>第一研究室
>紋章継史
>FireEmblemマケドニア興隆記
>五章
FireEmblemマケドニア興隆記
暗黒戦争編
五章 風よ翼を何処へかと運び去らん
秋の葉が色づき始めた頃、アカネイア解放軍は出発の時を迎えた。緑条城に最終的に集まった兵の数は六千強。その内五百を緑条城の守備に残し、五千余りの兵でアカネイアパレスへ向かうこととなった。
アカネイア解放軍、戦いの総指揮官はニーナから紋章の盾を託されたアリティアのマルス王子である。アリティア宮廷騎士団とオレルアン狼騎士団を中核とした混成部隊であった。準備は万全とは言いがたかったが、これ以上引き伸ばすこともまた不可能だった。
「これから、アカネイアパレスの奪回に向かう。皆、ニーナ様の為に、力を貸して欲しい!!」
出立にあたって、マルスが檄を飛ばす。簡単な語句ではあったが、兵たちの士気を上げるにはそれで十分であった。
続々と城門を出る兵士たちより先に、人知れず門を出て、レフカンディ街道を南へ疾駆する一騎の騎馬があった。大勢の兵が動き、一つの知らせが走り、その波紋が大きな波となって大陸中を揺るがすことは、もはや決められた未来であった。
「閣下、連絡が入りました。反乱軍は一昨日の朝、緑条城を出立したそうです。その数およそ五千と。」
ついに来るべきときが来た。マチスの背筋を一瞬戦慄が襲った。
「わかりました。クラインを呼んでください。」
「はっ。」
連絡を伝えに来た兵と入れ違いで、マチスの部下が走る。クラインはちょうど、部下の訓練を行っているはずであった。
「カチュア。」
マチスは、執務室で彼の執務を補佐していたカチュアを呼んだ。彼女が来て以来、マチスの仕事はだいぶ楽になっていた。つくづく、ミネルバ王女は良い部下を持っていると思い返したものだった。しかし、そんな状態もこれで終わりであった。
「聞いたとおりです。予定通り、君はこのことを王都へ知らせてください。準備ができ次第、向かってください。」
「はい。」
無論、この日のあることを想定していた彼女は、途中になっている仕事をてきぱきと切り上げる。その間にもマチスは部下へ矢継ぎ早の指示を出していた。
「ムラク、ハーマイン両将軍へ伝令をお願いします。一昨日、朝、敵が、緑条城を出撃したので、予定通り兵の配置を行うよう伝えてください。加えて、ハーマイン将軍には、対ペガサスナイトの作戦を実行するように伝えてください。」
伝令が忙しく走り始める。
「クライン隊の各員へこのことを伝えてください。こちらの出発は明日の朝とします。」
ムラク将軍、ハーマイン将軍の部隊。直接指揮しているクライン隊、緑条城攻撃に参加する騎馬部隊。あらゆるところへ、敵軍出撃の報は知れ渡った。
「閣下、私の方も準備できましたのでこれより出立します。」
「わかりました、陛下によろしくお伝えおき下さい。」
カチュアもそうしてまた、去って行く。有能な人物であっただけに多少名残惜しかった。
入れ違いにクラインが入ってきた。
「将軍、ついに動き出しやしたか。」
歴戦のクラインも顔色紅潮し、興奮は隠せない。
「ああ、出発は明日早朝だ。準備を急いでくれ。」
「なあに、我々の方はいつでも出発できるいますよ。そろそろ、奴らが出撃してくるっていう話で、持ちきりでしたからね。」
「そうか。それでは今夜は明日に備えてゆっくりと休むように。深酒するなよ!!」
「はいはい、わかってますよ。じゃあ、俺は連中に伝えてきますんで、そいで、そのまま帰りますから。」
「ああ、よろしく頼む。」
言葉遣いこそ変わっていないものの、クラインはこの三ヶ月で大きく成長した。敵軍の出撃近しという報からいつでも出撃できる状態に部隊を整えておくことなど、以前のクラインでは考えられないことだった。マチスとの連携もしっかりとれており、人、力を要する仕事があるときに彼らは正にマチスの手足として動くようになっていた。そのクラインもまた、用件として、簡単に事実の確認だけを済ますと、執務室を出ていった。
