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FireEmblemマケドニア興隆記
 竜王戦争編
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二十六章 都にて

 グルニアへ援軍を送って以降、マケドニアはほとんどグルニア解放軍と接触することは無かった。あまり接触すれば、マケドニアがグルニアを援護したことがドルーアに知れてしまう。
 いや、ドルーアへ知れることは免れない。それだけの規模の運用をマケドニアはしていたし、グルニア解放軍へもマケドニアからの援軍であることは明示している。これで、ドルーアまで伝わらないわけはない。
 しかし、マケドニアはそのようなことはしていないと白を切ることはできる。そのための論旨の準備もしっかり行っている。そのためにもミシェイルからの不要な接触はグルニアに対して行うことはできない。
 マチスがこの話を持ってきたとき、ミシェイルは正直そこまでするのはどうかとも思った。グルニアで反乱が起こることが早すぎた場合、それはそれでその蜂起勢力は相手にしなければ良いと考えていた。グルニアの勢力は落ち込むだろうが、こちらにはユベロもカミユもいる。時が来れば大義名分を掲げて堂々とグルニアに進軍することができるのだ。
 ミシェイルは、カミユや魔道士部隊を援軍に派遣することによって無駄に損失することを恐れた。特にカミユを失うことがあった場合、取り返しがつかない。いかにカミユが武の達人であると言っても、一人の人間であることにはかわりない。人である以上、簡単に失われる可能性は随時つきまとう。まして、ドルーア相手の戦闘となればなおさらである。
 マチスは、グルニアの人材こそ取り返しがつかないと説いた。グルニアにはユベロがいるが、最終的にユベロの下にカミユを付けることはできない。グルニアの人材を失えば、グルニアの復興は二十年は遅れるだろうとさえ、マチスは言った。
 結局、ミシェイルは折れ、マチスの案を採用した。もっとも、ミシェイルはその話をした時には、対ガーネフ対策の実行が遅れ気味であることをあまり把握していなかった。マチスが示したのはガーネフを討つよりも先にグルニアで蜂起が起きた場合のいわば予備策だ。落ち着いていたのはそのような事態にはならないだろうと、心のどこかで安心していたかもしれない。
 実際にそのような状態が発生し、ミシェイルはこの計画を実行に移した。とは言え、今回はミシェイルは具体的にはほとんど何もしていない。伝令と運搬役の竜騎士を魔道士隊に貸し出した程度だ。準備は既にエルレーンの手で完了されており、それなりの数の魔道士が援軍へ向かった。
 それ以来、ミシェイルはどことなく落ち着かないでいた。今日もミシェイルは、執務の合間に気分転換にと城内を散策していた。
 練兵場の横を通りがかると、ちょうど演習から帰ってきたところであろうか、無数のペガサスナイトが着陸し、翼を休めようとしているところだった。彼女達にとっては休息の時間であったのだろうが、ミシェイルの姿を認めると皆一斉に姿勢を正し、敬礼を取った。
「よい。皆、楽にしていてくれ。」
 ミシェイルはそう言うと、先頭の一人に話しかけた。白騎士団団長のパオラである。
「パオラ、調子は悪くないか。」
「はい、上々です。どんな任務でも実行できますよ。」
「それは頼もしいな。」
「あまり、疲れそうな任務は避けたいですけどね。」
 横から割って入ってきた女性が明るい声でからからと笑う。パオラの下の妹、エストであった。やはり血筋だろうか、性格が違っていてもペガサスナイトとしても実力は非常に高く、今や多くの先輩を押しのけて中隊の一つを任せられている。
 もっとも、調子に乗りやすい性格で、その行動は姉達にたしなめられることも多く、今もパオラに陛下に失礼なことを言ってはいけないと怒られていた。
 別段、ミシェイルはこの程度のことではとがめたりはしない。先に楽にしてくれと言ってあるのだから、ある程度自由にしてもらって構わないのだ。この辺り、ミシェイルは寛容だった。
「ははは、それではエスト君には今度とても難しい仕事を用意しておくことにしよう。」
 ミシェイルも冗談で返す。勘弁してくださいと、情けない声を出しているエストがそこにはいた。
「ところでパオラ、時間に余裕があるのだったら少しお茶に付き合ってくれないか。」
「あー、陛下、どんどん持ってってください。後は私がいれば大丈夫ですから。」
 パオラが何か言う前に、エストがパオラを押し出していた。
「エスト!」
「いってらっしゃーい。」
 パオラが振り向くと、すでにエストと仲の良い何人かが二人に向かって手を振っていた。パオラはため息を一つつく。
「相変わらずだな。マリアは年を取ると落ち着いてしまったが……いや、あれはユベロ殿の影響かな?」
「いつまでも子供でお恥ずかしい限りです。」
 見るとパオラは顔を真っ赤にしていた。それを見たエストがさらにはやし立てる。
「さて、ここはどうやら居ずらいようだから移動するとしよう。」
 動くミシェイルに、パオラは慌てて付き従った。
 ミシェイルは気分転換にパオラを誘うことが良くあった。ミネルバがマケドニアから去っていた時分に白騎士団の団長となったパオラだったが、ミネルバが戻ってきてもそのポストから離れることは無かった。王城では軍権の最高責任者は当然ミシェイルであったのだが、ミネルバがオルレアンに、マチスがレフカンディに居る現状では、ミシェイルに次ぐ地位に三人の将軍が居ることになる。
