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FireEmblemマケドニア興隆記
 幕間編
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十四章 跫(あしおと)

 オレルアンを任されたマチスの最初の一年は、激務の連続であった。冬の危機的状況を乗り越えると、春から夏にかけては占領地政策の施行作業が待っていた。当然そういった特別な業務のほかに日々の庶務もこなさなければならない。マチスの業務がようやく落ち着いたのは、収穫祭が行われようかとする時期になってからである。戦争が終わってから、早くも一年が過ぎようとしていた。
 しかし、マチスは仕事が忙しいからといって別段不平を漏らすわけではない。むしろ、各種制度の策定には嬉々として積極的に動いていた。もっとも本来であればマチスでなくても事足りるような部分にまで口を出してしまうため、自分で自分の忙しさを増やしてしまっているようなきらいはあった。
 マチスにとって色々な決済などの日々の庶務は比較的わずらわしいものではあったものの、決して手を抜くことは無かった。紙に書かれた情報として入ってくる数値を、いつの間にかマチスは吟味し様々な方面と結び付け様々な部署の効率化のためによく口を挟んでいた。
 一日のうち、少ないながらも自分の自由にできる時間は城内の自室に篭りオレルアンならではの書物を読みふけることが多かった。公室での休憩時間は入ってくる様々な情報の整理を頭の中で行っていた。傍から見れば何もせずに中空を眺めているようにしか見えないマチスの休憩中の振る舞いであったが、頭の中は忙しく動いている。もっとも、それをそれとして知っている者の数は極端に少ない。
 カチュアはオレルアンに駐留して各拠点を中継するペガサスナイト部隊の長として、またオレルアン統治以前からの知り合いとしてマチスと接することが多かった。以前は、温和である割に指揮をすることにかけては他の人の追随を許さないマチスに対し、よくわからない印象を抱いていたカチュアだが、オレルアンでの統治に時間が経ち、その印象も変わってきていた。その浮き上がってきた別の印象とは、マチスの中に見出したミシェイルやミネルバとの共通点である。三人とも不器用なほどに完璧主義者なのだ。
 もっとも、三者三様、それぞれ微妙にその特徴は違う。ミシェイルはとにかく現実を理想に近づけるべく動くタイプであり、本人の能力も非常に高く平時に置いても乱世に置いても一国を率いる者としては得がたい資質を持っている。ミネルバも基本的にはミシェイルと同じだが、逆に自分以外の者が害されたり極端に不利益を被ることに弱い。また、どうしても被害が出るような流れになるとどうすれば良いかわからなくなる弱さも持っている。それは、ミシェイルが危惧したことでもある。
 マチスはその二人ともまた違った感じだ。マチスの完璧さはまず現状の把握とビジョンの確立から入る。その段階で得られる情報を完全に集めきり、到達目標をその情報から定め道筋を何通りも策定して事に当たる。一つ一つ段階を経て事に当たるし、そのことによって起こりえる影響もできるだけ考慮に入れて行うことを決定する。その確実さがミシェイルとは別の意味での完璧主義者といった印象をカチュアは強く感じていた。
 言い換えれば、ミシェイルは結果のみを期待しそれが最良のものであると判断できればそれでよしとする。しかし、失敗した場合には容赦しないし、失敗しそうになっていることへの嗅覚も確かだ。また、部下の心情、能力を読むことに長けていて、ミシェイルが玉座について以降、マケドニアの組織はだいぶすっきりとした形になりつつある。その中にマチスもおり、マチスはマチスのやり方でミシェイルの補佐を十分すぎるほど果たしている。ことが順調である場合には求めない過程をマチスは細かく形にしていく。そのマチスの確実さをミシェイルは買っている。
 もちろん、マチスの案は確実なばかりではなく、その発想にも見るべき点がある。事実、オレルアンで施行された様々な政策は実際に施行された地で評価したうえで本国の政策にもフィードバックされているのである。
 ただ、逆にマチスの場合は現実が見えすぎてしまい、無茶なことは決してしない。さらに、現実が判断できない場合には情報を集めることばかりに奔走してしまうきらいもある。そのあたりはなんとなくであるがミシェイルもわかってきていて、ミシェイルとマチスはお互いをよく見ながら絶妙なバランスでマケドニアという巨大国家の舵取りをしている。
 マケドニアを支えると思われていたミネルバは旅に出ることで一線を退いた。ミネルバがいなくともミシェイルとマチスのマケドニアによる支配体制はドルーア支配下の大陸にあっても磐石であった。もっとも、見えない部分での問題はかなり多く山積していた。マケドニアも決して順風満帆というわけではない。マチスの忙しさが逆説的にそれを物語っていた。

 マチスの忙しさに一番割を食う形となってしまったのはエリエスである。以前は一下士官と従軍シスターという関係だったのが、マチスが大将軍という立場になってしまったがために会うことすらままならなくなってしまったのだ。内心では寂しい思いをしていたエリエスだが、しかし決してそのことを外に出そうとはしなかった。そんな彼女の心情を理解していたのは兄のクラインだけである。
 クラインの方は、マチス直属の部隊長という立場になっている以上、マチスと顔を付き合わせる機会は非常に多い。とは言うもののマチスの直属部隊はマチスの守備を目的にしているわけではなく、マチスの目的に沿って色々と動くことが目的だ。そういう意味合いで言えばクラインもカチュアもそう立場に差があるわけではない。クラインもマチスの指示によって大陸中を飛び回っている。
