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FireEmblemマケドニア興隆記
暗黒戦争編
六章 人の間に
反乱軍近づくの報を受けると、ハーマインは夜のうちにあらかじめ決められた場所へ伏兵を配置した。臨時に弓兵として雇い入れたハンターが反乱軍のペガサスナイトを射落とした報告はすでに受けており、動きを悟られる恐れは少なくなっていた。しかし、伏兵の配置は、かねてからのマチスとの打ち合わせ通り、細心の注意を払って行われた。
伏兵としたのは主に軽装の歩兵であり、それぞれに弓と剣と、潜伏用にいくばくかの保存の効く食糧を持たせていた。ミシェイルはこの戦いを最重視しており、できうる限りの物資をレフカンディへ投入していた。そして、それらの物資はマチスの管理のもとに的確に運用されており、無駄にされることはほとんどなかった。
マケドニア軍は見た目の陣形も頑強であった。正面から見れば、重装歩兵が何重にも居並んで見える。ハーマインとムラクのいる本陣は、レフカンディの狭い平地に展開したその一番奥にあった。
伏兵の配置は、主に付近の地形に詳しいハーマインが担当した。戦いの前準備は夜半過ぎまで続き、ハーマインはその夜、いくばくかの仮眠を取ることができただけであった。
一方、解放軍の方でも、兵力をわけて編成していた。五千の勢力を三千の主力と、千づつの両翼に配置したのだ。中央が薄くなってしまっていたが、両脇の山腹からの奇襲を考えると兵力をわけないわけにはいかなかった。両翼は左翼をジェイガンが、右翼をオグマが指揮することとなっていた。
当初、右翼の指揮はハーディンが取るものと思われていたが、これはマルスの要望で取り下げられた。マルスは、自身が戦場での実戦指揮経験が浅く、一人で指揮を行うには荷が勝ちすぎると判断したのだ。また、今回の編成ではオレルアンで募集した新兵が多いため、本陣の士気を高く保つためにもハーディンには本陣にいてもらった方がいいとの考えもあったのである。
山間部での指揮は徒歩で取ることとなる。左翼のジェイガンにはナバールが随行することとなった。
また、ハーディンには中央の司令塔としての役割が期待され、さらに、直属のオレルアン騎士団を中心とする騎馬隊を遊軍として指揮してもらうことにより、臨機応変に戦況に対して対応することが求められていた。
兵力で圧倒的に劣る解放軍であったが、レフカンディの地は要衝であり、マケドニア軍も油断してはおらず奇襲をかけることは不可能であった。解放軍の頼みの綱は、マリクの魔法であり、敵中央に魔法で溝を空け、一気に敵本陣とレフカンディの城砦を攻略する作戦であった。
だが、マルスの側にはマリクはあっても、いつも彼の傍らにいた少女はいない。より多くの係わり合いの薄かった兵士達を尻目に、あるものは寂寥感に涙を流し、あるものは憤懣やるかた無しと言わんばかりに剣を振りつづける。オグマは、こんな時にも戦いのことを考え醒めきった落ち着きを自分が持っていることに、寂しさをも感じていた。
双方とも、その夜は兵を交代し、寝ずの番をした。夜が白み始めると、戦いの準備はあわただしく始まった。解放軍は陣幕を後方支援の為に残し、戦闘兵は前方に展開する。軽装の剣士や、斧を持った雑多な兵士などがその中心である。マケドニア軍もあらためて重装歩兵を横隊に整列し布陣を行った。
谷間特有の朝靄の中、双方の布陣は完了し、戦闘開始の瞬間を緊張して待ち構えていた。
靄が晴れるころ、ハーマインのいる本陣に指す巨大な影があった。ミシェイル直属のマケドニア竜騎士団。その着陣であった。低空で滑空する竜騎士の一団に、マケドニアの兵士たちは喝采を浴びせた。その数、百騎あまり。これだけの数の竜騎士が動員されたのは、戦役が始まって以来、始めてのことだった。それらの竜騎士は次々と、本陣の後方に降り立つ。中でも、黒い鎧に赤いマントを羽織った一際壮麗な竜騎士が、本陣のすぐ横へ降り立った。国王のミシェイル自身である。
「陛下、長らく行軍頂き、恐縮に存じます。」
様子を確認していた本陣からは、ハーマイン自らが迎えにあがった。
「口上はよい。早速、現状を聞かせてもらおう。」
「では、こちらへ。」
ミシェイルの着陣を機に、軍議が行われた。とはいっても、大まかな戦闘の推移は、マチスによって考えられているため、行ったことといえば、ミシェイルへの説明がほとんどである。マチスが考案したレフカンディの地形を最大限に利用するその布陣は、その構想を以ってしてもミシェイルをうならせるに十分なものであった。そして、それらは現状では予定通りに布陣を終了しているという。マケドニア軍側の準備としては万端であり、さすがのミシェイルも舌を捲いた。
「なるほど、二重の伏兵を使用して大規模に包囲、殲滅する作戦か。作戦自体に問題は無い。見事なものだ。」
ミシェイルから、そのような言葉を聞き、二人の将軍は驚いていた。二人の記憶には、ミシェイルが他人、特に国内の部下を誉めている印象が無かったからだ。
「それで、陛下はどのように行動いたしますか。」
「……竜騎士団は最初からは戦闘に参加しない。我が軍の包囲網によって、敵が完全に包囲されつつあるようであれば敵の真上を飛び越えて、後方からこれを撹乱する。形勢が悪く、撤退が必要な場合には上空より投擲攻撃を行い、敵陣を混乱させ味方の撤退を助ける。大方は以上だ。」
これだけのことをして、撤退などあってはならない。ハーマインは、眉間にしわを寄せ今一度自らの勝利を誓った。しかし、勝った場合は勝った場合で疑問が残る。
「恐れながら陛下、四方を閉鎖された軍は死兵となり、そのような包囲を行えば敵兵も死に物狂いとなることが考えられます。とすると、いたづらにこちらの被害を増大させることにはつながりませぬか。」
