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FireEmblemマケドニア興隆記
 竜王戦争編
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十九章 攻防・表

 少し時は戻る。
 オレルアンから不明な敵勢力によって包囲されているという連絡がマチスへ届いたのは、マチスがグラ領へ上陸してから二日後のことであった。進軍途中の帷幕にはクラインとエルレーンが同席していた。
 緊急の要件であるにも関わらずマチスは大きく安堵すると、伝令の労をねぎらい休息させ、帰路へと就けさせた。
「旦那、なんか安心しているように見えるぜ。」
 エルレーンは知らせの重大さに動揺し気が付かなかったようだが、クラインはそんなマチスを見逃さなかった。
「わかりますか。クライン。」
「おいおい旦那。もう何年、あんたの下で働いてると思ってるんだ。」
 と、クラインはおどけて見せた。
「閣下が落ち着いてらっしゃると言うことは、既に手は打たれているということですか。」
 エルレーンもさすがにわかったようだった。マチスは頷いた。
「ハーマイン殿の軍を、本島での演習目的でワーレンの港町から出港させたことを知っていますか。」
「はい。」
 このことはレフカンディにいた際、町として、拠点としてかなり大きなできごとであったので二人とも憶えていた。しかし、真相は二人とも知らない。
「あの船は本島ではなく、ガルダの港へ向かったのです。その部隊はマリオネス将軍の指揮下に入っています。……このことを知っているのは私とカチュア、ハーマイン将軍とマリオネス将軍など、わずかな関係者のみです。」
「じゃ、そのマリオネス将軍に預けた軍が緑条城の包囲軍を撃破するというわけだ。」
「そういうことです。」
「それでは……先ほどほっとしていたのは対応が上手くいったからでしたか。……何か、危惧されていたことでもありましたか。」
 言われてみれば、ここのところのマチスの様子はわずかながら普段とは違っていた。エルレーンもそれほどマチスと注意深く接しているわけではなかったが、グラへ上陸してからこの方のマチスは深く考え込んでいることが多かったようにエルレーンには思えた。
「そうですね。私にもガーネフの出方を全て想定できているわけではありませんから。」
 それからマチスは語った。
 ガーネフの目標がオレルアンに有るということがそもそもの発端だった。
 オレルアンを無力化するためには緑条城の攻略は必須となる。オレルアン自体は草原の国で、南部の山岳、森林地帯はともかく北部の草原地帯に要害はほとんどない。物見や、詰め所程度の規模を持った砦は散在していたが、とても立て篭もって要塞として使えるような作りにはなっていない。このため、緑条城を落とすと言うことはオレルアンの草原地帯を掌握すると言うことに他ならない。
 南部の山岳地帯や森林地帯にはそれなりの規模をもつ城砦もいくつか存在している。だが、オレルアンが持つ物資生産量から言えばそれらの地帯がもたらす恩恵は全体の一割にも満たない。オレルアン掌握と言う観点から見ればこれらの地域はほとんど意味がない。
 ガーネフがグラ掌握後、どこに行動の指針を向けるか。実は、マチスにはこれすらも確固として読みきれてはいなかったのだが、高い確率でオレルアンであろうとは睨んでいた。
 マケドニア本土は主力である竜騎士団こそ敵の魔道士と相性が悪いが、その分、魔道士と相性の良い白騎士団がしっかり守っている。レフカンディならばパレスへ援軍を要請することができる。いくらドルーアと言っても相手がガーネフであれば何かしらの動きを見せてもらえることが期待できる。そして、ドルーアが動くことが期待できるのであればガーネフはそこへ攻撃を仕掛けることはないだろう。
 ペラティとタリスはガーネフが把握している地域から遠すぎるし、何よりも収益として意味がなさ過ぎる。
 と、考えていけば次に攻撃を受ける可能性はオレルアンが最も高い……というのはマチスにとっては常識的な思考の到達点だった。
 絶対的に確信することはできなかった。それは、先のガーネフによるドルーアへの急襲があったからである。ガーネフにとってはデモンストレーションに過ぎなかったかもしれないが、マチスはこれを警戒せざるを得なかった。
 もっとも、効果的に軍事力を運用する為には与えられた力を分散させるわけにも行かない。マチスはグラ攻撃、オレルアン防衛の目へ軍事力と言うチップを張った。これ以外の目が出てしまった場合は竜騎士団、白騎士団の機動力に期待するしかない。
 グラへの攻撃は半分ブラフである。マチスの重点目標はオレルアンを防衛すること。
 オレルアンが手薄になれば、ガーネフはそこに攻撃を仕掛けてくるだろう。
 マケドニアがドルーアにカダイン攻撃の命を受けたことは、ガーネフもすぐに知っていたはずだった。グラの懐柔、ドルーアへの奇襲の動きはガーネフならではのものだった。
 マケドニアがグラ攻撃を準備していた時にも、マケドニアの動きは随時ガーネフの知るところとなっていただろう。
 マチスはオレルアン防衛の動きを徹底的に隠しつつ、カダイン攻撃の準備は大々的に行った。その上で、オレルアンに対し攻撃できるだけの力を想定し、調査しつづけた。最初の考えはガーネフの魔道軍が中心であった。
 しかし、グラがガーネフに迎合してからは考えが変わった。ガーネフがグラを直接支配していないことを考え、ガーネフが第三の勢力にオレルアンを支配させこれを間接的に操る可能性が高いと考え直したのだ。
 クラインの部隊が領内を調べ、魔道士と頻繁に接触している一団が存在することを突き止めた。その者が、ハーディンが追い落としたオレルアン旧貴族階級の一族であることまで確認した。
