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FireEmblemマケドニア興隆記
 竜王戦争編
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二十七章 潰える力

 ノルダの宿営の中にあって、マチス達は多忙だった。表向きはグラへの遠征のための小休止、しかし実際は落とすべき城を目の前にしての陣張りである。作戦の実際を知っているのはマチスとエルレーンに加えると、クラインの部隊からマチスが連れてきた者たちとエリエスくらいのものであったが、マチスとエルレーンは入念に打ち合わせを繰り返した。
 エルレーンがリンダを保護したことは、もちろんマチスも大きく驚かせた。マチスは彼女を丁重に扱うようエルレーンに指示する一方で、その具体的な方針はエルレーンに任された。事が魔法に関係するとなると、運用方法はともかく細かいところはマチスも門外漢であった。
 とは言っても、エルレーンも多忙であることは変わりない。エルレーンにも、さし当たってできたことははリンダが逃げないように独房用の幕舎へ入れておくくらいであった。何もすることがないリンダは動けない部屋の中に居ては退屈極まりない思いをしていた。
 エルレーンはリンダが魔法使いとして大きな能力を持っていること見抜いていた。ただの炎の魔法にあそこまで威力を乗せることができる人物をエルレーンは知らない。直接見たことはないがユベロもあのような魔法を扱うのかと想像したくらいである。
 忙しい時であったとしても、その対象が魔法であるのであれば、エルレーンの興味は尽きない。結局、エルレーンは携帯してきた自分の書物のうち何冊かを見繕うとリンダの様子を見に行くことにした。
 リンダは今の部屋に移動させられてからは、特に騒ぐこともなく、おとなしく過ごしているという。実際にエルレーンが様子を見に行ったその時も、リンダは部屋の中で目を瞑り静かにベッドへ座っている様子が簡易営倉の格子の隙間から見て取れた。
「静かにしているようだな。」
 エルレーンはぶっきらぼうに声を掛ける。リンダは目を開けてエルレーンを見たが、直ぐにまた目を閉じてしまっていた。大人しくしてはいたが、敵意は隠そうとしていない。
「何のようだ。」
 リンダは目を閉じたまま言った。
「退屈しているだろうと思ってな。手持ちの書物を数冊持ってきた。魔法の素養があれば退屈しのぎにはなるだろう。」
 エルレーンは持ってきた本を鉄格子の隙間から忍ばせて置いた。
「ふん、くれるってんならもらっとくよ。そんなことよりとっととここから出して欲しいけどね。」
「それはお前の行い次第だが……我々もしばらくはどうしようもないから覚悟しておいてくれ。」
 リンダもそれはわかっているからそれ以上のことは言わない。魔道書が手元にない以上、リンダにできることは少なかった。
 エルレーンの見る限り、リンダはこのままで居るつもりはなさそうだった。リンダとの数少ない会話でエルレーンが感じたことは、この女性は少なくとも頭が悪いということではないということだった。いや、むしろかなり切れる部類に入るだろう。伊達にごろつきどもの間で頭を張っていたということではなかったと言うことである。
 だから、今できることがなくともじっくりと機会を伺っているに違いない。マチスは、今はここに置いておくとだけエルレーンには伝えた。アカネイアパレス奪回後にはリンダにとっても風向きが変わるだろうとのことであったが、その言葉からはリンダをどのように処遇するつもりなのか、確たるところは予測することはできなかった。
 エルレーンはアカネイアパレス奪回後にどのように軍を動かしていくのか、何度かマチスと話をしている。マチスの考えは電撃的にグルニア、グラ、アリティアの領土を解放し、しかる後にドルーアとの最終決戦に挑むとのことで、これは国王ミシェイルとも同意が取れているということであった。
 それほどうまくいく話ではない。グルニアはユベロがある程度指揮するにしても、マケドニアから兵を出さなくては本領の解放は難しいだろう。その上で、グラとアリティアを解放するだけの兵力がマケドニアにあるとは思えない。マチスは、グラは戦わずして降ると話しているが、その根拠がわからない。
 一連のことについては、エルレーンは思考を停止させていた。マケドニアという国の中心近くで人物を見てきて、ミシェイルとマチス、それにミネルバ、そしてその近しい人達。そのような人達にしか知らされていない情報が少なからず存在する。マチスとミシェイルがそれらの情報を元に指針を定めているのであれば、エルレーンがいくら考えたところでせいぜい根拠のない仮説がいくつかできあがるだけである。
 不確実なところよりも、リンダ自身に興味の方向性が向いた。リンダに貸した魔法関連の書物は、少なくとも初心者向けではない。エルファイアからボルカノンといった、中、上級魔法の扱いに関する書物である。魔法の扱いに長けているリンダが知識的な面ではどの程度のレベルにあるのか。リンダに書物を渡したのはそんな下世話な感覚がきっかけではあった。
「読み終わったら感想を聞かせてくれ。」
 あまり反応しないリンダにエルレーンはそれだけ言うと幕舎から立ち去った。後の成果が楽しみなところではあった。

 兵士達にはマチスやエルレーンが忙しそうに動いていることは、別に驚くことではなかった。その日も夜遅くまで司令部用の幕舎には明かりが灯っていた。そこには時を待ち続けるマチスとエルレーンの姿があった。昼間であればエリエスも側につき従っているが、さすがにここまで夜遅くまではいない。
「いよいよ、明日ですね。」
 ユベロが通知してきたテーベ攻略の日付、それが明日に迫っていた。
「私たちは吉報を待つことしかできません。我々にできることはできてはいるのです。」
 司令部の幕舎では、人払いしてマチスとエルレーンの二人になった時だけ、中央のテーブルに一枚の大きな地図が広げられる。アカネイアパレスの見取り図だ。竜族以外には侵攻されたことがないこの宮殿は、ドルーアにより改造されさらに落としにくい難解な構造へと姿を変えている。その図をマチスはじっと眺めていた。
「難しいものですね。一万近くの兵を動員したというのに、城内へ攻め込めるのはせいぜい千あまりとは……。」
 城内の構造は大軍の運用を許してはくれない。こちらから攻撃しようとすると、どうしても少人数で突撃せざるを得ない構造となっている。素直に力攻めで落とせるだけの兵力を準備したつもりであったエルレーンであったが、実情はだいぶ違った。
