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FireEmblemマケドニア興隆記
 竜王戦争編
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二十九章 暁光

 マケドニアの発表をよそにカダインは沈黙を守ったままであった。しかし、これはカダインが秩序を持っていたと言うことを示す物ではなかった。
 カダインは既に内乱状態に陥っていた。マケドニアの発表後、カダインではすぐに事実確認のためテーベへ確認が行われた。その結果、テーベの惨状が伝えられ、ガーネフの生存もほぼ絶望的であることが知らされた。
 さらに悪いことに、ガーネフ配下の実力を持つ魔道士はあの襲撃の時点でほとんどがテーベの塔にいた。つまり残された魔道士には強い指導力を持つ者がいなかったのである。
 ガーネフのやり方に不満を持っていた魔道士達は、ここぞとばかりに反旗を翻したが、不満を持ちつつも具体的には行動を起こさなかったような者達だっただけに、そのやり方は稚拙だった。不満を持つ者が集まり、カダインを占拠しようと立ち上がったものの、集団の中で方針決定が全くできず、最初から空中分解しているような有様だった。
 かと言って、もう一方の親ガーネフ派も全くまとまっていなかった。ガーネフに自ら付いていた者達は、野心的な者が多く、集団となると足を引っ張り合う。結局は小集団同士で牽制を繰り返しているような状況となってしまっている。
 これらのいくつもの小集団が大小さまざまな諍いを繰り返し、そう広くはない砂漠の人工都市は混沌とした様を見せるようになってしまっていた。結局、最も賢かったのは、ガーネフの敗死と共にガーネフに見切りをつけ、カダインを脱出した者達だった。
 他の各国の中でマケドニアの発表にいち早く反応したのはグラだった。グラは今までガーネフに協力し、ガーネフに足りない実効支配力をグラの軍隊を提供することで補い、ガーネフに従属する関係でいながらも良い形の共存関係ができあがっていた。
 グラ国王のレギノスは前王のジオルから強引な方法で王位を奪ってはいたが、民衆の支持は非常に強かった。レギノス自身が決してジオルよりも優秀な君主とは言えないような人物であっても、状況が民衆を熱狂に導いた。
 レギノスは、まずドルーアからガーネフに鞍替えすることで、ドルーアに搾取されていた国内の情勢を幾分改善させた。ガーネフの取立てはドルーアほど厳しくはなかった。竜と言う種族的な権威を強く表に出していたドルーアの代官とは異なり、ガーネフは合理的な考えで自分が必要とする物資以上の物を徴発するようなことはなかった。レギノスは、かなり強引な方法でグラの軍事力を再建しようとしたが、ぎりぎりのところで民衆を捨てるようなことはなかった。
 何よりもグラの国民を熱狂させたのは、グラの兵によるアリティアの併合が実施されたことだった。ガーネフはカダインの魔道士を主力とする軍でドルーアが支配するアリティアを陥落させたが、その運営はグラに一任された。ガーネフ自身は政治的な力も強く身に着けていたが、配下の魔道士達にそれを要求することは難しいことであり、そうであればグラに任せようと言うのがガーネフの考えだった。
 無論、このことはガーネフがグラの国民性を利用しようとした側面もある。事実、実質的にアリティアを併合できたグラはよりガーネフとの結びつきを強固なものとした。ガーネフからしてみれば、アリティアとグラを抑えてしまえば、当面ドルーアから直接攻撃を受けるルートは潰れる。カダインとグラの同盟は、実際の軍事力の違いからカダインが主導で行われてはいたものの、グラにもかなりの利益があった関係だったのだ。
 その傘とも言うべきカダインが崩壊した今、ドルーアにむしりとられた軍事力を未だ回復していないグラが取る道は二つに一つだった。ドルーアと結ぶか、マケドニアと結ぶかである。
 しかし、ドルーアと結ぶことはどう考えてもできない。ドルーアに保護されることなどなく、より以上に搾取されるのが落ちである。それにグラは対抗するだけの力を持っていない。
 レギノスは直ぐにアカネイアパレスへ使者を送った。その使者は数日すると返信をレギノスへ持ち帰った。
 レギノスは使者が帰国したとの報せを聞いた時、あからさまに表情を曇らせた。使者がマチスに門前払いを受けたと思ったのだ。
 急いでマケドニアと繋ぎが取りたかったレギノスは、遠いマケドニア本国ではなく、未だ大将軍が駐留しているアカネイアパレスを使者の行き先として選択した。レギノスはまずマチスに話を通し、その後にミシェイルへ話を持っていこうとしたのだ。アカネイアパレスからマケドニア本国と連絡を取ろうとすれば、グラへ帰り着くには早くて三週間近く掛かるはずだった。
 しかし、パレスからの返事は正式にマケドニアとしての返事であるとマチスによって保障されていた。マチスは、ガーネフがなくなればグラは必ずマケドニアに接触してくるだろうと、あらかじめミシェイルと対応を決めていたのである。
 この予測は、ガーネフの勢力が滅んだ場合にはほぼ間違いなく実行される予定調和のようなものであり、的中させることに特別な情報が必要なわけではない。特に、マチスは密偵からレギノスがジオルよりは実行力で劣るものの君主としてそれなりの判断を下せる人物であると知っていたため、その局面で判断を間違えるはずはないと考えていた。
 その返事はレギノスを悩ませたが、承知する他ないことはわかっていた。書状には、グラの降伏を認める条件として、アリティア領をマケドニアへ割譲することが記されていたのである。
 レギノスは重臣を集めると、自らが決断した決定を知らしめた。悔しがりこそすれ、意気高々と反論するような者はその場にはいなかった。ジオルと違い、レギノスは臣下をそれなりに重用した。そのため、グラの現状を理解していないような者はそこにはいなかったのである。
 こうして承諾する旨の書状を持つと、使者は再びアカネイアパレスへの道についたのだった。

「陛下?」
