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FireEmblemマケドニア興隆記
 竜王戦争編
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三十八章 先人の遺志

「皆さん揃いましたね。攻城戦ではありますが、無理やり推し進めれば有利になるような戦いではありません。進む時は慎重に、お願いします。」
 マチスの前に、整列した隊員が並んでいる。数はそう多くはなく、二百名いるかいないかといったところだろう。マチスが受け持つ突入隊はこの目の前に整列している人員で全てである。
 まだ暗い中、編成が終わった各部隊は突入の準備を完了した。寝過ごすような者もおらず、後は時を待つのみである。
 四か所の入口のうち三か所に配置されたマケドニア軍は、タイミングを合わせ一斉に構内へと突入した。構造は地下に造られており暗闇の中にある。それぞれ松明を灯して慎重に進軍する。入口こそ狭いものの中はかなりの広さがあった。それもそのはずである。ドルーア軍は竜の姿で戦えるようにこの広間を作っているのだ。
 攻撃する時間に夜明け前を選んだことで、ドルーアの動きはある程度は鈍い。警戒されていた罠のようなものもなく、各部隊は、敵に遭遇する前にかなりの深さまで進むことができた。
 やがて、各部隊の前方に巨大な影が立ち塞がる。前衛の剣士達は、松明を灯している者の影からそっと竜に忍び寄り、剣を振るう。一方の竜は、一軍を目指し息を吐く。炎の息、毒の息、まともに食らえばひとたまりもない。剣士達は上手く死角に潜り込もうとするが、叶わずに倒れる者もいる。
 マチスとエルレーンは後方で、クラインは現場で各隊の指揮を執っている。後方にいるにもかかわらず、奥からの不気味な唸り声は一時として途切れずに聞こえてくる。その音は最前線では兵士たちを焼き尽くす空気と共に轟音となって辺りに満ちているはずであった。

「マチス殿、クライン殿、エルレーン殿、各隊共にドルーア軍と戦闘状態に入りました。」
 残る一つの入口で待機しているカミユ達のところへも状況を知らせる伝令がひっきりなしにやってくる。
「わかりました。ご苦労様です。」
 カミユは伝令をねぎらうと、待機している者へ向き合う。カミユの近くは各国の重要人物で固められていた。
「我々も、そろそろ動きましょう。」
 カミユの言葉を合図に一行は動き始める。その様子を見ながらカミユはマルスを探し出し、話しかけた。
「マルス殿!」
「……カミユ殿、どうされましたか?」
 カミユは携えていた盾をマルスへと差し出した。
「これは……ファイアーエムブレムではありませんか。」
 ファイアーエムブレム。その盾は少し前まではそのように呼ばれていたはずではあったが、カミユにはそれが遠い昔のように感じられた。
「これは、暴走する竜を封印する役割を担っている封印の盾です。メディウスと対する時に力となるでしょう。この戦いの間はマルス殿が使われるとよいでしょう。」
 マルスもその話は会議で聞いていたので知っている。この盾に関する話が真実であったことを初めてマルスは知った。
「お預かりします。」
 マルスはただそれだけを言って盾を受け取った。アカネイアの歴史について、思うところがないわけではなかったが、今はメディウスを倒すことに専念するべきであった。
 一行は簡単に隊列を作り進んでいく。こちらも前には剣士が控えている。
「このような場所でお前と肩を並べて戦うことになるとはな。」
 その最前列にはオグマがいた。隣にはカミユに従って来たナバールがいる。二人ともドラゴンキラーを手にしている。
 ナバールはオグマに返事をすることなく無言で進む。もっとも、いつものことなのでオグマの方も気にはしない。
 メディウスに到達することが目的のこの隊は、カミユが指揮官と言うことになっている。ただ、カミユは基本的な号令を出すのみで細かいことは指示しない。元々急ごしらえの混成部隊であるので連携を取ることは最初から考えていない。それぞれ、腕の立つ者が集まっているのだから、それぞれのやり方に任せるのが一番だとカミユは考えていた。
 実際、白兵戦のために前列へ出ている者だけ見ても、オグマを中心とするグルニアの者数名、アストリアを中心とするアカネイアの者十数名、他はマケドニアの兵力とバラバラである。さらに、アカネイア勢を見れば、ナバールは独自に行動するし、元黒騎士団の者とアカネイアの者達の連携も十分には取れていない。この有様では下手に指揮をすればかえって混乱する。
 カミユは前列の後ろにいたが、ほとんど指示を出さず、黙って前方を見据えていた。マルスやジョルジュなどもこの位置にいる。ユベロ、マリク、リンダなど魔道士が後列から続いている。
 松明が照らし出す範囲はそう広くはない。
「おいでなすった。」
