>第一研究室
>紋章継史
>FireEmblemマケドニア興隆記
>三十章
FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
三十章 アカネイアの行方
アカネイアパレス陥落後、マチスやエルレーン達は、パレスの情勢を政治的に安定させることに全力を注いでいた。それは、ある意味では戦場に身を置くことよりも過酷な仕事であった。
パレス攻略の前からパレスに対する施策についてはマチスを中心に検討されてきてはいたが、短期間で戦いの準備と平行して行われていたために、どうしても準備不足の面があることは否めなかった。
「私たちがここまでしても、結局アカネイアに返してしまうのでしょう?なんだかばかばかしい気もしますね。」
普段は内に溜め込んでいて、めったに愚痴を外に吐き出さないエルレーンからも、そんな言葉が口をついて出てくるほどであった。
マチスとしても嫌な仕事もあった。ドルーアに降っていた元アカネイアの文官、武官の粛清である。先だって、サムスーフ候ベントの公開処刑が行われたが、これはベントに限った話ではない。ミシェイルの意向で、ドルーアに協力していたアカネイアの高官は全て粛清せよとの事だった。
余り、血なまぐさいことは好まないマチスではあったが、ミシェイルの意思が理解できるだけにこの点について反対することはなかった。ラングやベントの話を聞けば、こういう者達を残すことが害悪にしかならないことくらいはすぐにわかる。マチスは、調査を厳密にし、冤罪による処刑をなるべく減らすように努力はしたが、どれほど有効だったかはマチスとしても疑わしい。
ドルーアが占領した時に逃げ出したような者達は民衆に紛れたのか行方不明であり、結果としてアカネイアはアカネイアが持っていた政治の色を失った。これこそが、旧態としていたアカネイアの打破を望んでいたミシェイルの狙いだった。
マケドニア軍の占領軍としての主な仕事は治安の維持である。マチスは、各大隊の隊長に矢継ぎ早に指示を飛ばした。
その甲斐もあって、アカネイアパレスにおける混乱は最小限に抑えられた。グラからの使者をパレスに迎える頃にはアカネイアパレスの地はほぼ安定を取り戻していた。もっとも、ドルーア軍が引き上げ始めた各地方や、都市部の中でもスラム街となっている場所などは未だ掌握し切れてはいない。
この段になると、エルレーンは一度、政務から外されることになった。マチスがエルレーンへ依頼したのは部下の魔道部隊をまとめ、マケドニア王都へ急行できる体制を整えることだった。
アカネイアパレスを落としたことで大陸の過半を占有することになったマケドニアではあるが、各地への防備はとてもではないが間に合ってはいなかった。地理的にはマケドニアからレフカンディを通りオレルアンへ向かう弓なりになったラインが、レフカンディからアカネイアパレスへ押しあがった形となっている。現状ではレフカンディが手薄となっており、オレルアンの部隊でこのフォローを行っている。レフカンディが手薄なのは、ハーマイン将軍をはじめレフカンディ駐留軍がアカネイア各地の治安維持のために散っているからだ。幸い、オレルアン、レフカンディ共に治安維持の面では長らく安定しており、それぞれの本部隊を多少動かしたところで影響はない。
ガーネフの脅威が取り除かれた今では、段違いで危険なのはドルーアに近接しているマケドニア王都である。マケドニアの本国領土だけに、国境線や各地の城砦など防衛網はオレルアンなどと比べても強固に構築されているが、それでもなお最も攻撃される危険性が高いのは本国領である。
このために、ミシェイルの竜騎士団、パオラの白騎士団はマケドニア本国から離れることはほとんどない。離れたとしても大陸全土から三日以内にはマケドニアに集結可能なように運用される。
エルレーンの魔道士隊は対ドルーアへの戦力としても期待される戦力ではあるが、本来の仕事は敵の魔道士に対抗することにある。魔道士隊はその一番の役割であるガーネフへの作戦とアカネイアパレス攻略作戦、グルニアへの援軍と三方に分散され、王都には残っていない。マチスはアカネイアパレス攻略戦へ随行した魔道士隊をもアカネイアの管理に動員していて、まだ本国へ部隊を帰せない状況である。そこで最低限でも、本領土が攻められるようなことがあればこの魔道士隊を増派できるようにしたかったのである。