 その三人とは、王都防衛部隊の司令官であるオーダイン、魔道将軍のエルレーン、そして白騎士団団長のパオラである。オーダインは王都の通常軍を纏めるために存在しているが、これと言った特徴も無い凡庸な将軍だった。基本的に重要なことはミシェイルに伺いを立てる。独断専行することはないし、特に大きな失策も汚職の話も聞かないためミシェイルはこの男をそのまま使っている。王城には他に貴族出身のリュッケ、ルーメルと言う二人の将軍がいたが、この二人は汚職が発覚して更迭された。
 オーダインに関しては、ミシェイルも普段は特に関心を示さない。軍議の席には呼ぶし、常識的な意見も一通り述べるから決して無能と言うわけでもない。ただ、マチスが異才なだけである。オーダインにも地味な任務を着実にこなすだけの力はある。これはそれで、必要な人材であったのだ。
 逆に、ミシェイルがエルレーンと話すと、激しい議論に発展することが多い。エルレーンはマケドニア出身ではないということもあるのだろうが、ミシェイルと話す時にも言葉は丁寧だが遠慮は無い。特に自分が正しいと考えている論説を展開している時には絶対に引くことは無い。このような態度はミシェイルにとっても好ましいものだったが、疲れることもあった。
 パオラは白騎士団団長の任務についていない時は驚くほど温厚である。ミネルバが独立部隊を率いて以降、ミシェイルは直接三姉妹、特にパオラとエストとは話すことが多くなったのだが、姉妹の性格の差に驚かされる。パオラは温厚で、エストは奔放。性格が違うからこそバランスが取れているのだろうと思う面もある。
 今、現在いる三人の将軍、オーダイン、エルレーン、パオラはいずれも平民の出身だ。そもそも、ミシェイルが能力至上主義だったため、先王時代に癒着していた貴族達はこの四年間でほぼ一掃された。もっとも、貴族出身でも不正をしない連中は引き続き使っている。ただ、重要なポストに付くとなると貴族出身者の能力では厳しい面もある。
 貴族出身者もこれは仕方がないことだと諦めている。ミシェイルの治世で、貴族が政治や経済に介入できる力は必要最小限に削り落とされている。
 パオラ達の三姉妹はマケドニアの貧しい農家の出身である。基本的に軍隊は能力さえあれば誰でも入れる。長女のパオラと次女のカチュアは高い成績で白騎士団へ入団し、ミネルバに見出された。エストも軍に入るにはまだ幼すぎる年齢であったが、ミネルバの口利きで見習いとして白騎士団へ入団していた。彼女達は実家の家計が苦しく、自分達の食い扶持が家では出せないと考えて白騎士団へ入団したのである。パオラは自分がそのトップになることなど、想像もしていなかった。ましてやこのようにミシェイルと話しをするようになるなどとは当初は想像できないことだった。
 ミシェイルはパオラとは仕事上の話ももちろんするのだが、エルレーンなどと比べると日常の会話をすることの方が多い。パオラからは特に妹達の話題が多かった。性格が違う姉妹はお互いのことについては話題に事欠かない。
 二人は練兵場から城の庭にある東屋に移動した。練兵場からそう離れていない庭園の中にある東屋は、二人がよくお茶を飲む場所となっていた。ミシェイルは使用人に言付けてお茶の用意をするように頼む。
「陛下、今日はどうなされましたか。機嫌が優れないように見えますが。」
 ミシェイルは苦笑いする。
「相変わらずたいした観察力だな。なに、ここのところ綱渡りが続いているからな。全てにけりがつくまで油断ができないというだけだ。」
「……マチス閣下の動きの事ですか。」
 マチスやエルレーンが裏で何をしているかはパオラは知らない。ユベロのことに至ってはパオラは存在すら知らない。だからパオラから見ると、マチスが裏で何かを画策しているように見えるのだろう。
「いや、マチスは良くやってくれている。少なくとも、今私が把握していない動きはマチスはしていない……と言うよりは、おそらくはあの……エリエスと言ったか?彼女がマチスを好きに行動はさせないだろう。」
「エリエスさん……ですか?私は、カチュアからしか聞いたことはありませんが、元気な方だそうで。」
「……そうだな。私としては、クラインの妹くらいの認識でしかなかったのだが……随分とマチスと仲がいいようだ。マチスはまだ前の戦いの傷が癒えきっていない。本来は余り好ましいことではないかもしれんが、今は必要だろう。」
「随分と、二人のことを心配していますね。」
 ミシェイルはパオラと話すときは、それほど仕事の話はしたくないと思っている。仕事の気分転換に来ているのだから仕事のことに気を回したくは無い。
 しかし、ミシェイルは日々国王としての執務に追われており、結局ひがな仕事をしていることが多いため、実際にはどうしても仕事関係の話となってしまう。これはパオラの方も同様で、白騎士団の団長としての仕事が一日の大半を占めていて、家に帰れば大体が家事で終わってしまう。家事はエストとも分担しているが、エストも一隊の部隊長となってからはそれほど時間に余裕があるわけではない。
 常日頃から仕事に追われるミシェイルには親しい友人が極端に少ない、いやむしろ皆無である。王族と言う立場を考えても貴族の子弟の中には親しくなりそうな人物も居そうなものであったが、ミシェイルに近づく者は結局は打算で近づくものばかりで、心を許せるような者は居なかった。
 王子時代に親しかったのはミネルバを除けばグルニアのカミユくらいのものである。アカネイア大陸では、アカネイア王国を中心として王族同士の交流も盛んであったのだが、物心ついたころには既にアカネイアとマケドニアの歪んだ関係に気が付いていたミシェイルは、アカネイアや、アカネイアに近しいオレルアン、アリティアなどの人物と親しくなることはなかった。