 ゼムセルが呼びかけたが、メディウスからは返事はしなかった。昼でも暗いドルーア王城の玉座の間。メディウスの表情はゼムセルからもうかがい知ることはできない。ゼムセルには戦々恐々とメディウスの反応を待つことだけしかできなかった。
 もたらされた知らせは悪いものであった。少なくとも大方の竜人にとっては想像だにしていなかったことだった。
 マケドニア王国の離反。さらに、アカネイアパレスはすでにマケドニア軍によって陥落したという。
 ゼムセルはこの情報をマケドニアの発表した声明から得た。前後してアカネイアから指示や救援を依頼する伝令が相次いでドルーアへ届き、本当に起こったことであることが裏付けられた。
「……来るべきときが来たか。」
 しかし、メディウスはこうなることを予見していた。人の竜に対する恐れは根深い。同様に竜の人に対する驕りも根深い。マケドニアはいつかドルーアを裏切る。これは起こるべくして起こったことなのだ。
 ドルーアの中には感覚的にマケドニアとの同盟を疑問視する声は以前からあった。その根底にあるのは、マケドニアが百年前にメディウスが封印された後、ドルーアの土地を奪って建国された国であるという歴史的事実である。その経緯を知る竜には、当初の段階でマケドニアが同盟関係を了承したことが、そもそも疑問であった。
 一言呟いて、また黙り込んでしまったメディウスであったが、怒っているわけではない。善後策を検討していたのだ。
 メディウスは事態を冷静に把握していた。ミシェイルはマケドニアをアカネイアに変わって大陸の主にしたいと考えているだろう。ミシェイルの持っている野心や、アカネイアを排斥したいと考えている心はメディウスにとっては好ましいもので、これまではその心情を存分に利用することができた。
 しかし、最終的にマケドニアが大陸の主導権を握ろうとするならば、最も邪魔になるのは当然ドルーア帝国である。今回のドルーアへの裏切りは、人が竜を恐れる心をミシェイルが巧みに利用し焚き付けている状況に他ならない。
 メディウスにとって最大の問題は彼我の戦力差であった。グルニアの反乱軍を制圧するための遠征は二回行われたが、どちらも失敗した。まず、火竜は人の魔道士が放つ氷雪の魔法によってほとんど活躍ができない。魔竜は魔法に対しては強いものの、人が対抗する武器を持っており、グルニアではこちらも満足に活動できない有様であった。まず、これは竜人の優位が覆されているという事実に他ならない。
 ドルーアの竜人は個体数が少ない。今までは人の兵士を強制的に使ってきたが、アカネイアパレスが陥落し、これ以上アカネイアの人的資源が使用できるとは思えない。マケドニア全軍を相手にすることを考えれば、攻勢に出ることは愚か、守勢を維持することすら難しいだろう。今の大陸では、例え人の力が竜に遠く及ばなかったとしても、竜の数に対して人の数が多すぎる。
 一番の問題は、竜人のほとんどがそのような現状を把握していないことにある。おそらくほとんどの竜人はマケドニアなど一瞬で屠ることができると考えている。このゼムセルにしたところで変わりはない。メディウスは竜人が絶対的優位にある状態ではないことをこれまでも言及してきていたつもりだったが、このゼムセルですら正確には把握していない。
 メディウスがマケドニアにあれほど広大な領土を任せた理由を理解している者が、メディウスの周辺にはいなかった。
「ゼムセル。」
「はっ。」
「次回のグルニアへの遠征準備は中止せよ。各地、特にアカネイアに駐留している各部隊は直ちに本国に集結し再編成させよ。」
「はい。」
 ゼムセルはただ頭を下げた。やはりメディウスの意図を理解しているようには見えない。
 メディウスは玉座でただ目を瞑る。ガーネフに担ぎあげられてここにいるメディウスだったが、竜という物の存在の限界を最も感じていたのはメディウス自身であった。

 グルニアのオルベルン城に拠るグルニア解放軍は、徐々にその陣容を大きくしていった。あれから、ドルーア帝国の大きな攻勢がもう一度あったが、仮面を着けた二人の剣士が急襲することによってその攻撃も立ち退けて見せた。解放軍の評判はグルニアに徐々に広まり、多くの若者が自ら解放軍に身を寄せた。今やその数は五千に届こうとしていた。
 あれからはマケドニアと連絡を取ることもなく、状況的には孤立無援といって差し支えない状況であるにも関わらず、彼らの士気は高かった。その中でロレンスは頭を悩ませていた。今のままのペースで行けば、どのように考えても糧食の備蓄が一ヶ月程度しか持たないのである。
 グルニアの民は疲弊している。周辺から徴発することは不可能だったし、解放軍の存在意義から考えてもできないことであった。マケドニアからもたらされた援助物資は限界まで節制をして使用していたが、人数そのものが増えてしまえばそれも限界があった。
 しかし、数が増えれば可能なこともある。ロレンスはシリウスやラドビス達をオルベルンに残し、三千の兵を率いてグルニアの王城を攻撃する案を提案した。その計画は、ジェイクやベックなど解放軍の幹部を通して実施することに決定した。城を攻めるとなれば、より多くの兵が必要になると、慎重案も出たが、攻勢に出るしかない現状をロレンスは説明し、受け入れられた。幹部の中にも、状況がそこまで切迫しているということを把握していない者は少なからずいたのだが、そのような理由であれば納得しないわけには行かなかった。
 集まっている人数は、ほぼ民衆から志願した義勇兵であるから、兵士としての熟練度は素人に毛が生えただけのようなものである。作戦の実行が決定されてから、彼らの訓練はより厳しくなった。
 訓練に明け暮れる中、マケドニアがガーネフを倒し、ドルーアと敵対したという発表はオルベルンにも伝わってきた。この知らせは、マケドニアからの援軍をより信頼に足る物にした。この知らせがあって始めて、ラドビスはマケドニアの真意を告げたのである。
 マケドニアはドルーアに迎合するつもりはなく、人が治めてきた土地を竜に侵されることをよしとしない。たとえ時間が掛かっても、確実にドルーアを追い詰めるのだと。ミシェイルは先の戦役からこの方、それを一番の目標としてマケドニアの国力を増強したのだと。
