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FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
二十八章 転回
一人の魔道士がワープの魔法を使って訪ねて来たと聞いたとき、マチスの緊張は最高潮に達した。まるで今にも激突が始まりそうな戦場を目の前にしているかのようであった。知らせを聞き、エルレーンもあわてて幕舎へ駆けつけた。
マチスは心を落ち着かせ、使者を幕舎へ招き入れた。
「報告します。本日、ユベロ殿の特別攻撃隊はテーベの塔を襲撃し、ガーネフを討ち果たしました。作戦は成功です。」
使者が興奮気味にそう伝えると、マチスは思わず膝を叩いていた。
「よろしい、ご苦労でした。そちらには席を設けてありますので、どうぞゆっくり休んでください。」
報告を聞くや否や、マチスはすぐに動き出した。
「エルレーン、作戦の準備をします。まずは大隊長クラスの士官を会合用の幕舎へ集めてください。決行の日時は明後日未明です。」
「はい。」
喜色満面なマチスからは次々と指示が飛んだ。報告に来た魔道士はすぐに衛士へ任せた。エルレーンへ指示するだけでなく、自らも準備のために動く。一時間後には、各大隊長を集めた全体の会議が開かれ、部隊の真の目的が告知された。マチスは大隊レベルでの指示を次々と伝えた。
今回は大部分が軽歩兵という編成となっているが、アカネイアパレスの場内に突入するのも主に軽歩兵を主力とする部隊である。それを直接的にサポートするのがエルレーンの部隊。マチスは今回の作戦に関しては基本的に後方で全体を把握統率する。場内に入った後の指揮はほぼエルレーン任せである。
ただ、マチス直轄のクライン隊メンバーもクラインがガーネフ討伐へ引き連れていった数人を除いてマチスの方にいる。この部隊は、守備的役割よりも攻撃的役割を得意とする部隊だ。この部隊は戦闘に先駆けてパレスに潜み、内側から部隊を誘導する手はずになっている。その後は攻撃本隊と合流し、斬り込み隊的な役割をすることになっていた。
今回の作戦にあたって、マチスはミシェイルより五本のドラゴンキラーを受け取った。アカネイアパレスにはショーゼンという竜人が統括しているから、戦闘となればこれと戦うことになるのは避けられないだろう。それでなくともアカネイアパレスはドルーア帝国にとって一番の要となる場所だ。平時だとしてもそれなりの警戒態勢が取られていておかしくはない。ドラゴンキラーはクライン配下の腕利きの者に貸し与えられた。
城内に突入するのは率いてきている部隊の内、三割程度である。その他の部隊は大隊規模から中隊規模に分裂し、周辺の各拠点を制圧する。
アカネイアパレスの城下町は、商業、市場が発達しているノルダをはじめとして無数の小さな衛星都市で形成されている。そしてパレスの機能はそれらに巧妙に分散されている。それらを抑えておかなければ城内に入った部隊が挟撃されてしまうだろう。
特に、騎馬隊の基地である厩や、グルニアから移動したのであろう遠距離攻撃兵器の基地などは制圧しておかなければ危険である。マチスは、この部隊の割り振りをあらかじめ決めていた通りに伝えていく。この段階での作戦の齟齬は全く発生しなかった。
翌朝、夜半過ぎには最低限の宿営を保持できるだけの人数を残して全軍が出撃することが各大隊長から伝えられた。みな、何事かと色めき立ったが、ガーネフの死亡が伏せられているこの状況で、正確に予測できた者はいなかった。
午前中に出撃の準備を済ませ、夕方はかなり早い時間から睡眠を取る。皆が起こされたのは真夜中であった。
「これから、アカネイアパレスを攻撃します!」
全軍を前にして、マチスは力強くそう宣言した。一瞬でどよめきが広がる。ドルーア帝国に歯向かえるのか、皆不安は大きかった。
「静まれ!」
大隊長クラスの士官がそれぞれ部隊を治めようとしたが、なかなか動揺は治まらい。
「みなさん、よく聞いてください!」
マチスが再び言うと、さすがに皆静かになった。マチスは続けた。
「この時間に出撃して、アカネイアパレスを攻撃します。アカネイアのドルーア軍は我々が襲撃してくるとは考えていません。ここで、アカネイアを落とし、全アカネイアを人の手に取り戻します。必ずうまく行きます。ですから力を貸してください。」
兵士達から歓声が上がった。敵がドルーア軍でも関係ないと、皆が言う。マチスがうまく行くと断言するときは、うまく行くのだ。そのような印象が既にマケドニア軍には刷り込まれていた。士気は大いに上がった。
グラでの敗戦の知らせは、マチスの人気を落とす要因にはそれほどなっていなかった。ガーネフの奇襲によってグラでの戦いに敗れたことは事実であったが、オレルアンでの突発的な武装蜂起を予測し防いだのもまたマチスであったからだ。そのマチスが必ずと言っているのだから、間違いがあるはずはない。