 エルレーンは直ぐに頭を切り替え、作戦案を二日で修正した。マチスの頭の中に、作戦の概要が固まっていたからこそできた技であった。
「結局、城下の重要施設と、ノルダの市街地を無視するわけにはいきませんから。パレスの攻略は気づかれないうちにどこまで進めるかが一つの勝負です。おそらく、ユベロ殿の戦術も似たようなもののはず。」
「……こちらに戦力が欲しいところを、魔道士隊の重要な戦力はほとんどユベロ殿のところとグルニアへの派遣部隊に分散しています。個人的には隊が損なわれることは困りますが……。」
「そんなことは、マケドニアとしても困るでしょう。」
 マチスが苦笑する。その姿は、どう見ても十万近くの軍勢を統括する将軍には見えない。
「ユベロ殿には申し訳ありませんが、いざとなればクラインひとりででもガーネフを討って戻ってくると思っています。」
 さらりと言ってのけているマチスであったが、実際のところ、マチスはユベロの方の作戦がどのような結果に終わってもその結果に応じた行動指針を想定している。さしあたってはユベロの作戦が成功するか否かであった。ただ、失敗したときのことも想定はしているとは言え、ここでの失敗は大きな後退を意味する。
「ガーネフの魔法は、それほど生易しいものではありませんが。」
「それは、直接目の当たりにした我々が一番良く知っていることでしょう?」
 マチスはガーネフの魔法を受けた右わき腹の辺りをさする。こうして普通に行動できるまでに回復したマチスではあったが、今でも時折その部分が痛む気がする。気のせいと考えれば考えられるような、実際には気になるだけで痛みなどはないのかもしれない。後遺症があるのかないのかなどはっきりしない。ただ、わき腹をさすることが、以来癖になってしまっている。
「……あのような思いは二度としたくありません。」
 と、エルレーンはこぼす。
「明日次第です。結果如何ではもう二度とガーネフを気にしなくてすむようになります。」
 エルレーンは頷く。もっとも、二人とも決して楽観視はしていない。失敗した時の先も考えにある。
 しかし、失敗時のリスクで一番大きいことは人的資源の喪失だ。グルニアの王子、ユベロの身は当然のことながら、大陸でも名高い剣闘士のオグマにマチス直属隊の隊長のクライン、そしてアリティアのマルス王子の一行から参加する魔道士はアリティアの公子だと聞いている。
 こちらの作戦では、ミシェイルが直接作戦の実行許可を与えている。勝ち目はある……と言うよりは、広範囲に威力を及ぼす魔道士相手にゲリラ的な戦法で勝つことができれば、それが一番の手法であろう。マチスはその鍵をクラインだと考えていた。ともかく、後は伝令を待つことであった。

 ユベロ達はまだ暗いうちから行動を開始した。テーベの塔はカダインよりさらに奥地にあり、ワープの杖を使用する術者の力量を考えると、作成した支援拠点から一度のワープで移動することは不可能であった。そのため、中継地点としてカダイン砂漠のはずれに位置するオアシスを使用することとなった。
 カダインへ向かうためには、このオアシスを中継するよりも直接砂漠を横断したほうが楽である。そのため、普通であれば休憩拠点として賑わうような砂漠の中のオアシスでも、ほとんど忘れ去られているような場所である。
 ユベロ達の攻略部隊は、まず暗いうちにこのオアシスまで移動した。ここまでもワープで移動しているため、人数はほぼ実行部隊で三十人あまりしかいない。
「オグマさん、いよいよですが、よろしくお願いします。」
 少なくなった人数の中、他の剣士達と雑談をしていたオグマに頭を下げたのは、青い魔道士服に身を包んだ若い魔道士だった。 「マリクか。ここに来るまであまり話す機会はなかったな。」
「別れてから全く連絡がつきませんでしたから、見かけたときは驚きました。」
「それはこっちの話だ。お互い無事そうだし、なによりだ。」
 拠点では剣士達と魔道士達はお互いに別行動することが多かったため、二人が会話する機会はほとんどなかった。
 オグマはマリクを見かけたとき、驚きはしたのだがその後には恐ろしくなった。マリクが居ると言うと言うことは、マケドニアはアリティアとも通じているということだ。きっとオレルアンとも水面下でやり取りをしているであろう。オレルアンはマケドニアが占領しているのだから難しい話ではないし、なによりオレルアンのハーディンも分かれていなければマルス達と共にいるはずである。
 グルニアにはユベロ王子がいる。そう考えると、ドルーア、ガーネフ以外の七王国側勢力のほとんどとマケドニアは渡りをつけていることとなる。
 アカネイアとグラにも何らかの渡りをつけていてもおかしくはない。
 ユベロはガーネフを攻略することができれば、いよいよグルニアへ帰還し、ドルーアと戦うつもりでいる。これは、ミシェイルも了承しているはずである。
 マケドニアは何を狙っているのであろうか。オグマもそろそろ先のことを考える時期かもしれない。
 少しは落ち着いて話すことができる機会ということで、オグマはそれとなくマリクから聞き出そうとした。
「王子さんたちは元気でやってるかい。」
「マルス殿下は変わりありません。ハーディン殿下は右腕が完全に動かなくなってしまっていますが、なんとかやっています。オグマ殿はどのような経緯でこちらへ?」
 やはりハーディンも一緒にいるのだ。オグマハーディンが行方不明になって以降の消息を知らず、亡くなったとの話も聞かないから、これは事実であろう。
 オグマはマリクの問いには肩をすくめて答える。
「護衛さ、ユベロ殿下の。」
「……護衛ですか?」
 いまひとつ納得していないマリクを相手に、オグマは多少の事情を話した。マケドニアへ来た経緯や、その後の話などは端折ったが。
「モスティン陛下と、グルニアのロレンス将軍が故知の間柄とは、知りませんでした。」
「そうか……。ところで、ガーネフからファルシオンを取り戻したら、王子さんもドルーアの戦線へ出てくるのかい。」
「それは……私の口からはまだ何とも言えません。ただ、ファルシオンが見つかった場合にはマルス殿下に渡されることにはなっています。」
「そうか。」
 マケドニアは裏に多くの事情を隠し持っている。ある程度マケドニアの中心にいればなんとなくわかりそうなものであった。
 それはユベロももちろん感じているし、その上でマケドニアを利用しようとしている。オグマから軽くたしなめたこともあったが、ユベロはグルニアを現状から解放することはマケドニアの方針にも沿っていることだと断言している。今回のガーネフ討伐も、ユベロにとってはマケドニアがガーネフの脅威から解放され、グルニアへその力を向けさせるために必要なことであった。