窮鼠、猫を噛む。ハーマインの言葉にも理はある。
「それについてはすでに、マチスと打ち合わせ済みだ。竜騎士団は……」
と、ミシェイルがそこまで言ったとき、前方の兵からどよめきが伝わってきた。二人の将軍はそれぞれ立ち上がってどよめきが上がった方角を眺める。最前線は遠く、目視することは難しかったが、戦闘が始まったということは想像するに難しくなかった。
「始まったか……。」
いつの間にか立ち上がり、二人の将軍と同様に前方を眺めていたミシェイルが静かにつぶやいた。
「マルス殿……そろそろですな。」
谷間の様子をじっと伺っていたハーディンが久しぶりに口を開いた台詞がそれであった。隣でマルスが頷く。
馬上にあるマルスは回りの歩兵に比べると一段抜きん出て見えていた。マルスは自陣を振り返り、愛用のレイピアを掲げ、全軍に向け大音声で呼ばわった。
「皆!アカネイア解放のため!シーダ姫のため!この戦いに勝つ!行くぞ!!」
マルスの放った檄に全軍が震えた。それが具体的な戦闘の合図となった。解放軍の歩兵は、徐々にマケドニア軍との距離を縮め、やがて弓の射あいが始まった。弓の射あいではそれほどの被害は双方ともに出ず、やがて先頭部隊が接触し、激しい叩き合いが始まった。
重装備の鎧で包んだマケドニアの兵士に、解放軍の兵士は速度で対抗した。三軍にわけたため、比較的陣が薄くなっていた解放軍であったが、それが幸いし、自由に重装備のマケドニア兵を翻弄していた。
しかし、歩兵の主力を両翼に配置している上に、数的にも劣勢となれば消耗戦は避けられない。マルスは戦闘の初期の段階から勝負を挑むことを決めていた。ハーディン率いるオレルアン騎士団の準備が整ったことを確認すると、早速行動に移った。
「マリク、行くぞ。」
「はい、マルス様。」
魔導士マリクは軽く馬にまたがると、天空へ両腕を掲げ、呪文を唱える。
「THANDER!!」
轟音が轟き、閃光が走る。それが、合図となり、二人の前の自軍兵士たちはさっと両側へ分かれた。マケドニア軍がその間隙を埋める前に二人は馬を駆り敵の目前へと達した。再び、マリクは集中し、力を込め、呪文の詠唱を行った。
「EXCALIBUR!!」
突然、一陣の風が捲き起こった。いや、風ではない。谷間の風が全て集まったかのような突風ではあるが、それはもはや風の体をなしてはいなかった。
それは、刃。
無数の刃が集中し、前方を無差別に切り裂いていた。重装歩兵の全身を覆う堅固なプレートメイルも、その魔法の刃の前では全くの無力であった。紙のように切れ切れになった鎧と同時に、無数の肉片が飛び散る。あまりの光景にさすがのマルスも息を呑んだ。マリクも半ば呆然としていた。
前方にできた道に、解放軍兵士が押し寄せる。それは、本陣へ続く深い楔であった。
「マリク……、行こう。勝つんだ。」
流れる解放軍兵士の鬨の声に我を取り戻したマルスは、馬を蹴ると、自らも深い楔となるべく敵陣へ斬り込んでいった。マリクがそれに続いた。
「風の魔法か……敵の魔導士……なかなかやる。」
マケドニアの本陣では、ミシェイルがそう一人ごちていた。そして、自軍の弱点を直に突かれたことに半ば憤怒、半ば焦燥の念を感じていた。
マケドニア軍はその性格上、優秀な魔導士というものが存在しない。もっとも、優秀な魔導士のいる国家というのはもとより数がすくなく、学院を持つアカネイアと、魔導の都であるカダインの他は、アリティアとグルニアくらいである。他の国家も必要に応じて魔導士を抱えてはいたが、それほど本格的な運用はしていなかった。しかし、いざ戦いとなれば当然勝手がちがう。
ミシェイルは有望な魔導士を早急に獲得する必要性をひしひしと感じていた。特に、将来の敵となる公算が高い、ガーネフと戦うためには必須の条件であった。
一方、その横で、ハーマインが顔を青褪めさせていた。当初の予定では、敵の先鋒を適当に受け流しつつ、重装歩兵の高い防御力を利用して徐々に撤退し、敵を自陣深くに誘い込むはずであったのだ。しかし、敵の戦術によって、味方の重装歩兵隊は大きな損害を出した。すでに敵はマケドニアの第三陣と戦闘している。しかも、敵の魔導士の活躍により、相対しているものは少数であっても、押され気味であった。
予定より早いがここで仕掛けなければ最悪の事態もありえる。
「両翼第一陣、蜂起!!」
ハーマインの怒声が起こる。命令は直ちにレフカンディ城砦の見張り台にいる魔道士に伝えられた。砦の頂上から雷がほとばしる、まもなく、谷の両側にある砦からもほぼ同時に雷がほとばしった。
ミシェイルには、その合図が両翼に潜ませた伏兵のうちの第一陣を戦闘に参加させる合図であることがわかっていた。そして、状況的にこの合図を出すタイミングとしては間違いが無いであろうとも考えていた。しかし、ミシェイルにはハーマインが焦っている様が見て取れた。
「ハーマイン。落ち着け。」
というミシェイルの一言に、ハーマインは恐縮した。
「将たる者、この程度の予定外に慌てふためいてどうする。兵の士気にも影響するぞ。」
「はっ。申し訳ありません。」
恐縮が焦りを打ち消し、ハーマインは落ち着きを取り戻したようであった。ミシェイルはじっと戦場を眺める。敵の魔導士に翻弄されているとは言っても、敵軍の突撃はマケドニア軍のまだ中ほどにも届いていなかった。
一方、自ら敵陣へと切り結んでいたマルスは、放たれた三本の雷光を何らかの合図であろうと理解した。両翼のジェイガンとオグマに頑張ってくれと心の中でつぶやいた。
合図の結果、マケドニア軍の伏兵は猛然と谷間へ流れ込もうとした。しかし、これを予期していた解放軍側では、後方で陣形を整えると、左右からの攻撃に対して防戦体制を取った。総大将が敵陣深く斬り込んでおり、陣形は縦に長くなっていたが、マケドニア軍は重装であるため思ったように動きが取れない。数で劣る解放軍であったが、互角以上の戦いをしていた。