 そうであっても、クラインは妹のことを気にかけていた。時々、思い出したようにたまには妹に会ってやってくださいとマチスに言う。マチスも時々は時間を無理やり作って城の敷地内にある教会にエリエスを訪ねていく。そんな時、エリエスは満面の笑みを浮かべてマチスを迎えた。それは激務で本人も知らない間に消耗させているマチスの精神をこれは本人にもはっきりと自覚できる形で癒していた。そして、段々とマチスも自分からエリエスに会いに行こうと思うときが多くなってきてはいたのである。
 とは言っても、マチスはそうそう時間を作る暇もないくらい忙しい毎日を続けていた。特に忙しいときには二月以上もエリエスと会う機会がない時もあった。マチスはあくまでエリエスに会うことよりもオレルアン統治の完成に注力していたのである。クラインですらどうしてそこまでマチスが自分を滅して動けるのかが不思議だった。たとえ、知る者が少ないドルーアへの戦いの決意があるにせよ、普通は息抜きのひとつやふたつするものである。結局マチスは大将軍と立場は変われど昔と変わらず変人なのであり、変人だからこそ自分もついていけるのだろうとクラインは結論付けていた。
 ただし、マチスのエリエスに対する行動だけはとてもわかりやすく、そのおかげでマチスとエリエスの仲についてはオレルアン緑条城城内でもほとんど公認となっていた。知らないのは本人たちばかりである。

 そんなマチスも秋になってようやく落ち着き、丸一日まとまった休みを取ることができる日があった。もっとも真相は、マチスの側近やクライン達が余りに休まないマチスに無理やり休みを取らせたというところだ。マチスはオレルアンの統治と言う大きな仕事を、まるで余興でもあるかのように楽しみつつ行っている。戦争が終わってからこちらは、マチスに何があったのかはクラインには完全には推測できなかったのだが、マチスが時々見せていた刺々しさがほとんど現れなくなっていた。三軍を指揮するようになって以降、その傾向は少なからずあったのだが、大将軍になってからのマチスはそれが例え部下相手であったとしても丁寧な物腰で応対するようになっていた。もっとも、だからと言って部下に楽をさせていると言うわけではないのは、前述の通りである。部下を使うとともに自分も決して立ち止まることは無いのだから、文句の言いどころもない。
 そのようなマチスの姿勢には感服しているクラインではあったが、あまりに妹が不憫であった。文官達もマチスが常に先頭に立って細かいところまで作業の指示をするものだから、心休まることが少なく、クライン自身にはあまり届かなかったもののマチスに休みを取らせたことに関しては多くの賛辞が送られていた。
 マチスに取っては幸運なことにその日は教会にとってもそれほど忙しくはない日であった。もっともそれがクラインの狙ったところでもあったのだがマチスはことこういうことになると不思議と考えが回らない性質だった。その日、マチスは朝起きると、いつもは執務室に向かうべき足を城内の教会へと向けた。そこは城付きの僧侶たちが活動する場所であり、従軍シスターたちが常日頃信仰心を磨くと称し、実は自分たちの治癒の技術を磨いている場所でもある。
 マチスは、教会に行き、目ざとくまだマザーと呼ばれるほどには至っていない従軍シスターの長を捕まえると、二言三言話をした。長は笑いながらどこかへと姿を消すとエリエスを伴って現れた。そしてエリエスをマチスに引き合わせると自身はすばやくまた自分の仕事に戻っていった。
「マチス様……。一体、どんな話をしたんですか。リーン様に、さんざんからかわれましたよ。」
 エリエスの顔は真っ赤に染まっていた。そして、エリエスはマチスに対してこれ以上無い笑顔を見せていた。
「いえ……今日一日エリエスを借りたいので休みにしてやって欲しいと頼んだだけなのですが。」
 今度はエリエスはさすがに驚いた顔をした。
「マチス様、急にいらっしゃらなくともあらかじめおっしゃって頂ければいくらでも都合をつけましたのに。」
「すいません。どうも休みを取ることに慣れなくなってしまっているらしくて。クラインに散々怒られましたよ。」
「……兄様……もう。」
 その一言だけでエリエスには十分すぎるほど事情がわかってしまった。そして、エリエスは素直にそれに甘えることにした。 
「それでマチス様、今日はどちらへ連れて行って下さるのですか。」
「ちょっと、遠駆けしようと思いましてね。私も準備をしてきますので。エリエスも馬を連れてきてもらえますか。」
「……一緒に乗って行ってはだめですか。」
 この時ばかりはエリエスの意図がわからないではないマチスではあったが、それでも軽く笑いながらこういった。
「はは。いくらあなたが軽いといっても今日行くところに二人を乗せていくのは馬がかわいそうですよ。さ、どうかあなたの馬を連れてきてください。」
 マチスはどこまで行くつもりなのだろうか。遠くても日帰りで行ける場所だとは思うのだが、そこまで言うところを見るとかなり遠い場所であるようだった。
「マチス様、それでは一刻ほど待ってもらえませんか。少し準備したいことがありますので。」
「わかりました。では、一刻後に城門の横で待ち合わせましょう。よろしいですか。」
「じょ、城門ですか……。わかりました、すぐに支度しますね。」
 エリエスの様子は少しおかしいようにマチスには見えたが、そう返事をすると彼女は教会の奥へと戻っていった。マチスは、早速厩舎より自分の私用の馬を持ち出すと城門まで引っ張ってきた。
 城の主が城門の横で馬を引きつつ待ちぼうけをしている。マチスの顔を知っている誰もが何事かとその場の彼に注目した。中には勇気を出して何事かと尋ねる者もいたが、マチスは単なる待ち合わせだよとそっけなく答えるだけだった。いくらなんでも、悪目立ちしすぎである。しかし、さすがにそろそろ付き合いも長くなってきているエリエスには、マチスがそのようなことは気にしない人だと言うことがわかっている。一刻後、片手に馬を引いてもう片手に大き目のバスケットを持ったエリエスは小さいため息をつきつつマチスと合流した。