マチスは二つ、三つ、事務的な注意を述べる。その後、直ちに全軍を出立させた。奇襲の用意に掛けることができる時間は少ない。
司令部も全軍にしたがって移動を開始する。司令部にいるのはマチス、エルレーン、マチスとエルレーンの幕僚、そしてエリエスである。
最初、マチスはエリエスを随行させるつもりはなかったのだが、エリエス本人の強い希望があり許可しないわけにはいかなかった。そのエリエスが馬上から話しかける。
「マチス様が、あのような言い方をされるのは……珍しいですね。」
「エリエス……すまないな。眠くはないか。」
「大丈夫ですよ。子供じゃないんですから。」
やはりマチスはエリエスをあまり戦場へ連れて行きたくはない。その無意識の感情が心配となってついつい口から出てしまう。もう、エリエスもなれたものであるから、ほとんど取り合わない。
「それよりも、先ほどの演説です。今回の作戦は自信があるのですか。」
「演説……と言うほどのものではないよ。あれは、ああ言えば兵士達の士気が上がるからそれを計算して言っている部分が多い。今回はいつもと勝手が違うからね。まあ、うまく行ったようでよかったよ。」
エリエスは戸惑った。マチスにしては珍しい言い方である。
「それと、自信がない戦いは最初からしない。それは将にも、兵にも、国にも、そして自分にも害悪しかもたらさないよ。」
「それはそうでしょうけど……。」
エリエスの頭にも、半年ほど前のグラでの敗戦の記憶があった。自分が戦ったわけではないが、あれほど命を削られる出来事は初めてだった。
「あまりいい感じはしませんね。人の感情まで利用して戦いに勝とうとするのは。」
エリエスも、そのあたりのもやもやした感情がつい口からこぼれてしまう。
「……そうだね。しかし、戦争だからね。失敗すれば命がなくなる。命がなくなってしまえば利用されたと悔しがることもできないんだ。必要があれば戦いが終わってからいくらでも謝るし、必要なことはするだろう。それでも、戦いが始まってしまえば勝つことでしか道は開けない。最低限生き残らないとね。」
マチスは相槌を打ちつつも、自分の考えははっきりと言う。エリエスと話をしているとこのようなやりとりが多くなる。
やはりマチス様はいろいろと考えていると、エリエスは思う。そして、こんな時でもそんなマチスと話ができることがエリエスには楽しいだ。
人里近いとはいえ、既に大部分が寝静まっている時間。粛々と進む軍隊を、見かけた人は驚きはしていたが、騒ぎになるようなことはなかった。ドルーア支配下にあるアカネイアの住民は、マケドニア軍が友軍であることを、未だ疑っていない。夜中に移動していることをおかしいと思う人はいても、わざわざドルーアの兵士に知らせる者も居ない。そもそも民衆にとっては、アカネイアをドルーアが支配しようが、マケドニアが支配しようが関知できることではない。実際には、マケドニア統治の方がだいぶましなのだろうが、ほとんどの民衆はそういったことすら知らない。
それよりも、下手に反応してとばっちりを受けてはたまらない。軍隊とは基本的に荒っぽい者の集まりなのだ。
順調に進んでしまえば、ノルダの居留地からアカネイアパレスは近い。二人で話しながらも一軍は一刻程度で目的地点に到着する。
最初の目的地はアカネイアパレスの入り口だった。アカネイアパレスは周囲を山に囲まれた盆地に位置しており、その入り口は谷となっている一箇所しかない。アカネイアと呼ばれる町は、その山地の内外に存在しており、ノルダの町は外側に存在する。ノルダの町はアカネイアの経済的な中心だが、軍事的な各拠点は大体が山脈の内側に存在している。
各隊はこの地点から別行動し、各目標地点を目指す。
「それではエルレーン、頼みましたよ。」
「はい。」
エルレーンの率いる攻撃本隊も、ここから先行することになる。マチスの部隊は後から続く。
まず、本隊が先発する。各拠点への攻撃よりもパレスへの攻撃を先に開始するためだ。次にマチスの本隊が続く。時間を置いて、他の各部隊も散っていった。
そのころになると、周辺で騒ぎも大きくなってきていた。パレスへ向かう大通りを、軍隊が大挙して移動すれば目に付きもする。しかし、アカネイアパレスの城門は真夜中にも関わらず大きく開け放たれていた。クライン隊の者が城門を占拠しているのである。
「突撃!」
それを確認したエルレーンは高らかに突撃の号令を下した。
エルレーンは今回の攻撃に対して、部下として付けられた三個大隊には明確に方針を示してはいない。ともかく玉座を制圧し、アカネイアパレスを全て制圧することが今回の目的だと、それしか伝えていない。
城内戦で規模の大きい軍を扱うのであれば下手に統制を取ろうとしても無駄である。めいめいに攻撃を行わせ、その積み重ねが目的の達成に繋がる。各大隊長にもそのように考えて欲しいとエルレーンは伝えていた。
