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FireEmblemマケドニア興隆記
暗黒戦争編
八章 真意
タリス、オレルアンを占領下に置いたことで、アカネイア王国のサムスーフ領、レフカンディ領、ディール領と併せ、マケドニアの領有区域は実に大陸の半分弱にも及んだ。大陸は余すところ無くドルーア同盟諸国の治める所となったのである。占領下の諸国、特に反ドルーア意識の強いアリティアやアカネイアなどでは、日々人々が不安に慄いていた。
緑条城ではマチスが音頭を取ってオレルアン運営の準備を進めていた。軍務については、そのほとんどをマリオネス将軍へ任せ、マチスはもっぱら政務に力を入れていた。
マチスは以前マケドニア軍が緑条城を占領していた時にも、マリオネスにどのような方法で統治を行えば良いかを相談されていた。その時マリオネスの行った統治は、極単純な占領地政策であった。適当な物資挑発既定を設け、自軍内の不祥事については厳罰を以ってこれにあたる。新たに決め事をしたことはこの程度で、他は城下町の人々に任された。そして、それはおおよそ上手く機能していたのである。
マチスは、これに長期占領統治計画を視野に入れ、根本から見直しを計ろうとしていた。城下の把握から始まりオレルアン領全体の産業の把握、そこから平等な税制の制定と、気の遠くなるような作業についてマチスは一つ一つ指示を出し、資料を作成していた。
そんなある時、マチスは執務の合間を縫って一室に監禁されているニーナを訪れた。
「ご不自由はされておりませんか。」
マチスの物腰はごく静かであった。
「あなたは……マチス将軍ですね。初めてお目にかかります。」
「これは、挨拶が遅れ申し訳ありません。ミシェイル陛下の命によって暫定的にオレルアンの統治を行っております、マチスと申します。お見知り置きを。」
マチスは一礼し、そう答えながらも驚きを覚えていた。ニーナが持つ長く繊細な金髪、憂いがこもってはいるが端整な顔立ち。その美しさは、単に王族であると言うだけでは説明がつかないようにマチスには思えた。
「陛下から、申し付かっております。申し訳ありませんが、ニーナ様はしばらくの間、こちらに留まっていただくことになります。」
「そうですか。どれくらいの期間になるかはわからないのですか?」
「この戦いが始まる前に陛下から伺ったところによれば、少なくとも五年は必要になるだろうと仰っていました。……その意図は諮りかねますが。」
「そうですか……。随分と長いのですね。」
ニーナは別段驚きもせず、ただそう呟くのみであった。それはマチスには、諦めとも、単に茫然自失であるとも見て取れた。
一方のニーナもこの状態には混乱していた。ニーナはマケドニアに捉えられれば真っ先に処刑されるものと考えていたのだ。ドルーアは何回か彼女を処刑しようとし、その度に難を逃してくれた人物がいた。しかし、その人物はもう傍にはいない。ニーナは何故マケドニアが自分を生かしておくのか、その理由を諮りかねていた。マチスが何を聞こうとしているのか、それも予測がつかないでいたのだ。
「ところで、お話は変わるのですが……。」
「はい。何でしょうか。」
「ニーナ様は、アカネイアから逃れて来たとき、グルニアのカミユ将軍に助けられたというお話を伺っておりますが、真偽のほどはいかがなのでしょうか。」
ニーナ姫のアカネイアパレスからの脱出の真相。その詳細を知りたがっていたのはミシェイルだけではなく、マチスも気になっていた点ではある。実際にこの時点でその真相を知っているのはニーナ本人とニーナを直接的に助けたことになっているハーディン、及びその側近数人と少なかった。これが例えばマルスであればハーディンから聞くこともあったであろうが、ドルーア同盟側には真相を知るものは皆無であった。そして、ドルーアの発表したカミユがニーナを助けたと言う報道のみが各国に伝わっているのである。
「そのことについては、私の口から申し上げるわけにはまいりません。」
ニーナの回答は最初から決まっていた。それは、はっきりとした拒絶であったが、マチスにはこれ以上ない肯定と取れた。
マチスがこの真相を知りたい理由は、今後の方針を決めるための参考にしたいと言うところにある。衰えたと言えども未だグルニアの影響力は大きく、カミユの名声も大きい。カミユがニーナを手助けしたとしたら、その意図はどこにあるのか、それがマチスの知りたかったことだった。
「……なるほど。」
と、頷いたマチスをニーナは睨みつけた。