 打算で近づく貴族達のおかげで政権交代を成し得たのは幾分皮肉ではあった。しかし、結局は時分の利益のみを追求するような貴族連中は国の中央から追い落とされていった。 もっとも交友関係自体は国王に即位してからの方が広がった感はある。ミシェイルから見れば以前はマチスはレナの兄という存在でしかなかったし、ミネルバ以下の白騎士団ともほとんど交流はなかった。今ではこうして話をするようになっただけいいのかも知れない。それでも話題の広がりが乏しいことは否めない。
 ミシェイルは入れてもらったお茶を飲みながら一息付く。王族として、一通りの礼儀作法も会得しているミシェイルは、お茶を一杯飲む動作であったとしても自然と見に付いた動きが外に出てしまう。パオラはその優雅さに当てられて思わずため息をつく。パオラ自身の格好はと言えば訓練から帰ってきたばかりで胸鎧や肩鎧を着けたままだったし、まだ汗も引ききっていない。ミシェイルからは気にしないからそのままで来いとはいつも言われているが、やはり慣れることはない。
 ミネルバの下に居たときには、パオラから見たミシェイルは怖い人と言うイメージが強かった。今でも確かに怖いが、ミシェイルはそれだけではなかった。直接話すことが多くなって、今まで見えていなかった色々な部分が見えるようになっていた。
「そう言えば、パオラは結婚はしないのか?」
 どういう話の流れであっただろうか。パオラは唐突にミシェイルにそう聞かれ、思わず茶でむせこんでしまった。
「……大丈夫か。」
「陛下、何を唐突にそのようなことを。」
 ミシェイルは少し考えるしぐさをする。
「いや、軍属の女性はどうも晩婚の風潮があってな……支援部隊のシスターはともかく、騎士団の女性騎兵やペガサスナイト達は結婚が遅い傾向にあるからな。」
 オーダインと珍しく雑談した時に隊の女性騎兵の話が出てきたのだと言う。もう結婚もせずにかなり長い間軍隊に居て、男性隊員が逆らえない状態になっているような人がいるのだそうだ。
 ミシェイルの表情は別段普通通りだ。たわいもない話としてミシェイルはこの話をしだしたのだろう。パオラはまたため息をついていた。もっとも、ミシェイルであればよほどのことが無ければ自身の心の動揺など表情に上らせるはずもなかったが。
「結婚が遅いのではなく、結婚した女性はだいたい軍隊から除隊するのです。嫁が軍隊で戦っていていい気でいる男性は少ないですから。」
 マケドニアのみならず、各国とも能力さえあれば女性であっても用いる習慣は普通のものであった。それでも、特に軍隊ともなると男性に混じって女性が活躍することは難しいため、最初からそれ相応の女性しか入隊しない。
 それと異なるのがシスターや騎乗シスターを要する支援部隊と、ドラゴンとは違って体重の軽い女性を好んで登用する必要のあるペガサスナイト部隊であった。とは言うものの、ペガサスナイトを中心に据えている部隊はマケドニアの白騎士団しかなく、このため白騎士団は大陸で最も華やかな部隊ということでも知られている。
 白騎士団にも男性が居ないわけではないがごく一部、一割にも満たない。大体が女性達のおもちゃとなってしまっている。
「白騎士団でも年に数十人は結婚して辞めて行きますよ。そういう人はだいたい二十代前半までには居なくなりますね。それでも、普通に結婚する人よりはだいぶ遅いですけど。」
 と、パオラは言う。民間でも貴族でも、大体嫁ぐ年齢は十代中盤から後半くらいが一般的だ。もっとも貴族達の政略結婚の場合もっと極端で、ひどい場合には五、六歳でも結婚させてしまう例もあるし、極端に年齢差がある場合もある。
「私はそなたのことを聞いているのだが……確か、ミネルバよりも年は一つ上だったな。もう、二十六、七ではないのか。」
「い、いえ……それを言うのでしたら陛下の方がもう三十近いではないですか。それに、今、私が白騎士団を放り投げてしまったら団長を引き継げる人がいません!」
 最後のほう、パオラの声はやや引きずってしまっていた。妙な空気だ。パオラにしてみれば白騎士団団長と言う責務を負って、結婚相手探しなどしている暇などあろうはずは無い。それに、今の時点で最も親しい男性がミシェイルであると言うのもパオラにとって見れば恐れ多い。
「後継者が居ないのも情けない話だが……まぁ、いざとなれば何とかなるだろうから遠慮をする必要はない。正直に言ってしまえば、今、パオラに白騎士団団長を辞めて欲しくはないがな。」
「……まだ辞めるつもりはありません……。私が辞めたら誰がエストの暴走を止めるのですか。」
 ミシェイルはやや笑う。
「私はこの戦争が終わるまで結婚するつもりはない。確かに家臣からは矢のように妻を娶れと催促されてはいるが……一度、振られているしな。」
 ミシェイルはそうは言っているが、顔は笑ったままである。それが冗談であるとはパオラもわかっていた。
 レナに結婚を断られたからこそマチスとの縁がある。数奇な巡り会わせが重なっていることはミシェイルもわかっていた。だとすれば、そこが今の自分の原点なのかもしれない。
「……ミネルバ様は、結婚なさらないのですか?」
 パオラは、ふと頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出してしまった。微妙な話題であるとは思ったが、パオラにとってはかなり興味のあることには違いない。そして、そういったことを話すことを止めない程度にはパオラとミシェイルは親しくなっていた。
「あれは……今では、嫁の貰い手がおらんだろう。パオラは知っているかどうかはわからないが、この大陸では各国の王族同士の関係は一部を除いて良好だ。一部と言うのは……アカネイアのことなのだが、アカネイアがいなくなった今、去就がほとんど定まっている者も多い。……詳しく話せることでもないのだがな。」
