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FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
十七章 見えない集結
ドルーアが壊滅したからといって、マケドニアの方針に変更は必要ない。それがマチスの基本的な意見であった。ミシェイルはそんなマチスの考えをひとしきり聞き取っていた。
通常時には年に数度しか行わないミシェイルとマチスの会談であったが、今回は前回から一月半程度しか経っていない。しかしその一月半の間に起きた出来事はここ四年間の平穏な時間とは比べ物にならないくらい大きかった。善後策を考えるために行われたマチスのマケドニア王都への呼び出しは、これ以上ないほど反応の早いものであった。
マチスがマケドニアの王都に来るまでの二日間でドルーアの情勢は沈静化した。いや、ドルーアは結局この奇襲を一日とかからずに沈静化させた。ミシェイルが伝令から聞いた話によれば、ドルーアでは城を守るゼムセル以下の竜人が竜へ変化し、街の周囲に分散する魔道士に攻撃をかけたと言う。ゼムセル以下の竜には竜の中での魔法に強い魔竜族の者が多くおり、それほど反撃を被ることもなく魔道士を駆逐したそうだ。
攻撃してきた魔道士は、そのほとんどが魔竜のブレスによって気化したが、極一部は消えるように退却したという。マチスは、ガーネフが大規模なワープの魔法を使ってドルーアへ魔道士を派遣したのだろうと予測した。
もっとも、すでに禁忌として失われたような極大破壊魔法を使用しただけあってドルーアの市街は廃墟と化した。全ての建物の内、三つに二つは直接的衝撃なり火災なりでその役割を失っていた。同時に、ドルーアにあった多くの命も失われた。マケドニアやグルニアの関係者などもかなりの被害を被っている。
単純な攻撃の割りに犠牲者は多かった。それは、攻撃が天空からの攻撃であり、建物ごと破壊するものであるため、攻撃から身を守るための安全な場所がほとんど無かったからだ。ドルーアの都に防空壕などあるはずも無く、犠牲者の半数以上は動ける状態にありながらも何もできることなく潰されたのだ。
攻撃から二日経っても各国の人質たちは行方不明だった。宿舎となっていた建物がほぼ崩壊していたと言うことはマケドニアにも届いていた。しかし、火災にもなっていないのにその建物からは何者も発見されていないのだと言う。ドルーアの方も、捜索は優先的に行っているようなのだが全く要領を得なかった。
結局のところガーネフの目的はドルーアの出鼻を挫くことと、都を破壊することでドルーアの動きを鈍くすることにあったのだろうとマチスは結論付けた。もっとも、それでマリアが帰ってくるわけでもなく、ミネルバは一日五回は礼拝堂に篭り祈りを捧げている。
マチスが描くこれからの予定は、特に今までと変更の無いものであった。即ち、予定通り軍を編成し、グラとカダインを攻撃すると言うことである。
「……ガーネフがこちらへ攻撃してくる可能性はどうか?予はほとんど無いものと考えているが……最低限の警戒だけはしておかねばならぬ。」
「それで構わないでしょう。ただ、完全に無いとは言い切れません。ドルーアと違って、カダインの内情については我々も把握しきれてないのですから。」
カダインの内偵は上手くいっているとは言えなかった。クラインが懸命にやっていることはマチスもわかっている。しかし、どうしても魔法の知識に乏しい者の内偵ではカダインの内情を計ることは難しかった。エルレーンへも対応を依頼はしたものの、まだ魔道士隊そのものが編成してから時間が経っていないものであり、グラとカダインの攻略に部隊を運用するつもりがあるのであればカダインへの対応はあきらめざるをえなかった。
「……ガーネフへの対処法はまだ見つからぬか。」
「申し訳ありません。全力は尽くしているのですが、はかばかしくはありません。」
ウェンデルから聞いたガーネフの能力は恐るべきものであった。今のままではガーネフに対する勝ち目は無い。
メディウスに対しても現状では勝ち目は無いのであるが、こちらには対処方法がある。ファルシオンをマルスに持たせればよい。この場合、方法があるからと言って、それが上手くいくとは限らない。いや、余程段取りを組んだ上であるていど運が良くない限り上手くいかないだろうことはわかっている。だが、ガーネフに対しては対処方法が無いのだから段取りや運以前の問題だ。せいぜい、運がよければ逃げ切れるといった程度であろう。それでは全く意味が無い。
「予としても対策については全力を上げているが、手がかりすら掴めぬ。ミロア司祭が使っていたといわれる光魔法があればとも考えたが……。」
「ミロア司祭は、ガーネフに殺されています。」
「それよ。一応確認はさせているが、ミロア司祭の魔法もガーネフには効かなかった考える方が自然だ。……それでもグラを攻めるというのか。この状況であれば、グラ、カダインを攻めることについて今しばらくの時間的猶予をメディウスにもらうことは難しくないぞ。」
「……我々は今、ガーネフを敵としています。ドルーアを敵とするべきではありません。……と言うのはおかしな言い訳ですね。ガーネフが健在の状態でドルーアに外交的な隙を見せてはならないのです。一歩踏み込むと、ガーネフと組んでドルーアを打ち倒すということは考えてはなりません。」
ミシェイルは黙って頷いた。このことはマチスに言われるまでもない。
三つの勢力があり、自分がその一つであるとき、他の二つを同時に相手にしてはならないことは余程の戦力差が無い限り自明なことだ。ドルーアに敵対しないのは、ドルーアとカダインを比べたときその戦力はカダインがグラを得た今であってもドルーアの方がはるかに大きいと言うのが一番の理由だ。二番目の理由はガーネフからファルシオンを奪わない限りメディウスを倒すことができないからである。
