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FireEmblemマケドニア興隆記
 幕間編
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十一章 老騎士の帰還

 そこは地獄だった。陽光の下は、とても恵みに溢れた大地であるとは思えない惨状を見せていた。ある者は腕をなくし、ある者は腹を抉られ、もはや物言わぬただの塊と化した物があちこちに見て取れた。物体から流れ出した、かつては生命の象徴として赤々とその身を循環していたはずの液体は、無為にその大部分が大地を覆うために広がり、気味の悪い黒でその表面を染め上げていた。
 陽光を剣に受け、時折きらめかせ剣戟を打つその男たちは修羅であった。圧倒的な力の前に、一人、また一人と地に伏すものが増えたとしても、彼らは決してひるまず彼らの敵を打ち続けていた。
 時はしばし戻り、マケドニア軍とアカネイア解放軍が対峙するレフカンディの戦い。その最終局面である。マルスたちの脱出を確実なものとするために殿軍として戦場に残ったジェイガンの一隊は、マケドニア重装歩兵部隊の猛攻を受けつつもそれを跳ねかえしていた。最初、五十人近くいた一隊は一時あまりが経ち、その数を三分の一程度にまで減らしていた。すでに、誰一人として無傷で戦っているものはいなかった。ジェイガンとて腕、足、そこかしこに無数の傷を負っていた。複数の敵を相手にしてもその攻撃を極限でかわす、その技がなければ傷どころでなくとうに命を落としていたであろう。ジェイガンはそういう戦いをしていた。
「うっ。」
 ジェイガンのすぐ横で、うめき声が聞こえた。
「カイン!!」
 自らの槍で眼前の敵を突き刺しつつ一瞬見えたカインは、本来手綱を持っているはずの左手で左の腹を押さえていた。
「どうしたんだ!カイン!!」
「ジェイガン……様、もう、……これくら……十分です。……撤退……。」
 途切れ途切れに声がしたかと思うと、どさっと言う大きな音が聞こえた。カインの乗馬が高く嘶き、その前足を高く立ち上げた。
「カイン!カイーーン!!」
 ジェイガンはすさまじいばかりの気合と共に眼前の敵をやりではじき返すと、一瞬カインの方を向いた。その時にはすでに、カインは馬から落ちたところを敵の重装歩兵の槍によって串刺しにされた後であった。ジェイガンは馬首を巡らすとその敵を喉元を正確にその槍で射抜いた。
 カインの傷は一目で致命傷とわかるものだった。カインにはもはや意識すらなく、後はただ死がゆっくりと彼を飲み込んでいくだけであった。
 しかし、ジェイガンにはそれを見守るだけの余裕は無かった。それでも、このことがジェイガンに周囲を見渡させる契機にもなった。彼の目的は時間を稼ぐこと。もう十分に時間を稼いだと判断した彼の目に、ある一点が映っていた。
 そして、ジェイガンは大きく号令をかけた。
「生きているもの全員、撤退する!!我に続け!!」
 乱戦の中、ジェイガンが発したのはたったそれだけの言葉だった。ここまで生き残っていた騎士、兵士達にとってはそれで十分だった。めいめいに戦いにけりをつけ、彼らは走り出した。
 走りながら、再びジェイガンは叫んだ。
「各々、何としても落ち延びるのだ。生きてまた会おう。」
 それぞれがそれぞれの返事を返した。不思議と、マケドニア軍はそれほど執拗には追ってこなかった。そして、彼らはそれぞれの方角へ落ち延びていった。
 ジェイガンが目指した方向は、マケドニア軍が故意に用意した逃げ道のうちの一つだった。ジェイガンは騎馬の鬣にしがみつきつつ、無意識のうちに走り続けたが、とある村落の入り口まできてついに倒れこんで落馬し、そのまま地面に突っ伏してしまった。

  秋が終わり、冬が過ぎ、また春が巡ってくる頃、ジェイガンはようやく起き上がれるようになり、久しぶりに床から出て自分の足で立ち上がった。長い間のブランクからともすればよろめき、立っているだけでも精一杯のように感じられた。