「ミネルバ様は魅力的だと思いますが?」
「いや……あの性格では自分から進んで従うような相手で無い限り持て余すだろう。このままマケドニアに居てもらうのが一番なのかもしれん。」
 年齢的にミネルバに釣り合うとなればオレルアンのハーディンくらいになってしまうが、ハーディンはまた思うところがありそうであるし、難しいだろうとはミシェイルは声には出さなかった。ただ、困ったものだと呟いた。
「それよりもそなたの妹のエストのことだが、私にはいい評判しか聞こえてこない。私としては次期白騎士団団長に最も近い人物だ。いうまでもないとは思うが、しっかり鍛えてくれ。」
「エストがですか!」
 パオラは驚きで目を白黒させてしまった。その後は二人の話題はエストのことに移った。ただ、パオラは結婚から話が外れて内心ではほっとしていた。
 結局、ほとんど仕事関係の話しか出なかったもののミシェイルにもいい気分転換とはなった。だが、ミシェイルにももう一つ考えることがあった。そろそろ頃合であることはわかっている。今度は失敗するわけには行かない。その件の思案をしているうちに、ミシェイルはひと時情勢のことを頭からはずしていた。

 カダインにガーネフはいない。そうユベロが結論付けてからも、対ガーネフ部隊はガーネフの、そしてファルシオンとエリスの行方を追い続けた。アリティアとグラへは以前より密偵が入り込んでいて、そのような事は無いと断言されていた。一体、ガーネフはどこにいるのか。
 これについてユベロが出した結論は、ガーネフは人の住んでいるところにいないというものだった。ユベロがドルーアで記憶した太古の竜の歴史、そして民間に伝わる百年前にメディウスを封じたアンリの行動。これらを踏まえると今は人が住んでいないところにも竜が作った建造物がいくつか存在することがわかっている。
 一つは大陸北部、山脈の只中にある氷竜神殿。アンリはここでファルシオンを手に入れたという。
 一つはドルーアの奥地、今のメディウスが興したドルーア帝国の首都からも幾分外れた場所にある竜の祭壇。ここは、余りにドルーアから近いためユベロは候補からはずしている。本来は、ガーネフがメディウスを甦らせた場所こそこの竜の祭壇なのだが、ユベロはそのことを知らない。
 もう一つ、大陸北西部、カダイン砂漠から続くところにそびえるテーベの塔。
 どの建物も、どういった目的で建てられた物かはわからない。このうちユベロはテーベの塔を探索のターゲットとして選択した。理由は至って単純で、三箇所のうち最もカダインから近い位置にあったからである。
 近いと言っても距離はカダインの二倍以上ある。遠見の術を使うにも力の消耗が激しくユベロは毎日疲労困憊していた。しかし、その甲斐があってやはりテーベの塔が怪しいと言うことが判明した。
 怪しさの裏づけは簡単だった。テーベの塔に相当数の暗黒司祭が常駐していたのだ。探索の初期段階で何かあるに違いないと辺りをつけたユベロは、塔内部をくまなく調べた。そして、頂上部がどうしても遠見できないことを突き止めた。
 頂上部に何かある。しかし、距離が距離であるためいきなり攻略部隊を送ることも躊躇われた。ユベロたちで話し合った結果、まずはクラインが様子を見に潜伏することが決定した。ユベロは危険ではないかと言うものの、危険なところに飛び込むのが自分の仕事だとクラインは譲らなかった。
 ワープの杖でクラインを塔へ送り込み、三日後にレスキューの杖で呼び戻すこととなった。レスキューの杖は指定した対象者を自分の元へと呼び寄せる。レスキューの杖はワープの杖以上に貴重なもので、本番の作戦時にも最後の一人を呼び戻すことにしか使用されない予定だった。
 この偵察が実行されたのは、グルニアで解放軍とドルーア軍が戦闘したのとほぼ同時期であった。クラインは見事に役目を果たして帰ってきた。
 クラインによると、たしかにテーベの塔はガーネフの根拠に使用されていると言う。ファルシオンの在り処こそわからなかったが、ガーネフは現在、カダインでなくこのテーベの塔に常駐していることが確認された。
 ユベロたちは色めきたった。これでガーネフ討伐の計画が実行できる。
 計画通り、ガーネフの討伐はマチスと歩調を合わせる必要がある。マチスのことを考えると一月は余裕をとることが必要だった。ユベロはガーネフ討伐の決行について書状をオレルアン経由でマチスとミシェイルに送る。
 マチスにとってもミシェイルにとっても待ちかねていた連絡であった。ミシェイルはグルニアの情勢を考え、なるべく早く計画を実行したがった。なるべく早くと言う点ではマチスも同意見であったが、ユベロの方の準備を鑑みて一月と言う猶予を了承した。
 ユベロの方では、カダインよりも長距離のワープになることのリスクについて検討が重ねられた。送る人数を削りたくは無かったが、どうしても二割程度は削らざるを得なかった。
 具体的な作戦については偵察に出ていたクラインを中心に考えられた。まず、ワープについてはガーネフの近くに直接ワープすることは危険すぎるため、塔の近辺に集合し、そこから塔を攻めることとなった。
 幸い、このようなところまで攻めてくる者がいるとは考えられていないのか、塔の警戒はほとんどされていないと言う。通り一遍の見回り等はされているが、クラインが潜伏することはかなり楽だったと言うことだ。
「できるだけ気づかれないように上を目指したほうがいい。気づかれないと言う意味ではこの大人数は無理があるが……ユベロ殿下に万が一のことがあってはいけないからな。」
 クラインの言葉は半ばユベロを侮辱しているようにも聞こえたが、軽口はすでにいつものことである。自分の実力と立場を理解しているユベロは特に何も言わない。