 マチスはクラインのその報告を聞いた段階で調査を打ち切らせた。ガーネフの扇動が明らかだったからである。これ以上の調査は、オレルアン防衛の目的をガーネフ側に察知されかねなかった。マチスはクラインにさえ、本来の目的を話すことはなかった。
 準備が整い、事が動き出した後、マチスがもっとも危惧していたのはガーネフがオレルアン攻略を仕掛けるタイミングであった。
 ガーネフがその気になれば要人の暗殺、都市の破壊などは魔道の力で自在にできる。となれば、魔道軍を使用した城砦の急襲なども可能であろう。カチュアへはその危険性を示唆したのだが、直接魔道軍が城中へ入り込めば緑条城でさえあっけなく陥落してしまう可能性もある。
 しかし、魔道軍は参加しても、そのような戦い方はしないだろうとマチスは予測した。例え城を落とすために十分な戦力を直接城中へ転送可能だとしてもである。
 この考えも、グラがガーネフに協力したことを根拠としている。
 ドルーアにも言えることだが、ガーネフの魔道軍もあちこちの領土を支配するには絶対的な人数が少なすぎるのだ。もともとのカダインの魔道士達は、各王国に出向できるほどの数がいたのだが、ガーネフの行動に端を発するカダインの内乱騒ぎでその多くが外に出てしまっていたのだ。
 これはウェンデルやエルレーンの話からも裏づけが取れた。そして、グラの統治を魔道軍が直接行っていないことでマチスはこのことを確信した。
 そして、占領統治を行う場合、攻撃した勢力が他の勢力に領地を譲渡し、その領地を統治させることには色々と問題が多い。特に譲渡される勢力が話しにならないほど弱小であるならばなおさらだ。統治勢力が変わり、それが御しやすいと見るや否や反乱が発生するかもしれない。そこまで行かずとも、抵抗活動などが行われるかもしれない。
 マチスは、ガーネフがオレルアンを傀儡化させる勢力を作り上げ、その勢力にオレルアンを攻撃させるだろうと考えた。例えその勢力がガーネフの力を借りていたとしても圧倒的戦力でオレルアンを制圧できれば、その後しばらくは緊張しながらも落ち着いた状態ができ上がり、その間に体制を固めることができるであろう。
 マチスがオレルアンの再占領時に行ったことと同じことである。
 だからこそ、マチスはその一点に賭けた。城内の者へはカチュア以外知らせず、マリオネスにサムスーフ山へ布陣させた。
 その成果が確認できたのである。安心もしようと言う物だった。
 マリオネスへは敵軍の規模、魔道軍の影響も考えて十分な兵力を渡した。ここまでの状態推移では負けることはほぼない。
「やっとわかった。また旦那にはめられたんだな。」
 と、クラインは笑った。
「人聞きが悪いですね。」
 マチスとクラインのやり取りは相変わらずだったが、エルレーンにはまだ慣れなかった。マチスの直属として大隊長クラスの扱いを受けているがクラインは小隊長。将軍よりも各上の相手と話す口調ではない。カダインで鍛えられた頑固な秩序を重んじる部分がこの集団を否定している。エルレーンは持ち前の柔軟な判断力でこれを受け入れ、押さえつけている。
「それでは、グラの攻略は……。」
「そうです。必ずしも成功させる必要はありません。」
 マチスは、エルレーンの質問を全て聞かず答えた。
 エルレーンも頷いた。カダインの魔道軍とまともにぶつかればいかに対魔法戦を想定して編成したこの攻略軍とは言え大きな被害がでる可能性がある。
 しかし、カダイン魔道軍がいなければグラを落とすことにそれほどの労力は掛からないだろう。グラ単体の力は長らくドルーアに押し込められていただけあってほとんどない。
 グラへ進むにあたってこれが最も欲しい情報であったが、毎日と言わずほぼ常時偵察に向かわせている白騎士団からは、なんら敵勢の報告はない。ただ、マチスを始めほとんどの者はグラに魔道軍がいないわけはないと考えている。魔道軍がいなければ戦いにはならない。
「クライン、全軍に通達して置いてください。敵と接触する可能性は明日が最も高くなります。準備を怠らないようにと。」
「あいよ。」
 クラインは軽く答えた。
 一行はグラの地を進む。何も無ければ後二日ほどでグラの王都へたどり着くところまで一行は近づいていた。

 翌日、グラへ上陸し三日が経過したが、マチス達は未だのどかな田園風景の中を進んでいた。景色は変わらないが、グラの中心部へは確実に近づいている。
 街道沿いにはいくつか村も存在する。ちょっと見にはのどかなそういった風景に、マチスたちの軍容はいかにも不釣合いだった。
 村の住人達はマチスたちが村の中心を通ると警戒し、家の中に篭り決して出てこようとはしなかった。ドルーアに搾取された結果であろうか、すでに無人となっている村もいくつか見かけた。
 三日目も二日目までと同じ行軍であった。しかし、エルレーンと配下の魔道士隊はその動きを活発化させていた。進発し、しばらくしたころにエルレーンはマチスから離れ、配下の魔道士達に確認や指示などを行っていた。行軍する兵士達も何事が起こったのかと騒然とした。
 魔道士隊への指示が一通り終わったのか、エルレーンはマチスの側へと戻ってくる。
「閣下。魔力が澱んでおります。ご注意を。」
 エルレーンはそうマチスへ告げた。
 とは言うものの、魔法にはそこまで詳しくは無いマチスはそれが何を意味しているかがわからない。
「エルレーン、敵が何をしようとしているかはわかりますか。」
「……考えられる可能性は二つです。一つは遠距離攻撃魔法による広範囲攻撃、もう一つはある程度まとまった人数が送り込まれてくる奇襲攻撃です。」
 エルレーンは現状を分析した結果をマチスへ伝えた。
 エルレーンが最初に疑ったのは、偵察のための遠見の術であったのだが、遠見の術は対象空間への魔力干渉をほとんど発生させない。だとすれば、考えられるのはこの二点である。
「白騎士団の部隊へ伝えてください。直衛部隊と待機部隊の構成を半々とし、常に全体の半数を上空へ上げて置くようにと。すぐにでも敵が現れる可能性があります。」
