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FireEmblemマケドニア興隆記
幕間編
十三章 萌芽
砂っぽい都。それがオグマがドルーアの王都に対して持った印象だった。山の窪地にあるドルーアの都、山腹をくりぬいた宮殿。しかし、周囲の山肌にはほとんど緑は見えず、ただ岩と砂のみが空間を支配している。
道々にある建物はしっかりとした石造りであり、それ自体は非常に頑強なものであることが見て取れた。しかし、それだけであった。人の匂いとか、ざわめきとか、気配さえその街は吸い取り、自分のものとしているかのようであった
オグマは、普段から身に着けている簡単な皮鎧の上にフード付きの外套を羽織っていた。彼の持つ剣は外套に隠れ、表情も目深に被ったフードによってうかがうことはできない。これは、ドルーアの都であれば変わった格好ではなかった。ほとんどの者は風に舞う砂から自身を守る為にそれなりの格好をしている。
ドルーアの都といっても、何も竜に変身する竜人族だけが住んでいるわけではない。ドルーアに雇われた傭兵たちや、ドルーアに物資を持ち込む商人達も存在する。しかし他の都と比べると女性や子供の姿が見えない分、異質だった。
ドルーアが大陸全土に戦火を広げた分、ドルーアに雇われた傭兵の人数は相当数に上る。そのなかには山賊崩れや、ろくに文化も持たない蛮族も含まれている。勢い、ドルーアの都も治安が悪くなりそうなものだが、そうもなっていない。蛮族と呼ばれるような者達であろうと傭兵達には竜人族の恐ろしさが身にしみてわかっている。誰も、この地で好んで騒ぎなど起こそうとしないのだ。だからこそこの都は静かである。石畳を歩く足音、建物の隙間で悲しげに鳴く風の音、砂粒が何かにぶつかるばらばらという音。それ以外の音は滅多に聞こえなかった。
この異邦の土地にてどのようにしてグルニアの王子、王女と接触を持つか、オグマは思案したものの格別良い案が浮かぶこともなかった。じっくりと腰を据えてかかるしかない。オグマは、そう覚悟を決めると、ゆっくりとその歩みを進めた。
ユベロがドルーアの都へ来て、すでに数年が過ぎ去っていた。戦争がドルーア側の勝利で終わったことはユベロの耳にも届いていたが、そのことは指し当たって彼の生活を変える要因とはなりえなかった。
日々のドルーアの都での暮らしは、そう極端に劣悪なものではなかった。実質的には人質としてドルーアに来させられたような身分であったとしても、留学と言う名目を取っていることでそれほど極端に自由を拘束されることも無かった。
昼はドルーアが運営する学院とでも言うべき建物で諸事を学び、夜は与えられた宿舎で眠りに就く。しかし、学院と言っても、別段教えてくれるような先生がいるわけでもない。実際はドルーアにある書物を無造作に貯めておく図書館とまでもいかない書庫のようなものである。そこに本やら、筆記用具やら必要なものがあるので勝手に学習しろとのことらしい。実にいい加減なものであり、自分達がここにいる意味を端的に物語っているとユベロは理解していた。
自由を拘束されることは無いと言うものの、基本的には学院と宿舎を往復するだけの自由があるだけである。長時間居場所がわからなければちょっとした騒ぎになり直ちに捜索が行われることになるだろうが、短時間であればチェックが入るようなことはない。移動の際に持ち物の確認が行われるようなことも無い。人質と言う意味であればそれだけで十分だった。彼らがなんらかの騒ぎを起こせばそれは彼らの国の不利益に直結する。彼らの一人一人はそれほど政治に通じているわけではないが、それだけは最初に噛んで含めるように教え込まれた。故に、それが彼らに対する最大の拘束となっているのである。
ガーネフなどはそれでも手ぬるいと言い、カダインの地下牢獄へ彼らを幽閉することをメディウスに進言していたが、これはメディウスが許さなかった。もっとも、このことに限らず、メディウスはガーネフが独断専行するようなことを許さず、戦勝以降、色々と口を出してくるガーネフに対し徐々にその権限を取り上げていくような姿勢を見せていた。
ドルーアに人質となっているのは四人。グルニアのユベロ王子、ユミナ王女。グラのジオル将軍の息女であるシーマ。そしてマケドニア、ミシェイルの末妹であるマリア王女である。シーマはつい最近ここに連れてこられている。マリアが連れてこられたのは、ユベロ達よりも少し後のことだったから、彼女もここでの生活はかなり長い。彼らは同じ宿舎にて生活しているのだが、それほど顔を合わせることもなかった。
ユベロはグルニアの王子である。ユミナはユベロの双子の姉だ。母親はグルニア貴族の出身である。器量良く、婚儀の際には国中に祝福され婦人の見本とされるような人物であったが、その当人はほとんど表舞台に出てくるようなことはない。特に今では、国王のルイが病気で伏せっている為、そのほとんどの時間をルイのために費やしている。
ユベロもユミナもその容姿は母親似だ。その鮮やかな金髪はアカネイア中央でこそ珍しくは無いが、グルニアではほとんど見かけない。
ユミナは気が強いことで城中では有名だった。物心がついたころから城の中をよく走り回っていたと言う。側に控える者に無茶な命令をして、困らせることが多かった。
逆にユベロは気が弱く、城でもあまり動き回ることはせず、本ばかり読んでいた。付きの者とすらも余り話すことはなく、その性向はルイのものを受け継いだのだろうと言われると共に、グルニアの将来を継ぐには余りにも心細いのではないかと言われていた。