 オグマは、まだ見ることができない暗闇の向うに竜の息吹があることを感じ取った。
「それじゃ、仕事に取り掛かりますか。」
 オグマがドラゴンキラーを構えた。いつ、何が来ても対応できる、戦闘の構えである。
「ちょっと待ってくれ。」
 いまにも走りだしそうなオグマを止めたのはアストリアである。
「待ち伏せされているところにこのまま突っ込むのも能がない。先に、弓と魔法で叩いてはどうだ?」
 オグマはそれを聞いて踏み止まった。オグマが止まったためか、他の者も走り出す者はいない。
「悪くない。どうせ向こうからこちらの位置は丸見えだ。この状態で向こうから来ないのだったらいい挑発にもなるだろう。」
 結果としてジョルジュやマリクが前列に呼ばれた。ジョルジュはアカネイアの弓箭隊の中でも腕が立つ者を数名連れてきている。突入隊に存在する弓を専門とする兵はジョルジュの一行のみである。
 弓は強力な武器ではあるが、生半可な勢いでは竜の鱗は貫けない。それを可能にするのは射手の腕と弓の性能だ。ジョルジュの持つパルティアはもちろんだが、他の者にも可能な限り質の良い弓が与えられている。
「では、我々が矢を射た後、反応を確認しつつマリク殿が魔法を放つと言うことで。」
 簡単に段取りを確認するとジョルジュは弓を構えた。他の者もジョルジュに倣う。彼らの周りは剣士達が固め、敵の急な突出に備えていた。
「放て!」
 ジョルジュの号令と共に、数本の矢が弓から放たれた。放たれた瞬間に甲高い音を響かせた風切り音は、何事もなかったようにすぐに止んだ。時が進む。誰も一言も発しない静寂の中、低い咆哮が広間に響き渡った。
「マリク殿、お願いする。」
 それを合図に前に出たマリクが呪文の詠唱を始める。手にした魔道書が緑色の燐光を放つ。
 皆、竜がこちらに迫ってきているのを感じていたが、その歩みは遅い。剣士達は魔法を邪魔せずに両側から回り込もうと、左右へ展開した。
 ジョルジュ達は二の矢、三の矢を番え、次々と放つ。竜の巨大な体躯のおかげで、狙いをつける必要はほとんどなかった。
 やがて竜の姿が薄く見えてきた。先頭を進む竜が中央に一体、左右に一体づつ、合わせて三体が見える。
「EXCALIBUR!」
 マリクの魔法が完成し、強烈な風が後方から吹き抜ける。先頭の竜は避けることもできずにこれをまともに食らった。風で形作られた無数の刃が竜の全身を切り刻む。魔力を帯びたその凶器は、竜の鱗を以ってしても防ぎきれるものではなかった。竜は耐えきれず、前進していた足取りは止まり、どうと倒れ伏す。
「AURA!」
 続いてリンダがオーラを放った。松明の何百倍もの光が広間を満たす。右後方を進んでいた竜が直撃を受けた。竜は光に包まれ叫び声と共に倒れる。
 残る一体は多数の矢と魔法を受け、動きが鈍くなったところを両側から剣士達に攻撃され、倒れた。
 敵の一波は難なく退けた。オグマは額に浮き出た汗を腕でぬぐう。マリクらが放つ魔法の威力にはあきれるばかりである。
 一方で、オグマは竜の行動に違和感を覚えていた。以前、ユベロに従って駆け付けたマケドニア領内でのドルーアとの戦い。その時に比べて竜の動きが鈍っている気がしたのだ。
 いくら先制攻撃を受けたとはいえ、息の一度も吐かずに剣士達に切り刻まれるのはどうもおかしい。この先もこれほど上手く行くとも思えなかったオグマは、グルニアから参加していた剣士達に注意を呼び掛けた。
 カミユは直接戦闘には参加はせず、後方にいて全体を俯瞰していた。短時間で竜三体を無力化する彼らの動きは目を見張るものがあった。ここにある部隊は、今までの歴史の中のどの部隊よりも強いものに違いないと、カミユは確信していた。
 前方では、オグマが周囲に気を緩めないよう呼び掛けている。オグマからは竜の動きが鈍っているように見えたらしい。
 カミユはマルスに預けた封印の盾へ視線を移す。暗闇の中、盾はほのかに光を発しているように見えた。カミユの位置からはわからなかったが、ここまで短時間で竜を撃破することができたのは、盾の封印が効いている影響もあったのかもしれない。
「進みましょう。」
 状況が落ち着いたところを見計らい、カミユが号令を掛ける。それに従い、一行はまた慎重に奥へと進んでいった。

 山中に掘られた洞窟へは、わずかばかりの光も差さない。暗闇があり、そこにいるだけではどこまでが部屋であるかすら認識できない。
 傭兵達がいなくなった後、メディウスは周辺部族から集めた兵たちも解散させた。ほぼ竜人のみとなった集団は、城の奥底へと身を潜める。
 地竜であるメディウスは、暗闇の中でも目が見えなくなると言うことはない。しかし、他の竜人たちは不便を押してそこに潜んでいる。メディウスが先導したことであったが、どの竜人もそれだけの価値を認めていた。
 奥を探りに来る人間達は複数いた。ある程度は仕留めたが、逃げられた者もいる。敵の斥候がにわかに増えだしたことは確かであった。