「ロシェ、ビラク。動くぞ。ザガロとウルフは右翼後方を守る部隊に左翼後方の防御を援護するように伝達せよ。我らが騎馬隊は、敵左翼の攻撃隊に対し側面を突く。」
ハーディンはオレルアン騎士団とアリティア騎士団を合わせ、幾ばくかの騎兵を加えて遊軍として存在していた。ハーディンは味方の両翼の動きがまだ届かないと判断し、歩兵による防御線をシフトしつつ片方の敵部隊に騎馬隊による横撃を加えようとしたのだ。
そのころには、両翼の解放軍もすでに行動を開始しており、敵の両翼部隊に近づきつつあった。
ハーディン率いる騎馬隊はマケドニア軍の右翼攻撃部隊に襲い掛かった。騎馬隊の速度を生かした突撃、しかも横からの強烈な打撃では歩兵部隊ではどうすることもできず、あっさりとマケドニア右翼部隊は分断された。
(それにしても、なぜ敵には騎馬隊が全く見えていないのだ……思わぬところに隠してあるのか……。)
突撃しつつもハーディンはそう考えていた。所在のわからない敵の騎馬隊は不気味な存在である。レフカンディの谷は狭いとはいえ、騎馬隊が行動し戦闘できるだけの広さは十分にあるのだ。しかし、敵陣のどこを見ても騎馬隊が存在するような気配は無い。
分断されたマケドニア左翼部隊は、早くも防戦一方となり、本隊へ合流する動きを見せた。解放軍が戦力を左翼に集中したことによって、分断された部隊のうち前の半分は難なく本隊と合流した。
「左翼部隊は後退したか……。展開が早いですな。」
そう、つぶやいたムラクは、今回は副将格である。もとより、長い間レフカンディに駐留していたハーマインに比べれば地形に関する知識に劣る。だが、時が来れば前線に押し出て指揮をとることにもなっていた。
「しかし、今のところ戦況に問題は無い。確かに、予想より被害は大きくなってしまったがな。」
と、答えたハーマインは忌々しげに戦場を眺めた。そこには依然、縦横無尽に魔法を放つ敵魔導士の姿があった。その部隊はマケドニア軍の中にあって孤立しているはずであるのに、一向に勢いが衰えない。おそらく切り込み隊として、最も精鋭の部隊が選ばれているのだろう。
そのうち、敵の両翼部隊が、味方の両翼部隊にせまりつつあるという報が、ハーマインにもたらされた。もともとそれほどの戦力を第一陣の伏兵として潜伏させていたわけではないので、ハーマインは予定通りに指示を出した。
「両翼第一陣、後退させよ。」
と、ハーマインが指示を下すと、程なくレフカンディの城砦から雷が二回連続で放たれた。
「追加で伝令だ。両翼第一陣は、本隊と合流後、敵突撃部隊の分断を狙え。本当の戦いの前に、多少は揺さぶってやらんとな。」
情勢がまた変わる。解放軍の両翼部隊は、マケドニア軍の伏兵部隊が退いたために、そのままマケドニア軍の前面に押し寄せた。
「両翼部隊に戦闘らしい戦闘は起こらなかったか。」
ハーディンはさもありなんと言わんばかりであった。マケドニア軍の伏兵部隊はいかにももろく見えたが、せっかくの伏兵攻撃であったとしてもその攻撃が膠着してしまっては意味が無い。敵の援軍が迫ってきており、挟撃の危険性が大きいのであれば、戦線に見切りをつけて撤退することは理にかなっていた。
「しかし、ハーディン様。敵の攻撃は奇襲にしては数が少なくありませんか?それと……。」
と、ロシェが不安を口にする。
「ああ、敵の騎馬隊の姿が全く見えない。これだけの戦闘において、これほど不気味なことは無いぞ。しかし、さしあたって……。」
ハーディンは戦場を見渡す。戦況の変化は彼に再度の行動の必要性を促していた。
「マルス殿の中央突破部隊が包囲されつつある。再び、敵の左翼へ突撃を掛け、この勢いを殺ぐぞ。我に続け!」
「はっ。」
と、ハーディン率いる騎馬隊は猛然と駆け出した。
「敵の騎馬隊が左翼部隊へ突撃している模様。被害は軽微ですが、陣形を維持できず混乱しています。」
ハーディンの突撃によって、マケドニア軍の左翼は混乱をきたしていた。オグマの指揮している解放軍右翼部隊とも接触し、混戦状態である。
ハーマインはここからが正念場であると感じた。
「左翼前線へ増援を送る。本部隊の第五陣、第六陣を迂回させ、敵前線の側面を突くよう移動せよ。」
「はっ。」
「中央の陣容を、薄くするのか。」
ムラクは走り去る伝令を横目に見つつ、そう、ハーマインに話し掛けた。
「ああ、そろそろ貴殿の出番だ。準備をしておいてはいただけないだろうか。」
「やっと出番か?待ちかねておったぞ。」
「お願いする。」
ハーマインは薄笑いをうかべつつ、頭を下げた。
マケドニア軍の本陣が後ろから迂回して側面に出ようとしている。解放軍がこれを見逃すはずもなかった。
「マリク、敵軍が動いている。横へ回り込むつもりだ。」
マルスは敵陣の真っ只中で指揮を取りつつ、状況の変化には機敏に反応していた。このころになると、マリクの魔法を恐れて彼らの周囲にマケドニア兵がなかなか近づかなくなっていたということも、マルスの状況判断を助けていた。
「我々の退路を断つつもりでしょうか……。」
とは、マリク。
「かもしれない。でも、罠の可能性を考えてもこれはチャンスだ。見てくれ。前面の敵陣が薄くなっている。」
見れば、今まではるか遠くまで続いていた人の壁が、あるところで途切れ、そこから敵の本陣へは何も障害が無くなっている。
「はい。」
と、マリクが頷く。
「周囲の兵を一度集めて、敵の本陣へ突撃を掛ける。マリク、もう一度魔法を使えるかい?」
「……わかりました。」
マリクは、少し考えるとマルスの考えを理解し、頷いた。
