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FireEmblemマケドニア興隆記
 幕間編
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九章 苦悩

 マケドニアの国民は、ミシェイル国王の勝利の宣言と、マチスの功績に対する大将軍正式就任の知らせを聞き、戦いの終わりを実感していた。ドルーア帝国と共存することはできないという声も一部では聞かれたが、より大きい歓声の中に埋もれ耳を貸すものは少なかった。戦いが終わり、平穏が戻ったのだと、多くの国民は喝采を叫んでいた。
 マチスが大将軍に就任したことに対しては表面的には大きな動揺は無かった。マケドニア国民はみな、ミシェイルに次ぐという英雄の登場を快く迎え入れた。
 しかし、一部では反感の声もないわけではなかった。それは、主に白騎士団内部での声である。ミシェイルが、マチスに大将軍の地位を与えたのと共に赤将軍の称号を与えたことに対する反発であった。
 これまで、赤将軍と言えばミネルバのことを指した。マケドニアの赤い竜騎士と呼ばれ、その名声は遠く大陸中に知れ渡っていたはずであるのに、なにゆえミシェイルはマチスに赤将軍の呼称を与えたのか。白騎士団の者はその決定に、困惑や怒りなどを覚え、部隊内部の統制がとりずらく雑然としてしまっていた。中にはあからさまに激昂し、パオラやカチュアに咎められる者もいた。
 戦勝式典の後、マチスはミシェイルとの二日間の会談の後、任地である緑条城へと戻って行った。マチスは軍に対する統制、再編成を、ミシェイルは国政に対する問題点解決をそれぞれ行うこととなっていた。ミシェイルは今まで空と陸の軍事をも自分で行っていたが、陸の軍事を任せることができるぶん国政に力を入れることができると、その側近にマチスを見出したことによる喜びの端をこぼしていた。
 ミシェイルには白騎士団が今回の人事に動揺することは当然予測できていたし、これに対する対策もすでに考えてあった。会談の最中、ミシェイルはマチスにもこのことを打診し、了解を取り付けた。
 それは、ペラティの攻略を白騎士団メインに置き、白騎士団に任せるということであった。白騎士団を中央から離すことでひとまずの国内の動揺を押さえ、白騎士団にしかるべき功績を上げさせることで内部の動揺を押さえるのが狙いである。
 もっとも、この狙いは実際には副次的な物で、本来の狙いは実戦経験の少ない白騎士団に実戦経験を積ませることにあった。ペラティ諸島に巣食っているのは所詮海賊であり、しっかりと訓練された軍隊であれば実戦経験が無くても圧倒できるだろうという考えがミシェイルにはあった。
 ミシェイルは元より、マチスが大将軍に就任した時点で赤将軍の称号も与えるつもりでいた。それで、白騎士団が内部から瓦解するようであればそれはミネルバの力量が足りないだけだ。ミシェイルはそう割り切っていたし、ミネルバであれば白騎士団を上手くまとめることができるはずだとも考えてもいた。
 この考えにマチスは、今、戦争が終わったばかりの時期に国内の軍部が動揺するのはまずいという意見を出した。このための対策案として出されたのがこの案である。
 ミシェイル自身は、ペラティの攻略ではディール要塞に駐留するジェーコフ将軍の部隊を主力に、白騎士団を補助に使い、行うつもりでいた。この場合、戦いの総指揮はジェーコフ将軍となる予定であった。これを、ミネルバ王女を総大将とし、白騎士団メインで出撃するよう方針の変更を行った。ジェーコフ将軍の部隊は地上から援護し、各拠点の制圧を行うという予定であった。
 もうひとつ、白騎士団には行ってもらわなくてはならない役目があった。マケドニア本城、オレルアンの緑条城、中程に位置するレフカンディの要害、タリス王領。一気に広がりすぎたとさえ言えるマケドニア領土を結ぶ伝令役である。

 戦勝の宴から一週間ほど経ち、徐々に国内が落ち着いてきていたその日の朝の謁見で、ミシェイルはペラティ攻略についての概要を諸官諸将へと知らせた。同時に、ミネルバが謁見の間へ呼ばれた。ミネルバは、高官たちが居並ぶ謁見の間を玉座の前まで歩き、ひざまずいた。
「ミネルバ、ただいま参りました。」
 ミシェイルは、ミネルバを凝視したままかすかに頷いた。
「ミネルバよ、そなたに命を与える。白騎士団を率いて、ワーレンの南東に浮かぶペラティ諸島を制圧せよ。そなたに総指揮を委ね、ディール要塞に駐留中のジェーコフ将軍の部隊をその配下につける。この準備期間として一月を与える。必要な物があれば別途上奏するように。」
「……はっ。承りました。」
 ミネルバは一瞬驚いたようすを見せたが、すぐにそう返事をした。
「もう一つ、白騎士団にはやってもらいたいことがある。」
「どのようなことで御座いましょうか。」
「知っての通り、我らが王国は東はタリスにまで広がりその大きさは大陸の三分の一強まで広がっている。この広大な領土の運営を円滑に行うためには素早く確実な情報伝達が必要不可欠だ。そこで、各地にペガサスナイトの伝令を配置したい。」
「存じました。確かに各地が密接に連絡を取り合うことは重要です。それで、どちらへ派遣すればよろしいですか。」
 と、ミネルバは頷き、そう言った。