しかし、ユベロが七歳の頃、その評価は一変した。ある日、グルニア城内の隅に立っていた一本の木が突然炎に包まれて燃え尽きたのだ。周囲に燃えるようなものも無く、出火そのものはその木が燃えただけで済んだ。だが、人々を驚かせたのは木を燃やしたものがユベロが放った魔法であるということだった。
確かに、先生に恵まれればそれくらいの年齢で魔法を使えるようになる人もそう珍しいことではなかった。しかし、ユベロはほとんど独学で魔法を習得し、使用したのだ。ルイはそれ以降、ユベロに魔法を教えるための先生を付け学習させた。その先生によれば、ユベロは非常に強い潜在的魔力を持っていると言うことだった。
そのようなことがあって、ユベロは俄然、グルニアの後継者として注目されるようになった。しかし、その性格は相変わらず余り人と話さず、多くの本に囲まれて過ごすというものだった。それらの本の中には、政治学の本や軍略の本も混ざっていたのだが、それをそれとして解っていたのは極わずかな人でしかなかった。
一方のユミナは勝気ながら聖職者としての資質を持っており、普段の学習とは別に聖職者としての学習もしていた。もっとも、王族の女性が聖職者としての学習をするのはよくあることで別段珍しくは無い。特に、今は行方不明となっているがアリティアのエリス王女などは非常に強い聖職者としての資質を持っていることが知られている。それに比べれば、ユミナの水準は平均よりも少し上と言う程度だったが、それでもそれなりに高い資質を持っていた。
しかし、そのような二人も暗黒戦争が始まり、グルニアがドルーアと同盟を結ぶとまもなく、幼くしてドルーアへと人質に出されてしまった。建物自体は同じところにいるとはいえ、もともと性格の異なるユベロとユミナはそれほど話をすることもなくなってしまった。時折り見かけるユミナはと言えば、ドルーアの都へ連れて来られてからはどことなくふさぎこんでしまっている印象をユベロは感じていた。
ユベロ自身はもともと独学での学習が性にあっていたこともあり、与えられている書物を片端から読破している毎日であった。学院の蔵書は百年以上前の古いものも数多くあった。それは、ユベロにとって宝の山だった。知られざる歴史の真実、失われた魔道の知識、英明な君主の統治法。それらの多くは同年代の少年よりも遥かに多くの知識を持つユベロにさえ理解が難しい、または不可能なものだった。それらの本の山をユベロは日々黙々と読んでいた。
ドルーアの人質に対する、ある意味合理的な管理のいいかげんさは学院の蔵書にも顕れていた。本来、知られざるべき歴史書や政治学の書などもそこには含まれていたのだ。ドルーアの英知は、アカネイアがどのようにして成立したのか、その後各国がどのように枝分かれしたのか、マケドニアが、グルニアがどのようにして誕生したのかを克明に記していた。それらには、極難しい語調で語られるべき事象が冗長に述べられている。普通の人であれば読むことそのものが苦痛となるような書物ばかりだった。そういった書物をもユベロは時間を掛けて読み解いていった。
ユベロは自分の部屋で時折イメージトレーニングをする。そればかりでなく、小さな炎を手のひらの上に作り出し、色々と試してみたりもする。ユベロは、小さい炎を扱う程度であれば魔道書の力を借りずにもできる。こういった細かい鍛錬は確実にユベロの魔力を増大させていた。ユベロはドルーアの地で知識と力をひっそりと蓄えつつあった。そして、幼いながらに自分の国の窮状を見てきたユベロは、グルニアだけは何とかしなければならないといった王族としての自覚を徐々に高めつつあった。
ドルーア到着後のオグマの調査状況は、良い成果を上げているとは言えなかった。オグマはどこの町にでもあるような酒場兼宿屋に宿を取って逗留していた。だが、ドルーアという場所柄なのか、その酒場には恐ろしいほど活気が無かった。押さえつけられたかのようなひそひそとした声が、時折耳に入ってくる程度である。
オグマは袖の下を使い、酒場の主人からいくらかの情報を聞きだそうとしたが、目に見える成果が上がっているとは言えなかった。結局のところ、自分の足であちらこちらと確認していくより他、方法が無かったのである。
やがて路銀も底を付き、オグマはドルーアにある闘技場で資金稼ぎをしながら地道に調査を進めていた。オグマは、ドルーアの宮殿を主に調査をしていたのだが、グルニアの王子、王女の居場所は皆目検討が付かなかった。
闘技場とは、大陸では一般的な賭博施設だ。観戦者は対戦者のどちらかの勝利に賭けることができる。対戦者は掛け金を払って対戦に参加し、勝者はいくばくかの賞金をもらう。ただし、試合に関わる怪我や死亡については闘技場側で一切責任を持つことは無い。
大陸の裕福な層の人たちは、闘技場での対戦専用に人を雇っていることもある。そのように雇われた人は剣闘士と呼ばれる。同じ剣闘士でも、雇い主と友人のような関係にある者もいれば、奴隷のような扱いを受けている者もいる。この大陸では剣闘士奴隷という言葉は一般的ではなかったが、似たような者が存在はしていた。
オグマはその剣闘士上がりの傭兵であり、その剣の腕は剣闘士時代に培われたものだ。アカネイアに隣接するノルダの闘技場がオグマの生活の場だった。剣闘士時代からその勇名を馳せていたオグマではあったが、ある時主人の不興を買い、処断されることとなってしまう。しかも、その方法は路傍で飲まず食わずのまま放置されるというひどいものであった。