 だからといって、解放軍の行動方針に変更はなかった。グルニアには軍らしい軍がすでに存在しない。王城さえ解放してしまえば、それはグルニア全土を解放したことと同義だ。しかし、立場的なものはその後のマケドニアとのつながりで一転することとなる。
 堂々とドルーアに敵対することを宣言したマケドニアは、それから数日後、再びグルニアの解放軍へ多くの物資を輸送した。同時に、一人の魔道士と二人のシスター、一人の剣士を連れてきた。
 マケドニアの竜騎士の姿が見えたことが物見から伝えられると、解放軍の兵士達はみな竜騎士の姿を一目見ようと広場にあふれ出てきた。その数は、以前竜騎士が訪れた時と比べて段違いに多い。竜騎士は上空で数度旋回すると、代表者と思われる者達を城の広場の中央へと舞い降りさせた。大勢の解放軍兵士が見守る中、ロレンスをはじめとする解放軍の代表が彼らを出迎えた。
「おい。あの男、あの左の十字傷。」
「まさか、オグマだと言うのか?ここのところ行方知れずじゃなかったのか?」
 一行の中で、兵士達の話題をまずさらったのは剣士だった。ガーネフ討伐戦に参加していたオグマは、そのままユベロの護衛を続けここまで来た。彼の名前は、一般の兵士達に伝説の傭兵と言われるほどの知名度を持っていた。
「オグマさん、随分と有名なようですね。」
 ようやく本国へ帰還したユベロは金髪を流麗になびかせながら飛竜から飛び降りる。グルニア国民のほとんどが名前を知っているだろうこの青年を、しかしそうとわかる者はその場にはいなかった。
 いや、一人いた。仮面を付けたこちらもまた見事な金髪を持つ紳士がユベロの前に歩み出た。
「あ、あなた様は……。」
 彼は、自分がとめどなく涙を溢れさせていることに気づいていた。たくましく成長しているが、彼が忠誠を捧げた対象を忘れるはずはなかった。
「……カミユか?」
 その男の仮面は、ユベロがミシェイルから聞いていた仮面と一致していた。ユベロが聞く前で、紳士は仮面を外し、跪いた。
 広場はすぐにざわめきに包まれた。
「やはりあの剣士はカミユ閣下だったのだ!」
「……なぜ、仮面など付けて?」
「どうでもいい。閣下は我々が一番危険な時に守ってくれた。理由など些細なことだ。」
 さまざまな声が広場を飛び交う。
「……殿下……今まで、お助けすることもできず……民達を守ることもせず……ふがいない身を……お許し……下さい。」
 カミユは涙を流し続け、その声は満足に聞き取ることができなかった。この時、ようやくロレンスは目の前に立っている青年がユベロであると気が付いたのだ。カミユに続いてロレンスも膝を折る。
「殿下、帰還をお待ちしておりました。」
 ユベロは二人を見る。
「二人とも、よく今まで持ちこたえてくれた。」
 会場は妙なざわめきに包まれていた。カミユとロレンスが膝を折って頭を垂れる青年。ほとんどの人が青年が誰だかわからなかったし、見当を付けた人も確信が持てないでいた。
 ユベロ、オグマに続いて、二人のシスターが竜を降りた。一人は、見るからにマケドニア人の特徴を備えた赤毛のシスター、そして、もう一人の金髪のシスターは青年に良く似た顔立ちをしていた。
「ユミナ殿下も……ご無事で。」
「カミユ、ロレンス……。よかった、二人とも無事に会うことができて。」
 話したいことは多くあっただろう。しかし、言葉にはならなかった。広場で大勢の視線の中、時が止まっていたかのようであった。
 兵士達のざわめきはますます大きくなっていた。口々に、信じられないとか、まさかなどといったことを言っている。
「……カミユ、ここからはお主の仕事ぞ。兵士達にこの嬉しい真実を伝えねばな。」
 ロレンスにそう言われたカミユは、流した涙もそのままながらも立ち上がった。自身が動揺しているような時であっても、兵士達に対しては毅然とした態度を保っていた。そして、兵士達を前に大音声を上げる。
「皆!静まれ!」
 それまでざわついていた兵士達は一瞬で静かになった。厳しい威厳を見せたその姿は、紛れもなく往時のグルニア黒騎士団長、カミユの姿だった。
「こちらのお二方こそ、今は亡き陛下の御嫡子、ユベロ殿下、ユミナ殿下である。我らがグルニアは、未だここに健在だ!」
 力の限り叫ぶカミユの言葉を、聞き逃した者はそこにはいなかった。それに答えてユベロが右腕を上げる。ざわめきが広がり、やがて兵士達から地を割るような声が響き上がった。ユミナは兵士達の勢いにただただ圧倒されていた。
「オグマ殿……貴殿は、私のお願いを今までずっと守ってくれていたのだな……。」
 大歓声の中、一方ではロレンスがオグマに頭を下げていた。ロレンスがユベロとユミナのことをオグマに頼んでから、四年以上経つ。ユベロとユミナのことは、半ば以上諦めていた。
「ロレンス閣下。あの王子さんはたいしたもんです。まだ、若いから走りすぎることはあるかもしれませんが、あの王子さんであれば間違いなくいい王様になるでしょう。」
「オグマ殿……。今はただ感謝の言葉しかない。」
 ロレンスはただただ、オグマに頭を下げていた。そのようにされることに慣れていないオグマは、逆に恐縮してしまうほどであった。
 狂騒は喜ばしいことではあったが、このままでは事態が収拾しない。ユベロは、自分の意向は主だった者を集めて話し合った後に皆に伝えることとした。ユベロ達はそのまま、喧騒の中にある兵士達に答えながらもその場を後にし、城内へ足を運んだ。
 ロレンスは長旅で疲れているであろうユベロ達に休憩を勧めたが、ユベロは直ぐにでもこれからの大まかな方針を話し合いたいと言った。これを受けて、ロレンスは作戦会議等に使用している一室に、解放軍の主だった者を集めた。
 二人のシスター、ユミナと、もう一人、マリアについては、さすがにユベロも休ませることにた。マリアは本国に帰還するユベロに同行することを強く希望した。これには誰も反対しきることができなかった……と言うよりは、一番発言力を持っているユベロとミシェイルが反対しなかった。このため、彼女もユベロに従いグルニアにいる。
 会議場にはそうそうたる面々が集まりつつあった。まず、面食らったのはオグマであった。