 前後して、ゼムセルはマケドニア軍がドルーアの都を占拠したと報告を受けた。マケドニア軍は急に動くことはなさそうではあったが、遠からず攻め込んでくることは間違いない。ゼムセルは即座に全体に最高の警戒態勢を敷かせた。
「ゼムセル殿!敵襲じゃ!」
 翌朝、敵襲の報告にゼムセルは叩き起こされた。洞窟の暗い部屋の中、わずかな明かりがあるばかりで時間の感覚は皆無だが、ひどく眠い。
「今、どれくらいの時間だ?」
「ここじゃ時間はわからん。しかし、まだ夜は明けてないのではないか?」
 起こしにきた竜人も正確な状況は把握していない。お互いに年も取っている。機敏な動きはできない。ゼムセルはゆっくりと寝台から体を起こす。
「状況はどうなっとる。」
「北西、北東、南東の三つの入口からマケドニア軍が押し寄せておる。南西の広間はまだ静かだ。」
「三方から?」
 ゼムセルは首を傾げた。
 ゼムセルはマケドニア軍が攻勢に出るなら、四つある入口を全て同時に攻撃してくるか、一つを集中的に攻撃してくるか、どちらかだと考えていた。三つと言うのは予想外である。
「マケドニア軍が侵入している三つの入口は予定通り最初の広間を可能な限り死守せよ。攻め寄せられていない南西の部隊はその場で待機だ。他の口へ援軍を送ったり、入口を遡って反攻したりせぬように。これは厳命だ。もう一つ、南西の部隊は入口まで偵察を行え。奴らが何を考えているのかを見極めるのだ。」
「なんじゃ、反攻せんのか。それでは何のために入口を四つにしたのかわからんではないか。」
 その竜人は不満そうであった。予定でのゼムセルの作戦案では、マケドニア軍が一点に戦力を集中した場合、別の入口からマケドニア軍を奇襲する手筈になっていた。
「向こうにはあのマチスがおる。何が起こるかわからん。わざわざ一か所だけ開けたのはそこに罠がある可能性が大きい。状況がはっきりするまで軽挙な行動は慎め。」
「……わかった。そう伝えよう。」
 ゼムセルが強く言うと、その竜人は引き下がった。
「私は、メディウス陛下のところで待機している。何かあればすぐに連絡するのだ。」
 その竜人は何も言わずに頷くと闇に溶けるように姿を消した。
 ドルーア軍の方では夜間も通じて警戒を行ってはいたが、それでも明け方の時間帯は気が緩みがちだ。おそらく正規の戦闘配備にはまだ半数も着いていないだろう。
 さすがに一筋縄では行かないと感じつつ、ゼムセルは要塞の奥へと向かった。
 広く作られた空間の一番奥。その広間は他の広間と比べてもかなり広く作られている。その広間の中でも最も奥に場違いな椅子が据え付けられている。
 ドルーア軍が立てこもる地下空間。その最奥部であった。
「陛下、既にこちらへおいででしたか。」
 椅子には既にメディウスが座っている。ひじ掛けに肘をつき、その腕で顎を支え、いかにも泰然自若としたたたずまいに見える。
 しかし、それはその広間が暗く、メディウスの姿をはっきりと見ることができないからだ。実際には土気色の肌に血の気は全くなく、メディウスはまぶたを開けるだけでもやっとである。
「……ご機嫌は優れませんか。」
 ゼムセルが目の前に膝を折っても、メディウスはかすかに視線を動かしただけであった。
「……ゼムセルか。封印の力が間近にある。急に封印の力が戻ったのを不思議に思っていたのだが……この様子ではマケドニアが封印の力を復活させたに違いない。」
 ゼムセルは思わず目を伏せた。竜石に力を封じ、人の間で細々と生きてきた竜人までには、封印の力は強くは及ばない。実際、ゼムセル自身は多少体調が悪い程度にしか感じていない。しかし、メディウスの衰弱する様は見た目にも著しいものがあった。
「ゼムセル。予はこうであってもドルーアの王であることは止めぬ。しかし、今の予が脆弱な存在であることは認めぬわけにはいかぬ。そうであっても、人に予の存在を知らしめぬわけにはいかぬだろう。」
 メディウスはたどたどしく言葉を紡ぐ。
「陛下。今に残る我らは陛下より大恩を受け、それによって陛下に忠誠を捧げた者ばかりです。我らは我ら竜のために、最後の時まで滅びの運命に逆らいましょうぞ。……陛下の御手を煩わせることはありませぬ。どうか良い知らせをお待ち下さるよう。」
 ゼムセルは下を向いたまま、メディウスに告げる。
「頼むぞ。」
 メディウスはそう一言言ったのみであった。
 ゼムセルはメディウスの前を離れた。どこかへ行くわけではない。ゼムセルはメディウスのいるこの奥の間の中央で、全体の指揮を執るのだ。
 そして、もし敵がここまで押し寄せてきた場合は、ゼムセル自身が敵を押しとどめることとなる。  ゼムセルが起床し、奥の間へ移っていた間に、ほとんどの竜人が目を覚ましたようであった。敵の進行速度はこちらの立ち上がりが遅かったために思いのほか早い。ゼムセルは敵が既に侵入済となっている個所へ配置するはずだった竜人達を後方で再編成し、適宜配置するよう、各方面へ通達した。