「ジェイガンさん!」
 ちょうど、部屋に入ってきた娘が慌てて呼びとめた。
「だめですよ、まだじっとしていなくては。」
 と、娘はジェイガンに駆け寄った。ジェイガンは軽く手を前に出し、それを押しとどめた。
「大丈夫だ。それに、いつまでも寝ているわけにはいかない。」
 にべもなく拒絶され娘はそれ以上動けなかった。ジェイガンの言葉にはそれだけの気迫がこもっていた。
「で、でも……。」
「いや、いつまでも寝ていたら体がなまって治る物も治らなくなってしまう。少しは体を動かさせてくれんかね。」
 と、ジェイガンは言った。
「さて、外はどのような様子かな。」
 娘が止めてこないことを確認すると、ジェイガンは玄関の扉から外へ出た。村には春先の陽光がやさしく降り注いでいた。新芽の匂いが辺りに漂っている中、ジェイガンはおぼつきながらも自ら立ち歩いていった。
 ジェイガンは戦いの後たどり着いた村で、朝方に発見された。最初に見つけた村娘のメアリが、村人を呼んで助け、自分の家の寝台に寝かせたのだ。メアリはそのまま、ジェイガンの手当てをし続けた。
 メアリは両親をすでに亡くしており、両親が残した畑を細々と手入れをすることで生計を立てていた。その時のはやり病では、村の人口の四半分が亡くなった。マチスの父親もその流行病で亡くなっている。
 村はそれほど大きいということもなく、豊かということもない。村の人々はそれぞれ支えあってくらしている。メアリの家は村のはずれにあったが、他の村人はよく助けてくれていた。
 ジェイガンの身元はすぐにわかった。身につけていた鎧にアリティアの紋章があることを村長が確認したのだ。村は、マケドニアに占領されていると言ってももともとはアカネイアの地であり、村の意思でジェイガンを助けることとなった。本人の希望で、メアリがそのままジェイガンの世話をすることとなった。
 最初、ジェイガンは三日の間、眠り続けていた。このまま眠り続けてしまうのではないかと思われた四日目の昼にようやく目を覚ました。意識ははっきりしていたが、動くことについてはどうにか食事を取ることが限界で、腕を動かすことも難しい有様だった。その後も、長い間起き上がることができなかったが、つい先日立ち上がれるようになったのである。
 都市からはかなり離れた村だけに、周囲の状況を的確に把握することは困難だった。そんなジェイガンに、メアリはいろいろと聞いた話を持ってきてくれた。レフカンディの敗戦後、オレルアンとタリスが全てマケドニアに占領されたことは、ジェイガンにとって大きな驚きだった。当然、ジェイガンにとって最も気がかりだったのはマルスの行方だったのだが、まさか村の者に聞くわけにもいかず、じっと動けるようになるのを待っていたのだ。
 そして、ようやく動けるようになったジェイガンは、久しぶりの外気を精一杯、吸い込んでいた。後ろからメアリが追いかけてくる。
「すまないね。だいぶ世話になってしまったようだ。」
 ようやく追いついたメアリにジェイガンはまず、礼を言った。
「ジェイガンさん、まだ、そんなに動いてはだめです!」
「そうかね。少し痛いところは残っているが、もう大丈夫だよ。十分体は動かせる。」
 と、ジェイガンは笑いながら腕を振り回して見せた。メアリから見たジェイガンは、一見なんともないように見えた。しかし、長い間寝ていたせいで体は痩せてしまい、本来頑強であるはずの身体はその力を失っていた。
「ふむ。動くのに不自由はなさそうだが、まだ槍を持つのは難しそうだな。」
 ジェイガンが屈伸したり、背伸びしたりし、体のあちこちを動かして見せているのを、メアリは心配そうに見ていた。
「大丈夫そうだな。寝てばかりいると、からだがなまってしまうのでな。これからは、起きさせてもらうよ。」
 メアリは、一度ため息をついた。
「……わかりました。でも、無理はしないで下さいね。」
