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FireEmblemマケドニア興隆記
 暗黒戦争編
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四章 谷を駆ける風は北から南へ

 緑条城の戦いの後、しばらくは戦いの無い日々が続いた。
 解放軍の方では、戦いのすぐ後にニーナ姫から紋章の盾が提示され、アリティアの王子マルスを盟主として全体を統率することとなった。これ以降、連合軍側は自らをアカネイア解放軍……通称、解放軍と名乗ることとなる。ばかばかしいことではあったが、ドルーア同盟側では相変わらず彼らのことを反乱軍と呼んでいた。未だ大陸全土を制圧していないにもかかわらず、反乱軍呼ばわりするのはおかしな話ではあったが、それがドルーア帝国の論理だった。
 解放軍はオレルアンを得たことで新たな兵力を得た。しかしながら、その再編と訓練には少なくない時間が必要だった。訓練されていない兵が精鋭に劣る事は少数精鋭で鳴らすアリティア宮廷騎士団には常識である。
 一方のマチス率いるマケドニア軍も時間を欲していた。騎馬隊の行軍を悪路に耐ええるように鍛えるべく、特殊な訓練を行い、またレフカンディの谷に集結した兵士も日々また訓練の忙しい日々を送っていた。
 アドリア街道の探索はなんとか目処が着きつつあった。基本的に尾根伝いの道であるので徒歩でオレルアンに抜ける事はさほど難しくは無かった。あとは、騎馬隊がスムーズに通れるように狭い所を整備したり、簡単な橋を渡すなどの作業が残るだけだ。ただ、二千の騎馬隊が進軍するのだから、それなりにしっかりとした整備が必要となる。そのため、マチスは直轄のクライン隊のうち半数余りをその作業へ投入していた。
 残る半数も、来る日に向けての緑条城での工作などに出向いていた為、大将軍と言う立場にありながら彼の周りにいる人数はきわめて少なかった。
 レフカンディの谷を守る将軍はハーマインと言った。ハーマインはかねてからオレルアン以北の地に動乱があればレフカンディで罠を張りそれを壊滅させる案を考えていた。だからマチスが大将軍として自分の上官になったことへの驚きや腹立ちはあったものの、マチスの出したレフカンディで敵主力と決戦するという案には賛同してくれた。レフカンディでの準備は概ね順調だった。
 マチスはレフカンディについた後、まず付近の地形の把握から始めた。一通りの地形の確認が終わると、作戦実行時の兵の動かし方についてハーマイン、ムラクと何度も軍議を行いそれを詰めて行った。基本的には、大量の軍を両側の山中に潜ませ、敵がある程度近づいたところでそれを包囲撃滅する作戦である。マチスの指示は堅実であり、敵に潜伏している事を悟られないようにする偽装工作にも抜かりは無かった。
「一つ大きな問題があります。」
「なんだね?」
「敵の部隊にはペガサスナイトがいるのです。これに偵察を行われた場合、いくら入念に偽装工作を行おうと何らかの拍子に見つかってしまわないとも限りません。幸い、ペガサスナイトが存在していると入っても確認されているのは一騎のみです。敵は必ずやペガサスナイトを偵察に放ってくるでしょう。そこを狙ってこれを撃ち落とすべきです。」
 何回目かの軍議の時、マチスはそんなことを話題に上らせた。
「ふむ、確かに敵の目は潰しておかなかければなるまい。」
 ハーマインは即座にその話には賛成した。色々と悪い噂を聞く事はあってもマケドニアの将軍である。ペガサスナイトの危険性は理解していた。
「では、白騎士団に援護を頼むのか?」
 と、こちらはムラク将軍の意見である。
「いいえ、実は先日ミネルバ様が私に面会にいらっしゃったのですが……。」


 マチスがレフカンディにたどり着いてから一週間ほどたったころ、ミネルバはいつものように三人の側近を連れてレフカンディにやってきた。丁度、戦闘の後のあわただしい雰囲気も段々と落ち着いてきた頃である。
「マチス大将軍。話というのは他でも無い。卿の指揮する作戦についてだ。」
 ミネルバはマチスに対して開口一番そう言った。
「はい。どのような事でございましょうか。」
 マチスの方はミネルバと話をするのはこれが始めてである。貴族時代にも彼は王城へ出向くような事はあまりしなかったので、まともに面会するのも始めてだった。
「どうやら、用意周到に騙し討ちをする事を考えているようだな。卿はマケドニアの軍に恥をかかせるおつもりか。」
 そこで、マチスは考え込んでしまった。
「申し訳ありません。騙し討ちとは……この作戦の一体どこを指して仰っているのでしょうか。」
「しらを切るつもりか。山や砦に兵を隠して背後から襲うのが騙し討ちでなくて何なのだ!!敵が正面から来るのであれば騎士らしく正々堂々と正面から迎え撃つべきであろう!!」
 そこまで言われて、ようやくマチスは何の為にミネルバがこうしてレフカンディまでやってきたかを理解した。
(何を馬鹿な事を)
 正直、マチスはそう思った。いや、少しは顔にも出ていたのかもしれない。
「お言葉ですが、ミネルバ様。今回の作戦はいかに兵力を消耗せずに確実に敵を壊滅させるのが目的なのです。騎士道などにこだわって、多くの兵の命を失う事のほうが愚かな事だとはお考えになりませんか?」
 この時のマチスの言葉には明かに侮蔑の念がこもっていた。それに気付いたのか気付かずか、ミネルバは一喝した。
「貴殿には騎士としての誇りは無いのか!!」
(やれやれ)