とは言っても、連携を打ち合わせないのであれば、どうしても戦術的に密なところと疎なところが現れてしまう。そこで、疎になっている箇所のフォローをクライン部隊の者がすることになっている。それぞれの隊に属しておらず、フットワークが軽いクライン隊には適当な役どころである。
パレスの制圧は順調であった。寝静まっているところを急襲したため、最初に当たる敵の戦力は寝ずの番をしていたわずかな兵ばかり。城内で待機していた兵達は、ろくに対応ができずマケドニア兵に武装解除されていった。
「騒がしくはありませんか。」
奇妙な喧騒を感じて、ミディアは目を覚ました。そこは、アカネイアパレスの地下牢。広大な地下牢のその一角には、元々アカネイア軍で高い地位にある者で、ドルーアに従おうとしなかった人たちが幽閉されていた。
ミディアは女性ながら聖騎士の地位にあり、アカネイア五侯爵家の一つであるディール侯ゆかりの人物でもある。アドリア峠へ落ち延びた後も、最後までドルーアに対して抵抗を続けていた人物の内の一人だ。
そんな時分に幽閉されたから、もはやそれからどれほど時が経っているかなど、想像しようもなかった。あまりにも長い間、幽閉され続けており、もう自由になることなどないのだろうと考えていた。
いや、自由になる方法は一つだけある。ドルーアに従うと首を縦に振ればよいのだ。それだけはできない相談だったが。そうでなければ首を撥ねられるか、朽ち果てるかのどちらかだ。
同じく近くに投獄されていたボア司祭は、長年の獄中生活が祟り病に罹って亡くなってしまった。高齢であったから無理もないことではあったが、何もできない自分が歯がゆかった。
ドルーアは、彼女達を屈服させて武威を見せ付けること、最良のタイミングで彼女達を処刑し民衆の反抗心を削ぐ事。この二つの目的の為に彼女達を幽閉し続けていた。
「ミディアさん、起きているんですか?」
返事が返ってきた。近くから大きないびきが聞こえていたため、誰も起きていないものだと考えていた。返事は反対側の牢から聞こえていた。
「トーマスさんこそ。」
「あいつらのいびきがうるさ過ぎて眠れやしませんよ。」
男の声がする。男の名はトーマス。ミディアの部下で弓の使い手だ。彼もミディアと同じタイミングで捕虜になり、ここにいる。
「トムスさん達のいびきはともかくとして、上のほうから何か聞こえませんか?」
言われてからややトーマスは耳を澄ます。
「……そう言われてみればなんとなく騒がしい気がしますね。何かあったのでしょうか?」
地上の音はこの広大な地下牢へはほとんど届かない。しかし、確かに何か鬨の声のようなものが時々聞こえてくる。時間が時間であるから、何か戦いのようなことが起きていることは間違いない。
「攻撃を受けているのでしょうか。しかし、どこに?」
「……誰か、反乱でも起こしましたかね。」
不可解だった。虜囚となってからこのかた、そのようなことは一度もなかった。何よりも、大陸はドルーア同盟によって統一され、以降勢力の移動は起きていないと考えていた。
牢の中にいた彼らには、ドルーア同盟が大陸を統一したことは知らされていたが、それ以降、ガーネフが離反したことなどは知らされていなかった。
「でも、これでうまくすると外に出れるかもしれませんよ?」
と、トーマスは言う。
「お気楽ですね。処刑されることになるかもしれないとは考えないのですか。」
「そんなこと言ってもどうしようもなりませんよ。今、生きてるのも不思議なんだから、助かったらめっけものくらいに思っておきますわ。」
長年、閉じ込められていれば神経も図太くなろうものである。近頃はこうして壁越しに話すこともなくなっていたが、二人は久しぶりに話し込むこととなった。
アカネイアパレス側は混乱の極致にあった。ショーゼンは眠っていたところをたたき起こされ、非常に不機嫌な状態で玉座に座った。
彼らは最初、どこの軍隊が攻めてきたのかすらわからなかった。城下の営舎に連絡を取ろうとしても送り出した者はことごとく帰ってこなかった。敵がマケドニアの軍勢であると判明したのは夜が明けてからで、そのころにはすでに城内に深々と入り込まれてしまっていた。
「広間に配置していた魔竜はどうしたのだ。」
「……それが、展開する前に広間を制圧されてしまいまして。」
状況は考えられる限り最悪だった。城内の兵は混乱している。城外の兵とは連絡が付かない。挙句、玉座の周りの守りすら全くあてにできない状態だった。戦いの音は、すでに玉座まで響いてきている。
「ミシェイルめ……見事に我々の寝首を掻きおって……。貴様らもとっとと敵を迎え撃たんか。わしはここで準備する。」
ショーゼンが戦いの準備をすると言ったことが意味することは一つである。巻き込まれることを恐れ、皆、一斉に玉座の間を出て行った。ショーゼンはそれを苦虫を噛み潰したような面持ちで玉座から見送っていた。