マチスが見たニーナの印象は、マチスとマケドニアの将軍たちが持っていたアカネイア貴族へのそれとは大きく違っていた。少なくとも自分の考えを持ち、周囲に流されないような芯の強さを持っている。ニーナは不安を隠し切れてはいなかったが毅然とした態度を取っている。マチスはそう感じた。
「私からもお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「はい。何でしょうか。」
「マケドニアは何故、私を生かしておくのですか?」
ニーナは、自分が一番気になっていることをマチスに尋ねた。
「そのことについては、私も事情は存じておりません。ただ、陛下の命に従っているのみです。元より、私は無益な処刑を行うつもりはありませんので、この命令は私にとってもありがたいものではあります。しかし、陛下がどのようなお考えをお持ちであるかまでは私にはわかりません。」
と、マチスは言い、一度首を振った。
「陛下が占領地の諸侯を処刑しないのは陛下なりの占領地政策であると私は考えています。一つは人質として、一つは反感を抑える為です。ただ、わからないのは、陛下がマルス王子を殺さぬよう指示されたことです。マルス王子は現在、行方不明になっていて、まだ見つかっていません。正確には、陛下の命によって捜索すら行われていないのです。」
ミシェイルの意図、それは当然マチスにもわからない部分が多いところであった。ミシェイルはマチスにマルスを殺してはならないと指示した。おそらく、マルスは生きているであろう事はマチスにもわかっていた。
「他に、何か聞きたいことなどはありますか。」
と、マチスは言った。ニーナは、一瞬何かを言いかけたが、口にすることは無かった。
「いいえ、特に何もありません。」
と、ニーナは言い切った。
「そうですか、それでは私は失礼いたします。どうもお騒がせいたしました。」
マチスは、一礼して部屋を去ろうとした。そのマチスをニーナが引きとめた。
「待ってください。あなたは、カミユのことだけを聞くために私に面会を申し込んだのですか。」
マチスは、振り返り言う。
「ニーナ様、あなたであればわかるはずです。あなたがカミユとつながっていることの影響力の大きさを。現在、グルニアのカミユ将軍はあなたを助けたとドルーア帝国に疑われ、黒騎士団長の任を解かれています。その為に、グルニアの国軍はドルーア帝国に牛耳られ、ほぼ壊滅状態なのです。」
「そ、そんな……。」
ニーナにとって、グルニアの現状は始めて聞く話であった。明らかにニーナはそのことに衝撃を受けていた。
「幸い、カミユ将軍が消息を断ったという話はまだ聞いていません。……おそらく、ミシェイル陛下はカミユ将軍とグルニアの黒騎士団の力を必要としています。だからこそ、あなたの動向は重要なのですよ。」
マチスはそこまで言い、ニーナが何も言い返さないことを確認すると、そのままニーナの部屋を立ち去った。ニーナは、自分がカミユに与える影響力を過小評価していたことをこの時知った。しかし、捕われの身としては何をするにも不自由であり、ただ自身の心持ちだけはしっかりしておこうと再確認したのみにとどまった。
サムシアンのアジトを隠れ家にしたマルス達であったが、もはや軍としての形態をなすことはできなかった。ひとまず、あちこちに斥候を出し情報と当面の食料などの物資を集めることにした。
オレルアンもタリスも占領下にあるとは思えないほど落ち着いている。情報を集めていたのは主にオレルアン騎士団のウルフやザガロ達であったが、彼らは口々にそう言った。
「アベル。ここにいたのか。」
そこは、隠れ家からそれほど遠くない丘の上だった。木々の陰が比較的薄めになっているところでもある。マルスは散策がてら、外を歩いていて偶然アベルを見つけたのだ。
「殿下……。」
「空でも見ていたのかい?」
「カインと、隊長のことを考えていました……。」
「そうか……。」
そう言うと、マルスは静かにアベルの横に座った。
この敗戦は誰のせいでもないと、隠れ家にやってきたときにマルスは言った。道中、自分のせいで負けたと何かがあると言っていたマルスを見て、それを吹っ切るらせるためにハーディンが言わせたのだ。
しかし、失われた命は大く、吹っ切れるわけも無かった。マルスは連日ハーディンと今後の方針について話し合ってたのだが、これが一向に決まらないことも皆の気を消沈させていた。
「皆……死んでしまったのでしょうか……カインも……。」
「わからない……生きていて欲しいのだけれど……。」