その時、その窮状が、たまたまアカネイアに来ていたタリス国王モスティンと、幼き王女シーダの目に止まった。オグマは、かろうじて保っていた意識の奥底で、シーダが泣きながらオグマを助けて欲しいとモスティンに懇願しているのを見ていた。意識が途切れ、再び意識を取り戻した時にはベッドに寝かされており、横には目を真っ赤に晴らしながらベッドにもたれかかって寝息を立てていたシーダがいたと言う。
モスティンがオグマの身柄を引き取り、オグマは自由になったのだとは、オグマがだいぶ回復した後から聞かされた話だった。オグマの主人はアカネイア中でも強欲な貴族の一人だった。いったい、自分を自由にする為にいかほどの財が必要だったのか。しかしそのことを聞いてもモスティンは笑って答えなかった。お主を救ったのは娘のシーダだと、それだけを語った。
以来、オグマは傭兵という立場でタリスに逗留した。傭兵という立場で、タリス以外の国の戦闘にも何度となく参加した。いつしか、剣士オグマの名前は大陸中に広まっていったのである。
オグマは始め、懐かしさ半分で闘技場の門をくぐった。だが、その懐かしさが間違いであることにはすぐ気づくことになった。
そもそも、ドルーアに闘技場があることはオグマには不思議だったのだ。闘技場は喧騒と隣り合わせの施設だ。この、砂の音しか響かない街にはたいそう不似合いである。
ドルーアの闘技場も、大陸の他の国にある闘技場と同じ決りごとを持っていた。勝てば賞金をもらえる。降参するなどして負ければ掛け金は取られる。死亡しても責任は取らない。
闘技場の構造も同じだ。すり鉢状の会場の底辺に戦う為に十分広い円形の空間がある。そして、その空間の周りをぐるりと囲むように並べられた席が階段状にかなり高い位置まで設けられている。異なったのは、対戦の雰囲気だった。
観戦客は結構な数いた。しかし、歓声がない。みな押し黙って勝負の行方をじっと見ているのだ。どちらかを応援しようとか、そういったそぶりは見せないといっていい。
参加者の雰囲気も微妙に異なった。闘技場の参加者といえば、傭兵崩れの剣士や、腕試しがしたい騎士や戦士などがメインだ。たまに、弓使いや、魔法使いも参加することもある。しかし、ドルーアの闘技場は参加者の比率は圧倒的に蛮族が多かった。蛮族という言い方は多少語弊があるが、そうとしか呼べないような者。巨大な体躯で巨大な斧を迅速に振り回し、命の危険も恐れず押してくるような者達である。オグマは持ち金が厳しくなると、日がな闘技場でそういった者達を相手に戦った。斧を素早く振り回すとは言っても、その狙いはごく大雑把で技巧も何もあったものではなく、そういった相手はオグマの敵ではなかった。
しかし、ある日の相手はあてが外れた。その男は、オグマと同じ剣士であった。片手に剣を、もう片方の手に盾を持つタイプの剣士だった。一目見た相手に威圧感を与えるような妙な存在感を持った男だった。
その男は強かった。素早い動きではオグマの方が勝っていたが、膂力では男のほうが勝っていた。素早く動き隙を作ろうとするオグマの剣を盾で押さえ込み、逆から剣が襲い掛かってくる。オグマも遅れを取ってはいなかったが、勝負は一進一退してなかなかつかなかった。
えてしてそのような対戦ほど一瞬で勝負がつくものである。オグマが隙を誘って下から斬り上げようとしたところを狙いしましたかのように男の剣が襲った。男の剣はオグマの持つ剣の柄元を強打し、オグマは思わず剣を取り落としてしまった。そのまま男は剣をオグマへつきつけ、寸前で止めた。オグマはすぐに降参を申し入れた。
闘技場では、降参すればそこで試合は終わりである。決まりごととして、降参したものをさらに攻撃するようなことはあってはならないとされている。その男もオグマも申し入れを素直に聞いて剣を引いた。
オグマはもとより、大陸中に名前が知れ渡っているような剣士である。たとえ相手が剣士といっても並大抵の者では相手にならない。しかし、その男はオグマを圧倒することが多かった。オグマは自身に慢心があったことを思い、それを悔いた。
闘技場を出ると、その男が待っていた。ドルーアの町の慣習として、男もフードを被っていたが、相対していたときとは全く印象の異なる笑顔でオグマを呼び止めた。
「さっきは惜しかったな。」
「惜しくも何もない。負けは負けだ。……それより何か用か。」
オグマは悪びれもなくそう言った。勝負は勝負であるが、闘技場の外にそのしがらみを持ち出すようなことはオグマもしない。
「その頬の十字傷、聞き覚えがある。お前、タリスのオグマか?」
「……そうだとしたらどうする?」
オグマは苦笑いした。随分と噂が広がっている。
「なに、ドルーアの連中以外に会うのが久しぶりなんでな。ちょっと、付き合わないか。酒はいける口なんだろ。」
その男は、オグマの名前を知ってもその応対に変化があるようには見えなかった。
「いいだろう。」
オグマも、男には興味を感じたため、やや考えた後そう答えた。その男も言っていたが、オグマもドルーアにはドルーア以外の者が極端に少ないことは感じていた。その男はどう考えてもドルーアの所属しているような者には見えない。さらに、本来の捜査に行き詰っていたオグマには少しでも情報が欲しく、明らかに場に合わないこの男から何がしかの話が聞けないかと期待したこともある。
二人が入ったのは宿屋街にある酒場だった。オグマが逗留している宿屋とは違う宿屋だが、内部にさしたる違いがあるわけではない。中は、ちらほらと客はいるものの、やはり静かに静まり返っていた。オグマは、男に連れられるままに奥のテーブルへとついた。
