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FireEmblemマケドニア興隆記
 暗黒戦争編
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七章 示された道

 アドリア街道から、オレルアン領を見下ろすマチスの部隊は、その日の真夜中過ぎにはすでに行動を開始していた。特に、クラインが率いる歩兵隊は、マチスの率いる騎馬隊よりも早く活動を開始していた。城の秘密通路を使用して、城内へ攻め込む作戦を実行するためである。作戦では緑条城に程近い農村のはずれにある井戸から地下通路に侵入する予定となっていた。その地下通路は玉座に程近い地点まで延びていて、脱出の際には最も重要な役割をすることになるはずの通路である。
 無論、現時点で通路が使用可能かどうかは、クラインによって既に確認済みである。マチスはこの作戦の一番の肝となるこの部分に細心の注意を払って準備を行ってきた。
 第一に、隠し通路の整備である。調査の結果、奇襲に使用可能な隠し通路は二本あることが判明していた。それぞれが城内のデッドスペースを使用して巧妙に配置されており、それらは城外のちょうど正反対となる位置に出口が存在していた。出口が反対の位置に存在しているのは、敵の攻撃の仕方によって脱出方向を変更する為であろうと予想された。
 マチスが狙いを定めたのは、このうち南東へ脱出する通路である。この位置であれば、アドリア街道を抜けた山の上から一気に駆け下りることができる。この位置の隠し通路が使えなくなっていた場合は、もう一方の通路の方へ迂回することになっていたし、両方とも使えなければ、城下へ抜ける隠し通路を使用することになっていた。幸い、これらの準備は特に考慮することなく、作戦は一番近い隠し通路から実行されることとなった。
 クラインの率いる別働隊は、その性格上、本体と連動することができない。予定では、マチス率いる騎馬隊が完全に夜が明ける前に城下に突入し一気に城へ詰めることとなっている。しかし、広い草原などとは違って城下で騎馬隊を操るのであるから、相応に不利な点があることは否めない。
 あえてマチスが騎馬隊を突入させるわけは、第一に陽動の為である。あくまでも目的はクラインの玉座の制圧と、国王夫妻の身柄拘束にある。第二の目的は城下の制圧。国王夫妻の身柄を拘束した後、マチスの持つ騎馬戦力を城下に置くことによって、城が占領されたことを城下の民衆に意識させることである。
 マチスの騎馬隊は、クラインの隊に遅れて夜明け前のまだ暗い時間帯に出撃した。馬の口に轡を噛ませ、蹄にぼろ布を捲き、音を立てないようにして疾駆する。無論、完全に音を消すことはできなかったが、重要なことは誰にも気づかれずに緑条城の城門へたどり着くことである。幸い、草原の国という別名を持つオレルアンでは、主城の周りで耕作が行われている地域は一部であり、村と村の間隔は広く、この点では問題はない。それでも、街道を使えば誰かに気づかれる可能性も大きいが、マチスはあらかじめ城への接近するルートを、村と村の間を縫うようなものに選定していた。
 そのころ、緑条城の城門は既にあらかじめ潜伏していたクラインの部下によって、制圧されていた。あとは、マチスの合図を待って城門を降ろす手はずになっていた。
 マチスは、緑条城の門へ近づくと、取り出した松明に火をつけ、大きく三度振り回した。すると、城門が大きな音を立てて、動き始めた。さすがにこうなると、城内の人間に気づかれないわけにはいかない。しかし、城の中が混乱している隙をついて城門は開ききることができた。マチスたちは、難なく城下へ侵入することができたのである。かねてからの打ち合わせどおりマチス達の騎馬隊は、門をくぐると同時にめいめいに馬の轡を取り除いた。自由になった馬の嘶きが次々に響き渡った。このため、城内では、突然大軍が押し寄せてきたものと勘違いをしてしまっていた。
 マチスの行動は速やかであった。騎馬部隊の厩、ほとんどが出兵してしまったためがら空きになっている兵舎、住人達の司法を受け持つ大きな影響力をもつ教会などの制圧をまず目標とした。城下の道筋は軍隊が行軍するにはもちろん狭く、城下の街の中では太い道筋を使用しるにしても限界がある。このため、マチスは、あらかじめ誰がどこを制圧するかを細かく指示していた。
 また、率いている二千の騎馬を十騎毎のグループにわけ、それぞれにオレルアン駐留部隊として、緑条城に常駐していた兵士を道案内としてつけた。この道案内役は、十騎につき二騎つけられ、足りない分の部隊は、遊撃隊として後方へ回された。この遊撃隊の役目は、城下の撹乱と、緑条城から迎撃に出てくる部隊の押さえであった。
 当の緑条城側は大混乱であった。まさか城下に突然攻め入ってくるような敵が存在するなど露にも思わず、夜を徹しての見張りも形骸化しつつあったところでの襲撃であった。
「見張りは何をやってたんだ!?」
「敵の数を把握しろ!動けるものは城門に集まれ!!」
 怒声が重なり合ったが、組織的な抵抗など望むべくもない状態となってしまっていた。ばらばらに対応していた部隊をなんとか一箇所に集め、城門から押し出た頃には、既に城下の主要施設をマチスに押さえられた後であった。
