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FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
十八章 攻防・裏
マリオネスはマチスの指揮下にあるマケドニア軍の将軍である。東方の島国、タリスに駐留し、タリスと旧アカネイア王国サムスーフ侯爵領を管理している。どちらも人口が少なく、開発も遅れている地域だ。純粋に収益力の面から見てみれば両方とも決して旨みのある領地とは言えない。
タリスはモスティン国王によって統一勢力が築かれた土地だ。統一されたとは言え、急激な人口増加が見込めるはずもなく辺境国家の印象を覆すことはできていない。もっとも、モスティンが目指したのは平和で穏やかな国であり、これを実現する為には良い環境が整っている。実際に先の戦乱にあってもドルーアの手引きによって海賊が蜂起したこと以外、国内に戦いは発生していない。ミシェイルの竜騎士団が飛来したときには最初から抗戦せずに降伏した。マケドニア軍が駐留し、国の運営はマケドニア軍が率先して行なうようになったが、略奪や暴行の類は発生せず、何よりも国王モスティンが駐留司令官のマリオネスに協力的であったため、大きな混乱は発生していない。
サムスーフも貧しい土地である。侯爵のベントはアカネイアでの戦いの折、自らの権益拡大を狙ったのかドルーア側へついた。ベントの賭けは当たり、今ではアカネイアパレスにてショーゼンの元、同じく裏切ったアドリア侯ラングと並んでかなりの権益を得ているはずである。
サムスーフ領は、マケドニアがオレルアンへ攻め込むために通過する拠点となるため、ベントがアカネイア中央へ移ったことを契機にマケドニアへ譲渡された。サムスーフ領が貧しい土地柄であったことも幸いとしたであろう。サムスーフ領がマケドニアへ譲渡されるに当たってはなんら問題は発生しなかった。
戦後、マチスが治めるようになった地域は本来のマケドニア領土であった場所以外、占領地域のほぼ全域である。配下にはレフカンディ、オレルアン攻略に当たった各将軍がそのまま移行した。レフカンディには以前のままハーマイン将軍を、オレルアンは基本的にはマチスの直接統治であるが、マチスが常にオレルアンにいるとは限らないために補佐としてムラク将軍を置いた。補佐とは言え、マチスは日々軍権の細かいところまで気にしているわけではないので、通常の軍務はムラクが行なっている。そして、タリスとサムスーフを担当としてはマリオネス将軍が任命され、タリスへ送られた。
タリスにサムスーフ領を加えたところであっても、もともと人口の少ない地域であることもあって混乱無く統治することは容易だった。マリオネスは領地が安定していることを確認すると、マチスへ許可をもらった上で自分の軍を四分の一に削った。政情が安定している過疎気味な地域に大軍を駐留させておくことは、不経済極まりなかったからである。削られた軍勢はレフカンディとオレルアンに回された。
しかし、カダインの手に落ちたグラをマチスが攻めようとするこの時に、レフカンディにある軍勢の過半をタリスに回すことがマリオネスに伝えられた。マリオネスが元から持っている軍勢を含めて、到着し次第サムスーフ山のふもとに野営し、一月待機して欲しいとのことだった。
意味は不明だったが、増員と物資を満載した船がガルダの港に到着するとマリオネスも対応せざるを得なかった。マリオネスはタリスの統治をマケドニア本土から派遣されてきていた文官に委任すると、命令どおりサムスーフ山の麓にその大軍を展開させた。
オレルアンからレフカンディまでは、馬を使い急げば二日程度で到達可能な道のりである。しかし部隊を展開させるとなると徒歩で移動せざるを得ない。この道のりを徒歩で移動させれば二週間半程度は掛かる。マチスはミシェイルと会見を終えてオレルアンに戻ると、かねてからの予定通りすぐに先発の軽歩兵隊をレフカンディに送り出した。エルレーンの率いる魔道士隊も同様である。三週間後、レフカンディに終結した軽歩兵隊と魔道士隊を集め、グラへと出発する手筈になっている。
マチスがグラへの出陣にと用意した人員は作戦の全容からすればかなり小規模だ。軽歩兵隊が三千。魔道士隊は相手がガーネフという事の効果があり、新規参入者が増えて三百。白騎士団より全体の四分の一程度が援軍としてあり、これが三百。ただし、白騎士団団長であるパオラは随行していない。これに、本陣守備と、城砦攻略の際に力押しの主力となる重装歩兵隊が二千。輜重隊等の後方支援部隊が五百。ほぼ六千強の軍勢が総勢である。
これは、魔道士隊や白騎士団など、兵種の違いを無視した数だけを考えれば、アリティアやグラなどの小国が全力を上げて揃えることができるだけの数である。旧アカネイアであれば各領土がこの程度の数を集めることができるため、総動員可能数はこのほぼ六倍だった。現在のマケドニアにもその程度の力は存在している。だから、マケドニアが全兵力を一時に動員するようなことはないとはしても、マチスが揃えた軍の数はいかにも少なかった。マチスの名声を知る者であってもそれを不安に思う者が多かった。
特に今回の軍勢では騎馬隊が随行していない。本来の軍隊であれば通例上その編成の中心は騎馬隊となる。当初の目標であったカダインが砂漠地帯であり、騎馬隊は役に立たないと判断された為、マチスはその時点で騎馬隊を征旅から外した。しかし、情勢が変わり攻撃対象がグラになった時もこれを修正することはなかった。