エルレーンはマチスの意図を汲んで段取りを行ったが、それほど時間を掛けることなく準備は完了した。魔道士隊は三方へ分散していたため、エルレーンがこの場所で率いている魔道士は全体の半数に満たない程度の人数しかいない。エルレーンは現状の人数を把握しなおすと、カチュアの伝令部隊から竜騎士団へ渡りを付け、ピストン空輸してもらう手筈を整えた。カチュアの部隊のみでは十分な重量を運搬できないため、竜騎士団の一部に協力してもらう必要があり、これはマチスからミシェイルへ直接話をつけた。
また、先立って、カチュアの伝令部隊は拠点をオレルアンからアカネイアへ移動させた。マチスは当面はアカネイア中央にいなくてはならないため、伝令部隊もそれに沿って移動した方が都合がよかったからである。カチュアとしても反対するところではない。もっとも、アカネイア中央の主権はいずれにニーナへ返されることが決まっていたから、その場合にはカチュアの部隊は再び移動する事になる。
さらに、テーベの塔からオレルアンでの後始末を終えてアカネイアへ到着したクラインには、独自にすぐにマケドニアへ移動することとした。腕利きの剣士達はドルーアに対抗するための貴重な戦力である。現状ではマケドニアの王都にいてもらうのが最善だ。クライン達はアカネイアパレスで再編成を行うと、隊の全員をマケドニア王都へ移動させた。
できるだけの戦力をマケドニア王都へ集中したマチスであったが、ドルーアがアカネイアへ再侵攻してくることも考えられる。その場合には、魔道士隊とは逆に王都からドラゴンキラーを携えたクライン隊を運んでもらうこととなっている。本来の戦闘面での主力という役割からはかけ離れてしまっているが、竜騎士団と白騎士団には色々と頼る場面が多い。マチス達はこういった手筈を緊急な案件から順次処理していった。
ニーナがカミユとナバールを伴ってアカネイアパレスへ到着したのは、マチスがアカネイアを落としてから二週間ほど経った頃である。随行した竜騎士はわずかな間にオレルアンから、アカネイアパレス、マケドニア王都、グルニアのオルベルン、グルニア北部の隠れ家と巡ってアカネイアパレスまで移動してきたわけで、空路でなくてはどれほど時間が掛かるかわからないほどの大移動である。
アカネイアパレスのニーナが過ごしていた居室は、全てがそのままというわけではなかったが、前と同じような形に戻されていた。マチスは、ニーナが到着するとひとまずその部屋へ案内し、休息を取らせるようにした。ニーナにはフィーナが付き従っていた。
マチスがカミュと会うのは四年半前のドルーアでの会合以来である。その時にカミユと話していたのはミシェイルだったから、会話を交わすのはこれが初めてということになる。
マチスが見たカミユの印象は、以前と多少異なっていた。カミユは、まだラーマン神殿探索の為に変装したした際に短くした髪が、まだ完全に元通りに戻っていない。
「カミユ殿、お久しぶりです。」
「マチス閣下にも御変わりなく。」
面会したことはあっても会話は初めてとなる二人だったが、特に不自然なところもなく会話は進んだ。とは言ってもその場で多くの話をしたわけではない。マチスの方から、翌日会合を用意するので、それにニーナと参加して欲しい、と依頼したのが主なところだ。
会合は昼過ぎから行うとし、その場はそのやり取りのみで二人は分かれている。カミユにとっては、翌日まで予定のない時間がぽっかりと空いてしまう形となったが、ニーナと話をすることもなく、自然と用意された部屋で思索にふけることとなった。
カミユの心中は未だ複雑であった。オルベルンでユベロと共にあった短い時間の中で、ユベロと交わした話は、カミユを混乱させるに十分な内容であった。会議の席でこそ明確に口には出さなかったが、二人で話をしていた時に上がった話題は衝撃的だった。
曰く、ミシェイルはカミユをニーナの伴侶とすることを想定している。
ユベロは、自分がミシェイルから直接そのような話を聞いたわけではないが、と前置きした上でそう語った。しかし、ユベロの視点から見て、長い間ユベロにも内緒でカミユを匿っていたミシェイルのその意図を考えれば、そのような結論を出さざるをえなかった。ユベロがカミユの存在をミシェイルに明かされたのは、ガーネフ討伐の後なのである。