「……更に言えば、ドルーアにマケドニアとガーネフが結んだと思わせてもなりません。今回のグラ攻めは、ガーネフにその隙を与えないようにするものでもあります。」
マチスの言っていることは確かに筋は通っていた。
「マチス。メディウスはそう軽々とガーネフを信用するようなことは無いだろう。……メディウスとガーネフはドルーア同盟の全体会合意外にも何度と無くやりとりを繰り返しているはずだ。それを、どちらからかはわからないが突然関係を悪化させたのだ。悪化した関係が修復するようなことはないのではないか。もっとも、深い根拠は無いがな。」
ミシェイルが考えるメディウスは指導者として優れた素質を持っているように見える。ガーネフを切ったのも考えがあるはずで、ドルーアとカダインが簡単に仲直りすることは慮外のことであった。
「その根拠が今は大切でございます。」
ミシェイルはしばし考え込んだ。マチスの言うこともわからないではない。それに、マチスが戦略についてここまで積極的に推すのであれば信用しても良いということは経験でわかっている。もとより、グラ攻略に必要な軍勢を揃えることは今のマケドニアに取ってすれば容易いことだ。
「わかった。グラの攻略は卿に一任する。予算や必要物資は以前修正された通りで問題は無いのだな。」
「はい。」
ミシェイルに迷いは無くなっていた。
「ならばよい。グラの攻略如何によってカダインを引き続き攻めるかどうかの判断も卿に一任する。アカネイア中央の通行許可は予からドルーアへ取り付けておこう。」
「御意。しかし、さすがにガーネフへの対策が万全にならなければカダインへ攻め込むことは無謀でしょう。グラを攻略すれば、一部を駐留させ一度、帰還します。」
「そうか。」
ミシェイルは納得した。カダインまで行かないのであれば、確実性はさらにあがる。ドルーアに対する面目も立つ。
「ただカダインの動きもあります。……グラへは三週間後に進発致しますが、その際に少々小細工を致します。」
「小細工?」
「はい。これは、私の管轄内で行いますので、陛下の御手を煩わせることはありません。問題が無ければそれに越したことはないものです。」
マチスの言い方は曖昧だった。おそらく予測が不確かであり、ミシェイルに進言するような段階でもないのであろう。しかし、マチスの根回しが功を奏している場面はミシェイルも何度も見ている。
「わかった。卿に任せる。」
それは、ミシェイルのマチスへの深い信頼を示す一言であった。会談を終えたマチスは、よほど多忙なのであろう。苦手であるにも関わらずその日の内に竜騎士の背中を借り、オレルアンへ戻っていった。
ドルーアの王都は、火災こそ沈静化したものの未だ瓦礫の中にあった。そして、結局のところ各国からの人質達は見つかっていなかった。メディウスが考えているマケドニア王女、マリアの人質としての意味は、ドルーアの他の者が考えるよりも大きい。ここについてはドルーアとして対策を取るべきだとメディウスは考えていた。
メディウスはガーネフと反目した以上、ガーネフと結んでマケドニアを討つわけにもいかず、逆にマケドニアの離反を恐れる立場に今はある。マケドニアの勢力を恐れているのではない。数が少ない竜人族のみで大陸を支配することには実質的には不可能であり、人の力を使わざるをえないのだ。
竜人としての威を大陸へ示しつつ、人を竜人より立場の低いものとして支配しなければドルーアに集まっている竜人達は納得しない。マケドニアに大陸の半分を任せているのは個体数として少ない竜人が大陸を統べる手段なのである。つまり、ドルーアとしてもこの構想はマケドニアがドルーアを離反した時点で瓦解する。
幸いにもカダインからの攻撃以前に発したマケドニアによるカダイン攻撃の命令はまだ生きている。これが効力を失う前にマケドニアを結びつける何かしらの行動を起こすべきだった。
大陸に暮らすほとんどの人民には想像もつかないことであったが、メディウスの内心にも忸怩たるものがあった。ドルーア帝国自体の力は百年前に復活した時と比べると以前の四分の一にも満たない。そもそも、メディウス自体がガーネフによって無理やり起こされたような形での復活だ。それでも、竜人族としての力におごることなく大陸全土を直接統治下ではないものの友好国化できたのはメディウスの非凡な指導者としての能力故だった。
メディウスにはガーネフの考えがわかっていた。自分がこのまま力を付けていけば地竜を越えて暗黒竜と呼ばれる存在となる。暗黒竜は神竜と相対する竜族でも最強の存在である。しかし、そうなった場合、自我が崩壊し、ほとんど本能のみで破壊を繰り返すこととなる。当然、帝国の秩序を守り竜達を率いることもできなくなってしまう。
ガーネフがそんな状態になったメディウスを利用しようと企んでいることは確かだった。よって、お互い相打つことができないとわかっていて尚、ガーネフとは反目せざるを得なかった。今ではメディウスもガーネフへの対抗策を部下に命じて模索させている。しかし、人の歴史以上、数千年を超える叡智を誇る竜人族にもそれは未だなしえないことだった。
自分は何の為に復活したのか。メディウスは行動の自由を得て六年、大陸を制して四年、時々考える。メディウスが復活する以前も、竜人達は細々と生きていた。アカネイアやマケドニアなどでは目の敵にされていたようだが、グルニアの民と竜人達はそれほどなかも悪くはなかった。
しかし、メディウスは地竜族の長であり、百年前に大陸を制圧した王者である。今更人と仲良くすることなど不可能だった。自分が望まない復活であったとしても、目を覚ました以上座して死ぬわけにはいかなかった。
竜人の個体数は少なく、新しい血も生まれることは無かった。数千年前には竜族の文明は絶頂を極めたと言われていたが、メディウスはそのことを知らない。メディウスが竜族の中にあって力を付けたころには、すでに新しい血は生まれなくなっていた。