時刻は夜明けをしばらく過ぎていたが、城内で指揮していたエルレーンは夜が明けたことにしばらく気が付かなかった。作戦は順調に推移している。先ほどは宝物庫を制圧したという報告があった。危惧された竜の来襲も報告されていない。奇襲の初期段階が滞りなく推移したことが現在の有利な状況を生んでいた。
「このまま何もなければよいが。」
エルレーンは順調であることに安堵してはいたが、緊張は解かない。とは言うものの、パレスの全域はすでにマケドニア軍に占拠されつつある。特に、アカネイア兵はドルーア帝国に無理やり従わされていた者も多く、ほとんどのものは戦意を持たず武装解除に応じた。激しく抵抗しているのはドルーア帝国子飼いの部隊のみである。
衆寡敵せず。アカネイアパレスの中心部にして最奥部にある玉座の間の入り口で抵抗していた敵部隊であったが、抵抗していた者は全て戦闘能力を失った。後は玉座の間を残すのみである。
しかし、ドルーア軍はなぜ玉座の間の中でなく、守りにくい手前に散開していたのか。それは、玉座の間を覗き込めば一目瞭然であった。
玉座の間はかなり広いにもかかわらず、人影が見られない。壮麗な玉座の間も、人がいないとなるとなんとも寂しく見えるから不思議だ。しかし、豪華であったであろう玉座は、ひしゃげ、潰れ、遠目にはそれがあったのかどうかすら判断付かない。奥からは低い呼気が聞こえてくる。そこに居るものは、皆、その存在を実際に目にするのは初めてであった。巨大な真っ赤な体躯に喉の奥から見える炎の煌き。竜の姿を目の当たりにして、兵士達は進退を決めかねていた。
いちか、ばちか、剣士たちが突撃しようと決めかけていたところへ、エルレーンが現れた。状況がエルレーンへ伝達された。
玉座に居座っている竜は、おそらくショーゼンだろう。外見的特徴から判断するに、エルレーンの知識にある限りでは、火竜であるはずだ。ならば、ドラゴンキラーも有効だろうが、ブリザーの魔法も有効だろう。
問題は、玉座の間の入り口から玉座までの距離であった。玉座の間は玉座までさえぎるところが無く、エルレーンの居場所から玉座の間へ入ることができる入り口も、今居る場所の他はない。一応、左右の端には等間隔で柱が縦に並んでいるので、これを利用することができるが、どちらにしろ突入するのはかなり危険だ。剣はもちろん、入り口から魔法を放とうとしても察知されて炎を吐かれればちょっとしたやけど程度ですむはずがない。
「私が囮になりましょうか?接近することは難しいでしょうが、炎を吐かれる前に柱の影に隠れることはできると思いますが。」
クライン隊の内、ドラゴンキラーを任せられている一人がそういった。エルレーンは軽く首を振る。
「突入するのは少し待て。あれは冷気に弱いはずだ。まず、魔道士とブリザーの魔道書を集めてくれ。」
と、エルレーンは指示を出す。竜は時分からは動く気はないのか、不気味な呼吸音が聞こえてくるばかりである。作戦に参加していた魔道士達はすぐに駆けつけた。エルレーンは集まったメンバーを見渡す。
「……全員揃っているな。」
魔道士は突入を開始したときから数を減らしてはいなかった。作戦に参加している二十人あまりの魔道士がそこに揃っている。グルニアへの派遣や、ガーネフ討伐で数を取られてしまっているが、狙ったことを行うには十分な数であると判断した。
「よいか。ここからブリザーの魔法で玉座の間を凍らせていく。竜の正面には立つな。炎のブレスが直撃したらひとたまりもない。」
エルレーンは玉座の間の入り口を示す。
「正面は敵の竜の射程内だ。魔法は真正面から撃たずに斜めに左右の壁を狙え。竜に魔法が当たらなくとも構わん。部屋そのものを凍らせることが目的だ。」
次に、剣士に指示が行く。
「ブリザーを撃てば周囲には霧が発生するだろう。剣士はその隙に乗じて突入してくれ。左右、均等にだ。剣士はそのまま隙があれば竜へ攻撃してくれ。視界の悪化が確認できたら魔道士達も突入し、竜にブリザーの魔法を放ってくれ。ブリザーの魔法は正確に狙わなくてもいい。ある程度でたらめに撃つから、剣士もそのつもりで気をつけてくれ。」
「後ろからの攻撃も避けろってんですか。やりますけど。」
剣士達は憎まれ口を叩きながらも突入の準備を行った。それを確認すると、エルレーンも魔道士達を入り口の左右に散らせる。
「よし、やってくれ。」
エルレーンの合図と共に魔道士達は一斉に詠唱を始めた。次々にブリザーの魔法が放たれ左右の壁に当たって砕け散る。それだけで玉座の間にはもうもうたる白煙が立ち込めた。豪奢な装飾が施された壁面が白一色に染め上がる。めいめいにタイミングを計った剣士が飛び込み、左右の壁に隠れた。
「魔道士も突入しブリザーを放て。連携は気にしなくて言い。」
エルレーンが怒鳴る。状況の変化を察知した竜が咆哮した。先に飛び出した剣士からは、大きく開いた喉の奥に炎のきらめきが見えた。
「くるな!竜が炎を吐くぞ!」