マルスは根拠の無い気休めなどは言わなかった。アリティアの宮廷騎士団も今は三人しかいない。生き残った自分に何ができるのか。カインだけでなく、ドーガも、ゴードンも常に自分に問い掛けていた。皆、毎日、自分の鍛錬は怠らなかったが、見えない将来に対する不安は常につきまとっていた。
マルスとカインはそれからしばらく、会話も無くただ空を見ていた。いや、マルスは別のものを見ていたのかも知れない。
マルスもアベルもしばらくそのままでいたが、どちらからともなく立ち上がると隠れ家へ戻っていった。
ミシェイルがひとまずタリスの管理を部下に任せ、緑条城へ戻って来たのはタリスを占領してから三週間ばかり後のことであった。ミシェイルはマチスと話し合い、タリスの統治をマリオネスに任せることを決定した。
「その代わり、マチスにはオレルアンから大陸北東部全部を治めてもらうぞ。」
などと、ミシェイルは冗談っぽく言っていたが、半ば冗談ではなくオレルアンに様々な施策を行おうとしていたマチスには笑えない話であった。
タリスにはマリオネスと共に数百の兵を送った。マリオネスはそれをタリスの主城とガルダの港町に分けて配置しタリスの統治体制を整えることとなる。
またミシェイルはそれと同時にムラクを、元来オレルアンに駐留していた兵力の三分の一と共に呼び寄せた。オレルアンに集められた兵は、オレルアン各地に分散して配置された。
ムラクがオレルアンへ到着すると、ミシェイルはマチスを連れてマケドニアの主城へと戻ることした。ミシェイルの元に主城から伝令が来ていたのだ。それは、ドルーア帝国からの使者の到来を知らせる伝令であった。
ミシェイルはこのことをあらかじめ予期していた。とは言っても事は単純である。大陸の統一がなれば今後の方針を決定するためにメディウスが同盟諸国の王を招集するであろうことを予測していただけの話だ。この会合に、ミシェイルはマチスを連れて参加しようと考えていたのだ。
主城に戻ったミシェイルは、ミネルバやオーダインへの挨拶もそこそこに、マチスと共にドルーアへと向かった。
ドルーアの主城は山の上にある。普通であればとてもではないが人の手の入りようのない場所に竜人族は城を建て、街を築き、道を切り開いている。それは都と言っても差し支えはない豪華さだ。マケドニアの第三王女であるマリア王女、グルニアのユベロ王子、ユミナ王女はこの街で人質として生活をしている。
ミシェイルは、マケドニアの国王として何度かこの地を訪れたことがあったのだが、何度訪れてもドルーアの城には慣れることができなかった。その城は山の上に作られておりながら採光の為の窓がほとんど存在せず、城内は常に薄暗かった。この地に住まう竜人族達の陰湿な印象とあいまって、訪れる者に底知れぬ威圧感を与えていた。
この時の会合にはドルーア同盟中、全ての勢力の指導者達が一同に会した。グルニアからはカミユを伴ってルイ国王、グラを統治しているジオル将軍、カダインの最高司祭であるガーネフ、そしてマケドニアのミシェイルである。
ドルーア帝国はマケドニアがオレルアンとタリスを制圧したことを知り、諸国へ使いを出していた。その為、他の諸侯は既にドルーアの都に逗留しており、ミシェイルが来るのを待っていたのだ。ミシェイルがドルーアの都に到着したことが知られると、早速諸侯が集められた。
マチスは列席している諸侯の誰とも初対面であった。マチスが特に注視したのはやはりグルニアの将軍であるカミユである。カミユは立派な鎧を身にまとい、ルイの傍らに控えていた。カミユの持つ美しい金髪は薄暗がりの中でも十分に目立っていた。噂にたがわぬ美丈夫。マチスが受けた印象はそのものであった。
次にマチスはガーネフに視線を移した。その色黒でしわくちゃな顔は、不思議と表情が豊かであり、見るものに不気味な印象を与える。
「陛下が参られたようだ。」
ガーネフがメディウスの気配を敏感に感じ取ったのであろう、奥の暗がりへ視線を移した。しかし、その場の誰にもまだその姿は見えていなかった。
やがて、ゆっくりとメディウスがその姿を現した。竜人族の中でも最強といわれる地竜族の長であるのだが、その背は意外と小さい。黒いローブを羽織ってはいるが、頭部までは覆っていなかった。メディウスはその人の物とは明らかに異なる金色に光る目で場を冷たく見つめつつ席についた。
「皆の者、ご苦労であった。これで、我が帝国の復権は果たされた。心より例を言う。」
メディウスの低い声が場に響き渡った。
「それで、これから先はどういたしますのかな。」
ドルーア同盟の会合ではこのようにガーネフが司会らしき役目を勤めることが慣例となっていた。メディウスが少しガーネフを睨んだようにマチスには見えた。