竜族は種族として寿命を向かえたのだと、知識者は判断した。竜族の頂点にあった神竜族のナーガは、大陸に根を張りつつあった人類を見て竜族は滅びるべきだと判断した。
冗談ではなかった。生まれた以上は精一杯生きる。メディウスはそのように単純に反発した竜達の頭となった。しかし、寿命を迎えた竜族は、その力を封じることでしか生きることができなくなっていた。力を封じなかったものは知性を失い暴走した。混乱の極みに達した竜族を、ナーガは丸ごと封印した。竜の文明がまだ形をなしていた時代の記憶。メディウスの記憶はここで終わっている。
メディウスは二度復活した。竜人の多くが復活したメディウスを慕い山奥の竜の王国に集まった。知性を失うことを恐れたために、竜の本性は竜石と呼ばれる石に封じこめることとなったが、皆、竜としての誇りは失っていなかった。人の風下に立つを良しとしなかった。
メディウスは竜人達に期待され、その期待に答えることができた。しかし、いまやどのようなことをしてもガーネフの考えを阻止しなければならない状況に追い詰められている。実際に、先の攻撃では少なくない竜人達の被害が出ているのだ。それでも、部下の竜人達は竜人族の誇りもありガーネフを相手としてみていない。マケドニアがどこまでやってくれるのか。マケドニアがガーネフに付くことはないのか。ドルーアの都でのメディウスは、苦悩にあえいでいた。
マケドニアの王城は、盆地の中の丘の上にある。ある丘を切り取り、周囲を崖にして上れないようにし、城としての入り口は一箇所に限定している。王城は城下町と比べるとかなり高いところに有り、そこにたどり着くことはちょっとした運動だ。
城壁で囲まれた丘の上はかなりの広さが有り、常に竜騎士団の一部隊が駐留している。他の国には無い空の軍隊を持つが故の城であった。包囲されても、矢の類は届かず、逆に竜騎士団で上空より全く被害を受けずに攻撃することも可能である。
広い盆地には城下町がある。以前はノルダの街などと比べると見劣りがしていたが、打ち続く戦乱の中でも唯一発展しつづけ、今ではワーレン、オレルアンと並んで大陸を代表する大都市だ。
しかし、盆地も少し離れると、農村地帯になる。畑では、芋の類や、さまざまな野菜が収穫を待っている。マケドニアの本国はほとんどが山岳地帯で、農業は盆地を切り開かれて行われている。マケドニアの領主は王城のある広い盆地を除いては、ほぼその盆地ごとに存在する。中には森深く、未だ開墾されていないような土地も存在したが、マケドニアの国力増強政策によって農業に向いているような場所は積極的に開墾が行われている。
マケドニアはドルーアと陸続きであり、ドルーアの影響をまともに受ける位置に存在する。北方は盆地と山地の繰り返しがあって、そのままドルーアへいたる。マケドニアから出ている太い街道は、ドルーアへ向かうものと南の二つの港町へ向かうものの三本。どれも重要な道であった。
マケドニアのある島にはマケドニアとドルーア以外の国家は無い。そもそも、アカネイア大陸自体が大陸とは名ばかりの島の集まりなのだ。タリスは当然だが、グラもアリティアもグルニアも島国である。ただし、グルニアとアリティア、大陸部の海峡は狭く、カシミア大橋とよばれる大きな二つの端でつながれており、グルニアからアカネイアまでは多少強引な経路を選定すれば船に乗らずに移動することもできる。
しかし、マケドニアからはそうもいかない。アカネイア大陸にある各国は基本的に海路で結ばれているのである。
マケドニアからは西にグルニア、東にアカネイア、ワーレンへと出る海路が存在する。北岸からはグラが近いのだが、北岸の近くの山岳地帯はドルーア帝国の領土である上、険しい山地となっており、港に適した土地はない。グラに渡るには一度アカネイアへ行き、そこから再びグラ行きの船に乗ることになる。アカネイアからグラ行きの船は、アカネイアとノルダの中間から峠をひとつ越えたところにある港と、アカネイアからマチスがオレルアンへの奇襲に使用したアドリア峠を越えたところにある港から出ている。アドリア峠はレフカンディの谷と並ぶアカネイアの要衝であるが、ドルーアがアカネイアを落として以降はそれほど拠点として重要視はされていない。それは、一般的にはアドリア峠がグラとアカネイアを結ぶ峠であるという認識があるからで、アドリア峠から尾根伝いにオレルアンへ侵攻したマチスの例があってもその認識は変わっていなかった。
グラとアリティアも海路でつながっている。両国はアカネイアが宗主国として大陸を統べていた時期にあっても時としてその仲が険悪となることがあった。これはグラがアリティアから分化独立して成立した国家であることが原因であったが、そのためにこの海路は安全に使用できるときとそうでない時の差がはげしかった。
グルニアからは普通に考えれば二回以上は船に乗らなければアカネイアへはたどり着けない。陸路を通ることは大きな遠回りになるのだ。このため、グルニアはアカネイアから辺境の蛮国扱いをされていた。しかし、その出自は由緒正しいものである。
グルニアの建国王はオードウィンと言う。百年前のドルーア戦役で勲功のあったアカネイアの将軍だった。その勲功を認められてグルニアの建国を許された……と言えば聞こえはいいが、実質はドルーア支配下にあった辺境への左遷である。その能力の高さをアカネイアの中央に警戒され、妬まれたのだ。オードウィンは人望も高く、この理不尽な命令に従ったオードウィンに多くの有能な騎士が着いていった。こうしてグルニアは戒律に厳格な騎士の国として成立したのである。同じ騎士の国でもオレルアンとはだいぶ成立過程が違う。
グルニアはマケドニアと同じく島国ではあるが、自然は豊かな土地柄である。カシミア大橋を臨む北方には大森林があるし、南方も川あり平野有りと非常に豊かだ。実際戦争がはじまる直前まで、グルニアはかなり豊かな国であった。しかし、富をアカネイアにもっていかれていることにはマケドニアと大して変わらず、国民の生活水準が高くなることは無かった。それでも代々の国王と黒騎士団は不満ながらもアカネイアに従っていた。初代国王オードウィンは自分をないがしろにしたアカネイアをも大切にし、それを後々に伝えたからである。しかし、そういった内憂外憂はあったものの、政情としては穏やかで国王も騎士団も国民から好かれる良い国であったのだ。
