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FireEmblemマケドニア興隆記
 竜王戦争編
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二十四章 時節

「なんということだ。」
 エルレーンは目の前の惨状を見て、嘆かざるをえなかった。
 目の前の野原からは濛々と砂煙が上がっている。エルレーンはそれとは別に一帯に漂うものを感じている。魔道士が操ることを求められる、魔の力だ。
 目を凝らしてみれば、点在する魔道士達と、整然と隊列を組んでいる彼らとは別に地に倒れ付している兵士達がいた。あちらこちらからかすかにうめき声が聞こえる。
 もっとも、倒れている者の数はそう多くはない。大多数の兵士達は砂煙の向こう側へすでに退避している。
 しかし、誰が倒れていて誰が無事かはさほど重要ではない。エルレーンにとっては、今、目の前に起こった経緯、それが問題であった。目の前の軍は、双方ともにマケドニア軍の者達だった。
 魔道将軍に就任しマケドニア軍内部での立場が上昇したエルレーンは、対ガーネフ戦での作戦立案など、ミシェイルに請われ様々な研究を行っていた。自身の魔道の鍛錬に加え、魔道を応用した戦術の立案、率いる魔道師団の管理など、エルレーンは今やマケドニア王城内で最も多忙な人物と言っても過言ではない。将軍位にあるのだから、将軍としての仕事を第一に行ってはいるのだが、それでも自身の鍛錬を欠かさないところがエルレーンなりの矜持でもあった。
 無論、将軍としても積極的に行動を起こすエルレーンは、ミシェイルに魔道部隊と歩兵部隊を使った演習を行うことを提案した。エルレーンがマチスから継承した思想でもある軽歩兵隊で魔道部隊に対抗する戦術の有効性を確認しようというものである。
 ミシェイルに許可を得たエルレーンは、オーダインから王都守備隊の軽歩兵隊を借り受けると、両者を王都北部の平原地帯に展開させた。両軍を展開させた箇所は、マケドニア本土領内で遠くまで見晴らしが効き、大規模な軍が展開可能な唯一の場所である。歩兵部隊や騎馬部隊の演習には昔からよく使われてきた場所だった。
 初回の演習ということで、内容はごく単純なものであった。
 魔道部隊が遠距離から牽制魔法攻撃を行う。歩兵部隊は、これを回避しつつ魔道部隊へ近寄り肉迫する。魔道士は懐に入られれば弱いため、肉迫できればそれでよく、肉迫された魔道士は以降牽制攻撃も止める。そのような内容だった。
 軽装の歩兵であれば魔法攻撃をかわし、肉迫することによって魔道士に対抗できることを再確認するための演習であった。だが、いざ始まってみると軽装歩兵は容易に魔道士へ近づくことができなかった。しばらく、歩兵へ突撃を命じていたエルレーンではあったが、牽制として行っていたはずの魔法攻撃に当たる者が三人、四人と増えてきた段階でさすがに引き上げさせた。
「救護班は直ちに救護を。」
 エルレーンは魔法の奔流が収まったことを確認し、控えていた救護班にそう命じた。
 演習に当たって、魔法攻撃は牽制攻撃としつつも全力で行うよう魔道士隊へ命令していた。いざ戦闘になれば手加減などしようがないのだから、そこはなるべく実戦形式を取ることが望ましい。魔道士側は実効力として魔法を行使する以上、ある程度被害が出ることはエルレーンも織り込み済みである。その危険性はミシェイルにも説明されており、その上での許可も取っている。救護班も実戦部隊さながらに、杖の使える術者を多数待機させてはいた。
 歩兵隊はエルレーンの思惑から外れて、ほぼ魔道士隊へ近づくことはできなかった。魔法に怯えて近づこうとすらしなかった者たちが七割程度、残りも大部分は魔法に阻まれてろくに進めない。魔道士へたどり着けたのは実際には二、三人に過ぎなかった。
 エルレーン自身、魔法の飽和攻撃はグラでのガーネフ戦でしか見たことがなく、その実効性をよく理解していないところがあった。今回の確認ではは、その予想以上の威力を目の当たりにできた。
 魔道士隊で今回の演習に参加したものは、ほんの三十人程度である。適当に間隔をあけ、横に並んでもらった。歩兵部隊の突撃合図と共に、めいめいに魔法を撃ってもらう。使用した魔法はファイアーとサンダー。両方とも攻撃魔法としては初歩的なものだ。
 それでも、数が集まり、同時に魔法を発動するとなると、その効果は辺り一帯に及び隙間は無い……ように見えた。雷撃が地表に到達した際の砂埃などで、隙間無く魔法の影響が現れているように見えるだけで、狙いを付けて撃っているわけではないのだから、実際には穴だらけなのである。
 兵士達はその見た目を真実と捉えた。魔法の効果が一部のみであることを見抜き、尚且つ的確にそれらを避けることができたのはベテランで腕利きの剣士だけだったのだ