 本来であれば、王子自らがこのような危険な任務を請け負わなくても良かったのかもしれない。しかし、ユベロの立場はそこまで強くはなく、何よりこれはユベロにしかできない。この作戦はユベロをはじめ参加者全員が命がけであることを、事前に十分に各人に認識するよう通知されている。
 マケドニアでは国王ミシェイルと大将軍マチスの間に見えない糸が何本も張り巡らされている。基本的にオグマには関係のない部分ではあったが、それでもオグマと関係している人たちへの影響を考えると、それほど無関心でいるわけにはいられない。オグマが今自由にできる力で、全てを守ることなどは到底不可能であるとオグマ自身も理解をしていたが、タリスの姫が亡くなった時の様な思いをするのはもうこりごりであった。
 既にかの時から四年以上経っているというのに、自分ではあの時に何もできることが無かったというのに、オグマは未だにその時を思い起こしては胸を締め付けられる。マルス王子も同じような思いをしているのであろうか。
 その後、二人はお互いの近況など他愛もない話をしていた。二人が再会したのは四年ぶり以上である。オグマにとっては、マルスをはじめアリティアの面々が無事に過ごしていることがわかっただけでもよかった。カインが亡くなっていたことは衝撃的ではあったが。
 マケドニアの伝令は、定期的にやってきては物資を落として行くと言う。また、さすがにマルスやハーディンは動けないが、ジュリアンやドーガなどは時折オレルアンの市街地まで出かけては、情報収集と必要なものの買出しを行っているらしい。
「ほとんどマケドニアに保護してもらっているようなものです。」
 と、マリクは苦笑した。聞けば、マケドニアの使者がやってきて、当面は敵対しないことを確約したのはレフカンディの戦いから半年ほど経った時で、その時から状況に変化は無いそうだ。
「ハーディン殿などは、左腕での剣の扱いにだいぶ慣れたようですけどね。」
 アリティアを遠く離れて、母国に対する影響力をほとんど失ったマルスはマケドニアの方針を受け入れることにそれほど抵抗を持っていなかったが、ハーディンの方はマケドニアのオレルアン支配には懐疑的であった。しかし、マケドニアがオレルアンにかなりの善政を敷いていることが判明すると、それ以上強く出ることはできなくなった。オレルアン国王夫妻の無事が民間レベルでも知れ渡っていたことも大きい。
「しかし……隠れ場所が今までよくマケドニア以外にばれなかったな。」
「場所は、山の奥深くで、山越えの道からもかなり離れています。さすがに山賊の一味が隠れ家として使っていただけのことはあります。空から注意深く探索するようなことがなければまずわからないでしょう。」
「隠れ家もそうだが……あの解放軍の残党が残っているなど今では噂でも持ち上がらない。良く秘密が外に出ないものだと。」
「残っている人数が少ないという理由もあります。また、オグマさんもご存知かも知れませんが、一度マチス殿が直接訪ねて来た以外では来るのはマチス大将軍の管轄化にある白騎士団の伝令部隊か、ミシェイル国王直轄の竜騎士だけです。……よほど厳しい緘口令が敷かれているのでしょう。ただ……。」
「ん?気にかかることがあるのか?」
「白騎士団の伝令部隊からは部隊長が直接訪ねてくることがほとんどなのですが……もう、しばらくマルス殿下とだいぶ仲がいい様子なのです。まるで……。」
「まるで恋人同士ってか?」
「はい。」
 オグマは茶化すように聞いたのだが、帰ってきたのはまじめな肯定であった。
「……驚いたな。四年もあれば、変わるところは変わるのか……。いいんじゃないか?明るい材料が多ければ、希望も持てるだろう。」
「いえ、それが……。」
「おーい。そろそろ集合してくれ。」
 マリクがさらに何かを言いかけたころ、クラインが集合を掛けた。オグマは何か問題がありそうだとは感じたが、結局続きを聞くことはできなかった。

 クラインの前に集合した全員は、点呼の後に最終確認を行った。
 テーベの塔への侵攻部隊は、ワープの距離が長くなってしまったことで、その人数をさらに減らしていた。それでも減員を最小限に抑えたせいで、かなり無理のある構成となってしまっている。特に、最初の予定では非常に貴重なため、それほど多く使う予定ではなかったレスキューの杖も、引き上げ時にかなりの回数使う予定になってしまっていた。
 侵攻部隊の内訳は、当初の三十名から五名減って二十五名。クラインとオグマを含めた軽装のいわば剣士が五名、ユベロ、マリクを含む魔道士が十八名。これに、ワープ地点での待機と後方支援を行う修道士が二名随行する。
 隊列や方針等はあらかじめ打ち合わされていたものがその場で簡単に確認された。隊列は、剣士を前三名、後ろ二名に分け、魔道士達を護衛するように配置する。前は偵察を行ったクラインが案内をかねて先導し、後ろはオグマが警戒に当たる。
 敵に見つかった場合は速やかに息の根を止めることが徹底された。これは、味方の数が少ないため、できるだけ応援を呼ばれないよう、一度に多人数とあたることがないようにしようという配慮である。命まで取ることは無いだろうという意見も当然出たが、クラインやオグマ、ユベロなどの現実派はそれでは自分達の安全が確保できないと押し切った。特に、剣士達はオグマを除いては全てクライン隊から選出されているが、一人も反対することはなかった。クライン隊の者は、マチスの元で密偵の仕事も数多くこなしえていたため、敵に気づかれることの危険の大きさを熟知していたのである。
 ユベロもその考えは理解していたが、結局は運に頼ることになるともクラインには話していた。ガーネフがその気になれば、侵入者を発見迎撃する手はずはいくらでもあるはずだと。それに対して、クラインはテーベの塔を直接偵察したときの様子を語った。テーベの塔は入り口に見張りが居るわけでもなく、内部も人の気配がかなり少ない。偵察も厳しい場面もなく終えることができた。おそらく、ガーネフもここまで来る人が他にいるとは考えていないのではないかと。一行は、この報告にある程度期待を寄せていた。
 参加する魔道士達は、命がけの危険な任務に関わらず自分から志願した者ばかりである。ガーネフを討伐するその目的だけでマケドニアに集まった魔道士達にとっては志願するに値する任務であったのだ。一方、クライン隊の者たちは幾度と無く死線を潜り抜けてきた者ばかりである。まさしく、ガーネフに対する精鋭がその場に集合していた。
 オアシスには五名の修道士が残り、様々なサポートにまわる。その一人がワープの詠唱をクラインに対して始めた。クラインの姿はやがて歪み始め薄れ、そして完全に掻き消えた。次々にワープが続く。いよいよ作戦の始まりであった。