 マチスは半ば呆れていた。これが……これがマケドニアを代表する将軍の言動なのだろうかと。
「ミネルバ様は、この地をよくご覧になったことはございますか?」
「いや……、私もあまり詳しくは知らぬが。」
「この地は『谷』と称される通り、両側に森を従えた山が林立し、その真中を一本の街道が通っております。この両側の森には伏兵には最適の地形です。また、谷底はそれほど広くは無いものの軍隊同士が戦闘をする為には十分な広さがあります。しかし、我が軍は大軍で、そのまま正面から全軍をぶつける事はできません。そのような事をすれば味方の大部分は遊兵となり、敵に付け入る隙を与える事でしょう。ミネルバ様は私にそのような下策をもって敵にあたれとおっしゃるのですか。」
 マチスはいつになく強い口調となっていた。
(私が……気おされていると言うのか。)
 ミネルバにはこういった真っ向からのやり取りをできる相手はミシェイルの他には存在しない。他の将軍たちに意見されることもあったにはあった。しかし、将軍達はミネルバの武勇にある種の畏れを持っており、ミネルバが何か反論すればたちまちそれに従ってしまっていた。で、あるからこそ強い口調で反論してくるマチスに、ミネルバは驚きと興味をおぼえていた。
 ミネルバは確かに優秀な指揮官であり、軍の模擬戦などでは常に優秀な成績を残していた。しかしそれは、あくまで模擬戦に限ったことであり、実際の戦闘の指揮を取ったことは一度も無い。
 ミネルバの得意な戦術は、自らを楔とした一点集中突破である。ミネルバは正々堂々とした戦いにこだわり、攻撃する時は先頭に立ち、退却する時には最後まで残る。大将としてそれを当然の行為と自分に義務付けている。その性格によって、ミネルバは末端の兵士には非常に人気が高かった。その為、ミネルバの指揮する隊は非常に士気が高く、彼女の隊の一番の長所となっていた。
 また、ミネルバ自身も一点集中突破戦術を得意とする。今までの模擬戦において、突撃をかけるタイミング、相手の陣形を崩す駆け引き、これらにおいてもミネルバは他の将軍を圧倒した。こうしたマケドニアの赤き竜騎士としてミネルバの名前は大陸中に知れ渡っている。
 しかし、一方で正当性にこだわり、策に弱い一面も持っている。ミシェイルはミネルバのこの一面を今までの模擬戦などから読み取っていた。開戦時の確執もあり、ミシェイルはミネルバに出撃の命を出していない。
 ミネルバは、マチスの言葉を考え、自分なりに理解しようとした。確かに、マチスの言い分もわからないではない。しかし、こういった策にかかり命を落としていく敵の無念さを考えると、納得できない部分もあった。ミネルバは軍の指揮官としてはこういった敵のことまで心配するような優しすぎる一面ももっていた。戦争とはただ勝てばいいものなのか。ミネルバの心の中で数え切れないほど自問自答した問い合わせがまた浮かんでくる。無論、答えなど出はしない。
「……このことは、兄上も存じておられるのか。」
 と、軽く首を振り、ミネルバは尋ねた。
「無論。陛下直々の命により。」
 澱み無くマチスは答える。
(そうか……、兄上ならば、そう考えるのだろうな……。)
 その時、マチスにはミネルバが微笑んだように見えた。そして、ミネルバは一度首を横に振った。
「そうか、陛下によって決められていたことか。であるならばいたしかたあるまい。私もここは黙って立ち去ろう。」
 この一言で、会見は終わった。やはり、陛下の力は大きい。悔しいがあの男を敵とする事はできない。などと、思わずマチスは考えてしまい、また考え直す。敵にする?あの男がまだ憎いのか?と。
「マチス殿。また、貴殿を会える機会を楽しみにしているよ。では。」
 ミネルバが振り向き、部屋を出ようとする。その際で、ミネルバは誰に聞かせるとも無いような感じで言葉をもらした。
「今の……時代は変わってしまったのだろうか。」
「時代などという物は何も変わってはいませんよ。……変わったのは、我々です。」
「そうか。」
 そしてミネルバは一度、天を仰ぎ見ると、ゆっくりとした歩調で部屋を去って行った。


「……と、まあこのような事があったのです。」
 マチスは二人の将軍にミネルバとの会合を語ってみせた。
「しかしこの様なことをおっしゃるとは、聡明と言われるミネルバ王女らしくありません。何かあったのでしょうか。」
 ミネルバ王女と言えばマケドニア軍の中でもミシェイルに次ぐ地位があり、その評判も良い人物であったのにこう言う事を言ってくるとは予想だにしていなかった。緑条城奇襲作戦のことが伝わってなかったにしてもだ。
「マチス殿はマリア王女の事はお聞きになっておりますかな。」
 と、ハーマイン。
「はい、確かアカネイアの王城が陥落したあと、ドルーアに人質として送られたとか。」
「こ、これはマチス殿。人聞きが悪うございますぞ。あくまで、マリア王女はドルーアへ留学されたのです。」
 マチスの言葉を慌ててムラクが訂正する。
「実質的に人質であることは誰の目にも明らかでしょう。ここで言葉を飾ってみても仕方ありません。」
「……実はミネルバ様があのように頑になってしまわれたのはそのことに原因があるのでは無いかと思っているのだ。あの二人は年は離れているが仲のいい姉妹だ。その妹を人質に送ってまでドルーアとの同盟に固執する陛下にこだわっておられる。この作戦について、正面からの堂々とした対決にこだわったのはそのような思惑があったからでは無いかと。」
 二人のやり取りの後、そう静かに言ったのはハーマイン将軍だった。