その日、マチスは一日中何かの指示を出しつづけていた。長い一日であった。
翌朝、装備を整えた騎馬隊が出撃する。本隊二千、支援隊四百の大所帯で、全て騎馬による高速移動を可能にした大陸史上類を見ない大機動部隊である。支援部隊には、エリエスを始めとする騎乗できるシスターや僧侶を全軍からかき集め、ありったけの数を投入している。
「では、行ってまいります。後のこと、よろしくお願い致します。」
出立に当たり、ハーマイン、ムラク両将軍は見送りに出向いてくれていた。
「後のことは万事まかされよ。何、これほど準備をしたのだ。負ける気は毛頭もせんよ。」
とはハーマインである。
「そっちこそ、失敗しないような。」
「はい。それでは。」
二言三言のやり取りの後、マチスは部隊の先頭に立ち、騎乗した。
「では、緑条城攻略隊。これより出発する。」
早朝のレフカンディの砦に、マチスの声がはっきりと響き渡った。
「そうか……。始まったか……。」
レフカンディから帰ってきたカチュアを前に、ミシェイルはそう呟くように言った。
「では、こちらも行動に移そうか。ミネルバ。留守は頼んだぞ。」
「兄上。……わかりました。」
カチュアが戻ってきた意味を確かめる為に、ミネルバもその場所に同席していた。特に不測の事態であると言うことも無く、カチュアがもたらしたのは予想通りの知らせであった。
「レンデル。竜騎士団の三分のニは予定通り私が率いてレフカンディへ向かう。残りの者は王都にあって、ミネルバに従うように通達せよ。」
「はい。」
ミシェイルに忠実な側近ははっきりとした返事をした。
「兄上……、今一度、私が留守を預かるということでよろしいのですね。」
「くどいぞ、ミネルバ。」
いつになく、ミシェイルは高揚していた。今まで何度と無く繰り返し行われた問答に、半ば苛立ったような口調となっていた。
ミネルバはミシェイルの考えがわからなかった。王都の留守は大役である。そして、ミネルバは国内上層部では反ミシェイル派として半ば祭り上げられたような形となっている。これは、マケドニアとドルーアの同盟が発表された以降のミネルバの態度から、反ミシェイル派の人々が勝手に行っていることである。だが、ミネルバの心中にもそういった迷いが確かにあり、それは彼女自身も自覚している所であった。そして、そういった迷いをミシェイルに見ぬかれているであろうことも知っていた。わからない方がおかしいとも言えるような煮え切らない態度をミネルバは今まで取ってきていたからだ。
それなのに、今回は王都の留守役である。親ミネルバ派の勢力は白騎士団を始めとして、多くはマケドニア城内にあり、王都守備隊のオーダイン将軍ありといえども反乱を起こしのっとることはそれほど難しいことではないのだ。そういった危険をあえて冒して、出撃するミシェイルの考えが、ミネルバにはわからなかった。
「ミネルバ、今度の戦いでこの大乱が終わると思うか?」
と、ミシェイルは言った。ミシェイルにとっては迷いつづけるミネルバに送る精一杯のヒントのつもりであった。
「いいえ、メディウスと、人間が共存できるとは思えないのですが。」
しかし、ミシェイルはミネルバの表情に戸惑いを感じていた。
「よいか、ミネルバ。此度の戦いはこれからのマケドニアの方向を決定付けるものだ。真の戦いはこれから始まるものと思え。では、私はゆく。留守の間、私の言葉の意味をじっくりと考えてみると良い。」
最後にミシェイルはそれだけ言うと、執務室を離れた。その日のうちに用意を終えたミシェイル率いる竜騎士団は、早々にマケドニア王都を離れ、レフカンディへと飛び立った。
その後、ミネルバはカチュアからマチスについての報告を聞くこととなる。カチュアはマチスについて次のように話した。
いつも謙虚な物腰で、それでいで二人の将軍や部下たちに指示を出す時は理路整然と指示を出す。全てを把握し、全てを視野に納め、どうすれば一番効率良く物事を推移できるかを常に考えそして実行する。あくまで物腰は謙虚で、おごるようなところは微塵も無い。