 ゼムセルのところへ辿り着く報告は、味方の不利を唱える者が多かったが、ゼムセルの対応は落ち着いたものだった。まだ、この戦いは始まったばかりなのだ。

 突入からある程度の時間が過ぎた。屋外ではすでに夜が明け、日も昇ってきている。
 当初はかなりの勢いで進んでいたマケドニア軍であったが、その速度は徐々に落ちてきていた。ドルーア軍は要所要所に竜を配置し、マケドニア軍の進撃を果敢に食い止めていた。
 また、マケドニア側でも竜に対する戦力はかなり限られている。先端が開かれてからは無理をせずに徐々に進んでいるために進行がゆっくりとなっていた。
「深いな……。」
 気が緩むと、ついそのような言葉が口を突いて出る。
 ドルーア軍の戦術は明らかであった。深く引いた要塞内にマケドニア軍を引き込み、戦力の漸減を図る。要塞の中では飛竜やペガサスは活用できないから、防戦に徹するのであれば適した戦術である。
 マケドニア側にしてみればドルーアがこのような巨大な城砦を築いていたことは、完全に考慮の外であった。一つは、野戦に際して絶対的な自信を持っていたドルーアが防御的戦術を取ることはほとんどないと考えられたこと。もう一つは、こちらの方がより大きい要素ではあったが、竜の姿では籠城したところで城内では満足に動けないであろうこと。おそらくは籠城されたとすればそれはそれでマケドニア軍の方が有利になるとマチスは考えていた。
 また、マケドニアに敗れた結果から守備的陣地を作ろうとしても、ほんの三か月程度の短時間で行うことができるとは考えていなかった。
 実際にはメディウスは百年前の敗戦からこの要塞を構築していたのだが、マチスにもなぜドルーアがこれほどの要塞を準備できたのか、その理由まではわからないでいた。それは、歴史を知識でしか知らない人と、実際に苦い経験をしているメディウスの差であったのかもしれない。
 要塞は広間と通路が互いに連結しあっているような構造を取っている。そのそれぞれの広間を守るように数体の竜が配置されている。広間に出れば竜の出迎えを受け、それを撃破すれば奥の通路から次の広間へ向かう。一つの通路には分岐などはなく、戦闘はこの繰り返しであった。
 予想に反して、罠のようなものは存在しなかった。広間は竜が動き戦えるように作られていたから、下手に罠など作ることができないのはわかる。竜はそれほど細かい動きができるわけではないから、人を引っかけるための罠を避けて動くことは難しいだろう。  しかし、竜がいない通路などにも罠があるような気配はなかった。先頭に配置されたクラインの部下達は、罠の存在を警戒しながら進んでいたのだが、通路の壁や床などに異常はない。通路の崩落などの構造的な罠も存在しない。ドルーアの思惑はわからなかったが、広間の竜を排除しつつ、各部隊は進んでいく。
「伝令!現在、四つ目の広間にて五体の竜と交戦中です!」
 伝令が届いてくるが、この段階になっては有効な指示を出すことはできない。マチスはただ、無理をしないよう繰り返し伝えるだけである。
 双方とも限られた戦力での戦いではあったが、単純に数だけを考えればマケドニア軍の方が勝っている。威力で負ける分を手数で補う構成だ。それだけに数が減ることはどうしても避けたい。マケドニア軍中心の三つの隊は、決して無理な攻勢をかけることはなかった。
 しかし、これとは対照的にカミユの部隊は快進撃を続けていた。カミユの部隊は、強力な魔法で先制攻撃を行った後に、オグマやナバールなどが切り込むと言う攻撃の形を確立し、次々と竜を斬り伏せていった。
 ゼムセルの方でも、残る一か所から攻撃をしてきた者達が最精鋭の部隊であることをほどなく把握した。遊撃的に残しておいた竜の全てをその方面へ回してはいたが、その勢いを止めることができない。
 結果的に最も早く最奥部に到達したのはカミユ達であった。もっとも、広間に到達した時に最奥部であることなどわかるはずはなく、正面に展開する竜と変わらずに対峙したのみである。
 剣士より先に、多くの魔法が無差別に竜へ襲いかかる。直撃を受けた竜はそのまま倒れる者もいた。
 ジョルジュ達の弓部隊は、は竜達がひしめく中、主に魔法に強い魔竜に狙いを定めて弓を射ていた。不意に、奥に一際大きな存在感があることを感じた。その方向へ、渾身の力で引き絞ったパルティアから矢を放つ。
 広間の奥から咆哮が轟いた。闇の中から巨大な魔竜がゆっくりと姿を現す。矢は竜の右腕の辺りに突き刺さっていた。
「あの竜へ攻撃を集中させろ!」
 ジョルジュが弓隊に指示を飛ばす。ジョルジュ自身も次々と矢を放つ。
 オグマは辺りの様子がおかしいことに気が付いてきた。今いる場所は、今まで通ってきたどの広間よりも広い。そして、竜の数が多い。
「ちっ。竜の数が段違いだ。それのあの奥のでかいの。」
 オグマは奥の魔竜に注意する。
「気を付けろ!息が来るぞ!」