 不承不承納得したようなメアリに、ジェイガンは苦笑した。ジェイガンは自身が高齢であるので、メアリがそれを気にして必要以上に心配をしているということはわかっていた。ジェイガンは高齢と言っても、心身を騎士団の中で常に切磋琢磨してきた者だ。普通に考える人より体力も回復力もある。さすがに、壮齢から老齢へ指しかかろうとしているその年齢では、体力も落ちてきているが、普通の村人などと比べればしっかりしている。かえって動かないほうが体に悪いことは自分が一番良くわかっていた。
「村長に挨拶したいのだが、案内していただけるかね。」
「あ、わかりました。……って、ジェイガンさんは出かけられる格好ではありませんね。」
 メアリに言われたとおり、ジェイガンは寝床用の薄着を上下に纏っていただけだった。
「失礼とは思うが、他に着ている服もないですしな。」
「わかりました。村長さんを連れてきますから家の中で待っていてください。」
 メアリはあきれている様子だった。
「いたしかたないな。お願いする。」
 さすがにジェイガンもここは引き下がり、メアリの家へと戻ることにした。

 村長は素朴な人柄で村人に慕われていた。好々爺といった印象を持たせる容姿を持った老人である。ただ、朴訥というわけでもなく、決断すべきこと、主張すべきことははっきりとし、村の人たちに大きな信頼を寄せられていた。ジェイガンがこの村で倒れていたとき、ジェイガンを保護しようと決めたのも村長だ。
 ジェイガンに会いたいといわれた村長が、メアリと共に帰ってきたのは、小半時も過ぎたところであった。
「村長殿、この度は世話になった。口ばかりの礼しかできずに申し訳ないが、感謝します。」
「元気になったようでなによりです。」
 家の中へ入ってきた村長に、ジェイガンはまずは礼を言い深々と頭を下げた。
「村長、そのようなところで話し込まずとも、こちらへいらしてください。」
 そのまま、戸口で話し込み始めそうな二人の様子を見て、メアリが家の中へ村長を招きいれた。村長とジェイガンが落ち着いたところで、村長が話し始めた。
「それで、ジェイガン殿はこれからどうするおつもりですか。あなたさえよければ、もう少しこの村にいてもらって構いませんが。」
「すいません。私にもやりたいことがあるのですが、もうしばらくは体を慣らさなくてはならないようです。しばらくは厄介になるつもりでおります。」
「それがよいだろう。」
 ジェイガンのその申し出を、メアリは裏でお茶の準備をしながら聞いていた。さっきは、そのまま村を出て行くような勢いでジェイガンが外に出て行ったため、ジェイガンがここにいるつもりであることはメアリには意外だった。
「ジェイガン殿、マルス王子のことが心配かね。」
「それはもちろんです。ですが、今は焦っても仕方がありません。聞けば、マケドニアが近隣を治めるようになってからの情勢はかなり落ち着いているとのことです。……生きてさえいらっしゃれば必ずやまた会えるでしょう。」
 ジェイガンにとってマルス王子のことは特に心配なことであったが、長い間、起きることもままならない生活をしていたジェイガンはそう考えるようになっていた。
 村長は、その言葉にゆっくりと肯いたが、にわかに表情を厳しくした。
「ジェイガン殿、一つ注意してほしいことがあるのです。」
「なんでしょう?」
「最近、村の近辺にマケドニアの軍と思われる者が度々姿を現しているのです。村人の何人かが目撃しています。特に、何かをされたということではないのですが……それだけに目的があなたである可能性が高いのです。」
「マケドニア軍が……わかりました。留意しておきましょう。」
 村の近くにマケドニアの兵士がよく来るようになったのは、年が明けて間もないころだった。だが、別に村のものに危害を加えるといったようなこともなかったため、村長も放って置いていたのだ。彼らが何故やってくるのか、村長にもあまり見当はついていなかったのだが、他の村ではそういうこともないというのだからやはりジェイガンが関係しているのであろう。しかし、だからと言って、ジェイガンに接触してくるようなこともなかった。マケドニア軍が来るようになったことをジェイガンは村長から聞いてはじめて知ったのだ。