先行していた剣士がどなったかと思うや否や、その口から大きな炎が吐き出された。周囲を凍らせていた冷気はあっという間に蒸発し、さらに周囲の状況を不鮮明にする。既に突入してしまい、逃げ遅れた魔道士が一人、絶叫と共に立ったまま灰になり崩れていった。
炎が吐き出されている間にも壁伝いを慎重に前進していた兵士が、玉座にたどり着き竜へ斬りかかる。剣士の持つドラゴンキラーはたやすく竜の皮膚を切り裂いた。竜が大きく叫び、剣士を踏み潰そうとする。それを剣士が避けた隙を、反対側から別の剣士が斬りかかる。大量の返り血が飛び散り、床を赤く染めた。
「魔道士隊、再び突入しろ。」
エルレーンの号令により、再び魔道士達は狭い入り口からばらばらと突入した。中に入り込んだ魔道士たちが次々とブリザーの魔法を竜に向かって放つ。特に狙いを定めなくとも、巨大な竜の体へ魔法を当てることは容易だった。ここまで来れば勝利は疑いない。竜は次の炎をはくこともできず、もだえ苦しむ。また剣士の一閃が竜の腹をとらえた。たまらずに竜は崩れ落ちる。竜はそのまま縮み、小さな老人へと姿を変えて行った。
「……メディウス……へい……。」
最後の言葉は皇帝への謝罪の言葉だっただろうか。そのまま竜は事切れた。
「やった……やったぞ!」
誰が、そう叫んだかはわからない。その言葉は皆に竜を倒したことを実感させた。たちまちの内に歓声が伝わった。
「竜を倒せたぞ。」
「ドルーアに勝ったぞ!」
様子を窺っていた兵士達が口々に喜びを口にする。エルレーンは玉座に近寄り、しばらくショーゼンの亡骸を見つめていた。それは強大な竜であった面影はどこにも無く、萎びた老人が前のめりに倒れているだけである。ただ、周辺に散らばった竜の血痕が、その名残を止めているのみであった。
マチス自身は、戦いの全容を把握するために場内へ突入することは無く、城門付近で陣を敷き各所からの報告に対応していた。陣は重装歩兵の一隊で守備していたが、戦闘らしい戦闘は全く発生していない。
各隊の制圧状況は予想以上に順調であった。アカネイアの末端兵士達の士気がここまで低いことがマチスにとってはかなりの想定外だった。現状では、これほど兵を引き連れずとも、半数程度で完全に制圧できてしまうのではないかと思うほどであった。
しかし、城外の各施設の制圧状況とは裏腹に、城内の状況はほとんど伝わってこなかった。本来であれば、城内の制圧にはまだまだ時間が掛かる見積もりであったのだが、城外の各施設の制圧が予想以上に迅速に行われたために、随分と待たされている気がする。一応、散発的に来る報告を聞く限りでは順調そうであった。
そのまま、城内の制圧が完了しないまま夜が明け、マチスの方でも多忙な時間が始まる。まず、アカネイア城下にマケドニア軍が占領したことを認識させなければならない。城内の決着が付く前から、しばらくの間は軍政を敷くことを各所に通知した。軍政の期間は当面は未定である。
このことを予定していたマチスは、いろいろと手は打っていたのだが、実際に行動を開始すればやることは山ほどある。各施設の監視、各門の監視、市場の統制、治安維持など、マチスのもとへはひっきりなしに面会があり、休む暇も無く、戦況を気にすることもできなくなっていた。
ショーゼンを討ち取ったという一報が入ったのは、かなり日が高くなった頃である。本陣で知らせが発表された瞬間、味方からは歓声が上がったが、すでにマチスはそれどころではなくなっていた。すぐに国内各所へ伝令を走らせる。エルレーンには続けて城内の調査と捕虜の管理を依頼した。エルレーンは魔道士隊を率いて任務にあたった。
正午、マチスはマケドニア軍の名前を使い、アカネイアパレスとその周辺をマケドニア軍の統治下へ置くことを発表した。アカネイアパレス市民の反応はそれほど激しいものはなかった。マケドニアを素直に受け入れていたわけではない。すでに平民はドルーアとドルーアの支配下に入ったアカネイアの官僚によって反応する気力すら奪われていたのである。
このため、各地の民衆に対する対応は順調であった。むしろ、難民の保護をする必要が予測以上にあり、レフカンディとオレルアンへ追加物資の要求を出さなければならないところだった。知らせを受けて本国が動き始めるのは翌日以降になるだろうから、その日のうちにやっておくべきことはやっておきたかった。
そんな最中、エルレーンが一人の女性を伴ってマチスの本陣へ現れた。その女性は、おそらくは秀麗な容姿だったのだろうが、かなりやせ細っており見るものの同情を誘わずにはいられない。しかし、その手首は縄で縛られており、その女性が虜囚であることがわかる。もっとも、別段拘束するようなことがなくともその女性が逃げ切れるようには見えなかった。
「閣下、捕虜となっていたアカネイア騎士団の代表者を連れて参りました。」
「アカネイア騎士団……。」
マチスもクライン配下の密偵から話を聞いたことがある。ドルーアに捕虜として捕らえられていたアカネイア軍の者であろう。見た目からも、まともな待遇がなされているとは思えなかった。