 マチスはエルレーンの意図を汲み取ると、詳細を聞くよりも速く指示を出した。
 まず、ペガサスナイトの部隊を上空へ上げ警戒させる。ペガサスナイト達は魔法に強い。また、上空に待機していれば、敵の魔道士が突然現れて地上部隊が混乱したとしてもその影響を受けずに敵の魔道士を攻撃することができる。こうしておけば、敵の攻撃が完全に奇襲となることはない。
「魔道士隊の方はどのようにしている。」
「はい。今のところ、敵がどの方面から現れても問題ないよう、隊員を隊列に均等に配置し、警戒しております。」
 先ほどからのあわただしさから、エルレーンがかなり急いで対応を取ったことは間違いが無い。マチスがエルレーンを魔道士隊の隊長へ任命してまだ日は浅かったが、もともと軍学の素養もあったのかエルレーンの指揮が的を射たものであることはマチスにもわかっていた。
 マチスは決断した。行軍中の軍隊は陣を整えた軍隊に迫られると弱い。
「全軍、一時行軍を停止します。前後へ連絡をお願いします。」
 と、行軍中の一軍へ指示を出した。
 行軍中と言っても戦闘に適した陣形には迅速に移行できなければならない。もとより一軍はそのような配置で行軍していた。行軍中は長蛇の列となってしまうのは仕方のないことだが、行軍の列はすぐに戦闘を行えることを仮定して組まれている。
 先頭にクラインが直接率いるマチスの直属部隊、その後に他の軽歩兵隊。軽歩兵隊が全部隊の半数を占め、後ろに重装歩兵隊が続く。マチスやクラインなどの幕僚は重装歩兵隊の中心に位置している。
 その後に魔道士隊。今は行軍を崩し、隊列のそこかしこに散っている。一番後ろが輜重隊であり、これを白騎士団が守備している。
 戦闘の布陣となれば、軽歩兵隊は前方へ広く展開し、重装歩兵隊はかなり後ろで固まり本陣を守備する。輜重隊は本陣のすぐ後ろへ位置させておき、野戦時は重装歩兵隊が本陣と同時に守る。白騎士団は本陣の両翼に位置するが、完全に遊撃部隊となるので、その動作はその時々の戦況による。白騎士団への指示は基本的にマチスから出されるが、白騎士弾からの派遣隊長へは自分の指示がなくともその時々によって最適な行動を取るようにとは言ってある。
 白騎士団からの派遣隊長がどの程度の指揮能力があるのか、マチスは短い時間では把握し切れなかった。パオラの人選を信じるしかない。
 能力を把握しきれない人物を確実に有効に使う方法は、誰にでもわかるような単純な指示を与えることである。とは言っても白騎士団の中隊長ほどの人物だ。それほど能力が低いとも思えない。
 マチスは、白騎士団へは敵魔道士隊の掃討を第一にお願いした。
 とにもかくにも、敵とするにもっとも厄介なのは敵の魔道士なのである。
 軽歩兵隊も本陣の前方に布陣するとあるが、行動については十人規模の小隊単位で自由に行動するように指示している。魔法が相手の場合、固まっていては被害が集中するからだ。
 もっとも、そういったゲリラ的な戦法を得意としているのは専らクラインが率いている部隊のみで、クライン達による訓練は行われたものの、残りの者がどれほど戦えるかは未知数だった。この辺り、やれるべきことはやったものの魔道士が主戦力となる軍を相手取ること自体が今までなかなか想定されていなかった状態であるだけに、不安要素がなくなることはなかった。
 程なく全体の列は停止した。すぐさまマチスは戦闘陣形を取ることを指示した。

(……魔道による奇襲は不可能か……まさか何もないところで陣を敷くとはな……)
 グラの城中、マチスの軍が存在しない敵に対して布陣するところを遠見の術で見守る者がいた。闇に溶けるかのような深い緑色のローブを身にまとった魔道士。見る者が見れば、強大な力でその術を行使していることがわかっただろう。
 カダインの支配者にして、ドルーアと敵対したガーネフである。
 ガーネフは元からマケドニアの軍勢は自ら迎え撃つつもりでいた。
 ガーネフの後ろ盾でグラの指導者となったレギノスは、しかしその前王であるジオルよりはっきりと能力的に劣った存在だった。レギノスが支持を集めたのは、ジオルほど好色ではないと言う一点に尽きた。ガーネフにとっては傀儡として操るにふさわしい人物であったが、軍隊の指揮をさせるには心許なさすぎた。
 レギノスはジオルの粛清後、ドルーアの息が掛かったものは悉く粛清した。そしてかなり強引なやり方でまずは軍を立ち直らせようとした。
 レギノスの打ち出した方針は、国民に積極的ではないものの概ね受け入れられた。決して恐怖政治だけではない。グラの軍はドルーアの支配によって壊滅状態にある。ガーネフの協力を経てドルーアの影響下から脱したものの、グラという勢力そのものが持つ力は蟷螂の斧とも呼べないものだった。国民は外からの侵略に大いにおびえ、これらに対抗する力を早急に付けるというレギノスに賛同したのだ。
 ガーネフは、グラが力を付けるまでの間、グラを守備することをレギノスに確約した。
 しかし、不思議とどこからも攻撃は無かった。カダインとグラは陸続きではないものの海路を使えば連絡を取ることは難しくは無い。とは言っても、グラは地勢上ドルーアの支配領域へ突出している。
 東のアカネイア、南のマケドニア、西のアリティアと島国であるグラは四方を海に囲まれているが、アリティアとの海峡は狭く、攻撃しようとすればすぐだ。これが不思議と攻撃をしてこなかった。
 ガーネフはグラへ攻撃を掛けてくるとすればマケドニアだということをレギノスに説明していたが、レギノスはその警戒を解かなかった。結局、ガーネフはレギノスを好きに行動させた。この程度の動きはガーネフの想定内だった。
 レギノスの強兵政策は最低まで落ち込んでいるグラの国力事情を無視した強引な物だった。グラを制圧してから一月、とりあえずの軍勢は揃えたが、武器、防具、糧食、全ての物資が足りなかった。現在、レギノスはこれ以上の軍備拡張を続行するか否か、決断を迫られている。続行することは不可能であり、レギノスの部下も続行については反対者が大多数となっているがなおレギノスには決断が行えなかった。