この点、カミユは生粋の軍人であり、軍事力を扱う点においてはどのような大軍であっても無駄なく運用してみせる自信は持っていたが、ミシェイルやユベロが理解していたような政略的分野においては造詣が深くはなかった。カミユにはなぜそのような話になっているのかは理解できなかったのだ。
ユベロがまとめたところはこうであった。
マケドニアがアカネイア占拠後に、恒久的な支配を行うことは考えていない。アカネイアは他の各国に比べると五倍以上の歴史を積み重ねてきた地域であり、他の国が力で押し込めた場合は理由の如何を問わず根強い反発があるだろうと予測されるし、マケドニアは各地で混乱が発生した場合にこれを一斉に押さえ込むだけの十分な兵力を未だに有してはいない。
ミシェイルがニーナを保護してきたのは来るべき時にニーナへ統治権を返還し、反発や混乱を抑えるためである。
しかし、ニーナの政治力は未知数で、そのためにマケドニアに悪い影響があれば本末転倒である。更にニーナは女性なので、アカネイア内部で決定した伴侶がニーナに変わって政治を握ることはそう難しいことではない。
アカネイア大陸の諸国家は、未だ女王を迎えたことはない。女性の社会進出は普通に認められ、行われてもいるが、女性と男性は異なると線引きされた概念は、そう覆るものではない。
これを防ぐにはニーナの伴侶をマケドニア側が厳しく確認するか、最初から決めてやるしかない。内政干渉も甚だしいところであるから、いくらマケドニアとアカネイアの主従関係が逆転しているからと言っても、ことは慎重に進める必要がある。
しかし、ニーナには都合のいい相手がいた。この場合の都合とはマケドニアにとっての都合であるが、それがニーナにとっても良い選択肢であるのならば、アカネイアの混乱はより小さくできる。
カミユは元々政治に関わってきた人物ではないから政治に対して大きく口を出す可能性は低い。しかもカミユはグルニアの人間だ。その愚直なまでの忠誠をミシェイルは知っている。仮になんらかの動きをしたとしてもアカネイアのためだけに動くことはないだろう。
ユベロは言った。グルニアは復興するその過程でマケドニアに助力を請うことになるだろうと。ミシェイルの目的は大陸の動きを全てマケドニアが管理できるように体制を作ることにあると考えられる。その策にグルニアが必要以上に乗ることもない。
アカネイアの統制は全て任せる。と、ここまでユベロに言われては引き受けないわけにはいかなかった。
加えて、フィーナからはニーナを落ち着かせてくれるよう常に頼まれてもいた。カミユにも依存はない。依存はないことではあったが、カミユにはアカネイアをどうこうするなどという視点は今まで存在していなかった。自分でも間の抜けた話だとは思うが、ニーナと結ばれる未来を考えることはあっても、ニーナと結ばれた自分がアカネイアの頂点に立つという想像はなかったのだ。
こと政務となれば、カミユには自身も部下達も当てにはならない。戦場に立つことと比べ、政務へ思慮を向けることの何と難しいことか。明日の会合で、どのようなことが話されるのか、そのことすら容易に想像できない。会合には無心で臨むしかなさそうであった。
マケドニア軍がアカネイアパレスを制圧して以降、アカネイアの城下町はマケドニアの軍政下に置かれた。とは言うものの、市民達はそれほど行動を制限されることもなく、商業活動の自由なども比較的許されている。
マケドニア軍は元より兵士達に略奪や暴力行為を許さない。規律に違反すればたちまち厳罰が待っている。これは、ドルーア同盟の中でマケドニアが持つ各地域への印象を良いものにしようというミシェイルの施策であったが、現状では厳密に機能している。それどころか、戦争直後は無能な貴族がこのためにいいように炙り出され、これを追い落とす理由の一端を担った。
今ではマケドニア軍にあえて狼藉を働こうというような者はほぼいない。アカネイアの城下町は往時ほどの賑やかさはまだ戻っていないものの、平穏を保っており、市場などではそれなりに活気もある。
しかし、それとは別に軍所属者達の処遇に対しては厳格に行っている。