 注意されるまでもなく、剣士達のほとんどは、竜が息を吐く前に暗がりへ身を潜めている。しかし、灼熱を伴った竜の黒い息が辺りを覆った時、目前の竜と戦闘中だった数人はこれに飲み込まれた。
 奥から迫るその魔竜こそ、メディウスの側に常に控えていたゼムセルであった。竜の姿を取り、戦闘態勢にあるゼムセルはもはや言葉を持たない。
「あれは、やっかいだな……。こっちで片付けるか。」
 オグマは一度暗闇に身を隠し、状況を伺った。遠距離からの攻撃にさらされている竜は一体、また一体と崩れるようにして倒れていく。剣士達は、魔法の巻き添えにならないように両脇から攻撃を加えている。オグマ達は倒れた竜の合間から上手くまわりこめるような場所を見つけると、少人数でゼムセルへと接近した。
 ゼムセルはジョルジュの矢を受けながらも攻撃をやめない。オーラやエクスカリバーなどの強力な魔法も有効的なダメージを与えることができていないようだった。ただ、ジョルジュが射た矢が何本も突き刺ささったまま、暴れるように周囲へ息を撒き散らしていた。
「ひぃ!」
 ジョルジュの部下が恐怖の声を上げる。ゼムセルは矢をいくら受けたとしても前進することをやめない。
「うろたえるな!奴が倒れるまで撃ちまくれ!」
 ジョルジュが叱咤する。しかし、ジョルジュ自身も迫る竜を前にして額に脂汗を滲ませていた。
 ジョルジュが限界を感じ、後退の判断を下そうかと言う時、ようやくゼムセルの前進は止まった。
「撃ち方、止め!」
 ゼムセルの周りに味方がいることを確認したジョルジュは射撃を止めさせる。ゼムセルを止めさせたのはオグマ達であった。倒れた竜達の影を巧みに縫い、ゼムセルに近づいたオグマ達は、攻撃を右足に集中し滅多切りにした。ゼムセルはついに近づくオグマ達に気が付くことはなかった。片足を切り崩されたゼムセルは右前に傾き、倒れ伏す。
(なぜだ……なぜ、わしは動けぬ。)
 この場にいて、無心に戦っていたゼムセルは、自分がどうなったのかわからなかった。倒れた次には全身に襲いかかる矢傷の痛みとは別に、首に激痛が通り抜けた。
(首……落されるのか。陛下……申し訳……ありません……。)
 心の中での謝罪。それがゼムセルの最後の意識だった。

 広間の奥で、メディウスは一部始終を見ていた。ゼムセルの息が絶えたのは確実なことであった。
(ゼムセル。お主らの願い、少しでもかなったであろうか。)
 戦いは続いている。しかし、ゼムセルを失った竜達の動きは鈍かった。最後の広間にいる竜の数も、かなり少なくなってしまっている。
(体が、動かぬ。……我が同胞を思えば、このような戒めなど。)
 メディウスはそのまま、膝の上に抱えた石に意識を集中した。土の色をした石。その石は綺麗とは言えず、山肌に埋没すればそれとして探すのは困難だろう。それが、メディウスにとって唯一無二の力を封じた石であった。
 メディウスの意志で力の封印は解かれ、本来の力がメディウスの体中へ巡って行く。空気が震えた後には、普通の竜と比べても二周りは大きな姿が現れていた。
 戦闘の気配が、一時止んだ。圧倒的な威圧感が広間の最奥から戦いを続けるカミユ達の方へも伝わる。
「これは……。」
「メディウス。ここにいたか。」
 その姿を捉えることができた者はいない。しかし、誰もがメディウスが現れたことを認識していた。
「VOLCANON!」
 敵も味方も反射的に動きを止めていた中、一人、冷静に魔法を詠唱していたユベロの炎の魔法が、近くの火竜に炸裂する。その炎は炎の中を住処としているはずの火竜でさえも傷つけた。
「何をしているのですか!戦闘中に集中を切らさないでください!」
 ユベロが叫ぶ。我に返った剣士達は竜に向かい、未だに硬直している竜の何体かを即座に葬る。
「……マルス殿、よろしいか。」
「もちろんです……。」
 最前線からは少し引いたところに位置していたカミユとマルスもメディウスの存在を確信していた。マルスは、ファルシオンを右手に封印の盾を左手にと構えた。
 すでに戦うことができる竜の数はかなり減っている。マルスはその奥にある存在に集中する。奥から声とも叫びとも息とも思えるような音が断続的に聞こえてきている。
 カミユやマルス達は倒れている竜の間を駆け抜け、一気に前に出た。周囲は肉の焼け焦げた匂いなどが充満し、息苦しい。
「これがメディウスか!」
 明りに照らされ、メディウスの巨躯が浮かび上がる。その体は正しく山のようであり、その鱗は岩肌そのものだ。その身には瘴気を纏い、近づくことすら叶わないのではないかと思わせる。
 メディウスの姿を認めると、一行はその距離をじりじりと詰める。
 メディウスはその視線の先にファルシオンと封印の盾を捉えていた。ファルシオンを持っている若者がマルスであろう。マルスを中心にして十人ほどがメディウスと対峙している。マルスのすぐ横にいる人物だけはメディウスにも見覚えがあった。常にグルニアの国王ルイに付き従っていた騎士。確か、カミユと名乗っていたはずだ。