「第一の目的はユベロ殿下をガーネフの正面に連れて行くこと。俺達はそのための露払いだ。行軍については、まず俺達剣士四人が先行する。一人は後方の警戒だ。敵の魔道士やら司祭やらは敵に気づかれていない間は剣士達で倒す。派手な魔法が炸裂して敵が集まってきたら魔道士の人も協力してくれ。」
「アリティアから来ている魔道士さんには悪いが、ファルシオンとエリス殿下の探索は目的の二だ。ガーネフを討つまでそのことは考えないでいい……むしろ、考えてはいけない。まず、ガーネフを討ち、余裕があればファルシオンとエリス殿下の探索を行う。」
 こういった具合で、作戦の概要はクラインの采配でほぼ決まった。ユベロも納得していて、別段、口を出すことはなかった。
 一方、レフカンディでは作戦の実施を聞き、最終段階にあったパレス攻略作戦の準備を完成させるべく推し進めた。まず、マチスは直ちにアカネイア中央へ使者を仕立てた。名目上、攻撃することとなっているグラへ移動するために通行の許可を取ることが目的だった。
 レフカンディの動きは慌しかった。アカネイア中央へ使者を送ると同時にマケドニア王城にも使者を送る。こちらはパレス攻略作戦に同行するためにエルレーンの魔道士部隊を呼び寄せるのが目的である。
 エルレーンの方では、ユベロから王城へ連絡があった時点ですでにレフカンディへ発つ準備をしていた。マチスからの連絡が届いた時点で、出立の準備は整っていた。魔道士隊はまだまだ人数が少なく、グルニアへの援軍を差し引くと百人強しかいない。魔道士隊はそのまま竜騎士団の力でレフカンディまで輸送された。ユベロの告知から一週間後にはすでに魔道士隊はレフカンディへ集結を完了していた。
 エルレーンが参加したことにより、マチスの仕事は格段に楽になった。部隊編成の最終確認をエルレーンに任せることができたからだ。ハーマインとの交渉、輜重部隊と支援部隊の確保など、やっかいなことのほとんどをエルレーンが行った。おかげでマチスは久々に休むことができた。
 乾坤一擲の作戦決行を前にして、マケドニア領内の各所は奇妙な緊張感に包まれた。この計画の全容を把握しているのはユベロ達の他に、ミシェイル、マチス、ミネルバ、エルレーン、そして全容とまでは行かないかもしれないがある程度は知らされている伝令部隊のカチュア。オレルアンでは、ミネルバが最近ぴりぴりしているとの噂が飛び交っていたし、王城でも普段は変化を表に出さないミシェイルがパオラにいらつきを指摘されているほどだった。
 二週間後、ついにレフカンディをパレス攻略部隊が出発した。城砦攻略部隊であるので、騎馬隊はほとんど連れておらず、前回のグラ攻略と同じく主力は軽装歩兵部隊であった。攻城戦となった場合、城を切り崩すことは魔道士隊の役目であったが、そうならないようにすることがマチスの役目であった。
 魔道士隊は全体に対する割合は非常に少ないが、エルレーンが全軍の参謀につき、全軍を統括する役目ももつ。また、今回も騎馬隊は入れていない。実戦部隊はだいたい八割が軽装歩兵、二割が重装歩兵である。実戦部隊の数が約八千、後方支援部隊の数が約二千、総勢一万の大部隊であった。
 この部隊はゆっくりと進軍し、およそ十日後にノルダ郊外へ到着、ここでキャンプを張った。アカネイアパレスのショーゼンにはしばらくこの地に逗留することを伝えた。
 ノルダからグラ方面へ向かう道とアカネイアパレスへと向かう道は異なるため、ここからアカネイアパレス方面へ軍を進めるわけには行かない。急襲するには最も近い位置であると言える。
 前回は素通りしてしまったが、今回は逗留する関係上、アカネイアパレスのドルーア軍駐留指揮官、ショーゼンに挨拶しに行かないわけにはいかない。例によって余り挨拶したい相手ではないことは変わりなかったが、今回は時間稼ぎの目的もあるためマチス自ら出向くことにした。
 留守中の部隊把握はエルレーンに任せた。本来は付き添いには幕僚の中から人員を選出するところであるが、マチスは直属部隊の中から適任者を数人選んだ。パレス訪問には偵察の意味もあるからだ。
 無論偵察であることを悟られてはならない。この為にマチスは部下に適当にみやげ物を見繕わせ、それをレフカンディから持参していた。マチスが挨拶に訪れると、しばらく待たされた後、玉座の間へと通された。
 長い間アカネイア大陸の中央であり続けたアカネイア王国の玉座。現在、そこには皺だらけの老齢な竜人が鎮座している。周囲を固める兵士達は皆アカネイアからドルーアに裏切った兵士達。いや、裏切ったのは兵士のせいではなく彼らの指揮官であったが、情勢に流されるままにドルーアの兵士となっている者達は多い。
 実際、ショーゼンには旧アカネイア王国のドルーア占領地域を全て把握することは不可能だった。ガーネフ離反以前にはボーゼンと言う司祭が副官としてついていたのだが、カダインの司祭達は造反の前に人知れず姿を消した。今では、ショーゼンはアカネイアの降将を管理しつつドルーアからの総督として必要最小限の執務を取っているにすぎない。
「お目通り頂き感謝いたします。閣下。」
 ショーゼンの前に出るために人は必要ない。マチスは一人でショーゼンの眼前へ赴いた。ミシェイルと行動を共にし、何度か竜人と接触したことはあるが、マチス単独で竜人と相対するのはこれが始めてである。
「まずは楽になされよ。」
 と、ショーゼンは言う。
「話は聞いておる。マケドニアの大将軍がわざわざ自ら出向いて伺うまでの内容ではあるまい。」
 しわがれた声をマチスはどうにか聞き取る。口調も、その声色も、何もかもが平坦で人離れしており、言葉ではマチスを気遣ってはいてもその姿からは言い知れない威圧感がにじみ出ていた。