「いかに我が帝国と言えども、今回はいささか消耗した。そこでしばらくは国力の回復をはかることとなろう。卿らも自領の保守に努めるが良い。」
メディウスのその言葉は、列席した諸侯にとっては意外なものであったのだろう。マチスの位置からはミシェイルの表情は見ることができなかったのだが、他の人物はカミユを除いて皆が驚いた表情を見せていたのをマチスは見て取った。中でも一番驚いていたのはガーネフである。ルイとジオルは明らかに安堵の表情を見せていた。
「ジオルには、グラと合わせてアリティアを任せる。」
「はっ。」
「ルイには、今まで通りグルニア全土を任せる。」
「……はい。」
ジオル将軍と、ルイ国王にはありがたい申し出であった。しかし、このグラとグルニアは、今までも自治を認められていたと言ってもドルーアの干渉は激しかった。この言葉は気休め程度の意味しかもたなかった。
「マケドニアには……。」
メディウスがゆっくりと、言い始める。さすがに、マチスも緊張のあまり唾を飲み込んだ。
「……次の土地を任せる。マケドニア本領、オレルアン王国領、タリス王国領、アカネイア王国レフカンディ領、サムスーフ領、ディール領だ。」
メディウスはゆっくりと言った。
「なんですと!」
これに驚き、声をあげたのはガーネフであった。
「ミシェイル如きに、それほどの厚遇を与えると言うのですか。マケドニアにはレフカンディのみ与えておけば良いものを。」
しかし、メディウスがゆっくりと首を振り、ガーネフを睨みつけると、さすがのガーネフもそれ以上のことは言わなかった。
ミシェイルは、我が意を得たりとばかりにかすかな笑みを浮かべている。
「それから、ペラティのことは予が感知するところではない。卿の好きにするが良い。」
とメディウスは追って付け加えた。
「御意」
ペラティは、大陸の南東部に位置する諸島である。大陸からは多少離れた位置にあり、海賊の住処になっていた。さらに、老いた竜人族がこの地域を支配していたため、誰も手出しができなかったのである。ミシェイルは、この領土を自由にしてよいという約束をメディウスからもらったこととなる。
「ドルーア本領、アカネイア中央領、メデニィ領、アドリア領を当面は直轄とする。反論は受けぬぞ。」
とメディウスは言い切った。
「さて、大陸の統一がなったわけだが、ここで我が帝国の絆をより強固なものにするために、卿らにはよりいっそうの忠誠の証を見せてもらわねばならぬ。」
メディウスのその一言で、その場の緊張が倍化した。来るべきものが来たと、その場にいる誰もが思った。
「グルニアは今のままでよかろう。二人の人質と共に相応の富を吐き出してもらっておるからな。」
その一言で、グルニア国王ルイは見るからに安堵の表情を浮かべた。しかし、傍らに控えるカミユの表情は険しいままであった。今のままでよいと言うことは、裏を返せばもう取るべきものは無いということだと、マチスは解釈した。
「さて、マケドニアと、グルニアからはそれぞれ御子息にこちらへ逗留してもらっておるが、ジオル将軍にもシーマ姫を連れてきて頂きたい……。」
瞬間ジオルははっとした。
「……承知した。」
額に脂汗を浮かべながらもジオルはそう言った。
「マケドニアは一番の殊勲者である。さらに、アカネイアの残された姫を捕らえたそうだな。」
「御意。」
「その捕らえた姫、ニーナ姫を引き渡してもらいたい。アカネイアの血筋はわが竜族に仇なす血、滅ぼさねばならぬ。」
その言葉を聞くと、カミユの顔が少し引きつったようにマチスには見えた。しかし、すぐに厳しい顔に戻った。いや、表情を変えたのかどうかすらマチスには判断の難しいところであった。
「仰せのままに。」
と、ミシェイルは言った。マチスからはミシェイルの表情を窺い知ることはできなかったが、ミシェイルが動揺しているようには思えなかった。
「ガーネフには、ファルシオンを持ってきてもらう。依存は無いな。」
「はっ。」
ガーネフもまたメディウスの言葉に従う意思を示した。しかし、ジオルなどは明らかに動揺を表に現している。メディウスは自身に対する最大の脅威であるファルシオンを自らの手元に置こうとしているのだそれは、メディウスの足場固めを示していた。
しかし、ミシェイルやカミユは落ち着いていた。確かに、次々と命令を下すメディウスに対して諸侯は唯々諾々と従っていた。しかし、マチスにはこれらの命令の水面下で目に見えない取引が激しく行われていることを感じていた。
「此度の会合はこれにて終了とする。皆の者ご苦労であった。」
と、メディウスが言い、会合は解散となった。
会議場から延びる道を諸侯は歩いていた。
「マチスよ。お前は、この会議をどのように見た。」