魔法が相手となるのなら、騎馬のような大きな目標は格好の的になるはず。それがマチスの考えであった。重装歩兵はともかく、軽装の歩兵であれば魔法の発動時に素早く物陰へと隠れることもできるだろうと。魔法のことを考えれば重装歩兵も連れて行くことはためらわれたのだが、攻城戦や守備兵力を考え、こちらは編成に盛り込んだ。
仮に、相手に魔法を使うものがいなければこちらの魔法が大きな力になる。グラの独自の戦力を考えれば、カダインの魔道士隊が出てこないことは考えられないことではあったが。
もっともこのことを理解していたのはせいぜい下士官レベルまでで、一端の兵卒は騎馬隊がいないことを不安に言う向きも多々あった。しかし、その程度のことで軍全体の統率が乱れると言うことも無く、グラ遠征の準備は順調に進められた。
レフカンディからは駐留軍の半数ほどを海路でタリスに移動させることについてはマチスは強権を発動し、ハーマインやムラクなどには一切口を挟ませなかった。その意図するところの説明も無かった。もっとも、マリオネスやムラク、カチュアなど、いい加減マチスとの付き合いも長くなっている者達は、マチスが説明をしないのはまだその時期ではないからだと言うことを学習している。だからこそ、疑問を抱きこそすれ、信頼を損なうことは無くこれらの準備も整然と行なわれた。
軍勢のレフカンディからタリスへの移動は、できるだけ隠密裏に行われた。もっとも、街道を移動すれば見て解かるだけの数が通る軍勢である。船に乗せて移動する以上、どうしても港で集結する必要がある為、少人数に分けて動かすわけにもいかない。第一、そのようなことをすれば大規模な物資の輸送などできない。
マチスは、軍勢はマケドニア本土の部隊との合同演習の為、マケドニア本土に向かったことにせよとハーマインに言った。そのようなことをしてもワーレンから出た船がマケドニアへ着かないのは明らかで、どれほどの効果があるのかが疑問に思ったハーマインであったが、ひとまずはその通りにした。兵士達に本当の行き先が明らかにされたのは船がワーレンの港町を出た後だった。
一連の行動が取り越し苦労ではないとはマチスは確信していた。オレルアンの持つ内在的問題点に注視し、クラインの配下からそれを判断できるだけの情報をもらっていたのである。マチスがグラへ出発するためのマチスなりの準備、いわゆる小細工だった。
一軍の隊に将官は少ない。全軍をマチスが仕切るが、特に白騎士団よりの援軍と重装歩兵隊は直接指揮をする。白騎士団、重装歩兵隊の指揮官としては中隊長、小隊長レベルの下士官しか存在しない。
後背の手続きを各将軍に任せると、マチスは本隊からやや遅れてレフカンディへ赴いた。本隊は出発前に最後の休暇を与えられていた。
グラ攻めの軍では規模が比較的小さいこともあって、そのほとんどをマチスが直接指揮することとなっている。軽装歩兵隊はクラインが、魔法隊はエルレーンがそれぞれ指揮を取ることになっているがこれもあくまでマチスの補佐という形だ。残る重装歩兵隊と白騎士団はマチスが直接指揮を取る。
実際のところは、クラインが前線担当、エルレーンが魔法担当という意味合いを持っている。軽歩兵隊は状況に応じて随時動いていく必要がある為、マチスからの伝令だけでなく中心に確固たる指揮系統が必要となる。これがクラインの役割である。
一方、エルレーンの方は基本的にはマチスの指示によって動くのだが、実際に魔法を運用するとなればマチスにはわからないことが多い。これを補佐することが主な役割である。クラインとはまた違った意味合いだ。
本陣は重装歩兵で固め、白騎士団のペガサスナイトで連絡を取りつつ遊撃的に活用する。マチスが大まかに考えていたのはこれくらいのレベルである。グラがどのように出てくるかは未知数ではあったものの、野戦になるようであればフットワークの軽い三種類の兵を活用して半包囲戦を、籠城するようであれば城を包囲しつつクライン隊に城を調査させ、ある程度情勢が明らかになったところで重装歩兵を突撃させるなど、城を落とす算段を取るつもりである。
もっとも、そう時間を掛けるつもりも無い。グラの城は山城ではあるが、湖上に聳えるアリティア城や、山の上にあり竜騎士の運用に特化したマケドニアの城のように極端に落としにくい地形にあるわけではない。もともとそれを計算に入れての数でもある。
軍隊が行動する為に必要な物資輸送を担当する輜重隊の数も今回は驚くほど少ない。これは、不足分をその都度竜騎士隊が空輸するようにした為だ。平時にはミシェイルの発案で他大陸との貿易にも使用していたこともあった竜騎士である。竜騎士の搬送力は、量だけを考えれば外洋を行く船舶に遠く及ばない。しかし、それを補って余りある速さがある。長期に渡って竜騎士を輸送のみに使用するようなことには問題もあるが、今回のような最初からある程度短期戦を狙っているような場合には有効だ。活用しない手はない。
陣容には騎馬部隊こそなかったが戦略的に見れば十分機動部隊として機能し得るほど柔軟な編成だった。そこには、最小限の力ですばやく目的を達成しようとするマチスの意図が表れていた。
マチスは今回の戦いを重くは見ていない。無論、グラをほとんど損害を出さずに攻略することができればそのままカダインへ攻め込むことも可能かもしれない。しかし、マチスはグラがカダインの手に落ちた時点でカダイン攻略を視野からはずしていた。もとよりグラをたいした被害もなしに攻略できると思ってはいない。カダインまで攻め込むことを匂わせているのは外交的なポーズに過ぎない。