メディウスの存在がグルニアの全てを狂わせたと言って間違いではない。アカネイアの圧力はドルーアからの圧力になった。何よりも、かねてよりアカネイアや体制に不満を抱いていた者達がルイの存在を見限り、自由気ままに行動を始めたことがグルニアを駄目にした。最初の頃はドルーアの命令によって破竹の勢いで大陸東部や、アリティアなどを制圧した黒騎士団を中心とするグルニア軍であったが、カミユがニーナとの件によって解任されると一気に瓦解したのだ。欲のある者と騎士の誓いを守る者にグルニア内部は二分した。いや、正確には欲のある者は欲のある者同士で足の引っ張り合いすらしていた。
しかし、ドルーアにしてみれば利用しやすいのは欲を持っている人間だった。気が付けばロレンスなどの心ある者は何もできないほど追い詰められてしまったのである。
ユベロは、オグマと会った直後からいろいろと各国の情勢を聞き、マケドニア以外の国家が散々たる状態であることを確認した。ユベロがマケドニアと接触をするべきだという考えを持つまでにそれほどの時間はかからなかった。
ドルーアの山を降りる時は、ユベロは追っ手に対してかなりの警戒をしていた。宿舎が潰れている以上、行方不明で片付けていてくれればよい。しかし、熱心な捜索であれば、街の周囲にまで確認するだろう。もっともユベロのその考えは杞憂に終わった。二日経ってもドルーアからの追ってが来るような気配はなかった。
ドルーア地方の道筋は山また山だ。行き交う人々は、皆フードつきのローブを着ている。いかにも辛気臭いのだが逃亡中の身としては身元を確認されないことがありがたかった。街道沿いには一定間隔に申し訳程度の宿場町がある。ドルーアが竜人の都とはいえ、商取引や傭兵の口などを求めてドルーアへ行こうとする者もいる。そう言った者たちを相手にした粗末な宿屋がいくつか並んでいるのである。
メディウスが復活する以前には、街道などは存在しなかった。周辺を住処とする蛮族が生活のために使う道がせいぜいあるだけだった。マケドニアの民も、北部の山岳地帯へはほとんど足を踏み入れることは無かった。下手に足を踏み入れて蛮族に捕まったら何をされるかわからないからだ。
メディウスは復活して以来、そういった蛮族を傭兵の一部として従えて使っているという。もっとも、大陸制圧戦には蛮族達は参加していない。彼らの役目は専ら首都防衛である。彼らの多くがガーネフの襲撃で命を落とした。もっとも、蛮族をドルーアの都に集中して配置しているおかげで街道沿いの安全が確保されているわけである。
マケドニアとドルーアの国境、ドルーアへと登り始める山麓にちょっとした宿場町がある。ユベロ達は五日間歩いてそこまでたどり着いた。ドルーア帝国が復活する以前は寂れた村が点在していただけの地方である。ドルーアの雰囲気を引きずっており、どことなく寂しい印象はあるが、国境の街ということもありそれなりににぎわっていた。
ユベロ達は、その街でドルーアの者であれば大抵は見につけているフード付きの外套を外した。マケドニア領内に入ってしまえばドルーアでの格好は悪目立ちする。
もっとも、外套を外した方が普通に目立ちはした。オグマは革鎧に大剣を佩いているし、サムソンは盾まで身に付けている。ユベロが身に付けているローブはどう考えても魔道士の物だったし、ユミナとマリアに至っては真っ白なシスターの服装だ。便宜上、仕事を探している傭兵団という触れ込みにしているがそれにしてもシスターが二人もいるなどと言うことは無い。シーマだけが普通の、というよりは貧しい農村の村娘が着るような明らかに地味な印象の服を着ていた。シーマはジオルが寵愛したシーマの母親に似て美人であり、明らかに服装と釣り合いが取れていない。
しかたなくシスターだけはドルーアでの格好と同じ格好をしてもらうことにした。特にマケドニアではマリアに目を付けられるといろいろと面倒がある。マリアは、ユベロ、ユミナ以上に人質の期間が長く、成長する前と比べれば同じ人物だとわかるような人はほとんどいないはずであったが、シスターの格好そのものも目立つのでそのようにしてもらった。
国境自体は軽く越えられる。別段関所のようなものがあるわけではないのである。国境を監視する砦はあったが、壁があるわけでもなくここを監視している兵士達は暇をもてあましている。しかし、それだけに国境の付近は治安が悪かった。
マケドニアの王都へは、山道と盆地が交互に続く。大体一日に、二つか三つの山を越え、次の盆地で宿を取ると言った形でユベロ達は進むことになる。国境の街で一泊したユベロ達は山道に入り早速トラブルに見舞われた。
木々よりも岩肌の方が多い荒涼とした山間の街道で、ユベロ達の行く手を阻むように身なりの粗末な男達が現れた。十人、いや九人とオグマがとっさにその人数を数えた。
こいつらは、山賊といってもとびきり頭が悪そうだ。それがオグマの印象だった。そもそも、一行の中に剣を持っている傭兵が二人もいるのに仕掛けて来ると言う事が理解できなかった。護衛を連れていない商人などいくらかは通りそうなものである。
オグマとサムソンは剣を構えて男達と対峙した。ユベロは二人の真ん中へ位置した。
「命が惜しければ、有り金と、そのお嬢ちゃんたちを置いていきな。」
「へへへ、久しぶりの女だ。」
サムソンが舌打ちした。オグマもそれで納得した。確かに若い女性がこんなところを通るようなことはほとんどないだろう。
「オグマ、サムソンさん。ちょっと間を明けてください。」
ユベロの小声に何かとユベロの方を見たオグマはぎょっとなった。ユベロが懐から魔道書を取り出し、めくり始めていたからである。
