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FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
十五章 動乱の準備
「空の旅はどうだったかね。マチス。」
「……余り、慣れるものではありませんね。私は、せいぜい馬を駆ることが限界のようです。」
マケドニアの王城では、ミシェイルが自らマチスの到着を待っていた。メディウスによってドルーアへ会合の召集がかけられ、その知らせがマケドニアへ届いたのがつい二日前。ミシェイルはすぐさまマチスを出迎えるべく竜騎士団の一人をオレルアンに派遣した。
ミシェイルが出迎えに上がったたのは、使いの飛竜が上空に見えたとの報告を受けたからであった。国王自らが臣下を出迎えるということはマケドニアの歴史の中でも珍しいことで、ミシェイルに近しい者達にはそれだけミシェイルがマチスの到着を心待ちにしていたということが見て取れた。
「それはしかたがないが、慣れてもらわなければ困るぞ。急ぎの移動には必ず使うのだからな。」
マチスは、知らせを受けるとすぐに迎えにきた竜騎士の騎竜に同乗しマケドニアへと移動した。ドルーアでの会合にミシェイルと共に出席する為である。陸路では換え馬を使い急いでも三日はかかる行程を、飛竜に乗り一日で飛び越えてきたのだ。
「早速で悪いが、時間的に余裕があるとは言えない。作戦会議だ。」
「御意。」
マチスは、慣れない動きでやっと飛竜から降り、ミシェイルに一礼した。
ミシェイルは執務室ではなく、私室へとマチスを通した。高級だが、実用性が重視された椅子に落ち着くと、ミシェイルは人払いをし、部屋の入り口に歩哨を立たせた。
わざわざ面倒なことをするのは、ガーネフの偵察を警戒してのことである。普段の業務は執務室で行うミシェイルも、マチスと対ドルーアの対策を練る時だけは色々と場所を移した。
「オレルアンの様子はどうだ。卿がいなくても問題は無いのか。」
ミシェイルはまずはオレルアンの現状について聞いた。それはミシェイルにとってかなりの興味を引かれることであり、知っておかねばならないことである。定期的な書状のやり取りだけではわからないこともある。
普段、マチスはオレルアンの緑条城にて自ら執政をしている。それでも、色々な用件で緑条城を留守にすることは結構あった。ミシェイルと顔を突き合わせての会談や、タリス、レフカンディの視察などを行うことを考えると、最低でも月に一度程度はある程度の期間、緑条城を留守にする。
大概は、いつ留守にするか予定をきっちり決めて行動するので、マチスがいない間の指示は予めそれを必要とする者達に通達しておく。しかし、今回は急な招聘であったためにそのような準備を行うことはできなかった。
それでも、マチスの返事は落ち着いたものだった。
「オレルアンについては、ひとまずは私がいなくとも大丈夫です。ぎりぎりですが、体制の構築は整いました。本来であれば、もう少し余裕があると考えていたのですが……甘かったようです。」
「そうか。こちらは、まだ今しばらくの時間が必要そうだ。……やはり父の時代のつけが大きすぎるな。」
ミシェイルは苦笑した。しかし、心底困っていると言う風ではない。
ドルーアともう一度戦うこととなり、マチスが直接指揮を取る事になれば、マチスはオレルアンから長期に渡って離れざるを得ない。それはマケドニア本国でも同様で、ミシェイルが王都を離れても兵站の確保や後背での生産活動が正常に行われなくてはならない。
マケドニアは王権国家だ。もっとも、この大陸で王権国家以外の政体を取る国家は無い。カダインは正確には国家と呼べないが、その組織の頂点に立つ最高司祭は、現在はガーネフである。従来は最高司祭と言ってもそう極端な支配力は持っていなかったのだが、ガーネフが最高司祭となってからはその権力はガーネフに一本化されている。
同様な王権国家としても、封建制の色濃い国もあれば中央集権が進んでいる国もある。ドルーアとカダインは王権国家と言ってもほぼ完全に中央集権で、その姿は官僚によって国が動かされるものではなく、上からの命令は絶対な専制政治だ。
マケドニア王国は、本来は各地の領主がその領地に対するそれなりの権限を有するいわゆる封建制を取っていた国だ。それをミシェイルは即位後戦争が始まると急速に中央集権の体制へと変化させていった。
封建制の弱点は、君主の影響力が弱まったときに地方の有力領主の扱いがうまくいかなくなることにある。戦争開始時、軍や民衆は反アカネイアの意見が多かったのだが、マケドニア貴族領主の中には多くは自らの権益のためにアカネイアへへつらう者が少なくなかった。かと言って、代わりの人材がいるわけでもなく、国民の動揺など国内への悪影響を考えると急激な粛清をするわけにもいかなかった。ミシェイルは彼らが少し脅すだけで言うことを聞くだろうことはわかっていたが、何より自分が半ば無理やり即位したこともあり、これ以上の波風を立てることはしたくはなかった時期でもある。そこで、ミシェイルは国内の政治のやり方を徐々に変えていくこととした。
ミシェイルはまず、各領主の軍権を取り上げていった。マケドニアでも有力な領主の中には単独でそれ相応の軍を持つものがいた。軍を持っていても、その使い方はわからないような連中である。そのような貴族達の私兵は戦時徴発の名目でほぼ収奪され、騎馬隊や重装歩兵隊に編入された。貴族の中でも軍務的才能が認められたものについては中隊等の指揮官に抜擢されることもあったが、そう言った例はまれだった。ほとんどの貴族は、私兵を持っていたとしてもその私兵をただそこに置き、相手を威嚇するだけだった。
名ばかりで威張り散らしていた貴族達は、軍内部の将軍を重用するミシェイルの動きによって徐々にその立場を失い、彼らが気が付かぬ間にその力を奪われていった。戦後、ミシェイルはマチスと話し合い、軍だけでなく税収をもしっかりと管理するように政治体制を改正していった。マチスは領地ごとに見込める収穫量を細かく調べ、国へはこれだけの分を献上するという計算を国直属の文官にさせた。さらに領主の取り分、国の取り分、生産者の取り分を決めた上で各地毎の納税分を領主だけでなく生産者たる農民にも告知した。そして、もし農民から不当に搾取するような領主の存在があった場合、その事例を直接ミシェイルやマチスへ届け出ることが可能であるようにしたのである。