それは、最上級の賛辞そのものであった。カチュアに大きな信頼を寄せるミネルバはその報告を真摯に受け止めた。
兄王、ミシェイルの言葉、ドルーアへ預けられた妹マリアのこと。そして、突如現れた男、マチス。ミネルバは変わっていくマケドニアを内から変えようとする力の存在を感じざるを得なかった。そして、その方向を握っているのがミシェイルであることを確信していた。しかし、ミシェイルがどの方向にマケドニアを変えようとしているのか。それが、ミネルバにとっては考えの至らないところであった。
グルニアの王城は森深い丘陵を切り開いて作られた。戦争前は活気に満ちていた城内城下は、戦争が始まってからは信じられないくらいに静かになってしまっていた。
ドルーア同盟で戦争の序盤、重要な戦力として各地を転戦した黒騎士団は、その強さを利用されつつも、油断なら無い存在として、ドルーアには忌避されがちであった。そして、とある致命的な一件が原因で、ドルーアはカミユから黒騎士団の兵権を実質上取り上げてしまったのだ。
「陛下、御休みの所失礼致します。少々御時間を頂けないでしょうか。」
そのような城内でも人は動いている。開戦以来、もともと気弱だったグルニア国王ルイは、病に倒れ、床に伏せる毎日を送っていた。マケドニアと異なり、国内の重要機構のほとんどをドルーアに握られてしまった今、名ばかりの国王の元を訪れるものはほとんどいない。カミユはそのほとんど省みられなくなった国王をもっとも気にしている存在であった。
「ああ、お前か。時間なら心配しなくても良い。何用か?」
グルニアの国王ルイは国王としてはほとほと気弱な人物である。ドルーアから黒騎士団の兵権を渡すよう言われた時、報復を恐れてそのまま引き渡してしまった。王子と王女を人質に差し出すよう言われた時も同様であった。ほかの国内の権益も、同様に次々と失ってしまい、結局残ったのは名前のみである。
カミユも主君を思い、一度は諌めた。しかし、ルイのドルーアに対する恐れを取り除くことはできなかった。そして、カミユはそれ以降、国王の決定について一切口を挟むことをしなかった。
「陛下、マケドニアの動きが激しくなってきたようです。」
そう、ルイに謁見を求めた人物……カミユは言った。
カミユは、兵権を取り上げられて以来、グルニアの王城にあって、各国の情報収集を行い、グルニアのこれからの道を模索しつづけている。黒騎士団の団員は兵権を取り上げられたとは言え、無論グルニアへの忠誠が消える事は無く、ほぼカミユを慕っているといっていいだろう。それは、カミユの人徳のなせる技でもあったのだが、いざとなれば、黒騎士団をいつでもカミユの元に馳せ参じるはずであった。また、カミユ自身、いつでも黒騎士団に号令を掛けることができると確信はしていた。そして、そのいつでも動けるようにとの配慮の元の情報収集でもあった。
「マケドニアが動くのか……。」
少し咳き込んでから、グルニア国王はそう答えた。ドルーアと同盟を結んでからは、体力とともに、考える力まで衰えてきた感じがあるルイであった。
「は。マケドニアの王都にいるものから、多くの竜騎士が東へ飛び立ったとの知らせがありました。おそらく、オレルアンの勢力との決戦があるものと思われます。」
「そうか……。」
カミユはグルニアとオレルアンという大陸の端と端の位置関係にあって、オレルアンの情勢までもおおよその形で把握していた。もっとも、オレルアンの軍勢が出発したことまでは知る由も無かったが、マケドニアが何の為に竜騎士団を動かしたか察することは簡単だった。
「この戦い、どちらが勝つと思う?」
「八割方、マケドニアの勝ちでしょう。総合的な軍事力、それに戦争に対する馴れが違いすぎます。」
この質問を予想していたカミユは、即答して見せた。