 ガーネフはその時、魔力のゆらぎを感じで目を覚ました。毎日起きる時間と比べるとかなり早い時間である。
 魔力のゆらぎ自体は珍しいことではない。この塔ではガーネフに従ってきた魔道士達が、日々魔道の研究を行っているのだ。そのような現象もよく発生する。しかし、今は皆がまだ寝静まっているころ。根をつめて研究する魔道士もいないわけではなかったが、それにしては違和感を覚えた。
 念のため、ガーネフは簡単に身支度をすると、寝室にある鏡を使用し遠見の術を使用した。しかし、夜が明け始めているばかりの塔の周囲には動くものは見当たらなかった。一通り確認した後、ガーネフは腕の力を抜き、集中を解いた。まだかなり早い時間であったが、ガーネフはそのまま自分の研究室へ向かうことにした。

 クラインはワープ先に到着すると、一度塔を見上げ、すぐに行動を起こした。次々と現れる仲間を塔の入り口に誘導する。塔の周辺はさえぎるものが何もない砂漠地帯である。下手に動いて見つかってはかなわない。じっくりと塔を眺めている余裕はなかった。まずは後方支援の修道士を含めて塔の内側へ移動する。
 クラインは全員そろっていることを確認すると、携帯してきた聖水の瓶を空け、体中に振りかける。続く全員がこれに倣った。クラインが右手を挙げ合図をすると、一行はゆっくりと進み始めた。
 さすがに人数が人数であるために、気配は隠しきれない。夜明け前の静かな時間帯、石材のようにも煉瓦のようにも見える床は必要以上に音を反射しているように聞こえた。塔はガーネフが根拠としているだけあり、最下層の一階部分だけでもだいぶ広さがあった。それはそのまま塔のもつ高さへ直結している。
 やがて先導する三人は、クラインを残して左右へ散っていった。クラインはそのまま塔の中を案内し、登り階段の所で一度停止する。どれほど待っただろうか。二人が戻ってくる。ユベロは彼らの内の一人を見て息を飲んだ。その革鎧が、返り血で大きく汚れていたからである。
「……どうだ?」
 クラインが訊ねる。
「こっちは三人です。」
「……こっちは五人ってとこですね。」
 二人が揃って答える。
「やはり朝方では思ったより少ないな……。それよりも、最初からそんなに汚れて大丈夫か。」
 クラインは返り血を浴びている剣士を見やった。
「いや、綺麗に済ますこともできたんですけどね。騒がれちゃまずいってんで安全にいかせてもらいました。」
 驚くべき手際の良さであった。ユベロたちは彼らがどこでどういった争いをしていたのか全く気が付かなかった。
「……そうか、それでいい。」
 クラインは小言での会話を手短に切り上げ、再び右手を挙げ合図をした。進行の合図である。
 前に偵察に来たとき、クラインは三階まで潜伏し、確認を行った。だから、その辺りまでの行動はあたりをつけている。ユベロの話では塔は七階層から八階層程度アリ、遠見の術で確認できていないところは大体六階層から上の部分であった。
 偵察できていない場所も大体の構造はユベロから聞いている。五階層目までは行動に大体の目安がついていることとなる。
 クライン達、剣士が請け負うのは気づかれるまでは一方的な殺戮である。さすがに、魔道士達は抵抗も何もしない相手に魔法を向けることは抵抗があるようであった。しかし、クラインが選出した剣士達は決して容赦はしない。殺さなくてはそれだけ自分達の危険が大きくなる。
 クライン達は当初の方針に忠実に、確実に先へ進んでいった。

 ガーネフがいつもとの空気の違いに気が付いたのはそれほど遅くはなかった。ガーネフは、自らの根拠地に居たとしても一人で居ることがほとんどであったが、それでも周りの騒がしさには気が付いていた。自分の研究室に居ながら遠見の術を使う。しかし今度は塔の内部に対してであった。
「むぅ。」
 ガーネフはひとしきりうなる。下層の研究室で見たそれは、惨殺され、打ち捨てられたたガーネフ配下の魔道士であった。
 もはや侵入者がいることは間違いない。
「まさか……このような人里はなれた塔が嗅ぎ付けられようとは。ガトーの差し金か?」
 ガーネフは魔道士を呼び、全ての魔道士を一度、最上階へ集めることを命じた。自らは研究室を出て、塔の屋上の祭壇へと向かった。そこには、ガーネフが持つもので最も貴重なものが二つある。残る一つの貴重な品、光を吸い込む漆黒の宝玉は、常に近くに置き手放すことはなかった。

 第四階層から第五階層に登ろうというとき、クラインはユベロに呼び止められた。
「止まって下さい。」
 クラインは黙ってその場に止まる。
「気づかれたか?」
「散開して。急いで!」
 クラインの反応もそこそこにユベロが叫び前に出る。上の階からは何か黒いしみのようなものが溢れ出してくるのが見て取れた。
「あれが……マフーか?」
「おいおい、あんなんじゃ手出しできないぞ。」
 マリクやクラインらがこぼしながらも急いで散開する一方で、ユベロは高速で魔法を詠唱していた。
「ELLE FIRE!」
 突然ユベロの前に現れた巨大な炎が、目前の闇を焼き払う。
 すさまじい威力だ。マリクは半分呆れていた。ユベロは特に炎の魔法を得意としていたが、これまでマリク達との演習では初歩のファイアの魔法しか使っていなかった。しかし、ユベロのファイアは並みの魔法使いのエルファイアよりも威力がある。他の魔道士が相性の良い氷の魔法を使用していても、やっと相殺できるというレベルであった。
 そのユベロのエルファイアを間近で見たのはマリクには初めてであった。巨大な炎熱の空間が発生し、その勢いは迫ってくる闇を圧倒した。闇の空気がぼろぼろと崩れ落ちた。
「いきなり全開か。敵には回したくないな。」
 最後尾からその様子を眺めていたオグマは、逃げるそぶりも見せずにユベロを眺めていた。
「虫?」
 怪訝そうな顔でそうつぶやいたのはクラインであった。遠目ではあるが、炎に焼かれた黒いもやもやはぼたぼたと崩れ落ち、床に落ちると床に後ものこさずに消滅した。クラインにはそれはあたかも虫のように見えた。
「ウォームの魔法ですね。」
 と言ったのは、魔法を放った当のユベロである。
「厄介ですね……この魔法は、かなりの遠距離から影響を与えることができることが特徴です。あの黒い影に近づかないようにしてください。魔力で仮に作られた獰猛な虫です。あっという間に体中齧られます。」
 そんな話を聞いてはクラインも背筋に薄ら寒いものを感じざるをえなかった。
「……どうしろってんだ?あの調子だったら逃げるのは楽だろうが、先にすすめねぇぞ。」
 クラインが怒鳴っている間にも迫る虫たちを、ユベロは二回目のエルファイアで焼き払う。