今や、地方領主のやるべきことは、しかるべき税を住民から集め、それを各拠点へ移すことである。各拠点には国直属扱いの物資管理者がおり、物資の整理を行っている。これを、ミシェイルやマチスなどが考案した筋書きに沿ってそれぞれ分配するのである。物資の管理者は領主との癒着を避ける為に一年に一度程度異動を行う。とにもかくにも汚職による無駄な物資の使い道を最大限無くそうというのがマチスが考案したこの方法の要点であった。
この政策は、マケドニア占領下にあるオレルアンやレフカンディではそれほど大きな軋轢もなく受け入れられた。アカネイアの元貴族の反抗が懸念されはしていたのだが、利に聡い者はすでにマケドニア占領地ではなくドルーアが直接統治する占領地に脱出しており、残った者達は問題にはならなかった。
ただ、マケドニア王城付近、古来からの領地ではそれなりに反発もあった。これらの領地ではマチスが直接改革を行うことができなかったこともあって、昔からの文官達による制度の制定が占領地よりも遅れがちということもあった。
それでも、軍部と民衆に絶大な支持を受けているミシェイルにとって力を殺がれた貴族たちの声はそれほど問題となるようなものではなかった。しかし、戦後改革が多少の遅れを見たこともあってまだ制度として幾ばくかの問題を抱えている段階にある。
それでも最終的には中央集権体制が確立されるはずであり、その目処も立っている。それよりも先に事が起きてしまった。それだけである。準備は万端ではなくも決して動けないわけではない。必要なのはどう動くかの判断であった。
「……さて、マチス。今回の件、ガーネフの事についてであろうことは間違いはない。」
やや身を乗り出し、本題を切り出したミシェイルに、マチスが頷く。
「はい、そしてガーネフ討伐の件は必ずやマケドニアに任されることになりましょう。」
集められている情報から察するに、ガーネフがメディウスから離れたのは確実だった。そして、討伐することになり、メディウスが直接動かないのであればその役目は現状でもっとも力を持っているマケドニアに任されるだろう。
「だが、メディウスはわかっているのか。あのような場所で会議を開けばガーネフに筒抜けであろう。」
ミシェイルの言うところは、会議の場所であった。マケドニア城内とは違い、ドルーアの宮殿をガーネフは良く知っている。おそらく会議が開かれるのは、いつもの会議室であろう。ガーネフ程度の力があれば、遠くにいて会議の内容を監視することくらいたやすいことであるということを、ミシェイルもマチスも知っている。これを防ぐ術は根本的には存在せず、ガーネフに気づかれない時間帯に、気づかれない場所で会議を行うことが消極的な予防策になるということでしかない。
マチスとミシェイルはそのことについてはかなり気を使っている。現在の話し合いをミシェイルの私室で行っていることもその為だ。しかし、メディウスがそのようなことを気にするかどうかは未知数である。
「……それは、メディウス次第です。どちらにしろ、我々のほうからその点を指摘することはありません。」
「ほう。」
「我々がそれを指摘することは、我々がガーネフの監視に対し対策を行っていることについて示唆することになりかねません。」
マチスの考えはミシェイルにも納得がいくものだった。ガーネフはその行動はともかく頭は非常に切れる。少しでも疑われるようなことは避けたい。
「そうだ。わざわざ、我々の思惑を悟られるようなことを言う必要は無い。その為にも、この場でできるかぎりの対応を決めることが必要だ。……カダイン攻めの件、命じられたとして、我らはどう動く。」
マチスがやや考え込んだようにミシェイルには見えた。こういった場合、マチスは何通りかの場合を予測してそれを秤に掛け、最も適当な選択肢を選ぼうとすることをミシェイルは知っている。
「……多少、様子を見る時間が必要かと思います。」
と、ややあってマチスはミシェイルの問いに答えた。
「対ガーネフへ兵を出すことに猶予をもらって、ガーネフの出かたを確認すると言うことだな。……しかし、本来なら準備に手間は掛からぬ。どれくらいであればメディウスが納得するか。」
マチスの意見にはミシェイルも賛成であった。もっとも、すぐに出陣することが不可能なわけではない。
現在のマケドニアでは、軍を編成し出陣させるまでの行動を迅速に取ることが可能だ。後の世に暗黒戦争と呼ばれるようになる四年前の戦乱。それ以前の各国であればともかく、戦後のマケドニアはミシェイルとマチス、国の舵取りをする二人がドルーア帝国自体を密かに仮想敵国として、本領、占領地の統治システム作りをしてきている。その中には火急を要する敵の侵攻に対し直ちに防御体制を取ることができるという課題も存在しており、戦後のかなり早い段階からある程度のレベルでそれをクリアできるようにしてきた。マケドニア王城、レフカンディ城砦、オレルアン緑条城の各重要拠点であるならば、一日で相応の武力を集めることが可能だ。それは、防御の為だけでなくどこかを攻撃する場合にもあてはまる。どこかを攻撃する場合に必要な兵を集める為に要する時間、規模にもよるだろうが、例えばカダインを攻める為に白騎士団とオレルアン地域の軍勢を統合するとして、急げば三日程度で済むはずである。これを、準備が必要であると言い、故意に出陣を延ばそうと言うのがマチスの考えであった。
「本当であれば三月程は欲しいところですが、メディウスが納得するところを考えれば二月が限度でしょう。」
「……妥当なところであるな。」
と、ミシェイルは頷いた。
「ところで……、ガーネフがどう動くか。卿はどのように考える。」
この問いにはマチスは首を振ることとなった。
「申し訳ありません。私も、確たるところまで考えを絞り込むことはできませんでした。ドルーアかマケドニア、どこかを攻撃するのか、それとも別の方策を取るのか。最低限、ガーネフに攻撃の意図が見られた場合に可能な限り早期にそれを察知するような手筈は整えておりますが。」
「そのための二月と言うことだな。」
「はい。」