「お前、ナバールか!」
 オグマが部屋に入ったとき、ナバールはいつもの調子で不機嫌そうに椅子に座っていた。カミユ同様、既に仮面は外していた。もっとも、これには一緒にいたロレンスも驚いていた。しかし、納得もしていた。剣の腕でカミユを越える者など、そうはいない。
「オグマか。ユベロ殿下の護衛をしていたそうだな。」
 と、ナバールは淡々としていた。
「相変わらず耳が早いな。それよりも、お前こそ何でここにいるんだ。」
「……成り行きだ。グルニアで仕事をしていて、偶然、カミユに雇われた。それだけだ。」
 ナバールは興味なさそうにそう言った。
 この男もシーダ殿下に説得されてマルスの元に下った口だ。やはりシーダ殿下が亡くなられてから死神に戻ってしまったのかとオグマは考えた。しかし、以前は何でもない時でも終始周囲に振りまいていたナバールの殺気は、不思議となりを潜めている。ナバールはナバールなりに、この四年の間に変わるところがあったのかもしれない。
 カミユが現れてナバールの隣に座った。ユベロの両隣はロレンスとオグマ。ユベロが会議の中心にいる構図だ。ロレンスから見てユベロの反対側にはカミユがいる。しばらくして、解放軍の実質的代表者と言うことで、ジェイクとベックが姿を現した。二人は、現役グルニア軍時代には雲の上の人だった人たちを何人も目の前にして、緊張した面持ちであった。
 用意された席はもう一つ空いている。
「ラドビス殿はどうされましたか?」
 と、ユベロが尋ねる。
「声は掛けましたので直ぐに来ると思いますが。」
 カミユが答える。
「殿下は、ラドビス殿をご存知なのですか?」
 少し考えれば、ユベロはマケドニアの竜に乗ってやってきたのだから、マケドニアの軍と知り合いであってもおかしくはない。しかし、未だマケドニアがドルーア同盟である印象が強い。ロレンスからは思わず口に出てしまった一言であった。
「それも含めて、全員集まってから話しましょう。」
 とユベロは言った。
 しかし、人を待つにしても本当に久しぶりに顔を合わせるもの同士、雑談するにしても話は尽きなかった。ラドビスが現れるまで、どれくらいの時間があったのか、気にしている者はいなかった。
「遅くなってしまい、申し訳ありません。」
 いつのまにか、ラドビスが会議卓に現れていた。全員が着席するラドビスへと注目した。
「ユベロ殿下。無事ガーネフを征伐したようで、おめでとうございます。」
 また、皆が度肝を抜かれる発言であった。
「それはいったい……。」
 言いかけるロレンスをユベロは腕で制した。
「全員集まりましたね。いろいろと聞きたいことはあるでしょうが、散発的に話を進めても混乱するだけです。私から、今までの経緯を説明します。」
 そうユベロは宣言し、ユベロ主導で会議が始められた。ユベロに長い間会っていなかったカミユとロレンスには驚くことばかりであった。ユベロの立派な姿を眼にするだけでカミユの目頭は勝手に熱くなる。
「その前に、そちらの二方と、カミユの隣の人を紹介してもらえますか?」
 ジェイクとベックは緊張した。彼らについてはロレンスが説明した。この解放軍の前身となるレジスタンスを組織していた者達で、元グルニア軍戦車大隊に所属していた者である。ナバールについてはカミユが説明し、オグマがこれを補足した。オグマについては、ユベロが皆に説明し、ロレンスが補足した。もっとも、ナバールとオグマについては名前だけはさすがにジェイクもベックも知っていた。カミユからは、赤毛のシスターが誰であるかと質問が飛んだが、ユベロは話の中で説明すると言った。
 ユベロの話は、ドルーア帝国の人質時代にまで遡った。近くにマケドニアのマリア王女、グラのシーマ王女がいたこと。ドルーアの人質の管理は厳しくはなく、それなりに自由が利いたこと。ドルーアの書物は知識の宝庫で、人の社会では誰も知らないようなことを多く学ぶことができたこと。
 ユベロはその時にオグマの手伝いを借りて大陸がどのような状態かを知ることができた。オグマの情報から判断した大陸の情勢はだいたいドルーアとマケドニアの二極体制。勢力的にはドルーアの七に対し、マケドニアの三と言う印象であった。このとき、カダイン、グラ、グルニアはドルーアに含めてユベロは考えていた。
 それに比べてグルニアの力は全くなくなったと言っても差し支えはなかった。この状態を打破するためにはまずは力が必要であったが、カミユは行方不明、ユベロの力でグルニアから旗を上げようとしても幾分現実的ではない。
 ユベロは自分と同じく、人質としてドルーアの王都に連れてこられていたマケドニアのマリア王女に目を向けた。ここで、マリア王女に渡りを付け、マケドニアの影響力をグルニアの復権のために使う。ユベロは何かとマリアと話すよう意識した。
 意思の強いユベロにマリアが惹かれるようになるのにはそれほど時間は掛からなかった。ユベロはそれならばと言うことでマリアと内々に結婚の約束を交わす。こうしてしまえば、マケドニアはグルニアに手を貸さずにはいられない。
 数年経ち、ガーネフがドルーアから離れ、それぞれのパワーバランスが崩れると、ほぼ同時にガーネフの奇襲によって混乱するドルーア王都から彼らは脱出することに成功した。マケドニアにたどり着き、ミシェイルにマリアとの婚姻を了解させたまではよかったが、それ以降は綱渡りも多かった。
「では、あの赤い髪の女性は?」
「もちろん、あの方がマケドニアのマリア殿下です。」
 会議場がざわめきに包まれる。マケドニアゆかりの者だろうとは考えられていたのだが、まさか王女だとは誰も考えていなかった。
「彼女がこちらへ来ることはミシェイル殿の信頼の証でもあります。彼女がこちらへ来たことは彼女自身の意思ですが、ミシェイル殿も快く了承して下さいました。」
 ユベロはそこで一度、マケドニアとの関係についてはまた順を追って話すこととし、マケドニアへ着いた以降のことに話を戻した。ガトーに招聘されたこと、星の魔法を作ったこと、ガーネフを討伐したことをユベロは語った。カミユは星と光のオーブがガーネフを討伐する魔法を作成することに使われたことを、ユベロはオーブをカミユが取ってきたと言うことを、ここで始めて知った。