「こうして炎で焼き払いながら突入する手もありますが……通路や壁が焼けて通り抜けるどころではなくなってしまいますね。」
 ユベロのエルファイアは不気味な雲を後退させることはできていたが、完全に駆逐することはできていなかった。この魔法に対する知識をドルーアの書物から得ていたユベロは、この魔法の術者がかなり彼方にいることを理解していた。炎で力押しすることは現実的ではない。
「どなたか、トロンを持っていませんか。あれなら直線的に穴を空けることができる。」
 ユベロは無駄と知りつつ、そう魔道士達に聞いた。ユベロが知る限りトロンを使える魔道士はエルレーンしかいない。
「要は、あの群れを追い返せば良いのですね、私がやってみましょう。」
 と、前に出たのはマリクだった。マリクはユベロも見たことがない緑色の装丁が施された魔道書を片手に持ち詠唱始める。空気の流れがマリクに集まった。
「クラインさん、マリクさんの魔法が発動したらマリクさんと一緒に一気に突っ込んでください。奥に術者がいるはずです。」
 マリクの意図を汲んだユベロはマリクのために道を空けた。トロンの魔道書はだいたいが黄土色をした装丁をしている。だとすれば、マリクが手にしているのは噂に聞く風の魔道書に違いない。演習時にはついに見ることができなかった風の魔法を目にすることができると、ユベロは期待した。
 みな、固唾を飲んで見守っていた。マリクの詠唱と共に急激に風は勢いを増した。それが頂点に達した時、詠唱は完了していた。
「EXCALIBUR!」
 魔道士たちの間を風が吹きぬけた。どこからこれほどの力が集まってきたのか、それすらもわからない。風の濁流は、闇の澱みへ向かって直進し、全てを吹き飛ばした。
「よし。」
 瞬時に様子を判断したクラインら三人は、上の階へ突入した。マリクがこれに続く。
 風の魔法を目の当たりにしたユベロは思わず笑い出してしまった。
「これが、風の魔法ですか。これも、あの賢者が作り上げたのですか。」
 でたらめな威力であった。ユベロはトロンの魔法を見たことは無かったが、トロンの魔法の二倍から三倍の威力はあるのではないかと想像した。個々に対しての威力はそこまでは高くないのかもしれない。しかし、広範囲に攻撃を仕掛けるには非常に有効な魔法だ。
「ユベロ殿下!」
「おっと、こうしてはいられませんね。進みましょう。」
 オグマに呼び止められて我に帰ったユベロは魔道士たちを引き連れて先へ進む。上の階で見たのは、敵魔法の波状攻撃にさらされているクライン達であった。
「ここから先は力押しですね。ガーネフまでたどり着きますよ。」
 ユベロは通路から出てくる魔道士にエルファイアを叩き込む。食らった方は声鳴き悲鳴と共に崩れ落ちていった。
「殿下!ウォームの主は片付けた。後は上を目指す!」
 クラインが叫ぶ。
 既にあたりは魔法が飛び交い、満足に視界すら確保できないような状況だった。しかし、それは敵の魔道士も同じで、気配を感じながら行動する剣士達には却って好都合だった。オグマも乱戦となるとすでに魔道士の護衛どころではなく、積極的に敵を打ち倒していく。
 魔道士達は無理はしない。二人の修道士の護衛には五人の魔道士がつき、後方から慎重に状況を見定めている。ユベロやマリクは乱戦のさなか、聖水の加護もあり、敵の魔法が持つ威力のほとんどを殺いでいたが、普通の魔道士たちはそうもいかない。
 クライン達は一階層毎に敵を無効化しつつ塔を上る。もうもうと立ち込める埃の中を魔道士達は続いた。
 塔の内部では、通路と部屋で区切られているその構造もクライン達に味方した。基本的に魔法は狭いところでは使いにくいのだ。
 動きにくいのはユベロの方の魔道士も同じだ。ユベロの方の魔道士は慎重に歩を進めた。攻撃の主役はクライン達に任せ、魔道士達は防御を中心に戦った。
 ガーネフの配下は組織だった抵抗こそ不可能だったものの、隠れた位置からの魔法は十二分に脅威だった。散発的に魔法が放たれる。クライン達はそれをよく避けて進んでいたが、全く無傷というわけにもいかなかった。
 クラインは魔法をぎりぎりで避けながら進んでいく。部屋の奥に潜んでいた魔道士がまた倒れた。一つの階層を制圧してから次の層へと、クライン達は進む。
「……抵抗が薄くないか?」
 塔は上の階に進むにしたがってその広さも狭くなる。敵の攻撃は激しかったが、どこか散発的な印象をクラインは受けていた。
 八階層目を制圧して上へ向かう階段を目の前にし、ユベロは全員を集めた。
「たどり着いていないのは……一人、二人……四人ですか。」
「五人です。」
 オグマが言う。気がつけばオグマと共に後ろを守っていたはずのもう一人の剣士の姿が見えなくなっていた。
「雷の集中攻撃を受けていました。いくら聖水の加護があったところで、あれでは助かりません。」
 オグマが首を振った。
「しかし、ここからが本番です。おそらくガーネフはこの上でしょう。ガーネフはマフー以外にもまだ手を残しているはずです。」
 塔の屋上部分だろうか、見上げる階段の向こうは澱んだ空が広がっていた。すでに時間は昼過ぎのはずであるのに、暗い雲で覆われた空はその半分の明るさもない。
「おいおい。ここは砂漠のど真ん中だろう?どうやったら空があんなふうになるんだ。」
 クラインがあきれた風に言うが、理由はガーネフの魔法以外にはないだろう。
「で、ここから先は何が待ち構えているんだ?」
 うって変わってクラインが真剣な表情になる。屋外であれば開けていて、見通しも効くだろう。うかつに出て行けば魔法の集中攻撃を受ける。それはみなわかっている。
「様子を見てこよう。ここで待っていてくれ。」
 そういうと、クラインは階段を上っていく。
「私も行きます。」
 と、ユベロが続いた。
「危ないぞ?」
「あなたでは魔法の気配がわからないでしょう。」
「それもそうだな。」
 二人は、慎重に階段のそばまで移動した。壁面に擦り寄って外を伺う。
 外は広間があり、その向こうにさらにのぼりの階段が続いていた。クラインから見ると、別段変化があるように見えない。そもそも、広場は全く平らで隠れる場所があるようには見えない。
「どうだ。」
 クラインは険しい顔をしているユベロに聞く。
「まずいですね……魔法の気配が濃厚すぎて、どこから何が飛んでくるかわかったものではありません。おそらくあの階段の上が怪しいですね。」
 ユベロが奥を指差す。クラインにはわからないが、その先に何かがあるのであろう。これ以上は何があるかわからないと判断すると二人は階段の下へ戻った。
 ユベロは全員の前に進み出て、残っている一人一人を見渡した。
「魔道士の皆さん集まってください。ここから先は私が先導します。」
「殿下、危険です。」