この時、マチスの頭の中にはガーネフの動きかいくつか思い描かれていた。ドルーア、オレルアン、マケドニアへの急襲。もしくは、グラ、アカネイア、アリテリア、グルニアの支配権をドルーアから奪い取る。もっともマチスはガーネフが全く動かないとは考えていなかった。
「カダインへ攻め込むとして、その方策はどのようになっている。」
ミシェイルの問いは続いたが、これにもマチスは難しい顔をした。
「……できる限りのことはしておりますが、限界がございます。カダインを攻めるとなれば、主力となるのはペガサスナイトと歩兵部隊です。騎馬隊が砂漠に足を取られる為に、全く物の役に立たなくなると言うことは以前検討した通りです。魔法に対する抵抗力を高める為に、軍属の司祭達に聖水の用意もしてもらっており、当面の必要数は揃っております。しかし……。」
「魔道士隊か。」
ドルーアを仮想敵国とした以上、カダインとも事を構えることを想定した策をマケドニアは模索してきた。幸い、ペガサスナイト達は、ペガサスが魔法に強い性質を持っていることもあって魔道士相手の戦いでは有利に戦える見込みがある。しかし、ペガサスナイトが攻撃できるのはあくまで空からのみだ。城砦にこもられてしまえば状況は相当厳しくなる。
そこで、地上からの攻撃を鑑みて対カダイン用の歩兵隊と魔道士隊の編成を考えた。歩兵隊の方はすぐに案がまとまった。マケドニアが誇る重装歩兵では、砂漠に足を取られてしまう為、剣と簡単な防具のみで身軽に戦う軽装歩兵隊を編成したのだ。こちらについてはほぼ対カダインのみを考慮に入れているため、それほど数は多くない。とは言っても、すでに訓練も十分に行われ、事が起こればオレルアンに二千の軽装歩兵を動員することが可能だ。
そこまでしても、マケドニアには不安があった。何故ならばマケドニアには戦争の道具としての魔法を使える者が少なく、魔法使いを相手にした時の戦い方を知る者が少なすぎたからだ。特に先の戦争末期、レフカンディの戦いにて解放軍の一人の魔道士に重装歩兵隊が大打撃を被って以降、ミシェイルもマチスも危機感を強めていた。
ミシェイルとマチスの考えは一致し、マケドニアに魔道士を集めることとなった。できるだけ優秀な人材が欲しかったことは確かであるが、贅沢は言っていられない状況は二人ともわかっている。参集し、マケドニアの軍属となった魔道士は圧倒的に石の率が多い玉石混合状態だった。軍隊としてはよくあることではあるが、その出自が全く不明だったり怪しげな者もいる。気を付けてはいるのだが、ガーネフに縁のある者も中にはいるのかもしれない。それでも、隊としては編成可能なだけの数は集まっている。それでも、マチスから見て絶対的な数としては満足が行く人数を集めることができているとは言えない状態だ。結局のところ、隊として編成するまでには至らず、軍属となった魔道士は各中隊に分散して配属されている。
ミシェイルとマチスの構想では、魔道士は魔道士だけの部隊を小規模ながら構築し、独立した部隊としていざ戦争が起こったときは遊撃的に活用することになっている。集まった魔道士は数としては最初に考えていた数の半数に満たない程度である。それでも数として、魔道士隊を運用させるには十分揃っているということはミシェイルもマチスも不満はあったが認識はしていた。カダインに対するには力不足かもしれないが、魔道士の部隊として通常の戦役に投入する分には大きな戦力になるだろう。本当の問題は魔道士の数ではなかった。
深刻な問題となっているのは集まった魔道士達を取りまとめ指揮ができるような人材がいないということであった。隊として独立させることができず、中隊レベルに分散させて配属しているのはこのためにそうせざるをえないからである。
魔道士を集めることが難航するであろう事はミシェイルもマチスも解かっていた。もともと魔道士が多く集まるのはまずカダイン、そして中央に独自の学府があるアカネイア、だいぶ離れてグルニア、アリティアなどだ。魔道に関しては後進国と言っていいマケドニアから見れば、グルニア、アリティアの組織もたいしたものである。現に、グルニアの木馬隊を背後で支えるグルニアの魔道士集団は、ドルーア同盟が構築されてほどなくドルーアに吸収された。この為、グルニアの魔道士は今はドルーアのものとなっている。
通常、国が魔道士を使うのであればカダインと交渉しこれを借り入れる。カダインの魔道士で外に派遣されてくる者はおしなべて優秀で、自国で同様の魔道士を育成、保持するよりは雇った方が手間がかからないためだ。
しかし、ガーネフがドルーアと組み、カダインを力で支配するようになって以降、カダインは二つに割れた。ガーネフに従う者と、抗う者である。そして、そのどちらもマケドニアに協力するとは思えない。ガーネフに従う者はガーネフ以外の命令には従わないだろうし、抗う者達は形だけでもガーネフと同じようにドルーアと同盟を組んでいるマケドニアに力を貸そうとはしないだろう。
同様のことはアカネイアにも言える。アカネイアの魔道士も、ドルーアと同盟を組んでいるマケドニアに力を貸そうとはしないだろう。
よって、集まっている魔道士はそのほとんどがまともに勢力につかないはぐれ魔道士がほとんどになっている。そのこと自体は根本的な問題ではないが、やはりしかるべき指揮が取れそうな人材がいないということが痛い。
「……カダインを攻めることが決定すれば、カダインに恨みを持つ者も現れましょう。確実とは言えませんし、カダイン攻めを公にする必要もありますから欠点は多いのですが。」
「カダイン攻めは世に公表するか……ガーネフがどう出るか見ものだな。」
「はい、こちらについてもドルーアに言質を取る必要はありましょう。」
「それは、難しいかもしれぬ。」
メディウスの譲歩をどこまで引き出せるか。もともとメディウスは譲歩などしない。しかし、こちらから意見を出せば許可か却下かははっきりと帰ってくる。
「難しくても、要求しなくてはなりません。……それと、もし却下された場合でもこれを無視して公表したほうがよろしいでしょう。いかに水面下で事を進めようとしても一軍を起こすのです。ガーネフに悟られないことは難しいでしょう。もし、ガーネフに先制された場合に国内が動揺しないよう公表すべきです。ここは譲るべきところではありません。」