 もっとも、今のメディウスに取っては誰が目の前にいようとも関係はなかった。誰がいたとしても自分に仇なす存在であることは間違いない。
(滅びるがよい。)
 メディウスの思念は、マルス達の頭に直接響いた。破壊の意思が瘴気を伝わって周囲を震わせる。
「散開しろ!」
 カミユに言われるまでもなく、随伴していた剣士は当たりへと散る。闇の力を持った息が吐かれる予兆が見て取れた。
 メディウスの低い唸り声が響いた。しかし、声はするものの、メディウスから息が吐かれることはなかった。
「盾が……。」
 マルスは、封印の盾が燐光を放っていることに気が付いた。正確には封印の盾に埋め込まれた五つの宝玉が、それぞれ光を放っている。その光は、徐々に強さを増していき、辺りを照らしだすことができるほどにまで明るくなる。
(息を吐くこともできなくなっておるとは……。この上は踏みつぶしてくれる。)
 メディウスを圧迫する全身の苦痛は、その激しさを増していく。竜としての力を封じる力、それに無理やり抗おうとする為にメディウスは苦しんでいた。
 息を吐くことができないことを悟ったメディウスは、マルスの元へとゆっくりと向かう。すでに、普通に動くことすら困難になっていた。歩みは鈍重であり子供の歩みより遅い。口から洩れるのは苦痛のうめき声ばかりである。
 メディウスに向かい、警戒をしていたカミユであったが、さすがにメディウスの異常に気が付いた。大きさが違うとはいえ、戦おうとする者の動きではない。
「これは一体……。」
 マルスが呟く。
「おそらく、封印の盾が効いているのだ。」
 暗闇にあって封印の盾は煌々と輝き続けている。
「盾の効果がこれほどとは……まるで瀕死ではないか。」
 恐れるべき竜の姿をしていたとしても、その動きはすでに何の脅威にもならないものであった。
「マルス殿、躊躇うことはない。あれは我々の敵だ。行くぞ。」
 カミユはメディウスへ真正面から向かった。マルスや他の者もカミユに続く。カミユは引きずられているメディウスの右足にドラゴンキラーを突き刺そうとした。
「くっ。」
 甲高い音が響き、カミユは後退した。カミユはドラゴンキラーで斬らずに突いたのだ。剣を使用する際に最も貫通力に優れた方法を用いたにも関わらず、メディウスは傷一つ負わなかった。
「マルス殿!」
 もっともカミユも本気で攻撃したわけではない。メディウスにはファルシオンでしか傷を付けることはできないとは考えていたから、はじき返されても体制が崩れないように攻撃を仕掛けたのだ。攻撃が効かないとわかるとすぐにマルスへ呼び掛ける。
 その時、マルスが振りかぶったファルシオンは、封印の盾が放つ光と同様の燐光を刀身の全体から放っていた。マルスはファルシオンを力任せに振り下ろす。岩にしか見えないメディウスの固い鱗が鮮やかに割れ、中から暗褐色の血が噴き出した。
(すさまじい。)
 ファルシオンの威力を目にしたカミユは息を飲んだ。余りにも威力が違いすぎる。
 マルスは返り血を避け一度間合いを取る。与えた傷は相当深く見える。しかし、メディウスの様子に変化はない。ただ、マルスを見失ってしまったため首を巡らせている。
「マルス殿!足の腱を狙うのだ!」
 カミユが叫ぶ。マルスはそれに従って足の裏に回り込むと、膝裏から踵までを一気に斬り降ろした。
 メディウスはその時になって初めて右足が傷ついていることに気が付いた。封印の力によって全身が悲鳴を上げている。体の全てから苦痛を感じている状態で、足からの痛みも特別な痛みと感じていなかったために実際に傷がついていることに全く気付いていなかったのだ。
 右足は既にメディウスの体重を支えるだけの力を失っていた。メディウスの巨体は横倒しに倒れた。メディウスの咆哮と巨体が倒れた衝撃が、広間にこだまする。
 メディウスはそれでも意識を失わず、尚も腕を動かし近づく者を薙ぎ払おうとした。しかし、体の方にはそれだけの力は残っていなかった。
「メディウス!覚悟!」
 マルスはそのまま接近すると、メディウスの喉笛を切り裂いた。血が一気に溢れ出し、当たりを染めた。
 さすがのメディウスも、体の一片も自分の意志で動かせないことがわかると死を覚悟した。
 マルスは血潮を避けるようにメディウスから離れる。大きく傷を負った地竜の巨体は横たわり、動こうとはしない。腕にも足にも力はなく、横たわっている。
(負けか……。)
 メディウスの思念が、メディウスの周りにいる者達へ伝播した。みな、咄嗟に武器を構える。しかし、もうメディウスは動くことはなかった。
(人の子よ。予は地の底で貴様らの滅びを待つことにしようぞ。永久にな。)
 メディウスの思念に答えるかのように、封印の盾がより一層強く光る。光を受けたメディウスの体が崩れていく。砂のような粒子となり、うずたかく積み重なるそれは、すでに原形を留めていない。メディウスの思念ももはや伝わることはない。
