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FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
終章 根差す地に注ぐ光
戦いが終わり、全ての国はマケドニア王国がアカネイア王国に代わってアカネイア大陸の宗主国となったことを認めざるを得なかった。大陸の再編はマケドニアを中心に行われた。
アリティアでは、ドルーアの戦いの後、そう間を置かずにマルスが第五代のアリティア国王として即位した。国土は広く荒廃していたが、臣下はメディウスを打倒した王を慕いよく盛り立てた。
マルスには後にマケドニアからカチュアが嫁ぐこととなる。二人の仲を知っている者は多かったが、カチュアが平民であったため難色を示す者もまた多かった。しかし、マケドニアでパオラがミシェイルに嫁ぐと、カチュアもマケドニアの王族の縁戚となり、立場上の問題から出ていた反対意見はなくなった。結果的に、カチュアはアリティアに概ね好意を持って受け入れられたのである。
ジュリアンとレナは、最終的にはアリティアに落ち着いた。国の援助のもと孤児院を作り、二人で子供たちの面倒を見ている。
タリスではマケドニア軍撤収後、国王であるモスティンがオグマへの禅譲の意思を明らかにした。モスティンは既に老齢である。娘のシーダも既に亡く、モスティンは自分の意志のあるうちに信頼できる者へ王位を譲りたかったのだ。
モスティン一代の王国であるタリスには、重臣と呼べる者はいるが貴族はいない。そしてモスティンはその中でも若く、リーダーシップも取れるオグマに最初から目を付けていた。
しかし、オグマは自分はただの傭兵であるとして禅譲を再三拒み続けてきた。だが、国民の大半がオグマが国王となることを望んでいるその状況を知ると、さすがに無視はできなかった。
結果として、戦いから一年後に第二代のタリス国王が生まれることとなる。
タリスでは、国内の結束は高かったが、モスティンが病死すると経済の統制面などで問題が生じることがあった。しかし、グルニアからユミナが嫁いでくると、政情も段々と安定して行った。
ほとんど親子に近いような年の差があるユミナの嫁入りについて、ユミナ自身は政略結婚だと言い張っていたが、ユベロは姉が毎日寂しそうにしていたから手配したという。どちらの言い分が正しいかはオグマのそばで毎日を過ごすユミナを見ていれば一目瞭然であった。
タリスは後に大陸の東の玄関口として、大いに発展していくこととなる。
オレルアンの統治権も戦いの後に国王ルクードへ返された。しかし、あまり時を置かず、ルクードは病死してしまう。ルクードに嫡子はなく、本来であれば王位が回ってくるはずのハーディンはサムスーフの国王となっている。結果的に王室と繋がりのある貴族から次の国王が選ばれ、即位した。
しかし、この国王は草原の民をあまり良くは扱わず、生きる術を持てなくなった草原の民のかなりの数がサムスーフへ抜け出すこととなる。結果として、オレルアンとサムスーフは兄弟のような国であるにもかかわらずぎくしゃくとした関係となっていく。
サムスーフでは、オレルアンからの移民と元からの住人の間で摩擦が起こることが多かったが、ハーディンはこれを良く治めていた。また、ハーディンは両者の間を少しでも埋めるべく、地元の有力者の家から妻を娶った。この血統がサムスーフ王家として続いて行くこととなる。
グラは引き続きレギノスが統治を続けることとなった。シーマには王位を得るつもりはなかった。マケドニアの仲介の元、シーマは正式に王位継承権を放棄した。シーマはサムソンと共にマケドニアの田舎へ引っ越し、慎ましくではあるが平和に暮らした。
レギノスはジオルほど独善的ではなく、臣下の話をよく聞いてグラをよく治めた。何よりも先の大戦を通して混乱しつつも一度も他国の占領下とならなかったことは、グラの民にとって大きな誇りとなった。