 ジェイガンは、マケドニア軍の目的を推し量りかねたが、良いにしろ悪いにしろ向こうから接触してこないのであれば気にするだけ無駄なことだと割り切った。それよりも、失った体力を回復させるほうが先決だった。 
「村長殿、動けるようになったからには村の雑用の手伝いくらいはさせてくだされ。薪割りくらいでしたら喜んでひきうけましょう。」
 ジェイガンは村長に、まるで旧来の友人が久しぶりに会ったときのような話し方をした。
 村長は、ジェイガンにはそれほど深く聞くことはなかったが、ジェイガンをアリティア王国の、しかもそれなりの地位にある騎士であろうと考えていた。ジェイガンとはすでに何回か話をしているのだが、最初に話をしたときはあまりの気さくさに驚いたものだった。アカネイアの騎士も、マケドニアの騎士も村長といえど一介の村人には近寄りがたいことには違いなく、最初はそれほど良い印象を持っていなかった。
「ジェイガン殿、あまり無理はするものではありません。もうそれほど若くはないのですから。」
 若くないのはお互いのこと。と、そう言いたげな村長の顔を見て、ジェイガンも村長もひとしきり笑っていた。
 二人は、メアリのいれた茶を楽しみつつ、ひとしきり雑談に興じた。とはいってもやはり気になるのは周囲の状況のことである。
 マケドニアの統治はジェイガンの想像以上だった。オレルアンでは人民から解放軍への無理な物資の寄付が祟って、この冬はかなり危機的状況にあったらしい。その中で、マケドニアは今年限りの大幅な減税を行って人民に極端な負担がかかることを避けたという。オレルアンの人民の中には、マケドニアを積極的に支持する者も出てきているくらいだと言う。
 マケドニアが統治している土地については情勢はほぼ明瞭で、安定もしている。だが、ドルーアが直接統治している土地については、ほとんど情報が入ってきていない。村からほど近いはずのアカネイア中央部ですらである。ジェイガンもアリティアのことについては心配であったのだが、知る手段はなかった。
 ジェイガンは、まずはこの村で力を取り戻し、その後はマルス王子の消息を確認すると村長へ伝えた。村長も無理はしないほうがいいと釘はさしつつも賛成していた。
 次の日から、村人達の手伝いをするジェイガンの姿があった。つい半年前まで大きな戦いがあり、それ以降も大陸の半分以上は暗闇の中にいる、そんなことをつい忘れてしまいがちになる穏やかさであった。

「……ここか。ふむ、マチス殿も良くわからない指示を出されるものだ。」
 村の端、メアリの家の前には三人の男がいた。二人は付き添いの兵士であったが、一人はいかつい鎧に身を固めた明らかに位の高そうな者であった。マケドニアのハーマイン将軍。彼はレフカンディの戦いの後も、そのまま一軍を率いてレフカンディの地に駐留していた。
 今日、ここに来たのはマチスから直接の依頼があったからだ。アリティアの騎士団長であるジェイガン卿がその村で静養しているので迎えに言ってきてほしいとのことだった。強制的に連れて来いと言う訳ではなかった。あくまでも、迎えに言ってほしいとのことだった。
 さらに、このことは他言無用であるとのことを念を押された。付き添いの兵士にも口が堅いと評判の者が選ばれた。
 ハーマインは付いてきた兵士二名を控えさせると、おもむろにその家の木戸を叩いた。呼びかけに応じて中から現れたのはメアリであった。メアリは心底、驚き、不安そうな顔をした。
「急に尋ねてきてしまい申し訳ない。私は、マケドニア軍の将軍職にあるものでレフカンディに駐留している軍を任されているハーマインと言う者だ。本日は、こちらにアリティアのジェイガン卿がいらっしゃると聞き、マチス様の命によりお迎えに上がった次第だ。ジェイガン卿をお願いできるだろうか。」
 ハーマインはそれなりに礼を尽くした言葉を述べたつもりであったが、メアリはすっかりおびえた風になっていた。それも無理もないことだった。ハーマインは自身も自覚していると通り、かなりいかめしい顔つきをしているのだ。敵や部下を威圧することには有用だが、こうした交渉ごとは本来得意ではない。