最も求められていることはガーネフを無力化する手段であった。ガーネフの脅威を取り除く事ができなければ、どれほど勝利を重ねたところで意味はないのだ。ガーネフの攻撃の前には城壁も、重装歩兵の厚い守りもその用をなさない。
無論、ガーネフ一人でできることには限界もあるだろう。ドルーアとの反目が明らかになった今でも直接対決に訴えてこないことからもそれは明らかだ。
しかし、仮に今ガーネフがミシェイルを暗殺しようとするならば、その目的は容易に達成できる。ミシェイルにもマチスにもそれを防ぐ手立てはない。
ガーネフの無力化はマケドニアが持つ課題の中でも竜対策の次に大きな問題であり、先の戦いが終結してから四年間、その模索を欠かしたことは無かった。ガーネフに気付かれないような細心の行動がその模索の足かせとなっているとは言え、未だよい方法は見つからない。マチス達はこのことについては内心でかなり焦っていた。
一方、ガーネフの方は焦る必要が無い。ガーネフが警戒しているのはメディウスであるということはマチスとミシェイル、共通の見解であるが、ガーネフとメディウスはお互いにお互いを滅ぼす決め手を持っていない。つまり、現時点でガーネフを倒すことができる者はいない。自分を害する何者も存在しないのだから、じっくりと自分の目的を果たしていけばよい。
だが、マチスには現時点でガーネフが致命的なダメージをマケドニアに与えることはないという見解を持ってもいる。
マケドニアはガーネフにとって見れば緩衝材なのだ。マケドニアのトップを暗殺し、マケドニアを瓦解させ、その力を無にすることはガーネフにとっては如何ほどのことでもない。しかし、今の段階でそれを行えばマケドニアを吸収するのはドルーアだ。実動戦力の数的には圧倒的に劣るカダインの魔道軍と、グラの弱弱しい一軍しか持たないガーネフには、ドルーアがマケドニアを吸収することを阻害できない。だからガーネフはマケドニアへの決定的な働きかけをしない。
また、ガーネフは大陸を自力で自分の者とする為には余りにも地盤を持っていない。カダインは学術都市であり、都市自体は何も生産することがないのだ。これは、ガーネフが一人で行動しようとするのであれば不要な点であるが、大陸に出ようとすれば十分問題となってくる点である。グラを炊きつけ、取り込んだことはドルーアにも、マケドニアにも予測がつかないことではあったが、地を固めるという戦略的観点から見れば間違ってはいない。
もっとも、マチスがガーネフのグラ攻略を予測できなかったのは、ガーネフの行動目的その物が不明だったからだ。マケドニアではガーネフのマケドニアへの直接攻撃のみ警戒していた。ガーネフがドルーアなどへ攻撃を掛ける可能性は考えてはいたものの、その必然性は無く、マケドニアへ影響があることとは言ってもマケドニアで無いところまで具体的な対策を取るような余裕は無かった。
逆に、ガーネフがグラを懐へ収めたことで、その狙いが地歩を築きつつ大陸へ乗り出していくことにあるということについては確信が取れたのだ。
とは言うものの、完全に疑問が失せたわけではない。ガーネフが行ったドルーアへの直接攻撃もドルーアの宮殿へはほとんど被害を与えることは無く、その意味は不明だ。
そして、それにも増して意味不明であることはガーネフが戦おうとするその理由だった。
普通、いくらカダインでの権力を持ち、その能力にずば抜けて優れているところがあるとはいえ、魔道士が大陸制覇など考えるものではない。富も名誉も、腕のある魔道士ほど気に掛けず、自らの研究に没頭するものだとマチスは考えていた。これは、マチスだけの考えではなく、この大陸に暮らす者が魔道士に抱く一般的な印象である。
もっとも、大陸に住むほとんどの者は知らず、マチスも知らないことであったが、カダインにも権力闘争というものはある。その最高指導者である最高司祭の地位を狙って骨肉の争いに発展する下地もあるのだ。
ただ、その争いを最初に引き起こしたのがガーネフでもある。
その辺りのいきさつは、マチスもエルレーンから聞き知ることはあった。マチスはその話を聞いてなお、カダインでの闘争がガーネフの個に強く起因するものであるとは考えていたが。
ともかくも、その行き着く先は全く不明ではあるものの、ガーネフが大陸制覇の先に何かしらを見ているのではないかということをマチスは考えていた。これにはエルレーンも賛同していた。
グラ攻撃を始めとするガーネフの一連の動きはその目的への大きな布石に過ぎないと。
こういった背景からマチスは、グラへの攻撃をできるかぎりの時間稼ぎに利用するつもりであった。ドルーアにもカダインにも隙を与えないための行動である。
ガーネフの本来の目的はわからない。それでも、ガーネフが障害として立ちはだかっていることは事実だった。だからガーネフをどうにかする方法を見つけ出さなければならない。その時間稼ぎだった。
おそらくガーネフの方でも同じようなことをしている。ガーネフもメディウスを滅ぼす手段を模索しているはずであった。そして、隙があれば自分の勢力を伸ばそうと策謀しているに違いない。グラの攻防はマケドニアが欲する時間と、ガーネフが欲する力の鬩ぎ合いであった。