マルスと同行し、敵陣に突撃を掛けたのはアリティア騎士団、オレルアン正規兵の生き残りなど八百名程度であったが、約四分の一が既に戦闘不能になっていた。マルスはそれでも乱戦状態から三百あまりの兵を集めると、マリクと共にその先頭へ騎馬を推し進めた。
すでに、呪文の詠唱準備に入っているマリクには、マケドニア兵は近づこうとしない。いくら、指揮官が号令を掛けようとも無駄であった。マリクの元に再び風の力が集約していく。
「EXCALIBUR!!」
再び、強烈な風の刃が敵陣を襲った。守りを固めていたマケドニア兵であったが、さすがに直撃を受けた者はひとたまりもなかった。
「今だ!突撃せよ!」
「突撃!」
突撃の号令が、両軍から起こった。マルスはマリクの魔法で敵陣がひるむのを、マケドニア軍の士官のうち何人かはマリクの魔法が終わって隙ができる瞬間を狙っていたのだ。双方の突撃によって、激しい乱戦になるかと思われた。しかし、マケドニア軍の突撃は中途半端に終わった。突撃の号令を掛けた士官が数人しかいなかったことと、兵士が敵の魔導士に突撃することをためらった為だ。マルスの部隊は悠々ととまではいかないまでも、力強く目前の敵部隊に当たり、これを突破した。
マケドニア軍の本陣では、一部始終を見ていたハーマインが歯噛みしていた。
「ムラク殿、お願いいたす!」
「心得た。」
ハーマインの依頼に、ムラクは本陣の前方へと去っていった。
「くっ。不甲斐ない。士官連中だけでももう少しまともな戦いができるだろうと思っていたのだが。」
敵軍を本陣近くまで引き込むことは当初から予定していたことであったが、こう、やすやすと突破されたことは予想外であったのだ。
「ふむ、士官レベルの指揮方法を見直さなければならないか……。」
ハーマインの言葉を聞いて、ミシェイルはそんなことを考え、知らず口に出していた。
「申し訳ありません、我々の管理が十分でないばかりに。」
「よい。それで、これからの方策は。」
「はっ。予定通り、ムラク将軍のオレルアン駐留部隊により、本陣前方にて乱戦に持ち込み、敵軍が疲弊したところで一斉に伏兵を蜂起させます。」
「……なるほど。しかし、敵が罠に気づいて退却を始めた時はどうするのだ?」
「その際には、……当初はまず、敵が退却するに任せて深追いはしないよう、マチス殿には言われていました。その上で陣容を整え、オレルアンに進撃せよとのことでした。」
「なるほど。敵が退却した時点で、緑条城はこちらの手の内にあるのだから慌てることは無いということか。」
「はっ。しかし、陛下の竜騎士団がおられるようであれば、陛下に協力を依頼し、徹底的に追撃掃討せよとも言われております。」
その言葉を聞いた瞬間、ミシェイルは笑い出した。
「はっはっは、マチスめ、予をいろいろと使いおるわ。」
「陛下!?」
ハーマインはまたもや驚いた。ミシェイルは微笑することはあっても、このように大笑するところを見たのは始めてであった。思えば、マチスの登場以来、色々と変わったことが続く。
「いや、ふと思ったのだ。今の我が軍で、予に嘆願をしてくるのはマチスくらいであろうとな。ミネルバも最近はおとなしすぎて困る。」
ハーマインは、またもや困惑していた。ミネルバは、ミシェイルの妹でありながら反ミシェイル派の頭目でもある。これがおとなしくて困るというのは、ハーマインの理解の範疇を超えていた。
「ハーマイン。追撃の件については安心するがよい。もとより、予はその為にここまで来たのだ。他にも色々と目的はあったが、それが一番の目的だ。よって、敵に退却はありえない。」
「はっ。恐縮です。」
ハーマインは再び頭を下げた。
ムラク将軍は、本陣の前衛へ着陣すると、自分の位置を中央から右に寄った位置へと移動した。中央は、敵の魔法の脅威にさらされる危険性が大きかったからである。マケドニア軍中央部隊を突破した解放軍は、今まさに本陣前衛部隊へと襲いかかろうとしていた。
「マリク、もう一度頼む。」
「了解。」
マリクの元に三度風が集まる。魔法の予兆に、マケドニア軍の前衛が混乱した。マリクの前からできるだけ離れようと必死にうごめいた。
「前進せよ。」
その様子を確認したムラクは、自分のいる右翼前衛部隊に前進命令を下した。この命令はムラクの周囲にしか伝達されず、そのため同じ右翼でも後方の部隊は動くことがなかった。もとより、中央の兵たちが、魔法から逃げようと押し合ってその間隙に入り込んだため、後方の部隊は動くことすらできなかったのである。このため、マケドニアの陣容に密度の薄い部分ができあがった。
「EXCALIBUR!!」
三度目の風の魔法は、その密度の低い部分に放たれたため、前二回よりは被害が小さかった。
「突撃!これ以上の魔法を使わせるな!!」
返して、ムラクが突撃の号令を掛ける。部隊で見れば、兵数はムラクの方がやや勝っていた。マルスの率いる部隊も密集して突撃したが、マケドニアの中央部隊を突破したあと急行したため、いかんせん隊列が整いきれてなく、マケドニア本陣での戦闘は必然的に乱戦となった。
「くっ。兵をまとめあげよ。」
「敵を分散させよ。密集隊形を取らせるな!!」
密集して、打撃力を得たいマルスに対して、密集させたくないムラクとのせめぎ合いが始まった。もとより、ムラクの目的は、敵軍を突破させないことであるのだ。その意味においては彼は善戦していると言えた。
一方ハーディンの方には矢継ぎ早に戦況の報告が届いていた。
「報告します。敵、中央軍の後方二部隊が、援軍として、こちらへ向かっています。」
「……こちらへは、どれくらいで着く?」
「敵本隊を迂回して向かっているため、半時ほどはかかるかと。」
半時?またもや、ハーディンは疑念を感じた。敵の左翼部隊とは混戦状態にある。そこに援軍を送るにしては時間がかかりすぎるのではないだろうか?