と、ミシェイルは小声でマチスへ尋ねた。
「……あれが会議だったのですか?私には単にメディウスが命令を下しているようにしか見えませんでしたが。」
と、マチスが答えるとミシェイルは小さく笑った。
「この会合はいつもこのようなものだ。メディウスに話し合うつもりなどありはせぬ。……それよりも他に何か感じなかったか。」
マチスは少し考え、答えた。
「私は、この会議の最中、諸侯の目を見ていました……メディウスの視線、ガーネフの視線、カミユ将軍の視線。その中で、一番鋭い視線がメディウスがガーネフに向けたものでした。」
「なるほどな、視線を見ていたか。ならば、彼らの間にあるものも見えたであろう。」
「はい。メディウスはガーネフを抑えることにやっきであるように見えましたが。」
「そうだ。メディウスは、ガーネフの力を恐れている。理由はわからないが、我々が力をつけることを黙って見ていることもそこに由来しているはずだ。でなければ、ここまで我々に領土を預けるはずがないからな。」
ミシェイルの考えはマチスにも納得できるものであった。
「しかし、そのようなメディウスも、なぜかアカネイアにだけは執拗にこだわるのだ。此度のニーナ姫の件でもそうだ。……しかし、ここでニーナ姫を失うわけにはいかぬ。策を用いる必要がありそうだな……。」
ここまで話したところで、ミシェイル達は丁度城門のところへたどり着いた。城外へ出た諸侯はめいめいの帰路へつこうとしていた。
「カミユ殿!!」
城門を出たところで、ミシェイルはカミユに声を掛けた。
「何用か。」
「貴殿と少々話したいことがある。お時間を頂けないか。」
すると、カミユは二言三言ルイと話をしていたが、ミシェイルの方へやってきた。
「陛下に許しを頂いた。時間であれば気にしないで良いそうだ。」
「ありがたい……。」
そこでミシェイルが持ちかけた話は、ニーナの救出作戦であった。マケドニアはニーナをオレルアンの緑条城からアカネイアパレスまで護送しなければならない。マケドニアはその計画をグルニアに知らせるので、途中でニーナを奪取して欲しいとカミユに持ちかけたのだ。
「私も特にニーナ姫には恩義がある身、お申し出はありがたいのだがそれでは貴殿とマケドニアに迷惑がかかることにはならぬか?」
カミユは、少し考えそう答えた。マチスが見るにカミユの様子は普段となんら変わるところが無い。この男が本当にニーナに心を寄せているのか、それともその類まれなる精神力でそれを表に出さないでいるのか……マチスはほぼ後者であろうとあたりをつけていたのだが、確信が持てないでいた。
だが、ニーナを助けるなどと言うことが明らかになれば、マケドニアに良くないことは明らかである。マチスは、どうしてミシェイルがそのような危険を冒してまでニーナを助けようとするのか、その意図がわからなかった。
「我が国のことであれば心配などいらぬ。将来のことを考えれば今はニーナ殿を失うことのほうが問題なのだ。……メディウスとガーネフの目を眩ますことを考えればこれはグルニアにしか頼むことができぬ。」
カミユに頼むミシェイルの態度は懇願に近かった。
「ミシェイル殿、それほど熱心に頼まずともこれは私に取ってもありがたい話であるのだ。喜んで引き受けさせて頂こう。」
と、カミユの方は話のだいたいを聞いた時点で依頼を受けることを決めていたのであろう、マケドニアの事情を確認すると即座にその話を了承した。
こうして、ドルーアの地でミシェイルとカミユの密約は成立したのである。ミシェイルはカミユにニーナの救出後のことも頼むと、その帰路についた。マチスにとっては、ドルーア同盟内部諸侯の関係など、色々と得るところが大きい会合であった。しかし、ミシェイルが何を考えているか。そのことについての不可解さはなお増大したのである。
ドルーアでの会合の後、ミシェイルは戦勝の報告会を行うと称し、任地以外にいる緒将を主城内の玉座の間へ集めた。とは言っても、マケドニアの将軍は多くが占領地へ赴任しており、開戦時と比べると人数も少ない。将軍格以上で集められたのはマチスの他にはミネルバ、オーダイン、リュッケ、ルーメル、ジェーコフとその幕僚である。ミネルバにはパオラとカチュアが付き従っていた。
「全員集まっているようだな。」
ミシェイルが現れ、玉座についた。いつものようにレンデルがそれに付き従っている。諸将はみなひざまずいた。ミシェイルは、軽く手を上げみなの顔を上げさせた。
「皆の者、ご苦労だった。この戦いにもひとまずの決着がついた。礼を言う。」
ミシェイルの言葉にみなめいめいに頷いた。