「ばかな。我々は戦争をしているのだ。そのような下らない感傷にひたっている場合ではなかろう。」
「マチス殿の言う通りだ。この地は我々に有利にできている。これを利用しない手はない。」
「ミネルバ様は言葉には出さなかったものの、かねてよりドルーアとの同盟、アカネイアへの侵攻については反抗的だった。その為、白騎士団は部隊単位で各作戦の補佐にあたることはあっても主力として作戦に参加した事はない。ミネルバ様が自ら作戦の指揮を取られた事はなく、ミネルバ様自信が戦争に対して実感を湧かせていないということもあるのだろう。」
 ムラク将軍の言う通り、ミネルバは今回の戦いで出陣した事はただの一度も無い。前線に出ている将軍との認識の違いは確かに存在するだろうことはマチスにも想像できた。
 しかし、次にマチスが尋ねられた質問は実に突拍子の無い物だった。
「そういえば、マチス殿にも大切にしておられた妹君がおられましたな。マチス殿が陛下の立場であられたら、妹君をドルーアへ送られますかな?」
 実に急な質問だった。マチスは一瞬考え込んでしまった。
「私の妹……妹のレナは陛下の求婚を断って家を飛び出して以来、一度もマケドニアには帰って来ていません。ここ一年は連絡もとれないありさまです。」
 マチスがそのように切り出した為、二人の将軍は沈黙せざるをえなかった。
「五年……、そう、五年前の私であれば絶対にそのような事はしなかったでしょう。私の妹は気丈なところはありますが、かわいいたった一人の肉親でもありますから。しかし、四年間戦争の真っ只中にいて、少しは陛下のお気持ちも察する事ができたような気がします。」
「それは、領主はいついかなる時も、どのような犠牲を払っても領民を守らなければならないという事です。陛下はやり方はともかく、まずマケドニアの国民の事を第一に考えているとは思います。海外との貿易、ドルーアとの同盟、それらの一つ一つの政策がマケドニアの民を不幸にしないように陛下が考えて行なっているのでしょう。」
「マケドニアの国内を見て下さい。領民は希望に満ちて生活をしているとは言えないかもしれない。とりたてて豊かな暮らしをしているとも言えないかもしれない。それでも、この痩せた土地のマケドニアにいて、四年も戦争が続いている中、領民達は飢えることなく働き、生活している。これがどんなに大変な事か、少なくとも頭の中では理解しているつもりです。陛下が国民の絶大な支持を受け、我々マケドニア軍が士気を高く保っていられるのも、そういった下地がしっかりとしているからでしょう。」
「ドルーアとの同盟には、最初は私も懐疑的でした。アカネイアと戦うこともドルーアと戦うことも同じではないかと思っていたのです。しかし、アカネイアは有力貴族の半数に裏切られてあっさりと滅亡しました。陛下がドルーアと同盟を結んだ時点でこの事態を予測していたかどうかはわかりません。それでも、現在のマケドニアにとってドルーアとの同盟は必要不可欠なのです。そして、今現在、ドルーアとガーネフ率いるカダインに同時に攻撃を受けて生き残れる国家は無いと断言できます。ですから、マリア様が人質として送られた事も仕方のない事なのです。私が陛下の立場であったとしても、同様の事をしたでしょう。」
 と、マチスはそこまで一気に話しを進めた。二人の将軍にはもちろん返す言葉などなく、聞き入ると同時に黙り込んでいる。
「もっとも……この様な考え方をするようになったのも、すべて私が軍隊に入ってから、本当に戦争というものを目の当たりにするようになってからです。私はこの時代においては平和に育ちすぎました。私は幼き日々、若き日々を、暖かい家族と領民に支えられ、何気なく生きてきました。マケドニアの領内は今でも平和で、今が戦争中であることなどとても思えないような状況です。それゆえに、陛下は名ばかりの貴族には軍の供出は強制するものの指揮を取らせないでいます。貴族から将軍となった方々にはリュッケ将軍やルーメル将軍がおられますが、陛下は彼らにはあまり重要な役を与えておりません。」
「この時代に生まれた私は、奇妙な成り行きとはいえこうして大任を任されることとなりました。私が生まれついた貴族という立場は今はもう無くなってしまいましたが、今まで私に礼を尽くしてくれた領民たちのためにも、私にできる精一杯のことをやっていくのみです。」
 マチスはここまで一気に話すと、息をついた。マチスは、考え込んでいる二人の将軍とは対照的に軽く微笑んですらいる。
「話が逸脱してしまったようです。敵のペガサスナイト対策ですが、実際問題として白騎士団に援護を求めるのは現実的ではありません。敵のペガサスナイトは一騎のみなのですから、おのずとその用途も限られてきます。一番考えられるのは、将軍方も周知のとおり高空からの偵察です。」
 今度は二人ともはっきりとうなずいた。ペガサスナイトの運用法を知らないようではマケドニアの将軍職は務まらない。
「今回の会戦は向こう側も全兵力を出しきっています。ですので、どのタイミングで敵が偵察を飛ばしてくるかも比較的わかりやすいでしょう。そこで……。」
 マチスはテーブルの上へと指を走らせた。テーブルの上にはマチスが直轄部隊に作らせたレフカンディの詳細な地図がある。
「両軍が激突可能なこのある程度開けた盆地の先の森林に一定間隔を置いてハンターを配置します。」
「ふむ、敵がこちらの陣容へ偵察をかける前に射落としてしまおうというわけか。確かにハンターなら森の中でも軽装だし、気配も悟られにくい。さらに短時間で人数を用意できる。」