休息を終えたグラ攻略の軍はマチスによる最終的な準備の確認を完了すると、ハーマインに見送られ予定通りレフカンディを出発した。
途中、アカネイアパレスに駐留するショーゼン将軍へ使者を出し通行許可の礼を述べさせた。本来はマチスが直接赴くのが筋ではあったが、ショーゼンとあまりかかわりを持ちたくなかったマチスは多忙を理由に使者を送るだけに留めた。ショーゼンはアカネイアに圧政が引かれている要因の一つであり、いづれは倒すべき竜人族の者である。マチスにとって積極的に親交を深めるべき相手ではなかった。
アカネイアとグラは船を使ってもそれほど離れてはいない。潮と風の具合がよければ朝に船を出して夕方には到着できるほどである。もっとも、今回の目的は攻略であるので、明け方に対岸へ到着するよう夕刻前に船を出し夜に船を走らせる。
出航してすぐ、白騎士団一小隊によるグラ領土の偵察が行われた。一隊は日没までの短い時間にできるだけの情報を集めた。
グラ領への偵察は、軍勢が港を出港した後、日が沈む前に白騎士団の小隊によって行われた。グラ領のかなり深くまで立ち入った偵察であったが、グラの軍勢は見渡す限りには布陣していなかった。
「あいつら、どういうつもりなんだ?」
報告を聞いたのは、部隊の旗艦にいるマチスとクライン、そしてエルレーンである。白騎士団の小隊長が報告に上がっていた。
報告を聞いて早々に一言言ったのはクラインだった。マチスは考え込んでしまっている。
通常、上陸戦は陸側の方が有利だ。広く部隊を展開できる空間。予め要塞化できる防衛線。これに対して上陸側は波に揺られつつほとんど防御できない船上を陸に向かってゆっくりと進まなければならない。
港から港へ移動するような船からは直接上陸はできない。上陸戦を試みる浜辺は大体において浅瀬だから、船に備え付けの小型ボートに分乗して陸に向かうことになる。小船では防御にいかに気を使おうとも限界がある。矢の雨が降るだけで大打撃だし、魔法が飛んでくれば粉微塵に吹き飛ぶこともある。
つまり、敵の上陸が予想される場合は海岸線に防衛線を引くのが常道だ。ところが海岸線に敵の戦力は影も形も見えない。グラの戦力がいかに少ないとは言っても、海岸線に陣を構えることができないほどとは思えない。
「……どこか、待ち伏せに適したような地形はありましたか?」
海岸線に布陣していないということは、他に迎撃することに適した地形がある可能性があった。
しかし、白騎士団の小隊長は首を横に振った。城へ続く街道沿いは畑作に適した丘陵が続いており、所々に林などあるもののそれなりの規模を持つ軍を潜ませるのは難しそうだという。
アリティアとグラは島国であり、グラはどちらかというと山がちな地形を持つ島にある。グラの大半は丘陵地帯と山岳地帯に分けることができるが、王城からアリティアへと向かう街道と、アカネイアの玄関口にあたる港へ続く街道は山岳地帯を通らない。なだらかな丘陵地帯に延々と続く街道は、その両側のほとんどが開墾されて畑となっており、見通しは良い。
つまり、その小隊長の報告はマチスがそう事前に得ていた情報を裏付けるものでしかなかった。
しかし、ここにマチスが考えに入れていた一つの部品が加わった。予防すべき予測に実体が伴ったのである。
「問題はありません。予定通り上陸し、グラの城を目指します。」
マチスは顔を上げ、そう宣言した。マチスがそう宣言すれば付き従う者に異論はない。
翌日未明、マケドニアの遠征部隊全軍はなんら抵抗を受けることなくグラ領の海岸へ上陸した。素早く隊列を整えると、不安そうにしているグラ住民の目を横にグラの王都へと向かった。
将軍職と言うのも戦時中に指揮だけを取っていれば良いというわけでもなく、普段から多忙なものである。朝に出仕し、片付けなければならない業務を片付けているうちに知らず夜遅くなってしまうことも珍しくはない。部隊の管理、物資調達の認可、要請を行い、自己の鍛練も怠らない。できた将軍であるならば。
オレルアン緑条城の留守を任されている将軍、ムラクはそこまで優秀な将軍というわけではなかった。無論、仮にも前国王に認められて将軍職に就いているわけだから極端に無能というわけでもない。
ただ、どちらかと言えばムラクは前線指揮官であり、平時の細々とした業務は苦手としていた。マチス配下の将軍として、タリスへはマリオネスを、レフカンディにはハーマインを単独で置いていることに対し、ムラクがマチスの補佐としてオレルアンに置かれているのはそういった面もある。
ムラクは平時には、部隊の管理はそれぞれの大隊長へ、物資関連は輜重隊へとほぼ任せきりであり、自分は彼らから上がってくる要望や報告などを認可するだけである。
しかし、マチスがグラ遠征へと赴くと、普段はマチスが行っていたオレルアン領統治の為の執務も行う必要が発生し、その忙しさに少々閉口していた。マチスがこれまで作り上げてきた統治機構によって、その大部分の業務はムラクの知ることなく処理されるようにはなっていたが、それでもムラクが処理する必要のある仕事量はいつもの三割増程度にはなっていた。
夜遅くまで執務を取り、城内に用意された上級士官用の宿舎へ帰りしばしの休息を取る日々。マチスが戻るまで、これは変わらないと思っていた。いや、変わることを意識したことすらなかった。マチスがグラを攻略し、元のそれほど忙しくはない日々に戻ることを願っていた。
「閣下!緊急事態です。閣下!」