 エルレーンは考えた。ここから得られた結論は、広い戦場では魔法の飽和攻撃がかなり有効だということだった。しかも、数を用意する必要はなく、ある程度の間隔を置いても魔法と言うだけで脅威になる。
 魔法自体、見た目は派手な部分はあるが、実際に威力を示す範囲は見た目ほど広くはない。エクスカリバーなどの高度な魔法であればともかく、基礎レベルの炎や雷の魔法では、広範囲を同時に破壊するほどの威力は持っていない。人ひとりを殺傷するだけの威力は当然持っているが、その範囲は広くはない。高位の魔道士が尊敬の念を集めることに対し、普通の基礎レベルに毛が生えた程度しか魔法を使えない者達があまり重用されてこなかったのは、こうった理由もあった。
 しかし、動物が本能的に火を恐れるように、多くの兵士にとって未知の力である魔道の力は、兵士達を近づき難くさせるという意外な効果を見出させた。例え見かけだけの力であったとしても使い方次第では有効に使えるはずである。
 演習を終えたエルレーンは、それらの事を報告にまとめ、ミシェイルへ提出した。
 エルレーンは、これが実際の威力ではなく、見破られて肉薄されれば危地に陥るのは魔道士の方であるとの記述を付け加えることを忘れてはいなかった。例えば矢の雨が降る戦場であったとしても、盾を構えて勇敢に突進する軍は確実な理解と鍛錬があれば編成することは可能だろう。意外な効果ではあっても、大きな会戦で使うような機会は少なく、逆に自軍はこれに惑わされないようにする必要があると、報告には書かれていた。

 剣戟が続いている。一合や二合ではない。数えていれば優に百は超えていることだろう。
 高く、低く、鈍く、澄み、決して一定のリズムを刻まず、剣は打ち合わされている。皮鎧程度の軽装に盾は持たず、それぞれ一本の剣を両手に握った者が二名。両者ともすでに汗だくになっている。
 片方は、収まりつかない長く波がかった黒髪を後ろで結えた男、もう一方は金髪を短くまとめた、左頬に十字の傷跡を持つ男。二人の間の緊張が切れることは無い。
 しかし、その剣は刃が落とされたものであった。人を害することを目的としない、訓練用の剣である。
「すこし、休憩しよう。」
 剣戟が途切れた隙を見て、十字傷の男がそう切り出した。それを合図に二人は緊張を解く。
 黒髪の男はクライン、ユベロにいろいろとつけられた注文を全てこなし、対ガーネフ用の支援拠点をクラインとその部下の力でわずか二週間で使える状態にした。
 もう片方の金髪の男はオグマ、元はタリスの傭兵隊長が現在はユベロの護衛をしている。この支援拠点にはユベロに従ってやってきた。
 ユベロが作戦のため支援拠点へ移動したとき、ユミナやマリアはマケドニアへ置いてきたのだが、オグマは護衛のためと称しユベロに従っていた。
 ユベロの存在は、マケドニアでは最高機密である。もちろん、オグマの存在も知られていない。このため、拠点の建築が終わりユベロがやってきた時、クラインは始めてオグマの存在を知ることとなった。
 クラインは迷うことなくオグマにカダイン攻撃隊への参加を依頼した。もともとユベロから話を聞いていて、そのつもりでユベロに同行していたオグマは、二つ返事でこれを承諾した。
 以来、二人はよくこうして剣を合わせている。
 実力はほぼ互角だった。戦い方も良く似ている。クラインはさすがはオグマ殿だと感心し、オグマは世の中にはまだこれほど強い者がいると思い知らされていた。
 実際にオグマは大陸でも高名な剣士ではあったが、その名前はタリスに落ち着いてから傭兵として各地へ出向いた際に徐々に積み上げられたものである。ナバールも同様な意味合いで大陸に名前が知られている。
 しかし、実際は実力のある剣士は多く存在する。ほとんど名前を知られていないサムソンのような例はまれだが、国軍に所属し、国内で有名な人物もいる。代表的なのはアカネイアのアストリアだが、クラインもその範疇だろう。
 また、剣に限らなければ一気に範囲は広がる。武勇も統率も抜きん出ているグルニアのカミユ、これに匹敵する名声を持つ草原の狼ハーディン、大陸一の弓使いジョルジュ、マケドニアの姫騎士ミネルバなど。
 オグマはクラインに尋ねたことがある。それだけの研鑚をどのように積んできたのかと。
 クラインの答えは簡潔だった。食う為に自分のできることをしてきた。それだけだと。
 オグマがよくよく聞いてみれば、とてもそれだけではないことがわかる。クラインには妹がおり、まだ小さい時分に両親が亡くなったクラインは妹に苦労を掛けないようそれだけを気をつけてきた。妹のエリエスがマケドニアの軍属となったことをきっかけにクラインもマケドニア軍へ身を寄せるようになったことは周知の事実である。