マケドニア軍は、アカネイアパレスにいた軍属の人々を急造で用意した各収容所に収容し、その行動を抑制していた。一時的な捕虜扱いでもあったが、その数は馬鹿にならなかった。
マケドニア軍は、捕虜達をまず三種類に分けた。
まず、ドルーアからドルーア軍として派遣された者。これにはドルーアに雇われた傭兵も含まれている。次に、アカネイア現地でドルーアに徴用されて兵役に就いていた者。数としてはこれが一番多い。最後に、ドルーア軍に捕らえられていたアカネイア軍。この、アカネイア軍の数は極少数である。
アカネイアパレスに詰めていた者の多くが投降したため、捕虜の人数は三千人以上となっていた。マケドニア軍がオレルアンの緑条城を陥落せしめた時の十倍以上に当たり、この管理のためだけに丸々二個大隊が当たっている。
マチスは当初、投降する敵兵は千人程度であろうと予測していた。しかし、予想以上にアカネイアから徴兵された兵士達が多かった。
当初の予定通り、ドルーア直属兵はある程度の数をまとめて国外追放、アカネイア出身兵はある程度出自を確認して解放するようにしていたが、なかなかはかどってはいない。特に、ドルーア直属兵を追放しようにも、直接マケドニアとドルーアの国境部まで連れて行く必要があり、アカネイア中央から移動させようと思えばかなりの労力となる。ドルーア直属兵の捕虜は五百人にも満たない数であったが、こちらの対応はほとんど手付かずの状態となってしまっていた。捕虜を維持するためには糧食の問題など、手間と費用が掛かり、マチスにとって頭の痛い問題の一つであった。
こうしたドルーアに所属していた兵に対しては順次解放などの措置を行っているマケドニア軍だったが、その一方で元々のアカネイア軍だけは厳しい監視下に置いた。地下牢から出され、兵舎の一つを接収してそこに移されたアカネイア軍の人々は、食事事情などは元から比べれば待遇は大きく改善されてはいたが、自由な行動は未だ保障されていなかった。
これからニーナを迎えようとしている中で、彼らに変な動きをされては困るというのがマチス達の考えであった。また、ミディア達が生存していたことで、彼女らをニーナへ引き会わすために、彼女らの行方がわからなくなることも避けたかった。
このために、彼らは一箇所へ留め置かれている。一方で、地下牢にいた時と異なり、彼ら同士の面会については特に制限されていなかったため、彼らの間では今後に関する噂話が絶えなかった。それらは噂話とも冗談とも取れるようなものである。このまま処刑されてしまうのだろうとか、死ぬ前くらい良い飯を食わせてやろうって心遣いなんだろうなどと、笑いながら話していた。
彼らのほとんどは以前より明らかに顔色を良くしていた。彼らは最後までアカネイア軍としてドルーア軍に抵抗してきた者達で、肉体的にも精神的にも強い者達が揃っていた。長い牢生活に耐えてこられたのもその気概があってこそである。冗談として話しているようなことが冗談でなくなったとしても、黙ってそれを受け入れるだけなのだろう。ミディアは、そう彼らを見ていて思う。
状況を受け入れる覚悟はドルーアに降った時点でミディアにもできている。しかし、共に収容所へ収監されている兵達はそのほとんどが最終的に彼女の部下となっていた者達である。上官として、彼らだけでも無事に生き延びさせたいと思うところがあり、そのことに考えが向くたびにどうしても表情を曇らせてしまう。そうなると、表面上は明るく振舞っていてもどうしても部下との会話を避けがちになってしまっていた。
だからこそ、ミディアの元へマチスの名前で書状が届いたとき、それを開くまでには並々ならぬ覚悟を必要とした。
実際に書状を読み、ミディアは目を見開いた。内容はマチスとニーナの会合への参加依頼であった。書状には簡単な経緯が書かれていたが、もちろんミディアにとって初めて知ることだった。本来であれば自分が訪ねて参加を依頼すべきところを多忙のため書状による通知となってしまい申し訳ない。と、書状は〆られていた。
何らかの罠であることを最初にミディアは疑った。しかし、現状から見てミディアをこのような罠に掛ける意味が見当たらない。マケドニア軍は彼女達を処断しようと思えば自由にできる。ニーナの名前を出してまで呼びつけることはない。