 レギノスの集めた軍勢は、ある程度戦い慣れした傭兵ですらない、なんの訓練も行っていない農村からの志願兵がその大部分を占めていた。レギノスも、軍隊も、グラを守るためという士気は高かったが、実際に戦いになるとは思えなかった。
 ガーネフは、レギノスとその軍の出撃を固く止めた。レギノスはマケドニア軍を途中で迎え撃つといきまいた。しかし、そのようなことをした場合は援軍を出さないとガーネフが言いだすと、レギノスもそれ以上は何も言わなかった。レギノスも整っているとは言えないグラの軍勢だけでマケドニア軍を押しとめることができようとは考えていなかったのである。
 ガーネフにはマケドニア軍を引き付けなければならない理由があった。オレルアン攻略の時間を稼がなければならなかったからだ。オレルアンを攻略する側の軍勢が蜂起したのが昨日。多少、早すぎるがガーネフにとっては些細な誤差のはずであった。
 後は、ガーネフがマケドニア軍を打ち破るだけであった。マケドニア軍を敗走させた後、しかるべき軍勢をオレルアンへ転移させ、オレルアンを落とすことがガーネフの戦略であった。できれば、マケドニア軍との戦いが終わった直後にオレルアンでの方位が完成していれば一番良かったのだが、自在に転移の術を使うことができるガーネフがマケドニア軍にはりついていなければいけない以上、そう簡単に連携が取れるとは思っていない。
 ガーネフの計算では、オレルアンで軍勢が蜂起してから三日以内程度にマケドニア軍を敗走させることができればオレルアンを落とすことができるはずであった。
 ドルーアが首都の復興に力を注がざるを得ない間に大陸のできるだけの部分を自身の影響下に置く事がガーネフの狙いだった。グラとオレルアンの攻略はその第一歩である。
 カダイン魔法軍は、個人の攻撃能力を見れば最強の軍隊だろう。魔法は即ちそれ自体が力だ。
 しかし、魔法と言う特殊技術を使用している関係上、どうしてもその絶対数は少ない。
 攻撃力が高く、絶対数が少ないのであれば、有効となる戦術はゲリラ戦や奇襲作戦だ。特にガーネフはワープの杖の力を借りることなく他者や自身を転移させる術を身に着けている。このようなことができるのはガーネフ自身以外でガーネフが知る限り、大賢者ガトーのみのはずであった。
 ドルーアの急襲とその撤退も、ガーネフの転移の術によって行われた。マムクートの反撃によって多少、被害が出すぎた感はあるものの予想の範囲内であった。
 何も無いところで陣を敷いたマケドニア軍はガーネフの思惑の外側にあった。転移の術を行うための準備を何者かに見破られた可能性があった。マケドニア軍が陣を敷いたのはガーネフが攻撃を仕掛けようとしていた地点よりも多少手前である。ならばと、ガーネフはマケドニア軍の陣容を入念に調べ始めた。

 陣が完成してからしばらく時間が経過した。すでに日は高く上り、中空を過ぎようとしている。
 重装歩兵部隊を周囲に配置した本陣には、マチスとエルレーンが待機していた。本陣と言っても、大げさなものではなく、椅子と机を用意してマチスやエルレーン、それに参謀役や伝令などが詰めているだけである。別段囲いなどは存在しない。
 クラインは軽歩兵部隊を指揮するために前衛にあった。軽歩兵部隊は小隊単位で拡散し、常識的に考えればひどく隙のある布陣となっている。敵魔法の集中攻撃を避けるための陣形であった。
 マチスもエルレーンも話す言葉無く、じっとしていた。すでに作戦は何度も打ち合わせしている。最初のうちは敵が少しも現れないことをエルレーンと話していたマチスであったが、その会話も無くなった。エルレーンが何も言わないと言うことは彼の言うところの魔力の澱みが消え去っていないと言うことである。魔力の澱みが残っているならば陣を崩すわけにはいかない。
 ふと、エルレーンが動いた。何気ない動作であって、気付く者はいても気にする者はいなかった。
「……閣下、白騎士団の準備をお願いします。」
「来ますか。」
 エルレーンはこれに答えることは無く、肯いただけだった。
 不思議な光景であった。前方の景色が陽炎のように揺れ、空すら見ることができなくなった。
 揺らぎが収まるかどうかと言う時には、さまざまな魔法が揺らぎを中心に周囲へ発せられていた。運悪く近くにいた者は一瞬で灰になった。
「ペガサスナイトに上空から繰り返しの攻撃をお願いします。聖水の使用を忘れないように。」
 マチスは立ち上がり前方の様子を確認すると、即座にそう指示を出した。
 一方、前方の軽歩兵達は、即座に魔道士と距離を置いた。
「うかつに近づくなよ。あいつらの相手は専門家に任せておけ。」
 クラインが言うまでも無く、事前にされた打ち合わせ通り敵の魔道士に好んで近づこうという者はいない。もっとも、魔法の威力を目の当たりにしてしまえば近づこうという気など起きないだろう。
 弓を持つものは敵の一団に矢を浴びせかけているが、火炎と雷鳴に支配された空間に一筋の力でしか干渉できない矢は余りにも弱かった。魔道士達に到達する矢は極わずかで、有効打を与えてはいない。
 敵の魔道士達は三十から四十人くらいだろうか。一箇所にかたまり、ちょうど方円を形作り外側を向いている。そして、向かってくるものへと片端から魔法を放っている。その相手をしているのは専ら味方の魔道士達であった。
 味方の魔道士は決して形勢有利ではない。敵の出現を警戒していたため、あちこちに散りすぎていたのだ。
 しかし、聖水の加護を得たペガサスナイトが攻撃を開始すると、敵魔道士の優位はあっさりと崩れた。敵の魔道士から放たれた火炎も、ペガサスの退魔の力と聖水の加護の前に、ペガサスナイトへ到達する直前には消えて無くなった。敵魔道士の一団は押され始めた。
「……エルレーン、おかしいと思いませんか。」
 ペガサスナイトの攻撃が始まると、マチスはそう言った。