「配置したい場所はマチスと話し合ってすでに決めてある。タリス王城、オレルアンの緑条城、レフカンディの要塞、それにディール要塞だ。各地には白騎士団の伝令隊を受け入れるように既に通達している。人選は一任するが、各地に最低でも三人は派遣して欲しい。」
「わかりました。それでは、各地に四、五名を派遣するように致しましょう。」
「……ペラティの件とあわせ、よろしく頼む。」
 ミシェイルのその言葉で、簡単に謁見は終わった。ミネルバは与えられた職務を遂行すべく自分の執務室へ戻っていった。ミシェイルはミネルバが命令を素直に受けてくれたことを内心でほっとしていた。そしてミネルバがまだ、正常な判断力を持っていることも確信したのである。
 ミネルバ自身にとってもミシェイルのこの命令については逆らう要素が無いものであった。ペラティは海賊の島々であり、ワーレン近辺の村落などがそれらの海賊に被害を受けていたことはミネルバも知っていたのだ。彼女は人民に被害が及ぶようなケースであればたとえ相手が人であっても情けをかける必要を感じなかった。
 もう一つの依頼についても至極当然の理由である。今までも白騎士団は本城から各方面への伝令として数え切れないほど天空を駆けていた。それが、制圧、占領状態から統治すべき段階へ移行し、連絡を密にする手段として制度化する必要が出てきたということであろう。
 ミネルバは、執務室へ戻ると早速それぞれの役割に対する人選に入った。ペラティ攻略の陣頭指揮は当然ミネルバが行うのだが、細かいところまで一人でやるわけにはいかない。ミネルバは、まずペラティ攻略戦について物資の手配を行う役割を側近である三姉妹の長女、パオラに任せることにした。
 また、各地に伝令をおくことについては三姉妹の次女、カチュアに一任した。そして、カチュアにはその中心的役割として、オレルアンに駐留することが求められた。三姉妹は、今まで常にミネルバの側にあって彼女を補佐していたのだが、現在のように領土が広がり、白騎士団の機動性が重要視されつつある時にそばに留め置き続けることもできなかった。
 三女のエストは年のころはマルスと同程度。末娘らしい、無邪気で明るい性格である。ペガサスナイトとしての技量はどうにか一人前と言ったところだが、同年代の騎士と比べれば明らかに抜きん出ていた。姉二人がミネルバの元を離れ、ミネルバに付くのは彼女だけとなったのだが、姉達の分まで仕事をしなくてはならなくなり、姉達の不在を寂しがる暇もなかった。

「おおい、捕れたての魚を持ってきたぞ。」
 隣の漁師が両手で抱えるほどの大きさをしたざるに新鮮な魚を入れて持ってきた時、呼びかけられた男ははるか上空を眺めていた。男は、普通の村人と変わらぬ質素な服装をしていたが、見事な金髪や整った容姿、なによりもそのしぐさが普通の村人などとは違う高貴な身分であることをうかがわせていた。
 彼の名前はジョルジュ、アカネイア王国メニディ公爵家に連なる血筋をもつ貴公子である。
「今日も空ばかり眺めて、また天馬でも見えるかね。」
 そういわれ、ジョルジュはようやく漁師が来たことに気が付き、向き直った。
「……あ、ああ。ここ最近になって急にこれだけの天馬が繰り返し飛んでくればいやでも気になってしまう。」
 と、ジョルジュは中空の一点を指差した。漁師がそれに従って見上げてみれば、彼方の空を旋回している黒い点があった。遠目ではあったが二人ともそれがペガサスナイトであることはわかっていた。ジョルジュはアカネイア王国で弓兵の指揮官だった男だ。漁師共々、目は良い。
 漁師は言う。
「あのあたりも、入り江ばかりの複雑な島ばっかりだ。海賊どもの絶好の住処だよ。」
 ジョルジュは黙って頷いた。
 大陸の情報は、大陸から隔離されているこの島々にも、それほど正確ではないにしろ伝わっていた。ジョルジュも、オレルアンで反ドルーアの軍が蜂起し、そして敗れたくらいのことは把握していた。
 そして、今になってペガサスナイト隊が頻繁にやってくるその理由は、マケドニア軍が大陸沿岸に害をなすこの島々の海賊達を根こそぎ討伐するつもりなのだろうとの予測もつけていた。
「ところで……あの山の方には何があるのだ?」
 ジョルジュは一転、付近の島々の中でも最も大きく、最も高い山を持つ島の方を示した。日中、見上げると、そちらのほうへペガサスナイトが飛んでいることが良くある。山の中腹などに海賊たちの拠点などあるはずもなく、ジョルジュは不思議に思っていた。
 しかし、それを見た漁師は、険しく眉をしかめた。
「あそこは近寄っちゃいけねぇ。山の主が住んでるに。」
「主?」
 ジョルジュは、思わずそう聞き返していた。ジョルジュは、辺境にありがちな高山などの精霊信仰の類だと考えたものの、次の言葉を聴いて言葉を失った。
「あそこには、でっけえ竜がいるだ。実際に、見たことあると言ってるのも一人や二人でないだよ。大人しいもんだで、人が襲われたとかいう話は聞かんのだども、ここらへんの賢いもんはあそこには近寄らんで。」
「竜!……なんということだ。こんなところにマムクートがいるとは。」
「あん?どうしただか?」
 ジョルジュはアカネイアパレスの攻防の時、縦横無尽に暴れまわり、破壊の限りを尽くした竜の姿を覚えていた。いや、忘れようとしても忘れられずにいた。
 だが、漁師から聞く限りでは、ここの竜は住人に危害を与えるようなことはないと言う。漁師が本当のことを言っているということは明らかで、竜が本気で暴れまわればこのような平穏な景色など存在しようがないのだ。