ミディアにはマケドニアを信じることはできない。ミディアの知っているマケドニアは、ドルーア同盟下にあっても、ドルーアの下から外れた今でも、アカネイアから見れば敵国であった。マケドニアにどのような意図があろうが、簡単に従うつもりにはなれない。
ニーナの意思がどこにあるかは実際に会うことができればわかるのかもしれない。確実に会えるという保障はない。結局、ミディアはその内容を、他の兵士達に知らせることはなかった。
明くる日、昼食後に半時ほど時間を置き、カミユはニーナを迎えに上がった。
「ニーナ様?」
数回ほど扉を叩き、呼びかけたが反応はない。
「ニーナ様、失礼します。」
カミユは見張りの者に断りを入れて扉を開けた。ニーナにあてがわれた部屋は、実際に以前ニーナが使っていた事もある部屋である。やや広めの余裕のある部屋だったが、急に用意されたためか、調度品は多くなく、広さのわりに寂しさも感じさせる。
一見してニーナは見当たらなかった。どうしたことかと一瞬考えたカミユであったが、バルコニーへと続く扉が開かれているのが見て取れた。
「こちらにおいででしたか。」
バルコニーの様子を窺がうと、想像通り城下に目を向けるニーナがいた。
「……もう、どれくらい経つのでしょう。前にこうしてパレスからの景色を眺めることができた時から。」
カミユの気配に気付いたニーナだったが、視線は外を向いたままだった。以前、目にしていた、溢れるほどの活気に満ちていたアカネイア城下の姿はそこにはない。マケドニア軍の力で統制は取り戻されつつあるものの、その景色は往時とは比べることもできなかった。
ニーナはアドリア峠の戦いでドルーア軍に投降した後、オレルアンへ脱出するまではアカネイアパレスに幽閉されていた。幽閉されていた部屋は外の様子を知ることができるような部屋ではなかったから、こうして城下を眺めるのはアカネイアパレスを脱出した時以来となる。既に十年近い歳月が経過している。
カミユはしばらく何も言葉にすることはできなかった。カミユが初めてニーナと会った時から、ニーナの表情から憂いが消えたことはなかった。今この時にも、カミユから見れば至高の美しさを持つその横顔には憂いが伴われている。心から明るい表情を浮かべることはまだ無理なのだろう。
今のカミユにニーナを支えることの障害となるものは何もない。ニーナに笑顔を取り戻させることこそがユベロに言われたカミユ自身の役目なのかもしれない。しかし、それはどのようにして達成されるものなのだろうか。
「そろそろ時間ですか。」
気が付くと、ニーナは振り返り、カミユをじっと見つめていた。
「はい。お迎えに上がりました。」
礼をするカミユに、ニーナは頷いて見せた。
エルレーンもマチスに同席し、会議に出席する予定となっていた。しかし、その前に寄るところがあった。
「おい、リンダ。そろそろ行くぞ。」
格子のついたドア越しにエルレーンは話しかける。
それは、ドルーア軍が自軍内の営倉として使用していた建物を、マケドニア軍が占領後に今度はマケドニア軍の営倉として使用している建物だった。城の地下室と違い、比較的に部屋の中も整ってはいるが、人を監禁しておくための設備は別に用意された捕虜収容所の比ではない。壁は厚く、外側の窓にもドア側の窓にも格子がはまっている。もちろん、錠前も頑丈な物が使われている。
マケドニア軍もここまで大所帯になると、いくら綱紀を徹底させようとしても違反するような輩も出てくる。そういった者を懲戒のために監禁しておくのがこういった建物の目的である。
他にも監禁されている者はいたが、リンダの場合は立場的に微妙だった。本来であれば、騒乱を起こした犯罪者なのであるから、犯罪者が収容される建物に収容されるのが筋だがそういうわけもいかない。なにしろ、正体が判明した時点でリンダもミシェイルとマチスが組み立てるマケドニアの構想の中に組み込まれてしまったのだ。
とは言っても、大人しく言って聞くような人でないから、改めて客人として扱うことにも無理がある。仕方がなく犯罪者の牢よりはまだ扱いがましな営倉に置かれているというわけである。
「ああ。わかったから早く開けてくれ。」
ドアの向こうからぶっきらぼうな声が聞こえる。
(陛下は本当にこの者を一国の国王とする腹づもりなのだろうか?)