「白騎士団の者、全員を敵の攻撃に当てず、十名程度に本陣の直衛をさせるようにして下さい。」
 エルレーンが返事をする前に、マチスは伝令へ指示を出した。本陣が混乱する寸前に出されたこの命令は、すぐさま控えのペガサスナイトによって前線へ送られた。
「閣下?」
「魔道士隊の攻撃に対して、もっとももろいのはこの本陣です。なぜ、敵はこの本陣へ転移せずに、わざわざ制圧されやすい軽歩兵隊の中心へ転移したのでしょうね。」
 転移位置のずれは敵の慎重さから考えて、ありえなかった。
「閣下、お下がりください。」
 何かを感じたエルレーンが、マチスを強く押し留めた。マチスは伺い知ることはなかったが、この時エルレーンは極度の緊張状態にあった。その場所から感じた魔力はそこまで強力だったのだ。意地でもマチスを下がらせなければならない場面であったが、一言警告するのが精一杯だった。
 すぐ前方に空間の揺らぎが発生していることが、魔力を操るものではなくとも見て取れた。先ほどとは違い、真っ黒な揺らぎだった。染み出した黒は、墨汁が水面に広がるかのように空間へ拡散した。
「……これは……。」
 距離を取ったマチスの前に、重装歩兵が並び槍を構えた。
 闇は闇のまま存在したが、マチスは中から現れた者に見覚えがあった。
「なっ。ガーネフ!」
 マチスは自身の不明を呪った。まさか、ガーネフ自身が攻撃に出てくるとは考えていなかったのだ。
 闇を纏う。ガーネフを形容すればそれが最もふさわしい表現であった。
 しかし、ただ闇に溶け込んでいるわけではない。闇の中にあって、ガーネフ自身はマチスからもしっかりと見ることができる。闇の中に、ガーネフはしっかりと存在していたのだ。
「暗闇を……完全に支配しているということなのか。」
 危険だ。マチスの理性も感情も、知識も感覚も、目の前にある存在が危険極まりないことを告げていた。ガーネフの戦闘態勢はかくも苛烈なものであることをマチスは思い知らされていた。
 伝令を受け、一軍のペガサスナイトが本陣の防衛の為に戻ってきた。ペガサスナイト達は上空からガーネフへと波状攻撃を仕掛けた。しかし、闇から伝わる波動の所為か、ガーネフへは近づくこともできなかった。近づこうとするだけで闇に推し戻されるのだ。バランスを崩しかけた者もいる。
「白騎士団。マケドニア。ここまでの手並みは見事だが予は油断せぬ。MAFOO……。」
 つぶやきの後、闇が動き、ガーネフを攻めあぐねていたペガサスナイト達へ闇の塊が投げつけられた。闇の塊は弓矢に比べれば緩慢な動きしか見せなかったが、大きく数の多いその塊は数人のペガサスナイトを直撃した。直撃を食らったペガサスナイトは音にならない悲鳴を上げ地上に落下した。
「死は免れたか。さすがよの。」
 ガーネフは一度手を下ろし、何事かを言っていたが、聞くことができた者はいなかった。
(あれが、ガーネフの魔法)
 エルレーンは極度の緊張の中にあってさえ知的な喜びを覚えていた。ガーネフが操る、現状ではメディウスすら打ち破れないと言われている魔法。敵であるにもかかわらず見とれてしまっていた。
「エルレーン、全軍撤退です。……ガーネフとは戦うべきではありません。」
 エルレーンはマチスのその言葉で我に返った。
 見れば、ガーネフはゆっくりとマチスの方へ向き直っている。
 ガーネフへは散発的に弓矢や魔法がガーネフへ飛来していたが、皆ガーネフへ届く前に地に落ち、掻き消えた。重装歩兵がガーネフに突撃しようとするが、なんと直前で闇に跳ね返され地面へ転倒する羽目に陥っていた。誰も、何者もガーネフに近づくことができないでいた。
 ガーネフが片手を上げ、何かを呟いたように見えた。
「……MAFOO。」
 黒い塊が、マチスへと殺到した。その大部分は重装歩兵隊が引き受けたが、一部が通り抜けマチスへ向かった。
「閣下!」
 エルレーンがかばう時間はなかった。ガーネフの目的は明確であった。前振りも、口上も無く魔法は真っ直ぐにマチスへ向かって放たれた。
 マチスを守っていた重装歩兵は闇に飲み込まれ、そのほとんどが瞬時に命を失っていた。
 飛来した塊に対し、マチスはかるく体を捻った。一つの黒弾を避けきることができず、わき腹を抉るようにかすめた。
「ぐぁああ。」
 黒弾は直撃したわけではなく、少しマチスを掠めた程度であった。しかし、それだけでマチスは低い呻き声と共に倒れ伏した。
「閣下!!」
 動揺している場合ではなかった。ガーネフはすでに次の行動に移っていた。
 異変に気がついたペガサスナイトの一人が倒れ伏すマチスを助けようとしていた。だが、意識がない者を鞍上へ乗せることに手間取っており、すぐには逃げれそうにない。重装歩兵達は再びマチスを守るように位置取ったが、エルレーンにはそれほど効果があるとは思えない。
 エルレーンは反射的に自分の魔道書を手にとり、詠唱した。上手くいくかどうかはわからないが、ここで失敗すればマチスを失う。
「雷の流れよ!従え!TRON!」
 ガーネフにはいかなる魔法も通じない。エルレーンはこれを承知の上で、魔法を放った。
「MAFOO」
 エルレーンの詠唱にやや遅れて、再度ガーネフの魔法が完成した。エルレーンの放ったトロンの魔法は雷の束となって、ガーネフの目前をかすめた。エルレーンはガーネフ自身ではなく、ガーネフから発せられる魔法の射線を狙ったのである。
 ガーネフの魔法へトロンの魔法を干渉させる。これがエルレーンの狙いであった。
 しかし、エルレーンの放ったトロンの魔法はガーネフの放った闇の塊へぶつかるとそこで途切れてしまった。トロンの魔法は帯状に雷の魔力を目標へ照射し続ける、雷の魔法としては最上級の魔法である。それにもかかわらずその闇の塊の前には無力であった。ガーネフが纏う闇の裏側まで突き抜けたトロンは、細切れになり通常の有効射程距離に比べると半分以下の距離で拡散していた。
 エルレーンは祈るような気持ちでマチスの方を見た。