 しかし、大陸で勢力をなす国家の一軍がこの島々へ押し寄せてくればどうなるかはわからない。
(マケドニアは、それを承知でここへ攻め込むと言うのか……。)
 ジョルジュは、竜が住むといわれたその山をじっと見つめていた。
「あり、なんかまずいこと言っただかな。まぁ、どだいわしらがどうこうできるもんでもねぇ、あまり深く考えねぇことだ。ほれ、魚を置いてくだで、またいい鳥が入ったらたのむわ。」
 ジョルジュが考え込んでしまったのを見て取ると、漁師はそう言うだけ言って魚の入ったざるを置くと帰っていった。
(マケドニア軍がここへ来るようなら……少なくとも様子を見に行った方が良いだろう。……弓の手入れをしておかねばな。)
 ジョルジュは彼の住む小屋へ戻ろうとして、はじめて漁師がどこかへ行ってしまっていることに気がついた。ジョルジュは漁師が置いていった魚を手に取ると、ひとしきり自分自身へ苦笑していた。

 一月が過ぎ、一軍はペラティへの進軍のためディール要塞へと集結していた。すでに白騎士団の先発隊は繰り返しペラティ諸島へ偵察を行っている。必要な物資の蓄積もすでに完了しており、あとは号令と共に攻め込むだけである。
「……では、依存は御座りませんな。」
 ジェーコフ将軍の野太い声が軍議の間に響いた。
「そなたの案で問題はなかろう。海賊と言えども弓を持つものもいるはずだ。ペガサスナイトが固まって動くべきではない。」
 こちらは、ミネルバの声である。
「して、出発は。」
「明朝がよかろう。各自に準備の通達を。」
「心得ました。」
 それは、準備が整った場で、出撃前に行われる最後の軍議の場であった。軍議にはミネルバ、ジェーコフ両将軍の幕僚仕官たちも参加はしているが、方針がほぼ決定した後の話し合いでは彼らに出番はなかった。軍議はほぼ両将軍のみで進められ、明朝をもって出撃するとの決定が下された。
 主力はペガサスナイトということであったが、実質はジェーコフの部隊が主力となるも同然であった。もとより、ペガサスナイトは弓矢に極端に弱いため、集団戦には向かないのだ。よって、ジェーコフの部隊が海賊をおびき寄せ、乱戦に持ち込んだところを上空から遊撃的に各個が援護する形を取ることとなった。
 しかし、海賊はともかく、ペラティには竜がいるとの情報があった。しかも、ほぼ確かな情報らしい。この竜の扱いについては、ジェーコフは関与しないとの立場を取った。これに限って言えば、ミネルバに一任するとしたのだ。
 これにはミネルバも扱いを決めかねていた。竜が関わってくるとすれば、一軍単位であっても大事であることはミネルバは認識していた。しかし、斥候からの報告によれば、竜が周囲の民家へ悪影響を及ぼしていることはないという。竜が人と共存しているということがミネルバには信じられないことであった。逆に言うと、それだけ人の間に竜に対する恐怖感や不信感が強くあることでもある。
 もっとも、ミネルバには信じられないことであったのだが、ジェーコフは竜が民衆に危害を加えるようなことが無いのであればそのまま放って置いたほうが良いと考えていた。ミネルバがそういうわけにもいかないと反論した為に、竜の扱いがミネルバに任されることになった経緯もある。
 ミネルバは竜への方針をまず会うこととした。それからは、竜の出方次第だと考えた。しかし、作戦の目的は海賊を掃討することと同時にペラティ諸島そのものに対しマケドニアの領有を認めさせることもある。海賊討伐から先はそうそうすんなり行くとはミネルバも思ってなかった。

 半月の間、短いながらもしっかりと海上での戦闘訓練を積んだジェーコフの歩兵部隊は、明朝の早い時間にはすでに船団に乗り込みディールの港を出港した。目標とするペラティ諸島へはほぼ一昼夜の行程である。
 翌日、昼。船団はペラティ諸島へ近づき、早くも海賊達の船団を発見した。海賊達は彼らの本拠地の手前でしっかりとした陣形を持って布陣しており、マケドニア船団の情報をいち早く掴んで仲間達を集めたものと推測された。
 マケドニアの船団は、海賊達の船団を目前にし、一度帆を降ろした。
「ジェーコフ将軍、我々は上へ上がります。後のことよろしくお願いいたします。」
「心得ました。」
 ミネルバが、自身の飛竜を鞭打つと、飛竜は独特な低い声でいなないた。その声を合図にしてそれぞれの船の甲板からペガサスナイト達は一斉に羽ばたき、上空へと舞い上がった。最後に、ミネルバ、パオラ、エストはゆっくりと上昇していった。
 ジェーコフもミネルバも戦いを前にしては落ち着いていた。馴れない海戦ではあったが、海賊達がそこへつけこんで一戦を挑んでくるであろうことはミネルバもジェーコフも予想していたことであった。逆に、ある程度情報を出し、海賊達にマケドニアが攻めてくることを知らしめてもいた。これは、海賊達を一箇所に集め根こそぎ討伐するためでる。ジェーコフなどは敵が固まることを懸念して反対もしたが、ミネルバは頑としてその説を曲げなかった。
 しかし、海賊達の集結した船団を見て、ジェーコフは半ばほくそえんでいた。その船団はジェーコフが用意した船団の半数程度だったからだ。この時点でジェーコフは勝利を確信していた。
「敵は少数だ!全員戦闘準備!一斉に突撃する!」
 ジェーコフの乗る船が帆を上げると、他の船も一斉にそれに倣い、その速度を増していった。
「始まったか。」
 上空ではミネルバがその様子をじっと眺めていた。上空からであるからこそ、彼我の動きは手にとるように見て取れた。