 ハーマイン将軍はさもありなんという形で納得している。
「しかし、敵が偵察もそこそこに進軍してきた場合はどうなるのだ。逃げる事に失敗してしまえばハンターなんぞ一たまりも無いぞ。」
「それには良い解決策があります。こちらの陣内には魔導士はいますか?」
「いないこともないが……それ程たいした魔法を使える者はおらんぞ。」
「いえ、初歩の雷魔法が使えれば十分ですが。」
「それならば、大丈夫だろう。基本的な魔法であれば問題無く使えるはずだ。」
「でしたら……。」
 マチスの指は、地図上の森林地帯からすっと移動し、外れにある砦を指し示した。
「この砦に魔導士を一人配置するようにしてください。敵の侵攻の知らせがあれば、雷魔法を天空へ向けて放ち、それを合図とし、撤収させるようにしましょう。」
「ベンソンの時に敵が使った手か!」
 ムラクは俄かに大きな声を上げた。かの敗戦はムラクにとって大きな傷痕として残っている。
「そうです。この話を聞いた時、これはなかなか使えるのではないかと思いましたよ。ワープの魔法だけが情報伝達の方法ではないと。」
 ワープの魔法と言うのは、対象物を瞬時に別の場所へ移動させる魔法である。通常、国内の重要拠点間や国家間の緊急連絡は、高度技術をもった魔導士がワープの魔法を使用し、伝令もしくは使者を送り込む事で行う。しかし、この魔法を使った遠距離の移動には非常に高度な技術が要求される。その上、ワープの魔法を施術するのに必要な触媒となるワープの杖の生産方法は現在では失われており、非常に貴重なものであるのでおいそれと使うわけにはいかない。その為、ワープの魔法が使われるのは真に緊急を要する場合のみである。もちろん、多方面への連絡が必要な戦場での伝達などには使えない。
「雷の魔法や炎の魔法であれば格好の目印となります。天空へ向けて放てばかなりの遠方から見えますし。総攻撃や退却の合図として定めておけば大きな会戦では非常に有効でしょう。」
「ふむ、なるほどそれはいい考えかも知れんな。ただ、悪天候の場合には効果が半減すると思うが……。」
 とは、ハーマインの言葉である。
「そうですね。ですから、合図の魔法としては炎魔法よりも雷魔法の方が適してはいます。雷であれば、光も目立ちますがその音も遠方まで届きますから。もっとも、自然の雷と区別ができないといけませんので、一定間隔で三回光ればというように工夫は必要になってきますけど。」
「まあ、どちらにしろ今回は関係あるまい。ペガサスナイトは悪天候では飛行できないからな。ともかく、この話については概ね了承した。それでは、魔導士とハンターの用意はこちらでさせて頂こう。それでよろしいですかな?」
 と、ハーマイン。
「わかりました。それではこの件はハーマイン将軍にお任せいたします。私は緑条城から敵出撃の知らせがあり次第、騎馬隊を率いて出撃しますので、こちらの件もよろしくお願いします。」
 実際には戦場を離れるマチスの替わりにレフカンディでの戦闘指揮はハーマイン将軍が取ることとなっている。作戦に乗り気なハーマインにマチスは作戦の修正点だけを指示すれば良かった。最初、味方の指揮系統について不安を抱いていたマチスであったが今はほとんど安心していた。
「そろそろ重歩兵隊の訓練が終わる頃ですな……。区切りも良いことですし、今日の話し合いはこれまでと言うことでよろしいですかな。」
 と、ムラク将軍が占めた。二人の将軍はこれに同意し、会議はお開きとなった。すでに作戦の大部分は想定され、毎日仮想演習が行われる段階に入っている。三人の将軍から発せられる、緊張感と高揚感は危ういバランスを保って全軍の上に存在していた。


 緑条城では、出陣の準備が急ピッチで進んでいた。自分たちは体制をしっかりと作り、立て直さなければならないが、マケドニア軍に迎撃の準備をされてもいけない。しかし、自軍の状態は新兵の増加でとても満足に戦える状態ではない。そこで、ハーディンとマルスは話し合い、レフカンディの谷を抜け、パレスへ進撃する作戦を三ヶ月後に行うこととした。最も避けるべき事は時間を無駄に過ごすこと。解放軍側では各人が各人の役割をしっかりと確認し、準備を進めていた。
 解放軍と行動を共にする女性にとって、炊事や洗濯は大きな仕事であった。女性といっても騎士であれば騎士の訓練、魔術士であれば魔法の鍛錬とそれぞれやることが多く、自然とシスターがそういった仕事の中心的立場となってしまう。解放軍の規模も大きくなり、毎日の炊事一つを取っても大仕事である。
 タリスへ落ち延びた時のアリティア軍には僧侶、魔術士は存在しない。しかし、今ではサムスーフ山でジュリアンと共にジュリアンに助け出されたシスター、レナを加え、またオレルアンへ入ったところでマルスの旧友であるマリクと合流し、僧侶、魔術士と心強い味方が存在する。アリティア軍の炊事や洗濯などはレナが中心に、周りの者がそれを助ける形で日々行っていた。
 その日も、ジュリアンがレナの水汲みの手伝いをしていた。ジュリアンは緑条城に入る前からよくレナの手伝いをしていた。ジュリアンが属していた盗賊団を裏切って、レナを助けたということもあるのだが、基本的に盗賊であり、団体行動の訓練や、剣の鍛錬などとほぼ無縁なジュリアンは、日頃からよくレナの手伝いをしているのだった。それだけではない理由も存在しているのだが。
「ジュリアン……。」
 水汲みをしているとレナがそう話し掛けた。いつもの元気な声ではなく、どことなく曇った感じの不安そうな声だ。
「どうしたんだい、レナさん。」