 ガーネフの追撃はマチスへは命中していなかった。ガーネフが次の行動へ移る前に、マチスを乗せたペガサスはゆるやかながらも空へ舞い上がった。
 エルレーンは自分の試みが成功したことを知った。闇の魔法、雷の魔法と威力、効果が異なっていても根本的に魔道士の魔力を媒介としていることに変わりは無い。エルレーンは直進する闇の塊へ真横から魔法的な力を加えることで、その軌道を変えたのだ。
 ガーネフは空を舞うペガサスをじっと見上げていた。さすがのガーネフも空を駆ける術は持っていないのか。
 周囲を見れば混乱の坩堝であった。重装歩兵隊も、ガーネフへ向かおうと言う者と逃げようとする者でぶつかり、もはやまともな陣の形をなしていなかった。
 マチスを助け、上空へ逃れたペガサスナイトの判断力は賞賛に値した。ガーネフはマチスへのこれ以上の攻撃は行わないようであった。
 しかし、攻撃が止むわけではなかった。再びの魔法が重装歩兵隊を襲う。動きの遅い重装歩兵は避けることもできず、次々とガーネフが放つ闇の前に倒れていった。
 この魔法によって倒された者に外傷は存在しない。絶命した者は肌を青白く変色させ、物凄い形相を浮かべ倒れ伏している。まるで、体中の血液を吸い取られたかのようであった。
 退かなくては。本来であればマチスが正式に指示を出さなければならないのだが、マチスは意識を失っている。本陣の参謀達も散ってしまっている今、マチスが最後に言った言葉を解釈し撤退の宣言を行った。
 闇の風が吹き荒れる中、本陣から雷が二本、立て続けに昇った。
 マチスが全軍に指示していた撤退の合図である。
 ただ、この合図は非常時の為のもので、本来は使われる予定の無いものであった。と言うのは、この戦いでは双方とも魔法による攻撃が主軸になるため魔法を合図にしてしまうと間違って理解してしまう可能性があったからだ。
 伝達にはペガサスナイトか、通常通り歩兵の伝令が駆けることになっていた。
 しかし、マチスはこれらの伝令が機能しなくなった場合にのみ、撤退を指示する魔法を出すことを決めていた。
 本陣にて雷が二連続で発生した場合、撤退とするというものであった。
 そしてこの場合、撤退の判断は各兵士に任されることとなる。もとより情報伝達が不可能になるほどの乱れが自陣に生じた場合の措置なので、上意下達の徹底など不可能なのである。
 しかし、前方にあって、比較的秩序を保っていた軽歩兵隊はこの雷を見てすぐさま撤退を開始した。
 前線へ送り込まれていた敵の魔道士達は、まだ半数以上が残っていた。軽歩兵隊は白騎士団が敵の魔道士を牽制している隙を縫って、小隊毎に広く展開し素早く後ろに下がった。こういう場合は身軽さを生かした機動力の高さが物を言う。
 うかつに敵の射程内に入り込んだ小隊以外は別段被害も無く後ろに下がることができた。しかし、実際にはマケドニア側の軽歩兵は敵に何ら損害を与えることなく、その上で被害を負っているので行動としては割に合わない。
 それでも大した被害も無く撤退できている。
 悲惨なのは本陣を守備していた重装歩兵隊であった。混乱の中、ガーネフに魔法を放たれ続け、ほとんどの者が命を落とした。重い鎧が足かせとなり、逃げることもままならなかった。期せずして全軍の囮となってしまった形であった。
 殿軍となったのは魔道士隊だった。白騎士団が上空から敵を牽制した。元々、魔道には抵抗力の高い両部隊のはずだったが、ガーネフの魔法にだけは手も足も出すことができなかった。魔道士達は自分たちが持つできる限りの魔法をガーネフへ当てようとしたが、こちらの魔法はガーネフが纏っている闇に吸い込まれるかのように掻き消えた。
 ガーネフの放つ闇の塊にまともに当たって耐えられる者は少なかった。一発目で意識を失い、二発目で絶命するような者が多かった。
 それでも、他の歩兵より魔法に耐性がある分、自分たちが粘らなければならなかった。エルレーンが選んだ無意識の行動だった。
 生き残った重装歩兵隊も撤退し、ある程度距離を取った魔法戦の果てにエルレーンはようやく全員の撤退を決断した。犠牲者は打ち捨てるより他なかった。撤退する者をガーネフは追うことはなかった。ガーネフの表情を読むこともできなかった。
 大敗北であった。
 敵の数はガーネフと魔道士が四十から五十程度。だと言うのにこちらはマチスが重傷を負い、死者は千名以上を数えた。さらにガーネフの魔法に襲われた者の症状は判別不能であり、死者はまだ増える傾向にあった。野戦で戦力全体の二割が戦死するなどということは、あってはならないことであった。

 敵が去ったことを見届けると、ガーネフはゆっくりと警戒態勢を解いた。ガーネフの纏っていた闇が消え、辺りには静寂が訪れた。
ただ、ガーネフの周囲に点在する有象無象の遺体が、戦いに倒れたはずであるのに傷一つ無く、しかし青ざめた肌と苦悶の表情を浮かべた遺体の数々が、尋常ではない戦いがあったことを物語っていた。
「……マケドニアの片腕、もぎ取ることはかなわなかったか。」
 ガーネフはつぶやくと、生き残った魔道士と共に転移した。さすがのガーネフも疲れていたのか、額には汗が浮かんでいた。
 配下の魔道士達をグラの城へ残すと、ガーネフは息つく暇も無く再び転移した。オレルアンに現れたガーネフはオレルアンに対する自分の工作が失敗したことを知った。しばらくは高台から緑条城を眺めていたガーネフであったが、まもなく無言で再転移した。

 マチスはペガサスナイトによってレフカンディまで急送された。さらに、この知らせはミシェイルと、緑条城の留守を預かっているムラクへすぐに伝えられた。
 撤退する軍の行程はひどい有様だった。ガーネフの魔法を被弾した者が、撤退の最中に次々と命を落としていた。最も被害が大きかったのは重装歩兵部隊。次が魔道士隊であった。重装歩兵隊の犠牲者は八百名近くにも及んだ。
 魔道士隊にはガーネフを仇のごとく憎んでいる者も少なくなく、無茶な攻撃をして返り討ちに合ってしまったものが少なくなかった。魔道士隊の死者も五十人は下らなくなっている。