 オレルアンの景色は、城壁に囲まれた城下町を抜けるとすぐに民家もまばらになり、草原が広がる。草原には、一部農耕で暮らす人々もいるが、城下町に住んでいる人以外の草原の民はほとんどが遊牧民だ。遠くで羊を追う声がする。
 しかし、マチスが選んだ道はいくらかも行かないうちに急峻な坂道となった。馬で登るにはかなり厳しい坂道だが、マチスはなんとか手綱を操って登っていく。エリエスは慣れたもので、片手にバスケットを持っているにも関わらずあいているもう片方の手で器用に手綱をさばいていた。
 到着したのはとある丘の上であった。いや、丘の上と言うには道のりは厳く、騎馬とはいえ乗ってきた馬は疲れ気味だ。二人はまずは手近な気に手綱を止め、馬を休ませた。周りにはちょうど馬が食べるにはよさそうな草が生えていて、早速馬たちは物色を始めているようであった。
 景色はすばらしいものがあった。その場所からはオレルアンの草原をほぼ一望することができる。真ん中にはかなり小さくなってしまっていたが、しっかりと天を指し示すオレルアン緑条城の尖塔がある。
 その丘はまさに草原に突き出した岬であった。下は断崖絶壁である。
「きれいな眺めですねー!」
 秋の強風に吹かれ、聞き取りにくくなりがちな状態に大声で逆らうエリエス。そんな彼女をマチスは数歩下がり、意図的に彼女と景色とを同化させ、彼女を中心にじっと見つめていた。普段はシスターの礼服に隠されているエリエスの長い髪が、はたはたと風になびいている。
「マチス様ー、私、お弁当を作ってきたんですよー。」
 と、エリエスはマチスへとその短い距離を駆け寄った。
「やはり、でかける前にお弁当を作っていたのだね。とても楽しみにしてたよ。」
 すでに、マチスの視線はエリエスの持ってきたバスケットに向けられている。エリエスの作った料理を食べることは久しぶりだった。下士官時代には時々家に呼ばれて一緒に食事をしたものだった。しかし……マチスは思い出していた。クラインがおらず、二人だけで食事を取ることは始めてではなかったかと。
 エリエスは手ごろな岩に腰を落ち着け、バスケットの蓋を開けた。
「さすがですね。とてもおいしそうです。」
 バスケットの中には、いっぱいにサンドイッチが入っていた。色とりどりの野菜やチーズなどがパンにはさまれている。
「教会でパンをわけてもらったんですよ。さ、食べましょう。」
 そのサンドイッチは、マチスには特別おいしく感じられた。マチスは思わず無心になってサンドイッチを食べ続けてしまった。ひとつひとつ味わうように食べていたのだが、気が付くとバスケットは空になっていた。
「マチス様、すごいですね。結構たくさん作ってきたのに。」
 言われて初めて少々、腹が苦しくなっていることにマチスは気が付いた。やや、食べ過ぎたらしい。
「エリエス、とてもおいしかったよ。」
 と、礼を言うと、マチスは草むらの上に寝転がり、空を仰いだ。丘の突端なので、木々もここまでは茂っていない。平原も空もはるかかなたまで見渡せる。秋の空をものすごい速さで雲が流れている。エリエスは、座ったまま笑みをマチスに投げかけていた。
「エリエス、この場所を覚えていますか。」
「はい、一年前に通ったところですね。あの晩はマチス様のおかげでしっかりと眠ることができたのです。」
 そこは、マチス達が緑条城を再び手に入れるために誰も知らない失われた道を通って北上した際、最後に野営を張ったところだった。マチス達が通ってきた尾根伝いにアカネイアとオレルアンを結ぶアドリア街道は、マチス達が使った後は再び獣以外に通る者も無く、クライン達が必死に整備した道も草木に埋もれようとしている。
 野営を張ったときにエリエスと見た景色は深い夕暮れと濃紺の星空だった。その時、不安に駆られていたのはむしろマチスの方だったはずだ。
「いいえ、エリエス。あの時助けてもらったのは私です。何度も軍の全体を確認し、作戦の全体を確認しても不安はありました。戦いというのは負けるときにはどのように準備しても負けるものですから。」
 エリエスは、黙ってマチスを見つめていた。マチスは、他のどんな人よりも実行力のある人だとエリエスは考えている。それは、マチス一人が何かをやりとげてしまうという意味合いではない。何かをやりとげようとすることができるだけの材料がそろっている時、マチスは事を始め失敗せず完遂する。
 もっとも、マチスは事を始める前に不安材料とリスクを天秤に掛け、割が合わないことであれば絶対に事を起こさない。だから、それは実行力が優れていると言うのではなく、判断力や洞察力に優れていると言うべきである。それを、エリエスは実行力があると思ってしまっている。
 しかし、マチスは自信と言う物を持っていない。マチスには常に不安があり、なそうとすることが重大であればあるほどそれに注力してしまう。それでも、マチスがその不安さを外に出してしまえば今のマチスほどの立場があればたちまち伝播してしまう。城の中が自信の無い状態になってしまうかもしれない。そうなることがわかっているマチスは、職務中はともかく常日頃からその自信の口に出すことはまったく無い。
 エリエスはその数少ない例外の一人だった。マチスがそういったことを口に出せるのは今はエリエスとクラインの二人だけだった。戦争になる前、マチスがまだ領主だったころ、その役目はレナの役目だった。
 もっとも、今言ったその言葉は自信のなさの現れであるとはマチスは感じても思ってはいない。戦いというものは負けるときは負ける。これはどうしようもないことであると言うことはよほどの楽天家でもない限り認めることだろう。兵士の前で言うべきことではなくとも。マチスは場違いにもそのようなことに考えを馳せていたが、聞かされたエリエスはこれは夕日が間近にあるかのように顔を真っ赤に染めてうつむいてしまっていた。そこには、いつもの闊達な彼女の様子はない。