 封印の盾は尚も光り続ける。不思議なことに、メディウスから変化した山となっていた砂は、徐々にその量を減らしていった。遂には影も形もなくなる。それと同時に、封印の盾が発していた光も落ち着いた。
 一同は呆然としていた。目の前で何が起こったのか、理解している者はいなかった。メディウスは目の前から消えてなくなったのだ。
 しばし時が流れた。我に返ったカミユは右腕を上げ宣言した。
「メディウスは討ち取られた。この戦い、我らの勝利だ!」
 カミユを中心に歓声が上がる。歓声は瞬く間に広がり、広間を埋め尽くした。
「マルス殿。よく成し遂げられた。」
 マルスはカミユの謝辞を受け作り笑いを浮かべる。マルスの攻撃に、メディウスは全く抵抗をしていなかった。その結果に釈然としないものを感じないわけにはいかなかった。
 光の強さは落ち着いてきたが、まだ鈍く燐光を放っている盾をマルスは眺める。メディウスの様子がおかしかったのは、おそらくはこの盾のせいなのだろう。あれほど憎かったはずのメディウスではあったが、あっさりと倒れてしまった。だからこそ考えてしまう。これで良かったのかと。
 広間の左右では未だ戦闘が続いていたが、メディウスが倒れたことを知るとほとんどの竜は戦意を喪失し、人の姿へと戻った。
 他の各所の戦線にもメディウスが討たれたことが伝わり、戦闘は終結しつつあった。マチスやエルレーンへ状況が伝わるころには、戦闘は完全に終息し、残存していた竜人は全て降伏した。
 突入部隊が地上へ戻ると、ちょうど日は高く南中にある頃であった。全ての参加部隊に集合が掛けられた。偵察に出ていた部隊が戻り、全軍が終結すると、マチス大将軍の名で勝利宣言が行われた。
 アカネイア大陸の長い長い戦乱は、ドルーア帝国の滅亡で幕を閉じた。このマケドニア王国とドルーア帝国の戦いは、後に竜王戦争と呼ばれることとなる。

 その日の夜。宿営では簡単な祝賀会が開かれていた。戦地でのことで、たいしたことができるわけではなかったが、ドルーアとの戦いに決着がついたことで、皆、一様に明るい表情をしていた。
 戦勝の報告を聞きつけ、急遽、ミシェイルも宿営地へ駆け付けていた。やってきたミシェイルは状況を纏めていたエルレーンからある程度の話を聞いた。
「それと……このような場に相応しい話ではないことはわかってはいるが、被害はどのようになっている?」
「……かなり深刻です。腕の立つ者をカミユ殿のところへ集めたため、グルニアやアカネイアの被害は驚くほど少ないのですが、反動が他の部隊へ来ています。軽歩兵の損失率が半分弱、魔道士隊の損失が三割程度と言ったところでしょう。」
 エルレーンは先のことを考えると頭が痛かった。ガーネフとの戦いでも、今回の戦いでも、優秀な魔道士が数多く失われた。さらに優秀な魔道士を輩出すべきカダインは今はその機能をなしていない。魔道士はそう簡単になれるものではない。以前の規模の魔道士隊を揃えるには、魔道士の募集では足りず、育成から考えていかねばならないだろう。
 クラインの方も多数の優秀な諜報員を失っている。失われた者の中にはマチスの下で働き始めて以来の者も含まれていた。
「必要な犠牲だったと言うことは簡単だがな。せめて、これからは彼らに正規の出番が来ないようにしなければなるまい。」
 犠牲者の人数は人数的には少ない。通常の軍を竜と戦わせれば、犠牲は十倍でも足りないところかもしれない。しかし、戦死者の数は普通の戦線であればいつ総崩れしてもおかしくないような数である。
「まだ、当分、気は休まりません。」
 愚痴っぽく言うエルレーンにミシェイルは笑って返す。
「ははは。お主たちが頑張ってくれればそれだけ予の休まる時間が増えると言うものだ。当てにしているからよろしく頼むぞ。」
 エルレーンは苦笑いしつつもしっかりはいと答えた。
 大体の状況を把握したミシェイルは、次にマチスへと話しかける。
「マチス、大儀だったな。」
「もったいないお言葉です。」
 マチスは祝賀会の熱気に当てられて、ずいぶんと気分がたかぶっているようだった。横にはしっかりとエリエスが付き従っている。エリエスはミシェイルに気が付くと、あわてて頭を下げた。
「ああ、いい。楽にしていてくれ。」
 ミシェイルもかなり上機嫌である。
「ところでマチス。例の件、やはり考え直す気にはならんか?」
 いきなりであったが、マチスには何の話かはわかっていた。首を横に振る。
「陛下。今までは戦時でしたから問題はありませんでしたが、軍が政治的な力を持ちすぎることはよろしくありません。このままお聞きとどけ下さい。」
 ミシェイルがマチスの希望を聞いてから、書簡でのやり取りを含めて何度か繰り返されてきた話である。マチスの意思は固かった。
「予は、ハーマイン当たりに任せればよいと思っていたのだがな……。」