ハーディンの騎馬隊は、一度突撃を行ったが、乱戦となってしまっては、騎馬隊は下手に手を出せない。
「ハーディン様、マルス様の部隊が、敵中央部隊を突破しました。」
とまたもはハーディンに報告が入る。みれば、マルスの通り抜けた敵軍中央は、数を減少させながらもまたマケドニア軍が入り込み、解放軍の両翼に別々に襲いかかろうとしていた。
状況を見ていたハーディンは焦りを感じた。マルスの退路が断たれていると危惧したのだ。ハーディンは現状を打破する必要を感じ、敵軍の中央に対して、三度目の突撃を行った。
しかし、そこで、ハーディンは意外とマケドニアの陣容が薄くなっていることに気がついた。乱戦になっている両翼を抜け、中央を突破してしまえば、抵抗らしい抵抗はなくなっていたのだ。
「ハーディン様……。」
ロシェが息を切らしながら、ハーディンに話し掛ける。
「……ああ、わかっている。」
前方では、マルスの部隊と、マケドニア軍が激しく戦っている。だが、双方とも数的にはそれほど多くなく、一つの塊となって乱戦となっている。迂回することは十分可能と見て取れた。
「ついて来れる者は全て我に従え。この戦い勝ちをもらう!突撃!!」
「突撃!!」
ハーディンの号に、ロシェが唱和した。めいめいに声が上がる。その騎馬隊は、すさまじいまでの勢いを乗せようとしていた。
「報告します。敵、騎馬隊、味方中央部隊を突破し、本陣前方へ出現しました。」
この時、ハーディンの騎馬隊が中央を突破したことは、マケドニア軍の本陣にも伝わっていた。ハーマインはさすがに本陣の危険性に気づき、どうするべきか方策をめぐらしていた。
「ハーマイン。そろそろ、潮時だ。作戦の最終段階にうつれ。」
「はっ。しかし、本陣の守りが間に合いますまい。一度、砦へ撤退すべきかと。」
「オレルアンの騎馬隊であれば、予が何とかする。卿はここを死守し、前線を維持せよ。」
それだけ言うと、ミシェイルは本陣を去っていった。
「……陛下……。」
ハーマインはしばし呆然としていたが、一瞬後には激しく叫んでいた。
「本陣の守りを固めよ!守りは、敵の騎馬隊に対してのみ行えば良い。何としても陣形を崩すな!!」
命令は瞬時に伝わり、陣形が蠢動を始めた。
「両翼第二陣!蜂起!!」
続いて、指示が飛ぶ。ぎりぎりのタイミングだ。急速に集中する味方の兵と、すでに本陣に駆けつつある敵の騎馬隊を見て、ハーマインはそう感じていた。
再び、レフカンディの砦から雷撃が放たれ、谷の両脇から雷光が上る。疾駆しているハーディンには、その様子に注目している余裕は無かった。
その時、マケドニア軍の本陣を大きな影が覆った。翼がはためき、地を覆う。
「竜騎士団だ!」
マケドニア兵の一人が叫んだ。
「陛下……ミシェイル陛下だ!!」
叫びが喝采に変わるまで、数刻も無かった。突然の危機に陥り、緊張していたマケドニアの兵士たちの顔が安堵や期待、また高揚、興奮といった表情に変わっていく。
「くっ。竜騎士団が控えていたとは。」
と、ハーディンが歯を噛み鳴らした。
竜騎士団の登場は、解放軍も考えていないではなかった。だが、戦況の推移と共に、登場してくる気配が無かったたため、ハーディンすらその可能性を考えから外してしまっていた。
「敵の陣形は薄い!かまわず突っ込め!!」
ハーディンが叫ぶ。すでに、ハーディンの目は、自分めがけて真っ直ぐに迫ってくるミシェイルを捕らえていた。
(ハーディン……草原の狼か。)
ミシェイルは冷静にターバンを捲くその精悍な男を捕らえた。絶対的な自信を身に纏うも、無意識のうちに槍を握る腕に力を込めた。
瞬間、巨大な飛竜と騎馬が交差した。後、騎馬は失速し、飛竜は上昇した。後続の部隊も次々と激突したが、この激突によって騎馬の勢いは完全に殺がれてしまった。
「ハーディン様!!」
ロシェ、ビラクら、部下たちの悲痛な叫び声が聞こえる。ハーディンは右肩を砕かれ、右腕を血にまみれさせ馬上へ蹲っていた。騎馬隊は、同様に数人が打撃を受けており、中には気を失っている者、すでに事切れている者もいる。だが、竜騎士団の飛竜は一騎も失われることが無く、上空に終結していた。
「……馬鹿な……。竜騎士団の実力……これほどだと言うのか……。」
ハーディンは苦しそうな表情で右肩を抑え、低い声でうめいていた。その時、始めてハーディンは周囲の状況が変化したことに気が付いた。両横の山肌から、湧き上がるような声。無論、解放軍のものであるはずも無く、谷間を埋め尽くすような熱気に、ハーディンは圧倒されていた。
「これは……この声は、マケドニア軍の……。これまでか……。」
「ハーディン様。傷の様子を。」
ロシェがハーディンの脇により、心配そうに声を掛ける。ハーディンの右腕はすでに槍を持つことができず、いや、それどころか何もすることができず、ただ垂直に垂れ下がっているだけであった。
不思議とミシェイルは再度の攻撃を仕掛けてこなかった。この時、ミシェイルは、騎馬隊がどのような行動を取るかを確認していたのである。再度、本陣へ攻撃を掛けようとするならば、再度上空から攻撃する。それだけのことであった。
しかし、ハーディンは、沸いて出てくるかのようなマケドニア軍の攻勢に、これ以上の攻撃をあきらめた。戦力差からして無茶な戦いであることはハーディン自身も承知はしていたのだ。マケドニア軍の隙を突かなければ勝てない戦いであった。そして、マケドニア軍には隙が無かった。ただ、それだけのことであった。
「ロシェ、ビラク、……退却だ。」
ハーディンは、苦しそうな顔をしながらもそれだけをつぶやいた。
「カイン殿とアベル殿へ……、マルス殿へ撤退を進言するよう……緑条城まで下がり、再起を……。」
ハーディンは声小さく、途切れ途切れになりながらも、そう伝えた。そして、そのまま、鬣に突っ伏し、気を失ってしまった。
「ハーディン様!!」
再び、ロシェが叫んだ。膠着状態の前線と、守りを固めたマケドニア軍本陣と、雲霞の如きマケドニア軍の援軍の真中にあって、騎馬隊は動くことができないでいた。
ロシェは、ハーディンをその馬から下ろすと、自分の馬に移しかえた。ハーディンの息は荒く、出血はまだ止まっていなかった。
「……ハーディン様の指示に従って、緑条城へ撤退する!!」
ロシェが宣言すると、騎馬隊にどよめきが起こった。ロシェは、その中にアリティア騎士団の姿を認めると、その中のカインに話し掛けた。
「カイン殿、このようなことになってしまって申し訳ない。マルス殿下へ撤退することを伝えては頂けないだろうか。」
「……承知した。ハーディン殿も、ご無事であられるよう。行くぞ、アベル!」
カインとアベルは、騎馬隊から分離し、乱戦状態にある前線へと向かった。
「まずは、前線を迂回し、後方部隊まで撤退する。」
残りの騎馬隊は、前線を迂回し、後方の支援部隊を目指す。ロシェもビラクも、後方部隊の無事を祈らずにはいられなかった。
「終わったか……。」
撤退していく、敵軍の騎馬隊を確認して、ハーマインは息をついた。これほどの大きな戦いの指揮をとることは、ハーマインにとっても初めてのことであったのだ。