「では……、これで戦争は終わるのか……。戦争が終わった後はどうなるのであろうな?」
まだ何も終わったわけでは無い。カミユはそう考えてはいたが、気弱な国王の前でそのような言葉を出すことは憚られた。
「この戦争で、人も、大地もだいぶ傷つき、疲れました。まずは、それらを癒すことが肝要となりましょう。」
と、カミユは当たり障りの無い言葉を口にし、その場を辞した。
カミユは黒騎士団の長としてだけではなく、グルニア全体の指導者のように他の国からは思われている。実際、カミユは十代後半にして騎士団長に任命されたほどの傑物である。その才能を国王に見出され、抜擢されたとはいえ、その年齢ゆえ一部からは猛反発された。しかし、最終的には彼の人望が遥かに上回り、その反発は何とわずか半年で治まり、大きな内訌に発展することはなかった。
それ以降、軍事を始めとし、内政面においてもルイを補佐し、グルニアの民の間には笑顔が多く見られるようになった。わずか、五年足らずの間にである。グルニアの国民は誰もが彼を熱狂的に支持した。彼は現代に現れた正に英雄であったのだ。
しかし、彼は国王が強い主張を行うと、たとえそれが間違っていたことであっても唯々諾々と従った。彼にとって、グルニアの王室に受けた恩は計り知れず大きな物であり、グルニア王家は決して裏切ってはならない忠誠の対象であったのだ。
もっとも、平時にルイがそのように物分りが悪いことをするはずもなく、グルニアに空前の発展は約束されたも同然であったのだ。……ドルーア帝国が復活するまでは。
ドルーアの影響を直に受ける位置にあるグルニアは、その脅迫にも近い外交を受け、数日のうちにドルーアと同盟を行うことに決定した。しかし、マケドニアの場合とは異なり、ドルーアが行ったのはグルニアの隷属化であった。始めは黒騎士団を利用する形でアカネイアやグラなどに派遣し、その後、弱気な国王からだんだんとその権利を剥奪して行ったのだ。
いつしか、民衆の瞳からは光は失われていた。
グルニアはあまり他国には知られてはいないが、高い技術力を持つ国であった。また、騎士の国であることが有名ではあるが、魔法の研究等も近年では行われている
その結果生まれたのがシューターと呼ばれる遠距離攻撃兵器や、メティオやウォームといった遠距離攻撃兵器であった。しかし、こういった技術もドルーアの来襲と共に奪われてしまい、今では王都を防衛するシューターがいくつか残されて配置されているのみである。
その中にあってもカミユは希望を失ってはいなかった。しかし、今はそれよりも気になっていることがあった。
(オレルアンが戦闘を行うか……。ニーナ様が無事であらせられらばよいが……。)
カミユが黒騎士団の兵権を失うこととなった直接的な原因。それは、アカネイアパレスにて処刑されることが決定していたニーナ姫を助け、逃がしたことによる。アカネイアの王族には、もはやひとかどの人物と呼べるような人はほとんどいなかったが、ニーナ姫だけは別であった。そして、カミユは全て独断で、ニーナ姫を逃がし、オレルアンに脱出させることに成功したのである。
結果として、監督不行き届きとされたカミユは、故意にニーナを逃がしたとされて黒騎士団の兵権を奪われたのである。もっともドルーアは、カミユが本当にニーナを逃がしたという確固たる証拠をつかんでいたわけではない。なにかしらの理由をつけてカミユと黒騎士団を引き離したかったのだ。
カミユはニーナのことを生き残るべき人物だと考えていた。戦争が終わった後のアカネイアには指導者が必要であり、それは、彼女をおいて他にないとも考えていた。マケドニアとオレルアンが衝突するという話を聞いたとき、真っ先に気にしたのはニーナの無事であった。
カミユはまた、ドルーアで人質となっている双子の王子、王女へと思いを馳せた。二人ともまだ幼く、王子のユベロなどは父親に似たのかしょっちゅう姉のユミナに泣かされていた。しかし、ドルーアに連れていかれる時にに号泣していたのはユミナのほうでユベロ王子は毅然とした態度を取っていた。