「各地の財政や治安の回復に必要だったとはいえ、私の権限は大きくなりすぎました。各地を独立させた後のマケドニアでは、これは毒にしかなりません。次代以降の大将軍が政治に大きく口出しするような前例を作りたくはないのです。政務の職責は、体制を検め必要であれば新たに設けられるがよろしいでしょう。」
 ミシェイルは可能であればマチスには今までどおりにマケドニアの中央に残っていて欲しかった。反対に、マチスの希望を聞いてやりたいと思うところもあった。確かに、各地へ展開しているマケドニア軍が撤収すれば、本国の政務程度はミシェイルが監督すれば済む。
「……致し方がない。」
「わがままと取られることは覚悟の上です。よろしくお願い申し上げます。」
 マチスはミシェイルに頭を下げていたが、ミシェイルが説得に失敗したことには変わりはない。ミシェイルは苦笑すると、そのままミネルバの方へ向かっていった。
「マチス様?陛下と何を話されていたのですか。」
 ミシェイルがいなくなったのを見計らって、今まで黙って聞いていたエリエスがマチスへ尋ねる。
「ああ、エリエスには話をしなくてはなりませんね。重要な話です。」
 エリエスは一気に緊張した。マチスが重要と言うのであれば、それは本当に重要な話である。
「私は陛下と約束をしています。それは今度の戦いでドルーアに勝つことができれば、大将軍の位を辞するということです。」
「え……?では、これからどうするのですか?」
 エリエスは初めて聞くことであった。このことは、ミシェイルと、エルレーンにしか話していない。そして二人にはドルーアとの戦いが終わるまで口外しないように頼んである。実際にはミシェイルはパオラには話してしまっていたが、パオラも誰にも話してはいない。
 戦いは生ものであり、終わってみなければどのような結果になるかはわからない。だから勝利後の約束と言うことで話すことを止めていた。しかし、勝利が確定してからはエリエスには真っ先に話さなければならないことだった。
「陛下には、新しく獲得したこのドルーアの地の総督にしてもらうようお願いしてあります。一度はマケドニアに帰りますが、これが叶えば私はすぐにでもこのドルーアの都へ戻ってくることになるでしょう。それで……あなたには私に付いてきてもらいたいのです。」
「そんな……私はマチス様がどのような所へ行くのだとしても、来るなと言われなければ付いていきます。」
 エリエスは即答した。エリエスにはマチスがなぜドルーアの総督などを願ったのかはわからなかった。しかし、マチスがどこかへ行こうとするならば付いて行くことは当然だった。
「いや……そういう意味ではない。戦いは、もう終わったんだ。だから……、君には妻として私の隣にいてほしい。」
「え……それって……。」
 たどたどしく口にするマチス。見れば、この大陸の誰の前でも緊張などしないはずのマチスが、がちがちに固まっている。顔が赤く染まっているのは酒のせいだけではないだろう。
「受けて……くれるかい。」
「はっ、はい!よろこんで!」
 エリエスは思わずマチスの手を取って振り回してしまった。喜色満面なエリエスがマチスの目の前にある。マチスはエリエスの肩へ手を伸ばそうとした。そんなマチスの肩を叩く者がいた。
「クライン!?」
 マチスが振り向いた先にいたのはクラインだった。いつの間にか、マチスはクラインとその部下たちに囲まれていた。
「陛下との話が終わったみたいなんで、話でもしようと来てみりゃすげぇことになってるし。よかったな!旦那。エリエスもな!」
 そんなことを言いながらクラインはばしばしとマチスの肩を叩く。
「兄さん!もぅ。」
 咳き込むマチスを見ながらエリエスは笑っていた。
「せっかくのところで邪魔するのも悪いと思ったんだが、今日は戦勝の記念だ。祝うところは一緒にさせてくれや。今日は二重三重でめでたい日だ。お前ら!飲み明かすぞ!」
 めいめいに歓喜の声が上がる。マチスはもみくちゃにされながら、こういうことこそが平穏が戻ったことの証なのかもしれないなどと考えていた。

 翌朝、マケドニアの部隊は撤収を開始した。準備ができ次第に移動する予定であったが、祝賀会が夜遅くまで続いたために、実際に移動を開始したのは昼ごろであった。
 ミシェイルはそのまま宿営地に宿泊した。そして朝一番でマルスから封印の盾を受け取ると、カミユを伴って竜の祭壇へ盾を置きに行った。これには特に何の問題もなく、二人は夕刻までには一行の場所へ戻ってきた。
 マケドニアに戻ると改めて祝賀会が行われた。その後、アカネイア、グルニア、アリティアの者達はそれぞれ自国へと帰還した。もっともアカネイアへは、アカネイア出身の者は帰還しマケドニア軍直属の者はマケドニアに留まった。
 この後、各地のマケドニア軍は統治権をそれぞれの勢力へ変換し、徐々に撤収することとなる。アカネイア大陸のマケドニアを中心とする新たな体制の始まりであった。

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