「マチス様。そのように改めて礼を言われると恥ずかしいです。私は、マチス様のお役に立てればそれで嬉しいのです。」
 そう言ったきり、エリエスはまた固まってしまった。
「エリエス。あなたはそれほど自分を卑下するものではありませんよ。あなたの存在が、どれだけ私の助けになっているか、あなたにはわからないと思いますがあなたがいなくなることが私にはもう考えられなくなっています。オレルアンにいてくれること、それだけでも私は感謝しているのです。」
 実にマチスらしい考えと言えば考えだが、マチスはエリエスがオレルアンにいるのはクラインの為だと思っている。そしてこの時、マチスは言葉を紡ぎつつも、自分がどのようなことを言っているのかということについて、全く気にしていなかったのである。もっとも、後になって思い出したかといえば、マチスはこの時のことについて言えば重要な一点のみを記憶に留め、他のことはほとんど憶えていることはできなかったのだ。
「そんな……マチス様、私はマチス様のことをお慕いしております。」
 と、思わずエリエスは口に出してしまい、さらにうつむいてしまった。さすがに、ことの意味を理解できないマチスではなかった。
「エリエス、顔をあげておくれ。」
 マチス様はどのような表情をしているのだろう。怖くてうつむいたままであったエリエスであったが、マチスの再三の願いによってやっとその顔を上げた。そして、赤かった顔を一気に青ざめさせることになった。マチスは、まじめで険しい表情をしていたのである。その視線は中空を睨んでいて、エリエスの方向を向いてはいない。そこからは、自分にとって良くない結果となることしかエリエスには予想することができなかった。
「エリエス、こういうことはこういった場所で、話すべきことではないかもしれない。それでも聞いて欲しい。」
「……は、はい。」
「あなたの気持ちは非常に嬉しいですし、今でも飛び上がってあなたを抱きしめたい気分でいっぱいなのです。それでもね、今あの戦いから一年が経って、これから何年か先になるかはわからないのだけれど、ドルーアとの戦いがあります。これは、陛下と決めたことですから必ず戦いは起こるのです。戦いに対して色々と準備はしているけれど、ちょっとどうなるかまでは今の段階では予想がつきません。」
「マチス様……。」
 エリエスはマチスが何を言いたいのかがちょっとだけ分かってきていた。エリエスもドルーアといつか戦うということがマケドニアの真の国策として密かに決定されていることを知っている少ない者の一人である。どんな難事となるかわからないこの戦いに、マチスは没頭したいのだろう。
「マチス様、戦いが終わるまで安心できないと言うのならそれまで待ちます。私は、ずっとマチス様の傍におりますから。」
 いつの間にかエリエスは懇願する口調に変わっていた。
「エリエス……戦いは戦いです。考えたくは無いことですがあなたも私もどうなるかはわかりません。それでも、全てが終わったとき、どんなことがあっても、あなたが隣にいるのであれば、私はあなたを選びます。そのことを……今は約束させてくださいませんか。」
 とても回りくどい言い方だった。それでも、待ち望んでいた言葉の一つとしてエリエスには十分すぎるほど伝わった。 
「はい、喜んで!」
 と、エリエスは飛び上がり、そのまま寝ているマチスに抱きついた。
「……でも……身分がちょっと違いすぎますね。」
 笑いながら、単なる平民出身者であるエリエスはそう言った。基本的に王侯貴族社会である各国はそれなりに家柄も重視する。しかし、マケドニアではその傾向が薄い。
「そんなこと、私も陛下も何も気にしないでしょう。私は、一時期爵位を返上して平民として戦場にいた時もあるのですしね。」
 エリエスの背中に手を回し、マチスは続けた。
「それに、この国の初代国王は奴隷の出自です。長い年月が、愚かしい慣習を育んでしまっていたとしても、私達は間違ったことはしていませんよ。」
 それを聞いたエリエスはさらに強くマチスに抱きついていたのだった。
 その後、二人はしばらくたわいも無い話をして時を過ごした。クラインのこと、マチスの家族のこと。それはマチスにはとても貴重で贅沢な時間に思えた。しかし時は無限ではなく、名残惜しみながら二人は馬を駆り、城へと戻る。
 その日の夕方、厩から教会まで連れ添って歩く二人の姿をクラインは目にした。そして、世話の焼ける人たちだと思いつつも、なんとはない寂しさを感じずにはいられなかった。しかし、マチスとの話の真相を妹から無理やり聞きだしたクラインは、他の誰にも語るわけでもなく一人飲み屋で飲みながら周りに気味悪がられるほど大笑していた。そのときの客の話では独り言で、順番がめちゃくちゃだよ隊長などと言っていたという。
 次の日、マチスの指示はいつも以上に恐ろしいほど細かいところまで適格であり、リフレッシュして余計やりにくくなったなどとまで言う文官もいた。もちろん、それらはほとんどが冗談交じりの戯言なのは、誰から見ても明らかなところだった。

 戦いが終わり、年が開けてから、マケドニアでは軍事上の新しい試みが始められた。それはパオラとミシェイルの雑談の中で、パオラから提案されたものだった。白騎士団と竜騎士団の複合演習である。
 もっともこれは、オズモンドの代でもミシェイルの竜騎士団とミネルバの白騎士団で度々行っていたことだ。全く新しい試みと言うわけでもなく、規模を大きくし、動きを変えたものと言える。
 竜騎士団も白騎士団も、実際に稼動させるとなると多くの飼葉が必要となる。そのため、訓練は月に一回程度であった。ミシェイルは貴重な時間を無駄にしない為、竜騎士団の幕僚達とパオラ達、白騎士団の幕僚達と共に演習の前には入念な打ち合わせを行った。そして、演習の後にも必ず自らその評価を行う。一回一回、竜騎士団と白騎士団は確かな演習の手ごたえを感じていた。