彼らはカミユにとって希望の光であった。他に何があろうとも彼らだけは守り抜く。そうカミユは誓っていた。
大陸全土にわたるカミユの評判は一般的にすこぶる良いものであったが、ミシェイルなどは少々、穿った見方をしていた。すなわち、カミユの忠誠の篤さが彼の足かせとなり、弱点となっている点である。グルニアの主権が徐々に失われているということはミシェイルも話は聞いていた。そして、その状況を止められないカミユの評価は、ミシェイルの中では徐々に低くなってきている。
戦争の序盤、黒騎士団が見事な戦術を展開したと言う話もミシェイルには届いており、将軍として有能な人物であることはミシェイルも疑ってはいない。しかし、真の意味で人の上に立てる人物であるかどうかは疑問に感じつつあった。
戦争が始まり、双子の王子、王女が人質としてドルーアへ差し出されて以降、グルニアは沈黙を守っている。ミシェイルは、ドルーア同盟が大陸を制圧した後の展開について、グルニアに期待するところが大きかった。だが、現実的にはほとんど期待することができなくなってしまい、計画の大きな変更を考えざるを得なくなってしまっている。今の所、出ている結論は、少なくとも大陸制圧後、勢力を逆転する為に五年程度の猶予は必要になるであろうと言う計算であった。
マルス率いる解放軍は、森がちなレフカンディ街道を一路南下していった。すでに、マケドニア軍との衝突予想位置ははじきだされており、後はそこへ向かうだけであった。地理に詳しい者はあまりいなかったが、もとよりレフカンディ街道はアカネイアの王都からオレルアンの王都へ向かう重要な街道であり、ハーディンは何度も行き来したこともあって比較的地形には明るかった。また、マルスの側にあっては、比較的大陸東部をあちこちと放浪していたジュリアンや、同じくサムスーフ山の山賊から離れ、傭兵として従軍しているナバールという名の凄腕の剣士が、不慣れな地理に戸惑いがちな彼を補佐していた。
ナバールは年のころは二十代中庸。少々やせ気味だが、その整った顔立ちと女性すら嫉妬させるほどの長くまっすぐな髪の毛を持った見た目にも目立つ男である。
しかし、その実は、赤い刀身の二本の剣を同時に操る凄腕の剣士である。その冷静な性格と太刀筋から死神と呼ばれ、大陸中にまで名前の知られた傭兵で、その腕は、同じく大陸中に名前の知られている剣士、タリスのオグマと良く比較される。
ナバールが、解放軍に身を置いているのはマルスの軍がタリスからオレルアンに抜ける際に、サムスーフ山の山賊と戦ったことによる。山賊にその身を寄せていたナバールは、シーダの説得により、解放軍に身を寄せることとなった。
なぜ、ナバールが解放軍に身を寄せるようになったか、はっきりとしたことは本人の無口な口からは無論聞き出すことはできなかった。オグマの評判は当然彼の、耳にも入っているはずで、その真偽を確かめたかったのではないかと言うことが今の所一番信憑性の高い噂であった。
ともあれ、現在の解放軍には大陸を代表する剣士が二人とも揃っていることは確かで、解放軍の士気を上げる一因にはなっていた。
「北からの風が強くございますな。」
ジェイガンが上空を見てぽつりと言う。季節は秋、北からの冷たい空気が南の温かい空気を追いやるように北から南へと動いていた。
「戦いもこの追い風に乗りたいものだ。」
と、答えたのはハーディンである。
その日、解放軍は、戦闘予定地域に後二日程度の距離に迫っていた。斥候の話によると、マケドニア側も同じ所を戦場とするようであり、現在は戦闘予定の平原の手前で陣を張っているという。その平原の前後はしばらく森がちな地形が続き、大規模な軍隊が激突できるような場所は無い。その日は、戦闘前に満足に休息できる最後の日となった。