マチスの主張は強かった。これはガーネフからマケドニアを守るための予防策であった。
「いいだろう。どちらにせよ議論の余地がある相手ではないのだ。その時は予も卿も覚悟を決めねばな。」
「いえ、ただこれだけのことでドルーアが完全に敵に回ることは無いでしょう。ドルーアと我々が敵対すればそれこそガーネフに付け入る隙を与えるだけですから。メディウスにそれがわからないとは思えません。ですから例えそうなったとしても堂々としていれば問題はないはずです。」
それで、ミシェイルも納得したのか深く肯いた。
「さて、その問題になっている魔道士隊隊長の件についてだが、オレルアンには確かカダインの高司祭が逗留していたはずだったな。ガーネフが相手となっても協力は得られないものなのか。」
ミシェイルの話題は魔道士隊の方へ戻った。
オレルアン城下には、ガーネフによるカダインの騒乱から逃れてきたカダインの高司祭がいる。どちらかと言えば反ドルーア同盟の立場である司祭は、一時期はムラクによって緑条城城内に抑留されていたこともある。このため司祭のマケドニアに対する印象は決して良いものではないはずだ。司祭は解放軍の一時的緑条城解放と共に抑留を解かれ、レフカンディまでは解放軍と共にいたようだ。もっとも、マケドニアにとってはそれほど重要な人物ではなかったため、それほど気にも止められていなかった。
司祭がマケドニアに注目されるようになったのは、マケドニアが魔道士を集める必要性が出てきたからである。レフカンディの戦いの後その司祭はオレルアンに戻り、マケドニアの占領下にある緑条城城下の教会で講師の真似事等をして暮らしている。実力社会であるカダインの高司祭となれば、集まってきた魔道士達を率いることにこれ以上の人材を見つけることは難しいだろう。さらに、その司祭はガーネフと敵対する立場にあり、ガーネフの息がかかっていることも考えられない。
「ウェンデル司祭ですか……。説得は難しいと言わざるを得ません。私も再三説得を試みたのですが……ドルーアの世の中となってからはもはや軍とは係わり合いになりたくないと言われております。」
その司祭はウェンデルと言った。カダインにあっては多くの弟子を持つ高司祭だった。マチスは自らの足で何度も彼を訪ね幕下に加わってもらえるようお願いしたが、もともと戦いを好まないウェンデルは決してその腰を上げようとしなかった。ここ一年程度はマチスもウェンデルを訪ねることはなくなっている。
「しかし、相手がガーネフと言うことであれば、話は変わるのではないのか。」
ミシェイルのその指摘にもマチスは首を振った。
「それはわかりません。ただ、今まではこちらの考えもあり、実際にマケドニアへついてもらえるかどうかわからない人物に反ドルーアの考えを明かすわけにはいきませんでした。マルス殿下のように、どのように考えてもドルーアへ味方するようなことがありえない人物ならばともかく、ウェンデル司祭にはそこまでのことを話していないことは事実です。」
「ならば、これは会議の後に決めるべきことだな。」
と、ミシェイルは少しの間沈黙した。何事かを考えているようにも見えた。
「焦ってはならぬこととは言え……迂遠なことだな。こちらには、マルスもカミユもいるのに、この局面では動かすこともできぬ。だが……もう少しであるな。」
ミシェイルの言葉は弱気とも強気ともつかないものであったが、マチスにはそれがミシェイルの本心であることはわかっていた。ミシェイルの性質は基本的に攻撃性が強い。マチスはミシェイルが、ようやくカダインを攻めることができると考えていることが見えるようであった。
「はい。メディウスとガーネフの離間がこれほど早く実現するとは思っておりませんでした。そして、カダイン攻めは準備を磐石の物とする機会でもあります。」
「機会?」
「明らかにはなっていないものの、おそらくファルシオンはまだガーネフが所持したままでしょう。マルス殿に聞いた話によればアリティアのエリス王女もガーネフの傍に捕らえられている可能性が強いとの事です。……全く不確定な情報ですができればどちらも取り返しておきたいところです。」
ミシェイルは頷いた。エリスはともかく、ファルシオンは是非とも取り返さねばならない。今持っている情報で取り返そうと言うことはまず不可能だが、方法については準備期間に検討する。
「……他に、話しておくことは。」
「グルニアのルイ陛下は、病状が悪化し、もはや時を待つばかりとか。」
「ああ、間違いない。ルイの死去後、王位はユベロ王子には譲られず、ドルーアが直接統治することになるだろう。」
「グラも相当ひどいありさまだそうで。」
「グラは、少ない情報からするに宮廷内で内紛の真っ只中だそうだ。妾腹の第三王子が反ジオル陣営の旗頭となっているようだがな。ジオルは良くやっている。だが、話に聞く限りでは何故ジオルがその第三王子とやらを粛清しないのかがわからん。おかげで、せっかくグラに任されたアリティアも、ドルーアの軍勢が居座ってグラには何の益ももたらしていない状態だ。」
マチスは他国の情勢について触れた。ドルーア同盟内部でも、ドルーア、カダイン、マケドニア以外の国家は荒れ放題だった。グルニアはドルーアにおもねる佞臣が好き放題だったし、グラの内乱もジオルに抑えられて武力衝突には発展していないもののその政情はきわめて不安定だった。
「何にせよ、そのおかげで我らはカダインを攻める名目が立つ。存分に利用させてもらうまでだ。」
他の国は軍隊を動かすだけの余裕は無い。何があってもマケドニアに命じられるのはある意味必至だった。
「では、陛下、出立は。」
「明日の昼過ぎだ。夕方までには着くだろう。今日はオレルアンからの疲れを癒すがよい。」
メディウスに対する一通りの対策は決まったとし、マチスはミシェイルの部屋を退去した。明日もドルーアへ向かう為に乗りなれない飛竜に乗らなければならないことを考えるとやや気が重かった。
ミシェイルとマチスがドルーアに着いたとき、他の会議参加者はいずれも到着しておらず、二人はドルーア王城内の部屋にて何日か無駄な時間を過ごさなければならなかった。ミシェイルがマチスをオレルアンから呼び寄せ、マケドニアの王城で打ち合わせをしてから出発したとしても早すぎるくらいに到着してしまうほど、移動手段としての飛竜は有能だった。