 メアリがあたふたしているうちに、当の本人であるジェイガンが出てきてしまった。
「メアリ、どうしたのだ。何かあっ……。」
 ジェイガンは言いかけた言葉を途中で飲み込んだ。ジェイガンも、鎧に身を包んだ屈強な男がこのような民家の前に立っていたとあっては、ただ事ではないと思わざるを得なかった。しかも、その鎧にマケドニアの徽章が印されていれば尚のことだ。
「ジェイガン卿にあらせられますか。マケドニア軍、レフカンディ駐留部隊将軍、ハーマインと申します。」
 ハーマインと名乗ったその男は、ジェイガンを前に深々と頭を下げた。あまり、かの者の印象に合った行動とは言いがたかった。
 だが、見れば後ろに控える二人の兵士も別段に警戒しているような様子もない。周りに何者かが潜んでいるといったような気配もジェイガンには感じられなかった。
「……確かにジェイガンは私だが、いかなるご用向きですかな。」
 ジェイガンはそう答えつつ、メアリに下がるように手で合図をした。メアリは不安そうな顔をしつつ、ジェイガンの後ろへと下がった。
「ジェイガン卿、卿がこちらへ逗留していると聞きマチス閣下が卿に会いたがっている。オレルアンまでご同行願えないだろうか。」
「……もし、拒否した場合はどうするのだ。」
「マチス閣下からは、特に必ず連れて来るようにとの命は受けていない。ジェイガン卿の意思に任せられるようおおせだ。しかし、詳細は私も教えてもらってはいないのだが、決して卿の悪いようにはしないということだ。」
 ジェイガンには要領を得ない話だった。マケドニアは自分を迎えるにあたって相当の礼は尽くしている。ハーマインの名前はジェイガンも知っていた。レフカンディの戦いで、マケドニア全軍を直接に指揮していた将軍だ。ジェイガンも今は村落の民家に居候の身とは言え、アリティア宮廷騎士団を統括し、指揮してきた身だ。相手がマケドニアの将軍であろうと態度で引けを取ることはない。だが、強制連行されるわけでもなく、ただ連いてきて欲しいというハーマインの要望からは、マケドニアがジェイガンをどうしたいのかジェイガンにはわからなかった。
「ふむ……マチスという者、相当に裏での謀が好きと見えますな。」
 このようなやりとりはジェイガンは好きでなかったし、また得意でもなかったが、マチスのことを皮肉気味に批判することでハーマインから何らかの情報を得ようと考えた。
「全くだ。あのお方の考えていることはほとんどわからん。いつも、裏で何か色々とやっているし……おっと、失礼。」
 しかし、ハーマインの口から出てきたのはため息交じりの愚痴にも似た言葉だった。
「いやはや、今まであのお方の考えはわからなくとも、あのお方の言う通りにしてきて上手くいってるのだ。最早、我々将軍連中でも口出しはできんよ。」
 軽口を言ってのけるように話し続けるハーマインをよそに、ジェイガンは考えをめぐらせていた。ハーマインが言っていることは、逆説的にはマチスの言葉が直接ミシェイルを動かしているという意味にも取れる。
「……疑っておいでなのも無理からぬ事と存ずるが……、あの戦い以来、私もマチス閣下の配下に置かれていてな。正直な話、私も何も知らぬのだ。ついて来る来ぬはともかくとして、私くらいの者を送らねば話にならぬということだったらしいがな。」
 ハーマインにそうとまで言われてしまえば、ジェイガンもそれ以上は何も聞くことはできなかった。ジェイガンはもう一つ、気になっていたことを聞いた。
「ところでハーマイン殿、私がここにいる事をどのようにして知ったのだ?」
 マケドニア軍と思われる者たちが村の様子をうかがっていたことは知っている。ジェイガンが動けるようになってからは外に出て積極的に村の手伝いや、槍の鍛錬などを行っていたので、それと知るものであればジェイガンであると確認することは可能だっただろう。しかし、マケドニア軍の中にジェイガンの容姿を知っている者がそう多いとは思えなかった。槍の鍛錬を行うことがあったとはいえ、村の手伝いをする老齢に近い白髪の男性をまさか騎士団長の役職にあるもととは普通は思わないはずだ。