 その頃になると、ようやくオレルアン国王のルクードも目を覚まし、玉座で指揮を取ることになった。いざという時に、すぐ脱出できるよう、ニーナ王女も連れてこられた。
「敵はどのような状況か。」
「はっ。城下に侵入した騎兵多数が、各方面を制圧しています。目下のところ、城下全域はほぼ制圧され、城砦は孤立しております。」
「……どうやら、かんばしくない状況のようだの。」
 ルクードの受け答えは緩慢であった。ルクードはもともと軍を率いるよりも内政に重きを置く国王である。軍事については、ルクードの年の離れた弟である、ハーディンに一任されていた。このあたり、グルニアの国王ルイとカミユに関係が似ているといえるだろう。
 オレルアン王国はその建国以来、支配階級である王侯貴族と、民衆である草原の遊牧民との間で争いが絶えなかった。アカネイアから草原に国家を作り上げるためにやってきたアカネイア貴族の特権階級意識が非常に強かったためだ。しかし、その争いの原因は、ルクードとハーディンが貴族階級と民衆の間にある様々に不公平な取り決めを取り除くことにより取り払われた。以来、オレルアン王国はマケドニアに占領されるまで、史上一番の繁栄を見てきた。ルクードはオレルアンの礎、ハーディンはオレルアンの剣と呼ばれ、民衆の信頼は篤かった。
 しかし、本来オレルアンを守るべき武力はここにはいない。しかも、常にオレルアン軍を指揮してきたハーディンもここにはいない。ルクードは、早くも最悪の事態を想定していた。
 マチスの部隊はオレルアン城の正門から、マチスの部下を中心に波状攻撃をしていた。もとより、マチスは騎馬隊で城内へ攻め込むような愚は考えていなかったため、城内からの攻撃が激しくなれば、引き、城からの矢が届かなくなればまた押した。もっとも、城内にももともとそれほどの兵はおらず、城壁からの狙撃もそれほど被害を負うほどのものではなかった。
 ルクードは、突然、兵士達の怒声を聞いた。何が起こったのか、ルクードは理解することができなかった。剣戟の音が聞こえる。一人の兵士が玉座の間に駆け込んできて、ルクードの前に跪いた。
「報告します。直下の部屋に敵部隊が突如出現しました。現在、防衛に間に合った者で応戦しておりますが、不意を突かれた為に防衛にまわっている兵の絶対数が不足しております。破られるのも時間の問題かと。」
「……そうか。」
 ルクードがその兵士の報告を理解するために数瞬を要した。そして、理解してもその返事に覇気は感じられなかった。
「敵は、何者だ?どこから来たのだ?」
 玉座の脇に控える近衛隊の隊長が問いただした。この時、彼は表には出さなかったがすでに負けを覚悟していた。よほどの、周到な用意をしていなければ、このような戦術は取れない。
「はっ。敵は、傭兵団のようですが、マケドニアの紋章を確認しております。マケドニアの手のものであることは間違いないかと。」
「なるほど……いっぱい食わされたわけか。」
 近衛隊長は、オレルアン軍が緑条城を奪回した時と同じ方法をマケドニア軍が取ったことを悟っていた。即ち、隠し通路を使った奇襲方法である。しかし、不可解であるのはマケドニア軍がどこから攻めて来たかというその点である。近衛隊長はしばし思案したが、答えが出てくるはずも無かった。

 一方、首尾良く城内に突撃できたクラインではあったが、オレルアン軍の必死の抵抗に苦戦を強いられていた。予定通り、階下からの敵軍を最小限の人数で押さえ込み、玉座の間へ突撃を掛けていたクラインたちであったが、敵の近衛兵に階段の上を取られ、なかなか突破できないでいた。剣の技で勝るクラインたちは、本来有利な位置にあるはずの敵兵を一人一人確実に倒してはいたが、狭い階段という場所では敵に簡単に前方を防がれてしまい、なかなか先へ進めなかったのだ。クラインたちは斬り捨てた敵兵を次々に階下へ蹴落とした。オレルアンの王をそばで守る者達は一人も、一歩も退くことが無かった
 その鎧が返り血で真っ赤に染まる頃、漸く彼らはその場所を突破することができたのだ。
「どうやら下も持ちこたえてくれたみてぇだな。」
 クラインは肩で息をしながらつぶやいた。
「あと一息だ!一気に突っ走れ!」
 クラインはそう叫ぶと自ら、先頭に立って駆け出した。すでに、玉座への道を阻む者はなかった。

 ばたばたと玉座の間に駆け込む者達があった。十数人の軽装の剣士が王の間へ殺到した。前に立ちふさがったのは近衛隊長とその部下が二人、わずか三人ばかりであった。背後には、オレルアン国王夫妻と思われる老夫婦、そしてこちらはクラインには誰だか判別はできなかったが、高貴な身分であると見られる若い女性が見受けられた。
「あんたが、オレルアンの王様か。」
 クラインがいつものようなくだけた口調で尋ねた。
「何者であるか!いかようなものであろうともその口調は無礼であろう!」
 そう言うと、近衛隊長は一歩前へ踏み出し、剣を構えた。
「威勢が良いな……。」
 クライン達も全員、めいめいに剣を構えた。
「だが、あんたらの方が分が悪いのはわかっているはずだ。ここは大人しく降伏してくれないか。……俺らの隊長からきつくいいつかっていてな。降伏してくれれば悪いようにはしない。」
 クラインは粗雑ながらも、マチスに指示された通り降伏勧告を行った。
「ルクード様、降伏してください。その者の言うとおり今のままでは勝ち目はありません。」
「ニーナ様……。」