宿舎の扉を激しく叩く音がする。深い眠りの底にあったムラクはその淵から強制的に引きずり出された。混濁とした意識で鈍い頭痛を感じつつ外を見るとようやく日の光が差し始めようかという時間だった。
「何事だ!こんな時間に!」
急速に意識を覚醒させていったムラクは不意に睡眠を中断させられた怒りをぶつけつつ怒鳴った。
「城が所属不明の軍勢に包囲されております!急ぎ執務室までお越しください!」
ムラクは首を捻った。どこの軍がこの城を包囲できるのか、理解不能だった。
「詳細は執務室で聞く!すぐに行くから状況を整理しておけ!」
「はっ!」
ムラクもやはり将軍である。留守を預かっているからには最大限の対応をする必要がある。何もマチスがいないときにこんな厄介なことにならなくてもと思いはしたが、手早く着替えると伝令に来ていたであろう兵士の後を追い、執務室へと向かった。
執務室にいたのは、中隊長レベルの士官が数人と先ほどの兵士、ムラクの幕僚である参謀役の二名。時間のせいか城中のそこかしこで騒ぎが発生している割には少なかった。ムラクは彼らを一瞥すると自分の席に就いた。
「ゴストバルや、フィリップ達はどうした?」
ムラクは指揮下にある部隊の大隊長の名を口にした。
「各大隊長は城門にて防衛の直接指揮を取られております。」
「そうか。誰かわかる者、状況を説明しろ。」
予め手筈を整えていたのであろう、士官の一人がムラクの前に進み出た。
「敵勢力は一刻ほど前に現れました。夜間に付き、各城門は閉ざされていたため、城内への敵侵入は許していません。目下、各大隊長が各城門へ詰め、対応を行っています。」
「敵の規模と正体は。」
「敵勢力は四千人程度。一部騎兵があるようですがほとんどは傭兵のようです。何者であるかまではわかりません。」
ムラクは唸った。正体不明ということは特定の旗印や、国軍の特徴を示すような物が何も認められないと言うことだろう。夜半の奇襲の上、正体不明とは準備の良いことである。
しかし、マチスが兵を連れてグラへ向かったとは言っても、未だオレルアンの駐留兵力は二千人程度はある。敵に対して半数程度であり、正面切って野戦を行うことは厳しいが援軍が来るまで城を守ると言うのであれば十分なはずだ。
「戦況はどうなっている?」
「はっ。敵軍は各城門を封鎖する形で軍勢を固めており、他は城をゆるやかに包囲する形で布陣しております。城門に詰めている部隊と敵軍との間で睨みあっていますが、敵軍は間を取りこれ以上攻めては来ない模様です。」
「なるほど、状況は理解した。」
さすがにここまで状況が単純であればムラクも理解することは容易い。敵には援軍がいる。
いくら手薄とは言え、四千人程度の軍勢で真正面から緑条城を落とそうとすることなど無謀の極みである。敵に勝算があるのならば、何らかの援軍が控えているのだろう。
「外部への連絡はどうなっている。」
敵が援軍を待つのであれば、こちらも当然連絡を飛ばす。緊急時であるので上長の自分に連絡するまでも無く伝令が飛んでいるはずであった。
「カチュア殿が、ペガサスナイトの伝令を二騎放ったようです。」
士官の答えは、この時点でムラクに与えられるべき最低限の情報だった。
ムラクは状況を楽観視してはいない。ムラクの計算では、タリスに駐留しているマリオネスの軍勢ではこの勢力を跳ね返すことはできない。レフカンディに駐留しているハーマインの軍であれば重装歩兵を多数保持し、この軍勢を蹴散らすことも簡単だろうがいかんせん遠すぎる。急行してもらったところで一週間は掛かるだろう。状況的に、この軍勢を立ち退けることができて、最も早くオレルアンへ到達できる軍はマケドニア本土の竜騎士団、白騎士団しかない。
マチスが極秘に行っていた軍の運用を知らずにいたムラクは、現状が厳しいものであると確信していた。
「……マチス殿……アカネイア北方をいささか手薄にしすぎたのではありませんか。」
知らず独り言が口をついて出た。しかし、それは今、敵が目の前に現れたからこそ言える言葉だった。オレルアン、タリス、レフカンディ。共にマケドニアによる統治は安定しており、まとまった武装蜂起の目などかけらもなかった。敵勢がどこから現れたのか、それを特定できないことが何よりの証拠であった。
「詳しいことを聞きたい。カチュア殿を連れてきてくれ。」
ムラクは詰めていた士官の一人に命じる。さらにその場での対応を指示する。
「各門の守備隊はそのまま外の軍勢を警戒しろ。こちらからは絶対に討って出るな。敵が接近するなど状況に変化があれば逐一報告しろ。」
各部隊から指示を待つために詰めていた伝令たちが、これを聞き走っていった。
「城内の警戒も厳かにしろ。敵も明らかにされている奇襲法を好んで使うとも思えぬが、念を入れろ。」
城外からの隠し通路を利用した進入にも警戒するようムラクは呼びかけた。
もっとも、敵がその方法を取るとはムラクは考えていない。隠し通路の類は城からの脱出手段が無くなるという危険を冒しても全て潰すことをマチスは選択した。さらに、あの戦いは大陸中にその経緯が知られすぎている。使われた策が奇策であればあるほど、攻める側も、守る側に何らかの対策があると考え、同じことはしないはずだ。
しかし、用心しておくにこしたことはない。前の戦いからこの方、この城は三度持ち主を変えているが、一度として正攻法では攻略されていないのだ。敵に何らかの策があると考えておいても間違いは無い。