「それについてもよくわからんのだ。私はマチス閣下から、ここに来るよう言われただけでな。お前達、道案内をしてきたお前達なら知っていないか。」
 どうやら、ハーマインは今日はじめてここへ来たらしく、供について来た二人は道案内役らしい。
「はっ。いえ、我々も、マチス閣下の親衛隊の方に案内されてここを説明されましたので、直接はわかりません。」
「親衛隊?」
 ジェイガンが、聞きとがめた言葉があった。普通、親衛隊といえば王族を警護するような部隊のことを言う。まれに、それとは違う言い方をすることもあったが、その場合、ほぼ良い意味で使われることは無いと言っても良い。
「こ、っこら。……申し訳ありません、親衛隊というのはマチス閣下直属のクライン隊のことでして……ただ、クライン隊の者たちが関わっているとなれば、私にも状況はわかりませぬ。」
 ジェイガンは首を捻った。聞けば聞くほどマチスという男の周辺は秘密だらけだ。そこまでして状況を秘密にする必要がどのあたりにあるのか。ジェイガンを捕まえ、処刑でもするつもりであれば話は早い。力ずくで連れて行ってアカネイアパレスにでも護送すればよい話だ。しかし、そんな単純な話ではないことだけはどうやら確実そうだった。
「オレルアンに行けば、マチスとやらに会えるのかね。」
「……マチス閣下はそのつもりでおられるはずですよ。何しろ、閣下抜きでは全く話を進められないのですからね。普段将軍としての職務をこなしている時にはそれほど問題にはならないのですが……ときどき、我々はどのように動けばいいのかわからなくなる。困ったものです。」
 ハーマインはまた知らず愚痴っぽい口調となっていたが、これによってジェイガンの心は決まった。
「わかった。貴殿と供にオレルアンまで行くこととしよう。」
「ジェイガンさん?」
 今まで、事の推移を後ろではらはらしながら聞いていたメアリだったがこれには驚いた。
「メアリ、急なことですまないが、旅の準備をする。あー。」
 ジェイガンはぽかんとしているメアリを横にハーマインへ向き直った。
「急いでいるのだろう?」
「え、ええ。できるだけ早いことに越したことはありません。」
 一方のハーマインは、とまどいながらも安堵していた。こんな不明瞭な状態では自分であればついていかない。ハーマインはそう考えていたから、ジェイガンが同意してくれることについてはあまり期待していなかったのだ。
「ああ、そうだな。村長殿や村の人たちには礼を言う時間が無いが……私が感謝していたと伝えておいてくれないかね。」
「は、はい……あの、本当に行かれるのですか。」
 戸惑いと不安が入り混じっているようなメアリの肩を、ジェイガンはそっと叩いた。
「なに、マケドニア軍が別段ひどいことをしているというわけではないことは私も知っている。そう、悪いようにはならんだろうさ。ハーマイン殿、準備にしばらく時間がかかる。お待ちいただけないか。」
「はっ、お待ちしております。我々は馬のほうの準備をしてまいります。」
「わかった……馬に乗るのも半年振りだな。」
 そして、ジェイガンはもともと多くは無い自分の荷物をそそくさとまとめると、メアリとだけ簡単な別れの挨拶をすまし、鞍上の人となった。ジェイガンは久々にアリティア騎士団の鎧と、槍を身に着けていた。もっとも、何らかの拍子に見つかっては問題があったため、それらの装備からアリティアのものであるという証拠はなくなっている。
 村人達との別れをすることは無かった。メアリにとってジェイガンはだいぶ以前に亡くした父親を投影したものがあったのであろうか、その別れに際してはかなり辛そうだった。しかし、ジェイガンはまた戻ってくるといった約束事はしなかった。
 そして、ジェイガンたちは一路北へ、オレルアンの緑条城を目指したのであった。