「まだ、こっちの名前を言っていなかったな。俺はサムソンだ。」
「……紹介するまでも無いが……オグマだ。さっきはやられたよ。」
決まりごとの自己紹介の応酬の後、二人は少し笑いあった。
その男は、グラから来たという。アカネイアのはずれの村出身なのだが、傭兵として各地を回っているうちにグラに雇われたのだそうだ。オグマとは違いねっからの傭兵だった。
「グラか。グラは今、どんな様子なんだ?」
オグマは、グラにはあまり詳しくはない。傭兵として何度か足を運んだ程度だ。まして、戦争が始まりドルーア同盟側についたグラについては、オグマはほとんど知らない。
「……なに、ひどいものさ。ドルーアに取り入った将軍の側近連中が民を食い物にしている。グラはこの戦争ではほとんど被害を受けていないというのに民たちの生活はひどい有様さ。その上……。」
と、サムソンは一息ついた。
「……将軍の後継者争いが激しくてな。内政やら治安やらほったらかしであちこちで激突している。そして、将軍にはそれを押さえつけるだけの力がない。将軍も最低限の軍権、政権は把握しているが、グラの内部はがたがたさ。身内の恥を晒すようだがな。」
サムソンが言う将軍とは、グラの最高権力者であるジオルのことだ。グラはアリティアで内紛が起こり、時の有力な将軍が一部を率いてアリティアを離反したのがその起こりである。その為か、グラの最高権力者は代々将軍と呼ばれている。そのことによって、各国から一段下に見られてしまう場合もしばしばある。
「グラの後継者は、ここに人質として預けられているシーマ王女ではないのか?」
オグマは、ユベロ、ユミナを探す過程でその名前を聞いたことがある。マケドニアからはマリア王女、グラからはシーマ王女がそれぞれ人質としてドルーアに来ているということを。
「将軍には愛妾との間に何人もの子供がいるのさ。シーマ王女はその中でも将軍の一番のお気に入りな姫が産んだ姫様だ。しかも、将軍は後継者争いがあることを予見してその姫とシーマ王女をアカネイアに移住させたんだ。つまり、気に入ってた姫を安全のために手元から放すほど気に入ってたということなんだが……。」
「ドルーアに見つかったのか。」
「そうだ。人質というのは、取られた対象が人質を大切にしていればしているほど効果がある。ドルーアはどこからかシーマ王女のことをかぎつけてきて、人質に取ったというわけさ。」
サムソンはその後も、グラの内部での後継者争いの激しさを大いに吐露した。グラの宮廷ではそれこそ血で血を洗う毎日だという。今では、有力な後継者は三人程度になっているが、絞り込まれた分争いも激しいと。
サムソンは一介の傭兵であるにしてはグラという国の内情を知りすぎている。途中からオグマはそう感じていた。もちろん、傭兵と言っても一つの国に仕えている限り、宮廷内の権力闘争について噂くらいを耳にすることはよくあることだろう。しかし、サムソンの説明は推論口調ではなく断定口調だった。噂などではなくサムソンはそういったことがあることを実際に見聞きしている。つまり、サムソンはグラの中枢にかなり近い位置にいる人物であろうとオグマは推察した。
しかし、シーマ王女の方へ話題が流れたのはオグマにとって幸いだった。話題の流れがふっと途切れたとき、オグマはそれとなく聞いてみた。
「ところで……、あんたはシーマ王女がどこにおられるのかは知っているのかい。」
だが、そこで一瞬ふっつりと会話が途切れた。
「……それは、タリスの者が知ってよいことではないな。なぜ、それを知りたがる。」
そこまできて、オグマは自身の話を何もしていないことに気がついた。それであれば、サムソンにとって、オグマはタリスの軍属にある一傭兵であるにすぎない。そして、サムソンの警戒の仕方から彼はシーマ王女の居場所を知っているものだとも判断した。あまり、隠密行動に向いている人物ではなさそうである。
そうであれば、オグマは自身の身上についても説明しなければならない。隠密行動には向いてなさそうでも、信頼には足る人物であると判断したオグマは、それでもある程度の危険は承知でなぜここにいるかを話すことにした。オグマも今は少しでも情報が欲しく、それが人質達がいる場所であるのならば多少の危険は飲むべきだった。
「すまんな。実は俺は、グルニアのロレンス将軍閣下に頼まれてここに来ているんだ。グルニアのロレンス閣下とタリスのモスティン陛下は旧来からの友人だそうだ。そのつてで、俺はグルニアのユベロ殿下とユミナ王女を助けてやって欲しいといわれている。それで、殿下と王女を探しているわけだが、どうも皆目見当もつかなくてな……困っているところなのだ。」
オグマの説明に、サムソンは驚いていた。
「タリスとグルニアにそのような繋がりがあることは……はじめて聞いた。」
「まだ、タリスが小部族に分かれていたとき、モスティン陛下とロレンス閣下は共にタリスの統一を目指して戦ったのだそうだ。ロレンス閣下がどのような事情でグルニアに渡られたか、詳しいところは知らないが、どうもロレンス閣下はもともとグルニアの人だったらしい。」
「……なるほど、それでグルニアの王子と王女を探していると。まったく見当はつかないのか?」
オグマはかすかに首を振った。
「ああ、王宮を中心に調べているのだが、どうも見つけることができない。一体どちらにおられるのか……。」
