますと、それとなく神殿だけではなく宝玉の調査そのものをミシェイルへ依頼した。ミシェイルはそのことには曖昧に答え、屋敷を辞した。
昼過ぎに訪れた屋敷であったが、ミシェイルが外へ出るころにはすでに日が西に沈みつつあるような時間であった。
ミシェイルには賢者と聞いて一人の心当たりがある。
九年前、ドルーア帝国が復活し同盟を求められた際に相談を持ちかけた森の老人である。
その老人は竜騎士かペガサスナイトでもなければ到達することすら困難な山奥、森深くを住居としている。ミシェイルは、相談を持ちかけて以降、何度かその小屋を訪れていた。しかし、いつもはどのような暮らしをしているのか、老人がその小屋にいたことはなかった。
一度の会見でその老人がただ者ではないことを知ったミシェイルは、その場所へは自身でしか訪れなかった。部下をやって話を聞いてこさせることは失礼に感じていた。
しかし、約束を取り付けることができるわけでもなく、何度訪れても無人の小屋を見てもどるばかりであった。そして、戦争が激しさを増すとミシェイルも多忙となり、いつしか小屋を訪れることもなくなってしまっていた。
ミシェイルはカミユへの使いにラーマン神殿の調査を依頼した後、ふと、その老人のことを思い出していた。そして、ミシェイルは強引に丸一日時間を取ると、自らの騎竜を飛ばしたのである。
その場所は、何も変わっていなかった。何も変わっていないように見えた。山奥の木々、森の静けさには人の世界の争いごとだと無縁なことなのだと、ミシェイルは知らず感傷にひたり、苦笑した。
質素な小屋の前に立ち、扉をノックしようとするが、その扉は勝手に開いた。小屋の中には件の老人が鎮座していた。
「久しぶりじゃな、ミシェイル殿。」
ミシェイルはただ一礼して、小屋の中に入った。
老人の姿は、九年という歳月が過ぎているにもかかわらずミシェイルが記憶しているそのままであった。ユベロに言われた、年を取らない賢者の話が思い出された。
無論、ミシェイルにこの老人がガトーではないかという疑惑は最初から存在した。しかし、老人に直接それを確認することはなんとはなしにためらわれた。
老人に進められるままに椅子に座ると、ミシェイルは老人に向き直った。
「用向きのほどはわかっている。ガーネフのことであろう。」
老人は質素な器に白湯を注ぎながら、話し始めた。
「賢者殿はどこまでご存知なのですか。もし、ガーネフを無力化する方法をご存知であれば、ご教授願いたい。」
ミシェイルには色々と聞きたいこともあったのであるが、あえて本題のみに言及し頭を下げた。
「……ガーネフが使う魔道は、闇の魔道だ。あれは、人が使って良いものではない。」
老人は、さも当然のようにガーネフについて話し始めた。
「しかし、実際にガーネフはその魔法を使っていたと聞いております。ガーネフがどのようにしてあの魔法を手に入れたのか、賢者殿はご存知ですか。」
「王子……いや、今は国王であったな。王は、魔法がどのようにして作られるかはご存知か。」
ミシェイルが即位していることを知っていて尚、老人はミシェイルを敬称で呼ぶことはなかった。もとよりミシェイルも気にはしていない。教えをもらう立場であることは十分理解している。
魔法の作成についてはユベロに聞いたことが思い出される。しかし、所詮は聞いただけの知識である。
「魔法に詳しい知人より高位の魔道士なり司祭なりが、魔力を込めて魔道書を完成させると聞いたことはあります。ただ、光や闇の魔法は人には作ることができないとか。」
「その通りだ。しかし、ガーネフは道具の力を借りることで闇の魔法の力を手に入れた。」
ミシェイルは老人の目を見つめた。
「その道具とは闇のオーブ。これからガーネフが作り上げた魔法が闇の魔法、マフーだ。闇を纏い、闇の前に魔法と言わず剣と言わず全ての攻撃を跳ね返す。纏った闇それ自体を操り目標へぶつけ、攻撃する。」
老人の言い方はものものしく感じられたが、内容はエルレーンからの報告と一致している。
「これを打ち破るには相応の攻撃手段をこちらも容易する必要がある。それには光のオーブと星のオーブが必要だ。」
「オーブが二つ必要なのですか。そのありかはわからないのでしょうか。」
「……ある程度の目星はついているのではないかな。」