 普段と様子の違う声にこれも心配そうにジュリアンは返事を返した。
「新しいマケドニアの将軍を知っていますか?」
「新しいって……マリオネスとか言う捕まった将軍のことかい?」
 ジュリアンにとってはレナから話し掛けられる話題としては意外な話題だった。特に関心を払っているようなことではなかったので、レナ何を言おうとしているかは彼にはわからなかった。
「いいえ、今度……新しく将軍になった、マチスと言う人です。この前、オグマさんがアベルさんと話しているのを聞いたんです。」
「いいや……知らないなあ。その人がどうかしたのかい?」
 ジュリアンは何気なく聞いたつもりであった。しかし、消え入りそうな声で返ってきた返事はジュリアンの想像の範疇を超えたものだった。
「私の……兄かもしれないのです。」
「え?」
 あまりのことにジュリアンは言葉を返せなくなってしまった。レナの言葉が続いた。
「私は……マケドニアの貴族の出身なのです。ミシェイル王子……今は国王ですが、そのミシェイル王子の求婚を断ったために、私の家は潰されました。私はこの通りあちらの国、こちらの国とシスターとして旅をしていたのですが、オレルアンからタリスに向かう途中で盗賊に捕まってしまい……、後はあなたの知っている通りです。兄は、領地を没収された後、強制的に軍に配属させられたと聞きましたが……、まさか……。」
「レナさんが……マケドニアの貴族!?本当かい?」
 レナはうつむいたまま、かすかに首を縦に振った。
「……今まで、黙っていてごめんなさい。私が、旅に出たのはマケドニアに居づらくなってしまったからなんです……。」
「そ、そんな……。」
 ジュリアンはしばし、絶句した。
「ちょっと待ってくれ。その話が本当なら、あんたら……あ、いや、レナさん達はミシェイルを怒らせてそんなに酷い目にあっているんだろ。なら、何で、将軍なんかになれるんだ?普通は、兵士のままでこき使われるんじゃないのか?」
 ジュリアンはあからさまに動揺していた。レナが実は貴族の出身だということに激しい戸惑いを覚えていた。かろうじて、考え答えることはできたが、正しい考えが浮かんでいる状態とは思えなかった。
「わかりません。同じ名前の別の人かもしれない。でも、私の兄は周りからはそうは思われていませんでしたが、とても頭の良い人です。それに、色々な話を聞いてみると、私の兄としか、思えないのです。」
「……その話……、誰か他の人には話したかい?」
 レナはゆっくりと首を振った。
「そうか……。なら、ひとまずマルス様に相談してみよう。」
「え?」
 そう、驚いた表情のレナは不安を隠しきれていない。
「マルス様ならいきなり悪いようになることはないだろう。盗賊だった俺も許してくれたし……とにかく話をしてみよう。」
「……そうね、マルス様なら、わかってくれるわよね……。」
「安心しなって、レナさんの事は俺が絶対に守ってあげるから。」
 ジュリアンのその言葉は、レナを落ち着かせたい一心で無意識に出てきたものだった。
「え?はっ、はい!」
 びっくりしたレナは、声を裏返し、妙な返事をしてしまった。思わず、ジュリアンは吹き出してしまい、レナもつられて笑った。
「さ、そうと決まったら、水を置いたら、マルス様の所へ行ってくるよ。忙しい人だから、会えるかどうかわからないけど、できるだけ早く話を聞いてもらえるようにするよ。だから、レナさんは心の準備だけはしておいて。」
「はい。」
 と、笑みを取り戻したレナは明るく返事を返した。



「なるほど。話はわかりました。」
 レナから重要な話がある。そう聞かされたマルスは、できるだけ早く会合の機会を作り、ジュリアンとレナを呼んだ。ジュリアンの判断で、ハーディンにも同席してもらっている。
「それで……レナさんは、どうしたいのですか?」
 マルスがまず聞いたのはレナの意向についてだった。
「え?」
「つまりです。このまま行けば、レナさんは実の兄と戦うことになります。実の兄を倒さなくてはならないと知って、それでも戦えますか?」
 いくらか間を空けてレナが答える。
「私は……マケドニアがしていること。ドルーアに組していることは間違ったことだと思っています。兄が軍隊にいることは何回かの手紙でわかっていたことなんです。マルス様のところへ身を寄せてからなんとなくですが覚悟はしていました。ただ……。」
「ただ?」
「兄が……将軍になるとは思ってもいませんでした。でも、私は既に解放軍の一員です。ここから逃げたりはしません。」
「では、よろしいのですね。」
 マルスがいつもの調子で静かに問う。
「はい。」
 今度はレナはしっかりと答えた。一連のやりとりをジュリアンが落ち着かなさげに見守っている。
「ところで話は変わるが……。」
 と、ハーディンが切り出す。
「私が呼ばれたからには、そのマチスという将軍が我々にとって重要な存在となりえるということなのだろう?」
 レナが深く頷いて答える。
「はい。その通りです。兄は、家にあっては本を読みふけり、その知識の量は私の領地ではかなう人はいませんでした。私はよくは知らないのですが、戦争の本や歴史の本も多くありました。……兄は……とても頭の良い人です。その兄が指揮を取っていることを考えると、十分に注意する必要があると思います。」
「……本の虫か……。」
 ぽろっとつぶやいたハーディンの言葉に、レナはかすかに眉をしかめた。
「いや、失礼。つい表現が辛くなってしまった。それでは、レナ殿の兄上がどのような考えで我々を迎え討とうとするか、わかるかね。」