サムソンはオグマの話を聞きながら、残っていたエールを一気に飲み干した。サムソンは店の親父に追加の注文をすると、テーブルの上にやや力を入れた感じで両手を組み合わせて置いた。
「……それならば、王宮は見当違いだ。ここにつれてこられた人質達は、この都の中のとある宿舎に寝泊りしている。」
「知っているのか?」
オグマの勘は正しかったようだ。オグマは、必ず聞き出すべくさらに耳を傾けた。
「ああ、お前さんを風評どおりのオグマだと信用して話をしよう。俺がここにいる目的はシーマ王女の護衛だ。なに、お前さんがグルニアに頼まれたことと同じことををジオル将軍に頼まれたのさ。」
サムソンは、ジオルがシーマをドルーアに人質に出した時に護衛を引き受けドルーアにやってきた。そのため、一度タリスからグルニアを経て来たオグマと比べるとずいぶんと前からドルーアにいることになる。サムソンもシーマの居場所を見つけることには苦労したという。
サムソンは、人質となっている四人がまだそれほど年齢が高くない少年少女達であることに目を付け、四人で行動するような子供たちがいないかどうかを調べて回った。結果としては、シーマ達は四人でまとまって行動しているわけではなく、移動する場合は一人一人別々に移動していたのだが、この調査にシーマは引っかかることになった。
なにしろ、ドルーアの都は子供の姿がまずないのだ。竜人族の者はまず例外なく人間の老人のような姿形をしていたし、そうでなければフードを被っているもののいかつい蛮族や兵士たちばかりである。どこかで身長の低い子供達が行動していれば、ドルーアでは目立ってしょうがない。サムソンは、ドルーアの人々からの聞き取り調査に大いに苦労しつつも、数少ない外部からのドルーアへの逗留者より貴重な情報を聞き出し、ようやく人質たちと接触することができたという。
「では……城の方は調べなかったのか。」
「いや、調べなかったわけではない。しかし、城の中にいるとして、もし奥深くにいたら探し出すことはほぼ不可能だからな。それ以外の方向からもいろいろあれこれ調べてみたのさ。」
オグマはサムソンに感心していた。剣の腕も、その思慮深さも自分には及ばないところがある。オグマは知らず知らず自分でもうぬぼれるところがあったのかもしれない。大陸が広いことを改めて思い知ったオグマではあるが、そのことを認識できたことはドルーアに来たことによる大きな収穫の一つだとも思っていた。
「なに、ともかくそういった事情であるなら案内してやろう。明日の昼過ぎくらいにこの宿の前で待っていてくれ。俺は、ここの宿に泊まってるからな。」
「案内してくれるのか。そりゃありがたい。」
オグマの言葉にはその感情がまっすぐに表れていた。
「なに、たいしたことじゃない。今日の飲み代くらいは持ってくれや。似たようなことをやってるんだ。仲良くしようや。」
と、またサムソンはカップに残っていたエールを飲み干した。オグマは苦笑しながらも、その後は二人で盛大に飲み食いすることとなったのである。それからはその飲み屋の隅の一角だけいつもとは違って笑い声などが聞こえていたのだが、相も変わらず他の客は何も気にする様子は見せなかった。
翌日、オグマとサムソンは予定通り宿屋の前で合流した。前日は二人ともかなりの酒を飲んでいたのだがその影響は全くなかった。
サムソンはまず、人質たちが普段暮らしている宿舎と学院をオグマに見せて回った。場所的には町の中心部と王宮の中間くらいにあたり、近辺は商店なども少なく比較的大き目の邸宅が多い。いわゆる高級住宅街の装いを見せている。
オグマはサムソンから、人質達はこの二つの建物で一日を過ごしていると聞いた。しかし、二つの建物の間を移動するときに限っては多少自由になる時間があるという。
二人はそのまま、学院からユベロ達が出てくるのを待った。
最初に学園から小さな影が出てきたのは、太陽が西にだいぶ傾いたころだった。
「あれは、おそらくマリア王女だろう。」
と、サムソンは言う。オグマから見てもフードの中にかくれているがかすかに赤い髪が見えた。マケドニアの王女であるマリア王女に間違いないだろう。
次に出てきたのは少年であった。四人の中でも少年はグルニアのユベロ王子だけだ。オグマとサムソンは頷き合うと、オグマはゆっくりと少年に近づいていった。
「失礼します。ユベロ殿下であらせられますか。」
オグマは、フードを上げ少年へ一礼した。かすかに少年のフードの中を覗き込むと、その金髪がかすかに見えた。ユベロ王子に間違いない。
「……何者ですか。」
少年のはっきりとした誰何の声がオグマの頭に響いた。声はまだ高くとも、しっかりとした重みのある言い方だった。
「申し遅れました。私は、オグマと申しまして、グルニアのロレンス閣下より、ユベロ殿下、ユミナ王女を護衛するように仰せつかり参りました。お見知りおきをお願いいたします。」
「ロレンスが……そうですか。……顔を見せてはもらえませんか。」
オグマが上げた顔を、ユベロは凝視した。しっかりした視線をオグマは感じていた。
「ロレンスの名前を出すからには間違いはないのでしょう……。確かに私がユベロです。……細かいことは歩きながら話しましょう。」
そう言うと、ユベロは歩き始めた。
ユベロがまず言及したのはユベロの現状であった。宿舎と学院の間を一日に一往復するというのはオグマがサムソンから聞いていた通りである。