ミシェイル達が到着してから五日後にグルニアからロレンスが、七日後にグラからジオルが到着したことが知らされ、翌日に会議が開催されることが伝えられた。ガーネフはいない。これは、ミシェイルとマチスには予想された事態だった。ガーネフはメディウスの影のような存在であるから、すでにメディウスの側にいる可能性もないことはなかったが、今回の会議にはガーネフは呼ばれていないと二人は確信していた。
翌日、会議参加者は石の丸テーブルが置かれた薄暗いいつもの会議室に通された。マチスがここに来るのは四年ぶり、まだ二度目である。境遇には慣れようはずも無い。ミシェイルはメディウスと相対することになるだろう位置に座った。マチスはそれにならって後ろに控えた。
ガーネフは来ていない。グラのジオルはやはり落ち着かない様子だ。グルニアからはルイが病床にある為、ロレンスが代理で参加している。立場的にはグルニアで王の次に責任を持つのは黒騎士団団長であるカナリスであるのだから、彼が来るべきはずである。だが、この場にいるのは間違いなくロレンスである。大方、面倒なことを避ける為に役目をロレンスに押し付けたのであろうとマチスは推測した。もちろん前回と違ってカミユは来ていない。
歴々が着席し、会話も無く四半時ほども過ぎたころであろうか、奥の通路の闇が揺れ、滲み出すようにメディウスは現れた。ゆっくりとした動作で上座に置かれている席につく。
「……皆の者、揃っているようだな。」
独特の低い声が発せられた。それほど大きな声では無いというのに、部屋が震えたように感じられる。
「貴公がロレンスか。」
「はっ。主、ルイ陛下の名代として参りました。ルイ陛下におかれては、病であるにしろこのような大切な会議に出席できないことを大変申し訳なく感じているとのことでした。」
「ルイの病は重いのか。」
「……付きの医師からしても最早手の施しようも無いとのこと。臣下共々大変無念に感じているところにございまする。」
メディウスがまずグルニアの国王ルイについて言及したことは、マチスにとっては意外だった。ロレンスの態度は多少緊張しているようにも見えたが、メディウス相手に萎縮するようなことも無く堂々としている。ジオルは相変わらずこの席では緊張気味だ。だからマチスにはマチスが感じたことが他の諸侯にも感じられていることであるのかはわからない。
もっとも、ロレンスの答えに対するメディスのコメントはなかった。メディウスは首をかしげ、それぞれの諸侯をそれぞれ一瞥すると本題を切り出した。
「……今回、諸侯らを参集させたのは他でもない。この場におらぬことにより気付いている者もいるかと思う。ガーネフの叛意が明らかになったゆえ、カダインを陥落せしめなければならぬ。」
ジオルは、緊張を維持して表向き動揺を隠そうと努力はしていたが、驚き狼狽を隠しきることはできていなかった。ロレンスは黙ってメディウスの言葉を聞いている。
メディウスはその椅子の肘掛けからおもむろに片腕を上げると、その皺だらけの指でミシェイルを指し示した。
「ミシェイル。カダインを攻め、その力を無き物とするのだ。ガーネフを仕留めよとは言わぬ。カダインが立ち上がらぬよう、その力を殺ぐのだ。」
マチスの予想通り、メディウスの命はマケドニアへ下された。どうにも確実性の薄い指令ではあったが、マチスもミシェイルもその指令が妥当であることを解っている。つまり、マケドニアの力ではガーネフの存在を滅ぼすことはできないということだ。別段マケドニアが力不足であると言うことではない。メディウスが自らガーネフを滅ぼそうとせず、マケドニアにこのように命じると言うことは、メディウスの力を以ってしてもガーネフを滅ぼすことができないということの裏返しでもある。
無論、ドルーア同盟の内情にある程度詳しい人間は、メディウスとガーネフがお互い滅ぼしえない存在であると言うことは知っている。マチスとミシェイルも知っているし、だからこそ今回のカダイン攻めを命じられるであろうことも予測できた。もとより、そのことを一番よく理解しているのは当事者の二者だ。それ故に、二者は敵対することなく旗揚げと同時に手を結んだ。
ミシェイルとマチスは、落ち着いてその命令を受け取った。
「メディウス陛下のご意向、確かに承りました。カダイン攻撃の件、謹んで引き受けさせていただきます。しかしながら、この時より急に令を発し、帥を起こすこともままなりませぬ。寛恕いただけますならば、カダインへ発つまでに二月ほどの時を頂けますでしょうか。」
ミシェイルは、マチスと話し合った通りの返答をメディウスに行った。
「準備が必要か。」
メディウスの言葉は重い。その言葉をミシェイルは真正面から受け止めている。
「マケドニアには、魔道との戦いに詳しい人物がおりませぬ。魔道に関しては我が国は遅れており、長らく人物を求めておりましたが、ガーネフと相対するということであれば今の陣容では不安が御座います。今一度ガーネフを討つとの目的を明らかにし、これに抗することができるだけの人と手段を講じる必要がございます。」
メディウスもその言葉の意味がわかっていたであろう。ここでマケドニアがカダインへの攻撃を明らかにすれば、ドルーアとカダインを主軸とした意味合いでのドルーア同盟は崩壊する。そして、二月と言う期間を取ることでガーネフに先手を取られる可能性が極めて高い。しかし、ガーネフと長い間行動を共にしていたメディウスには、魔道に対する対策を考えずにカダインを攻めることの愚も十分承知していた。魔道が相手となれば、竜人族であろうと苦戦する。
「……よかろう。ミシェイルに任せるとしよう。」
メディウスの言葉にミシェイルはただ黙礼して答えた。
「ジオル。そちの国の内情、これ以上悪くなれば介入せざるを得なくなる。早急に騒乱を治めよ。」
「はっ。」
ガーネフの件に片がついたと思うまもなく、メディウスの冷たい視線はジオルに向けられていた。ジオルはただ平伏するのみであった。
ジオルには内乱を治めきるだけの力はない。ミシェイルもマチスもそう見ていた。メディウスもおそらくは同様に考えているのだろう。ジオルがどう考えているかはわからないが、これはメディウスによる実質的なグラへの介入宣言だとマチスは受け取った。