「ははは。これで、マチスのやつがしくじっていたら、ただではおかんぞ。」
安堵から、憎まれ口とも冗談ともつかない一言をもらしたハーマインであったが、その口調は今だ緊張が解けていなかった。
「全軍に伝えよ。これより掃討戦を行う。当初の予定通り、抵抗するものだけ相手にすればよい。戦う意思の無いものは逃げるにまかせよ。」
ハーマインは、おそらくこの戦いで最後となるであろう指示を、伝令に伝えた。
前線で、マケドニア軍と激しい戦いを繰り広げていたマルスも、周囲の異変に気が付かないわけは無かった。
「これは!?」
しかし、乱戦のさなかであるため、状況把握のタイミングが遅れてしまった。急を感じ取り、ジェイガンが駆けつけて来たのと、騎馬隊から、カインとアベルがマルスの元に駆けつけてきたのは、ほぼ同時のタイミングであった。
「マルス様。谷全体が敵軍に包まれておりますぞ。」
と、ジェイガンが言った。
「マルス様、ハーディン殿より伝言です。撤退するとのことです。」
「馬鹿な!ハーディンはすでに撤退したと言うのか!」
意外な知らせにマルスは驚いた。しかし、状況はマルスの想像をはるかに超えて悪化していた。
「ハーディン殿は、敵竜騎士団との戦闘で、負傷されました。騎馬隊と我々に撤退するよう伝えると、気を失われました。」
「何、竜騎士団が来ているのか?」
こんどは、ジェイガンが驚く番であった。前線で戦う彼らには、竜騎士団は一度たりとも目撃されていない。気が付く位置にはいたのかも知れないが、戦況がそれを許していなかった。
「はっ。相当数の竜騎士が来ています。数にして、百は下らないものと思われます。」
とはアベルの言葉であった。
「マルス様。ここは、一度、撤退するしかありませぬ。このままでは、レフカンディを取るどころか、座して死を待つばかりですぞ。」
さすがに、ジェイガンもことの重大性を理解し、マルスに撤退を進言された。
「……しかたがないのか……。くそっ。シーダ……。」
マルスは、心なしか目を潤ませ、そうつぶやいた。しかし、戦況がわからないマルスではなかった。
「……後方支援部隊の陣営まで撤退する。一度、陣まで戻って、緑条城へ撤退する。」
「はっ。」
「アベル。お前は、オグマ殿の部隊へ、撤退することを伝えてくれ。直ぐに、向かってくれ。」
と、ジェイガン。アベルは一礼すると、駆け去った。さらに、ジェイガンは大きく怒鳴った。
「皆の者!我が軍は一度陣を引き、捲土重来を期す!陣を退け!」
ジェイガンはさらに続けた。
「しかし、聞け!マルス殿下を慕うものは、このジェイガンと共にここに残り、マルス殿下を助けよ!」
「ジェイガン、何を!?」
マルスは驚いた。ジェイガンがどのように行動しようとしているのか、マルスは瞬時に理解していた。それでも、マルスはそう、問わないわけにはいかなかった。
「マルス様、生き残るのです。我々は、マルス様の礎となるよう存在しています。どうかここは何も言わずに立ち去られますよう。」
と、ジェイガンは軽く一礼した。
「くっ。こんなところで……こんなことで……また、私は繰り返さなければならないのか。もう……、もう逃げないと誓ったはずなのに……。」
撤退するのであれば、早ければ早いほどよい。それが頭でわかっているマルスではあったが、その感情が彼をその場に押しとどめていてしまった。自らの二年間が水泡に帰ってゆく。いや、時間ではない。失ったものはあまりに大きく、二度と戻ってこないものも多い。
「マルス様、何をなされておいでです!早く退いて下さい!マリク様、マルス様をお願いします!」
マルスの傍らで、会話にはさめずにいたマリクは、かすかに頷いた。
「……マルス様……参りましょう。」
「……わかった。ジェイガン、私にはまだあなたが必要だ。必ず、生きて戻ってきてくれ。これは命令だ。」
「御意。百度の戦いに敗れたとしても、その後の一度に勝利できれば、戦いは勝ちなのです。自重され、無事、落ち延びられますよう……。」
その会話を境に、マルスとマリクの二人は、後方へ駆け去って言った。
「カイン!何をしておる!貴様も早くマルス様の後を追わんか!」
ジェイガンの横には、カインが残った。ジェイガンの怒声にもひるまず、カインは静かにジェイガンと馬を並べた。
「マルス様の守りは、マリク様がついておられれば大丈夫でしょう。私もここで戦わせて下さい。」
「……馬鹿な……。死ぬ気か?」
「やはり、隊長は、死ぬ気でいましたか……。マルス様の言葉どおり、隊長には意地でも生きてマルス様の元へ帰っていただきます。」
ジェイガンは、親子以上も年の離れたカインに心を見透かされ、動揺を隠せなかった。
「勝手にせい。」
さすがのジェイガンもそれ以上の説得はしなかった。
マケドニア軍は、両翼の包囲を狭めつつあった。ばらばらに戦っていた解放軍は、その半数以上がすでに撤退を開始し、各所で撃破されつつあった。
「残った者は我が下に集まれ!可能な限り敵を食い止める!陣を乱すな!」
ジェイガンが号令をかけた。撤退せず、戦場に止まった者は、無くなりかけた気力を更に絞り、敵に立ち向かっていた。
「オグマ殿……。」
オグマは、解放軍の右翼にあって、二正面の敵を食い止めるべく常に戦闘の中心にいた。剣はもはや刃こぼれが激しく、鎧は敵の返り血によって不可思議な文様に彩られていた。アベルはオグマにただ近づくだけでも、敵兵を何人か蹴散らさなければならなかった。
オグマは、アベルが来た意味を理解していた。
「……撤退か?」
オグマの口から一言述べられる。
「はい。」
アベルははっきりと肯定した。
「……そうか……無念だ。」
状況を把握していたのだろうか。撤退そのことは意外なことではなかったのであろう。オグマはそれほど驚いた様子は見せなかった。だが、オグマのその無口さが悔しさを物語っていた。戦場を見据えながらも口の端が震えていた。
「皆!この戦いはもう終わりだ!!退くぞ!」
オグマは一度そう宣言した。周りの兵士たちには既に疲労の色が濃い。オグマの指揮する部隊はこの宣言で撤退に移ったが、その動きは鈍かった。
「くっ。勝ちが続いて、撤退には慣れていないか。アベル!こいつらを誘導してやってくれ。俺は、もう少しここで踏みとどまる。」
敵兵と剣戟を交えながら、オグマが叫ぶ。
「オグマ殿!あまり無理はされませぬよう!」
とアベルも叫ぶと、後方へ退却していった。
レナを始めとする解放軍の後方支援部隊は、今回の戦いでは大忙しであった。最初から激戦であったため、当初の予想をはるかにこえる負傷兵が担ぎこまれて来ている。レナもジュリアンも、目の回るような忙しさでであったが黙々と怪我人の治療にあたっていた。
「レナさん、なんか、谷間の様子がおかしいぜ。」
後方支援部隊にいるほとんどの人は前線の様子を気にできる余裕も無く、ただ自分の作業に没頭していたが、ジュリアンはさすがに谷の様子が変化したことに気が付いていた。
谷間の底辺だけで起きていたざわめき。それが一瞬谷間の両側の尾根筋まで広がり、急速に谷間に収斂していた。
(考えたくはねぇが、マルス王子に何かあったか?)