 竜騎士団自体は、ミシェイルがいないからと言って動けなくなることはない。副長と言うべき人物もいるし、必ずしも竜騎士であるということではないのだが参謀集団である幕僚達もいる。マケドニアの他の軍ともだいたい同じ構成となっている。
 それでも、ミシェイルはあくまで自身での軍の統率に拘った。もちろん、これは他の国王と比べてもそれほどおかしいことではない。タリスのモスティンやグルニアのルイのように他のものに軍事の一切を任す国王もいるが、グラのジオルや、マルスの父親であるコーネリアスなどのように自分から軍権を行使する、していたような国王も少なくない。ただ、ミシェイルは政務をひとまず置いても自軍を把握しようとする辺り、マケドニアが軍国的な性質を持つと言うことを端的に現しているところなのかもしれない。それでも、軍事面においては現状行える限りのことは行えており、ミシェイルも一部の点を除いてはさしたる不安はなかった。
 政務に関して言えば、マチスがオレルアンに施した政策が、あるていどマケドニアの本領でも採用され施行されていた。あるていどと言うのはミシェイルの裁量で本領向けへの政策へと多少変更されているからだ。これらの政務は、最初にミシェイルがあれこれ策定はせず、王宮の文官達がマチスから受け取ったオレルアンにおける政策案を唸りながら解析し、本領向けにアレンジしている。ミシェイルは、そうやって作成された政策案に目を通し、認可する。それだけでいいはずなのだが、その案に抜け目があるとミシェイルは容赦なく指摘を入れ、修正を要求した。
 ミシェイルの指摘が的確であったこともあるのだが、むしろ文官達のアレンジに問題がありすぎる場合が多かった。
 マチスがオレルアンに施行している各政策案はそのほとんどがマチスによって明文化されている。マケドニア本領にもたらされるそれらははオレルアンにいる文官達付きの書生たちが原本から写本したものだ。完璧な写本など存在せず、ところどころに間違いが見受けられるがそのようなことはさしたる問題ではない。
 それらの政策案は大きくいくつかの塊になっていて、それぞれ章立てされている。税制、治安維持、商業法、交通統制がその大きなところだ。特に、マチスは長期的にオレルアンを支配するに当たって、オレルアンの産業の中でもかなりの大きさを占める牧畜に関する税制を大きく改めた。それまで、統計的に税を課すことが不可能と思われていた遊牧民に、年に付き一人いくらという税を課すようにしたのだ。さらに、あちこちを移動する遊牧民の統制には白騎士団に協力もしてもらっている。
 しかし、マチスの案を参考にしようにもマケドニア本領には牧畜を生業にしている者などそう多いものではない。産業として多いのは、林業と漁業、そしてミシェイルの方針の下、急激に生産量を伸ばしている農業であった。他にも、交通統制などはオレルアンでは街道の整備が最重要なのであるが、本領ではそれに加えて海路の整備も行わなくてはならない。
 要するに本領の文官達はそういった点に対する対策を十分に考慮することができず、そのままミシェイルに裁可を求めることが多かったのだ。これではミシェイルもそのまま採用するわけにも行かず、色々と口出しをしてしまう。国王である以上、いかに軍国主義的な性質を持つ国家だと言っても決して軍事だけにかまけているわけにもいかなかった。ましてや、ミシェイルもこと国のこととなればあれこれと注意を払うことができるだけの才を持っているのだ。より良い方策があると言うのに口を出さないわけには行かない。
 ミシェイルに口を出されると多くのものはそのまま納得してしまい、その通りにしようとする。理解するより先に納得してしまう。
 こういった事を、ミシェイルは実に大きな問題だと認識していた。多くの者がミシェイルに事をゆだね、自分で物事を判断しようとしなくなっている。また、多くの者がミシェイルに恐れを抱き、その言葉になにはなくとも従おうとする。将軍たちはともかく、特に文官達にこの傾向が大きかった。
 だが、それも仕方のないことだと言うことはミシェイルにもわかっていた。全ては、父であるオズモンドの政策の方向性によるものだった。父王の時代は特に親アカネイアで方策が決定していた。将軍達はともかく文官達はアカネイアから派遣されてきた役人たちの言いなりであった。率先してアカネイアの役人に協力し、私腹を肥やす者も少なくは無かった。その時代から、文官達はアカネイアの決定に従うだけの存在であり、自分で何かを行おうと言う者は少なかったのだ。また、仮にいたとしてもオズモンドが親アカネイア派ではどうすることもできなかったし、その上で自分を出しすぎる者は追い詰められて失脚していた。
 文官達はなんとかごまかしていたオズモンドだったのだが、軍部を抑えることはできていなかった。実際、マケドニアの都をアカネイアの役人が大きな顔をして歩くのを、いたしかたないとして我慢していたのは国王であるオズモンドと政策に直接関わる文官達くらいのものだった。他のものは将軍たちも、民衆も、アカネイアに対していい思いを感じていなかった。その時のマケドニアが決して豊かな国ではなかったと言うこともある。
 当時、ミシェイルは多くの人々に期待されていた。軍部の者やミネルバと話す機会も多かった王子時代のミシェイルであるが、自分が反アカネイア派であることは当時からそれとなく明言していた。それが、オズモンドを追い落とすことになった政変のときでも、大きな混乱を招くことはなかった要因にもなっている。そして、結局、オズモンドとアカネイアの役人達に従っていた文官達はミシェイルの行動を阻止することはできなかった。それどころか、彼らは慌てふためいてしまい、マケドニアの政務は一時、大混乱に陥ってしまったのである。
 結局、ミシェイルも国政への影響を考えて、アカネイアへの取り入りが極端だった者以外については処断することはなかった。しかし、後になってろくな文官がいないことに気づくこととなったのである。結局のところマチスにオレルアンを任せることができるようになるまで、広がりすぎたマケドニアの領土をほとんどミシェイルは一人で統制していた。しかも、文官達に任せることが現実的には不可能な状態にあったため、占領地の統治の多くは将軍たちが敷く軍政であった。