「グルニアについては、まだ後継ぎが幼少であるから、ルイにもしものことがあればドルーアから代官を派遣するであろう。」
ロレンスは難しい顔をした。ルイの体調はすこぶる悪く、もはやどのように考えても先が長くないことは明らかだった。しかし、ユベロ王子は今年で十六歳になる。決して王位を継げないような年齢ではない。その上で代官を派遣するということは、ドルーアがグルニアを手放すつもりがないと言うことを意味する。
「ロレンス、よいか。」
「はい。承りました。」
メディウスの念入れに、ロレンスは重々しく頷いた。今更ドルーアには逆らえないことはロレンスにもわかっていた。表情に苦渋がにじみ出ていたが、メディウスは歯牙にもかけない様子だ。
「……今回の決め事は以上だ。諸兄の活躍に期待する。」
いつもの通り、メディウスは反論も意見も許さずに会議に幕を引いた。ロレンスとジオルの表情は重たい。マケドニアとて、油断すればどのようになるかわからぬと、深く自戒するミシェイルであった。
マケドニアへ戻った後、ミシェイルとマチスは示し合わせ、国中にカダインを攻めることの告知を行った。もっとも、いつ軍を発するかなど、細かい点は発表していない。ただ、改めて軍へ魔道士の参加を呼びたてた。
マチスはオレルアンへ戻ると、告知を発すると共に再度ウェンデルの説得に赴いた。教会へウェンデルを訪ねると、いつもはウェンデルの他にはほとんど誰もいない時間帯であるはずなのに珍しく客人がいた。見事な金髪と引き締まった顔立ち。装束から見るにこの男も魔道士なのだろう。しかしマチスはその風体を見て、魔道士らしからぬがっしりとした印象をその男から受けた。男の背丈が高いことも影響しているだろう。
男とウェンデルは教会の壇の前で座りもせずに何事かを話していた。マチスは何を話しているのかと気になり、挨拶もそこそこに二人に近づいたが、話題の判別ができないうちにウェンデルは気が付いていた。
「マチス卿……。卿が来られたということは、カダインを攻めるというのは真実なのですな。」
ウェンデルにとってマチスはあまりありがたくない客であった。ウェンデルの意思が固い限り、マチスの説得はウェンデルに取って無駄以外の何ものでもないのだ。マチスは、そのようなウェンデルの気の無い返事を受け取り、改めてウェンデルを招聘することの難しさを認識した。
「既にご存知でしたか。お聞きの通り、ドルーアの意向に沿った形ではありますがマケドニアからカダインを攻撃することになりました。……しかし、マケドニアは魔道を相手にした戦いに長けておりません。再三お願いしております通り、是非ウェンデル殿の協力を仰ぎたく参りました。なにとぞ、ご指導いただけませんでしょうか。」
ウェンデルが何かを言いたそうだったが、マチスはそこまでいい切ると深く礼をした。ウェンデルの溜息が聞こえた。
「ウェンデル先生。この方は?」
横にいた、金髪の男が疑問を口にした。
「申し遅れました。私は、マケドニア軍内にてオレルアンを預かっておりますマチスと申します。お見知り置きください。」
マチスはその男に一礼した。どこの誰ともわからない者に軽々しく身分を明かせるようなマチスではなかったが、今はウェンデルを説得する為にここに来ている。ウェンデルを訪ねている客とあれば無礼な対応はできなかった。
「なっ!オレルアンの……総督!?」
一方の男は驚いていた。普通の人の立場から考えれば、マチスは雲の上のような人物だ。そのような人物が一人で城下の教会へ来ること自体がその男には信じられない、いや、一般的には信じられないことであった。
「確かにこの方がマケドニアの大将軍、マチス閣下なのですよ。エルレーン。」
ウェンデルが溜息混じりにつぶやいた。
「はい、ウェンデル殿には是非マケドニアに協力していただきたいのです。以前より再三幕下へ加わって頂けるようお願いして参りましたが、色よい返事は頂けず残念に思っておりました。既にお耳に入れられておりますとおり情勢が大きく変わりましたので再びお伺いした次第です。」
しかし、マチスの予想通りウェンデルの反応ははかばかしくなかった。
「マチス卿、ガーネフを倒さなければならないという思いはわかります。しかし、ガーネフは闇の魔法に魅入られています。その魔法がある限り、決して倒すことはできないのです。私が行ったとて、変わるところはないでしょう。」
それでも、ウェンデルが話したことは興味深いことだった。
マチスも、メディウスとガーネフが結んでいる理由の一つが、お互いがお互いを決して傷つけることができないからだということを知っていた。メディウスがマケドニアもガーネフを討ち果たすことができないと考えていることも先の会合から明らかだった。しかし、その理由が何故かわかっていなかった。
「ガーネフを倒すことができないとは……ガーネフが扱う魔法はどのような物なのですか。」
呆然としているエルレーンを尻目にマチスは聞いた。ガーネフは前の戦いでも自らは前線に出ることなど無く、その戦い方を知っているものはいなかった。ウェンデルが知っているとすれば是非聞いておくべきことだった。
「ガーネフが操るのはマフーと言う闇魔法です。ガーネフがカダインを支配しようとした時、カダインは真っ二つに割れました。しかし、圧倒的にガーネフに反抗した者が多かったのです。私ももちろんその一人です。それでも、誰もガーネフを傷つけることはできませんでした……。」
「魔法でも……剣でもですか?」
「ガーネフがマフーを唱えたとき、全ての魔法はマフーの闇に吸い込まれ、私達は何もすることができませんでした。剣を持った者達も、マフーを唱えるガーネフへ近づこうとすると動けなくなってしまいました。……これは後から聞いた話ですが、ミロア最高司祭が持つ最高の光魔法であるオーラを以ってしても、マフーは破れなかったそうです。」
マチスは唸った。剣も魔法も効かないとは、そのような存在はメディウスしか存在しない。しかし、メディウスはファルシオンがあれば倒せる目算がつく。
「……その……マフーという魔法には弱点はないのですか?メディウスに対するファルシオンのようなものは。」
ウェンデルはこれも首を振るだけだった。