「こたびの戦い、皆も知ってのことと思うが勝利の要因についてはマチスに負うところが大きかった。オレルアン、タリスの制圧が速やかになったのもマチスの策を採用したからである。」
ミシェイルはそういったが、王都にいる将軍で何が起こっていたか正確に知っていた将軍はミネルバだけであった。オーダインは、会議でその方向性を知っただけだったし、リュッケやルーメルにいたっては何も知らされていなかった。
オーダインなどはまだマチスの実力について半信半疑であった。だが、ミシェイルがこの場を設けた意味は察していた。
「マチス。」
と、ミシェイルはマチスを呼んだ。マチスはミシェイルの前に進み出る。
「予は、今まで卿を仮に大将軍の地位に就けていたが、これを正式なものとする。マチスには大将軍の地位が仮であった時と同様に、マリオネス、ムラク、ハーマインの各将軍を統括するように。」
「御意。」
「また、これに伴ってオレルアン、タリス、アカネイア領サムスーフ、同じくレフカンディへ軍政を敷き、統治するように。それに伴って、所領は伴わないがマチスの侯爵の位を復活させる。」
「……御意。」
マチスは二度答え、深く頭を下げた。
領土は返すわけにはいかないが侯爵としての位は返す。この時、マチスは初めてミシェイルがマチスの所領を奪ったか、その理由に思い至った。貴族の所領が無くなればそれだけ直轄領が増え、王国としての収入が上がる。マチスの治めていた領地は安定しており、収入も大きかった。
「マチス。卿が指揮した騎馬隊はそのまま卿が指揮し、赤騎士団と名乗るが良い。そして、卿自身は赤騎士を名乗るのだ。」
と、これにはさすがにその場全体がざわついた。マケドニアの赤騎士と言えば昔からミネルバで通っている。
これは、白騎士団を駆りながらそれを戦場で活躍させることができないミネルバへの痛烈な批判だ。そう、マチスは受け取った。
「……御意。」
マチスはただそう繰り返すだけであった。
その後、ミシェイルはマリオネス、ムラク、ハーマインについてもマチスほど極端ではなかったが、褒賞を与えた。もっとも、何れもこの場にはいないので仮にマチスが受け取る形となった。マチスがオレルアンに帰り次第、分配されることになる。
その集まりで褒賞が与えられたのはその四人のみであった。与えられた褒賞は、マチスへの過剰な褒賞以外は妥当なものである。しかし、マチスに与えられた物へは誰もが納得しきっていなかった。ミネルバ以外の者は、その勢力に、ミネルバはその名前に。
ミネルバなどは、自分がもはやマケドニアにいらない存在であるのだとすら考えていた。カチュアの言葉によればマチスは非常に切れる人物であるらしいことは知っていた。そして、ミネルバは兄が自分よりもマチスを当てにしていることが明らかになったと確信したのだ。
「さて、戦勝の祝いに今宵は宴を催そうと思う。皆の者は夕刻になったら城内一階の広間に集まるが良い。」
場は重たい空気となっていたが、ミシェイルは気にせずそう言うと謁見を終了した。
夕刻、ミシェイルの言葉通り城内では宴会が開かれた。宴会はそれなりに賑やかなものであった。特に、マチスの大将軍就任が知られると、場は大いに盛り上がった。マチスは一晩中、会話に踊りに誘われることひっきりなしとなり、宴も下火になるころにはすっかり疲れはてていた。
「マチス、話がある。ついて来い。」
来客の半数以上が帰宅した会場の椅子に座り込み、しばし休んでいたマチスであったが、ミシェイルに呼ばれ腰を上げた。行き先は城のバルコニーであった。ミシェイルとマチスの他には誰もいなかった。
「マチス……卿にはこれからのマケドニアが見えているか。」
マチスはしばし考えた。マケドニアのこれから。ドルーア帝国がある限り、平坦な道ではないということはわかっていた。
「どうした?マチス。マケドニアはこれからどうすべきか、それが聞きたいのだ。」
ミシェイルは、自分の質問をマチスが理解できなかったのではと考え、質問の仕方を変えてきた。マチスはやや笑った。
「わかりません。しかし、ドルーア帝国がいつグルニアやグラに対しているような搾取をこのマケドニアに要求してくるかわかりません。ドルーアとどのように外交を行っていくかでマケドニアの命運をわけることとなるでしょう。」
「ドルーアと外交をすることなどできぬ。」
と、ミシェイルは即座に言い切った。
「ドルーアの国王、メディウスは確かな戦略眼を持っている。我らにこれだけの領土が与えられていることがガーネフへの牽制であることはわかっておろう。それでいて、まだ自ら直接対決は避けようとしている。」
「……メディウスとガーネフの間に確執があることはわかります。」