その女性が一歩前に出る。
「アカネイア騎士団のミディアです。私は、現存するアカネイア騎士団全員の解放をお願いするために参りました。どうか、寛大な措置をお願い申し上げます。」
とその痩せ細った体から出ているとは思えないほどはっきりとした声を聞かせると、深々と頭を下げた。
マチスは、思わずエルレーンを見てしまう。
「すいません。この方が、とにかく責任者に会わせろの一点張りだったもので。」
「城内の責任者はあなたでしょう……しかたがないですね。」
マチスは視線を女性へ移す。目の前の女性はアカネイアが滅亡する前はアカネイアの女性聖騎士として軍にマスコット的な取り扱いをされていた人物だとマチスは理解していた。年月が経ち、痩せ細っていても見ただけで相当な美人であることが見て取れる。どのような人物かは、王家に対する深い忠誠心を持っているという程度しかマチスは知らされていない。その言葉からはよほどまっすぐな人物であることが伺えた。
しかし、マチスの応対は決まっている。
「ミディア殿。大体の説明はエルレーンからあったと思いますが……。あなた方、アカネイア軍の何人かがパレスの牢に幽閉されていたことは私も知っています。しかし、申し訳ありませんが、こちらにも事情がありましてあなた方を自由にするわけにはいきません。」
「理由は明かせないのですか。魔道士殿に尋ねても、機密であるとしか答えてくれない。」
「……マケドニアは今回のアカネイアパレス攻撃を以ってドルーア帝国との同盟を破棄することがすでに決定しています。しかし、これは直にアカネイアとの和睦を意味するわけではありません。まず、理由の一つはあなた方が祭り上げられ、マケドニアに反旗を翻す可能性があると言うこと。」
「それは、捕らえられていた者によく言い聞かせて、そのようなことがないようにする。問題があるなら、私は捕らえられたままでも構わない。」
ミディアの言葉は真っ直ぐである。マチスは以前、このような人と会ったことがあると考え、頭に浮かんだのはミネルバの顔であった。純粋で、権謀術数などを意に介さないところは民衆にアピールするには絶好の材料なのだろう。しかし、長い間捕虜となっていたように、それだけで全てうまくいくとは限らない。
「ミディア殿。問題はそれほど小さくはありません。我々が次の行動に移るまでの間、アカネイアの状況が変化しては困るのです。あなた方は状況を変化させる可能性がある。ですから今、自由にさせるわけにはいきません。これは最初からの決定事項です。」
論調は穏やかであったがマチスは有無を言わせぬよう断定する。
「捕まっていた者の中には長い間の獄中生活で衰弱している者もいます。その人だけでも解放するわけにはいきませんか。」
マチスは再びエルレーンを見る。そのようなことも説明していなかったのだろうか。
「アカネイアの方々には地下牢からは出て頂きます。こちらで接収したアカネイア軍の兵舎に入ってもらいます。これは、投降した兵士達も同様です。健康を害している人がいましたらこちらでできるだけの看護はさせていただきますから心配には及びません。」
「しかし!」
ミディアはさらに何かを言おうとしているのをエルレーンが止めた。マチスにはどこに不満があるのかがわからない。エルレーンが寄ってきてマチスに耳打ちする。
「閣下、どうもミディア殿はマケドニアもドルーアと同様に信用できないのだと思います。私の方でも何を言っても聞きませんでしたから。」
マチスもようやく納得がいく。ドルーアと同じ扱いをされるのは心外だが、ミシェイルがアカネイアを信用していなかったことを考えるとどちらもどちらかとも思う。そういう問題であれば、話し続けることは無駄というものだろう。
「ともかく、マケドニアの決定としてあなた方を解放することはできません。変更はありませんので了承下さい。」
魔道士とマチスが何を話していたのか、ミディアからは見えなかったが、マチスからはこれ以上話す事は何もないという雰囲気が視線から伝わってきていた。ミディアは拳を堅く握り締めていた。
「エルレーン。」
「はい。」
「引き続き、よろしくお願いします。」
「はい。」
マチスは間が空いたところを見計らって話を打ち切った。ミディアはエルレーンに連れられて城へと戻っていったが、その間、一言も話す事はなかった。
「……私たちは侵略を行っているのですからこういうことはつき物ですが……慣れるものではありませんね。例え、一時的な物だったとしても。」
マチスは一人そう言うと、気分を入れ替えて気を引き締める。大分、時間を取られてしまっていた。すぐ、次の面会者を招く。まだまだ忙しさはなくなりそうになかった。