 オグマがあわてて止める。
「聞いてください。おそらくガーネフはあの向こうにいるはずです。速やかにガーネフへ対応するためにも私が前に出る必要があるのです。」
 とユベロが言う。
「……俺には魔法のことはわからん。だが、本当に大丈夫なのか?」
「私が補佐しましょう。」
 とマリク。
「クラインさん、心配してくれるのはありがたいのですが、もう後には引けません。」
 クラインは再び階段の先を仰ぎ見る。
「……覚悟を決めるか。だが、どうせ出るなら全員で出たほうがいい。目標はガーネフだ。」
 オグマもこれに頷いた。
「……わかりました。しかし、ガーネフには普通の攻撃は効きません。必ず私が当たります。ほかの人は、周りを抑えてください。」
 屋上の暗い気配は時間を増すにしたがって濃厚になっていくようであった。一向は屋上への出口まで移動した。
「……本当に何の気配もない。」
 とオグマが呟く。魔道士達の間で緊張が高まった。
「行きます。」
 そういうや否や、ユベロは飛び出した。全員が走り出した。
 屋上の階段その上のほうで閃光が煌いた。次の瞬間、広場にものすごい量の雷が降り注いだ。
「一気に駆け抜けろ!」
 クラインはそう叫んだが、轟音にかき消されてその言葉が聞こえたものはいなかった。広場では雷に打たれた魔道士が一人、また一人と倒れていった。
「ちっ。」
 いち早く階段にたどり着いたクラインはそのまま、階段を駆け抜ける。やや続いてユベロが抜け出した。オグマ、マリクも抜け出す。
 ユベロは、自分の魔力を使い上から襲ってきた雷をある程度中和していたが、全くの無傷というわけには行かなかった。肩口や腕などが黒く焼け焦げてしまっていた。疼痛を感じるが、かまわずにユベロは階段をのぼる。
 黒い瘴気が前方から襲い掛かってくるのをユベロは避けた。階段を上がり切ると、そこが塔の頭頂部のようであった。怪しげな祭壇があり何人かの魔道士がいる。
 クラインはすでにその魔道士たちへ切りかかっていた。
 一番奥に、闇を纏った魔道士がいる。明らかにほかの魔道士とは感覚が違っていた。その魔道士が呟くと、クラインへ向かって闇の塊が放たれる。クラインは切り倒した敵の魔道士を盾にしてその攻撃を防いだ。
「オグマ、マリク!援護を頼む。」
 後ろから続いていた二人にそう叫ぶと、ユベロはガーネフの前に躍り出た。痛みに耐えながら複雑な呪文をすばやく組み立てる。ガーネフがユベロへ向き直った時には、ユベロの呪文は完成していた。
「VOLCANON!」
 スターライトエクスプロージョンではなかったが、それはユベロが使用できる中でもっとも威力の高い呪文であった。詠唱の完成と共に無数の炎の柱が吹き上がりガーネフを包み込む。いまや炎で包まれたガーネフは姿を確認することができなかった。
 その姿を見て動揺した敵の魔道士たちは、クラインとオグマの剣の前に次々と倒れていった。ユベロは一人、じっくりとガーネフのいる方を見ていた。
「MAFU」
 炎に包まれたガーネフから、何かが聞こえた。それをそうと気がついたのはユベロだけだった。
 闇が染み出し炎を飲み込んでかき消した。そのまま闇はユベロを襲う。これを予測していたユベロはその塊を避けた。
 ガーネフがそこにいる。その姿は化け物そのものだった。黒い闇の向こうにその姿がおぼろげに浮かんでいた。
 ユベロはガトーに託された魔道書を取り出した。ガーネフは何も言わず、二回、三回と魔法を放ってくる。
「EXCALIBUR!」
 マリクが風の魔法をガーネフへ放つが、直撃したはずの魔法は全て闇に衝突して霧散した。
「馬鹿な。」
 マリクが思わず口に出す。
「……あの闇がガーネフは絶対に倒せないと言われている理由ですよ。しかし、それもこれで終わりです。」
 ユベロは詠唱を完了し、高く上げた右腕を振り下ろした。
「STAR LIGHT EXPLOSION!」
 ユベロの右手の先から、小さい光の球が現れガーネフへ向かった。ガーネフの闇が、その光の前に集中する。光はその闇の中に吸い込まれていった。
「消えた?」
 みな、ガーネフに集中している。次の瞬間、闇の中心から猛烈な勢いで光が爆発した。
「ぐ、ぐ……。」
 ガーネフが呻き、膝を地に着いた。
「闇を通り抜けただと。」
 唸るガーネフを尻目に、ユベロはさらに詠唱を続けた。
「闇よ。我が従えし闇よ。呼び声に答えよ。MAFU!」
 ガーネフも懸命に反撃をするが、すでに勢いはない。ユベロは軽々と避け、第二波を放つ。
「STAR LIGHT EXPLOSION!」
 ガーネフを纏っていた闇は、急激に薄れて行っていた。先ほどは見えなかったスターライトの魔法の核が、光を放ちながらガーネフへ向かうところが見て取れた。ガーネフの纏っていた濃緑色のローブはぼろぼろに崩れ落ち、肌が焼け爛れているのが見て取れた。
「くっ。」
 既にガーネフは避けることもできなくなっていた。ユベロが念じると、ガーネフの至近にまで近づいていたその光が爆発する。その爆発は、ガーネフの右腕を吹き飛ばし、上半身に治しようのない傷を付けていた。
「終わったのか……。」
 目を離すことなく始終を見ていたオグマが言う。ユベロがスターライトを放ってから、勝負が付いたのは一瞬であった。今やガーネフの周囲から闇は消え去り、そこにはしなびてうずくまっている老爺がいるだけであった。半身は自らが流した血に塗れており、皮膚はあわ立ち焼け焦げている。まだ、息はあるようだったが、誰の目にも先が無いことは明らかだった。
 ガーネフが抵抗する力を失ったと確信して初めて、ユベロは集中する力を解いた。ユベロがガーネフに近寄る。
「余は……ここで滅びるか……。竜の叡智……余に超えることあたわなかったか……。」
 ガーネフが、ローブの内袋から何かを取り出した。ユベロはガーネフが取り出したものそのものの力に圧倒され、思わず後ずさった。
 それは、ガーネフが操っていた闇そのものであった。凝縮された闇がそこにあった。
「この宝玉、汝ならば使いこなせよう。」
「闇のオーブ……。」
 宝玉を取り出すと、ガーネフは仰向けに倒れた。暗雲で覆われていた空は徐々に砂漠の強い日差しを取り戻しつつある。日に照らされたガーネフは目を離せば塵となり、風と共に砂漠に還ってしまうのではないかと思われた。
「預かり物は、返そうぞ……。」
 ガーネフは残った左腕を上げ、何かを指差そうとしているように見えたが、左腕は少し上がったのみでまた床に横たわる。
「……真理は……とお……く……。」
 ガーネフは遂に事切れた。最後に何を言おうとしていたのか聞き取れた者はいなかった。
「あっけねぇな。」
 それはその場にいた全ての人の心を代弁した言葉だった。