 レナは今度は、ゆっくりと首を振った。
「兄は……もとから何を考えているのかよくわからない人なんです。時々、何か途方も無いことを考え付いては、自室で何かを書いていたりしました。私も何度かその書いたものを見たことはあるのですが、どういうことが書いてあるかまでは理解したことがありません。」
「レナさんの兄上と言うと、年齢はいくつなのですか?」
 なにげなくマルスが尋ねる。
「二十二歳のはずです。」
「二十二歳!?」
 驚いたのはハーディンであった。アカネイア大陸広しと言えども、王族でも貴族でもなくそこまで若くして将軍職についているのはグルニアのカミユを除いて他にいない。そして、その条件は。
「ということは、カミユ将軍と同じように、国王に直接見出されたか……。」
 ハーディンは深く唸ってしまった。マケドニアのミシェイルとはハーディンも何度か面識がある。最後に会ったのはミシェイルが少年から青年へと変わるくらいの頃であったが、すでのそのころ当時のマケドニア国王であるオズモンドに色々と意見していたという。オズモンドは、色々とうるさいこともあるが、はっとさせられることが多いと当時は言っていた。
 ハーディンはミシェイルを色々な意味で激しい男だと思っている。それは、オズモンドの話を聞いたことと、過日、本人と直接面会した時の印象と、戦争の今までの推移を見た時の総合的な印象である。そしてそのオレルアン侵略の手腕は、ハーディンをして手も足も出なくさせるような見事な戦略を展開し、一度の戦術ミスで失った緑条城を自らの手で奪回できなくさせるほどであった。
「マケドニアの国王、ミシェイルですか……。」
 ハーディンの胸中を察し、マルスもまた誰に語ることでもなくつぶやく。
 この場で、ミシェイルに直接あったことがない者はジュリアンだけであった。深刻な場の雰囲気に飲まれいかにも居場所が無い。
 ドルーアと同盟を組んでいるマケドニアに対することがとても難しいことであるということは、ハーディンから聞いてマルスも覚悟はしていた。マケドニアの兵士は、ドルーアの為ではなく、ミシェイルに従っていれば必ずミシェイルが自分たちを幸福で豊かな暮らしに導いてくれると信じて戦っているのだと。つまり、総じてマケドニア軍の戦意は高い。ミシェイルの国内での人気は非常に高いのだ。それは、王子の時代から着々と積み重ねてきた、ミシェイルの行動の賜物である。
「その若さでミシェイルが信任を置くほどの人物です。注意して掛からなければなりませんな。」
 と、ハーディン。少なすぎる今の情報ではこういう結論しか出せなかった。
「一つ疑問なのですが……、マチスと言う人は、レナさんが婚約を断った為に軍隊へ入れられたのですよね。そのような人物を将軍にするということが私にはいま一つ理解できないのですが……。」
「いや、だからこそ気をつける必要が増すのだよ。」
 マルスのこの疑問に答えたのはハーディンであった。
「つまり、そのような罰則など吹いて消えてしまうほどマチスと言う人物の能力は魅力的なのであろう。ミシェイルは切れる男だ。戦時中ということを考えれば勝つ為に多少のリスクやこだわりは簡単に捨てることができるのであろう。」
「気を引き締めないといけませんね……。」
 場を沈黙が支配してしまった。
「……なあ、そんなこと今から考えてもしょうがねぇんじゃないか。それに本当にマチスっていうのはそんなにすごいのか?」
 レナがゆっくりと首を左右に振る。
「兄の影響力がどれほどのものなのかは私にもわかりません。でも、兄にはそれだけのことができる力はあると思っています。」
 何かを考えていたハーディンが口を開いた。
「しかし、ジュリアンの言うことも一理ある。相手の出方がわからないのであれば、こちらは警戒のしようがない。ならばできるだけのことをやるだけのことであろう。」
「そうですね。今の所、訓練の方は順調ですし、大丈夫であると信じるしかないでしょう。」
 結局今の彼らには建設的な考え方を実際に推し進めるしかないのだ。
「レナさん。」
「はい?」
「まだ、ここを出撃するまでには時間があります。この戦いに従軍するかどうか、それまでにじっくりと考えてみても良いでしょう。」
 あくまで、マルスはそう諭す。
「しかし……。」
 反論しようとするレナをマルスは静かに片手を上げて制した。
「これは、考える以上に重要なことです。時間はあるのですから、レナさんがどうしたいのかゆっくり考えてみてください。できるだけ、いいようにしますので。」
「わかりました。そこまで言うのならもう少し考えてみます。」
「……とにかく、考えている以上に難しい戦いになりそうだ。もともと、戦力差ではこちらの方に圧倒的に分が悪いのだ。こういった情報があるだけでもありがたい。」
 と、ハーディンは言ったが、実際、どういった対応を行うかということは全く見当がつかなかったのである。結局、レナの考えも変わらず、戦闘部隊に従軍することとなり、レナの兄が将軍らしいという情報は結局単なる情報としてだけしか扱われなかった。それに、レナの立場を考えて、比較的レナに親しい人間にしかこの情報は伝わらなかったのである。


「閣下、陛下より使者が来ていますが。」
「わかりました。こちらへ通して下さい。」
 それは、戦いの準備も一段落つき、どうにか水準以上の状態で戦闘ができそうなほどに部隊の練度が上がったころだった。王都からマチスへの使者は珍しく、普段はマチスの方から計画の進行についての報告を書状にて王都へ送り、それについての返事が返ってくるくらいであった。ミシェイルは今回の計画についてはほぼマチスに任せ切りであり、その返事についても内容の確認はしているのであろうが、ほぼ形式通りのものとなっていた。 その為、今回のように、何も無いときにミシェイルから使者が来ることは珍しかった。