 だいぶ状況は違うが、環境が自身を強くさせたという点についてはオグマも同じだ。ノルダで剣闘士として生き残るためには強くなる以外に方法は無かった。そんなオグマがタリスに身を寄せて以来、守ろうとしてきた人はもういない。今はただタリスに受けた恩に報いる為に、モスティン王の依頼に従っている。
 ユベロは覇気多き若者であった。オグマがタリスに居着いた頃には、タリスのモスティン国王はもうだいぶ落ち着いていて穏やかな仕草しか見せなかったが、タリス統一闘争のころは猛将として付き従う民衆を導いたと聞いている。若い頃のモスティン王はこれほどの人であったのだろうか。
 ユミナにシーマ、そしてマリアと、ドルーアからこちらオグマは各国の王族と行動を伴にしていたが、ユベロは一際異彩を放っていた。オグマから見ればユベロは一回り以上年下になるのだが、オグマはそこに自分が失ってしまったものを見ていた。
 クライン、オグマを始めとする軽装の剣士達や、剣士よりも多く攻撃隊に随行する魔道士達は、作戦決行日まで訓練、また訓練の日々である。
 ユベロはカダインの内実を遠見しながら、こちらも自己の研鑚を忘れなかった。
 ユベロとオグマが拠点に到着して二週間ほど経った頃、クラインはオグマからユベロの探索が思わしくないと言う事を聞いた。作戦の実施については、ユベロから報告があるはずであるが、実際に実行予定の報告は未だない。
 クラインはオグマを交え、直接ユベロから話を聞くことにした。
 ユベロが言うには、既にカダインの八割は探索を終えているのだが、それらしい場所は見つからない。また、遠見の術を邪魔する処置がカダインに掛かっているであろうことが予想されていたのだが、そういった施術は一切掛かっていない。何より、探索を始めてから、ガーネフの姿が一切見えないと言うのだ。
「ガーネフを始め、ファルシオンやエリス殿、カダインに存在していない可能性が高いようです。」
 と、ユベロは言った。
 では、どこにいるのか。当然、次はその話になるのだが、誰も答えることなどできるはずがない。
 とにかく、クラインはこの件をマチスに伝えるべく即座にペガサスを飛ばさせた。

 レフカンディ城砦の一室。マチスはテーブルの上に地図を広げ、これをにらみつけていた。
 地図は大陸のものである。アカネイアを中心に作られたその地図は、かなりの精度を持っている。マケドニアの白騎士団が主に上空から地形を把握し、それをつなぎ合わせることで作成された地図だ。しかし、アカネイアが中心であるため、北限はオレルアンとカダインであり、その北方にある山脈は未知の大地だ。
 もっとも、北方に人の住む町はない。言い伝えによれば、アリティアの初代国王、アンリが聖剣ファルシオンを授かる際に北方を巡ったと言われているが、今はただアリティアの歴史書にその記述を見るだけである。北方の様子はそのアンリの記述にある程度は書かれているが、具体的にどのような道筋をアンリが辿ったかまでは誰も知ってはいない。
 地図の上、オレルアンの西の端に一つの旗が立っている。魔法部隊が前線基地として使用している場所だ。オレルアンとカダインを直線で結んだ上にその場所はあるが、元来、オレルアンからカダインへは山脈と海峡、さらに砂漠に阻まれ、直接移動することはできない。その前線基地がある場所はオレルアンの辺境と呼べるような所である。
 旗は、他にも何箇所かに立てられている。レフカンディ、マケドニア王城、アカネイアパレスとやや離れた城下町ノルダとの間。そして、新しくもう一つ、マチスは旗を立てた。グルニア第二の都市、オルベルンだった。
 対ガーネフ用前線基地の設営と運営は順調であった。レフカンディからパレスへ向けた軍の準備も順調であった。しかし、マチスは慎重であった。ユベロのガーネフ奇襲作戦に乗る形となる今回の作戦に見落とした点がないか、マチスは各地の情勢を集め、考え続けた。
 マチスは、今まで臥せっていた部屋を、そのままレフカンディでの執務室にすると、今も来る報告へ耳を傾けながら地図を睨み、深く考え事をしている。傍らには文句を言うのでもなく、常にエリエスが付き従っている。
 マチスはまた一つ、他のものよりも小さい旗を地図へ置いた。グルニア北東部、ラーマン神殿のさらに北東。しかし、そこはただ深い森があるのみで、何も存在しないはずの場所だった。
 伝令兵がいくつかの手紙をマチスへ持ってくる。マチスはそれらに目を通し、すぐにいくつかの返信を書く。時々は城砦内の様子を見て回るなど出歩くこともあったが、今のマチスはそれほど出歩くことはない。まだ、体が完全に復調しているわけではないため、過度な運動はしないようにしているのである。ハーマイン将軍も用があれば将軍の方から訪ねてくる。
 このため、マチスは各地の情報を集めて思案を重ねる日々であった。オレルアンの方は既にミネルバに任せておけるだけの体制が整っているので、政治基盤面での心配はない。近い未来に起こりえる衝突にどのように対処するか。それを考える毎日である。