 降伏を勧めたのは、国王夫妻と共にいた、高貴そうな女性であった。国王と見られる人物の返事は、肯定とも否定とも取れず、ただ名前を呼んだのみである。
「何をばかな!降伏など考えられませぬ。」
 と、近衛隊長が強く言った間際、クラインは動いていた。剣を振りかぶり、近衛隊長へ斬りかかる。
「な!!」
 不意を突かれた近衛隊長は、剣を持つ腕を強打され、持っていた剣を床に落とされてしまった。クラインはその床に落ちた剣を素早く踏みつけ、近衛隊長の首筋にその剣を当てた。
「悪いがここは戦場だ。礼は省かせてもらう。こちらにも、時間がないんでな。おとなしく降伏してもえないか。」
 微動たりともできなくなってしまった近衛隊長を、その場にいる全員が凝視していた。ルクードが力なくため息をついた。
「……わかった。降伏しよう。」
 ルクードが折れ、実質的な戦闘は終了した。クラインが部下達に剣を握っていない左腕で合図をすると、用意されていたロープで次々とそこにいる者の手足を縛っていった。
「すこし窮屈だが我慢してくれ。なに、命を取るようなことは無い。」
 手際よくその場を収拾したクラインが、ルクードを盾に勝利宣言を行ったのはそれからまもなくのことであった。オレルアン国王ルクードとその王妃、そしてアカネイアのニーナ王女は捕らえられ、城内に抑留された。緑条城はこうして陥落し、再びマケドニアの手に渡ったのである。
 マチスは、その日のうちにミシェイルへ伝令を飛ばした。伝令は、その日の夕方には別作戦の行動中だったミシェイルに届くことになった。
「この戦い。勝ったぞ。」
 知らせを受けたミシェイルは、珍しく高揚し、いつもより口数が多かったと言う。
 レフカンディの谷から必死の撤退を続ける解放軍であったが、そのほとんどは散り散りになり、残っているものは百人いるかどうかという状況であった。タリスの義勇軍はオグマを含めてわずか数人が残るのみであり、アリティア騎士団もジェイガンやカインと言った主だったメンバーすら欠くありさまであった。
 必死で撤退する彼らであったが、満足に休息も取れない状況であり、皆一様に疲労していた。
 しかし、そんな彼らを絶望させるに十分な一軍が彼らをさえぎった。巨大な影が大きな羽音を立てながら彼らの真上から降りてきたのだ。
「……竜騎士団か。」
 騒ぎ立てる兵士達を横目にハーディンが空を見上げた。もちろん、心中穏やかなはずはない、臍を噛む思いで空を見上げていた。
 竜騎士団の一団からただ一騎、舞い降りてきた者がいた。解放軍の中で降りてきた人物に面識がある者は三人、ハーディンとマルス、そしてレナであった。もっとも、マルスは幼少の時に一度面会した限りであったのでその者が何者かわからないでいた。
「ミシェイル……。」
 ハーディンが唸った。ウルフとザガロが矢をつがえようとしたが、ハーディンはそれを押し止めた。マルスの側ではゴードンが矢をつがえようとしていたが、これはマルスに押し止められた。他の弓兵もこれにならった。
 ハーディンは降りてくるミシェイルに呼応するかのようにその馬を前へ進めた。後から、マルスも続いた。
 街道に竜が降り立つ。常に交易の中心であり、軍隊が行軍できるほどの広さがある街道といえども、竜が降りてみれば意外に狭く見えた。
「鞍上から失礼する。予はマケドニアの国王のミシェイルだ。そちらは、オレルアンのハーディン公、アリティアのマルス公と見えるが間違いないか。」
 尊大な男だ。ハーディンは改めてそのような印象を持った。
「いかにも、私がハーディンである。こちらが、アリティアのマルス公だ。このような場を設けたということは我らに何らかの話があると解釈してよいのかな。」
 ハーディンの口調には明らかに皮肉が混ざっていた。
「話と言うのはそれほど難しくは無い。降伏勧告だ。マケドニアに降る用意があるのであれば悪いようにはしない。自由は保障しかねるが命は保証しよう。」
 ハーディンとマルスは顔を見合わせた。
「馬鹿な。レフカンディの勝ちだけで勝ったつもりになっているのか。戻ってメディウスに伝えるが良い。貴様が居る限り我々は何度、敗れても立ち上がり立ちふさがるとな。」
 ふと、ミシェイルが笑ったようにハーディンには見えた。
「ハーディン公、いづれ明らかになるであろうが、緑条城はすでに我らマケドニアの手の内にある。貴殿らが長らく拠点としていた南の砦も我が竜騎士団が占拠した。もはや、貴殿らに拠るべきいかなる存在も無い。」
「なっ!」
 これにはさすがのハーディンも絶句した。確かに、緑条城の守りは万全とは言えなかった。しかし、進軍の最中にこれと言った軍勢とは遭遇しなかったのだ。
「馬鹿なことを。どうすればそのようなことが可能なのだ緑条城はそのように脆弱ではないぞ!」
「……仮に、オレルアンが落ちたとしても、我々はドルーアに屈したりはしない。人々から、平和を奪い、憎しみを植え付けたドルーアには。」
 それまで、押し黙っていたマルスがゆっくりとしかしはっきりした声でそう言った。
「貴殿がマルス公か……。」
 ミシェイルの鋭い視線がマルスを射抜く。じっくりと値踏みをするように、マルスを眺める。
「貴殿は……人が、国を治めれば平和になると考えているのか。」
「メディウスが支配していれば、平和は永久に訪れない。しかし、人が治めれば平和になるよう、努力することができる。」
 マルスはそう断言した。しかし、今はそれもミシェイルにはいまいましいだけであった。