 マチスも軍の人間であるのだから、厳密には今のオレルアンも軍政ではある。しかし、現在では占領地域の一時統治とは全く異なる統治体制に移ってきている。ミシェイルはマチスの手腕を賞賛しながらもその側近たちにこう口を開くことが多くなってきていた。即ち、マチスがあと二人いればマケドニアはどの国にも屈することはないだろうと。
 ミシェイルは人物を求めた。マケドニアを支えるに足る人物を。しかし、先の戦争が四年、戦争が終わりミネルバが去ってから一年余り、ミシェイルの意を汲むような人物には目にかかれなかった。
 ミシェイルが特に欲した人物としては、自分の視野を確固としている内政官もそうであるが、技術の高い魔道士もその対象であった。それはミシェイルの持つ軍事上の最も大きな危惧である。マケドニアの軍は白騎士団を除いて魔法に極端に弱いと言う弱点を持つ。ミシェイル自身、レフカンディの戦いでいやと言うほどそれを思い知らされた。さらに、マケドニアには腕のよい魔道士が存在しない。魔法を使えるものは他国よりは少ないがそれなりに存在するものの、とても戦争で有効活用できるほどではない。ミシェイルはこの弱点を強化するために、急遽魔道士隊の編成を急いでいた。しかし、それを統率するような人物もおらず、中途半端に集められた魔道士は各将軍の部隊に配置されている形になっており、まだ形になっているとは言い難い。
 魔道士の数こそ少なかったが、ミシェイルは数としてはこれくらいで十分だと判断していた。ミシェイルが考えている魔道士隊の役割は、数は少なくとも優秀な隊長の元に遊撃的に動けることである。もともと、魔道士は絶対数が少ないのであるから、数を求めるのは難しいことはわかっているし、それだけの魔道士を維持することが難しいこともわかっている。だからこそ、欲しいのはそれを纏め上げることができる隊長ということになる。
 贅沢であることはミシェイルにもわかっていた。古来、魔道士の部隊を持つ国はほとんどいない。自前で魔道士隊を持っているのはアカネイアとグルニアくらいだ。アリティアにもあるが、非常に小規模なものである。他の国は必要になればカダインから傭兵として魔道士達を借り入れる。魔道士の力を最も持っているのはどこの国にも属さないと言う点では一つの国であるとも言える砂漠の自治都市、カダインなのだ。結局のところ、魔道で何かをなそうとするならばカダインの影響は免れにくい。
 よって、その隊長という立場が務まる人物もカダインの人物を除いてはほとんどいないと言ってよい。しかし、ゆくゆくのことを考えるとカダインにつながりの深い人物では困る。急いで人を集めたため、気をつけて集めたつもりであったとしても、今集まっている人物の中にそう言った危険性のある人物はいるかもしれない。それでも、魔道士隊の隊長だけは気をつけすぎてでも気をつける必要があった。
 ミシェイルは軍や文官の知己のみならず、広く市井にまで人物を求めた。しかし、そこまでやって尚、ミシェイルの目にかなうような人物は出てこなかったのである。
 もっとも、そのようなことは関係なく、マチスの作成した政策案を基本としてきてもマケドニアの国力は目に見えて上がってきている。マチスが担当する主な領土、タリス、オレルアン、レフカンディではかなり顕著だった。マケドニアの本領やディール、ペラティなども決して悪い状況ではない。
 落ち着いてくると、ミシェイルにはこのままドルーアと戦うなどと言う馬鹿なことをしなくても良いのではないかと思うこともあるが、そこでまた頭を払う。現状の良い状態はマケドニアのみのことであって、グルニアやアリティア、グラでは今だ食糧生産力が回復せず、困窮の極みであるという。ミシェイルもメディウスに許可をもらい、マケドニアの国力をすり減らさない程度の援助を各国へ行っているが、とても追いつくものではなく、援助自体がドルーアとそれに取り入っている者達の懐に転がり込んでいる節もある。その援助自体の許可は実にあっさり降りている。おそらくマケドニアの国力をすり減らすためにガーネフあたりが諸手を上げて賛成したものだとミシェイルは考えているが、それは当然の結果だった。ミシェイルは無駄だと思いながらも援助せずにはいられない。ミシェイルも様々なことを言われていても為政者であるのだ。人で無い存在に人が支配されていることが許せない。
 そしてもう一つ、より重要な側面がある。ドルーアとカダインを駆逐できればマケドニアが大陸の盟主となる。ミシェイルは、この段階にいたってはそのビジョンを明確に持っていた。よって、ドルーア同盟内にわずかながら力を残す人類勢力に対する働きかけと言う政治工作的側面が大きく、これによって戦勝後の大陸統治までを視野に入れていたのだ。
 ドルーアは倒さなければならない。しかもできうる限り早急に。いつ、どのように事を始めるのか。戦争が終わって二度目の冬を越したくらいになると、ミシェイルとマチスの間をひっきりなしにペガサスナイトが往復するようになっていた。

 ドルーア同盟による大陸統一の戦争が終わり、時間が過ぎるにつれ、マケドニアの隆盛は誰の目にも明らかになってきていた。しかし、ドルーアのメディウスはそれをそれとして別段何も行動と取ろうとはしなかった。一人やきもきしていたのはその心にどす黒い遠謀を描いていたガーネフである。
 メディウスとガーネフの問答は、ミシェイルとマチスのやりとりの回数よりもさらに多く重ねられていた。しかし、メディウスとガーネフの間は常に形容しがたい壁が存在していた。
「陛下にはより多くの力が必要です。マケドニアなど必要ありません。私めにお任せ下されば陛下のお力となる多くの供物を用意いたしましょう。」