「……敵船団の様子はどうか。」
「斥候の報告によれば、今のところ甲板上に弓を持つものの姿は無いようです。」
「うむ。油断するな。」
 眼下の状況は刻々と変化していた。海賊達の船団は二つにわかれ、マケドニアの船団を挟撃する考えのようであった。それに対しジェーコフはまっすぐに片方の船団に対して全船団を突撃させていた。
「考えとしては悪くない……だが……。」
 マケドニアの船団は海賊達の船団と比べると操船が巧みではなかったのだ。マケドニア船団の突撃は完全には成功しなかった。船団として行動するうちの左舷の端に位置する数隻のみ海賊達の船団と接触し、そこはたちまち乱戦となったが、残りの船団は通り過ぎてしまっていた。
 通り過ぎたマケドニアの船団は、乱戦となっている部分を切り離すと、大きく迂回し体制を立て直そうとしていた。しかし、乱戦となっている部分には早くも二分された海賊達のうちの片方が全力で襲い掛かり、マケドニア側の劣勢となっていた。
「……攻撃を仕掛ける。目標はあの乱戦となっている部分だ。敵味方を違えることなく味方を援護せよ。」
 と、ミネルバの飛竜は空を滑った。多くのペガサスナイトがそれに従った。
 海戦が不慣れであることを踏まえて、海賊達に翻弄されるであろうことはジェーコフがミネルバに多く注意を促していたところであった。ジェーコフは海賊達がどんな奇抜な動きをしようとも、自軍が混乱しないような指揮を取ると明言していた。
 乱戦部分を即座に切り離し、体制の立て直しを行おうとしたのはそれが理由である。マケドニア船団ではいざというときの指揮は船ごとの船長に任されていたが、全体の指揮はジェーコフの乗艦が取ることになっており全ての船は戦闘体制に入らない限りはジェーコフの船を追うことになっていた。
 これにより、船団を複数に分けるような複雑な戦法を取れなくなる代わり、船団が混乱に陥るような状態を回避しようとしたのだ。海戦に不慣れであり、大規模な海軍を用意するようなこともできないマケドニア軍としては苦肉の策であった。
 この戦術方針はミネルバとも話し合われたことであり、部隊の一部が孤立するようなことがあった場合はミネルバのペガサスナイト隊が駆けつける手はずとなっていた。ミネルバの動きはこの方針に沿ったものである。
 ミネルバ自身もジェーコフのこの動きに対しては納得をしていた。敵が二手に分かれた段階でこちらも二手に分かれようとすればいらない混乱を招く恐れがあったし、船団の端部が敵と接触した際に慌てて転舵しようとしていたら味方の船団は相互に進路を妨害しあって混乱してしまっていたはずだ。
 混戦となっていた箇所は、白騎士団の突撃によってなんとか状況を復帰させていた。ペガサスナイト達は次々に空を滑り、海面ぎりぎりへ降りて滑空した後、真横から敵船に突撃し、一撃当てた後上空へすばやく離脱した。しかし、ペガサスナイトのうちわずかな者は、上空へ離脱しようとして失速し、海面へ落下していた。
(……やはり弓兵が隠れていたか。)
 空を駆ける騎士達に傷を与えうる者は弓矢と魔法以外は考えにくい。それでも、ミネルバは先頭に立って突撃を繰り返した。白騎士団にひるむものはなかった。
 やがて、ジェーコフが立て直した船団が混戦となっていた部分へ突入すると、戦況は一転してマケドニア軍に有利となった。海賊達は確かに船の上でも機敏な動きをしていたが、彼らが得意とする斧は大振りであり、当たれば致命傷だが軽装で軽い槍や剣を武器としているマケドニア兵にはそうそう当たっていなかった。
 二分した敵の船団のもう片方が突入してきたころには、もう一方との戦闘はほぼ終結しており、ジェーコフもミネルバもその時には勝ちを確信していた。
 残りの敵船団への攻撃もジェーコフの部隊と白騎士団にて執拗に行われ、ほぼ掃討が終わった時には夕方近くになっていた。
 戦いが終わった後、ミネルバは配下の白騎士団を上空へ集結させ、点呼を取った。白騎士団の本格的な戦いとして、避けられようのない被害が出ていたが、ミネルバはそれを自身の至らなさであると感じていた。
「……それで、最終的な被害はどれくらいであるのか。」
「はい。海面に堕ちて助け出されたものは十六名中十三名、三名が矢を受け、帰らぬ者となっております。」
「……そうか……。」
 ミネルバにとって、それは初めての被害報告であり、かなうことであれば聞きたくないものであった。聞くことが軍として上に立つものの義務であることを十分わかっているつもりでなおやりきれないものがあったのだ。ミネルバはゆっくりとかぶりを振った。
「戦死者の魂に対し、黙祷を。」
 ミネルバはそうして幾許かの祈りを捧げ、かすかにその声を聞いた周囲のもののみがこれにならった。
 その後、ミネルバは解散の号令を下し、自らはジェーコフの待つ船へと降り立った。
「ひとまずは、大した被害もなく勝つことができました。一安心ですな。」
 開口一番、ジェーコフはそのように言った。ミネルバには大した被害もないといった言い回しが気に障った部分でもあったが、普通の将軍がそのように考えるであろうことはミネルバにも容易に想像がついたので、別段咎めるようなことはしなかった。
「我々は予定通り、翌日、海賊達の本拠地を制圧後、住民へマケドニアへの帰属を呼びかけるつもりでおりますが……。」
「ああ、こちらも予定通りだ。少数であの山にいるという竜と接触してくる。」