 そして、今回の作戦について言及する。ガーネフに相対し、討ち果たしたこと。アリティアのエリスと聖剣ファルシオンを見つけ無事持ち帰ったことなどである。ところどころでオグマが口を出した。ガーネフ討伐時の生還率に話が及ぶと、カミユとロレンスは思わず顔を見合わせた。いくら説明があったとしても、その壮絶さは到底理解できないだろうと、ロレンスは感じた。
 マケドニアがアカネイアパレスへ奇襲したことは、ユベロにとっても予想外のことだった。
「もっとも、マケドニアは前々からこうすることを予定していたということです。私があっさりと受け入れられたくらいですから、素直にドルーアの下についているつもりはないとは思っていましたが。」
 と、ユベロは言う。
「それについては私から補足しましょう。エルレーン閣下を通さず、陛下から直接言付けをされています。」
 そう言い出したのはラドビスだった。
「宣言が出たとおり、今更隠し立てすることではありませんが、陛下は当初から最終的な敵をドルーア帝国に定めていました。ただ、アカネイアではドルーアに対抗できないであろうこと、グルニアがドルーアとの同盟を受け入れたことで、一時的にドルーアと同盟を組むに至ったとのこと。しかし、裏ではさまざまに準備をしていました。私がここに来たのも陛下とマチス閣下の考えを受けたエルレーン閣下が手配したことです。」
「……それでは、我々は最初から殿下に助けられていたということか。」
 ロレンスが言う。
「確かに、私がマケドニアと接触したことは、ロレンス達を助ける要因にはなったかもしれません。しかし、カミユの行動まで左右していたことは、私もガーネフの作戦が完了した後にミシェイル殿から話を聞くまでは知りませんでした。」
 ユベロがカミユを見やり、そして続ける。
「その根本は、ミシェイル殿とマチス殿が描いているマケドニアの世界戦略にあります。それは巧妙なことにグルニアの復興を邪魔することはありません。ただし、カミユにはグルニアから籍を移してもらうことになります。」
「殿下、それはどういうことでしょうか。」
 カミユは狐に包まれたような感じでユベロの言ったことの意味が理解できないでいた。この利発な王子は、もはや自分の力を必要とはしていないのであろうか。
「あなたが、アカネイアのニーナ殿を保護していることは聞いています。グルニア黒騎士団がアカネイアパレスに駐留していた時のことも。」
「殿下、確かに私はニーナ殿下をお助けしてはいますが、そうではなく私の第一はグルニアです。殿下が命じていただければどのような死地にでも喜んで赴きます。」
 カミユは慌てたようにそう言う。ユベロは思う。カミユのニーナに対する思いは軽いのか、それともグルニアへ対する忠誠心が篤すぎるのか。ニーナに対する思いが軽いなどということはないだろう。そうでなければ最初の段階で軍の規律に反するような行動を取るわけがない。それでもなお、カミユはグルニアに留まろうとするほどにグルニアに対する思いが強いのか。しかし、ユベロは言う。
「カミユ、私がここへ来た理由は他でもない。貴殿にはニーナ殿の補助としてアカネイアへ行ってもらうことになります。貴殿のしていたことは私とオグマが引き継ぎます。」
「殿下!」
「いいですかカミユ、これは重要な仕事です。」
 ユベロの口調が険しくなる。
「ミシェイル殿は、ドルーア帝国の制圧後を既に想定しています。知っての通り、ドルーア復活前の大陸は、人口比率でアカネイア王国が大陸全体の六割を占めており、非常に中央に偏重していた状態です。この状態を崩すために、アカネイア王国は戦後六つに分割されます。」
「……。」
 これもまた誰も予想していないことだった。ミシェイルが考えたのか、マチスが考えたのかはこの場の誰も知ることではない。アカネイア王国を分けるということ自体が、実感的に想像できない。あまりに唐突で、誰も何も言うことができない。
「ミシェイル殿は、アカネイア王国の周辺五侯領をそれぞれ一つづつの王国として独立させる考えです。つまり、アカネイア王国のサムスーフ領、レフカンディ領、ディール領、アドリア領、メニディ領の五つです。アカネイア王国の名前は中央とその周辺領土のみを治める王国のものとなります。これを平和裏に行うためには、まずニーナ殿を説得せねばなりません。」
「それを私が行うのですか。」
 ユベロは頷く。
「それもあります。しかし、それ以上にニーナ殿を支える必要があります。カミユ、気に留めて置いてください。マケドニアがドルーアに攻勢を開始するには、アカネイアが安定することが必要です。今頃、マケドニアのマチス殿とエルレーン殿が必死にその下地を作っているところでしょう。あなたがニーナ殿の側で支えるのです。」
 カミユは、複雑な気分であった。ニーナの側にいることができることは嬉しいのかもしれない。しかし、ユベロに頼りにされないように思えてルイに仕えてきた時間は何だったのだろうと寂しく感じているのも事実だ。
 ユベロは続ける。
「旧弊なアカネイアは、ドルーアとマケドニアが破壊しつくしました。ミシェイル殿は、アカネイア以外の体制には寛容でしたが、アカネイアだけは許すことはありませんでした。ですが、地域としてのアカネイアは存在しますし、この地域が混乱してしまえば大陸に悪い影響が出ます。その中心となるのはニーナ殿以外にありえません。そこを、カミユに補佐してもらうということでミシェイル殿と方針をあわせました。」
 なぜ自分なのか。しかし、その答えはカミユ自身にもわかりきっていたことであった。ミシェイルがニーナの護衛を自分に依頼してきたこといい、ひどく都合の良いようにお膳立てをされている。さすがにカミユにもミシェイルに何か他の考えがあるのではないかと疑いたくもなる。
「殿下、一つお伺いしたい。ミシェイル殿の狙いはどこにあるのですか。」