アカネイアの解体はカミユがアカネイアに帰還した後、速やかに行われた。
ラングによって治められていたアドリア領はアリティアの大公家の血筋であるマリクへと移った。マリクはマルスの姉であるエリスを娶り、終生アリティアとの緊密な関係を崩すことはなかった。また、以前の領主であるラングの統治が苛酷であったこともあってか、領民にも素直に受け入れられ、その関係は良好だった。
ディール領は元侯爵の娘であるミディアがアストリアを婿として迎え入れ、アストリアが初代国王として即位した。もっとも、アストリアは政治には向かず、領内の統治はミディアが先頭に立って行っていた。ディールの南岸はタリスからワーレンを経てマケドニアへ向かう航路の中継地点であり、ディール王国も漁業と海運業に力を入れていくこととなる。
レフカンディ領はリンダが引き継ぎ、記録されている大陸史の中でも初めての女王として即位した。リンダが国王となると、かつてのスラムでの仲間達がいつの間にか集まり、親衛隊として良くリンダを助けた。特に彼らは領内の治安維持に力を発揮し、周辺に山間部が多いレフカンディではあったが、辺境部の治安は著しく向上した。レフカンディの女王は柄が悪いなどと言われはしていたが、レフカンディが比較的田舎でのどかな気風であったこともあり、統治に問題はなかった。少しも偉そうにすることがなかったリンダの態度も、領民には好まれた。
リンダは生涯を通じて結婚することはなかったのだが、在位中に二人の男子を残した。第一子の出産時などは各地に様々な噂が飛び交ったが、結局ミシェイルがその子供をレフカンディの正式な後継ぎと認めたことで事態は沈静化した。その後も、子供の父親が誰であるのか、詮索する者は後を絶たなかったが、リンダは決して真実を言うことはなかった。
メニディ領はジョルジュが引き継ぎ、国王として即位した。国王へと立場は変化したものの、この地はもともとジョルジュの家が治めており、他の独立国と比べると混乱は最も少なかったと言っていい。その結果かもしれないが、最もアカネイアの影響を受けてしまったのもこのメニディとなった。ジョルジュはメニディ王国の国王となった後も、アカネイアと諸外国の外交のつなぎとして、奔走することとなる。
アカネイアでは正式にカミユとニーナの婚儀が行われ、カミユは正式にアカネイア王国の十二代目の国王として即位した。その後、アカネイアではカミユが軍務を、二ーナが政務を行う体制を確立する。六つに分裂したアカネイア王国だったが、依然としてアカネイア中央の人口は多い。
アカネイア軍はジョルジュが整備した軍を中心に、トムスやミシェランが中心となって再結成された。ただ、軍の規模自体は二ーナの意向によって軍を大幅に縮小された。
カミユに付き従っていた元黒騎士団の団員達は、カミユから正式に自由にするよう通達された。元グルニア軍の者がアカネイアの中で大きな顔をするのは具合が悪いだろうという判断であった。
もちろん、ここまでカミユに従ってきた者達にそのようなふるまいをする者はいない。しかし、その者達がカミユの近くにいることで多少なりとも周りに圧力を感じさせることとなってしまう。
だからこそ通達を受けた方もこれを察して素直に従った。もっとも、彼らのほとんどはアカネイアの義勇軍として再び従軍し、その中で頭角を現すこととなる。
ナバールについてはカミユは逆に引きとめなければならなかった。戦いがなくなるとなると、ナバールはフィーナすら置いて、一人で立ち去ろうとしていたのだ。
一緒に行動することで、少なからずナバールの考え方を理解していたカミユは、そうなる前にナバールを説得した。カミユすら凌ぐナバールの剣の腕はとても得難い物だった。 もっともオグマとは異なり、ナバールは指揮官として素質はそう高いとは言えない。小隊長クラスであればその力量をいかんなく発揮するだろうが、大隊レベルの指揮を行うには無理があった。その点はカミユも把握している。