老人の言い方に含むところがあることをミシェイルは感じた。この老人はミシェイルがなそうとすることを全て知っているように思えた。
「お主のところにグルニアのユベロ王子がおろう。宝玉が手に入れば、王子をここへ連れてくるのだ。」
ミシェイルはやや眉をしかめた。この老人はマケドニアがユベロ達を掌中に収めていることを知っている。
老人を頼るに当たっては余計なことの詮索はしない。ミシェイルはそう決めていたはずだった。しかし、今の老人はあまりに挑発的に感じた。
「賢者殿は、ユベロ殿のこともご存知か。」
ミシェイルはついそう聞いていた。聞きたいことは他にもいくらでもあったミシェイルであったが、たまたまユベロが話題に昇っていた。
老人は、無言で棚に載せられていた透明な板を取り出し、テーブルへ載せた。硝子の板だが、ちょっと見て棚にそのようなものが載せられているかわからないほど透明度の高いものだ。その厚さにくらべ、そこまで透明な硝子をミシェイルは見たことがない。
「……この板をよく見るがよい。」
老人はそう言うと、じっとしたきり動かなくなった。次の瞬間、硝子に像が結ばれる。ミシェイルには見慣れた光景、上空から見下ろしたマケドニア城がそこに映っていた。
「これは。」
思わずそう聞いたミシェイルであったが、マチスから話を聞いていたことを思い出していた。
「遠見の術じゃ。ここにいながらにして大陸中の情報を見ることができる。……ユベロ王子がドルーアを抜けた後、お主に身を寄せていることは知っている。」
遠見の術は、魔道書を媒介として瞬発的な力を発する魔法とは違い、術者の能力を断続的に使う難しい術だ。
「……賢者殿。マケドニアへ何を求めるのか。」
ミシェイルはさほど魔法に詳しいわけではなく、遠見の術もガーネフやミロアが使えるであろうという認識を満っているに過ぎない。
しかし、いくら遠見の術が使えるとしても、同時に何箇所も見ることができるわけではないだろう。根拠は無い。もしかするとこの老人であればそれも簡単になしえるのかもしれない。
それにしても老人はミシェイルが欲する答えを余りに知りすぎているように感じた。
「わしはお主には何も求めてはおらぬよ。何か違えるところはあるかの。」
老人は相好を崩し、飄々と言ってのけた。その表情からは何も読み取れない。
「何ゆえ、ユベロ殿を必要となされるか。」
今一度、ミシェイルはユベロのことを尋ねた。ユベロを含め、この老人に他の者を会わせることをしたくないという心情が無意識の内にこぼれたのかもしれない。
「お主にはわからぬだろうが、あの者は大陸中随一の魔力を持っている。彼の者が力を示せば、ガーネフやミロアすら軽く超えて行くであろう。」
ミシェイルは驚いた。ユベロの態度は確かに尊大ではあるが、魔道士としてそこまでの素養があるとは思ってもみたことはない。
「……驚くほどのことではない。グルニアは代々、騎士道と魔道で深い森林地帯を力強く生きてきた国。王族にも魔道の血は濃く流れている。……ユベロ王子はその中でも特異な存在ではあるが。」
老人は続ける。
「ユベロ王子には、ガーネフに対する魔法を作る手助けをしてもらいたい。単体でも強大な力を持つオーブではあるが、しかしながらその力は有限だ。無理な力を行使すれば力を浪費し、砕け、そのまま捨て置けばその力を失う。オーブが砕けることなどあってはならない。ユベロ王子に手助けしてもらえれば、これは防げる。」
ミシェイルは圧倒されていた。老人の表情は柔らかかったが、その言葉からはそれ以外に方法は無いと言外に語っていることが読み取れた。
「……わかりました。二つのオーブが見つかり次第、ユベロ殿を連れて参りましょう。」
ミシェイルは老人の言葉に乗ることにした。事の真偽はユベロを連れてくれば判明することであったし、元々宝玉はある程度探索するつもりであったのだ。
ミシェイルはこの老人こそがガトーであるとの考えを強めていた。ユベロがドルーアで取得した竜人族の知恵。老人の語るところはミシェイルがユベロから聞いた話と合致する。
老人がガトーであるとして、ミシェイルを助けようとするその意図まではわからない。ユベロはガトーが竜に対抗する手段として魔法を人へ授けたと言う。案外、純粋にメディウスへ対抗する手段を与えるためにミシェイルを助けているのかもしれない。しかし、それにしては方法が回りくどすぎる。