「ミシェイル殿の狙いですか……非常にわかりやすいとは思いますが……。これはミシェイル殿自身から直接聞いたわけではありませんが、私の考えるところ、ミシェイル殿の最終的な目標はマケドニア主導による大陸秩序の確立と安定です。アカネイアの分割はアカネイアに力をつけさせないための露骨な方針です。特に、この四年でオレルアンなどマケドニアの占領下にある地域はすでにマケドニアに対する敵対心をなくしている。」
 ユベロがかすかに笑う。
「しかし、私の見たところ、マケドニアにはこれという人材が少ない。特に現状ではマケドニアの占領範囲が非常に広範囲にわたるため、細かいところまで目が行き届いているようには見えません。マチス殿が内政に大きく貢献しているため、これでも破綻していないということが強みですが、ドルーアに相対するとなればマチス殿もアカネイアパレスに釘付けにされているわけにはいきません。そうですね……私の見たところ、マケドニアで満足に占領地の統治ができるのはミシェイル殿自身とマチス殿、他には少し下がってエルレーン殿くらいではないでしょうか。もっとも、ミネルバ殿や他の将軍達は未知数です。私は、ミシェイル殿やマチス殿が動いているところしか見たところがありませんし。」
「話を戻しましょう。つまり、マケドニアはアカネイアもマケドニアに近い存在として取り込むつもりでいます。しかし、ふさわしい人材がいないので諸々の理由によりカミユにそれをお願いしたいということです。」
 今度はカミユが苦笑する番であった。諸々の理由と言えば考えられるのは一つしかない。もっとも、カミユにそれを否定するつもりもない。
「カミユはニーナ殿と共にアカネイアに赴き、現地を安定させてください。今はまだ、アカネイアはアカネイアとしての形を保っていますから、アドリア領とメニディ領にも目を向ける必要があります。それと……いろいろと窮屈な部分はあると思いますが、カミユなりに自由にやってみてください。周囲に深く影響されることはありません。」
 だまって聞いていたラドビスの視線が激しくユベロを刺した。カミユは気づいたのだろうか。ユベロは、マケドニアに影響されすぎないようにしろと言いたかったのだ。
「とにかく、こちらはこちらで何とかします。同行している黒騎士団員とナバール殿の処遇に関してはあなたに一任します。よろしいですか。」
「……了解しました。」
 ここまで言われてはカミユは頷かないわけにはいかなかった。
「それと、現状で新しくアカネイアの周辺に分割される予定の国の統治者候補を教えておきます。まず、ディール領はアカネイアの聖騎士ミディア殿、メニディ領はこれは現在は行方がわかりませんが第一候補はアカネイアの弓箭隊隊長ジョルジュ殿。レフカンディ領は従前通り、カルタス侯爵が第一候補者ですが、こちらはドルーア侵攻時に行方不明となっており生存が絶望視されています。第二候補はミロア大司祭の御息女でリンダ殿だそうです。なんでも、長らく行方がわからなくなっていたところをノルダの陣営でマケドニア軍が保護したとか。ただ、こちらの方は、急な話ですので、未だそのような構想があるという段階です。」
 残りの二つはその場の全員を驚かせた。
「アドリア領はアリティア王子マルス殿の縁戚にあたるマリク殿、サムスーフ領はオレルアン国王の弟君にあたられるハーディン殿です。この二つの侯爵領については、元もとの領主がアカネイアからドルーアへ寝返った経歴があるため、アカネイアの者へ依頼するということはありません。」
 どちらも、マケドニアとは関係ない人物である。オグマは考えていた。アリティアからマリクを離し、オレルアンからハーディンを離せば、アリティアもオレルアンもそれなりに弱体化する。そう考えての構想だろうか。オグマは、ユベロの方を向くと知らず視線があった。その目はあなたの予想通りですと語っているようだった。
「いずれにせよ、これはドルーアを解体した後の構想です。ミシェイル殿も言っていましたが、現段階では多分に流動的です。しかし、対ドルーアの状況が順調であれば、そう遠い話でもなくなりますので、ニーナ殿には予め話しておいて欲しいと。それまではアカネイアにはニーナ殿を中心に安定した統治がなされるよう、マケドニアの方でも手配するそうです。」
 マケドニアの名前が出ている以上、これはマケドニアによって実行されることである。グルニアのことはともかく、ユベロはアカネイアのことに口を出すつもりはない。カミユのことはユベロもある程度は納得したことである。説明こそすれ、異論を許すべきものではなかった。
 誰も、何も言わないことを確認すると、ユベロは続けた。
「さて、次の問題です。こちら、グルニア側のこれからの行動ですが、その前に確認です。ここの軍は私が指揮権を得ても問題はありませんか。」
 と、ロレンスへ質問が飛ぶ。
「問題はありません。どうか殿下の御心のままにお使いください。」
 ロレンスは即答した。
「そこのお二方はいかがですか。」
 次に、ユベロはジェイクとベックへと尋ねた。
「……従いましょう。」
「殿下の仰せのままに。」
 先にジェイクが、そしてそれを見たベックが共にユベロへ頭を下げた。
 二人にとって、王家の人間などは自分と関係ないところに存在するような者のはずだった。実際に、この兵を蜂起させたのは自分の力のはずであった。だから、横からいきなり王子ですと現れたところで、レジスタンス活動を長く続けていた者はあまり面白く感じてはいないことも確かだった。
 しかし、ユベロの話を聞いてみればそのような思いは吹き飛んでいた。
 前の国王ルイは確かにドルーアに侵されるままであった。
 この王子はどうであろうか。ドルーアに人質になっていれば、その間ほとんど何もできないのはわかりきったことだ。しかし、ユベロはその間にもマケドニアとつなぎを取り、元凶の一つであるガーネフを討ち滅ぼした。自分達にはマケドニアを動かし、蜂起後に食料や物資を援助してもらい、援軍まで送ってくれた。マケドニアの援軍がなければ、蜂起は確実にドルーアに潰されていた。レジスタンスの他の人は、同じような意見から反抗する声もあるかもしれないが、それを押さえ込むのは長い間レジスタンスのリーダーをしてきた自分達の仕事である。
 ユベロは、その返事を聞き、満足そうに頷く。