 ジェーコフ将軍は半分諦め顔であった。害がないのであれば、好んで刺激する必要は無いと、すでに何度も諌めていた後だった。
「……くれぐれも、お気をつけて。」
 と、形だけでも注意を促すとジェーコフ将軍は船内へと戻っていった。ミネルバは苦笑してそれを見送るのみであった。

 翌日、諸島の中心とよべる大きな島へジェーコフ将軍の部隊は降りたった。住民へ、この諸島をマケドニア王国が領有することを宣言し、認識させることが目的である。
 一方、ミネルバはパオラ、エストのみを伴って山の中腹にある遺跡とも、神殿ともつかない建造物へと向かっていた。竜が相手ということは、パオラ、エストにもあらかじめ伝えられていた。普段は怖いもの知らずのエストもさすがに緊張しているのか極端に無口となってしまっていた。
 高い山の中腹にある建物といっても、ペガサスや飛竜で乗り付けるのであればそれほど時間はかからなかった。飛竜をつなぎとめる場所を探すことに多少時間を取られたものの、三人はジェーコフと別れてからそれほど時間を経ることもなく、建物の入り口にたどり着いた。石で作られたその建物は竜が住んでいると言われてもおかしくはないくらい巨大なものであったが、そこかしこの吹き溜まりには埃がうず高く積まれていた。
「本当に、こんなところに竜なんかいるの?」
 と、軽口を叩くエストをパオラが視線でおしとどめたが、正直パオラも同じ思いであった。
「行くぞ。」
 ミネルバは、それに答えず、建物の中へと入っていった。
 パオラにもそう余裕があるわけではなかったが、ミネルバにも余裕がない事はエストへの対応を見ても感じていた。普段のミネルバであるならば、ああいったエストの言葉を無視したりはしない。
 三人はそれきり言葉を交わさなくなった。石が敷かれた埃っぽい、先に進むにつれやや下っている通路を、三人は黙々と歩き続けた。地下へ向かっていることを感じさせるにも関わらず、その建造物には採光の為の穴が巧妙に設けられており、四方を石で囲まれた通路は歩くには支障のない明るさを備えていた。その三人を追うように一つの影があったが、三人がその影に気がつくことはなかった。
 やがて、三人はそこそこ開けた場所へでた。広間になっているというのだろうか、普通の広間にしてはやけに天井が高かった。石で囲まれた玄室というよりは、山をそのままくりぬいたような感じで、天井を含めるとちょうど半球形をしている。その半球形の空間の中、三人が出てきた通路がつながっているところとちょうど反対側に玉座のように見える椅子があり、そこに座っている者がいることが見て取れた。
 パオラがミネルバを見、ミネルバは一度だけ肯き、率先してその椅子の前へ進み出た。その者は、見た目に年老いているように見え、男女の区別はとてもわかるものではなかった。生きているかどうかすら定かではなかった。
 ミネルバは一礼して、跪くといった相手を最上級に敬う形の礼を取った。パオラがすぐにこれにならい、エストはややあわてて動作を同じくした。
「無断での訪問、失礼いたします。」
 ミネルバの簡潔なそのもの言いにもその者はしばらく動かなかったが、その目にのみ変化があった。わずかに目を向け三人を見る目があった。三人は跪いたまま、そのものの変化を知らぬままじりじりとした時が過ぎた。
「大陸から来たものか……何用か。」
 やがて聞こえた声は、その姿かたちにふさわしいしわがれた声であった。
「マケドニアより、主、ミシェイルの言をもってここへ参りました。ミネルバと申します。この度、近辺の島々をマケドニアが保護することとなりましたので挨拶に参りました。」
 ミネルバは、よどみなくそう言った。そのミネルバには、まだ対峙している者が竜であるとの実感はわいてはいなかった。確かに、人ならぬ者と感じさせるだけの存在感はあるかもしれない。しかし、それが竜であるかどうかまでは、もとより人の姿を取っているときのマムクートを知らないミネルバには判断がつきかねた。
「……私を相手に礼はいらぬ。顔をあげるとよいだろう。」
 三人は、膝をついたまま顔を上げた。相手の表情が見えるようになった。人であれば相当の高齢なのであろう。その者の顔には深い皺が何本も刻まれていた。
「マケドニアとは……ドルーアから独立した国であるか。それが、ここまで影響を及ぼすのか。」
 その者の物言いは、あくまでゆっくりであった。ミネルバには一つ一つ言葉を反芻しているかのようであった。
「私には、この島々をどのようにしようと遠慮はいらぬ。私はここにいることができればよい。……おぬし達はまだドルーアと争っているのか。」
 ミネルバの握ったこぶしに力が入った。
「マケドニアは……今はドルーアとは盟約を結んでおります。」
 と、一瞬、その者がびくりと身じろぎしたようにミネルバには感じられた。
「盟約……。再び隷属する道を選んだというのか……。」
「ばかな!!」
 ミネルバは立ち上がり、声を荒げた。
「マケドニアは、どのような相手にも従うようなことはない。ドルーアには、マケドニアの主の意向で協力しているに過ぎん。」
「ミネルバ様、落ち着きください。」
 パオラが慌てて諌めるも、ミネルバが聞き入れる様子は無かった。
「ふむ。……さすがに本心から協力しているわけではないということはわかっていそうだの……だが。」
 その者は、ぼろぼろの布の集まりとしか見えないその服から、驚くほど光沢のある赤く光る玉を取り出し手のひらで弄んだ。