「あいにく、他の者が所用で時間を取られていまして、閣下にお目にかかるに相応しき人選ができませんでしたので私自ら参りました。依頼の件は問題ありませんか。」
 方便だった。実際は、ショーゼンを目前に普通に交渉を進めることができそうなのがマチスくらいしかいなかったからと言うのが本当の理由だ。相手が竜人ともなれば、交渉に不慣れな者を派遣するわけにはいかない。
「マケドニアの大将軍は有能であると聞いているが……船の手配などに梃子摺るとはな。」
 逗留の理由として、海峡を渡る船の確保が間に合わなかったことをマチスは挙げていた。もちろん、船の用意など最初からされていない。実際に、一万の兵力を輸送するだけの船を用意するとなれば、かなりの労力であり、理由としては申し分ない。
「申し訳ありません。私共も、ノルダ近くまで来て急に十分渡航できるだけの船が用意されてないと知らされまして……分散してグラへ渡るわけにも参りませんので、しばし領内へ留まる事をお許しください。」
 マチスは頭を下げる。いろいろ難癖を付けられるだろうことは予測済みで、この程度の嫌味はどうということは無い。
「船ならば、こちらで用意することもできる。ノルダから回航すればよかろう。」
「申し出はありがたいのですが、我々には帰路もあります。そこまでお世話になるわけには参りません。」
「気にしなくとも良いのだが……。」
「お言葉だけいただいておきます。船の手配はまた我々が行います故、駐留の許可だけは下さいますようお願いいたします。決して、ドルーアに迷惑が掛かるようにはいたしませぬ。」
 とマチスは頭を下げる。さすがに、船を用意されては作戦が台無しと言うことはなく、アカネイアに留まる言い訳はいくつも用意されてはいた。しかし、交渉の序盤で多くの手札は切りたくない。
 もっとも、ショーゼンはショーゼンでマケドニアの意図を誤解していた。ショーゼンはマケドニアがドルーアに借りを作りたくないのだろうと考えていたのだ。ショーゼンの顔は不気味にゆがんでいた。
「そこまで言うのであれば、駐留を許そう。だが、出立は早めにな。お主らの負担も馬鹿にならぬだろう。」
 と、ショーゼンは折れた。マチスはほっとして一礼する。
「ありがとうございます。」
 とだけ言い、ショーゼンが何も言わないことを見届けてそのまま退出した。
 ショーゼンがマチスの行動を怪しんでいるかどうかは、マチスは量りかねた。竜人の表情はそのほとんどが老齢であることも含め、どうにも読みにくい。
 マチスは、随行の部下に命じて宮殿内部を探索させることもできたが、下手に怪しまれることを恐れ、そうはしなかった。ただ、玉座の間に通じる道筋が変わっていないことを確認できただけでも収穫である。
 ショーゼンがマケドニアを疑う要素はある。解放軍がドルーアの討伐軍を撃退したグルニア情勢が、各方面に伝わっていないとは思えなかった。ミシェイルがうまくやっているのか、マチスのところにその報告が来ていないことが不思議なほどであった。
 ともかく、現状に変化なし。ショーゼンへの提案は受諾された。これを部隊へ持って帰る。まずはまだ計画通りなのだからこれで良しとしようと、マチスは野営地に帰還した。

「閣下、急いでください。」
 これ以上ないくらい急いでいる。なぜ私はこのような目に合っているのだろう。
 エルレーンは目の前の不条理を嘆いた。
 ノルダの町。アカネイアパレスの城下町として発展してきたこの町は、アカネイア大陸最大の都市でもある。それ故に無秩序に発展した町は城壁に収まることも無く外部へ向かって発展し、かなりの広さを持つ。街の中は、大きな道をひとたび外れれば細かい道が縦横に、不規則に走り、とても一見で道を覚えられるようなものではない。
 アカネイアの統治時代から混沌としている箇所があったこの町は、ドルーアが統治するようになってからその混沌さに拍車が掛かった。今では街のあちこちに怪しげな市が立ち、物乞いは街路に氾濫し、治安は非常に悪化している。
 それでも、繁華街などがあることには変わりないから、近辺に駐留中のマケドニア軍も交代で羽を伸ばすときには、このノルダへ足を運ぶことになる。そこで、運悪くマケドニアの兵士がすりにあったのだ。気性の荒い兵士が複数いるところを堂々とする方もする方であるが、すりは気づかれるや否やすごい速さで逃げ出した。しかし、兵士達も日ごろの鍛錬で鍛えられているから負けることは無い。複雑な路地でもまかれることもなく盗人を追いかけた。
 袋小路に追い詰めたとき、盗人は一人の女性と合流していた。袋小路には女性の他にも数人の男性がいて、兵士達を見るや一斉に粗末な剣を構えた。しかし、いくら数が居ようが兵士達も訓練を受けてきた者達が複数人数居る。ごろつきなどに負けるわけはないと一斉に剣を構えた。
 しかし、次に襲ってきたのは女性が放った炎の塊だった。よけきれずに一人の兵士が左腕を火傷した。
 魔法に対抗する術を持たない兵士達は、連発される炎の魔法をなんとか避けながら袋小路の入り口まで下がり、応援を呼ぶことにした。特に魔法使いには魔道士隊の隊員が必要と判断した兵士達は、誰かがいないかを探して回ったのだ。
 兵士達にとっては運が良いことに、エルレーンにとっては運が悪いことに、兵士達はほどなくエルレーンの一行に遭遇した。そのままエルレーンは引っ張られて今に至っている。
 現場に着いたときはエルレーンはすでに息も絶え絶えだった。そこにはマケドニアの兵士ばかり、二十人近く集まっていた。随分と大事になっていると思いつつも、エルレーンは息を整えた。
「なんでこんなことになっているのだ。」