 オレルアンへは特に何事も無く到着した。途中の街道は概ね穏やかだった。もっとも、ハーマインとジェイガンの姿を見て襲ってくる者でもいたとしたら、よほどの命知らずだっただろう。
 オレルアン緑条城城下へ到着したジェイガンは、城下にいくつかある宿屋へ逗留することとなった。ハーマインが自ら緑条城へ連絡に行き、マチスを連れてくるという。
 緑条城の城下町はジェイガンから見ても落ち着いていた。いや、落ち着いていたというよりは、寂れてしまった印象のほうが強かった。もはや、解放軍が軍を起こした時のような熱気はなく、人が歩く姿もかなり少なくなってしまっていた。
 ハーマインの話によれば、マケドニアの占領地での反乱や、反抗的活動はいまのところ目立ってはいないと言う。マチスの方針で、民衆の言論統制等は一切行われていないそうだ。
 今のオレルアンでは反乱など起こそうとするような者はいないのだろう。ジェイガンはそう考えた。もともと、血の気の多いものは解放軍に従軍し、そうでない者も解放軍には多大な協力をしてきている。オレルアン緑条城の城下は、マケドニアの各占領地の中でも最大の都市であるが、そのように力を奪われている為、ことを起こそうとしても起こせるものではなかった。
 ジェイガンの逗留している宿屋は、この大陸にある多くの宿屋がそうであるように、一階が食堂兼酒場となっている。夕食時、ジェイガンは宿屋の客がマケドニアを受け入れるかどうかを論点に大論争をしているのを目撃した。店の親父に聞くところによると、冬にマケドニアが良心的な税政策を行ったことからオレルアンの中にも親マケドニア派が増えているのだという。
 一晩空けて翌晩の夕食後、マチスはたった一人で突然ジェイガンの宿泊している部屋へとやってきた。最初、ジェイガンはその者が誰だかわからなかった。もっとも、マチスも一人で来たのだから、自分の身分を証明するものを携帯してきた。ジェイガンもマケドニア国王の印章が入った書状は見分けがついた。
「……急ですな。いささか待ちくたびれてはおりましたが、こういう形で面会に来られるとは思いませんでしたぞ。」
 ジェイガンは、マチスに対しても臆することなく、感想を素直に話した。もっとも、マチスは全く偉そうな風体ではなかった。
「申し訳ありません。あなたと会うことは、陛下と私、それにハーマイン将軍と極一部の者しか知らぬことなのです。極内密にお話したいことがありまして。」
 マチスはジェイガンにマルス王子が生きていること、そしてマケドニアがゆくゆくドルーアと戦うことを考えているということ、そのためにマルス王子とハーディン公に協力を持ちかけていることを話した。
「では、貴殿は殿下の居場所をご存知であると。」
 マチスはしっかりと肯いた。
「その通りです。もし、ジェイガン卿さえよろしければ、マルス殿の元へ案内させていただきたいと思います。」
 ジェイガンは唸った。事実であればとにかくもマルスが生きていたことだけで喜ばしいことである。状況としてもマチスがここまで慎重にことを運んでいることからそうそう凝った計略ということも考えにくい。
「では……貴殿はどのようにして私があの村にいることを知ったのだ?マケドニアのものが村の周辺を徘徊していたようだが……。」
 と、ジェイガンはハーマインに聞いて答えが出なかったことを今一度マチスに尋ねた。
「ジェイガン卿を見つけたのは偶然であったのです。あのころ、私の部下達はマルス殿の捜索に全力を上げていました。マルス殿が見つかったころ、ジェイガン殿をあの村で見かけたという報告があり、その後も様子を確認させていたのです。マルス殿との交渉が一段落したため、お迎えに上がったという次第です。」
 マルスの説明によって、ジェイガンの中で一本の線ができあがった。全てはマケドニアがドルーアと戦う為に全ての行動を起こしているような気がしてきたのだ。
「わかりました。是非、殿下のもとへと案内していただきたい。」