 その日も、ガーネフはドルーアの宮殿の暗い空間に存在する玉座に座するメディウスと向かい合い、懸命に説得をしていた。ガーネフは人の精気をメディウスに集めることでメディウスがより強くなることをメディウスに説いていたのである。
「ガーネフよ……貴様は予に蛮族と等しい行動を取れと申すか……。」
 だが、メディウスの返事はそっけないどころかいらついたものであった。
「滅相もありません。陛下がそのようになされるところの、いずれも卑しい者たちと同列となるところではありません。陛下は尊き唯一の存在であるのです。陛下が取られるどのような動きも、大陸にいる者たちが蔑むことのできるものではありません。」
 ガーネフのこのような言動はいつものことであった。
「なにとぞ陛下の御為にも、私めの願いをお聞き入れ頂きたく存じます。」
 戦争が終わってから三年以上が過ぎ去っている。その間、諸侯がドルーアへ招集されたことはない。ただ、ガーネフが事あるごとにドルーアを尋ね、メディウスに色々なことを吹き込むだけだ。
 しかし、ガーネフの思っていた通りにはメディウスは全くと言って良いほど動かなかった。なぜこうも狙いが違うのか。しかし、このときガーネフは決定的な言葉をメディウスから聞くことになった。
「ガーネフ。貴候はいったい予の何になるのだ。」
「はっ。私めは陛下の忠実なる臣下にして下僕にござります。」
「ならば聞こう。なぜ、貴候は予を暗黒道へ落とすようなことばかり進言するのだ。」
 ガーネフの皺くちゃな表情に波が走った。ガーネフの狙いをメディウスが理解しているとは露にも思っていなかったのだ。しかし、ガーネフは続ける。
「陛下、何をおっしゃるのです。それは、陛下の御為を案じればこそのこと。暗黒竜となることができればその力は何倍にもなるのですぞ。さすれば、マケドニアの力など借りずとも大陸を好きにできるではないですか。」
 ガーネフの言葉を聞いたメディウスは、ゆっくりと口を開こうとした。
「ガーネフ。そうして、暗黒竜となった我を操るつもりか。暗黒竜となれば自分の意識を抑えることができぬことくらい、マムクートであれば誰でも知っておるぞ。それに予は、決して大陸を好きにしよううなどとは考えてはおらぬ。」
 口調こそいつもの同じであったが、その音に乗る波動のようなものに確かな力をガーネフは感じていた。
 メディウスの言葉はガーネフには意外だった。なぜ、メディウスは人を滅ぼそうとしないのか。アカネイアとその友好国を滅ぼした以上のことをメディウスがしようとしない。メディウスが何を考えているかはガーネフには理解の範疇外であった。
「……予の復活を助けてくれたことには例を言う。だが、貴様の考えがそのように底の浅いものであったとはな……正直、失望したぞ。」
 ここまでかと、ガーネフは観念した。いかに、ガーネフでもメディウスを好きにするだけの力はない。何かしらの対策が必要である。
「陛下、滅相もありませぬ。このガーネフ、暗黒竜となっても陛下の意思は揺るがず私めを導いてくださるものと信じておりまする。……今日のところは退出いたしますが、何卒、私めの願いをお聞き入れくださりますようお願いいたします。」
 ガーネフは最後まで自分を曲げず、メディウスの元を立ち去った。メディウスに強く出られても動揺を見せることのないその精神は賞賛に値するかもしれない。
 ドルーアのメディウス王についてはガーネフは計算違いなことばかりであった。そもそも始まりからしてそうであった。ガーネフはメディウスを復活させ、マムクート達の数が揃うと、すぐさまアカネイアへ進軍するつもりでいた。しかし、メディウスはまずグルニアとマケドニアを抱き込んだ。なぜ強大な力を有しているドルーアが人の国の協力を得なければならないのか、ガーネフには無用のことと思えたが立場上メディウスには従う姿勢でいた。
 その後の戦争についての展開はガーネフにとってもほぼ満足のいくものであった。ドルーアにとって最高の脅威だったアリティアはグラを抱き込むことによって包囲され滅亡した。実質的な脅威であるファルシオンは未だガーネフの手元にある。戦争の後半、再度蜂起したアリティアの残党もマケドニア軍によって潰された。
 しかし、その後がいけなかった。ドルーアは人の国家に苛烈な支配を向けない。百年前、アカネイアに君臨したドルーア帝国の苛烈さがガーネフには感じられなかったのだ。大陸を支配するべく動き続けてきたガーネフであったが、これは大きな誤算であった。
 メディウスが変わったのが、それとも何か他に理由があるのか、それはわからない。ただ、ガーネフは確実にメディウスを見限りつつあった。そして、この時以来、メディウスに対するガーネフの来訪は無くなった。
 このことは、マケドニアの内偵によって、ミシェイルやマチス、そしてカミユにも伝えられた。マチスは対ドルーアの戦いにおいて肝となる要素を数え上げ、それを何通りにも組み立てようとしていたが、ことの変化はそれくらいの対応で収まりそうには無かった。ドルーアとカダインの関係が悪化するよう、いろいろと仕組んでいたマチスたちであったが、こうも早く関係が悪化することは、慮外のできごとであった。マチスはその知らせを聞いたとき、しばらくの間苦笑いして何も言わなかったという。

 その人物は唐突にやってきた。もちろん、やってきたと言う表現は正しくは無く、帰ってきたという表現の方が正しい。城門から入ることはなく、その飛竜を駆り彼女は直接城中へ降り立った。
 マケドニア王女、ミネルバであった。
 ミネルバの帰還に、城内は上下をひっくり返したような騒ぎとなった。ミネルバが去ってから三年が経つとは言え、ミネルバの存在を忘れた者はいなかった。もどってきたミネルバを誰もが暖かく迎えた。
 日常の執務を行っていたミシェイルは、すぐさま玉座へ向かいミネルバは玉座へ通された。謁見の間に通されたミネルバは、動きやすい鎧を身に着けたままだった。その鎧にはいたるところに大小の傷が見て取れた。