ユベロの態度は、オグマが想像していたものとはかなり異なっていた。聞いた話が確かであれば、ユベロはまだ十二、三歳のはずだ。オグマは、ロレンスの口調からさぞ頼りない王子なのであろうと想像していたのだが、実際は違っていた。オグマが実際に見聞きするユベロからは非常に利発な印象を受けた。少年といえどもこれがいわゆる王族と呼ばれる者の姿なのだろうかと感心することしきりであった。
ユベロは次にユミナのことについて話した。ユミナは一般的に言われるような性格とは別に大層な寂しがりやなのだそうだ。オグマがまだユミナとは会っていないということを言うと、明日は自分ではなく、ユミナに顔を通しておいて欲しいとのことをオグマは頼まれ、了解した。
ユベロはさらに続けた。ことここにいる限り、実質的に護衛という意味合いであればほとんど必要は無いという。何かよほどの変事も無い限り日々の生活に不安はないのだと。ただ、建物の中にいるときはいくらか監視の目もあってうかつなことはできない。だから、接触するのは学院からの帰り道に限定するべきだとユベロは言った。帰り道などについて言えば、できればユミナとできるだけ一緒にいてほしいがユベロから頼みたいこともあるため、ユベロとユミナ一日ごとに交代してほしいとのことだった。
それくらいのことを話していると、ユベロの宿舎が近づいてきた。ユベロは、ぎりぎりのところまで一緒にいるのはまずいと言い、宿舎のだいぶ手前でオグマと別れた。別れ際にユベロはユミナを頼みますともう一度オグマに頭を下げ、宿舎の方へ去っていった。
ユベロと別れ、オグマは深くため息をついた。オグマは、アリティアのマルス王子に出会ったときの衝撃をもう一度受けていた。グルニアには、眠れる獅子がいるのかもしれない。オグマはそんなことを考えつつ、頭を大きく横に振った。
さらに翌日、オグマは予定通りユミナと接触を果たした。ユベロの時とは違って、オグマがドルーアの使者のように勘違いされたため静かなドルーアの街中でさえ騒ぎになりかけた。オグマが、ロレンスからの使者であることの証を見せることによってようやくユミナも納得していた。
街が静かであることは、そこにいる者の好奇心が少ないということと同一ではなかった。珍しく騒ぎを起こしかけていた二人に対してたまたま通りがかった三、四人が不気味な視線を投げかけていた。そのため、二人はそそくさとその場を去ったのである。
ユミナ性格はだいたいオグマが聞いていた評判どおりだった。無駄に明るく、高圧的である。ユミナはオグマがロレンスの使者と知った後はすっかりオグマを信用し、毎日でもオグマに迎えに来るように言ったが、ユベロとの約束を引き合いに出すと案外あっさりと引き下がった。このような性格でも、弟にだけは姉らしいところを見せていたいのかもしれなかった。
その後、オグマはユベロとユミナと一日に一回、接触するようになった。
最初は学院の前で二人が出てくることを待つようにしていたオグマであったが、二回目に会った時にユベロの提案で待ち合わせ場所を変えることとした。おそらく問題はないだろうが変に勘ぐられても困るでしょうと言う事で、オグマもこれには賛同した。同じことは、翌日のユミナにも伝えられた。
ユベロはグルニアの現状や国際情勢についていろいろとオグマに聞くことが多かった。オグマもドルーアに来てからはそれほど詳しいことはわかっていなかったのだが、ユベロはドルーアでの外の世界と隔絶していた期間が長いため、最初は戦争の結果すらまともに知らなかったくらいだ。オグマはできうる限りのことをユベロに教えた。グルニアの窮状を聞くたびにユベロはしきりに悔しがっていた。それに引き換え、マケドニアが大陸の半分弱を統治するようになったことを伝えると、ユベロは何事かを深く考え込んでいた。
もう一方のユミナが聞きたがったのはオグマのことであった。特に、最初はオグマとロレンスの関係を聞きたがっていたのだが、それほどたいした関係ではないことがわかると標的はオグマの方に移った。
「タリスにはシーダという名前のお姫様がいて、私はその方に命を救われたのです。……ですが、私はあの方にわずかな恩ですら返すことがかないませんでした。」
ユミナの巧みな話術につられ、オグマは彼が彼の奥底にしまっていて滅多に話すことの無いシーダとの話をもユミナに話していた。ユミナはそんな話も興味深く聞いていてくれた。ユミナなりに何かを感じることもあったのであろう、時にオグマを気遣うようなこともあった。
二人と会うようになってから、オグマはかき回され通しであった。ある時、ユベロはファイアーの上位魔法であるエルファイアーの魔道書を欲しがった。オグマはわざわざ道具屋でそれを求め、ユベロに手渡した。宿舎や学院で魔法を放つことはできないが、中身を解読しておいていつでも使える状態にしておくのだという。それが、ボルカノン、トロンと段々と価値が上がっていくことも遠い将来のことではないように感じた。
オグマは、ユベロから変事の際には真っ先にユミナを助けに言って欲しいと頼まれていた。自分ひとりくらいであれば魔法を使って身を守ることはできるとユベロは言っていた。オグマに言わせればユベロは実戦経験がないのだから、そのようなことを言われても説得力は無い。だが、ユミナと比べればユベロの方がずっと戦えそうであることは明らかで、そこは意見を挟むようなところではなかった。
ユベロが、オグマから聞いたことについて、いろいろと考え事をしているということはオグマにもわかっていた。ユベロはオグマに、マケドニアのマリア王女について訊ねることがあった。もちろん、オグマはマリア王女のことには詳しくない。二、三、たわいも無いことについて聞かれたがオグマが答えられないとわかると、ユベロはそれ以上のことを聞くことは無かった。そのため、オグマもそのことについてはすぐに忘れてしまっていた。