「では、明朝、マルス殿との連絡を任せておりますカチュアを案内としてよこします。マルス殿のおられるところはここから馬と徒歩で二日ほどの行程です。よろしくおねがいします。」
「こちらこそ、よろしく頼む。」
 話がまとまると、ジェイガンは黙って右手を差し出した。マチスがそれに答えて、しばし強固な握手を交わした。そして、マチスは慌しく城に戻っていった。
 ジェイガンが見たところ、マチスはどこにでもいそうな気の弱い青年にしか見えなかった。しかし、いざ言葉が出てくると話すべきことを簡潔にわかりやすく話す。凡庸とした外見の裏ではすごい速度で思考が進んでいるのかもしれないなどとジェイガンは考えてしまっていた。
 翌朝、案内役としてきた者が若い女性であることにジェイガンは驚いた。マチスから名前を聞いたときに女性であることはわかっていてもよさそうだったが、そんなことは無いだろうと思っていた。しかし、女性が白騎士団の一員であると聞き、ジェイガンも納得した。
 徒歩でもかなり厳しい山道をペガサスに先導され、ジェイガンがマルスの元へたどり着いたのは、オレルアンを出た翌日の昼過ぎごろであった。

 カチュアの来訪と共にカチュアからジェイガンの帰還が知らせられると、その場にいる全員が住処から表へ出てきた。中央にはマルスが驚いた顔をして、立っていた。アベル、ドーガ、ゴードン、マリク。半年あまりしか経ってないとはいえ一度は死線をくぐりぬけたジェイガンには実に懐かしく感じられる面々が顔を並べていた。ハーディンをはじめとするオレルアン騎士団の面々も、皆出迎えてくれた。
「マルス殿下。長らく殿下を守ることができず、申し訳ありません。」
 マルスと面会を果たしたジェイガンは、ひざまずき、頭を垂れてそうわびた。
「……殿下にお知らせしなければならないことがあります。かのレフカンディの戦いにて、騎士団の有能な一員でありましたカインが戦死しました。他のものも多数、命を失いました。皆、私めの不徳の致すところでございます。」
 そう言い、微動だにしないジェイガンの肩に、マルスはそっと手を乗せた。
「ジェイガン……あなたが無事でよかった。」
 そして、マルスは戻ってきた忠実な老騎士の頭をしばし抱きしめた。
 こうして、隠れ家にジェイガンの姿が加わった。涙を流して感動する者、照れ隠しに文句を言う者、反応は様々だった。しかし、カインが戦死したことは皆に衝撃を与えた。特に皆からカインのよきライバルであり友人であると認められていたアベルの落ち込み方はひどかった。
 そんなアベルの発案で、半年遅れてカインの葬儀が行われた。必要な物は、マチスがクラインに頼んで用意させ、カチュアが隠れ家へと持ち込んだ。その葬儀にはカチュアも参列した。
 葬儀自体はレナが取り仕切り、木々に囲まれた中、厳かな雰囲気で行われた。埋葬は行われず、墓標のみ立てられた。しかし、葬儀が終わってもアベルには思い出すことがあるのか、時々ぼんやりとすることが多くなっていた。
 日々が繰り返される中、マルスとアベルは二人で剣を合わせることが多くなっていた。そんな二人をジェイガンもハーディンも気にしていた。
 ジェイガンは自らの鍛錬とは別に、ハーディンの剣の稽古に付き合うようになった。元々、ジェイガンはハーディンにかなうほどの力は持っていなかったのだが、ハーディンは右腕を実質上失ったような状態の為、左腕で剣を扱うことの鍛錬に付き合っているのである。ハーディンは、こんな状態でも自分の身を守ることくらいはできなければ困ると、稽古を繰り返していた。
 マルスはまた、連絡や、物資を運んでくるカチュアと良く話すようにもなった。話の内容はマケドニアの状況や、オレルアンの状況など、戦略的な話が多かったが、カチュアのペガサスナイトとしての話や、白騎士団の話、また自分がアリティアやタリスにいた時の話など多岐にわたった。そして、時を経るに連れてマルスに笑顔が取り戻されていくのを、マリクや他の皆も気づきはじめていた。
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