解放軍に対して、マチス率いるマケドニア騎馬隊は、山の上、平原からは気づかれないところに陣を張り、オレルアン平原へなだれ込む機会を待っていた。あまり早すぎると、レフカンディでの戦闘が始まる前に緑条城を制圧してしまい、解放軍が戻ってきてしまう。遅すぎると、破れた解放軍が戻ってきてしまい、これもあまり望ましい状態ではない。マチスはレフカンディからの日数を計り、この山の上の陣にて三日間の逗留を行うことを決定した。
アドリア街道は現在の位置から尾根筋づたいに一直線に下り、オレルアン王城へと続いている。東西は山しか見えないものの、北にオレルアンへ平原を臨むその眺めは今までの行軍の疲れを和らげてくれた。
日が西の山中に沈み、残光がある中、マチスは高ぶった気を落ち着かせようと見晴らしのよい崖の上へ来ていた。平原の上を西から東へ、澄み渡る色のグラデーションが、マチスの心を大きくした。
「マチス様、いよいよですね。」
ふと、マチスに話し掛けたのは、エリエスであった。彼女と話をするのはレフカンディを進発して以来、始めてであった。
「エリエスですか……。よくここがわかりましたね。」
振り向きざまにマチスは微笑んだ。
「兄から聞きました。マチス様が、一人の時はよくここにいらっしゃると。」
こういった時、エリエスの物腰はゆったりしていて、普段のおてんばさかげんは影を潜めてしまう。エリエスが年頃の娘であると、マチスが思い知らされる瞬間である。
「怖くは、ないですか?」
ややあって、マチスはそう尋ねる。普段と変わっておとなしい物言いに少し不安を感じたのだ。
「私は、ほとんど前線に出ることはありませんから……。今度の戦いも、勝利間違い無しなのでしょう?」
と、エリエスは無邪気に笑って見せた。マチスもつられて笑う。こういった楽観的というか勝気なところはやはり彼女の性格なのだなとマチスは思う。しかし、マチスはそこまで楽観的にはなれなかった。
「どうだろうな。戦争に絶対などということは無いよ。ドルーアが復活するなんてことは誰にも予想ができなかっただろうし、アカネイアがああもあっさり負けることも誰にも予想できなかっただろう。」
と、咄嗟に悲観的なことを話してしまい、マチスはしまったと思った。
マチスはどんな時でもあらゆることを考え、決して楽観的な答えを自分の中で持つことはしなかった。またそういったことを自らに深く戒めてもいた。自ら立てた完全と思われる計画も、状況の変化を見て逐次確認を行う。そういった慎重さもマチスの持つ指揮官として得がたい性格の一つだった。
しかし、普段は仲間の前ではそのような不安な言葉は全く出さない。特に、仮とは言え大将軍に任命されて以降は更に意識を引き締めて気をつけていた。指揮官の言動が配下の士気に直結することをマチスは理解していたのだ。
だが、比較的親しいエリエスを前にして、マチスも緊張が緩んだのであろう。今の一言でエリエスが不安にかられていないか、マチスはエリエスの表情を伺った。
「大丈夫ですよ。今度の作戦はマチス様が全部指示しているんでしょ。必ず上手く行きますよ。」
と、エリエスは笑顔で答えた。
マチスは思う。この、明るい娘にはよくよく助けられると。エリエスと話をするだけで、マチスは張り詰めていた心が楽になることを感じていた。緊張が解きほぐされ、考えが澄み渡ってくる。
「すまないな。エリエス。こんな所までついてきてもらって。」
そのようなことを考えていると、マチスは自然と謝辞とも礼ともつかない言葉を口にしていた。
「え、そんなことありません!私はマチス様の行く所ならどこでもついていきます!今回だって、お声が掛からなければ自分から従軍を志願しようと思っていたのです!」
エリエスは急に強い口調でまくしたてた。マチスはやっと、
「そ、そうか。」
と答えるのが精一杯であった。しかし、エリエスのその献身さは、マチスにとっても悪い気はしていなかった。
「……それでは、これからもよろしく頼むよ。」
「はっ、はい!!」
エリエスはそれだけで満面に笑みをたたえた。