「すいません……まさかチンピラが魔法を使ってくるとは思わなかったもので。」
 エルレーンを呼びに来た兵士は平謝りする。
「ともかく、すぐに魔法が飛んできて話にならないんですよ。」
 と、他の兵士が言う。
 エルレーンとしては一般兵士の揉め事に介入などしたくはなかったが、マケドニア軍の兵士がすりを働かれて相手を罰しないと言うのも問題である。とりあえず、エルレーンは相手の様子を伺うことにした。
 袋小路の奥に居るのは妖艶な長髪の女性が一人と、それに付き従うように剣を構えたごろつきが四人ほど。聞いた話が確かであれば、女性がリーダー格。そしてその女性が魔法を使っていることは明らかであった。
「姐さん、どんどん人が増えてきやすぜ。」
 取り巻き一人が情けない声を出している。
「何言ってるんだい。あんたがへましたのがいけないんだろうが。何とかおし!」
「これじゃ、どうにもできませんぜ、姐さん。」
 ごろつき共の会話が聞こえてくる。頭の悪い連中なら軍隊から金をすったらどうなるかなどわかるはずもないかと、エルレーンは肩をすくめる。
(とりあえず回りの四人を気絶させるか。)
 と、エルレーンはサンダーの魔道書を取り出した。立て続けに四回、魔法を唱える。突然何も無い空間から現れた雷に、剣を構えた四人のごろつきは次々と撃たれ、気を失った。
「な、何者だい!姿を見せな!」
 女がどなった。
「か、閣下!」
 兵士の一人が止める間もなく、エルレーンは女の正面へ躍り出た。初めて女と向き合う。エルレーンがあえて挑発に乗ったのは、その女を詳しく確認するためであった。
 女は確かに魔道士の風体をしていた。しかし、その印象は妖艶そのものだった。軽装の服飾は露出が多く、女性のあでやかさを際立てている。腕や首はさまざまなアクセサリで飾られていた。
 エルレーンは顔をしかめる。なんだってこんな女が下町にいるのだろうか。普通に考えて魔法はある程度の知識と経験が無ければ使うことはできない。下町の遊女風情に扱えるものではない。
「君に勝ち目は無い。大人しくするなら身の安全だけは保障しよう。」
 おそらく無駄だろうなと思いながらもエルレーンは説得を試みる。案の定、女は魔道書を捲り上げた。
「FIRE!」
「THANDER!」
 女の炎の魔法を、エルレーンはかろうじて雷の魔法で相殺する。魔法が重い。エルレーンは心の中で舌打ちしていた。冗談ではない、このような魔法の才能の持ち主が世に埋もれているわけがない。
 一方、舌打ちしていたのは女のほうも同じだったようだ。
「なかなかやるね。ならこいつはどうだい。」
 女は違う魔道書を取り出した。魔道士として経験を積んでいるエルレーンであるならばわかる。あれは、炎の上級魔道書だ。エルレーンも対抗して雷の上級魔道書を手にする。 女が魔力を集中し、威力を高めようとする。エルレーンも同じように集中する。
「ELLE FIRE!」
 女が魔力を解放する。エルレーンははっとした。
「ELLE THANDER!」
 エルレーンは魔法を放ちつつ、横へ飛ぶ。炎は雷を巻き込みつつ軌道を変え、空中へ飛び去った。
「ふん。その程度かい。どんどん行くよ。」
 魔力が高い。すくなくともエルレーンよりは上だ。エルレーンはいらつく。なんだってこう、上には上がいるのか。
 ともかく、エルサンダーでは対抗できない。すでに女は次の魔法の詠唱に掛かっている。エルレーンはエルサンダーの魔道書を地に放り出すと、最後の一冊をローブから取り出した。
「ELLE FIRE!」
「TRON!」
 女の炎の魔法にかろうじてエルレーンの魔法が間に合った。エルレーンの放った雷光は女の放った炎を貫き、掻き消し、一直線で女に向かう。
「え?キャー!」
 自分の炎が勝っていることを確信していたのであろう、女は全く無防備であった。エルレーンの放った雷を正面から受けてしまい、派手な悲鳴を上げて倒れた。
「しまった。」
 エルレーンは思わず声を出してしまっていた。とっさのことで全く手加減ができなかったのだ。雷の最上級魔法トロンをまともに受けてはとても無事で済むとは思えない。エルレーンはあわてて、女に近寄った。じっくりと様子を窺う。
 驚くべきことに、女は意識を失って倒れているものの、外傷はほとんどなかった。炎の魔法と相殺して威力が殺がれていたとは言え、あれだけの魔法を直撃されてほとんどダメージを受けていないのはよほど魔法に対する抵抗力が高いのだろう。
 なぜ、このような逸材がこのような所で埋もれているのか。エルレーンは更なる理不尽にさらされていた。
「閣下、ご無事ですか。」
 兵士達の声にエルレーンは思索から呼び戻される。
「ああ、私は無事だ。それよりも、彼女達だが……。」
「いかがいたしますか。」
「一度、宿営へ連れて帰ろう。いろいろと聞くこともあるしな。」
「了解しました。」
 兵士達は三々五々、女と男達を縛り上げると担ぎ上げ、宿営へ連行した。端から見るとそれは奇妙な光景であった。たまの休日が散々だったなと、エルレーンは苦笑するしかなかった。
 宿営では、だいぶ時間が経ってから彼女達は目覚めた。男達の方が先に目覚め、一足先に兵士達に尋問を受けた。しかし、男達はあくまで町のごろつきにしか過ぎず、たいしたことを知っているわけではなかった。
 女は、いつのまにか男達の間に現れたと言う。少女時代からアカネイアパレスの貧困街に住み着いていたらしい。その女がどれくらいの時分から居たのか、男達はそこまではわからなかった。だが、その女には魔法の力があったため普通のごろつき共ではかなわなかった。そのうち、女の周りには男達が集まり始めた。女はごろつき共のグループの長となっていた。それが、男達から聞いた話の全てだった。