ミシェイルは、バルコニーから外の方を向くと言った。
「我がマケドニアは、ドルーアを討つ。」
静かな一言にマチスは力を感じた。
「陛下がお覚悟をされているのでしたら問題はないでしょう……ニーナ姫へ少なくとも五年とおっしゃったのはこのことに拠るものでしたか……。」
マチスは即座に以前聞いた五年と言う期間のことを思い出し、そして理解した。その五年と言う期間が、マケドニアの国力を貯めるために必要だと言うことも。
「マルス殿を殺すなとおっしゃったのも、ニーナ姫を助けることも、全てはこのためだったのですね。」
「ふ。……さすがはマチス。察しが良いな。」
と、ミシェイルは振り向き答えた。
マルスはアンリの子孫であり、ファルシオンを使える唯一の生き残りである。メディウスの天敵でもあり、マルスの力はメディウスと相対するには必要不可欠だ。また、ニーナはドルーアと戦うときにその求心力となる。どちらも、ドルーアに対するには得がたい人材である。
「我がマケドニアは、今はオレルアンとも敵対しているが、できればハーディンをも味方としたい。」
マチスは黙って頷いた。
「マチスよ、まだ予を恨んでいるか?」
マチスは静かに首を振った。
「陛下が我が領を没収したことは直轄領からの増収を見込んでのことだったのでしょう。……レナのことは……他の貴族を動揺させないための理由でしかないと見えましたが。」
さすがのミシェイルもこの回答には驚いていた。
「……そこまで、理解していたか。ならば、話は早い。」
と、ミシェイルは切り出した。
「予の得た広大な領土を統治するためには、有能なる執政官が必要だ。そして、ドルーアに対そうとする時には有能な軍師と、有能な将軍が必要だ。マチス、マケドニアと大陸のため、その力を予に貸してはもらえないか。」
「……御意。」
マチスは少し考えてから、そう答えた。レナのこと、エリエスのことが頭をかすめたが全てを自らが望む方向へ進ませるため、マチスはこの回答を選んだ。
「……忠義、礼を言わせてもらう。ドルーアのことは内密である。必要最小限の人間にしか明かしてはならぬ。」
「はっ。」
メディウスはともかく、ガーネフは魔法に長けている。どこから、会話を聞かれているかわからない。本来であれば、この会話も聞かれているかもしれない。魔法に対しては、用心しても仕方が無い部分は確かに存在したのだが、用心すべきところは行動を鈍らせない程度に用心しなければならなかった。
「マチス、卿に面白い話がある。卿の妹のレナであったがな、反乱軍に参加していた。」
「……本当ですか!」
ミシェイルがこのような時に、こんなことで嘘を言うはずが無かったのだが、唐突な知らせであったためマチスは心底驚いた。
「……しかし、何故また反乱軍などに……。」
「理由はわからんが、無事なようであった。生きてさえいれば再会できることもあるであろう。」
「あ、ありがとうございます。」
と、マチスはミシェイルに首を下げた。
「……礼を言われるようなことではない。レナに会えたのはほんの偶然であったのだからな。……明日からまた忙しくなる。ゆっくり休むが良い。」
「はっ。」
そう言うと、マチスは下がった。
この日を境に、マケドニアは新しい体制に移行した。マチスの名前は、いまだ知れ渡っていなかったが、オレルアンでの統治によって徐々に頭角を現していくこととなる。
マチスが緑条城に戻ると、ニーナをアカネイアパレスへ護送する手配が取られた。しかし、オレルアン南部の深い森の中で護送中の一行は何者かに襲われ、ニーナは行方不明となってしまったのである。グルニアのカミユはこの時、グルニアの主城内におり、調査しても関連性は発見できなかった。
マケドニアはこの責任を問われ、その対価として毎年千人の労働力を提供することとなった。マケドニアにとっては人民を生贄に出させることと同等の厳しい賦役であったが、国内での優遇措置を設けてこれを実行することにした。
ファルシオンを渡すこととなっていたガーネフは、何かと理由をつけてはそれを拒んでおり、戦勝時にメディウスが命令を出した中で実際に行われたことは、ジオル将軍の娘であるシーマがドルーアの王都へ人質となったことだけであった。
レフカンディの戦いからだいぶ日にちも過ぎ、すっかり寒さも厳しくなったある日、グルニアの城を訪れる者がいた。
「タリスのオグマと言う。タリス国王モスティン陛下の使いとして来た。ロレンス将軍はおられるか。」
タリスからやってきたオグマであった。いつものぶっきらぼうな調子で門番にそう尋ねた。門番が言うには、部屋を教えるから勝手に入ってかまわないとのことだった。その不用心さに驚きながらもオグマは教えられた部屋へ向かった。