マチス率いる部隊は明日一日までこの陣で逗留し、翌々日の払暁を待って内外より緑条城へなだれ込む予定である。マチスとクライン率いる特殊部隊は騎馬を降り、あらかじめ調査されていた隠し通路から城に潜入し、一路玉座を、それ以外の騎馬隊はまだ人々が目覚めていない時間に正門から突入する。その正門も、あらかじめ潜入しているクラインの部下が、時間になれば開くこととなっていた。
今晩と、明日の昼間は十分休息し、英気を養うよう、全軍に通達が行っていた。
「さて、エリエス。今日はもう遅いことだし、戻ろうか。」
その後も、エリエスとたわいも無いことを話していたマチスは、グラデーションが掛かっていた夕暮れの空がすっかり濃紺一色になっていることに気がついた。天空に在る者が、大地に根付くもの全てを見守っているかのような、見事な星々の煌きが、二人を包み込んでいた。
「今日も北風が強いな……。」
戦場へ向かう行軍中、ぼそりと漏らしたのはハーディンであった。予定であれば今日の行軍で戦場となる予定の地域へ辿り着く。もはやいつ敵と接触してもおかしくなくいところまで解放軍は進軍していた。
事実、解放軍、マケドニア軍共に激しく斥候を出し合っており、双方の目に見える陣容は比較的明らかとなっていた。実際は周到に用意されたマケドニア軍の罠に、解放軍は一部しか気がついていなかったのだが、解放軍にとってもこの地形でマケドニア軍が何かを行うことは想定されており、その究明に全力を挙げていた。
「マルス王子。」
「ん?どうかしましたか、ジェイガン。」
「シーダ様が少々先行し過ぎではないかと……。」
見ると確かにシーダが部隊の先頭をかなり逸脱して前の方に行ってしまっている。
「上空の風に煽られたようですな。」
と、ハーディン。
「危ないな……。連れ戻さないと。」
そして、マルスがシーダの元へ伝令を走らせようとした時、シーダの乗るペガサスがぐらりと傾いた。そして、次の瞬間錐揉み状となり、垂直に落下してしまった。
「えっ!?」
それは一瞬の出来事であった。地上にかすかな煌きが見えたかと思うと、次の瞬間には乗っているペガサスが苦痛の咆哮を上げた。見ると、一本の矢がペガサスの羽の付け根に突き刺さり、鏃はその羽を貫通して騎乗するシーダの真横に突き出ていた。
「いや!エルカイト!!しっかりして!!」
咄嗟に、シーダはペガサスの名前を呼んだ。彼女は、一瞬で何が起こったかを悟り、上空へと逃れようとした。しかし、傷を負ったペガサスは力を出すことができず、思うように動くことができない。
その間にも二の矢、三の矢は飛来する。二の矢はかろうじて至近を通り過ぎていったが、三の矢はペガサスの腹部に深深と突き刺さった。その矢はペガサスにとって耐えられないほどの苦痛をもたらした。そして、完全に空中でのバランスを失ったペガサスはそのまま重力に身を任せることとなった。
「きゃあああぁぁぁ」
シーダの言葉になら無い悲鳴が辺りを騒がした。そして、彼女はペガサスごと垂直に地上に落下し……何もかもが動かない、時が止まったような静寂が後に残った。
「!!」
その時、マルスの周囲でも、時が凍り、音が途絶えた。気がついた解放軍の間に動揺が走る。状況を確認しようと真っ先に飛び出したのはオグマ率いるタリス義勇軍の面々だった。ハーディンとジェイガンは、軍の動揺を懸命に押さえてまわろうとする。
「ジェイガン……。前に出るよ。」
「あ、マルス様!!」
マルスはジェイガンの引きとめも聞かず、オグマ達を追って馬を走らせた。しかし、待っていたのは最悪の現実だけであった。
オグマがシーダを抱えて戻ってくる。後ろに続く、義勇軍のサジ、マジも含め、一様に暗い顔色をしている。
「オグマ!シーダ、シーダは!!」
その問いかけに、オグマはゆっくりと首を振る。マルスはその様子にもどかしくも馬を飛び降り、オグマの元へと走り寄った。
……シーダは、既に息をしていなかった。
「頭を強く打った上に、首の骨が折れている。……何もすることができなかった……。」