「結局……ガーネフはどうしたかったのでしょうか。」
 マリクの疑問は、魔道士らしいと言えば魔道士らしい質問であった。これには、クラインが傭兵らしく答える。
「さぁな。死んじまったもんはわからねぇさ。まさか、戦闘中に問答するわけにもいかんだろうしな。」
 と。
「オグマ?大丈夫ですか。」
 ユベロは気が付いて息を飲んだ。オグマの左腕、肘から先が焼け焦げている。
「痛いのは痛いのですが……ほとんど感覚がないのです。利き腕がやられなくて良かったですよ。殿下も、お怪我をなされている。」
「このくらい、オグマの傷に比べたらたいしたことはありません。」
 この頃になると他の魔道士も駆けつけてきていた。その数は大分減ってしまっていた。修道士の一人を呼び、すぐに傷ついたものの手当てをする。杖の力で、オグマの左腕も元に戻った。表面的な火傷だけで、内部まで傷ついていなかったことが幸いした。
 クラインが状況を確認すると、動けないほど重症の者が数名階下で手当てを受けていた。しかし、雷の雨を受けた魔道士の大半が既に事切れてしまっているという。
「……エルレーン殿に叱られてしまいますね。」
 これを聞いたユベロが複雑な表情になる。
「いや、これだけの被害でガーネフを倒せたんだ。野戦で相対することを考えるとぞっとするぜ。グラの戦いの被害はこの十倍では効かなかったし、その上でガーネフに手も足も出せなかったんだ。」
 とはクライン。
「それでも、エルレーン殿は怒るでしょう。あの方はそういう方です。」
「……そうだったな。」
 二人はそう笑いあった。ようやく余裕が戻ってきただろうか。
 そのユベロの表情が突然険しくなった。
「それに触ってはなりません!」
 見ると、配下の魔道士の一人が、宝玉に手を伸ばそうとしていた。強力すぎるほどの力を放ち続けるそれに興味を止めることができなかったのであろう。ユベロの剣幕にその魔道士は慌てて後ずさった。
「それは、生半可な精神で扱えるものではありません。普通の人が触ればすぐに発狂してしまいますよ?魔道士とてどうなるかはわかりません。」
 そのままユベロはじっくりと宝玉を見分した
「……どうするんだ?そんな物騒なもの。」
 クラインがたずねる。
「メディウスを封印するためには必要なものです。……私が力を押さえ込んで持ち帰ります。戻ったらすぐにマケドニアへ、光のオーブと同じところに置けばある程度中和されるでしょう。」
「そういうものなのか。」
 生返事もいいところであった。クラインには闇や光など魔法的なことは一般的な概念程度にしかわからない。ユベロがそう言っているなら正しいのだろうと思う程度だ。
「これほどまでとは……。光や星のオーブは我々に敵対的な力を放っているわけではないので気づきにくかったのですが、正直甘く見ていました。これをガーネフは使いこなしていたのですね……やはり天才だったと言うことでしょう。」
「ガーネフは、自分で独自の魔法も作り出していました……。聞く限り、そのようなことができたのは他には大賢者殿だけです。ミロア大司祭ですらそのような話は聞きません。」
 オグマなどはユベロとマリクのこういった話を聞くと、どうしてもなぜガーネフがこのような行動に出たのかと考えてしまう。対照的に二人の魔道士はガーネフについての事実を確認しているかのような口ぶりだった。魔法を使うものとそうでないものの感性の差がそこにあるのかもしれない。
「さすがに直接素手で持ち帰るのは辛そうですね……。」
 ユベロはスターライトの魔道書を取り出すと、無造作に数ページ破り取った。
「な、貴重な物ではないのですか。」
 マリクがあわてた。貴重な魔道書は魔法使いにとってはある意味では命よりも大切な物である。そのために一生を費やす魔道士も少なくはない。
「ガーネフを倒すために作成された魔法です。ある意味、この魔法の役目はもうありません。闇の宝玉は必ずもって帰らなければならないものですから、使えるものは何でも使います。」
 しかし、ユベロはそれをあっさりと否定する。ユベロは魔道書の数ページを使って闇のオーブを包み込んだ。
 闇のオーブからもれる闇の強さが格段に減ったことをユベロは感じた。ユベロはそのままオーブを持ち上げる。
「く、これでも辛いことは辛いですが……何とか持てそうですね。」
 一度、闇のオーブを床に置き直す。この状態でも持ち続けているのは辛かった。
「後は、動ける全員で残りの目的を果たしましょう。ファルシオンとエリス殿下を探すのです。」
 とユベロは全員に言う。すると、マリクがガーネフが背にしていた祭壇へ向かった。
「まずはここからです。」
 マリクが祭壇の前に立つ。祭壇と言っても方形の石が決まった大きさに並べられているだけの、見た目は質素なものだ。ガーネフが宗教的意図を持って祭壇を作ったとはあまり考えられないから、それは祭壇に見えるだけで、実は違うものなのかもしれない。
 隙間無く敷き詰められた石の中央にはあからさまに石棺が置かれている。こちらも表面は何の装飾も無く全くの平面だ。
「今まで戦って来た中で怪しそうなところはなかったし、どう考えてもこれが怪しいわな。」
 と、クラインも進み出る。
「蓋を開けます。手伝ってください。」
 オグマとクラインがそれぞれ両端を持ち蓋を開けていく。一枚岩で作られた棺の蓋は重く、数人がかりで開けるのがやっとだった。光が差し、中が明らかになるにつれて、マリクが震えだす。
「あ、あ、エリス様。」
 棺の中には剣を持った女性が丁寧に安置されていた。外から見た印象とは異なり、全面に敷布が引かれその体を保護している。女性が纏っている装束も宮廷内の舞踏会で披露するような立派なものだ。
 その女性の顔色は白く見た目にも息をしているようには見えなかった。見た目には別段やせ細っているわけでもなく、普通に眠っているように見えるが、血の気がなく、全身が微動だにしていない。
 マリクは棺の縁に手を付き、じっと女性を見つめていた。そのマリクの姿は、いつもの冷静な彼からは想像もつかないほどであった。手が震え、どこを見ているのか視線すら虚ろである。
「……亡くなられているのですか。それにしては、綺麗……。」
 オグマはそう言いかけて息を呑んだ。肌に赤みが戻ってきている。これはどういうからくりだろうか。
「マリク!」
 マリクもその様子を驚いてみていたが、オグマの呼びかけに我に返った。女性の口元に顔を寄せる。その女性は確かに息をしていた。
 唐突に女性が目を覚ました。
「あなたは……どなた?」
 女性は確かにそう言った。
「エリス様、お忘れですか。マリクです。お助けに参りました。」
 マリクは涙ながらに言う。