「そんな……皆さん大丈夫でしょうか。」
レナのことを考え、そこまでは口には出さないでいたジュリアンではあったが、さすがにレナにも察しはついたようだった。
「……さあな……。何も無ければ良いけどな。ま、ここで心配していてもしょうがない。俺たちはできることをやるさ。」
そう、うそぶくように言ったジュリアンであったが、さすがにごまかしきれてはいなかった。それでも、治療に戻るレナを見て、ジュリアンはもう少しうまいことが話せればなどと考えていた。
オレルアンの騎馬隊が、後方支援部隊の陣に駆け込んで来たのはそれからしばらく経った時である。一気に騒がしくなった陣から、何事が起きたかと、動ける怪我人たちが頭をもたげた。
「レナ殿!レナ殿はおりませぬか!」
ロシェが半ば悲痛な叫び声を上げている。たまたま、近くにいたジュリアンは舌打ちすると、険しい表情で怒鳴り返した。
「おらっ!こっちには怪我人が大勢寝てるんだ!静かにしろっ!!」
「おおっ、ジュリアン殿、レナ殿は何処におられますか。」
が、その言葉はロシェには何も聞こえてないようであった。ただ、ジュリアンを見つけたということしかその頭には理解されていないようだった。
「……いったい、どうしたってんだ?」
さすがにジュリアンもそのただならぬ様子に気がついたようだった。しかし、その直後にもジュリアンも何が起こったのかをおぼろげながら理解した。ロシェの馬上に力なくうつ伏せになっている人物の影を見たからだ。その頭にターバンが捲かれていたので、ジュリアンはそれが誰であるかを理解した。
「まさか……。」
「ハーディン様が敵の竜騎士と激突し、重傷を負われたのです。」
「わかった。すぐにレナさんを呼んでくる。」
状況を把握したジュリアンの行動は早かった。ジュリアンがレナを呼んでくる間、ロシェとビラクの二人がハーディンを馬から下ろし、近くの地面に仰向けに寝かせた。本来であれば空いている寝台に寝かせるべきであったが、すでに用意した寝台は怪我人で埋まっていたのだ。
戦場での負傷であり、応急手当すらされていなかったため、未だ出血も完全には止まっていない。右肩は大きく腫れた上に不自然に変形しているままだった。ハーディンは青褪めた顔で、時折苦痛のうめき声をだす。その度に、ロシェもビラクも居た堪れなくなっていた。
ジュリアンは、レナを探し出すことに少し手間取ってしまっていた。オレルアン騎馬隊の怪我人はハーディンだけではなく、その他の負傷者の手当てを他の人に依頼していたからだ。なかなか手の空いている人もおらず、騎士団の無事な人たちに手伝ってもらって応急手当だけでも何とかしてもらうようにした。
「すまん、遅くなった。」
レナを連れて戻ってきたジュリアンは直ぐにハーディンの様子を診た。危ない状態であることは、直ぐにわかった。負傷自体は直ぐに手当てを行えば命にかかわるようなものではなかったが、いかんせん時間が経ちすぎていた。
「治療の魔法を使います。皆さんは少し下がっていてください。」
レナはいつになく真剣な表情をしている。用意しておいた杖を持つと、それをハーディンの傷口にかざした。杖先が赤く鈍く光り始めたかと思うと、その光が急速に明るくなる。
「LIVE。」
レナが静かに気合を込めた声を発した瞬間、その光の強さは最高潮に達した。ハーディンが微かにうめく。やがて光は収束し、杖は一見、元の普通の杖に戻った。
「これで、出血は止まったはずです。しかし……。」
「しかし?」
レナの様相から見て、状態が良くないのは明らかであった。見れば確かにハーディンの様子は先ほどよりは楽になっている。しかり、ロシェはレナの様子に不安を隠し切れない。
「……魔法にて施術しましたので命の心配はありません。しかし、治療を施すのが遅すぎました。おそらくハーディン様の右肩から先はもう使い物になりません。」
と、レナははっきりと宣告した。
「そんな……!」
レナの言葉をロシェが理解するまで幾分時間がかかった。いや、理解してからの衝撃の方が大きかったのであろう。沈黙が場を包んだ。
「……くそっ。マケドニアの竜騎士め。ハーディン様がこれほどの手傷を負わされるとは……。」
ロシェがはき捨てるように言った。
ロシェは考えてやまない。もしあの時、味方に騎馬弓兵がいくらかでもいれば、戦いは変わっていただろうか。
「ロシェ……さんだったかい?」
重い沈黙を破ったのはジュリアンであった。
「こんなところで、ぼーっとしていていいのかい?あんたらが、ここまで駆けてきたってことは、戦場はかなりやばいことになってるんだろ?どうにかしないといけないんじゃないかい?」
ジュリアンは、盗賊の性分のなせる技か、後方部隊にいてもこういったことの勘は良い。先刻、谷間の異変に気づいたことと合わせて、味方の不利を確信していた。もっとも、ハーディンが傷ついて後方へ下がってくるところまでは予想だにしていなかったが。
しかし、さすがにロシェも切れたものである。
「ええ、申し訳ありませんが、我らの軍は勝機の無い状態に追い込まれました。皆さん、急ぎ撤退するようハーディン様に申し付かっております。つきましては、マルス殿下がこちらまでお戻りになられたら即座に緑条城へ撤退を開始できるようにしたいのです。お願いできますか?」
簡単に言ってくれる、と、ジュリアンは思った。しかし、撤退しなければ全員の命が危ないことに変わりは無い。準備することには異論があろうはずもなかった。
「わかった。陣幕をたたんですぐにでも動けるようにしよう。騎馬隊の人間も動ける人間は全員手伝ってくれ!」