 エルレーンはグラの追撃を警戒した。ガーネフの影がなくなった後、クラインと即席の打ち合わせをし魔法隊とグラ軍の追撃があった場合の応対を示し合わせた。もっとも、実際にはガーネフがきつく追撃を禁止したためマケドニア軍が追撃されることは無かった。もっとも追撃されたとしても、被害を受けたのはグラ軍の方であっただろう。グラ軍の中にこのことをわかっている者はいなかったのだが。
 エルレーンから敗北の報せが届けられると、緑条城城内は騒然となった。何よりもマチスが重症を負い、意識不明状態であるとの報せがその衝撃を大きくした。
 緑条城では最高の意思決定機関を失った形になり、対応を取ろうにもどうすればよいかわからない状態に陥った。
 もっとも、ムラクも軍人であるので、このような場合の対応も心得ていた。ムラクはカチュアを呼び出すと、すぐにミシェイルと連絡を取るよう要請した。上位の者の指示がなければより上位の者に指示を仰ぐと言うわけである。
 それと同時に、詳しいことがわかるまでマチスの状態については緘口令を敷いた。しかし、時すでに遅く、緑条城城内ではあること無いことの噂が飛び交っていた。
 もう一方の報せを受けたマケドニア王城のミシェイルは、こちらもすぐさま緘口令を敷き、情報の流出を防いだ。
 双方に伝えられた第一報は戦闘に敗北し、マチスが重症を負ったと言うことのみだった。このため、ミシェイルもムラクも、来た伝令を折り返させより詳しい状況の報告を望んだ。
 戦闘の翌々日、エルレーンとクラインに率いられ撤退行を続けていたマケドニア軍は、特に地元の住人に阻害されることも無く上陸地点の浜辺まで到達した。
 グラへ渡る際に使用した船は、二週間は上陸場所沖合で待機していることになっていた。マケドニア軍は船を呼び寄せると黙々とこれに乗り込んだ。
 この時、エルレーンは今回の戦いの顛末を詳細に書に認め、先に送った伝令にその書状を持たせると再びムラクとミシェイルへと送り出した。
 書状には戦闘の開始、経過、敵の戦力、双方の被害などがこと細かに書かれていた。エルレーンはガーネフの魔法に気を取られることはあっても、基本的には戦場全体を見渡していたのである。注目すべきところはガーネフとガーネフが送り込んできていた魔道士達のところだけなのだから、陣形等に気を配らなくともそう難しいことではない。
 ムラクは書状を一読し唸った。ミシェイルは考え込んだ。
 そこに書かれていたことは、今までの軍隊対軍隊という戦闘の形式とはかけ離れた状況の推移だった。
 見えない敵に対する布陣、突然中央に切り込んでくる敵魔道士。
「ガーネフが自ら動いたと言うのか。」
 報告書にはガーネフの戦い方が詳細に記されていた。どのような攻撃も受け付けない闇を纏い、闇を切り取って攻撃に使うその不可思議な魔法をエルレーンはよく観察していた
。  戦闘の常識が通用しない。ミシェイルが受け取った書状から出した結論はこれであった。ガーネフを排除する為に正面から向かうことは不可能だと結論付けた。
 マケドニア軍の受けた被害は大きかった。全軍の二割を数える犠牲者の数。魔法を回避することが難しい重装歩兵の被害が特に大きかったのだが、おいそれと人員を補充することができない魔道士隊と白騎士団の被害も目立った。
 そしてマチスの昏倒。マチスはレフカンディへ運ばれて以降、顔を青ざめさせ全く意識を回復させる様子を見せなかった。
 通常の怪我や病気にあるようにうなされたり、汗をかいたりすることも全く無かった。ただただ無表情で全く動かず、寝台に横になっているだけである。近づいて、弱々しい心臓の鼓動と、息吹の流れを確認しなくては到底命があるとは思えないような様相だった。
 ガーネフの魔法を強く受けたところなのであろう、左のわき腹は特に青白く、血色が悪いと言うよりは無いと言った方が良いような状態だった。リカバーなど強力な治療の杖を含むあらゆる施術が試みられたが効果は無かった。
 ムラクがミシェイルへ指示を仰いでいたオレルアンの経営については、マチスが復帰するまでの間マチスの留守と同じようにせよと命が下された。この返事をもらった時点で、ムラクは戦闘の結果について城の内外へ発表した。このころには噂が広がりすぎ、収拾がつかなくなってきていたのである。
 さすがにオレルアンではこの話題で持ちきりとなり、結局は噂に歯止めがかかることもなかった。
 しかし、ムラクの占領地経営に関しては問題なく続けられた。マチスが以前から進めていた統治システムの構築は、すでにマチス無しでも機能する段階まで発展していたのだ。ムラクなど、オレルアンにいる者にとっては不幸中の幸いだった。
 マチスに関する情報はマチスがいるはずのレフカンディからなかなか発せられなかった。マチスが復帰しない事態は暗に誰もが考えていたが、表立って口に出す者はいなかった。マチスの存在はマケドニア、特に大陸北東部のマケドニア占領地域には無くてはならないものとなっている。マチスがそのままいなくなることは、誰もが考えてしまうことであったが、考えたくは無いことでもあった。
 しかし上に立つ者、ミシェイルの立場ではそうも言っていられない。マチスの意識が三日を過ぎても戻らないという報告を受けたミシェイルは、ミネルバの遊撃部隊にオレルアンへ赴くように命じた。マチス不在の間、代理である。
 ミシェイルは、ミネルバをこのような場面で動かさなくてはならないことを憂慮していた。魔道士隊だけではなく、マケドニアは広大な統治領の割に深刻な人材不足の問題を抱えていた。オレルアンの統治が成功し、マケドニア本土も安定しているのは、ひとえにマチスの手腕によるものだった。

 マチスが運ばれてきてから一週間も過ぎた頃、オレルアンからレフカンディのハーマインを訪ねる物があった。エリエスであった。