ところがある日、オグマがいつもの集合場所に行くと、ユベロと同じくらいの背格好をした子供がユベロについてきていたのである。女の子のようであった。最初、オグマはユミナが一緒についてきているものだと考えていた。しかし、よく見ればユミナとは似ても似つかない。その女の子は赤い髪を持っていた。オグマは、まさか、と思った。
「オグマ、紹介します。マケドニアのマリア王女です。」
オグマは一瞬あっけに取られたが、マリア王女と紹介された人物が一礼するのに合わせて慌てて頭を下げた。
「マリアです。よろしくお願いします。」
マリアの礼は儀礼的であった。丁寧に教え込まれているといった感じであった。それでいて、声も容姿も愛らしい。美人と言うよりは可愛いという表現が似合う少女だ。
「ユベロ殿下、これは一体どういうことですか。」
「いえ、学院の中で偶然知り合う機会がありまして、宿に戻るときご一緒しましょうと連れてきたのです。」
「しかし……。」
オグマは以前ユベロから聞いたことがある。ドルーアとの無用の摩擦を防ぐために、人質たちはお互いに余り干渉しないよう言い渡されている。今、ユベロはその禁を破っている。それは比較的危険なことではないのかとオグマは思わずにはいられれなかった。
ユベロはマリアとは偶然出会ったように言っているがそれはおそらく嘘であろうとオグマは判断していた。オグマには思いもよらないがこの場にマリアを連れてきた意味が何かしらあるのだろうと。
「マリア王女、この方が私のために動いてもらっているオグマ殿です。」
「……立ったままで失礼します。改めて御意を得ます。紹介に預かりましたオグマと申します。よろしくお願いいたします。」
それまで、マリアに礼をすることすら忘れていたオグマであったが、ユベロに紹介されようやく自己紹介をした。
オグマの心情は複雑であった。マケドニアはオグマも直接戦ったことのある国である。その王女が目の前にいるという事実は、オグマを畏怖させるようなものではなかったが、感慨に耽らせるには十分であった。たとえそれが戦いとは全く無縁に見える少女が相手だったとしても、その少女が王女であるということだけでそれは力を持つ。
もっとも、オグマはマケドニアに対する感情と同じような感情をグルニアに対しては持っていない。オグマの中でグルニアはあくまでドルーア同盟の一部というイメージでしかない。モスティンにグルニアに行って欲しいと言われた時こそ多少の抵抗はあったが、まだそのような思いがあるかといえばほとんどないだろう。
「オグマ、ちょっとフードを上げてもらえませんか。」
「は、はい。」
オグマは、ユベロに言われてフードを持ち上げた。オグマの精悍な表情があらわになった。左の頬にある十時傷が他の者を圧倒する。その表情をマリアはまざまざと見つめた。
「オグマに、もうひとつ頼みがあります。」
「なんでしょうか。」
「以前、ユミナのことを守ってほしいとお願いしたよね。それで、もし何かがあった場合、余裕があればこのマリアのことも守って欲しいのです。」
「それは、かまいませんが……。」
オグマは、はっきりと答えることができなかった。何かあったとき、別々の場所にいる二人をオグマ一人で守るということは、いかにオグマと言っても不可能に近い。
「ユベロ殿下、私のことはついでなのですか。」
ふとマリアがそう言った。
「いいえ、オグマ。マリア王女は何かあれば私が守るつもりでいます。だから、基本的にはユミナを守ってもらえればそれでよいのです。マリア姫のことは、あくまで余裕があったときにはお願いしたいということなのです。」
オグマにはユベロが慌てて言い直したように見えた。その時、いつもの落ち着いたユベロからはほとんど見ることができない困った表情をユベロは見せ、オグマは危うく噴出しそうになるところだった。
「わかりました。そういうことであれば承りましょう。」
と、そのときはそういう理由でオグマは納得した。
その日は、いつも別れることになる場所まで三人一緒だった。マリアとユベロの会話は、終始マリアが押しているように見えた。ユベロも懸命に応対しているが、やや無理をしているようにオグマには見えた。案外ユミナに対しても似たような感じなのかもしれない。
いつも別れる場所にて、三人は別れ、マリアとユベロは時間をずらして宿舎へ戻っていった。ユベロが何を意図してこのような場を設けたのか、その驚くべき考えを聞くのはそうたいして遠いことではなかった。
次の機会に、オグマはユベロがマリアとの引き合わせを行った意味について語った。
「結婚!?」
オグマはユベロの考えに心底驚いた。ユベロはマリアを妃に迎えたいと考えているという。
「オグマ、あなたから聞いた各国の情報を総合すると、今最も力を持っているのはマケドニアです。さらに、グルニアには現時点で力らしい力はありません。あの黒騎士団ですらも今は形をなしてないのですよね。」
「はい。誠に申し上げにくきことではありますが。」
「そうであれば、復興の糸口をつけるのは力のある他国を頼るのが手っ取り早いはずです。今、力のある国はドルーア本国、カダイン、それにマケドニアです。この内、ドルーアとカダインには交渉の余地はないでしょう。しかし、マケドニアはここにマリア王女が人質になっているのを見る限り、ドルーア同盟の中でもグルニアやグラと同じく一歩引いたところにいるようです。マケドニアとなら交渉の余地があるでしょう。そこで、マリア王女と密に連絡を取り、彼女を私の妃として迎え入れることで、マケドニアとの同盟を強化し力を貸してもらいます。」