「マフー自体、今までどういった文献にも出てこないような魔法なのです。どのような手段を使ったのかはわかりませんが、あれはガーネフが独自に作り上げた魔法に違いありません。有効な手立ては見つかってはいないのです。」
「そうですか……。」
ガーネフへの対策は現時点ではどうしても無理だとマチスは感じた。万に一つ、メディウスと約束した二ヶ月間の間に対抗策が見つかる可能性もあるが、それは考えに入れてはならないことだった。しかし、逆にガーネフへの対策をしようがないのであれば、それを承知でカダインを攻めなければならない。これはドルーアも納得していることは明らかであった。そうとなれば、攻撃に際し最も気をつけることは明らかになってくる。カダインへ与える打撃を考える以上に、自軍の消耗を抑えなければならない。極端な話、カダインへの攻撃は形だけでもよいと考えている。マチスはミシェイルの前であわよくばファルシオンを奪取するようなことをほのめかしたが、それは可能性であり将来にわたる必須事項であっても現時点での必須事項ではない。
カダインを攻めるのであれば、ガーネフを無力化しなければ意味が無い。ガーネフを無力化できないのであればカダインを攻める意味は無い。それはミシェイルもマチスも解かっていたのだ。しかし、ドルーアの命とあれば攻めないわけにはいかない。二月の猶予をもらったのはその間の情勢の変化をも期待しているのだが、さし当たって急激な情勢の変化は望むべき物ではなかった。だとすれば、その貴重な時間でできるだけの対策を取らなければならない。
メディウスとガーネフの反目が決定的になったところで、ガーネフと結託しメディウスを撃つ方法は思慮の外であった。ガーネフの裏切りに乗ったところで、どこまでガーネフが信用できるかはわからない。その意味ではまだ簡単には動くことはしないメディウスの側に位置していた方が安全だった。第一、同盟から離反したのはガーネフ単独のみであって、ドルーアには力は衰えたといってもグラとグルニアが存在し、且つアカネイアの兵権を強制的に配下に収めている。これでは、余程決定的な大勝を収めない限り勢力バランスを崩すことは難しい。そのような危険を冒すべきではない。
もっとも、メディウスの思惑によって、ドルーア、カダイン、マケドニアは微妙な勢力拮抗状態にある。周りの全ての勢力が敵対する可能性を捨てきれないのであれば、狙うべきは二者が戦い疲弊したところを併呑する漁夫の利である。メディウスの今回の命もマケドニアの力を殺ぐと言う目的も当然入っているだろう。そういった点からも、ここは少ない被害で切り抜けなければならない所である。
やはり、軽装歩兵隊を出すのは取りやめて、白騎士団と魔道士のみに聖水を携えて一当てするのか。マチスはその場で考え込んでしまった。
「失礼ですが……。今までのお話を伺いましたが、カダインを攻めると言うのは決定なのですか。」
それまで、二人の会話を聞いていた金髪の魔道士、エルレーンがそう聞いてきた。
「ええ。昨日の朝に布告を行った通りです。……あなたは?」
「カダインにてウェンデル先生に師事しておりましたエルレーンと申します。」
と、エルレーンはマチスへ一礼した。礼儀作法にうるさい貴族もかくやと思うような身のこなしだった。
エルレーンはアカネイア出身の魔道士である。もっとも、アカネイアの記憶はほとんどなく、カダインが故郷も同然だったそうだ。アカネイアを示すのはアカネイアに多いその見事な金髪があるだけと本人は言う。
エルレーンは幼い時分に身寄りを無くし、親戚のつてをたどってカダインへ身を寄せたと言う。カダインで少年時代を過ごしたエルレーンは、そのままカダインで魔法の修行をすることとなった。
そのころのカダインはまだ穏やかで魔道士達は、最高司祭の元それぞれ魔道の研究にいそしんでいた。エルレーンは、同年代の魔道士達と比べるとカダインに長くいたため、魔道の才能では頭一つ抜き出ていた。もともとの才能や、本人のやる気もあったのであろう。その力量を認められたエルレーンは、ウェンデルに師事することとなった。
当時のカダインの内情までは知らないマチスにはわからないことであったが、当時、ウェンデルはカダインでも五本の指に入る司祭であり、次期最高司祭候補の一人でもあった。ウェンデルの元には特に優秀な若者が集められたのである。
マチスは知らなかったが、アリティアの魔道士マリクもウェンデルに師事していた者の一人だった。扱いが特殊な風の魔法、エクスかリバーをマリクへ教えたのもウェンデルである。ウェンデルが解放軍に随行していたのもこの縁によるものだった。
しかし、カダインの状況はガーネフの出現によって様変わりした。ガーネフはふらりとカダインに戻ると、おそらくは殺害したのであろう最高司祭に取って変わり、カダインの支配を宣言したのである。
たった一人による反逆であり、普通であれば到底成功などしないようなガーネフの行動であった。しかし、実際にガーネフはカダインの支配に成功した。
ガーネフも元々は、非常に強い力を持ったカダインの魔道の使徒であった。その単純な力だけを見ればミロアにも勝っていた。ガーネフとミロアは共に大賢者と呼ばれるガトーに師事した兄弟弟子の間柄だ。そして当時より、ガトー、ミロア、ガーネフの三人はは大陸の三賢者と一般に呼ばれるほど有名であった。
カダインはその大賢者ガトーによって開かれた学府である。世の中の些事から隔離し学業が行えるようにと、大陸の辺境、人が住む場所の更に先、砂漠に誰も見ることもなく湧くオアシスの周囲にカダインは作られた。
ガトー自身は、確かに存在していると言われているし、実際にガトーに会ったことがある人もいる。しかし、非常に謎の多い人物であり、その存在すら疑う人もいる。その尋常ならざる知識量、魔道の力もさることながら、ミロアとガーネフが師事した時にはすでに老齢と言っていいような外見をしていたにも関わらず、何年過ごしてもその力は一向に衰えることがなかったと言う。カダインの成立過程にしても謎が多い。それだけ人里離れた所にどうすればちょっとした町程度を建築できるほどの物資を持ち込めたのか、どのようにそういった建物が造られたのか、知る者は全くいない。ただ、当時から大賢者と呼ばれていたガトーが造った町であるということがいつしか大陸中に広まり、気がつくとカダインは魔道の都になっていた。