 携えられた書状を呼んだハーマインは呆れた。内容は、この書状を持つ者にマチスの世話をさせて欲しいというものであった。ハーマインが呆れたのはその書状にムラクとカチュア、それに従軍シスターの長であるリーンの連名による署名があったからである。
 ムラクがこのようなことに賛同するとはハーマインには考えられなかったが、ハーマインはこの申し出を受け取った。
 ハーマインもマチスとその恋人の噂話は耳にしたことがあった。オレルアン城内では表向き二人を気にする者はいなかったが、その実、裏ではみながあれこれ噂を立てていた。
 マチスとエリエスの話は、マケドニアの都会部、王城城下やオレルアン王都の若い女性の間で格好の話の種となる二組の内の一組であった。もう一組はミシェイルとパオラであったが、こちらは未だ噂の域を出ていない。
 対してマチスとエリエスの話は、普段そのような話とはほとんど縁の無い、無骨な将軍の耳に届くほど有名であった。
 もっとも、ハーマインがエリエスの申し出を受けたのはそれだけが理由ではない。エルレーンとクラインがグラよりレフカンディへ撤収してきつつあったことがこれに関係している。
 エルレーンはアカネイアへ上陸後、白騎士団の協力を得て負傷者をレフカンディへ送った。白騎士団の動けるものが何度も往復して移送したその数は三百名近くにものぼり、レフカンディの療養施設は俄かに目も回るような忙しさの中へ投げ込まれたのである。
 もちろん、マチスの治療は最優先で行われていたのだが、人がいてくれればそれだけ助かることも確かであった。
 その日以降、エリエスは昏倒を続けるマチスの側に四六時中いることとなる。オレルアンへ帰還しようとしているクラインが一度様子を見に来たが、エリエスは決してマチスの側を離れようとはしなかった。クラインはマチスの生還を祈ってその場を離れるしかなかった。

 マチスは不在だったが、マケドニアは表向き何事も無く動き始めていた。
 エルレーンは数の減った魔道士隊を再編成した。魔道士隊も元々はマチスとミシェイルの考えによって生み出された部隊であるので、マチス直属扱いとなっている。
 マチス不在の間は便宜的にムラクの下に入ると考えていたエルレーンだったが、実際には新しく派遣されてきたミネルバ預かりとなった。クラインの部隊も同様である。
 ミネルバ預かりとはいえ、魔道士隊は比較的自由に裁量を任されていた。ミネルバも魔法には詳しくなく、エルレーンの提案や報告には特に反対しなかった。必要な予算の申請も、ヨーデルの計算によって無茶な案が出されることも無かった為、ほぼ問題なく受理されていた。
 マチスの場合はエルレーンのことを色々と知ろうとしていたのかエルレーンに話し掛けることが多かったが、ミネルバはそのようなこともなかった。せいぜい、戦術面で魔道士隊をどのように運用すればよいか、時間が空き、気が向いたときに相談する程度である。
 このためエルレーンの魔道士隊はかなり自由に動いていた。魔道士隊にとって目下一番の悩みは人数不足であったが、これは急にどうこうできる話でもなかった。マケドニア全土へ、マケドニア軍が再度魔道士を広く募集することの公布は行った。自薦、他薦を問わず、推薦も受け付けるようにはした。こういったものの効果が出るまでにはしばらくかかるだろう。
 一方のクライン隊の方はミネルバから自由に動くことが許可されたとしても、満足に動くことができなかった。クライン隊はマチス直属隊としての意味合いが強すぎたのである。マチスの指揮下を離れてしまうとその価値が激減する。
 マチスがクライン隊に行わせていたのは、その多くが諜報などの特殊な活動だった。これによってマチスは敵勢力の多くの有用な情報を入手していたのである。
 任務に当たっていないものは日がな縛られることもなく、自由に行動していた。彼らは休みがあるからと言って、剣の腕を鈍らせるようなことも無かった。マチスはクライン隊へは全幅の信頼を置いていたのである。
 ミネルバは多少考えクラインとも相談した。クラインの横柄な口調には顔をしかめたミネルバであったが、大体のところで結論をつけた。
 まず、必要と思われる諜報任務については続行させることとした。諜報任務以外のものは自由に行動していたのであったが、この点については多少厳しくし、特殊な任務が非番の時には兵の訓練に参加することを決まりとした。クライン隊にはこのことについて一言二言文句を漏らす者もいたのだが、クラインが納得したので最終的には隊の者はこの決定に従った。
 ミネルバが執り行ったオレルアンの暫定的な指揮権の委譲手続きは、オレルアン駐留のマケドニア軍に寂寥感を与えた。マチスもミネルバも、効率的な指示を出すことについてはそれほど変わりは無かったのだが、どことなくミネルバからは堅い印象が与えられる。カチュアにはこれでもミネルバの物腰が随分と柔らかくなっていることを不思議に感じていたが、多くの者はミネルバから直接指揮を受けることが初めてであり、そうは感じていなかった。
 運営には問題は無いが、何かが物足りない。それが、彼らが感じている共通の想いだった。そして、誰もがマチスの生還を望んでいたが、誰もが覚悟もしていた。戦争とはそういうことであるということを、理解している者、感情では拒否しつつも理解しようとする者、様々であった。
 ただ、マチスの症状はほとんどの者には不明で、城下にはいらぬ噂が蔓延した。
 曰く、マチスはすでにこの世にはおらず、ミシェイル王の采配でその死が隠されているとか、マチスはガーネフに捕らえられていて、ガーネフが取引に使おうとしているとか。
 実際は、レフカンディから来る報告に状況の変化を告げる報告が無かったため、ミネルバが極狭い範囲でしか情報を流さなかったことが無責任な噂を呼んだ原因であったのだが、マチスの不在がオレルアンの上から下まで全てに影響を与えていたのは確かだった。
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