「閣下、お初にお目にかかります。白騎士団所属、カチュアと申します。」
 少女。マチスの前に現れたのは、まだ大人になり切れていない印象を受ける少女という表現がよく似合いそうな女性だった。光の反射の加減か、青みが掛かった髪の毛が見る者に魅力的な印象を与えるが、その表情と姿勢は毅然としていて、真面目な印象を与える。
 白騎士団の少女が使者であるということで、マチスは使者がペガサスナイトであることを理解した。マケドニア軍中において、ペガサスナイトが使者を務めることは別段珍しいことではなかったが、マチスがレフカンディについてから今までは騎馬を用いて連絡をとっていた。マチスには、ミシェイルが何かを指示してくることが珍しいということもあってその使者の来た理由が気になるところであった。
「長駆、ご苦労様です。陛下からのことづてであるとか。」
「はい。まずは、こちらをご覧ください。」
 と、カチュアは一つの書状をマチスへ手渡した。マチスは早速、内容を確認してみる。文章を読み進めるに従って、マチスの顔が驚きに変わる。
「これは……。では、カチュア殿はこれから先はこちらへ止まると。そういうことですか?」
「はい。そうなります。よろしくお願いいたします。」
「なるほど……。」
 少し、考え込んでいたマチスだが、ひとまずは納得したようだった。
「白騎士団と言うと……ミネルバ王女の部隊でしたね。」
「はい。」
「ミネルバ王女は壮健であられますか。」
 一度きりであるが、ミネルバ王女との強烈な会見をしたマチスには、何気なく出てきた話題であった。
「はい。ミネルバ様は開戦以来、長らく精神を張り詰めてらっしゃいましたが、今では以前どおり穏やかな表情をなさるようになりました。ただ……。」
「ただ……何でしょう。」
「レフカンディに視察に行った際に閣下とは一度面会しておられるかとは思うのですが、その頃から何かを深く考えるようになりましたようです。以前の優しい雰囲気や穏やかさを取り戻したことは私どもに取っても喜ばしいことではあるのですが、少々、覇気が無くなったようにも感じられます。何と言うか、内面の激しさを失ってしまったように思われるのです。」
「……。」
 マチスは驚いた。このカチュアという少女にはミネルバのことがそこまでわかるのかと。
 マチスは知らなかったが、このカチュアという少女はミネルバの側近として常にミネルバと共にある三姉妹の次女にあたる。長女の名をパオラ、三女の名をエストと言った。三人はマケドニアの貧農の出身であったが、白騎士団にペガサスナイトとして入隊した時にミネルバに見出され、以降、三人ともにミネルバとともにある。ミネルバの手の届かない所へ手を伸ばし、ミネルバに何か足りない所があればそれを補う。そんな役目を果たしている三人であった。無論、ミネルバに絶対の信頼と忠誠をおいている。
「失礼ながら申し上げます。ここで、ミネルバ様に何かあったのでしょうか。今回のことも陛下から直接の命令があったとの事ですが、それ程話し合うことも無く決まったそうです。」
 ミネルバ様は良い部下をお持ちだ。マチスは心からそう感じた。そして、ミシェイル陛下にはどれほどのこういった信頼できる部下がいるのかと思いをはせ、ふと、せん無き事と気づき、軽く首を左右に振った。その様子を見て、カチュアは不思議なものを見たといった表情をした。
「ミネルバ王女のことが心配ですか?」
「……はい。」
 意外なことを聞かれたという風であったが、カチュアはしっかりと答えた。
「私は、ミネルバ王女がこちらへいらした時に、王女へ謁見する機会を得ました。その場でお互いの考え方の違いから、少々意見をぶつけ合いました。」
 と、マチスは答える。
「私も人のことを言える立場ではありませんが、ミネルバ王女もまた、まだまだお若いのです。今は、多くの人が違う考え方を持っているということ、正しいと思われること、正しいことが実際には多数あるということに戸惑い、考え込んでいるだけではないでしょうか。王女が評判通り聡明な方であれば、程なくこのことを理解して、いつもの王女へ戻られることと思います。」
「ミネルバ様は……聡明な方です。」
「そうですね……。」
 先日の会見を経ているマチスにとって、ミネルバ王女が評判通りに聡明な将軍であるとは少なくとも思えなかった。その為、懐疑的な言い方になってしまっていた。が、マチスはこの少女が、ミネルバ王女にこれ以上無い忠誠を誓っていることも見て取れた。
 ミネルバ王女が、このように忠誠の篤い部下を遠く離れたレフカンディに常駐させる為に送ってきた理由については、ある意味明白であった。これは、ミシェイルと示し合わせたのであろう、書状にあった一文がそれを示していた。
「閣下?」
「あ、すいません。ひとまず、長旅で疲れているでしょうから部下のものに宿舎の手配等をさせますので、今日のところはお休みください。それで、明日からはこの部屋へ来てください。やらなくてはいけないことは色々ありますので。」
 書状に書いてあった一文とはカチュアがレフカンディに滞在している間、マチスの補佐役として彼女を使ってほしいということであった。これは、ミネルバがマチスをはかりかね、信頼できる部下を接近させもっと多くの情報を得ようということだろうと推測がついた。もっとも、書状の本来の目的はもっと別のところにあったので、マチスの心情としては正直それどころではなかった。