 考えるべきことは山ほどあった。書状のやり取りの半分近くは王都のミシェイル、エルレーンが相手となっている。書状を忙しくやり取りしつつ、マチスは地図を睨む。
 クラインからの連絡と、グルニアへ潜伏させていた斥候からの連絡が入ったのがほぼ同時期であった。マチスは眉間に皺を寄せながらも、すぐに筆を取り、エルレーンへの指示を認めた。まだ事態はマチスの予想範囲内に収まっているとは言え、決して良い状況と言う訳ではない。さしあたって、ガーネフへの対応の目処がつかないのであれば、パレスへの進軍を遅らせる必要があった。

 グルニアでは国王であるルイが崩御した後、その国力を片端からドルーアに搾取されるままとなっていた。グルニアの政府中央からは心ある者は立ち去るか粛清され、黒騎士団もカナリスを団長として名目だけは存在していたが、その統治能力は無いどころか害悪であった。
 ドルーアは、ルイの崩御以前からグルニアから重い徴発を行っていた。それでも、ぎりぎり民衆が生きていけるだけの物資は民の手に残るようにはしていた。徴発は本当に生きるか死ぬかの瀬戸際まで行われていたため、実際には生活に窮する者も多かったが、そこは省みられるはずもない。
 こういった方針は、ドルーアにガーネフが在籍していた状態ではガーネフのさじ加減一つで決められていた。実際にドルーアに復活した竜人族には、人をシステムで統治するだけの技量を持ち合わせていなかったからだ。細かいところとなればメディウスの目すら届くものではない。
 ガーネフは自分の目的を進行させながらも、竜人族を使って支配した各国の統治を行っていた。ドルーアの王都は、メディウス復活の直後はただの荒地に過ぎず、メディウスの宮殿も自然に作られた洞窟にすぎない。ガーネフは、力と富をドルーアの中央へ集中させるために、その統治の力をいかんなく振るった。
 ガーネフの統治が特に過酷だったのはアリティアとグルニアであった。基本的にガーネフは民を追い詰めることはしなかった。ただぎりぎりまで租税を高め、罰則を厳しくし民を縛り付けた。ガーネフはアカネイアやカダインでの経験から、富を得るためには民の力が不可欠であることを知っていたし、民に力を付けさせてはならないことも知っていた。
 アリティアとグルニアの統治が特に過酷だったのは、この二国が支配に対し従順だったからである。アリティアは捕らえられた王族は尽く処刑され、完全にドルーアの支配下にあったし、グルニアはカミユへの疑惑から黒騎士団が実質的に無力化され、さらに国王ルイがドルーアに全ての面で従ってしまっていた。
 しかし、ガーネフはアカネイアやグラには手を出すことはできなかった。
 グラは、当主のジオルがそれなりの影響力を持っていたために、そこから極限まで多くを得るわけには行かなかった。
 もっとも、ルイほどではないにしろジオルもドルーアを畏怖しており、グラからドルーアへの上納物はかなりの資産に及んだ。それだけでも国内が荒廃するには十分であった。アリティアは名目上はグラに与えられていたが、実際にアリティアへ駐留していたのはドルーア、グラの両軍で、その立場上、グラ軍はドルーア軍の言いなりであった。結局はジオルも国内の不満分子を押さえきれずに政権を渡してこの世を去ることとなってしまった。
 アカネイアはさらに混沌としていた。
 ドルーアはアカネイアへ竜人族の総督を送り込み、実質的にアカネイア中央部を統治した。そして、その統治はアカネイアからドルーアへ寝返った何人かの貴族によって補佐されていた。
 実際、アカネイアからドルーアへもたらされた利益は他のどの領土の物よりも大きい。しかし、アカネイアは管理的に統治されていないため、その生産力を維持することができず、農村部の状況はグルニアやグラよりもよほど悪い。
 これは、アカネイアから寝返った貴族達が私腹を肥やすため、ドルーアに要求された以上の徴発を民衆に対して行っていたからだった。アカネイア貴族達のしがらみは大きく、ドルーアも下手に持ち駒を減らすような真似は避けたかったため、統制を取ることを半ば放棄していた。ガーネフの一派からも、アカネイア中央へそれなりの人物は派遣されていたのだが、大勢に影響を与えることはできていなかった。
 ドルーアからアカネイアへ課せられた租税の重さそのものは、アリティアやグルニアと余り変わるものではない。しかし、アカネイアの支配体制の悪さからアカネイアの民は一番の搾取を受ける状態となってしまった。
 グルニアは、最初は国王ルイが病床ながらも内政を仕切り、カナリスなどを押さえ込んでいたため、民の暮らしも恒久的に飢餓に陥るような状態までは悪化していなかった。しかし、ルイが崩御すると、ドルーアの総督から指示を受けたカナリスは、ドルーアの指示に上乗せして民からの搾取を行うようになった。この秋の収穫が根こそぎ持っていかれてしまっては、いかに暖かい地方とは言っても冬を乗り切ることは厳しい。