「……竜の強さを知らぬと見えるな。人の集まりがいかに強くなったとて人は人。竜……ドルーアには勝てぬよ。」
 その者の顔が奇妙に歪んだ。笑っているらしいと、かすかに気がついたのは比較的落ち着いていたパオラだけだった。
「相手が竜であろうとも、人が勝てぬということはない。現に、かつて、アンリは竜に打ち勝った。かつての人にできたことが、今の人にはできぬということはない。」
 ミネルバがそう言った後にしばらく、沈黙が続いた。エストは、礼をしてから、緊張で固まっているのか何も話そうとはしない。薄暗い室内ではよくわからなかったが、顔色も悪くなっているようにパオラには見えた。パオラは、姿勢はそのままに視線だけをミネルバ、エスト、そして椅子に座る者へ配らせ、事の推移を見守っていた。
「……それはおそらく人のみの力ではあるまい。過信はやめるべきであろう。」
 その者は、しばらく経ちそう言った。
「人は竜にかなわぬと……そう、おっしゃるのか。ならば……。」
 突然、ミネルバは剣を鞘走らせた。剣先を鼻先へ突きつけるといったほどではないが、明らかに威嚇のためにその者へと剣を向けていた。
「ミネルバ様!!なりません!!エストもミネルバ様をお止めして!」
 これにはパオラも慌てた。交渉相手に剣を向けるなどということはあって良いはずもない。だが、ミネルバは止まらなかった。
「貴殿も竜なのであろう?その力、私に見せては頂けないか。」
 その者の、玉を弄ぶ動きが止まった。そして、じっと目を閉じた。
(後悔、召されるな……そこに隠れている者もよく見ておくがよい。)
 突然、その者の発する声の質が変わった。室内全体から聞こえてくるかのようであった。玉が震え光を放ち始めた。
「パオラ!エスト!下がって!」
 言うまでも無く三人とも、椅子の中心から押し寄せる風圧に耐えるように壁際まで後退した。その後には、深い赤色をした巨体が現れていた。それは、広間の中心にあって、中空の空を後光に変えて下にいるものを見下ろしていた。
(……人、……竜、おろかなる者。命をも顧みず、過ちを犯す。そして気づかず。繰り返す。……なれば、見るがよい。)
 もはや、竜の発するものは声ではなかった。表現はしがたがったが、ミネルバには竜が発する圧力のようなものが直接に頭の中へ響いているように感じられた。
 竜の首がゆっくりと巡った。その喉の奥には、炎が見え隠れしていた。
「エスト!避けて!」
 竜の首が狙っていたのはエストが下がっていた方だった。しかし、エストは足がすくんでしまっているのか、腰が抜けてしまっているのか、その場から動こうとしていなかった。竜からはいよいよ炎が吐かれようとし、ミネルバはさらに絶叫していた。
(……。)
 その時、飛来した一本の矢が竜の喉へと突き刺さった。竜はゆっくりと首を返し、左の手とも前足ともつかぬ部位で矢をはらった。矢は、鎌で草を薙ぐように簡単に中ほどから折れてしまった。
 ミネルバは一瞬、矢が飛んできた方を見た。そこには金髪の美丈夫が次の矢を番えようとしていた。ジョルジュである。
「竜よ、そのくらいにしておくのだ。貴殿にしても本意ではなかろう。」
 ジョルジュは大音声でそう呼ばわったが、竜は意に介さず、ミネルバの方へ首を向けた。ミネルバは、剣を持ち竜の目を正面から見据えていた。
「そこの方、二人をお願いします。」
「ばかやろう!早く逃げろ!」
 ミネルバの願いに対してジョルジュが投げた警告は、その瞬間に放たれた竜の吐く炎にかき消された。ミネルバは迫ってくる炎をじっと量っていた。そして、ついにミネルバが動くことはなかった。
「……なぜだ。」
 竜の吐く炎は結局ミネルバを焼くことはなく、ミネルバの目前の床を鈍い光沢で光らせるにとどまった。
(汝らを害するつもりはもとよりない。……汝らでは我には勝てぬ。)
 ミネルバは、竜の目を睨み返していたが、圧倒的な力の差に何も言い出せなかった。
「……そのようなはずはない。アンリも……わが祖、アイオテ公がドルーアの鎖を断ち切ったのも……暴虐な竜に打ち勝った……。私が……。」
(言ったはずだ。竜の協力があったのであろう。)
「何をしている、早く逃げるぞ!」
「ミネルバ様、ここは退くべきです。」
 いつの間にか、ミネルバの周囲には他の三人が集まっていた。エストはパオラにもたれかかり、なんとか自分で立っているものの呆然としていた。
 ミネルバは、見慣れない一人を含めた三人の顔を順番に見やり、また竜の目を見上げた。
(立ち去るが良い。己の力を知らぬ者。判断を下せぬ者。もはや、語る言葉をもたず。)
 激しい侮蔑のこもった思念がミネルバを直撃し、愕然とさせた。
「……戻ります。」
 ミネルバは短くそう言うと、広間へつながる唯一の通路のほうへ早足で歩いていった。パオラは一度肯いて、ジョルジュは怪訝な顔をしながらミネルバを追った。
(……人が、何をしようともはや私は関与せぬ。それがドルーアであったとしてもだ。)
 遠くから追いついてくる思念と共に、くぐもった咆哮が聞こえた。

「何をしていたのだ!」
 遺跡の外に出て開口一番、ジョルジュはそうミネルバに詰め寄っていた。
「すまないが、一部始終を聞かせてもらっていたぞ。マムクートに喧嘩を売るなど自殺行為だ。そんなこともわからないのか。」
 ジョルジュがものすごい勢いでまくし立てるものをパオラが押しとどめた。
「お待ちなさい。この方をどなたとお心得ですか!」