「ELLE FIRE!」
オグマが止める間もなくユベロは詠唱を終えた。魔道書とユベロが掲げた指の間に発生した一塊の炎が、もの凄いスピードで山賊の頭と思われる人物に向かう。その炎は、山賊にたどりついた瞬間その山賊の体中に燃え移り、火達磨にさせた。
「ぐぁああ。」
炎に包まれた男は、不気味なうなり声を上げそのまま倒れ伏した。
「ユベロ様、いきなり魔法を唱えることもなかったのではないですか。」
剣の構えを半ば解いて、諭すほどオグマは呆れていた。
「先手必勝ですよ。こういった輩に遠慮などする必要はありません。」
ユベロは笑いながら次の呪文を詠唱した。今度は完全に詠唱するのではなく中途で抑えると、魔道書から現れた炎の塊を指先の上、中空に留め置いた。そして、頭を助け出し、すっかり腰が引けている山賊たちの目の前に出る。
「さきほどの炎は手加減をしていますので、その男の命までは取っていません。ですが、それでも向かってくると言うのであれば本気でいきますよ。」
気のせいか、ユベロが扱っている炎はぼんやりと明滅して見えた。
山賊たちは、それを見ると顔を青くして捨て台詞もはかずに姿を消した。ユベロはそれを確認すると中空に固定していた魔力の炎を開放し、霧散させた。
「ははは、これじゃ俺達の出番はないな。」
と、オグマが呆れともぼやきともつかないことを言った。魔法使いは相手にしたくないななどと考えていた。
「俺達の出番が多いようでは困るだろう。」
と、サムソンが言った。オグマはそれもちょっと違うだろうと思いながら、やや疲れた表情を見せていた。
この後には、大きな障害も無く旅は続いた。マケドニア領内に入ってしまえば、治安も良くなる。国境からマケドニアの王都には徒歩で七日ほどだ。飛竜では一日、騎馬では三日程度を要するマケドニア、ドルーア間の行程であるが、徒歩では時間もかかる。もっとも、当然飛竜や騎馬を使えるのは一部の人たちだけである。
一行は問題なくマケドニアの王都に到着した。城下町に着いてまずは適当な宿に落ち着いた。
「それで、これからどうするのですか。」
オグマのみならず、皆が気になっていることだろう。
「馬鹿正直にドルーアから逃げて来ましたと言うことはできないでしょう。騒ぎが大きくなってドルーアに嗅ぎつけられたらそれこそここまで来たことの意味がなくなります。……そうですね。私が、グルニア王室の名前で書状を書きます。オグマはこれをグルニアからの使者だと言って城へ届けてくれますか。」
「……わかりました。そうして下さい。」
オグマにはユベロがその方法を前から考えていたであろう事がわかった。
「書状はすでに用意してあります。」
と、ユベロはローブの懐から、一通の封書を取り出した。オグマはユベロの準備の良さに内心で舌を巻いた。
封書の宛先はマケドニア国王ミシェイル。差出人には名前は無く、ただグルニア国王とだけ書かれていた。
「これは……グルニアは今は空位となっております。マケドニアの者が信用しますでしょうか。」
「……これがわかりますか?」
ユベロは、封書のグルニア国王と記された下に描かれた複雑な文様を示した。
「何かの……記号に見えますが。」
「シーマ殿は見たことはありませんか。」
「……いえ。」
オグマもシーマも、要領を得なかった。
「私は知っています。書状の出元を証明する物ですよね。……それはどなたの物ですか。」
唯一反応を見せたのはマリアだった。
「……これは、グルニア国王の印章です。七王国にあって、国王やそれに準じる立場にある人物は自分の物であるという証拠としてこういった印章を描きます。各国国王の他は、グルニアですと黒騎士団の団長、オレルアンですと狼騎士団の団長であるハーディン殿、マケドニアのミネルバ殿……今でしたらマチス殿なども当てはまると思います。そういった方々の身分を証明するためのものです。」
とユベロは説明した。
「それでは私にはわかるはずがない。私はグラの王室とは関係のないところで育ったのだからな。」
「私も、タリスの義勇軍を預かってはいましたが、政治には関与していません。……見たことはあるかもしれませんが、意識したことはなさそうです。」
シーマとオグマが言った。ユベロもそのあたりは失念していたのであろう、自らを軽く嘲るような表情を浮かべた。
「ともかく、この書状をグルニア国王からのものとして城に届ければいいわけだな。」
「はい。お願いします。可能であれば返事を頂いてきてください。……そうですね。なるべく位が高い人の言葉であれば信憑性も高いでしょう。」
オグマには、正確性が薄いような文書にユベロの言うような対応がされるとは考えにくかった。しかし、ユベロを見てみれば十分勝算はあるようだった。ともかく、オグマはその封書を受け取った。
「では、これから行ってまいります。日の高いうちに。」
と、早速オグマは出かけていった。
オグマが運んだ封書は、城の門衛にほとんど怪しまれること無くミシェイルに届けられた。ミシェイルが採用した方策のおかげである。ドルーアとの同盟、アカネイアへの反逆、マチスやマルスなどと取り交わした反ドルーアの意思。そういった中でいついかなる重要な情報がいかなる形で舞い込んでくるかもわからないと考えたミシェイルは、自分宛の書状は全て直接自分に持ち込むことを決まりごととしたのだ。
当然、中には下らないような内容のものも多くあったが、表から見て重要そうでないものは執務の合間に見てそれで事足りていた。しかし、この時もたらされた封書はミシェイルの興味を引いた。それは他ならぬグルニア国王の印章が印されていたからだ。
グルニア国王のルイは病死。そして、グルニアの王位には今は誰もいない。ミシェイルの見たその封書に印されたグルニアの印章は、ミシェイルの記憶にあるものとは描き方の癖がかなり異なっていた。少なくともルイの描いたものではない。とすれば、誰が描いた物かが気になってくる。