 そのような危機状態にあるグルニアで、不思議と流れ出した噂があった。
 曰く、カミユ将軍がどこかに隠遁しており、反ドルーアの狼煙を上げる機会を窺っている。
 曰く、ユベロ王子、ユミナ王女はドルーアの王都を脱出して存命で、王権の復活のために日々活動している。
 噂の出所は誰も知らなかった。しかし、数年のドルーアの支配を経て、誰もがそのような話を寝言のように笑い飛ばしていたとしても、不思議とその噂は消えなかった。
 そして、その噂は一人の重鎮を担ぎ上げたのである。

 がっしりとした体格の老年の男を前に、二人の青年が頭を下げていた。老年の男はグルニア軍部の暴走のあおりを受けて中央から追放された男、ロレンス将軍である。
「閣下、なにとぞ……なにとぞ閣下のお力添えをお願いします。」
 ロレンスは見事な顎鬚に手をやりながら、困惑した表情で佇んでいる。
「ジェイクと言ったか。」
「はい。」
「確かにグルニアは戦わずにドルーアの傘下に入った。その実力はドルーアに対しては振るわれては無いかもしれん。……だが、お主達は竜を見たことはなかろう。」
 ロレンスは溜息交じりであった。
「……オルベルンの機械弓があっても対抗できないと申されますか。」
 ジェイクと呼ばれた男とは別の男が言う。
「機械弓の矢が一ダースも命中すれば、少しは痛手を与えることもできるかもしれないが。」
 そう聞いた男たちは驚愕した。
「……そこで驚いているようでは、お主らの謀など到底成就せぬであろう。もう少し状況というものを把握してもらいたいものだな。」
「状況ならこれ以上ない程に把握している!」
 片方の男が床を叩いていきなり立ち上がった。
「先週、俺の村ではまだ四歳の子供が少し風邪を引いただけで亡くなった。普段から十分に栄養を取らされていなかったからだ。隣の村では先月に老人達が森の奥へ送られた。もう、あちこちの村で最低限の生きる力すら奪われているんだ!」
「ベック!落ち着け。」
 ジェイクがそう止めるも、男は止まらなかった。
「閣下!閣下は城を出るべきではなかったのではないですか。なぜ、カナリスなどと言った佞臣がグルニアでは幅を利かせているのですか。」
 ロレンスはゆっくりと首を振る。
「……わしがいたところでどうにもならんよ。わしは騎士団長ほどの影響力を持っているわけではない。陛下が崩御された時に、わしの行く末も定まった。粛清されなかったのはカナリスの気まぐれじゃろうが、もはや城に心あるものはおらん。グルニアの中央はもう腐り落ちるに任せるのがよかろう。」
 頼み込む側の男たちは言葉を失った。かつては鳴り物入りでグルニアへ招聘された将軍。実際に将軍位に就いてからも、その名に恥じぬ働きをしてきた将軍。何よりもその実直で真摯な人柄でカミユとは別の意味で国民に人気のあった将軍。その男がこうまで絶望するほど状況は悪いと言うことなのだろうか。
 ジェイクとベック。二人は元々グルニアの戦車大隊へ所属していた兵士だ。カミユの存在が際立ち、黒騎士団ばかりが取りざたされることが多かったグルニア国軍だが、その影に隠れる形で存在していた戦車大隊も侮れない力を持っていた。
 これらの機械兵器は移動のために馬や人が引かなくてはならいため、機動力に乏しい。急な移動などももちろんできないため、接近されてしまえば操縦者は逃げるしかない。
 しかし、その武器は魔道技術を独自に応用しており、非常に大きな威力を持っている。特に、移動することを無視して城砦の防御用にしつらえた遠距離攻撃兵器は、籠城戦で大きな効果を上げることが期待されている。その固定兵器は、主にオルベルンに配置されていたが、グルニアは戦わずしてドルーアの傘下に入ってしまったため、その威力が披露されたことはまだ一度もない。
 また、基本的に防御用の兵器であるため、アカネイア攻めやアリティア攻めなどのドルーアとの共同戦線へも投入されていない。カミユが黒騎士団を率いていた時分には、戦車大隊の主力部隊はアカネイアの西部に駐留していたが、カミユの失脚と共に戦車大隊自体が解体されてしまった。このため、竜人の力を目の当たりにした者が戦車大隊にはいない。当然、ジェイクとベックも知らない。
 戦車大隊が解散後、お互いに親しい間柄でいたジェイクとベックは、地下にもぐりレジスタンスを形成した。こういった組織はドルーアに圧政を受けていた地域では珍しくなかった。しかし、だいたいは小規模から中規模な組織ばかりで、派手な反ドルーア活動を行った組織は即座にドルーアに潰されてしまっていた。こういったレジスタンスはほとんどが連合することが無く、気の向くままに活動をしていたのだから無理はない。百年前の復活の時に、数々の抵抗活動から結局は打ち滅ぼされたメディウスは、こういったレジスタンスの活動に容赦がなかった。