「……誰じゃ。」
瞑想しでもしていたのであろうか。部屋に入ると一人の白髪混じりの男がオグマを振り返りもせずにそう言った。
「ロレンス閣下。タリス王モスティン陛下の使いで来たオグマと言う。」
「そうか、モスティンからの手紙に書いてあったことを覚えておる。腕の良い剣士がいるとな。」
と、いうとロレンスはゆっくり振り返った。モスティンの友人と言うだけ会って、すでにかなりの年齢である。しかし、武人らしく良い恰幅をしており、あごからもみ上げまでびっしりと揃った髭がその格好に更なる威厳を加えていた。
オグマはロレンス将軍を値踏みするように見た。
「俺は、モスティン陛下にあんたを助けるように言われてきた。しかし、俺は素直に言うとおりにするつもりはない。」
「ほう。それでは、どうするというのだ。」
「あんたに聞きたいことがある。」
と、オグマはロレンスを睨んだ。
「ここに来るまでの間、グルニアの領土を歩いてきた。農民は皆飢え、疲れていてまともに働くこともできないように見えた。軍人の姿は皆無だ。」
「……ドルーアの役人にみな挑発されておるのだ。食料、物資、民間には何も残るものはない。」
「そこまでされて、何故グルニアは黙っている!何故ドルーアのいいなりになっているのだ!」
と、オグマはいきなり怒鳴った。かなり大きい声だった。にもかかわらず、護衛兵の一人もやってこないのはやはり異常であった。
「……全てはルイ陛下が決定なされたこと。カミユも、私も一度は諌めはしたが、国王は恐れて聞かなかった。カミユは国王の決定されたことであるからとそれ以上は何も言わなかった。私は何度も諌めたのだが聞き入れられなかったのだ。」
「国王の命令だったと?」
「ああ、国王が決定し、カミユが従ったのであれば、私にそれを覆すことはできぬ。」
ロレンスは苦笑した。
「そんな状態で、私一人が抗ったところでどうにもならなかった。ユベロ王子とユミナ王女は人質になり、黒騎士団は解散させられ、グルニアに昔日の面影は無い。……もっとも、カミユも私もまだあきらめてはおらんがな。先日も、カミユは一人で何かをやっていたようであった。」
と、ロレンスは言った。
グルニアの没落は国王の弱気が原因であることはオグマも理解した。大陸きっての名将と言われる存在を抱えていながら、ドルーアに全く抗うことなく併合にも近い状態となってしまっている。
グルニアの将軍が国王の気弱な選択を許したというのはわからないでもない。実際、オグマもモスティンには頭が上がらない。もっとも、本当に頭があがらない相手はシーダだったのだが。また、グルニアの将軍達が、ドルーアと戦うことを躊躇したということもあるのだろう。カミユなどは、グルニアの兵力でドルーアに勝つことは難しいと考えていただろうから。
「わかった。」
と、オグマはゆっくりとロレンスに近づいた。
「俺は何をすれば良い。」
「手を貸してくれるのか?」
「ああ、陛下の頼みだしな。」
オグマは頷いた。
「……ドルーアの都にいる……殿下と、王女を守ってやって下さらんか。」
ロレンスはゆっくりと言った。
「王子と、王女?」
「ルイ国王には、双子の御子がおる。王子のユベロ殿下と、王女のユミナ様だ。ルイ国王の御子はその二方だけだ。……お二方に何かがあれば、グルニアは滅びる。」
(グルニアに来たと思ったら、今度はドルーアか。やっかいなことだ。)
と、オグマはかすかに笑った。
「……わかった。俺にも、軍を指揮しろだの訓練を見てまわれなどということは性に合わないことだが、そういうことならば任せてもらおう。」
「お願いする。」
ロレンスは、オグマの無礼な物言いを咎めることも無く、深々と頭を下げた。
オグマはドルーアに行く前にとグルニアの城下町を見てまわることにした。そこはやけに静かで、埃が積もっており、店はほとんどが閉まっていた。たまに通行人がいると、よそ者は早く出て行けといわんばかりの目で見られた。オグマは、支配されると言うことはこういうことなのかと思っていた。結局、ろくに休息を取る場所も無いような城下町にいても仕方なく、オグマはその日のうちにドルーアへ向かって出発したのである。その後、オグマの消息はグルニアからも、タリスからも不明となる。
この時代、大陸に暮らす民衆から見れば、ドルーアに支配された明日もしれぬ時代であった。しかし、大陸がドルーア同盟に統べられたことで、一時的には大きな戦いのない時代となる。ドルーアの干渉の激しいアリティアや中央アカネイアなど、民の苦難は続いていた。だが、マケドニアの占領地には不気味さを伴ってはいたが平穏が訪れることとなった。