「そんな……。」
マルスはゆっくりとシーダに近づいた。静かに目を閉じ、微動だにしないシーダを見る。震えから、自然と歩調が緩やかになった。
「シーダ……。シーダ!!目を開けてくれ、シーダ!!」
マルスはシーダの肩をつかむと静かに揺さぶった。さすがのオグマもただうなだれるばかりであった。
と、その時、谷の山肌の砦から一条の閃光が走った。その光りは谷中を照らし、周囲の色彩を一瞬逆転させた。
「何だ?」
咄嗟に仰ぎ見るマルスの後ろに、解放軍の本隊が追いついてきていた……。
「では、シーダ殿は……。」
「ああ、おそらく、森に潜んでいた弓使いに狙われたのだろう。」
ジェイガンとハーディンが話し込んでいる。進軍はもちろん止まっていた。マルスは自分を失い、呆然としている。
「王子……、あまり自分を攻めるな。」
自分ですら心行き場なく辛い心情を押し込め、オグマはマルスに話し掛けた。
「だけど、だけどさ……。」
ぽつりぽつりとマルスは言葉を漏らした。
「何も、何もできなかった。こんなことになるなんて思っても見なかったんだ。危ないと感じた時にはもう遅かったんだ。……こんな……こんなことになるなんて……。」
「マルス王子。」
呆然として、言葉をなさないマルスにハーディンが言う。
「気持ちはわかる。しかし、酷い言い方であることを十分承知であえて言わせて頂く。ここは、自重されて、指揮に専念されよ。」
ハーディンやジェイガン、オグマには判っていた。戦いである以上、多くの死と向き合わなくてはならないということが。そして、それを経験の少ないマルスに押しつけることも無理も。しかし、総帥がマルスである以上、マルスには立ち直ってもらわなくてはならなかった。
「しかし……。」
「しかしではない。マルス殿には、ここまでついてきた解放軍五千人の命運が掛かっているのです。シーダ殿の死を悲しまれる気持ちはわかる。だが、それは戦場では死を呼び込む感情だ。それは、わかっておろう。」
と、ハーディンはまくし立てた。
「……ハーディン殿の言われるとおりだ。」
と次に口を開いたのはジェイガンである。
「王子、ここはあえて苦言を呈させて頂く。シーダ様の死を悼むことも大切ではあろう。しかし、今はその時ではありませぬ。」
「ジェイガンまで……。」
今のマルスにはジェイガンの諭しは逆効果だった。
「だからって……だからって、シーダのことを忘れろとでも言うのか!!」
と、マルスは思いきりジェイガンに噛み付こうとする。それを止めたのはオグマだった。
「王子さん、何もシーダ様の事を忘れろ等とは誰も言っていない。」
「でも、オグマ。同じことを言っているのと同じじゃないか!!」
「落ち着け!!王子!!」
今度は、オグマがマルスに向かって怒鳴りつけた。普段からは考えられない光景であった。見守るハーディンやジェイガンの間にも緊張が走る。
「王子、辛いのは自分一人だなんて思うなよ。シーダ様の事は多かれ少なかれ皆が悲しんでいるんだ。だが、ここで立ち止まってどうする?舞い戻ってどうする?大陸中の人々を、シーダ様も裏切ることにならないか?」
マルスが見たオグマの双眸には潤みがあり、それは瞬く間に囲みを破って流れ出した。マルスはそれを見ることによって、思い留まる。
「……すまない。一番辛いのはオグマのはずだったのに……。」
「いや、わかってもらえれば、それでいい。」
オグマもそれだけを言うことがやっとであった。
「ハーディン、ジェイガン。進軍を再開しよう。予定通り、森の際まで進軍して陣を張る。……僕に、力を貸してくれ。」
「わかりました。」
「御意。」
それぞれがそれぞれの方法で、その場所を後にする。緑条城を出た彼らを待っていたのは余りに思いがけない出来事であった。この時のレフカンディの戦いの記録は、その最初にシーダの死を記している。数年の間に大陸の趨勢を大きく揺り動かしたいくつかの戦い。その戦いの一つはこのような形で始まった。