結局カミユは、ナバールがアカネイアに止まるよう、傭兵として新たに契約した。カミユがナバールに頼んだのは、軍の剣術師範であった。
それ以降、ナバールはアカネイアの城下に居を構え、毎日練兵場で剣術の手ほどきをしている。無口なのは相変わらずだが、十分な報償を元に契約した以上、その分の仕事はこなしている。
ナバールが落ち着くと、フィーナはナバールの家に押し掛けて無理やり一緒に暮らしているという。その家の中でどのような会話がされているのかは、他の人からは想像もつかなかったが、ナバールにフィーナを追い出すつもりはないようだった。
アカネイアは軍の規模を縮小した分、その国力を国土の復興にあてた。圧政から解放された国民はこれによく応え、、経済はこれ以上ない速さで回復した。それに伴って歴史のある都市であるアカネイアでは様々な職人芸から劇や絵画などが発展する。いつしか、アカネイアは歴史と文化の都と呼ばれることとなる。
グルニアはユベロの指導のもと、騎士の国から魔道と機械の国として生まれ変わった。ユベロは、ガーネフの死後の混乱から立ち直れずにいたカダインから、魔道の知識を持ち帰り、グルニアに魔道の学院を設立したのだ。これは大いに発展し、大陸の魔道の中心はグルニアへ移ることとなる。
ユベロはまたシューターと魔道を組み合わせた新兵器の開発や、その民政への応用などにも積極的に取り組んだ。また、騎士の国との印象はなくなったが復興したグルニアに精強な騎士団は未だ健在であった。グルニア軍は規模は以前と比べるまでもなく小さくなってしまったが、他のどの国とも違う体系をもった軍として存在感を示すこととなった。
後にユベロはグルニア中興の祖と呼ばれるようになる。その傍らには常に王妃マリアの姿があった。
マケドニアはドルーア戦役の終結を受けて各地に展開していた占領軍を逐次撤収する。同時に現地で参集した軍を分離させ地上軍については積極的に軍を縮小した。
また、ミシェイルは論功行賞を行い、功績のあった将軍へは爵位が送られた。マチスへは新しく公爵の爵位が与えられ、マチスの希望通り大将軍から元ドルーア領の総督へと職責の変更が行われた。
この人事には皆が驚いたが、接収したドルーアの地を統治して行く人物としてはマチスが最適であることは代わりなく、マケドニアの内部でも問題なく受け入れられた。
軍務を統括する大将軍の地位はなくならず、二代目にはマチスの推薦もあってマリオネスが就任した。
もともとマチスが持っていた侯爵の位は、そのままパオラへ与えられた。同時に、パオラを妃とすることをミシェイルは発表した。この発表の反響は、マチスの人事のそれよりも大きかった。一番驚いたのは末妹のエストであった。パオラはミシェイルから話があってから、誰にもその話をしていなかった。カチュアもエストも、その席で初めて話を聞いたのだ。
その後、パオラがミシェイルの妃となり、カチュアもアリティアへ嫁いだため、パオラに与えられた爵位はエストが受け継ぐこととなる。エストはその後、マリオネスの引退後に三代目の大将軍に任命されるまでになる。
また、姉二人と違って浮いた話がなかったエストだったが、いつの間にかアリティアの騎士を呼び寄せ、一緒に暮らすようになっていたという。このあたりの要領の良さはいかにもエストらしいと、話を聞いたパオラは口にしていた。
同じく浮いた話がなく、変わらずに軍務と政務を行っていたミネルバであったが、縁談は予想もしない所からやってきた。ミネルバがしばらく滞在していたバレンシア大陸。その砂漠の都市を中心として起こされた国がある。その国王であるジェシーから妃として迎えたいと使者がやってきたのだ。
ミシェイルもミネルバも、最初は驚いていたが、ミネルバは嬉々として準備を進めバレンシアへと渡った。何でも、バレンシア滞在時に交わした約束なのだという。ミネルバの浮かれ様は周りの者皆が驚くほどであったという。