「では、聞き方を変えよう。アカネイアが治めても人は平和でいられると思うか?」
 その問いかけはマルスには意外なものであった。
「……何が言いたい。この大陸はアカネイアが治めるべきであろう。」
 マルスには本当にその意味はわかっていなかった。アカネイアは大陸の盟主であり、アリティアにとっても忠誠の対象である。そう、父王コーネリアスに教わっていたからだ。
 実際にはアカネイアから派遣された役人はマケドニアほどではないにしろ、アリティアでも大きな態度を取っていた。それは、コーネリアスによって一部抑えられ、一部は妥協されていたのであるが、アリティア陥落当時未だ十四歳であり、政治の場には参加していなかったマルスにはほとんど知らされていなかった。
「何も知らないのか?気楽なことだな。」
 と、ミシェイルは今度はハーディンに向き直った。
「ハーディン公には心当たりもあるであろう。オレルアンの内乱を影で操っていたのはアカネイアなのだからな。」
「なっ、そのようなことまで知っているのか?」
 ハーディンは驚きを隠せなかった。これも、ドルーア帝国が復活した後、ミシェイルが必死に集めた情報の一つであった。
「アカネイアは我らから搾取を行うのみで、我らは永久に貧しかった。我らが富を得ようとすれば、それをアカネイアは許さなかった。だからこそ、アカネイアは滅びたと言うのに、何ゆえ過去の亡霊をよみがえらそうとするのか。」
 ミシェイルの口調はあくまで厳しかった。
「貴殿、その考えはドルーアに呑まれるぞ。」
 と、ハーディン。
「ふむ。だからこそ、今一度問う。予に……マケドニアに降る気は無いか。」
「断る!」
 マルスはそう断言した。
(やはり今はまだ時では無いか……。)
「マルス公、もはや我らの大陸制覇はなったのだ。今回は、立ち去るが次に見えるまでに良く言葉の意味を考えるが良い。」
 ミシェイルはそう言うと、解放軍の隊列中に見えた一人の女性へと目を向けた。
「レナ……まさか、あなたが解放軍にいようとは思いもしなかった。」
「ミシェイル様。」
 レナは困惑を隠せなかった。まさか、またミシェイルに会うことがあるとは思っていなかったからだ。
「レナ、あなたの兄には敬服している。マチスのためにマケドニアに戻る気はないか。」
 意外な申し出であった。
「兄は……兄上はどうなされたのですか。」
「マチスは予の右腕として、此度の戦いでは全軍を指揮していた。彼の者の働き無しに、レフカンディの防衛と緑条城の奪回を同時に行うことは不可能であっただろう。」
「そんな……兄上が……なぜ……。」
 レナはさらに混乱していた。あの優しかった兄がなぜ軍を率いるなどと……。
「レナさん。」
 そんなレナを支えるようにジュリアンが声を掛けた。
「……申し訳ありませんが、すでにマケドニアに私の居場所はありません。解放軍が私のいるべき場所です。」
「そうか……。気が変わればいつでも頼るが良い。マチスであれば、しばらくは緑条城にいるであろうからな。……では。」
 と、言うとミシェイルは飛び立った。上空で、飛竜の群れが隊列を組みなおす、そして竜騎士団は西の方角へと飛び去っていった。
 解放軍の兵士達は皆、飛び去った竜騎士団に安堵し、中には座り込んでしまう者までもいた。
 しかし、マルスとハーディンの心中は深刻であった。ミシェイルに告げられたことの真偽がわからない。
「ハーディン公、緑条城は……。」
「わからん。ともかく様子を見ないことにはどうにもならん。」
 さすがのハーディンも首を振るばかりであった。もとより、状況を確認する術が無いのだ。
「ともかく、私の部下を斥候に出そう。ここはもう南の砦まで歩いても丸二日程度の場所だ。南の砦だけであれば程なく状況は判明するであろう。」
 マルスは無言で頷く。斥候にはザガロとビラクが選ばれ、早速出発した。
「それにしても、もう一つ気になることがあります。」
 再びマルスはハーディンに向き直った。
「どうしたのだ?マルス殿。」
「竜騎士団の飛び去った方角です。西の方角ではありませんでしたか。」
「……西……。タリスか!」
 さすがのハーディンも思い当たり、驚愕する。
「まずい。今のタリスには軍隊などいない。とても守りきれるものではないぞ。」
「王子さん……。」
 その会話に割り込んだのは、タリスと聞いていても立ってもいられなくなったオグマであった。
「オグマ。」
「タリスが危ないんだろ。すまないが、俺をタリスに向かわせてくれないか。」
「オグマ殿、今から歩いてタリスへ向かったところで到底間に合わないと思うが。」
 と、ハーディンは言ったが、マルスはあえて聞こうとしなかった。
「わかった。オグマはタリスへ戻ってくれ。」
「マルス殿?」
 オグマはただ一人頷いた。
「すまぬ。」
 そしてマルスには一言詫びた。二人にはそれで十分だったのだ。

「マルス殿、よろしかったのですか。タリスの陥落はもはや免れませんぞ。斥候に出してはおりますが、南の砦もおそらくは敵の手に落ちてるはず。あそこには、あれだけの竜騎士を防ぐだけの兵は置けなかったのですからな。」
 ハーディンは、オグマほどの剣士を手放したのがよほど不満であったのか、明らかに不機嫌な口調であった。
「ハーディン公、申し訳ない。しかし……オグマにも色々と思うところがあるのです。タリスのことはオグマにとっては何よりも重要なことのはず。ここはオグマの好きなように行動させてやりたいのです。」