 アカネイアの中央には大規模なレジスタンス組織が存在していたが、メディウスのレジスタンスに対する方向性と、アカネイア中央部の警戒の厳しさに容易に動ける状態ではなかった。アリティアの元王国派レジスタンスは、アリティアの支配者がドルーアからガーネフに代わったときに、連携を取らずとも一斉に各地で蜂起したのだが、連携をとる前にカダイン魔法部隊に各個撃破されてしまい、さしたる影響も与えることができなかった。
 グルニアでも、活動を起こしたレジスタンスはすぐに潰された。残っているところは、動くに動けないと判断して活動も起こせずに固まっているような組織ばかりだった。
 ジェイクとベックは、元グルニア軍を中心とするレジスタンス組織を率いた。レジスタンス組織で長命なところは余り無かったが、彼らの組織はある意味消極的なその運営方針のおかげで今までを生きながらえてきた。しかし、何も活動してこなかったわけではない。
 ジェイクとベックが腐心したのはレジスタンス組織同士の横のつながりであった。一つの組織だけでは活動にならないことを理解していたレジスタンス組織は、少なからず存在した。
 しかし、簡単に事を運ぶこともできなかった。組織同士の連携が確かなものになった場合、一つの組織が槍玉に挙げられてしまえば後は芋づる方式で皆が潰されてしまう。蜂起の準備は慎重に行う必要があった。この欠点を指摘され、合同することに難色を示す組織もまた少なくなかった。
 そこに思わぬ追い風が吹いた。ユベロ王子、ユミナ王女、カミユ将軍の三人の生存の噂。いつもならば、今や絶望と共にあるグルニアの民衆にすぐに忘れ去られてしまいそうなその噂は、掻き消えることは無かった。仮定の実在を頭の片隅にでも置く者が徐々に増えていった。ジェイクとベックの組織も多少は大きくなった。
 ロレンスの反応如何に関わらず、蜂起するタイミングは今を置いてない。
「ジェイク……もういい。この件は我々だけでやろう。」
「し、しかし……。」
 その時、ロレンスの眉がほんの少し動いたのだが、二人がそれに気づくことはなかった。むしろベックはロレンスの姿に呆れ果てていた。このような状態では、助力を願い出たところで力になってもらえるはずもない。
「わからぬのか。無謀なことはするでない。お主ら、犬死にぞ。」
 もはや、二人はロレンスに礼を取ることもなかった。ベックが言う。
「閣下、もはや動きは止められないのです。我々は今回の風潮こそ千載一遇の好機と捉え、かなり無理をした動きをしています。事を中途半端に止めれば、ドルーアへ知れることが明らかです。……どちらにしろ、犬死にです。」
 大きくなった組織、組織同士の連携。主だった組織の会合で可能なことを探った結果、オルベルンの奪取がふさわしいと結論に至った。
 計画を推し進めたのはジェイクとベックの二人。オルベルンの守備拠点としての堅牢さの上に、元戦車大隊のメンバーがオルベルンに存在する防御兵器を扱えると聞き、最終的に計画は全会一致で決定された。
 それからは、準備への奔走。物資が心もとないことは懸念事項であったがレジスタンスにそこまで用意できるはずも無く、ひとまず取りおかれた。最優先されたのは人員の確保で、この面での無理がかなり祟っていた。ドルーアに反感を持つ者は多く、参加者は多かったが、質の面では妥協せざるを得なかった。士気が高い準備段階の今であれば問題は無いが、ここまできて中止などと言われれば、再び組織を離れる者も多いだろう。それは即ち情報の漏洩を意味していた。
 計画決定後、各組織は裏切り、スパイ行為について目を光らせている。計画を浸透させる前に抜けるべきものは抜けさせたし、その後は組織からの離脱は許されなかった。不安定なレジスタンス組織だからこそそうせざるをえなかった。
「ジェイク、これ以上ここに用はない。……行こう。」
 煮え切らないロレンスを前に、ベックは既に説得を諦めていた。ジェイクが頷くと、二人は立ち去ろうとした。その姿に迷いはなかった。
「待て。」
 しかし、引き上げようとしていた二人にロレンスは声を掛けた。
「お主らの頼み引き受けてもよいが、引き受けるには一つ条件がある。お主らにとってかなり厳しい条件だが、この条件が飲めるのであればお主たちと共に行こう。」
 二人は立ち止まった。ロレンスはなぜいきなり態度を変えたのか、二人にはわからなかった。
「条件とはどのようなものでしょうか。」
 と、ジェイクが聞いた。
「お主らの指揮権を全て私に委ねよ。お主らのことだ、オルベルンを占拠した後のことは何も考えていなかろう。」
 ジェイクとベックは顔を見合わせた。