「では、今後の予定を。まず、ラドビス殿には状況が安定するまでこちらにいてもらうことの許可をミシェイル殿からいただいています。」
「承っています。」
「オグマも当分はこちらへいてください。」
「わかってますよ。」
 ユベロは今一度全員を見渡す。
「我々の第一の目標は、王城の奪回です。まず、明日、兵士達に私が指揮を執ることを明言します。その上で、グルニア全土にその知らせを出します。」
 ユベロの口調が強くなる。
「いいですか、私がここにいて一軍を握っている以上、王城にいるカナリスの黒騎士団はグルニアにとって反乱軍です。このことを喧伝し、こちらの陣営としての強化と、向こうの内部崩壊を狙います。また、明日より王城奪回のための準備を行い、早急に王城へ軍を進めます。王城解放後は、速やかにグルニア各地の治安、秩序を回復すると同時に、ドルーアに対する備えを行います。まずは、しっかりとした連絡網を作成することです。細かいことは、事がうまく言ってから詰めましょう。」
「……何か質問はありますか。」
 ロレンスが手を挙げた。
「質問というわけではありませんが……。王城奪回の作戦計画については私がいくつか作成してあります。これをベースにすればよいでしょう。また、現在も兵士達は王城の奪回に向けて訓練中ですので、作戦を実行するだけであればかなり短い期間で準備が終わります。」
「既に作戦が考えられていたということですね。わかりました。あまり早く軍を進めても消耗が激しくなるだけですので、いつ計画を実行するかは私が判断します。作戦案については後ほど私に見せてください。」
「わかりました。」
 ユベロの話はだいたいが終了した。すでに全員が、ユベロに引き込まれてしまっていた。ジェイクとベックもこの方が上にいれば問題ないだろうと考えるようになっていた。
 その後は、ロレンスの細かい現状報告や、ラドビスからマケドニアとの関係などの話が続いた。驚くことで忙しかったことは確かだが、その場にいた全ての者が確実な物をつかむことができた会議でもあった。

 翌日正午、城内の兵士達を広場に集めたユベロは、全員を一望する城のバルコニーへ出た。これらは城主が一般市民と謁見するための城の施設の一部である。
 ユベロがユミナを伴って現れると、兵士達から大きな歓声が上がった。ユベロは手を挙げてこれに答える。場の静まりを待ってユベロは力強く語り始めた。
「親愛なるグルニアの兵士諸君。私はまず諸君に謝らねばならない。グルニアが今のような苦境の中にあるのは明らかに私の父と私の力が至らなかったが故である。諸君らを長きにわたって苦しみの中へ置いたことを、私はここに謝罪する。」
 頭を下げるユベロに、場は静まり返った。反応を確認したユベロはさらに続ける。
「今、グルニアを治める者はグルニアではない者である。しかし、グルニアはグルニア以外の何者によっても自由にされてはならない。諸君にはわかっているはずだ。グルニアは諸君がいる限り無くなっているわけではない。諸君がグルニアの証である。」
「そして私がいることでグルニアは本来の姿を取り戻した。諸君がいて、私がいるここは間違いなくグルニアである。もはや諸君はドルーアからグルニアを救うための解放軍などではなく、グルニアとしてドルーアに対抗するためのグルニア正規軍である。これに対抗するいかなる勢力も、グルニア国内に存在することを私は認めない。もし、私が目指すところと諸君が見ている物が同じであるのならば、私と共にグルニアを取り戻すことに協力してほしい。」
 ユベロの話が終わると、広場は大歓声に包まれた。口々にユベロをたたえる声が聞こえる。
 ユベロは手を挙げてこれに答えた。
「カミユ、お主、また泣いておるのか。」
 ロレンスが、同じように横に控えているカミユを見ると、カミユはただただ涙を流していた。
「嬉しいのです。私は、陛下から騎士団を預けられている身でありながら、ドルーアの介入を止めることができませんでした。殿下であれば、私以上のことをしてくれると、思えるのです。」
 カミユは溢れる涙を拭くこともしない。
「お主の方も責任重大じゃぞ。アカネイアを再建せねばならぬのだからな。」
 感極まったカミユはロレンスの言葉にもただ頷くだけであった。
 慌しかった。翌日、カミユとナバールはすぐにオルベルンを去ることとなったのだ。アカネイアはすぐにでもニーナを必要としている。
「カミユ、頼みましたよ。」
「しっかりやってこい。」
 ユベロやロレンスなどに激励され、カミユとナバールはオルベルンを飛び去った。

 隠れ家から少し離れた広間へ火竜を降ろすと、カミユとナバールは竜から飛び降りる。小屋からは、竜が舞い降りた音を聞きつけて、ニーナとフィーナがでてくるところだった。ニーナはカミユの姿を認めると、走り寄った。
「カミユ、無事でよかった。」
 それと見たカミユが膝を付こうとする前に、ニーナはカミユへ抱きついていた。
「うわ、ニーナ様、大胆ですね。」
 フィーナの驚きは皆の心を代弁していた。当のカミユもどのように反応したらいいかがわからない。
「ニーナ様、ただいま戻りました。」
 カミユはやっと、そう言えただけであった。
 自分はそれほど心配を掛けていたのだろうか。そう思いつつも、カミユはニーナが落ち着くまでそのままでいた。
 ナバールも飛竜を降りる。
「お帰りなさい。」
 出迎えるフィーナに対して、ナバールはそっけなくかすかに頷いただけであった。いつものことであるのだが、ニーナの方を見てみれば少しはうらやましい。
「ちょっと、一月振りに出迎えてるんだから、何とか言ったらどうなの?」
 と、つい強めに言葉が出てしまう。こんな時、フィーナも少しは後悔するのだが、ナバールにしてみればそれこそいつものことである。
「ああ、今帰った。」
 ナバールはただそれだけ言うだけであった。フィーナがふくれていたが、ナバールはさらにわけのわからないことを言い出した。
「フィーナ、すぐにここを引き払う。明日か明後日にはだ。準備をしておけ。」
「え?ちょっと、それどういうこと?」
 さすがにナバールも言い方が端的すぎた。カミユの方を見てみたが、まだ説明できるような感じではない。ナバールは面倒そうに話し始めた。