また、この老人がガトーではないとしても、魔法を作り出すことができると言っていることからただものではない。
結局、ミシェイルにはこの場でこの老人の意図するところを読むことはできなかった。城へ戻り、ユベロと相談する必要性を感じた。
ミシェイルの帰り際、老人は言った。
「……ラーマン神殿には竜の姫君が眠られている。尋ねることがあれば細心の注意を払うことだ。」
と。
カミユへラーマン神殿の探索が依頼される一方、他方面へのオーブ探索依頼もマケドニア領内各地へ飛ばされた。
とは言うものの、ガーネフ、メディウスに対抗する手段となる可能性を秘めた報せである。その報せは、各前線司令官である将軍達にのみカチュア直属の伝令部隊を使用して届けられた。各将軍は、それぞれの権限の範囲内でオーブの探索を依頼された。条件は、絶対の守秘である。
最初のオーブは、意外なところから見つかった。
病気がちなオレルアン国王が、近くにいるだけで元気を取り戻すことができる不思議な宝玉を持っているという話があった。ミネルバはこれを聞き、国王が軟禁されている私室を訪れた。オレルアン国王は、淡く赤く光るそのオーブをミネルバへ見せた。
ミネルバはこれを五つのオーブの内の一つ、命のオーブではないかと考え、譲ってくれるよう頼んだ。オレルアン国王はここのところ健康状態もよく、オーブに頼ることもないため、ミネルバへオーブを預けた。軟禁されていると言っても、マケドニアはオレルアン国王夫妻を丁重に扱っており、国王の健康については専属の医師も用意している。
マケドニアに感謝の意を持っているのか、現状に対する諦めがあるかは判断できなかったが、ともかく一つのオーブはミネルバに預けられた。
エルレーンが調査した結果、その宝玉は持つ者に常に杖を使った癒しの術を掛けることと同等の効果を与えていることが判明した。しかし、それ以上の何かも感じたエルレーンではあったがそれ以上のことはわからなかった。
ミネルバはこのことをミシェイルへ報せた。ミシェイルが当面探している光のオーブ、星のオーブとは違ったが、ミシェイルは即座にミネルバへ礼状を送った。
そしてそのオーブは、ミネルバの判断で未だ眠りつづけるレフカンディのマチスへと送られた。オーブが寝台の横に置かれてから、マチスの顔色が見違えるように良くなってきたという報せが、つきっきりで看病しているエリエスからミネルバへ届いた。
すでに、マチスが倒れて二週間ほど経っいた。ガーネフに攻撃され眼を覚まさないままレフカンディに担ぎ込まれた兵士達が、看病むなしく次々と亡くなっていた頃でもあった。常に不安な状態にあったエリエスは少し持ち直すこととなった。もっとも、マチスがすでに食べ物を取らなくなってからそれだけ経っているということであり、安心までは程遠い。今のマチスはエリエスが作った砂糖水を口に含ませ無理やり栄養を取らされているような状態である。
ミシェイルは、グラの攻略に失敗し体制を立て直す必要があるため、当分こちらから攻勢に出ることはできないと、ドルーアへ打診した。ドルーア国内でどのような議論が交わされているかはわからなかったが、思ったよりその返事は遅かった。
結果、メディウスは納得し、ミシェイルにはガーネフへの対抗策を考えるだけの時間を与えられた。
返事が遅かったのはガーネフと戦うことの難しさをドルーアの幕僚が理解していなかったことが原因らしい。メディウスが自分の意見を押し通したが、それを理解しない竜人がいたのだそうだ。
メディウスは、ガーネフを滅ぼすことができるのであれば魔竜軍団を援軍として出しても良いとまで言っている。やはり、メディウスにとってもガーネフは怖い存在なのだ。
オーブの話があってなお、エルレーンは独自の方向でガーネフに対する対応策を模索している。エルレーンの成果を期待するにしても、オーブの発見に期待するにしても、どちらも時間が必要であった。その間、ガーネフが座して待っているとは思えない。マチスが不在のこの状況で、ミシェイルはどのようにしてガーネフの攻撃を凌ぎ、対抗策が見つかるまで時間を稼ぐことができるか、その方法の模索に頭を抱えていた。