当然のことであるが、印章の偽造は重罪であり、どこの国でも発覚すれば死刑を免れない。偽造が成功すれば一国の軍隊を動かし、一国を滅ぼすことすら可能なのであるから当然のことである。
さらに、印章を偽造する場合にはまがりなりにも本物の印章に似せるよう努力するものである。ただ、通常は印章の鑑定には各国にそれ専門の鑑定士がいて、その鑑定士すら上手くごまかして偽造することはほぼ不可能だ。それなのに、その封書にあった印章は本物の印章に似せる努力すらしているようには見えなかった。要するにその書状はいろいろと不自然だったのだ。そのような書状に何が書かれているのか、ミシェイルはその封書の内容に興味を持った。
ミシェイルは注意深く封書を開き、一読して顔色を変えた。
「レンデル。急いでミネルバを呼んできてくれ。」
ミシェイルは常に脇に控えている側近にやや早口でそう言った。
「兄上、火急の用件であるとか。」
ミシェイルの執務室へ入ってきたミネルバは、やや息を荒くしていた。部下と訓練でもしていたのか、皮鎧を身に着けたままである。
ミネルバを執務室へ招きいれたミシェイルは、レンデルに命じてそのまま人払いをした。二人きりになったことを確認するとミネルバへ向き直った。
「……まずは、これを読んでみろ。」
ミシェイルは執務机の上に置いた書状をミネルバへ手渡した。ミネルバは書状を無造作に受け取り、読み始めたが、読み進めるに連れてその顔を高潮させた。
「マリアが……マリアが戻ってきているのですか。」
ゆっくりと、かみ締めるようにミネルバは言った。
「……その手紙をそのまま信用するならばな。」
書状には、グルニアのユベロとユミナがマケドニアに保護を求めるような内容のことが書かれていた。さらに、マリアとグラのシーマが同行していることも。しかし、ミネルバにはマリアのこと以外はそれほど頭に入っていなかった。
「そこでだ。お前に事の真贋を確かめに行ってもらいたい。……わかってはいるだろうが、誰にも知られてはならないぞ。」
ミネルバは急に不安にかられた。
「兄上は……この書状にあることが真実とした場合、どうされるのですか。」
確かめるまでも無く、彼らはドルーアで人質となっていた人物だ。書状の内容はともかく、ドルーアへの襲撃があり、人質の全員が行方不明となったのは確かなことだった。ドルーアとの同盟を堅持するのであれば、彼らをドルーアへ帰す選択肢も存在する。
「彼らは大切な客人だ。時が来るまで、保護することになるだろう……しかし、極秘でな。」
ミネルバはまたミシェイルが何かを企んでいるのだと感じた。
「兄上……もうマリアをつらい目に合わせないよう約束はして頂けませぬか。」
ミネルバはミシェイルの前で膝をついた。ミシェイルが少し息を吐いた。
「お前は……旅から帰ってきて少しはいい目をするようになったと思っていたが、マリアのこととなると途端に王女としての顔を無くす。そのようなこと、何も確約できぬようなこと、今の場で約束できるわけはあるまい。マリアもマケドニアの王女なのだぞ。それなりの責任がある。」
ミネルバは頭を下げたままうつむいていた。マリアが、そしてミネルバが王族である限り、これが虫のいい話であるということはわかっている。現にこの時代、各国の王女は誰一人としてまともな運命に身を置いていない。アリティアのエリス王女は行方不明、タリスのシーダ王女は戦いで命を落とし、他の王女、マリア、ユミナ、シーマは皆ドルーアへ人質であった。ミネルバが旅をしてきた大陸の例もある。あの場所でも王族は王族というだけで数奇な運命の歯車から逃れることはできなかった。可能性として存在したのは、その運命を打破することだけであった。
ミネルバは自分がマリアを守ることもできないことがわかっていた。ミネルバ自身も王族であり、自由に行動するわけにはいかないのだ。一見自由に行動しているように見えるミシェイルですら、行動を制限されているということがわかっている。特殊な立場というものはそういうものなのであるということはミネルバもわかっていた。もう、子供時代には戻れないのだ。
「どうした、ミネルバ?書状を持ってきた者が待っている。すまぬが行って来てはもらえぬか。……彼らが真にその書状の通りの人物であるのならば、急ぎ話し合いの場を設けねばならぬ。」
「わかりました。行って参ります。」
ミシェイルの声で我に帰ったミネルバは、書状を受け取りより深く礼をして退出した。そして、隣室に控えているレンデルに使者の居場所を聞き、廊下を歩いていった。マリアがいる限り、ミネルバが根本から変わることは無いかもしれない。それでも、以前にはなかった覚悟のようなものをミネルバからは感じることができた。この後に控えたガーネフ、メディウスとの戦い。多少無茶なことでもミシェイルはミネルバに期待しないわけにはいかなかった。
「書状を持ってきた者はお主か。」
オグマは書状を使いに渡した後、王の謁見の順番を待つ待合室に通されていた。声を掛けられたのは、半分待ちくたびれてきていたようなタイミングである。
声を掛けてきたのが女性であることにオグマは驚いていた。彼女は王宮内にいる婦人とは思えないような軽装をしていた。婦人が持っている見事な剣にオグマは思わず目を取られそうになった。
「はい。私です。」
婦人のやや横柄な口調は気になったものの、オグマはそう答えた。
「そうか。私はミネルバ。ミシェイルの妹にあたる者だ。兄上より、事実の確認を頼まれた。案内を願えないだろうか。」
オグマはまた面食らうこととなった。また大物が出てきた……ととっさに思ったことはそれである。しかし、これもユベロの予想した範疇内では合った。
「案内致します。多少、城下を歩くこととなりますが……。」
「問題ない。」
固い。オグマはミネルバの動きを見ていてそう思った。堂々としていることは確かであり、その動作が自然にできてもいる。その自然さが固かった。ミネルバの評判はもちろんオグマも聞いている。マケドニアの赤い竜騎士は自他に厳しく、全てに優しいと言う。他者からは完全性を期待されるその本人は危ういバランスの上に成り立っているようにオグマには見えた。