「マリク……マリク?……。随分と大きくなって……、私は……?」
 混乱の最中にあるエリスをマリクは棺から起こし抱きしめた。その無事を涙を流しながら実感していた。マリクがアリティアからカダインへ留学して以降、二人は会っていない。マリクにしてみれば六、七年振りの再会であった。
「これがファルシオンか?」
 一方、クラインは、エリスと同じ棺の中に安置されていた剣を手に取った。刃渡りは一般的なロングソードよりやや長め、しかし大陸の剣としては珍しいことに片刃で、やや湾曲している。
「くっ、重い。」
 何気なく手に取ったクラインであったが、剣は想像したよりも五倍くらいは重かった。よろめきかけたクラインであったが、なんとか踏ん張り、剣を見直す。この重さではとてもではないが使いこなせるとは思わなかった。
 マリクはエリスの手を取り、起きるのを支えた。エリスは何とか混乱から立ち直り、マリクのことを理解したようであった。しかし、ユベロのことが紹介されるとマリクの時以上に驚いた。エリスの記憶の中にあるユベロは、まだ十歳にも満たない時分の気弱な姿のみである。
 エリスの体調を心配するマリクではあったが、エリス自身はそれほど問題はないようであった。
「マリク、これがファルシオンで間違いないのか?とてつもなく重いぞ!」
 落ち着いたと見たクラインが脂汗をかきながら、マリクに怒鳴る。魔道士達が何事かとクラインを見やった。
「クラインさん、それが間違いなく聖剣ファルシオンです。ファルシオンは、アリティア王家の嫡流以外の人が扱おうとすると、重量を増して使い物にならなくさせるのです。」
 と、マリクが言う。
「げっ、アリティアの王子にしか使えないって、そんな意味だったのか。これは無理だ。」
 クラインはやっとのことで剣を床に置いた。置かれた剣の周りに皆が集まる。
「この剣にも光の魔力が篭っていますね。闇のオーブの干渉が激しく、かすかにしか感じ取れませんが。」
 とユベロが言う。
「……こんなのどうやって持って帰るんだ?」
 とクライン。
「固定した状態で持ち上げなければ重くはなりませんので、紐などで縛り、その紐を持って持っていけばよいです。」
「そんなのでいいのか。」
 また、クラインは呆れた。要は、他の人に簡単に使えないようにできているのだという。
「……よくわからない理屈だな。その剣は竜にしか有効に効かないのだろう?人に対しては普通の剣と同じ……いや、形が変わっていて使いにくい分、普通の剣よりも劣るはずだ。なんでまたそんな厄介な制限が付けられているんだ?」
 その問いにある程度答えられるのは、この場ではユベロだけであった。
 ファルシオンを作り出し、与えたのはおそらくガトー。ガトーもまた竜の生き残りなのだから、因果が巡って自分達にその剣が振るわれることを恐れたのだろう。
「人の考えの外にある存在のしたこと。考えても仕方がないでしょう。」
 と、ユベロは嘯いた。あえて波風を立てる必要もない。
「さて、目的は達成した。帰還するぞ。」
 クラインの号令で、一行は祭壇を後にした。階段の下の広間で、全員の確認を取る。突撃隊のメンバーは半数近くまで数を減らしていた。クラインの元の剣士達も二人が失われていた。選りすぐりの精鋭をもって挑んだこれであることに、クラインは驚愕せざるを得なかった。
 修道士二人は守りに徹していて、失われていなかったことは幸いだった。塔を降りることなく、直接オアシスへワープして戻る。エリスからはじめ無事全員が帰還した。同じ手順でオレルアンの辺境に位置する支援基地へ無事帰還した。
 みな、被害の大きさに驚愕していた。ガーネフを打ち倒したことよりも、そのことに対する驚きの方が大きかった。
 既に落ち着いているユベロはすぐさま伝令を出す。一人はオレルアン、レフカンディ経由でマチスが待つノルダの野営地へ。もう一方は自ら闇のオーブを携えて、マケドニア王城へ。
 王城へ付いたユベロは、全てをおいて闇のオーブを保管した。光のオーブと共に置くことで、ようやく闇のオーブはオーブとしての輪郭を現していた。それまで、オーブは闇に包まれていて、ろくに姿を見ることすらできなかったのだ。
 ミシェイルにはユベロ自らが謁見し、作戦の成功を伝えた。今頃は、マチスへも話が伝わっているはずであると。
 次はユベロがマチスからの吉報を待つ番であった。

 その日の夕方、エルレーンは再びリンダの様子を見に営巣へと足を運んだ。格子の外から見るとエルレーンが貸した本はすぐ側に綺麗に積まれていた。
「なんだ読んでないのか。」
 ベッドに寄りかかり、目を閉じている。眠っているのかとも思ったが、返事があった。
「それくらい。もう読み終わったよ。大した内容じゃなかったじゃないか。」
 そんなはずはない。魔道書は確かに極端に上級者向けではないが、たやすく読みこなせるような物でもない。エルレーンは試しに、二つ、三つと本の内容について確認してみたが、いずれも正しい答えが返ってきていた。
「お前……それほどの知識を持っていながらなぜごろつきの真似事などしていたのだ。どこかの国に仕えれば安定して暮らしていけるだろう。」
 リンダはエルレーンと顔を合わせようとしなかった。
「私の仕える国なんてない。滅ぼしたのはあんたらだろう?ニーナ様以外の人に仕えるなんて今更ごめんだね。一体、親父も何がしたくて私を逃がしたんだか。辛い思いをしただけじゃないか。」
 かたくなになっているのは、奴隷商人などにひどい目に合わされてきたせいもあるのだろう。ほかに道を選ばなかったのも、そこにしか道がなかったこともあるのだろう。
 予定がうまくいけばマケドニア軍は早晩アカネイアパレスを攻める。その前にリンダをこのような形だが保護することができたのはただエルレーンが居合わせた偶然なのか、マケドニア軍がパレスを攻撃しようとしたことによる必然であるのか。
「リンダ、君は自分に境遇を変える力を持ちながらそうしなかった。だから今ここにいるのは君自身の責任だ。しかし……世の中は二、三日経てば状況が一変している場合も時としてある。それを楽しみに待つといいだろう。」
「ん?何をわけのわからねぇこと言ってんだ?」
 リンダは始めてエルレーンの方へ向き直った。リンダにはわかるわけもない。エルレーンの頬が知らずと緩む。
「運がよければわかることもあるだろう。それまではおとなしくしていなさい。」
 エルレーンは思わせぶりな事を言いつつ、幕舎を去った。しかし、エルレーンもまた、マケドニアがアカネイアのニーナ王女を密かに保護しているということを、この時は知っているわけではなかった。
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