「マケドニアには王女は二人しかいない。自ら、このようなことをするというのであればミネルバ殿しかいないだろう。」
 パオラは半ば絶句していた。あのようなところに居合わせたのもおかしければ、マケドニアの王女と知ってこの言動ということもパオラには信じられないことだった。
「では、あなたはどなたなのですか!」
 と、遅すぎる誰何を行うのがやっとであった。四人は広間を出た後、まっすぐに歩いて出てきた為、何も話をしていなかったのだ。ここに来て、ようやく名乗りを上げていなかったことに気がついたのだ。
「元アカネイア王国弓兵隊隊長。ジョルジュだ。ドルーアを引き入れたマケドニアの方々。」
 ジョルジュの言い方には、明らかにとげがあった。しかし、パオラの方はこれで合点がいった。アカネイア王国弓兵隊長ジョルジュ。貴族の出ではあるが、その弓の腕前は大陸一と言われている。アカネイア王国では傭兵隊長のアストリアと並んで名前の通った人物だ。無論、ミネルバも知っている。このような場所で会うことは驚くべきことであったが、アカネイアの敗退と共に落ち延びてきていたのであろう。
「……ドルーアとの同盟は、私の意志ではない。」
 ミネルバは怒りをあらわにするジョルジュに反論するも、それは弱々しい声であった。
「だが、あなたは反対しなかった。それは、肯定したのと同じことだ。」
 ミネルバはまた押し黙ってしまった。
「……失礼だが、あなたは将軍には向いていない。」
「そんなことはないっ。ミネルバ様は、いつも強くて優しいよ!」
 ジョルジュにはエストが食って掛かった。
「ふむ。……だが、戦いとなればいつもは違う。あの場面、命を失っていても文句は言えないところであったぞ。諌めも聞かず、部下を好んで危険にさらすのは指揮官として失格だ。」
「そんなことないっ!」
「私はっ!」
 ジョルジュの責め句は容赦がなかった。その言葉に反発しようとしたエストの声は、半ば悲鳴にも似たミネルバの叫び声にさえぎられてしまった。
「私は、何故、兄上が父君を廃したのかを知りたかった!何故、突然ドルーアと同盟を組んだのかを知りたかった!……何故、父君を弑したという噂を否定しなかったのかを……。」
 ジョルジュの視線はあくまで冷たかった。
「ミネルバ殿、あなたが疑念をもっているならば、それはあなたが自分で調べねばならないことだ。そして、あなたが大勢の命を預かる者であるのならば、判断一つで部下の生死が決まってしまうことをいついかなることでも忘れてはならないはずだ。違うか?」
 ミネルバは、何も言い返すことはできなかった。
「あなたは……マケドニアを恨んでいるのですか。」
 と、パオラはジョルジュに問うた。
「……マケドニアにはあまり恨みは無い。ドルーアと同盟を組んだことを不審にも思ったのだが……アカネイアパレスの戦い。マケドニアが参加しなかったあの戦いで、我々は竜達の圧倒的な力を思い知ったのだ……。」
 ジョルジュは、ミネルバを見つつ、言葉を切った。
「信じられるか?あの竜が何体も迫ってくるのだ。我々の士気は戦う前からぼろぼろだった。ラングとベントの裏切りがあったが、そのようなことは戦況に影響を与えてはいなかったのだ。……マケドニアがドルーアと同盟を組んだことは、この力を考えれば明らかだったのだ。」
 ミネルバもパオラも驚いていた。マケドニアがドルーアと同盟を組んだことをそのように考えているものがいるとは、ましてやアカネイアの陣営の中にいるとは思っていなかったのだ。
「だが、ドルーアがいつまでもマケドニアに各地の統治を任せることも私にはまた考えられぬ……ミネルバ殿に問おう。マケドニアはいったい、どうしようというのだ?」
 ミネルバは再び愕然とした。ミシェイルが国王となる前、ミシェイルが父王オズモンドを幽閉する前までは、ミシェイルはミネルバとマケドニアの行く先について、軍略について、統治について、そして発展について、よく話しあったものであった。それが、今ではどうだろう。ミシェイルは重要なことは全てマチスに諮るようになり、ミネルバにはマケドニアがどうなるのかを聞くことはなかった。今のミネルバにはミシェイルの考えはまったく考えの及ばないこととなっていたのだ。
「わからぬ……。兄上は、私にそういった話を聞かせてはくれない。私はただ、このペラティを保護せよと言われたままに来たのだ。」
 そう、答えたミネルバではあったが、その表情は明らかに落ち込んだものであった。
「……。」
 ジョルジュはそれを聞いてもミネルバへ一瞥を返すだけであった。
 ミネルバにも感づいてはいたことであるのだ。ミシェイルがマチスへ赤騎士を名乗るよう言ったことで、そういった噂は常にあった。
「聞いてみることだな。ミシェイルに。望むと望まざるに関わらずな。」
 とだけ最後に言うと、ジョルジュは三人の前から立ち去ろうとした。
「ジョルジュ殿、あなたはどうなされるのですか。」
「そうです、できれば私と……。」
 パオラと、ミネルバがそれに引き続きジョルジュを引きとめようとした。
「……ミネルバ殿、私はニーナ様に忠誠を誓った者なのです。市井に下りることはあっても、マケドニアに仕えることはありませんよ。それでは。」
 ジョルジュの言葉に迷いの言葉は無かった。それは、今のミネルバにはうらやましい限りであった。

 すっかり打ちひしがれたミネルバを待ち受けていたのは、諸島を制圧したジェーコフであった。
「島の住民がこの様なものをくれましたよ。ミシェイル様へ良い土産ができたというものです。」