翌日、マチスは一つ大きな処断を行った。戦争初期にアカネイアを裏切りドルーアの官僚として私服を肥やしていた元サムスーフ侯爵ベントの処刑である。ガーネフがドルーアと袂を分かってから禄に統治することをしないドルーアについてアカネイアの民衆を苦しめる直接の原因となっていたのが、この元サムスーフ候ベントと元アドリア候ラングの二人であった。元々のアカネイアによる地方蔑視を推進していた原因でもあったため、ミシェイルからはアカネイアパレス侵攻前から二人を処刑するよう命じられていた。最初はそのような公開処刑には懐疑的だったマチスも、二人の所行を細かに聞いた上で納得した。この二人は民衆の目前で処刑されるべき人物だと判断したのである。
マケドニア軍はベントを捕まえることはできたが、ラングは既に逃げられた後であった。聞くところによると、ラングは自身の危険については恐ろしく鼻が利くのだという。
ともかく、その日の正午、ベントは公開処刑場の断頭台に上がり、首を転がすこととなった。マケドニアの占領に無関心だったアカネイアの民衆も、自分達を苦しめていた元凶の最後には興味があったらしく、処刑場の周りは鈴なりの人だかりだった。
ちょうど同じ頃、マケドニアの王都からは大陸中に向けてガーネフの敗死とアカネイアパレスの陥落、そしてドルーアとの同盟の破棄が発表された。発表後、ミシェイルは更に、次の段階の準備を始めた。すなわち、アカネイアのニーナ王女とグルニアのユベロ王子の帰還である。
アカネイアパレス陥落の知らせは、津波が押し寄せるように大陸各地へ伝わっていった。真っ先に知らせを受けたのはアカネイアの他の箇所に駐留しているドルーア軍である。マケドニアが発表するより早くこれらは各拠点へ伝わった。
しかし、それらの各軍はショーゼンを中心にまとまっていたため、独自に行動することができないでいた。それらの部隊の多くは、ドルーア本土へ伺いを立てることになった。アカネイアとドルーアは遠く離れている。これはそのままドルーア軍の硬直化を表していた。
特に、アカネイアパレスとレフカンディにはさまれたところに位置するドルーア軍は、マケドニア軍に包囲される形となり、身動きが取れなくなってしまっていた。
ドルーアには、アカネイアを十分に統治するだけの軍事力は元からなかった。前の戦争終結時に、マケドニアに過剰とも言えるほどの領土分割が行われたのも、そういった理由があったからだ。
アカネイアのドルーア軍は、もちろんショーゼンをはじめ領主クラスのポストはドルーアの者で占められていたのだが、少し階層が下になるアカネイアからドルーアへ寝返った中間領主層で主に構成されていた。このため、その配下であった兵士達は半ば強制的にそのままドルーアの兵士として使われ続けていた。
そのような境遇だから、当然ドルーアに対する忠誠心など持ち合わせておらず、こういった兵士達を今までつなぎとめていたのはただ恐怖心だけであった。
そのドルーアのしがらみがなくなった今、兵が我先に脱走するのはいわば当然の事態だった。各部隊からは、兵士の脱走が相次ぎ、場所によっては元々アカネイアの兵士だった者たちが集まり反乱したところもあった。
マケドニア軍はこれらの部隊を注視はしても手を出してはいなかった。しかし、そのままパレスの東側のドルーア軍からは脱走兵が相次ぎ、ほとんどが部隊としての意味を持たないまでに瓦解したことが確認された。
マチスもこのことは予測はしていた。しかし、瓦解する速さはマチスの予想以上であった。マチスの計画では、まずアカネイアパレスを占領した後、ニーナをパレスへ呼び戻すまでが準備段階であった。ニーナがパレスに健在であることを大々的に宣伝することでアカネイア一体を安定させるつもりであった。
ドルーアがアカネイアに展開している兵力を考えれば、準備が整うまでアカネイアパレスを守ることができるだけの用意はしてきていた。しかし、これはアカネイア中央部を守ることしか想定していない。
状況の変化に対応するため、マチスはレフカンディのハーマインに連絡を取り、レフカンディとアカネイアパレスの間の治安維持を命じた。
一方、パレスの北西側の各地に駐留していたドルーア軍でも、瓦解するようなことはなかったが、脱走兵は相次いでいた。兵士達は皆、パレスの方へ行けば自由になれると考えていた。この方面のドルーア軍も、他のドルーア軍と同様、命令系統の硬直化を起こしていた。
その中で、一人の剣士が行動を起こしていた。アストリア。アカネイア一の剣士と言われたその男がドルーア軍のたかだか一小隊の隊長でいたことには理由があった。しかし、アカネイアパレスがドルーアではない側の存在によって陥落したとき、その理由はなくなった。
アストリアは、アカネイアの平民の出身ながら、剣の腕だけでアカネイアに認められて今まで生きてきた男である。特にニーナの信頼が篤かったため、アストリアのニーナに対する忠誠心は異常とも取れるほどであった。
やがてその名声はニーナだけではなく、アカネイア中、大陸中へ知れ渡っていった。彼は、アカネイアの地下牢に捕らえられていた聖騎士ミディアと恋仲でもある。二人は外側から見れば美貌と武勲に秀でた組み合わせであったが、内面から見ればニーナを真っ直ぐに支える、いわば志を同じくする同士としての絆があった。