「そうか。貴公がそこまで言うのであれば、これ以上は何も言わぬが。」
 オグマとマルスはマルスがタリスへ落ち延びてからの付き合いであり、自分には知らない事情もあるのであろう。そう、ハーディンは理解し、あえてそれ以上の事情を問おうとはしなかった。
「ハーディン公、これは勘の域をでないものですが、オグマ殿をタリスへ渡したことは後で大きく影響することになると思うのです。少なくとも、我々と行動を共にするよりは。」
「ふむ。」
 ハーディンは、そう曖昧な返事をすると押し黙ってしまった。

 数刻後、斥候に出ていたザガロとビラクが戻ってきた。その情報は、ハーディンの予想通りのものであった。すでに南の砦は占拠され、相当数の敵兵力が駐留していると見て取れたと言う。その情報を聞き、全軍がどよめきに包まれた。マルスは一度全軍の進行を止めた。
「やっかいですな。」
 ハーディンに言われずとも、事の深刻性はマルスも理解していた。南の砦を占拠されていると言うことは、例えミシェイルの言った事が虚偽であり緑条城が無事だったとしても、近くを行軍する際に襲撃、追撃を受ける可能性が高いということである。戦力差を考えれば、非常に危険な状態である。
 この敵の真っ只中へ孤立していると言う状況に対して、マルスもハーディンも考え込んだが、これと言って良い考えは浮かばなかった。
「マケドニアめ……やけに作戦の手回しが早すぎる……。くっ。こんなことを言っても遅すぎるのはわかっているのだが。」
 他の兵士の手前、常に強気な態度をしていたハーディンが珍しく気弱なことを言った。
「少なくとも、このまま街道を突破することは不可能でしょう。さらに兵を少数にわけるか、緑条城へ向かう別のルートを考えるか。どちらかを取るしかないでしょう。」
 マルスが比較的具体的な案を指し示した。しかし、それはどちらも消極的であり確実性に欠ける。
「いや、どちらも緑条城の状況がわからない限り危険であることには変わりない。もしミシェイルの言うように緑条城が既に陥落していたとしたら、我らに打つ手はない。」
 ハーディンはさらに苦い表情へとなった。
「とにかく、緑条城陥落の真偽を確かめないといけないようですね……。」
「しかし、その手段もない。緑条城まで斥候を出すのは危険すぎるし、一箇所にとどまっているわけにもいかないぞ。ここは分散して緑条城へ向かうのが最善の策だろう。悔しいがな。」
 と、ハーディンは結論付けた。
 しかし、状況はさらに変化した。彼らが物資の分配、兵員の整理などを行っている途中に、緑条城から伝令が入ったのだ。その伝令は、緑条城が陥落したことを伝えた。再び、全体にどよめきが走る。
「何と言うことだ……。ニーナ様は無事であらせられるのか……。」
 伝令から知らせを聞いたハーディンが真っ先に聞いたことがそのことであった。しかし、伝令はわからないと答えるばかりであった。夜明けと共に城下全体を制圧され、城下の敵に対応している隙に城内に敵が侵入し、一気に玉座を制圧されたということであった。伝令は、城下に駐留していた部隊が、敵兵の隙間を縫ってやっとのことで抜け出したと話していた。
「いきなり玉座を制圧……隠し通路を逆手に取られたのでしょうか。」
 そう、マルスが言った。
「わからん。今回のマケドニア軍の動きは想像を絶している。なぜ我々に気づかれることなく緑条城へ接近できた?なぜ玉座の近くまで伸びているような隠し通路を使うことができる?……レフカンディの敗北は……我々の力不足であるが、緑条城の陥落はわけがわからないことが多すぎる。くっ。」
 ハーディンは顔をしかめて右腕の傷を抑えた。
「大丈夫ですか。」
 マルスが尋ねた。
「ああ……しかし、これからどうすべきか。こうなった以上、一度どこかへ身を潜めて再起を図るしかないな。」
「そうですね……。」
 無念な思いがマルスを支配していた。シーダを死なせ、何も得るところなくまた隠れねばならない。しかも、オレルアンを制圧され、タリスも……おそらく制圧されているのであろう。状況は前回と比べてもどうしようもなく悪化している。
 しかし、マルスにはマルス自身にも生き残って果たさねばならない色々な物を背負っていた。アリティア陥落のあの夜、姉のエリスに「生きなさい」と言われて城外へ出されたあの日のことが今でも思い出された。
 どうするべきか、マルスは必死に考えた。
「ジュリアン!」
 思い立ったマルスは、ジュリアンを呼んだ。
「何でしょうか。マルス王子。」
 ジュリアンはいきなり呼ばれて少し緊張していた。ジュリアンの傍に、しっかりとレナが付き添っている。
「ああ、レナも来たのか。ちょっと聞きたいことがあるんだ。このあたりで、ある程度の大人数で隠れることのできるような場所を知らないか?」
「え?」
 ジュリアンは、驚いた。
「隠れる場所って……、もしかして、この人数でですかい?」
「……いや、それは無理だ。さすがに百人近い人数で隠れるには無理がある。新兵などには一度解散させるつもりだ。……さすがに、私やマルス殿がマケドニアに投降するわけにはいかないのでな。」
 とは、ハーディンであった。すると、ジュリアンはいきなり小声になって言った。
「……まあ、事情はわかります。それでしたら、ひとまずサムシアンのアジトへ移動してはどうでしょうか。あそこであれば、ある程度大人数でも大丈夫ですし、運が良ければ保存食が残っているかもしれません。……まあ、食料の方はほとんど期待できませんけどね。」