「お手数をおかけします。」
 カチュアが型通りの礼を言った。
「それでは、準備ができるまで面会待合室の方でお待ちください。」
 と、マチスは話を切り上げた。実際、この面会で少々やらなくてはならないことが増えてしまっていた。カチュアを廊下へ見送ると、まず彼はこの書状について了解した旨を伝える伝令を王都へ送るよう部下へ指示した。そして、彼自身は足早にハーマイン将軍の執務室へ向かう。大変なことになった。と、何度か胸の中でつぶやいた。


「ミネルバ様、よろしかったのですか。」
 執務室で執務の間に王城の外を眺めていたミネルバは、ふとそう声を掛けられ、ゆっくりと声の主に向き直った。
 そこにいたのは、緑がかった豊かな髪の毛を蓄えた、落ち着いた感じの女性であった。
「パオラか……。カチュアのことか。」
「はい……。」
 再び、ミネルバは窓から遠くへ視線を移す。マケドニアの王城は丘を切り崩して人工的に作り上げた崖の上にあり、周囲への見晴らしは非常に良い。
「存外であったか?」
 と、今度はミネルバが尋ねる。
「私には正直に言って、ミネルバ様のお考えが諮りかねております。ただ単に、一度しか行わない伝令の為の常駐であるのならば、わざわざカチュアを指名しなくともよかったのではないですか。」
 連絡は、急であった。ミネルバはカチュアに、準備が出来次第レフカンディへ赴くように伝えたのだ。カチュアは大急ぎで準備を行い、妹のエストへ別れの挨拶をする暇も無くレフカンディへと飛び立った。そのことを後で知ったエストに、パオラは大いになじられることとなる。
 急ぎであると言うことで、行動は命令として伝えられ、その理由を説明される時間は無かった。パオラもカチュアの出発をおお慌てで手伝ったのだ。
 ミシェイルはマケドニアの生死を賭けるこの戦いにおいて、ともすれば病的なほどに効率にこだわっていた。もっとも、それでいた大局はしっかり見据えているというのは、側でそれとなくミシェイルの行動を見ている……というよりは監視しているミネルバの評である。
「私は、あのマチスと言う男に興味があるのだ。」
「マチス……、大将軍閣下ですか?」
 意外な返答であった。そして、それがどういう意味かもパオラには諮りかねた。どのような意味においても、ミネルバが他の男性に興味を持ったなどと話し出すのは初めてのことだった。
「私が、レフカンディに行ったとき、一度マチスという男と会ったのだ。」
 と、ミネルバは切り出す。
「ふふふ。私が正しいと疑わなかった意見を全く寄せ付けないで、正鵠な反論をしてきたよ。そのことについて、私は何も言うことができなかった……。」
「ミネルバ様……。」
 ミネルバは再びパオラに向き直った。
「兄上は、マチス殿に大層期待しておられるようであるが、私には未だどうにも判断できぬ。何故、兄上がマチス殿を重用するのか。何故、それほどの人材が埋もれていることに今まで気づかなかったのか。本当に、マチス殿はそれほどの人物であるのか……。全てが謎なのだ。」
「では……。」
「そう。カチュアにはそれを確かめてもらうようにお願いした。兄上が伝令の内容を私に相談しに来た時、カチュアを推薦したのは私だ。」
「そうだったのですか。」
「兄上がマケドニアの歴史を変えようとしている……。いったいどのようにマケドニアを導くつもりなのか……。戦争が始まってから、すでに四年経つというのに私にはわからない。」
 ふっ、とミネルバは軽くため息をつく。
「……まだまだなのだろうな。私も。兄上に比すれば、私なぞさぞ矮小な存在に過ぎないのかもしれん。ならば、今はしっかりと人々の進む方向を見極めて、私がどうすることが最善かをよく考えねばなるまい。」
 愚痴とも、独白ともつかないミネルバの独り言を、パオラはただ黙って聞いていた。開戦以来、ミネルバの周囲はいつも気が張り詰め、ミネルバはもとより三姉妹も緊張した日々が続いていた。カチュアにわかることは当然パオラでもわかり、レフカンディから帰ってきた後、ミネルバの様子が変わったことにパオラも気づいていた。それが、良い変化であるのか悪い変化であるのか、パオラにはまだ区別がつかなかった。
「っと、私の回答としてはこれでよいかな?」
「はい。ミネルバ様のお考えは確かに承りました。私も少し、考えてみようと思います。」
「そうか、ほどほどにな。」
 パオラには、何かに没頭し始めてしまうと他のことに考えが行かなくなることがあった。ミネルバがほどほどにと言ったことはそうならないように気をつけろと言うことを示している。そのような場合、いつもは次女のカチュアがパオラを本来の軌道に引き戻してくるのだが、カチュアは役目が終わるまでレフカンディからは離れられない。
「はい。」
 と、一言だけ返事をすると、パオラは退出した。といっても、彼女は側近であるので、控え室はミネルバの執務室の隣であるが。
(時代は、変わっていない……。変わったのは我々……か。)
 ミネルバはマチスの言葉を反芻する。
(確かに……、兄上も私も変わったのだろう。それは、環境のせいだけでなく、私達の意思で……。)
 できることならば、五年後、十年後の世界を垣間見たくなることがある。ともすれば不安に潰されそうになる自分の意識をしっかりと保ち、ミネルバは自分がどうすれば良いかを模索していた。
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