宿へ向かう道中、オグマとミネルバは話すことはなかった。ミネルバはオグマの案内のままに歩くだけである。
宿に着くと、オグマはあらかじめ借りていた部屋へミネルバを案内した。寝るための部屋とはいえ、もともと三人部屋であるので、ミネルバを入れて七人も入るとさすがに狭い。ミネルバはその中にマリアを見つけ、目を白黒させていた。
「姉さま、お久しぶりです。」
マリアは行儀よくお辞儀した。マリアにこれまでの気品があっただろうかとミネルバは思った。目の前にいるのは確かにマリアだろう。髪の色、目の形、澄んだ声。マリアであるとしか考えられない。しかし、ミネルバの目の前にいるのは溢れるばかりの気品を備えた立派な婦人である。六年という歳月は、かくも長いものであったのかと、ミネルバは自問した。
そしてミネルバは思い出した。戦争を戦い抜き、自分の行いに自身を失い、他の大陸を渡り歩いた日々を。これだけの歳月をマリアは無駄に過ごしてきたのかと思った。しかし、今のマリアを見れば六年という歳月がマリアにとって決して無駄な歳月ではなかったということがわかる。
「失礼ながら、ミネルバ様にあらせられますか。」
微笑んでいるマリアを凝視しているミネルバへ声がかかった。
「そうだが……あなたは?」
「グルニアの先王、ルイの嫡子にてユベロと申します。王妹であらせられるミネルバ様自らのご足労、恐縮の極みに御座います。」
ミネルバの眼光が鋭くなった。まだ、少年から青年へと変わろうとしているような段階の人物。書状を書いたのもこの人物であるという。マリアよりも年下に見えるこの人物、一団の中でも最年少に見えるこの人物が一行を率いているようにミネルバには見えた。
「書状は見させていただいた。ミシェイル陛下が面会されるとの事です。城へ来ていただき……しばらく城に留まっていただくことになりますがよろしいですか。」
「わかりました。参りましょう。」
一行の間で意見あわせは終わっていたのだろうか。ユベロは即答した。
城へのわずかな道をミネルバは久しぶりに会った見違えた妹と話しながら歩いていた。ミネルバがドルーアに行っていたマリアを心配していたことは多かった。ミネルバは後に待ち受ける衝撃も知らずにマリアが元気であることを喜んだ。
城へ招かれたユベロ達は水の間に通された。ミシェイルが前王オズモンドを幽閉する為に使っていた部屋である。貴人を幽閉する為の部屋である為、ユベロ達が六人で部屋にいても十分な広さがある。しかし、窓は入り口の扉にしかなく、昼でも照明は壁際に置かれたランプが頼りのため薄暗い。
ミネルバは何故このようなところにと思わずにはいられなかった。ユベロの微妙な立場を理解していても感情的に納得できるかと言えばそれは別問題である。ミシェイルが来ると言うことで、ミネルバも同席するべくユベロ達と一緒にいた。
しばらくして、政務に区切りをつけたミシェイルが現れた。
「構わない。皆、楽にして欲しい。」
部屋に入ったミシェイルに対して丁寧に礼をした者達へ、ミシェイルはそう言って顔を上げさせた。
部屋にいるのは七人。ここまで案内をしてきたミネルバ、その隣にいるシスターが見違えるほどになっているがおそらくマリアなのだろう。ミシェイルから見ても幼い頃の面影はわずかに残るばかりとなっている。
魔道士姿の青年とシスターがもう一人。マリアよりも多少年上と思われる婦人が一人。筋骨逞しい戦士然とした男が二人。男のうちの一人、頬に十字傷を持つ男に見覚えがあり、ミシェイルはしばし記憶を手繰り寄せた。記憶は大分深いところにあったが、ミシェイルはそれを見つけることに成功した。確か、名前はオグマ。タリスのモスティン国王に後継者と見なされている男だったはずだ。
「ミシェイルだ。各々方……紹介を頼めるか。」
ぶっきらぼうな言葉にまずはユベロが反応し、丁寧だが短く口上を述べた。他の人は、それぞれ出自、立場、名前を簡潔に述べたくらいである。
「オグマだ。グルニアの将軍、ロレンス閣下の依頼でユベロ殿下の護衛をしている。」
ミシェイルはオグマにのみ特別な反応を見せた。
「オグマ殿……お主はタリスの義勇軍所属ではなかったか。」
ミシェイルはオグマを覚えていたが、オグマはミシェイルへ直接の面識は無い。レフカンディの戦いから撤退する最中、ミシェイルの来襲を受けた時もミシェイルと直接会話をしているわけではない。もっとも、オグマは名のある剣士として大陸ではよく知られた存在だ。ミシェイルもそのせいで知っているのだろうとオグマは考えた。
「はい。もともとはタリスでしたが、タリスのモスティン陛下とグルニアのロレンス閣下にはタリス統一戦時以来の誼があるのです。この友誼によりグルニアへ協力していました。」
「……そう言えばそうであったな。すまぬ、余計なことを聞いた。」
ミシェイルは、モスティンがオグマとそのような話をしていたことを思い出した。さすがに四年も前のこととなると日々多忙なミシェイルとしては薄まる記憶もある。
一方、オグマは話がつながらず、煙に巻かれたようであった。そんなオグマを気にする様子も無く、ミシェイルは話を進めた。
「さて、本題に入ろう。手早く結論から言う。マケドニアはそなたらをドルーアに返すことはしない。しかし、そなたらがここにいることを公表もしない。これでよろしいか。」
「……結構です。」
代表してユベロが答えた。書状の内容はユベロ、ミシェイル、ミネルバしか知らなかったが、ただ単にマケドニアへ保護を求めるものだった。
「しばらくはこの部屋にいてもらうが……手狭であろうからそれなりの準備をさせてもらう。二、三日待って頂きたい。念のため断っておくが、そなたらを預かるのは全て内密に行なうことだ。オグマ殿とサムソン殿以外はむやみに出歩かないようにして頂きたい。」
「わかっております。」