言われるまでも無く、騎馬隊の人間はハーディンにごく近しい者を除いて、すでに怪我人の手当てを手伝っていた。ジュリアンはその上で無理を承知の上で陣幕をたたみ、寝台を片付け、怪我人を動かせるようにしていった。しかし、怪我人は多く、全ての怪我人を運んで撤退できるとはとてもではないが思えなかった。治療の甲斐なく息を引き取った者などは埋葬する手間も無く、ただ傍らに打ち捨てておくしかなかったのだ。
戦に負けた陣営の悲惨さ。そこにあったのは、紛れも無くそれであった。ハーディンの元、ただの一度も大規模な敗戦を経験しないで戦ってきたロシェなどには、この光景は心に痛かった。
次に駆け込んできたのは、マルスとマリクであった。その数は、相次ぐ追撃によって打ち減らされ、五十人にも達していなかった。陣幕の引き払いは完全には終わっていない。
生き残った意識のある兵士たちは、盟主の生還に幾分士気を取り戻したが、絶対的に不利な状況にあることは変わりなかった。
「敵の追撃隊が近づいています。早く後退しなければなりません。」
と、マリクが言う。
「まだだ。まだ、オグマとジェイガンが戻ってきていない。」
「ハーディン様!!」
ロシェが、何度目かの叫び声を上げた。驚いてその方向を振り向いたマルスであったが、その様子を見て安堵した。ハーディンは自らの意思で左腕を動かすと、両のこめかみをその手で押さえた。
「意識が戻りましたか。ハーディン殿。」
「マルス殿……。」
ハーディンはマルスの姿を認めると、周囲の状況を確認するため、首をぐるりと一周させた。そして、自分が様子は変わってしまったが後方支援のための陣に寝かされているのだと知った。
(右腕が動かぬ……。)
ハーディンはまた、右腕を動かそうとしたが、どんなに頑張っても動かすことができなかった。いや、その前にハーディンは右腕の感覚すら自分で確認することができなくなっていた。ハーディンは眉間にしわを寄せ、二度右腕を動かそうとし、そしてあきらめた。
「マルス殿、無事であったか。そなたと、私がいればまだ解放軍は瓦解しない。ここは急ぎ撤退するべきですぞ。」
と、言いつつ、ハーディンは上半身を起こそうとした。
「ハーディン様!まだ、ご無理をされては!!」
ロシェは、ハーディンを諌めたが、ハーディンはそれを視線で押さえた。
「いや、場合が場合だ。そう倒れているわけにはいかぬ。マルス殿、急ぎ撤退を。……すでに聞いておられるとは思うが、敵の竜騎士団が来ているのです。敵が我らに追いつこうと思えばあっという間に追いつけるのですぞ。」
マルスは、またもや苦渋に満ちた表情を現したが、危険な状態がわからないわけではなかった。正直、マケドニアの竜騎士団がどれほどの実力を持つのかはマルスにはわからなかった。しかし、精強で知られるオレルアン騎士団がここまで一方的に被害を受けていることから考えて、敗残の兵をまとめてこれに対抗することは難しいということは推測していた。竜騎士団の弱点である弓兵や魔導士が、組織的反抗が可能な人数残っていれば可能であったかもしれないが、望むべくもなかった。
「……わかった。陣をまとめて撤退しよう。」
マルスは決断を下した。直ちに全体へ命令が行き渡る。撤収の準備はマルスの率いていた部隊も加わり、小半時程度で完了した。そして、撤退を行うぎりぎりのタイミングで、彼らは現れた。
「オグマ!」
オグマの指揮する左翼部隊の帰還であった。その数は当初の一割にも満たず、生き残った兵も皆疲れきっていた。オレルアンで募兵した新兵の姿はほとんど無く、タリスから付き従っていた戦士もその半数は失われていた。
「王子さん……。敵の中央は、瓦解したぜ。両脇の伏兵はほとんど無傷だけどな。」
オグマはかろうじて強がりのようなそんな言葉を口にした。
「オグマ殿、間に合ってよかった。そろそろ、撤収の準備が完了する。この場は、可能な限り早く撤退する。」
「そうですか……。」
ハーディンのその言葉が持ついろいろな意味は、オグマがここまで逃げてくるまでに考えていたことと一致したのであろう、オグマは彼にしては珍しく弱く小さく肯定しただけであった。
そして、解放軍はその場を後にした。もはや、満足に動ける人数は当初の一割にも満たなかった。ジェイガンや、カインなど、戦場に残り、撤退時に合流を果たせなかった人々の安否を知るすべはもはや無かった。
レフカンディでの戦いは、こうしてマケドニアの一方的勝利とは言えないまでも、解放軍の無力化という目的は達成され、マケドニアの勝利に終わった。解放軍側の戦死者は軽く千名を超え、戦場に残された負傷者のほとんどはマケドニアの捕虜となった。また、無事な者たちも、マルス、ハーディンのいる解放軍本営に付き従った人物はそう多くは無く、絶対的な求心力を見失った解放軍は四散してしまったのである。
しかし、マケドニアの方でも戦死者は五百人を超え、当初マケドニア本陣が想定していた被害を大きく超えていた。解放軍の魔導士が予想外に強力であったことと、後ろが無い解放軍の攻撃が苛烈であったことが原因であり、ハーマインはこの結果に満足していなかった。もっとも、ミシェイルから見ればこれは十分予想の範疇であり、ハーマインやムラクが咎められるようなことは無かった。
ミシェイルの竜騎士団は、結局、包囲に加わることなく戦場を大きく飛び越え、オレルアンに向かった。これは、竜騎士団がこの戦いに参加することが決定した時、マチスに請われた秘策を実行するためであった。