「サムシアンのアジトか……。いいかもしれないな。あそこなら私達しか場所を知らないし、隠れることにも守ることにも便利だ。」
 納得したのか、マルスはそう答えた。
「サムシアンというと、貴殿らが壊滅させたという山賊団のことか?」
「ええ、私達が山賊を追い払った後は誰も使っていないはずです。」
 マルスは、ハーディンにそう答えると、今度はジュリアンに尋ねた。
「移動は早いほうが良い。編成をしたら、早速出発しようと思うのだけど、良い道を知っているかい?」
「あ、ああ。サムスーフ山の南からまわり込む道があるぜ。こっちなら、オレルアンの砦からもずいぶん離れている。少し道を戻らないといけないけどな。」
「それでは、用意ができ次第出発しよう。ハーディン公、連れてゆく者と解散するものの選定をお願いします。」
 マルスは、そう話を決めると早速行動に移ろうとした。いつもながら、これと決めると行動が早いと、ハーディンは感心していた。となると、後の問題は連れていくメンバーである。
「マルス殿、話はわかりましたが、マルス殿の方では誰を連れていくつもりでおられるのですかな。」
「こちらは、私とマリク、アベル、ゴードン、ドーガ、それにジュリアンくらいです。タリスの義勇兵はタリスへ帰そうと思っています。ジュリアンはそれで良いですね。」
「あ、ああ。まあ、乗りかかった船だし、街に戻っても俺の居場所は無いからな。道案内すると決めた時に、一緒に行くことは覚悟したさ。」
「……レナは……どうしますか?あなたはシスターですし、無理についてくる必要はありませんが……。」
 ジュリアンの承諾を得たマルスは、言い方は随分と違ってはいたがレナに同様のことを聞いた。
「私も連れていって下さい。」
「……レナ……。」
 ためらわず連れていってくれるよう頼んだレナに唖然としたのはジュリアンであった。
「レナさん。何もレナさんがついて来ることはないんだぜ。レナさんには……ほら、兄貴がいるって話じゃないか。別に、無理してついてこなくても……。」
「ジュリアン。私は無理などしていません。それとも、私がついて行くと迷惑ですか。」
「い、いや……。」
 いつにないレナの強い口調にジュリアンも言い返すことができなかった。ハーディンが呆れた顔でつぶやく。
「で、どうするのだ。レナ殿も一緒に連れていくのか?」
「連れていきましょう。」
 マルスは、最初から決めていたのか、レナを連れていくことを瞬時に決定した。
「マルス王子!」
 ジュリアンがまた驚いた。
「ジュリアン、これから緑条城へ戻るとしても決して安全ではないよ。レナもこう言ってることだし、連れていった方が言いと思う。」
「わかりました。」
 さすがにマルスの決定には、ジュリアンもそれ以上の文句を言うことは無かった。
「それほど不安であれば、貴殿がそばにいて守ってあげればよかろう。」
 緑条城にいたことからの二人の様子を知っているハーディンは、半ば茶化しながらそうジュリアンに言った。
「そ、そんな。」
「ハーディン公、その言い方はジュリアンには酷ですよ。……ところで、ハーディン公の方はどれくらいの人を連れていきますか?」
 ジュリアンは、話を戻してくれたマルスに感謝していた。ジュリアンはまだこう言った話は苦手であった。
「あ、ああ。こちらは、ロシェ、ビラク、ウルフ、ザガロの四名だ。私を入れて五人と言うことになる。」
「わかりました。……全部で十一人ですか。少なくなりますが仕方ありません。これで出発しましょう。」
 その後、移動する者、別れる者へ別れ、それぞれの準備を行った。物資は、マルス達の方へ多く割り振られた。
 物資の割り振りについては特に反対する者もいなかった。しかし、人員の割り振りについてはタリスの義勇軍などから反対の声が上がった。だが、タリスに戻ったオグマを助けて欲しいとマルスに頼まれると、断れるはずもなかった。
 オレルアンの新兵達もその場で別れ、解放軍の面々はそれぞれ落ち延びることになった。

 その日、マチスが落ちついたのは昼過ぎであった。オレルアン国王、ルクードを通じての降服の通達、城下の施設の把握、城内の状況把握、降服を受諾しない兵士たちの処遇、それらを一つ一つ確認し、部下たちに指示を出していると、それくらいの時間になってしまったのだ。真夜中から緊張の連続であった為、もともと体力に自信がある方ではないマチスはかなり疲れていた。しかし、マチスには休息を取る前にやっておくことがあった。
「隊長。マリオネス将軍をお連れしましたぜ。」
 クラインがやってくると、相変わらず雑なのか丁寧なのかよくわからない言葉遣いでマチスへ取り次いだ。
「閣下……。長い間、御不自由をおかけしました。」
 クラインの横には長い間捕虜となっていたマリオネスがいた。マチスに取ってみれば緑条城を取り戻した後、真っ先に会いたい人物であったのだが、占領後の諸処理の関係で面会は後回しにせざるを得なかったのだ。
 マリオネスは少し痩せたようであったが、元気なようであった。
「久しぶりだな。マチス……おっと、マチス閣下でしたな。」
「今まで通り、マチスで結構ですよ。マリオネス将軍閣下。」
「いや、それはまずいだろう。上下関係ははっきりしておかないとな。」
 と、マリオネスは大笑した。マリオネスの顔は笑顔に満ち、とても清々としていた。