「マケドニアがアカネイアパレスを落としたのだ。我々は、ニーナ殿と共にアカネイアに帰還する。」
「どういうことですか?」
 ニーナがこれを聞き止めた。
「ニーナ様、これは私から説明します。まずは全員を集めましょう。」
 ニーナが落ち着いたように見えたのでカミユはほっとした。ただ、長い間この隠れ家にいて外のことを何も理解していない彼女達に、この状況の変化を説明することは一仕事である。
 全員を集めると、カミユはこれまでの状況を説明した。アカネイアパレスの状況については、カミユもナバールも、ユベロからの又聞きであるから、表面的な状況はわかっていても細かい状況まではわかっていない。
 ひとまず、カミユは確実なことについては真っ先にニーナへ伝えた。マケドニアがガーネフを討伐したこと、マケドニアがドルーアに反旗を翻したこと、マケドニアがアカネイアパレスを陥落させたことの三点である。
 そして、ニーナにとって重要なことが一つあった。アカネイアでは、ドルーアがアカネイアを攻撃したときにドルーアへ寝返ったサムスーフ候ベントが、マケドニア軍によって捕らえられ、処刑されたということである。
 マケドニア軍は、アドリア候ラング、サムスーフ候ベントに対する処遇についてはパレス攻撃前から決めており、それに則った措置であるとのことだった。
「……マケドニアが。それは、辛くとも本来は私達の手でしなければならなかったこと。おそらくは、民衆のご機嫌取りでしょうが、効果はあったはずです。」
「しかし、ラングは既にアカネイアパレスから逃げ出した後とのこと。」
「マケドニア軍は追っているのですか?」
「わかりません、追ってはいるとは思うのですが。」
 ニーナは一つ溜息をつく。
「今更、何を言ったところで仕方がないことですね。わかりました。アカネイアへ戻りましょう。」
 何事か、諦めたようにニーナは言った。
 王族とは全てにおいてままならないということを、一番良く知っているのがニーナではないかと、カミユは思う。アカネイアに戻ったところで、ニーナに自由があるわけではない。それは、一般的な意味で不自由な暮らしではないだろうし、命の危険も少ないだろうが、結局はマケドニアの傀儡として存在しなければならない。
「ニーナ様、申し訳ありません。いまひとつ、重要なことを伝えなくてはなりません。」
 この上で、カミユはニーナにマケドニアによるアカネイア分割の案件を伝えなくてはならない。カミユはユベロから聞いたその構想のみを淡々と語った。
「……リンダが、生きていたのですか?」
 しかし、ニーナの心を一番捉えたのは、その中に出てきた一つの名前だった。ニーナは、リンダを妹のように可愛がっていた。ミロアが暗殺され、アカネイアパレスがドルーア帝国の手に落ちた時、リンダも行方不明になっていて、その生存はニーナもすっかり諦めていたところだった。
「はい、先日、ノルダの街でマケドニア軍に保護されたとのことです。」
 ニーナの顔色がやや明るくなった。
「カミユ、アカネイアに戻る楽しみができました。重要なことを伝えてくれてありがとう。」
 カミユは混乱する。カミユはニーナに最も伝えにくいことを伝えたはずであった。ニーナをどうなだめるか。それだけを飛行中ずっと考えていたのだ。
「ニーナ様、しかし、アカネイアを分割するということは。」
 ニーナは首を振る。
「カミユは、グルニアの軍を指揮していたからわからないでしょうが……、アカネイアは元から各侯爵領が独立しているようなものでした。百年前のドルーア戦役以前であればいざ知らず、以降は遠方の周辺地域が相次いで独立したこともあって、アカネイア王国内の侯爵領も独断専行することが増えてきていたのです。その行き着いた先が、アドリアとサムスーフの離反です。」
「元々、私は女性の身ですから、若輩であることもあって政治の場に参加はさせてはもらえませんでした。しかし、アドリア候、サムスーフ候と、メニディ候、ディール候が対立し、レフカンディ候が間を取り持つ構図がアカネイアでは長らく続いていました。……マケドニアが力を持つのかも知れませんが、先に安定を取り戻すことができるのであれば、私に反対することはありません。」
 カミユはニーナの言葉を聞き入るのみであった。カミユは思う。アカネイアは何故この方を統治者として選ばなかったのだろうかと。アカネイアの伝統が邪魔をしていたとしても、そうすればもう少しましな抵抗ができたのではないかと、悔やまれた。
 しかし、カミユのそういった思いを態度から感じていたニーナは、そのようなことは過大評価だと考えている。ニーナ自身は、統治者としての経験に欠け、実際の方法すらわからない飾りの王女だと考えていた。だから、強権を発動してアカネイアの政治に介入することもない。それが自分の限界だと考えていた。
 今回も、アカネイアに戻ったとしてもそれは明らかにマケドニアの傀儡としての姿である。カミユと一緒に戻ったところで、どれだけ自分を出すことができるか。リンダは力を貸してくれるのか。
 自分が何をするべきなのか、方針すらない。突然の話であったから、心構えを作る時間すらない。それでも、自分が戻ることでアカネイアの状況が少しでもよくなればと、ニーナは思わずにはいられない。
 隠れ家は、生活に必要なもの以外はほとんど置かれていない。ニーナやフィーナが準備したのは軽い身の回りのもののみであった。翌日には隠れ家を引き払う準備が完了した。アカネイアへ飛ぶための飛竜たちも、既に準備を完了している。
「不安ですか。」
 飛竜を前にしてカミユが訊ねる。
「不安がないと言えば嘘になります。しかし、選択の余地はありません。」
 ニーナが答える。
「……大丈夫です。我々が全てについてニーナ様をお守りします。」
 カミユは飛竜を見上げる。飛竜は朝日へ向けて一度いなないた。
「さ、行きましょう。」
 皆、騎上の人となり、竜が羽ばたく。浮き上がった飛竜は、隠れ家の小屋の上を二度、三度旋回すると、南東へ向かって高度を上げた。

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