 諸島の制圧はほぼ順調であり、多くの住民はその日のうちにマケドニアへと帰順した。ジェーコフが取り出したのは一本のドラゴンキラーであった。竜の住む島に竜殺しの剣とは冗談でしかないとミネルバは思ったものの、ジェーコフにそう言うだけの気力はなかった。
 白騎士団とジェーコフの部隊は、予定通り諸島を統治する分の部隊を残し島を退去した。

 マケドニア王城へ戻っても、ミネルバの心が晴れることは無かった。ミネルバは、竜との顛末についてはミシェイルへ包み隠さず報告した。しかし、その報告を聞いたミシェイルは、わかったとばかりに肯き、ミネルバの退去を求めただけだった。ミネルバからは、ミシェイルの心の中を読むことはできなかった。表情からもそのかけらもうかがい知ることはできなかったのである。
「兄上……マケドニアはこのまま、ドルーアを同盟を続けるつもりなのですか。」
 ミネルバは、何とかミシェイルの心積もりが知りたかった。その日もまた、ミシェイルは政務などを行い忙しく動いていたのだが、折を見てミネルバはミシェイルにそう話しかけたのである。
「……ミネルバはどう思うのかね。」
「はぐらかさないで下さい!」
 この機会を待ちくたびれていたミネルバはいきなり激昂した。ミシェイルに何度となく国のことを話しかけようとしてもいつもこの調子だったのだ。独自に調べようとしても行き着く先はミシェイルとマチスが作るラインの壁があるだけだった。
「兄上、なぜ私には話して下さらないのですか。」
「口が過ぎるぞ。ミネルバ。お前は、もはや政に口を出すべきではない。」
 ミシェイルは、急に口調が厳しくなったミネルバにも落ち着いて応対した。
「わ、私が信用できないのですか!」
「口を慎めと言うたぞ!!」
 ミシェイルが怒鳴ると、さしものミネルバもおとなしくなった。
「信用?ミネルバ。政略を語るにも、謀略を語るにも自己の正しさをいかにも人民の正しさのごとく振りかざし、決して譲ろうとしないお前に何を任せることができるというのだ。確かにお前は並みの将軍よりは勇猛で優秀な将軍であろう。だが、物事を量ることに掛けてはせいぜい四のうち三まで見る程度で残りの一を見ぬ。」
 ミシェイルも思うところがあったのであろう。一気に言葉を吐き出した。
「普通の将軍であれば、これでも優秀なほうだ。だが、四のうち二しか見ることのできぬものでも残りの二を他の者が補えばよい。お前は、自説が見えぬ一に関わるものであろうとも、それを決して覆そうとしないではないか。」
 そして、ミシェイルの言葉は、ミネルバには重たすぎるものの連続であった。
「ペラティから帰って以降、様子がおかしいぞ。だが、何かあったとしても、お前ほどのものであれば自分で解決しなければならないはずだ。それを、私にここまで言われるまで、何も気づかなかったというのか!」
 ミネルバとて、何も気づいていなかったわけではない。しかし、ミネルバはここで始めて気がついたのだ。自分は王族であるということに甘えがあったということを。将軍として、執政官として、それが許されることでないことは、考えるまでも無かった。
「兄上、白騎士団団長の任、しばし預けられませんでしょうか。」
 少しの間の沈黙の後、ミネルバは歯を食いしばり、そう言った。
「……どういうつもりだ。」
「自分の至らないところを外界を周り、補いたく思います。」
 ミシェイルは、ミネルバが王城を出ることを言っているのだと理解した。
「……マリアのことはどうするのだ。」
「今の自分に、会わせるべき顔はありません。」
 ミネルバは、何よりも年の離れた妹のマリアを大事にしていた。マリアは、ミシェイルの意向でドルーアの王都に人質となっている。そのマリアの名前を出しても折れぬだけの決心をミシェイルは見て取っていた。
「ミネルバ……。二年だ。」
「え?」
「この世界の姿を良く知るのだ。……そして、二年で帰って来い。この大陸は平穏な状態とは言えぬのはお前も承知しているはずだ。……まだ戦乱は起こる。その時までに帰ってくるのだ。」
 ミネルバはただうなだれて、一言を言うだけがせいいっぱいだった。
「……承知いたしました。」
 その翌日、ミネルバはマケドニア城を退出し、その竜と共に何処かへ飛び去っていった。
 白騎士団団長の任は、ミネルバの推薦によりパオラに下された。ミシェイル直々の任命であった。パオラ、カチュア、エストの三人はもともとは貧しい農家の家系であり、本来であれば騎士団長などになれるような家柄ではなかったのだが、ミネルバの推薦を受けるとミシェイルは躊躇しなかった。パオラの白騎士団団長就任は、それだけでも貴族たちに取ってみれば大きな衝撃であったのだが、結局ミネルバの失踪が騒がれた為、パオラの白騎士団団長就任はそれほど問題も無く行われた。
 常日頃の性格からプレッシャーとは無縁に周囲から見られているパオラではあったが、白騎士団団長の重責は彼女の表情ですら時々曇らせるものであった。カチュアが遠く離れている今、エストの明るさがパオラの大きな救いになっていた。ミシェイルもまたパオラには気を掛けていた。さすがのパオラもミシェイルの前では緊張し、普段ではしないような失敗を良くして、ミシェイルの笑いを誘っていた。そしてそれは、知らず知らずミシェイルの疲れをも癒していた。
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