ユベロは深く礼をとった。この時点で、ユベロはマケドニアの旗色が完全にドルーア色には染まっていないと判断し、一息をついた。
「今一つ、大事な話が御座います。」
と、ユベロが言う。ユベロにとってはここからが正念場であった。ユベロからはマリアが緊張するのが見て取れた。
「どのようなことか。」
口調の改まったユベロにミシェイルも反応する。
「戦乱が落ち着き、グルニアを私の手に取り戻した暁にはマリア様を私の妃として迎えたく考えております。御一考頂き、お許しいただければ幸いです。」
「なっ。」
最初に反応し、慌てたのはミネルバだった。
「ユベロ殿、マリアに婚礼の約束などいささか勇み足ではありませぬか!」
考えるより先に口に出していたミネルバであったが二の句、三の句を継げようとしたところをミシェイルに止められた。
だが、驚いたのはミシェイルも同じである。マケドニア王家はミシェイルもミネルバもとうに伴侶を伴っていて良い年齢であるにも関わらず誰一人として婚儀を挙げている者はいない。そのような中、マリアの婚礼の話が出てくることは予想の範疇外であった。
しかし、考えてみれば人質としてドルーアに渡されたとき十歳そこそこだったマリアも、今は十七歳から十八歳になろうかというところだ。戦争があるなどの特殊な事情が無ければこういった話が出てきてしかるべき年齢である。ミシェイルとミネルバの方の状況が特殊であるのだ。現に二人とも早く伴侶を娶って子を成すよう、機会があるごとに臣下に進言されている状態である。
そして、グルニアの王子からこの話が出てきたことに意味がある。ミシェイルは元より、ドルーアと決戦を睨んで大陸の各地を掌握すべく手段を講じていた。今ドルーアの影響下にある地域は攻め取って治める必要がある。そこで、然るべき人物がいることといないことではその地域の安定度が変わってくる。オレルアン、タリスの例と同じだ。
さらに、大陸の王家を考えてみれば、マリアと年齢的に釣り合いが取れるのはユベロとマルスくらいだ。ミシェイルにはマケドニアの旧来勢力でもある貴族階級へマリアを降嫁させるつもりはない。グルニアが友好国家となってくれるのであれば、政略的に問題が無いどころか好都合ですらある。
「ユベロ殿、顔を上げられよ。」
ミシェイルはユベロをじっと見た。この者は今のグルニアを立て直すことができるのか。今の年齢で判断することはできないともミシェイルは思う。しかしそれは自分も通ってきた道だ。
ユベロはミシェイルからの視線を逸らすことをせず、ただ視線で返した。賭けてみても良い。ミシェイルはそう思った。では、もう一つの問題は無いだろうか。
「……マリアは、それで良いのか。」
ミシェイルは残る問題、マリアの意思を確認した。
「ユベロ殿下は聡明で優しい方です。ドルーアにいたときはとても良くして頂きました。……断ることなど考えられません。」
その時のマリアは、ミネルバには大層大人びて見えた。城の中庭でお姉さまと笑いながらはしゃぎまわっていたマリアではなかった。
マリアからはユベロに対する全幅の信頼が見て取れた。幾ばくかの不安も持っているようだった。この話に許しをもらえない場合のことを思っての不安だとミシェイルは見て取った。
ミシェイルは苦笑した。四年の間、ユベロは念入りに行動し、マリアの心を掴んだのだろう。深謀遠慮、決断力、どちらもルイにはなかった資質をユベロは持っているように見えた。
「そうか……ならば、マケドニアとしてもこの話、受けさせてもらうこととなるだろう。」
ミシェイルも決断した。交わす言葉こそ少なかったが、決断すれば迷いはないものであった。
「ただし、今しばらくの間……時期的に区切ることは現段階では不可能なのだが、しばらくの間はこの婚儀の件を公表することはない。公表する時期はこちらに一任して欲しい……それでよろしいか。」
ミシェイルのその言葉に別段含むところはなかったのだが、何かがあれば約定自体を破棄する可能性があることを存外に言っているのだとユベロは受け取った。それでも、ミシェイルとの最初の会見でここまで話ができれば、問題はなかった。
「結構です。」
ユベロは頭を下げた。
まずは大きな壁を越えた。あとは、これを土台としてマケドニアからグルニア解放の為に兵を借りなければならない。ガーネフ討伐に城下が熱狂している今の状況では無理だが、これは追々時期を図っていくしかない。
「ユベロ殿下。マリアをよろしくお願いします。」
みればミネルバが頭を下げていた。これにはミシェイルが驚いた。ミネルバは、じっとマリアを見詰めていた。マリアが喜び、安らいだ表情をしているのを見てミシェイルにも納得がいった。
その後、ミシェイルは現状のマケドニアについて一行に説明した。ドルーアとガーネフが仲違いし、クーデターで政権が交代したグラがガーネフに付いたところまでは皆が知っている通りだった。
「約二週間後にレフカンディよりアカネイア経由でグラを攻略する軍を進発する。マチス大将軍が頭だ。シーマ殿、サムソン殿にはグラにおける不安もあると思うが、悪いようにはしないので信頼して欲しい。」
シーマは曖昧に頷くだけだった。グラの人々や統治というのはシーマにはイメージし難い。物心がついて以降、シーマはグラの地を踏んだことはない。シーマはグラのことをよろしくお願いしますと、控えめに頼んだだけであった。
ユベロ達は、この二日後には城下町に貴族が逗留する際に使用する屋敷を提供され、しばらくはそこに住むこととなった。極秘であるにもかかわらず、竜騎士団の者がものものしく直接警護に当たっているため、かなりの注目を集めてしまっている。もっとも、それを推して中を調べようなどという者はいない。
ミシェイルは、事の次第を自ら書状に書き、マチスへと送った。タリスにモスティン、オレルアンにハーディン、アカネイアにニーナ、アリティアにマルス、グラにシーマ、そしてグルニアにユベロ。ミシェイルの書状はこの言葉で〆られていた。
「駒は完璧に揃った。」