カダインが町として大規模になると、ガトーはミロアをカダインの最高司祭とし、どこかへ隠遁した。最高司祭となったミロアではあったが、ほどなくアカネイア王宮より招聘を受けアカネイアの最高司祭となった。当然、次の最高司祭の座はガーネフであると思われていたのだが、その時にはすでにガーネフはカダインにはおらず、どこかへ行ってしまった後であった。
以降、カダインの最高司祭は、幾人かの高司祭が順番に受け持った。そこには、権力欲などと言うものは存在しなかった。カダインは各国に魔道の力を貸すことで生計を成り立たせてはいたが、その利益は生活に最低限必要な分以外は全て魔道の研究に費やされた。そこには知識のみを必要とする人々が集まっていたからである。
ガーネフのカダイン支配が成功した裏には、確かにガーネフが最高司祭となることを望んでいた人達の後押しがあったことは間違いない。しかし、より多くの人がガーネフの様子がおかしいことに気付き、これに反抗した。しかし、ウェンデルが言った通り、誰一人としてガーネフを止めることはできなかったのである。
ガーネフへ反抗した人々は、あくまで反抗するか、逃げ出すことになった。ウェンデルやマリクやエルレーンは逃げ出した方の人たちである。残り反抗した人々はほとんどが粛清された。
ミロアはカダインの情勢に関する情報をしきりに集め、対策を取ろうとしたのだが、大国アカネイアの中にあって最高司祭という地位にいたことがしがらみとなり、動くに動けない状態だった。この時、すでにアカネイアの内部は半壊しており、大貴族の足並みは全く揃っていなかったのだ。
もちろんガーネフの方ではミロアの動向を注意しており、何よりも先にミロアの抹殺へと動いた。カダインを抑えるために最も邪魔だったのがミロアの人望であったのだ。
ガーネフはメディウスを復活させた後、単身アカネイア魔道宮へ乗り込みミロアを暗殺して見せた。ミロアもただ殺されたわけではなかったが、ガーネフには全く抵抗できなかったと言う。後の展開はガーネフの目論見どおり大陸はドルーア同盟一色に塗り替えられた。
ガーネフは今や大陸の中でも特に重要な人物である。特に、カダインを逃れてきた人々には色々と思うところがあった。それでもウェンデルは静かな生活を望んだ。ウェンデルは逃避の中で、幾人もの命を落とした若い魔道士の姿を見てきていた。さらにレフカンディでも、自分の治療を待たずして命を落としていく多くの兵士を見ていた。奇しくも、解放軍が敗れたことでマケドニアの占領下にある土地は一応の安定を見ることとなった。その後、ウェンデルはオレルアンの教会に隠遁し、二度と世に出ないようにしようと固く誓ったのである。
しかし、若い世代は違った。マチス以外にもウェンデルに立って欲しがっている人は大勢いたのである。たまにウェンデルを訪れる者があった。そう言った者達は、だいたいがウェンデルに教えを受けた者達であり、ガーネフを打倒するための協力を依頼しに来ていたのである。
それは、ドルーア同盟統治下の大陸で進めるには余りに無謀な計画であった。それでも若い世代は動こうとした。ウェンデルはそのような若者を必死になって止めていた。
「……大将軍閣下。私めを陣営の末席に加えてはもらえませんでしょうか。」
苦々しく顔面の皺を歪ませているウェンデルを横目に、エルレーンは膝を折った。
エルレーンがウェンデルを訪ねていた目的も、他の者と同じ、ガーネフ打倒の話をするためであった。しかし、エルレーンが他の者と違ったのは、マケドニアがカダイン攻めを発表した後にウェンデルを訪ねたことであった。勝機を見出すことができるかもしれないという可能性を考えて、エルレーンはウェンデルを訪ねていていた。マチスはちょうど、エルレーンがウェンデルを説得している場面に現れたのだ。もっとも、ウェンデル自身このような状況になっても戦いの場には出ようとはしなかった。
マチスはエルレーンの申し出に驚いたが、すぐに笑顔を浮かべ頷いた。
「喜んで。マケドニアはあなたを歓迎します。」
すぐそばには首を振るウェンデルがいた。
「……あなた自身のことは止めることはいたしません。ですが、くれぐれも自重してください。あなたは自分を過信するところがありますから。」
ウェンデルはエルレーンにそう言った。おそらく諭したものであろう。マチスにはその言葉は気にならないではなかったが、自ら志願するような者であればそういった資質もあるであろうと、たいして気にはしなかった。
マチスはウェンデルへの説得は不可能であると判断した。状況の変化を踏まえた上でも、ウェンデルの決意は覆りそうに見えなかった。しかたなく二言三言話した後、マチスはエルレーンを伴って教会を辞去した。
他の大部分の人が抱く印象と同様に、エルレーンから見てもマチスは凡庸にしか見えない男であった。エルレーンの方が偉そうに見えるくらいである。また、仕方のないことであったが魔法に関してマチスは素人であると判断せざるをえなかった。それでも、カダイン攻めの用意として聖水を用意していることを聞くと、エルレーンはかなり驚いた。聖水は、消耗品として決して安いものではなかったからである。
マチスから見るとエルレーンはそれなりの戦略眼を持っていることが推し量れた。魔道の腕のほどはわからないが雷の上級魔法を得意とするということからかなりの腕は持っているようだった。カダインを取り戻すことが自分の一番の目的だとエルレーンは語った。
城へ着くと、エルレーンは早速、軍属の魔道士としての登録を済ませた。エルレーンは魔道士を優遇するマケドニア軍の指標に沿って、そのまま軍の宿舎へ逗留した。幾日か経つと、エルレーンは旧来の友人であるヨーデルを呼び寄せ、これもマケドニア軍の魔道士として登録した。
エルレーンの魔道の腕は確かであった。雷系の初歩魔法で標的代わりの岩をばらばらに砕いて見せた。トロンの魔法を得意とすると言うと集まった魔道士からは驚きの声や嘆息が聞こえた。マチスは後で知ったことだが、トロンの魔法は雷系の最上位魔法なのだそうだ。それより上は特殊な魔法しか存在しない。
ドルーアでの会合から二週間。マチスはエルレーンを魔道士隊の隊長に推薦する旨を書状にしたためると、ミシェイルへと送った。ガーネフが動いたのはその直後であった。