「……貴殿、まだ陛下に思う所があるのか?」
「気づいていたらしたのですか!?」
 マチスは、マリオネスの言葉に驚いたが、すぐに気づかれても不思議はないことに気がついた。マチスが軍に入った経緯はマチスが軍の中でも特殊な存在になっていくにつれて広まっていき、今では知らない者の方が珍しい。さらに、普段は温厚なマチスがことミシェイルのこととなると我を忘れたような言動を取ることも知られていた。これらの多くは、クラインが漏らした物であったが。
「陛下のことについてはわかりません。未だ、何を考えているのかすら、その真意すらつかめないでいます。察するに、ミネルバ王女にも陛下のお考えはつかめていないようです。」
「ミネルバ様は実直なお方だ。あのお方に陛下のお考えを察することはできないだろう。」
「……閣下には、何かお考えがおありで。」
 マチスがそう聞くと、マリオネスは少し笑った。
「陛下の御心は、私などには到底及びもつかぬ。大賢者ガトー様でもない限り、あのお方の考えを見ることはできないだろう。例えば、ここで戦いに勝ち、この後マケドニアはどうするべきか。マチスは何か考えはあるかね。」
 と、マリオネスはマチスに聞いた。
「……これで敵対勢力は無くなったわけですが、ドルーア帝国がこのままおとなしくしているとは到底思えません。まず、我々に一層の服従を求めてくることでしょう。このことについて陛下はどう、お考えなのか……。」
 マリオネスは黙って頷いた。マチスが続ける。
「カダインのガーネフも黙っているとは思えません。カダインと、ドルーアの対立は常に気にしておかなくてはなりません。せめて、グルニアが味方となってくれれば心強いのですが……。」
 グルニアを味方に。これは、マケドニアでは常に論議されていた所であった。結局のところ、グルニアはドルーア同盟に参加したのだが、マケドニアと共同戦線を張ったことはまだない。もっとも、マケドニアは最初の戦いに参加しなかったため、以降の戦いではどの勢力とも共同戦線を張ることはなかった。
「……まだ、カミユ将軍は復帰なされていないのか?」
「ええ、グルニアの黒騎士団は解体されたままと聞いています。口さがない噂ではあるのですが、グルニアの命運はすでに尽きたと言う者まで現れる始末です。ドルーアの役人がグルニア国内から搾取を繰り返しているとの事なのですが……全くの事実無根というわけではなさそうです。」
「そうか。」
 三ヶ月余りの間、牢に幽閉されていたマリオネスは、話題がグルニアのことに及んだためにカミユのことについて言及した。しかし、マリオネスのいなかった三ヶ月間にもグルニアの情勢は悪化の一途をたどっていった。
「マチス……。」
「はい。何でしょう。」
「色々と思う所もあるだろうが、陛下のことを助けてはくれないだろうか。」
 と、マリオネスは静かに言った。
「貴殿も感じたであろうが、マケドニアには人材がおらんのだ。まともに大軍を把握し、指揮できるだけの人材が。」
「……。」
 マチスは黙って聞いていた。マチスも考えていたことであるのだが、これは大きな懸念事項であった。
「マケドニアの領土も大きくなり、今までの主城からではとても全ての領土を治めるわけにはいきません。……マリオネス閣下には、また辛い役をお願いしなければならないかもしれません。」
「辛い役目とは?」
「タリスの統治です。タリスは辺境の島国ですが、ここで動乱があればオレルアン駐留のマケドニア軍は安心して動くことができなくなります。」
 それを聞いたマリオネスは、小さく笑った。
「なるほどな。確かに今回の騒ぎも我が軍がガルダの港町をしっかりと把握していれば起きないことだったのだから、そなたの言いたいこともわかる。貴殿の頼みであれば、よろこんでタリスに赴こうぞ。」
 と、マリオネスは言った。
 騒ぎで済ますにしては大掛かりだったなと思いつつ、マチスは笑った。きっと、自分はこの人には一生頭が上がらないのであろうとも思った。
 二人の会話はそれで終わり、マチスはしばしの休息を取ることとした。寝所に体を横たえたマチスは、疲労と緊張からの解放のせいかすぐに深い眠りに落ちていったのであった。

 ミシェイルの率いる竜騎士団はタリスを難なく陥落せしめ、その主城に駐留していた。実際にはタリスは守備する軍隊もすでに持ってなく、タリス国王モスティンの意向もあって早々に降服していたのである。戦闘らしい戦闘は全く発生せず、血の一滴も流れることは無かった。
 オグマがマルス達と別れてからタリスへ辿り着くまでは一週間の時を要した。タリスへ辿り着いたオグマは、タリスがすでに占領されていることを知り歯噛みしたが、もはやどうしようもなかった。
 オグマはやや迷ったが、主城へ行くことへした。城下町では、オグマの帰還を知った人々は、ある者は何故もっと早く帰ってこなかったのかとなじったが、ほとんどの者は無事を喜んでくれた。マケドニア軍はそれと知っても特にオグマを捕らえようとはせず、オグマは奇妙な居心地の悪さを感じながらもしばらくは宿屋に逗留し様子を見ようと考えた。すると、数日とすることなくマケドニア軍の使者がやってきたのである。
 モスティンとの面会を許可するので城へ来るようにとのことだった。罠である可能性も無くはなかったが、自分一人を捕らえるためにそのような罠をはる必要も感じなかったオグマは、一人城へ向かった。