「……いかがなされるか。受けるも断るもお主たち次第じゃ。」
 二人にとってはさらに予想外の申し出だった。ロレンスはグルニアの重鎮として、反乱をまとめてもらう存在として招聘することを考えていたのが二人だった。反乱軍の戦略について意見を乞うことはあったとしても、完全に指揮を任せるところまでは二人とも考えていなかった。
「閣下には、オルベルン占拠後の展望がおありですか。」
 ロレンスは首を振った。
「お主らは犬死にだと言ったはずだ。大規模な反乱を、ドルーアは捨て置かぬ。必ずや、直ちに制圧部隊を差し向けるだろう。その被害を少なくしてみせよう。」
 二人は言葉を失った。
「……閣下、我々は負けるために旗を揚げるわけではありませぬ。」
 と、ジェイクが言うが、ロレンスは容赦が無かった。
「お主たち、どれほどドルーアを知っていると言うのだ。特殊な防御兵器があったところで、数はたかが知れている。竜が数を頼みに押し寄せてきたらどうするのだ?オルベルンの城壁がいかに堅牢とは言っても、それは人を相手にすることを考えて作られているからだ。竜の攻撃をどれほど防げるというのだ。」
 ロレンスは首を振る。
「お主らはグルニアを再興させるために必要な若い力なのだ。挙兵がすでに止められないことだとしても、むざむざとその命を散らせるわけにはいかん。」
 二人はさらに黙り込んでしまった。
 ロレンスの所在を聞き、合流してもらおうと考えたのは、主にロレンスの名前を利用するためであった。ロレンスは軍部からは堅物と評判で、余り素行の良くない部分からは目の敵にされることもあったのだが、その清廉で実直な人柄は民衆にはかなりの人気であった。カミユほどではないにしても、ロレンスがいれば旗揚げ後にその名を慕って人が集まることが大いに期待された。
 しかし、一方で、ロレンスは優秀な将軍であり、もともと下士官レベルの二人よりは指揮を執ることがふさわしいということは明らかであった。二人が難色を示すのはやはりロレンスの小言のような物言いと、今まで慎重に行動してきたレジスタンスの指揮を簡単に明け渡してしまうことへの抵抗感であった。
「どうなされるか。この話を呑めぬのであればお主らの事は諦めざるを得まい。」
 二人は顔を見合わせた。ベックはジェイクの方を見て頷いた。
「わかりました。その条件でお願いします。」
 ベックとジェイクは膝を着き、頭を下げ、最敬礼の形を取った。結局のところ、ロレンスに従った方が自分達にとっても得るところが大きいのだ。
 それに、レジスタンスの横のつながりをある程度まとめてきたとは言っても、それぞれの集団の頭は二人の集団の頭と立場的には同じと捉えられている。ロレンスであれば明らかに格上の存在だ。ロレンスが中心となってくれれば、大きなまとまりとなるレジスタンスの連合が、空中分解する危険性も大きく下がる。ジェイクはそう考えていた。
 ロレンスの顔は晴れやかではなかった。ロレンスは直接グルニア軍の指揮を取ることはしていないものの、カミユ配下の分隊長として、アカネイアやアリティアの惨状を見てきている。炎を吐き、大地を踏み鳴らす竜の攻撃は苛烈であった。何よりも、普通の武器がまず通用しない。鱗は硬く、生命力も硬い。ロレンスは、竜という存在そのものを倒す手段が頭に浮かばなかった。
 グルニア深部での計画は続いた。ジェイクとベックがロレンスを訪れてから一週間後、ロレンスはグルニアの黒い軍服を纏い、レジスタンスに合流した。即座に計画が説明された。
 ロレンスは意外と戦力が多いことに驚いた。ジェイクとベックの纏めているレジスタンス集団だけでも五十人程度の人数が活動していた。今回の蜂起に参加する者は少なくとも五百名はいると言う。
「陛下が崩御されてから、税の取立てが厳しくなるとともにレジスタンスへの支持が増えたのです。それまで、このような行動をするものは今の一割程度で、具体案を模索することすら難しい状況でした。」
 と、ジェイクは語る。
 国王の崩御による一部重臣の暴走、ガーネフの離反によるドルーア帝国自体の力量的衰退、そして、今回の消えない噂の正体。
「状況は我々に傾いています。後は、できることをするだけです。」
 そう、ジェイクは言った。
 ロレンスは、オルベルン攻略については特に作戦について言及することはなかった。
 天然の要害であり、大陸有数の工業都市でもあったオルベルンは、戦車大隊がよく活動の拠点としていた都市でもある。ジェイクやベック達にはその特性がわかっており、作戦も問題はなかった。
 三週間後、ついに作戦は決行された。オルベルンはその内側から公的施設を全て占拠され、レジスタンスの手に落ちた。
 ジェイクは、ロレンスの名代としてグルニア解放戦線を名乗り、グルニアのドルーアからの解放を目指すことを宣言すると、グルニア全土に檄文を発した。