ただ、ムラクは今回の敵に奇策は無いという判断を下していた。マチスがグラへ遠征していて城内は手薄。しかも、どこからも攻められないと言う自信を持った上での手薄状態だ。ある程度の規模を持った軍勢で力押しにして城を落とす絶好の機会である。
ムラクの頬を一筋の汗が流れた。場合によっては覚悟を決めなければならない。
城内物資の確認や、城壁構造の弱点を確認などしている内に、夜が明けた。そして、敵の姿が徐々に明らかになってくる。
「親アカネイア派の残党?」
敵の正体は意外なものであった。
「何故そのような連中が今ごろ蜂起する。やつらの敵はオレルアン王の兄弟だろう。」
オレルアンは先の戦乱より以前に内乱を抱えていた。
オレルアンはアカネイア国王カルタスの従兄弟、マーロンによって建国された。カルタスは百年前にメディウスが現れた時、その動乱を乗り越えた後にアカネイアの王女であるアルテミスと結ばれアカネイアの国王となった人物である。
建国当時、オレルアンへはアカネイアの貴族が相応数入植した。草原には当時より遊牧民が多数暮らしていたが、アカネイアからやってきた彼らに、草原の民は奴隷扱いされることとなった。
当時、辺境であったオレルアンの住民には、文明レベルの違い過ぎるアカネイアからの入植者に抗う術はなかったのである。
アカネイアから入植した貴族達はそのままオレルアンの貴族階級となり、平民から富を搾取した。草原を移動する遊牧民も、定置にて農耕する農民も搾取の対象として代わることはなかった。むしろ、遊牧民などは租税の基準が全く明確化されていなかった分、不当に搾取されていた。
しかし、現在の国王であるルクードの代になり、王室は貴族達から離れ、平民に近づくようになった。
王室にありながら騎馬を自由に乗りこなし、草原の民と触れ合う機会の多かったルクードの弟ハーディン。その影響である。
ルクードはハーディンの話を聞き、貴族による過度の租税を改めさせた。ハーディンは平民から有能な若者を見出し、精強な騎士団を構成した。急激な改革だったが、貴族達の反発は散発的だった。団結している王室側に、ことがあれば自分の利益のために他を貶めようとする貴族連中がかなうはずもなかったのだ。
横槍が入った。オレルアンの貴族と癒着していたアカネイアの貴族がこれを支援したのである。
オレルアンは長い内乱状態へ突入した。アカネイアの支援を受けたオレルアン貴族は、まとまりは無いもののその力だけを頼みに執拗にハーディンと争った。数年に渡る争いの結果、ハーディンは貴族達の活動を完全に抑えることに成功した。
オレルアンの貴族はその多くが改易、取り潰しとなり、多くの領土がオレルアン王室の直轄となった。もっとも、そのほとんどは草原であり、何ら制限されること無く民に解放された。
オレルアン騎士団が精強とされるのも、ハーディンが草原の狼と呼ばれたり、オレルアン騎士団が狼騎士団と呼ばれたりするのも、この内乱が元になっている。
つまり、親アカネイア派とはこの時ハーディンに鎮圧された反乱貴族達のことだ。
まだ、マルスやシーダが幼少の頃、ミシェイルですら未だ政治に関わっていなかったような時代のできごとである。確かに歴史上の出来事とできるほど時間は経過してはいないが、彼らがマケドニアに対して牙を剥く必然性は全く見当たらない。何故、今ごろと言うのはほとんどの者が持つ印象ではあった。
しかし、さすがにムラクも将軍であり、ことの前後関係から裏にある存在を割り出した。これが、平時に突然攻撃を受けたのであればそれこそわけがわからなかったかもしれないが、今はマチスと多数の兵力が不在だ。敵にしてみれば攻め落とすには絶好の機会である。グラの一件も根拠の一つとなった。
「……後ろにガーネフの匂いがするな。」
今、この時期にオレルアンを落として一番得をするのはガーネフである。
「敵の魔法による攻撃に十分注意するよう各隊に連絡しろ。城門の防御にも隊を極端に密集させるな。」
ムラクは一通の伝令を飛ばした。魔法について言及すれば、各隊では嫌が応にもカダインについて警戒するはずだった。
未明からの指示が落ち着くと、ムラクは執務室を出て実際に敵勢を確認すべく視察に出た。
緑条城は草原の丘陵に立てられた城塞都市であり、市街地まで城壁と堀で囲われている。それぞれの城門を見て回るのはそれなりに手間のかかることだった。
城壁に上り、草原を見下ろしてみれば敵勢はこちらの矢の届かない程度の距離を保ち、睨みを効かせているのみである。目算で四千人の軍が城を囲んでいると言うが、その程度の人数で完全包囲することなど当然不可能で、各門の前に敵の兵力はほぼ固まっている。
敵の包囲下という緊急事態にありながらずいぶんとのんびりしている。対峙している兵士達はそれなりに緊張感を持続させているのであるが、ムラクの目にはそのようにはとても見えなかった。
ムラクは状況に変化があるまで具体的な戦闘は起こらないであろうことを確信した。そして、各門を守備している隊へ少しでも状況変化があれば連絡をよこすことだけを厳命し、執務室へと戻った。
執務室へ戻ると、カチュアが待っていた。
「カチュアか。来るのが遅かったから城内の巡回に出ておったぞ。」
「……お疲れ様です。伝令の結果を待っていたため、参上が遅れました。申し訳ありません。」
椅子に戻ったムラクへカチュアは一礼した。
戦争終結時に広大になりすぎたマケドニア統治領。カチュアはその広大な領土に散らばる各拠点間の連絡を行う為に白騎士団からオレルアンへ派遣され、連絡用の白騎士団中隊を管理している。