 しかし、そのようなことはエルレーンにとっては些細なことであった。彼らを武装解除したとき、特に女から取り上げた魔道書が今、エルレーンの目の前にある。
 ありえない。エルレーンはその本が本物かどうかを調べたかったが、魔法で封がしてあるのであろうエルレーンがいくら開こうとしてもその魔道書は開かなかった。表紙には極簡単に"AULA"と記されている。
 その魔道書を目にしてしまってから、エルレーンは取るものもとりあえず女の目が覚めるのを待っている。これが本物であるならば、世界に現存する唯一の光の魔道書、オーラの魔法に他ならない。それは大司祭ミロアの死と、ドルーア帝国のアカネイアパレスへの侵攻によって失われていたはずの魔道書であった。
 やがて、女が目を覚ましたと伝令から連絡があった。エルレーンは女を自分の幕舎へつれて来させた。
 中に入った女はエルレーンの姿を確認すると、早速毒づく。
「てめぇら、こんなことしやがって。さっさとはなしやがれ。」
 見張りのために一緒についてきていた兵士はすでに辟易としているようだった。エルレーンは女を睨みつけた。
「……名前を何と言う。」
「誰がてめぇなんかに……」
「私は名前を聞いているんだ!」
 エルレーンの怒声は幕舎の外まで響き渡っていた。幕舎の前で歩哨についていた兵士は一瞬驚きで肩を震わせた。エルレーンは元々激昂しやすい性質ではあったが、この時の苛立ちは特に激しかった。
 しかし、女はそんなことではひるまなかった。
「どうでもいいだろ、そんなこと。」
 かえって、怒声に怒声で返す始末であった。エルレーンの顔が引きつる。
「お前、リンダと言う名前ではないのか。」
「なっ。」
 女の動揺振りを見てエルレーンは確信すると共に天を仰いだ。確かにここはアカネイアパレスだし、リンダと呼ばれた魔道士の卵は長年行方不明であった。しかし、こんなことがあっていいものか。
「それがどうしたって言うんだ。そんなこと、どうでもいいことだろ。」
 女はさらに嘯いていた。あれだけの魔法を使えるだけの能力を持ちながら、なぜこうまで会話が噛み合わないのか。
「どうでもいいわけあるか!」
 エルレーンは机からオーラの魔道書を取り上げると、女に突きつけた。
「これがどれだけ貴重な魔道書かわかるか?これの前ではマリクのエクスカリバーですらその価値が霞む。世界で最高の魔道書だぞ。」
 しかし、女はエルレーンを睨みつける。
「ふん。まさか、この私を覚えている連中に捕まるとはね。確かにそいつは私のさ。価値がわかる人に売ることができれば一生遊んで暮らせるだろうよ。だけど、そんな奴は今までいなかったし、その魔道書はもう絶対に開かない。取っておいても無駄さ。」
「なっ。」
 確かに女と対峙した時、こんな魔法を使われていればエルレーンはひとたまりもなかっただろう。
「そいつが使えるのは私の親父だけさ。使うためには血統の封印をアカネイアの王族に解いてもらわないといけない。親父はとっくの昔にあの世だし、アカネイアの王族ももう残っていない。つまり、そいつはもう二度と使えないってわけさ。」
 ここまで言われればもう間違いは無かった。
「やはり、アカネイア大司祭の娘、リンダなのか。」
 オーラの魔道書を持ち、ここまでのことを知っている人物は他にはいない。リンダはその身の上を語った。
「親父があっさり殺されて、それから大分たって、宮殿もあっさり占領されて、私は宮殿から逃がされたところを捕まった。奴隷商人に売り払われそうになったところをどさくさに紛れて逃げ出して、あとは脅したりすかしたり、必死に生きなけりゃやられるだけだったさ。貧民街に紛れ込んだおかげで、ドルーアの追っ手はなかったけどな。」
 少しの間、沈黙が流れた。
「さぁ、もういいだろ?私がリンダだって、もうどうでもいいことだ。二度とあんた達には手出ししないから帰してくれよ。」
 リンダは話題が途切れるとここぞとばかりに逃げようとする。しかし、エルレーンはまた別のことを考えていた。
「いや、だめだ」
 エルレーンはオーラの魔道書を見る。
「オーラの魔道書が失われるわけにはいかない。君は我々が監視させてもらう。」
 なぜそのような気分になったのか、しかしエルレーンにしても理由が無いわけではない。
「は?なんで私があんたの言うことを聞かなきゃいけない。そんなもん役に立たねぇんだ。解放してくれるんだったらくれてやる。」
 わけのわからないリンダはそうわめく。しかし、エルレーンは言う。
「……魔法は市井で使うものじゃない。管理は厳重にしないといけない。君を放せばまた街で魔法を使うだろう?……あいにく、これから忙しくなりそうなんでな、二度手間は防ぎたいのだ。」
 アカネイアパレスを攻略できればノルダの街もマケドニアが管理することになる。最終的にはニーナにアカネイアの主権が帰るとしても、治安の回復などはマケドニアが力を貸す必要があるだろう。
「なんだいそれは?関係ないだろ?」
 わけのわからないリンダは尚も抵抗する。しかし、エルレーンは言い切る。
「悪いが、君に選択権は無い。何、衣食住は保障できる。しっかりと鍛えてもらうぞ。」
 エルレーンは言い切った。リンダは睨み返すだけだった。今まで荒事をして生きてきたリンダには、こちらの言う事を一切聞かない相手と言うのが肌で感じてわかっていた。
 この後、リンダは営倉扱いとなっている幕舎に拘留された。しばらくは軍と共に行動しろとのことだった。
 兵士達の話を聞くと、これからグラまで遠征するらしい。リンダは厄介なことになったと考えながらも、じっとしているより他はなかった。

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