 城門ではさすがに剣を預けることを強要されたが、それを受け城内に入るとオグマはあっさりとモスティンの居る部屋に通された。
「オグマか……。」
 モスティンはその部屋の、テーブルの周りに置かれた長椅子に座っていた。オグマは、一礼して跪づいた。
「陛下……おやつれになられましたな。」
 モスティンは、オグマが最後に別れたときから比べてもその精彩を欠くこと甚だしかった。
「お体にはお気をつけなさらないと。ナエリア様にもご心配を掛けますぞ。」
 ナエリアとはモスティンの妻である。モスティンがタリス統一戦争の後、妃に迎えたものだがモスティンと比べると二十歳以上年下である。マケドニアの占領下においてはモスティンと共に一室に軟禁されていた。

「いや、もはや私も先は長くは無い。」
「そんな……気の弱いことをおっしゃらないで下さい。」
「……シーダのことは聞いた。あれ以来、ナエリアもすっかり塞ぎこんでしまってな。」
「……申し訳ありません。私の力が足りないばかりに。」
 オグマは深く頭を下げた。
「よい。シーダのことは戦いの場に出したときから覚悟はしていた。あれにも、日ごろから言い聞かせていたのだが……。」
 モスティンの言葉にオグマは何も言うことはできず、ただ恐縮するばかりであった。
「それよりもオグマ、わざわざ来てもらったことには他にもない。頼みがあるのだ。」
 モスティンは場の暗い雰囲気を払拭したかったのであろう、その話題を変えた。もっとも、こちらがモスティンが話すべき本題であった。
「は、何でございましょう。」
「グルニアの、ロレンスを知っているか。」
「はい、確かタリス統一の戦いのときに、陛下と共に戦われた戦友であると記憶していますが。」
 モスティンはそこで一度言葉を区切った。
「お主に、グルニアへ赴きロレンス将軍を助けてもらいたいのだ。」
 そう言われさすがに、オグマは驚いた。
「陛下。グルニアはドルーア同盟に参画した敵国ですぞ。例え陛下の戦友であるといい、グルニアの歩兵部隊を任される名将であったとしても、それを助けて欲しいとはどのような意図からですか。」
 オグマに反論されたモスティンであったが、その目は真剣であった。モスティンはしっかりとオグマの目を見据えると、言った。
「オグマ、グルニアの将軍はカミユ、ロレンスと名将の誉れが高い。それなのに、ドルーアに降り、聞こえてくるのは悪いうわさばかりだ。ロレンスはこのような状況に甘んじているほど愚かな男ではない。お主にはあの男の力になってもらいたいのじゃ。」
「……陛下がそこまでおっしゃるのでしたら、グルニアへ参りましょう。しかし、グルニアが積極的にドルーアに協力しているようでしたら、私がどのような行動を取るかは保証できません。」
 モスティンの強い口調にただならないものを感じたオグマは、条件付ながらもモスティンの依頼を承諾した。
「それでかまわん。」
 と、モスティンは頷いた。
「グルニアは、このタリスとは大陸の端と端に当たる。向こうの様子はタリスからは窺い知ることは難しい。……頼んだぞ。オグマ。」
 モスティンは立ち上がると、オグマの肩をに手を当てそう念を押した。半ば釈然としないものを感じながらも、オグマはグルニアへ向かうことを決めたのである。
 城門で預けた剣を受け取り、外へ出たオグマは、ふとタリスの城を見上げた。グルニアへ向かえば、しばらくは見ることができなくなるであろうタリスの城を見上げ、オグマはしばし感慨にふけっていた。

 オグマがモスティンの部屋を出ると、ミシェイルがその後にやってきた。
「用件は済みましたかな?」
 ミシェイルはテーブルを挟み、モスティンのはす向かいに座った。
「……あの男が、タリスの時期国王ですか……。」
「元は、ノルダの剣闘士奴隷でしてな。まだシーダが幼かったころにシーダのたっての願いで助けた男です。剛毅で素直な……良い男ですじゃ。」
「国民もあの男であれば納得すると?」
「オグマは長らく義勇軍の長としてこのタリスを守っておりました。あやつは、国民のみなにに慕われております。その点は問題ないでしょう。」
 と、モスティンは語った。
「もともと、私はシーダに跡を継がせるつもりは無かったのですじゃ。シーダは適当に嫁にやって、オグマを次の国王にするつもりでしたのじゃ。」
「なるほどな。確かにいい目をしていた。」
 実際にはミシェイルはオグマを遠目で見ていたに過ぎない。大陸に名を知られる剣闘士として、ミシェイルも名前くらいは聞いたことがあったが、実際に目にしたのは始めてであった。しかし、敵地にあるという状況もあったであろうが、その動きには一部の隙も無かった。モスティンが目をかけているの納得したものである。
「さて、今日は貴殿のおかげで興味深いものを見せてもらった。私は公務があるゆえにこれにて失礼させていただく。」
 ミシェイルはその挨拶にだけ来たのであろう、それだけを言うと立ち去ろうとした。モスティンは黙って頷いた。

 この時、マケドニアのタリス攻略をもって、ドルーア同盟の大陸制圧は終了した。しかし、領土的な統一を見たものの、人々がドルーアに従っているとはとても思えなかった。そして、人々は大陸の歴史は次の大きな揺れに向かって微弱ながらもその力を掛けることとなるのである。しかし、その揺れが来るのはだいぶ先のことであった。
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