しかし、実際のところカチュアの役割はそれだけに留まっていない。
ただ単に各拠点間の連絡を行うだけであれば、通常時の連絡制度、緊急時の連絡制度等が決定されればそれほど難しい仕事と言うわけではない。緊急時には責任者にそれなりの判断力が必要とされるかもしれないが、最終的にどことどのような連絡を取るかを決定するのは軍団の長である将軍か、その参謀軍団である幕僚達だ。極端に重い責任と言うわけではない。
だが、カチュアは紛れも無く現在の白騎士団では二番目の席次にある者だ。白騎士団長はカチュアの姉であるパオラ。妹のエストも白騎士団員の見習から二年程前に正式に白騎士団員となり、その実力は折り紙つきだ。
三姉妹は平民の出身ではあるが、ミネルバに見出されて重用された。ミネルバ不在の間、白騎士団長へと抜擢されたパオラはミシェイルにも知己を得て、ミネルバ帰還後も白騎士団団長の地位にある。
カチュアの場合は、連絡隊の長という肩書き以上にマチスの側近として動くことが多かった。マチス直属隊の隊長であるクラインがマチスの右腕と呼ばれると、それでは左腕はカチュアだろうと言う者も少なくは無かった。
実際、マチスしか知りえない情報を、次に多く与えられていたのはクラインとカチュアだった。特にカチュアは機敏な移動手段に恵まれているため、極秘の連絡に重用されるのは自然の成り行きであった。
現在も、カチュアはマリオネス将軍が率いる軍勢が平原のすぐ近くに待機し布陣していることを知っている数少ない人物だった。この情報は、現在のオレルアンでは、カチュアが統率している連絡隊に所属する小数人数の他には誰も知る者はいない。
カチュアは敵が現れたと言う報告を受けるや否や、二騎のペガサスナイトを南方へ放った。一騎はマチスへの報告、一騎がマリオネスへの連絡である。連絡先を偽装するため最初はわざと真南へ飛び、敵勢から視認されにくいよう安全な位置で低空飛行へ移行してからそれぞれの目的地へと向かうよう指示がされた。包囲軍に弓で狙われないよう、城内で十分な高度を得る必要があるため、城を飛び立つにも結構な手間がかかっていた。
カチュアは、ムラクから呼び出しを受けていたものの、マリオネスのところへ連絡へ言ったペガサスナイトが戻ってくるのを待っていたのである。行動の方針がはっきりした状態で話を進めたかったからだ。
そのペガサスナイトがマリオネスからすぐ出撃すると言う知らせを持って帰って来たのがつい先ほどのこと。これらのことをこの時点で初めてムラクに話したのである。
「それでは一両日中にマリオネスの軍が到着するのか。」
「はい。」
ムラクは唸った。マチスはこういう事態が発生することを予測していたのだ。
「わかった。マリオネスの部隊が到着し次第、こちらも城中から出撃できるよう準備をしておこう。」
「よろしくお願いします。」
と、カチュアは一礼した。
真面目な娘だ。ムラクは立ち去るカチュアの背を見ながらそう感じていた。そして、マチスがますます自分の考えの及ばない存在であることを改めて思い知らされていた。
ムラクは城門の守備を最低限残し、各城門からちょうど等間隔の位置にある城下町の広場へ千五百程度の兵力を終結させ、そこへ待機させた。万が一、マリオネスが到着する前に敵の攻勢があっても効果的に兵を充足させることが可能なはずである。
城の内外で対峙したまま一日が過ぎた。ムラクも多少休みはしたが、宿舎に帰ることなく、城内で仮眠を取り夜を過ごした。
明け方になり、敵方に動揺が見られた。
「頃合を見計らって討って出るぞ。いつでも出られるようにしておけ。」
マリオネスが兵を率いてやって来たのだと目星をつけたムラクは、出撃の準備をすべく城内の各所へ伝令を飛ばした。
入れ替わりに、東方から味方の軍が到着したと言う報告が寄せられた。
前日、マリオネスの方では伝令による状況報告を受け取った後、二食分の炊き出しを行い全軍の休息を早めに取らせていた。陣を引き払う用意だけを行い、夜中過ぎに全軍を動かした。平野部へ降りるとその場で陣形を整え、城の方へと向かった。
夜明けに敵が気が付くと、東から大軍が迫ってきていると言う具合である。
ムラクはペガサスナイトを常に城の上空へ飛翔させ、状況の変化を逐一報告させた。動揺の広がる敵勢からは兵の逃亡が多く確認されていると言う。マリオネスの軍と敵勢が号令一声で敵と交戦可能な間合いまで寄せた時には、敵勢の四分の一は逃走した後であった。
所詮は烏合の衆だと、ムラクは口の端にあまり見目はよくない笑いを乗せた。大儀なく、属する組織への義理も存在しない傭兵と言うものは時として簡単に裏切る。特に掛かっているのが金品の類だけであればなおさらだ。
一つの戦場における実績を元に次の雇用を探す傭兵集団のようなものはまれだった。ナバールのように傭兵としての高名が大陸に知れ渡っているような存在は稀有である。だから普通の名も無い傭兵は慎重に行動し自分の命を最優先させ危険性の高い戦いは避ける。傭兵として名声を高め、勇者と呼ばれるような存在であってもその行動に変わりは無い。
アカネイア大陸では先の大戦以前にはほとんど大きな戦いは無かった。マケドニアが建国され、落ち着いてからの大きな騒乱と言えば、アリティアとグラの紛争、タリスの部族統一戦争、オレルアンの内乱くらいである。どれも、時期は異なるし、規模もそう大きなものではない。