「それほど上手くいきますでしょうか。」
オグマは、懸念を示しつつも内心ではユベロに対し舌を巻いていた。政略結婚など、王族とはいえこの年の少年が持つ考え方ではない。
しかし、復興にしろ他国の力が介入した場合、復興後もその国の影響を多大に受けることになってしまう。戦争前の七王国の関係がいい例だ。アカネイア王国以外の全ての国は、アカネイアに頭が上がらなかった。
「復興した後のマケドニアの干渉については今は考えるべきではありません。復興完了後にゆっくり対処していくべき問題です。民の生活を安んじるには、まずはグルニアとしての主権をドルーアから取り戻さねばなりませんが、その手段について選択している余裕はほとんどないのです。」
ユベロは、マケドニアの干渉についても考えに入れた上であえてそれを無視するという。ユベロがそこまで深く考えていることに対してオグマは素直な驚きを禁じえなかった。
「それよりも大きな問題があります。」
とユベロは言う。
「それは、マケドニアがドルーアと戦うことを良しとするかどうかです。マケドニアを頼る、頼らないに関わらず私が旗揚げをすることになればグルニア領内でドルーアに敵対することとなります。そして、それにマケドニアを巻き込むことは、マケドニアをドルーアへの全面戦争へ誘導しかねません。マリア王女がたとえ私と一緒にいたとしても、マケドニアはグルニアを見捨てるときは見捨てるでしょう。」
「では、マリア王女のことは無駄ではないのですか。」
「いいえ、マケドニアがドルーアに敵対することを選ばないまでも、マケドニアとの繋ぎを強化することが無駄なことであるとは思いません。ですから、これからマリア王女へ親密に接して頃合を見て妃になってもらえるよう切り出すつもりでいます。」
と、ユベロは自分の決意を語った。
その後、話題はマリアの話になった。宿舎ではほとんど不可能だが、学院の中ではマリアと話をすることもできるという。
ユベロの話では、マリアは本当に王族らしくない姫君だということである。聞くところによると、物心ついたころから王国の修道院にてシスターとしての修行に力を入れてきたのだそうだ。王族としての最低限の礼儀作法は身につけているが、気高さとか威厳とかいったものにはあまり縁がない人だという。
年齢的にはマリアの方がユベロより二つ年上なのだが、ユベロから見てもマリアが年上であるとはとうてい思えないのだという。マリアに聞くところによるとかなり兄弟に可愛がられているらしい。しかし、そんなことを聞いてもオグマにはまったく想像ができなかった。マリアの兄弟といえば、マケドニアのミシェイル国王とマケドニアの白騎士団団長であるミネルバである。どちらも他国に恐れられている傑物で、とても身内の妹を可愛がっている姿は想像できない。もっとも、オグマ自身はミシェイルを一度見ただけなのだから、あんな男でも案外妹に対しては甘いのかもしれない。
オグマはまた、ユベロを見下ろした。フードに隠れた表情はオグマの身長からは覗くことはできない。しかし、例え表情を伺うことができてもその考えまでを見通すことは確実にできない気がした。
ユベロはグルニアにドルーアに敵対する道を選ばせようとしている。ユベロの考えは鋭くても、オグマに言わせればその考えはまだまだ甘いものだと言わざるを得なかった。現状のグルニアでかき集めることができる勢力では、とてもドルーアに立ち向かうことなどできないはずなのだ。そもそもその程度の戦力で相手にできるような相手であれば、アカネイアもアリティアもあっさりと滅び去るようなことはなかっただろう。マケドニアやグルニアがドルーアと同盟というなの従属を選ぶかどうかも疑わしい。
だが……。と、オグマはさらに考える。
グルニアには実権からは外されているとはいえ、まだカミユが健在のはずだ。さらに、ユベロはまだ恐れるということを知らない。少なくとも、今のルイのように鬱々としてされるがままということは少なくともないだろう。この、同年代の子供と比べると遥かに利発な王子と大陸最強の騎士が力をあわせることができるのであれば……奇跡も起こせるのかもしれないと。
それからしばらく経ち、オグマは相変わらずユベロとユミナの付き添いを一日置きにしていたが、いつのころからか時々ユベロに甘えるようにしているマリアを目にするようになっていた。いかにも仲がよさそうな様子であり、オグマは例の話をマリアにしたのかとユベロに聞いたが、ユベロは苦笑するだけだった。
オグマはまた、ついうっかりとそのことをユミナに話してしまった。ユミナは、しばらくフードの外からでもわかるくらい顔を真っ赤にしていた。しかし、それが恥ずかしがってのことなのか、怒ってのことなのかまではオグマはわからなかった。その時の会話も、いつもと同じでオグマにしてみればやはり恥ずかしがっているのか怒っているのかわからないような反応だった。
そして、その後、ユミナはオグマにまとわりつくことが多くなった。はしゃいでいるのか、甘えているのかはわからない。ただ、オグマは苦笑いしつつ適当に応対を返していた。そのうち、オグマはユミナのそんな反応を楽しんでいるのか、辟易としているのかわからなくなってきてしまっている。最初は確かにうんざりしていたものを、慣れとは恐ろしいものだななどとオグマは考えていた。