「よく戻ってきたな。ミネルバ。三年の間、何か得ることはあったか。」
「人の強さを目にしてまいりました。……兄上。」
「人の強さか。ミネルバの目にそれはどう映ったのだ。」
「はっ。折れぬ信念と確かなる決断があれば、何事もなせぬことはないでしょう。」
「詳しく……聞かせてもらえるか。」
「はい。」
 大勢の人が玉座に集まる中、ミネルバは今までのことを話し始めた。
 ミネルバが向かったのは隣の大陸。そこでは二つの大国が戦いの真っ只中であった。ミネルバは一人の兵士としてその戦いに参加した。
 神の威光を取り戻そうとする人々と、人の力で大陸を治めようする人々がいた。しかし、人々を守る神はすでになく、邪神のみがその大陸にはいたという。
「邪神か。竜などよりよほど禍々しい響きだ。だがそのような物が存在するのか。」
 ミシェイルは基本的に神の存在を認めていない。いや、マケドニアの国風として、神の存在は希薄である。
 アカネイアやアリティアなど、神の存在を前提にして建国されたような国では崇拝も盛んだが、マケドニアのような土地ではそうもいかない。人の力で切り開いた土地で人の力で生きていくのがマケドニア人の誇りでもあるのだ。
 確かに、アカネイアから伝わる教会は国のあちこちに存在する。しかし、それは信仰の拠点というよりは社会福祉の拠点だ。それに、どんなに徳が高いと言われるような聖職者でも相応の杖がなければ回復の秘術は使えない。また、どんなに破戒的な者であっても腕がよければ杖を使って回復の秘術が使える。その時点で、神を信じない国に神の教えは意味をもたない。
 マケドニアでは人が人であることを大事にするし、グルニアやオレルアンなどでは騎士の国らしく人としての道義を第一に考える。確かに古来の伝説によれば人が滅びかけたとき神が光臨して助けてもらったとも言う。しかし、それを実際に見たものはいない。
 だから、この時もミシェイルはミネルバの言葉を表面では否定して見せた。
「いえ、確かに邪神は存在していたのです。周囲に異形の者をはべらせ、自らの周りを全てを吸収して力とするような者が。」
 しかし、ミネルバの言葉からそれが真実であるということはミシェイルにも理解できた。それが、本当に邪神なのかはわからない。それでも、そう呼ばれている以上、邪神と呼ばれるにふさわしい存在であったのであろう。メディウスやガーネフも、見方を変えれば邪神と呼ばれてもおかしくはない存在なのだ。
「ですが、彼らは見事邪神を打ち倒しました。」
「ほぅ。」
 ミシェイルは珍しく嘆息した。
「して、その者たちはどうしたのだ。」
 ミネルバは首を横に振る。
「勝利の後、宴のみ参加して彼の大陸を後にしてまいりました。今頃は新しき国づくりが始められていることかと思います。」
「そうか……一度会ってみたいものだな。」
「結んでおくべき相手かと思います。」
 語るミネルバは非常に落ち着いていた。見るものが見るならば感情の起伏無く、ただ淡々と物語を述べているようにも見えたかもしれない。ミシェイルには、ミネルバがいなくなる前に身に纏っていた隠しようもないほどの焦燥感が、全く消滅していることが重要なことだった。ミネルバに聞くまでも無く今回のミネルバの旅は無駄ではなかったのだ。
「その邪神とやらは、竜に比べてどうだ?」
 ミシェイルは最も聞きたかったことを聞いた。
「……はい。以前、ペラティにて竜と対面しましたが、邪神の放つ……何と言いますか、その妖気は全ての者を腐らし死に至らしめるようかというもので……竜の持つただ力を誇示する印象とは著しく異なるのですが、邪神と対面した時はまだ竜の方が可愛いものであると思ったものです。」
「そうか。」
 ミシェイルは、かすかに口の端に笑みを乗せた。そのように表現されるような存在に打ち勝ったのだとすれば竜に勝つことも人の手でも不可能ではない。そもそも、アイオテも通ってきた道である。できないことはない。ミシェイルは決意を新たにした。
「また、かの大陸にて、不思議なことがありました。」
 とミネルバは言う。向こうの大陸にもこちらの大陸の剣であるファルシオンと名づけられた剣が存在したのだそうだ。普通ではない力を持っており、邪神に止めを刺したのもその剣であると言う。
「……元は一つであったのかもしれないな。ともあれ、ファルシオンの力は大きいと言うことだな。参考にする。」
 そっけない意見であったが、ミシェイルにとって見ればファルシオンを何としてでも入手しなければならないと決断させるほどに重要な意見だった。ファルシオンがガーネフのところにあるのはほぼ確実である。マチスと相談しなければならないことがもう一つ増えたなと、ミシェイルは考えた。
「そうか、大体のところはわかった。これから、国は本当の意味で正念場を迎える。明日からでも現場に戻ってもらうのでそのつもりでいるがよい。」
「はっ。」
 ミネルバは頭を下げた。
「今日のところは、ゆっくり休んでくれ。お前の部屋は変わりなくするようにさせてあるから大丈夫だろう。……余裕があれば、パオラやエストに会いに行ってやってくれ。」
 と、ミネルバ帰還の会見はとりあえず終わりとなった。
 ミネルバは、パオラ達、白騎士団の面々とかなり長い間話しこんでいたようだった。パオラもミネルバの落ち着いた様子をみて、安心した者の一人だった。
 ミシェイルはミネルバを白騎士団長の地位には戻さなかった。代わりに、白騎士団と竜騎士団の一部を分化して与え、自由に動かすよう伝えた。これは後に文字通り、ミネルバの親衛隊と呼ばれることにある。
 こうして駒が揃いつつあるマケドニアでは、様々な方策が深く検討されていた。そのような中、ドルーアからの特使がマケドニアに届いた。戦勝の時以来になるドルーア同盟首長会合の召集である。ミシェイルは、急ぎマチスを伴い、ドルーアへと向かった。

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