傭兵を雇用するのは商家の護衛が主でそう多くはなかった。そのような時代、傭兵とは食い詰めた者達がやむを得ずなるようなならず者達の職だった。山賊団や盗賊団に雇われて略奪の片棒を担ぐ者も少なくは無かった。
戦乱が近くなり、各国家は戦力増強の為に傭兵を雇い入れる機会が増えたが、傭兵を受け入れるための機構も、傭兵側の傭兵としての権利を確保するための組織も存在せず、各地でトラブルが発生した。
この傭兵に関する扱いについては、未だ大陸ではこれと言った方法は確立されていない。国軍を持たないタリスでは義勇兵と言う形で傭兵と言えども国軍と同じ扱いがされていた。マケドニアでは志願兵と同じ扱いとされ、これに不服がある者は雇い入れなかった。アカネイア同盟軍では志願兵と同じ扱いだったが、アリティア、タリス、オレルアンの合同軍であったため、国軍と言う枠組みにも属することが無く中途半端な存在であった。
先の戦いから四年が過ぎたが、未だ傭兵が組織的な行動を取ることになるような下地はできていない。戦争が終わった後のマケドニアでは傭兵を必要としなかった為、国家に対して集団で働きかけるような傭兵団など発生するはずもなかった。このような状態では有利なときの傭兵は強いが、不利な時は脆い。最初から不利と解っていれば覚悟して雇われることもあるだろうが、有利から不利な状態へ変化したとなればその崩れ方も目に見えるようになる。
その通り敵勢は浮き足立っていた。逃亡兵の所為で陣形も乱れている。上空にいるペガサスナイトからはその様子がありありと窺えた。
喚声が上がり、マリオネスの軍と敵軍の衝突が始まった。敵勢も迎え討ってはいるものの残っている者達の戦意は低い。重装歩兵が横一列に並び、波状の陣形を組んで攻め入るマケドニア軍の攻撃に、まともに抵抗できるものはほとんどいなかった。
城内のムラクは城門の偵察兵から戦闘が開始されたという報告を受け取ると、直ちに旗下の兵へ出撃命令を下した。部隊は混乱している兵を討つべく、東門から突出した。先頭を騎兵が駆け抜け、歩兵が続いて掃討する戦術である。
ムラクも自ら戦況を確認すべく、東門の城壁に上がった。そこから見えたものはあっさりと崩壊していく敵軍の陣容であった。
いかに戦力差が有り、いかに挟撃に晒されているからと言っても、その崩壊具合はムラクですらいぶかしむほどの早さであった。もっとも原因はすぐに判明した。
西門と南門を圧迫していた敵が東門へ援軍に来ることなく、合流して撤退しようとしているのだ。つまり、東門で相手にしていたのは敵全軍である四千の兵力ではなく、わずか千人弱の兵力だったのである。
ムラクは敵の戦意が低いことに半ば呆れ果てていた。東門の敵兵は捨石である。
ムラクはすぐさま撤退する敵軍にペガサスナイトをはりつかせた。そして、マリオネスへと連絡を取った。
マリオネスの方でも状況は察知していたのだろう。交戦中の敵へ降伏勧告が行われ、多くの敵がこれに応じていた。マリオネスはすでに足の速い部隊で敵の追撃を開始しているという。すでに大勢は決していた。
日没までには敵兵は散り散りとなり、敵軍の首謀者数名もムラクとマリオネスの前に引き出されることとなった。東門の部隊を指揮していた者はマリオネスに捕らえられていたが、それ以外の首謀者は内部の裏切りにより捕らえられてきた。捕らえた者に余り関わりを持ちたくなかったマリオネスは、適当に褒賞を渡すと追い払った。それは傭兵とも山賊ともつかないような連中だった。
首謀者は、ハーディンに追い落とされた貴族の子息達であった。オレルアンの内乱をハーディンが治めた時、反乱軍の主要人物を処刑した上でその主要人物に連なる者達からは貴族の位を剥奪し平民へと落とした。その後、オレルアン国内で細々と生きていた者達であった。
彼らは捕まってからこちら、何ら隠すところはなかった。ムラクの見立て通り、彼らの後ろにはガーネフがいた。
彼らには実行力などは何もなかったのだ。傭兵を雇わせ、隠れ、時期を見て蜂起するプロセスの一切が、ガーネフが考案したものだった。彼らについていたガーネフのエージェントは戦闘が始まった時にはすでにいなくなっていたと言う。
彼らは緑条城を包囲後、ガーネフの援軍を待ち、援軍を得た段階で総攻撃を行う手筈になっていたと言うことだ。
「包囲してから一週間はマケドニアの援軍は来ないと断言していた。我々は謀られたのだ。」
首謀者の一人はこう力説したが、ムラクもマリオネスも苦笑するだけだった。
捕らえられた首謀者はマケドニアに対して反逆したことには変わりなく、幾日か牢に繋がれた後処刑される。
事が落ち着いた後、ムラクとマリオネスは詳しい事情を聞く為にカチュアを呼び出した。カチュアは、二人の将軍を相手にも物怖じすることなく、マチスから依頼されていた内容について説明した。
カチュアもマチスから全てを聞いていたわけではなかったが、緑条城が狙われることをマチスが察知し、対策を取るという最低限のことは知っており、これを告げた。
「結局は、マチス殿の描いた通りになったわけか……恐ろしいお方だ。」
「私などは理由も聞かされずにレフカンディから到着した軍勢をサムスーフ山へ展開せよとだけ言われましたからな。わけがわかりませんでしたぞ。」
ムラクもマリオネスも説明を聞き終わった後は表情に苦いものを浮かばせていた。
カチュアも半ば苦笑しつつ、マチスが率いているグラ攻略部隊のことを考えていた。マチスの言っていた通りであれば、向こうの戦闘もそろそろ終わっているはずであった。