ミシェイルはこれをきっかけに本格的にバレンシア大陸との交易を開始した。それは、後にマケドニアを潤す財源の一つとなる。
エルレーンは戦後侯爵位を与えられ、引き続きマケドニアの魔道将軍として、長くその地位にあった。エルレーンはマチスから受け継いだ知識を咀嚼し、魔道士、竜騎士、ペガサスナイトと地上軍を含めた演習でそれを実践確認し、得られた様々な戦術、戦略知識を書物として書き著した。エルレーンは魔道士としては大成することはなかったが、後世に戦術の父として長らくその名前を記憶されることとなる。
マチスはドルーアの都に移りエリエスとささやかな結婚式を挙げた。ドルーアの地へはクラインの隊を始め特にマチスと関わりあいの深かった者達が多く入植した。人々の協力を得て、マチスはドルーアの地の統治開拓へ乗り出した。
第一に行ったのは迫害されがちな竜人達の保護であった。ドルーア帝国の滅亡後、立場の弱くなっていた竜人達を特定地域へ集め、保護することとした。竜人側からも、民衆からも様々な問題が浮かび上がり、種族間の溝の深さを改めて認識したマチスではあったが、事に望んでは再び争いが起きてはならないと確固たる信念で臨み、これを成し遂げた。
ドルーアの地は山間にあり、肥沃とは言えなかった。しかし、それまでほとんど人の手は入っておらず、開拓の余地は意外と大きかった。開拓の熱気に充てられた者達が集まってくると、ドルーアの地の賑わいも増した。
マチスは、ガーネフから受けた傷が遠因であったのか、まだまだ壮年と言えるような年齢でこの世を去ってしまう。しかし、マチスはそれまでにマケドニア領ドルーアの基盤を確立させ、独立採算が取れるまでに成長させていた。
後はマチスの息子が継いだ。この時に、ミシェイルとの話し合いでドルーア領を独立させることになる。
結果としてドルーア領は名前を変え、ザラル王国となり、アカネイア大陸の十三番目の国として独立した。この時に、マチスは遡って初代国王とされたのである。
ミシェイルは終始安定してマケドニアを統治し、アカネイア大陸の宗主国としての威厳は崩れることはなかった。マケドニア主導のこの体制はしばらく続き、民衆は平和を享受することとなる。
暖かい春の日差しが降り注ぎ、心地よい風が谷間を抜ける。その墓地はレフカンディの谷間を見下ろす山の中腹にひっそりと佇んでいた。
鳥のさえずりと、小動物が草木をかすめる音の他には風の音しか聞こえない。いつ行っても変わる事がない、時の流れと切り離された場所。そのいくつか並んでいる墓碑のうちの一つ。その前に、老婆が微動だにせずに佇んでいる。
墓碑には、名前と生没年のみが刻まれている。形も整っていないような質素な墓石で、すでに苔むしている。墓碑に刻まれた二つの数字、その差は三十にも満たない。
「……戦争が終わったそうですよ。お前も、生まれてくるのがもう十年も遅ければ、ここにはいなかったのかもしれないね。」
老婆は携えた花を捧げつつ、墓石に話しかけていた。ゆっくりと、ゆっくりと。
「もう畑を荒らされる心配もない。これからは普通に暮らせるよ。……お前が……手柄を……。」
最後の方はもう言葉になってはいなかった。老婆の中では何度も繰り返された思考。無駄だとわかってはいても繰り返されてしまう。
小康状態の時を含めて、ほぼ十年続いたこの大陸の戦乱は、大陸の多くの地域に多大な被害をもたらした。ドルーアの暴政によって荒廃した地域だけでなく、大きな戦いを繰り返したマケドニアやオレルアンも相当の被害を受けた。
戦乱は、マケドニアによって終結が宣言されたが、失われた者は戻ってこない。傷が洗い流され、平穏と豊穣の時が訪れたとしても、その事実は決して変わることはない。
老婆はひとしきり涙を流した後、落着きを取り戻したのか、ただ長く黙礼する。墓石から踵を返し、坂を下って行くその姿は、余りに小さかった。
(完)