 ドルーア帝国は、グルニア本軍に反乱の鎮圧を命令した。カナリス率いる黒騎士団は即座に進発し、オルベルンへたどり着くも、厚い城壁に阻まれ身動きが取れなくなってしまった。カナリスの黒騎士団は、オルベルンを包囲するほどの兵力もすでに持ち合わせていなかったため、そこで戦闘を膠着させざるをえなかった。ジェイクとベックは、その陣地へ遠距離攻撃兵器で攻撃を仕掛けた。混乱した黒騎士団は解放軍の追撃がある前に一戦もせずに撤退した。
 その結果、カナリスはドルーアへこのことを報告し、さらに援軍を依頼したのである。グルニア国内で事を治めることができなかったことは、カナリスの代官としての手腕に大きく傷をつけることになるのだが、カナリスはそのことには気が付いていない。
 一方、多少の時間を稼いだ解放軍の側では、ロレンスがいかに被害を出さずに事態を収拾するか、そのことばかりを考えていた。撤収するための準備はジェイクやベックに最大限取らせていた。グルニアを解放するために集まったレジスタンスからは非難の声が止まなかったが、ロレンスは頑として我を押し通した。ロレンスの見込みでは、ドルーアから軍が派遣されるまでは二週間弱である。

 グルニア北東部の深い森林の中、ミシェイル直属の竜騎士団の使者がカミユとニーナの隠れ家を訪ねていた。
「カミユ殿、グルニアで反乱が発生しました。」
 使者は、自身の使命に忠実である。カミユの前でそれだけを述べた。
 カミユは思わず視線を泳がせる。その視線の先にはニーナの目があった。ニーナは頷いた。
「反乱の首謀者はどなたかわかりますか?」
「……ロレンス将軍と伺っております。」
 カミユは思わず息を飲み込んだ。ありえない。ロレンスから見れば反乱が成功するはずがない事実は明らかなはずだ。ロレンスに何があったのかはわからない。
 考えるカミユにもかまわず、使者は続けた。
「これをお持ちください。カミユ殿におかれましては、まだ不都合があります故に。」
 使者は、舞踏会にでも付けていけそうな仮面と、無骨な形をした剣をカミユへ渡した。
「仮面のことは聞いているが……これは?」
 カミユは剣を取る。幅広の剣身は腕にずっしりと重かった。その重量だけでかなりの威力を出すことができるだろう。逆にその重さで素早い剣裁きはできそうにない。柄は木製で斬撃の威力を吸収できるようなつくりになっている。
 意匠的にはあまり価値があるとも思えない、一般的にはブロードソードとか、バスタードソードなどと呼ばれる類の剣だ。ただ、柄にはめ込まれた白い宝玉のみがその剣を高価に見せ、逆に違和感を与えていた。
「陛下に託されました、ドラゴンキラーです。ナバール殿の分も持ち合わせています。」
 カミユは剣を隅々まで見る。
「これがドラゴンキラーか……。」
 竜に対し猛威を振るう剣の存在はカミユも知っていたが、手に取ったことは始めてであった。確かに威力はありそうだが、竜に効くかどうかはカミユ自身、半信半疑だった。
「確かにお渡しいたしました。では、かねてからのお話どおり、ご同行願います。」
 使者はうやうやしく礼をする。
「わかりました。一時ほどで準備を済ませます。お待ちください。」
 その回答に満足すると、使者は小屋を退出した。後にはカミユとニーナだけが残る。
「……カミユ殿。」
 カミユにもニーナにも急な話であった。カミユは、グルニアでの反乱についてはそのような事は起きないだろうと考えつつも、ミシェイルの提案を受諾した。そのもしもが今発生していた。
「ニーナ様、行ってまいります。……だいぶ……時間はかかると思いますが、必ず戻ってまいります。私が不在の間のことは、ロベルト達にお任せください。」
 カミユはニーナには一礼をしたのみであった。立ち去るカミユに対して、ニーナは声を掛ける事ができなかった。

「行ってしまいましたか……。」
 ニーナは、大森林の上を南へ飛び去る二匹の飛竜を眺めていた。その姿はもうだいぶ小さくなってしまっている。
「ひどいですよね。カミユ様一人で行かれればいいのに、ナバールまで連れて行くことはないでしょ。」
 フィーナはカミユが去ってからニーナの横でずっと似たようなことを騒いでいる。この娘はナバールのことが本当に好きなのだという心が伝わってくる。その真っ直ぐな心は、ニーナには眩しく、羨ましかった。
「って、さっきから聞いてるんですか?ニーナ様!」
「ええ、聞いていますよ。」
 そう返事をしながらも、ニーナの目線はまだ南の空をじっと見つめていた。
「全く……やっぱり首輪でも付けておかないとだめかしら?」
 フィーナの方も意に介した風はなく、話し続けている。結局ニーナは二匹の飛竜が森にさえぎられて完全に見えなくなるまでその姿を見つめていた。

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