しかし、二人を別々に知る者は多くとも、二人の仲を知る者は少ない。二人が堂々と交際するころには既にアカネイアパレスは陥落しており、アカネイア軍としては辺境部でぎりぎりの抵抗をしているような段階だったからだ。
それは二人にとって幸いであったのか不幸であったのかはわからない。平時であれば、王族の恩寵が篤かったとしても、一介の剣士が貴族の娘と交際することには非常な困難が付きまとった。実際に、アカネイアにいたころはお互いにそれとなく気にしながらも、行動するようなことはできなかった。アカネイア王国とは、そういった場所だったのである。
ニーナはその話を聞いたとき、心から祝福した。
しかし結局、ミディアもアストリアも捕縛され、アカネイアの地下牢に幽閉されてしまった。そして、アストリアの武勇を知る者が他の捕虜を人質にし、ドルーアに協力することをアストリアへ強制させた。捕虜の中にはミディアもいる。アストリアはやむを得ずドルーアに協力することを了承した。
アストリアや捕まった者にとって腹立たしいことは、彼らを捕縛した者や、アストリアをドルーアに協力させるよう仕向けた者が、アカネイアからドルーアへ寝返った者達だったことだ。
ドルーアがアカネイアパレスへ侵攻した時、ドルーアへ寝返った貴族は少なくはなかった。ミシェイルや、ハーディンなどは前々から憂慮していたことだったが、当時のアカネイア上層部は政治的腐敗が大きな問題となっていた。アカネイア国王にはほとんど力がなく、ニーナはアカネイア王国の象徴として民衆や軍部に慕われてはいたが、こちらも上級の貴族に対する影響力はほとんど持っていなかった。
アカネイアには、国王直轄の中央領の周りに、五つの大きな侯爵領がある。アカネイアでは、公爵家は政治から遠ざかった国王の血縁にのみ与えら得る名誉的な爵位であったから、実質的にその五つの侯爵が各地方で最も力を持った存在だった。
彼らはアカネイア王国国内で利権を増大させることに余念はなかった。特に強引だったのがアドリア候ラングとサムスーフ候ベントで、メニディ候ノアとディール候シャロンがこれに対抗するような関係であった。もう一人、レフカンディ候カルタスは他と比べて比較的大きな軍事力を持っていたが、こちらはあまり中央へ関係することはなかった。
こういった各侯爵の利権主義は、アカネイアの外交に如実に影響した。アカネイアは各国に大使を常駐させていたが、その各国への干渉は非常に大きかった。ミシェイルがアカネイアに敵対することとなった直接の原因である。
ドルーア帝国は、アカネイア侵攻時には既にアドリア候ラングとサムスーフ候ベントの寝返りについて確約を得ていた。王家の中である程度の力を持ち、周囲を押さえ込んでいたアカネイア聖教会は、大司祭のミロアが暗殺されてしまい、混乱から回復することができなかった。メニディ侯ノアとディール候シャロンは乱戦の中で行方不明。カルタスは自領内にトラブルが発生し、アカネイアパレスでの戦いに駆けつけることができなかった。
ドルーアがアカネイアパレスを占領した後は、残ったアカネイア軍をラングとベントが再編成し、落ち延びたアカネイア王家と率先して戦ってきたのである。再編成といっても、それはラングとベントによる強制であった。
落ちた王国軍は、メニディ領に拠って戦いを続けたが、アリティアがグラの裏切りによって陥落すると前後を敵に挟まれる形になり、やがて最後まで残った王家のニーナによって降伏が選択された。主だった者は捕縛され、兵士達は強制的にドルーア軍へ吸収された。
以降、アカネイアに駐留しているドルーア軍は、そのほとんどが実際はアカネイアの兵士達である。ガーネフはその様子を見て、早々に使い物にならないと判断した。そのため、アリティアやパレスに駐留する重要な役割はグルニア軍が担当したし、オレルアン以北、以東の制圧はマケドニアに任された。
このため、アカネイアに配属されたドルーア軍はまともな戦いも経験していなければ、士気も著しく低い。マチスも、状況がここまでひどいとは考えていなかった。
しかし、ドルーア軍内部、アストリアから見ればこれは当然のことであった。ドルーアに味方すれば、それだけ自分たちの状況が悪化していくのに、誰が進んで協力などするだろうか。そんなことをするのはそうすることで利益を得る両侯爵だけだった。
ラング、ベントの専横は、ガーネフがドルーアを去ってからはより激しくなった。あの二人だけは取り除かなければならない。アストリアは常々そう考えていた。
四年前と状況に変化がなければ、ニーナはおそらく無事だろう。便りはないが、信じるほかはない。アストリアはニーナの潜伏場所は知らないから、状況を確認するためにはアカネイアパレスへ赴くより他はない。
混乱する周囲を尻目に、愛用の剣を手に取ると、アストリアは人知れず軍を後にした。