マチスに話を聞いて以来、何度も頭によぎった思考が再び浮かんでくる。エルレーンは首を振りながら部屋の鍵を開けた。
「準備はできているんだろうな。」
扉を開けたエルレーンの前に現れたのは、魔道士の正装に身を包んだリンダであった。普段は身軽で質素な装いで閉じ込められた日々を過ごしていたリンダだったが、会見に先立ってそのままではまずいとエルレーンに渡された衣装を身に着けている。
「……問題ないようだな。行くぞ。」
エルレーンもそれだけ言って簡単に手招きだけすると歩き始めた。リンダも黙って続く。
リンダにはいろいろ思うところはあったが、それは昨日、この話を聞いた時に散々エルレーンと話したことであった。話というよりも怒鳴り合いだったが。
エルレーンはもちろん会議の目的を知ってはいたが、リンダにはただアカネイアの今後の方針について打ち合わせるから出席するように伝えただけだった。リンダはそのようなものには出ないと言い張ったが、エルレーンに強制され渋々頷いた。
リンダ自身が考える今のリンダの価値は、ただ大司祭ミロアの娘と言うことだけである。他に持っているものと言えば、幼少の頃に教育を受け、その後に独学で伸ばした魔法の腕前があるだけだ。
お飾りになるくらいなら飛び出して行ってやる。リンダはこの時はまだそんな風に考えていた。
リンダの意気は部屋に通された瞬間に途切れてしまった。目の前の人物は彼女がよく知る人物であり、二度と会うことはないだろうと考えていた人物であった。
「ニーナ様!」
座っていたニーナも立ち上がる。
「リンダ!ああ、また会えたことを感謝します。」
飛びついてきたニーナをリンダが支える形となった。後ろではエルレーンが冷めた目でそれを見ていた。
「ニーナ様……。」
やや遅れて連れてこられたミディアも、ニーナを見て立ちすくんだ。お互い様ではあるが、ニーナは以前よりだいぶやつれているように見えた。
「ミディアも、あなたも無事だったのですね。」
と、ニーナはミディアに向き直る。
「ミディア……えーと、どちらさん?」
ニーナから見れば、リンダもミディアも限りなく再会を喜べる相手であったが、リンダとミディアはお互いにお互いのことはわからなかった。
互いに会っていないことはない。しかし、リンダがアカネイアパレスから落ち延びることとなったのは、ドルーアがアカネイアパレスを攻略したその時だ。まだリンダは城の中の誰がどの職についているかなど気にする年齢ではなかったから、ミディアのことも覚えてはいない。一方、ミディアも八年前のリンダの姿しか印象にないからここまで成長してしまうと誰だかわからない。
「ミロア大司祭の息女、リンダ殿ですよ。ミディア。」
そう言われればミディアは驚かざるを得ない。見れば確かに彼女は魔道士の装いをしているし、面影も残している。
「そしてこちらはディール侯のご息女で、騎士団の大隊長でもあるミディア殿です。」
逆にニーナはミディアをリンダへ紹介する。侯爵の娘であることはあまり大きく言いたくはないミディアではあったが、このような場所では仕方がない。実際、彼女が残されているアカネイア軍の捕虜を取りまとめていることについては、大方が彼女の立場を考えてそのようにしている部分もある。ミディア自身に実力がないわけではないし、部下達もそれがわかっているからミディアの指示にわけもなく逆らうようなことはないが、女性ながら一軍のトップとなってしまっているミディア自身の感情には複雑なものがある。
ニーナとの再会を喜ぶ一方で、会議に向けて気を引き締めなければと、ミディアは無意識に表情が硬くなってしまう。
「エルレーン、一体どういうことだ。」
リンダがそう言うと、一同の視線が一斉にエルレーンを向いた。エルレーンはその一人一人と視線を交わす。
「……この集まりは、これからのアカネイアの方針を話し合うための会です。ニーナ殿下については、事前に話すと要らぬ混乱を招く恐れがあったので、リンダ殿には話していませんでした。ご承知置きください。」
リンダはともかく、ミディアにとってもリンダが来るというのは予想外だった。ニーナの向こう側に控えるように着席している男性も知らない人物である。
「そちらの男性は?」
と、ミディアが尋ねた。エルレーンが何か言う前にカミユ自ら話し始める
「元グルニア黒騎士団団長のカミユです。故あってニーナ様の護衛をしています。」
ミディアは言葉を失った。大陸一の騎士と言われるカミユをミディアが知らないわけはない。
「ふーん、話には聞いたことあるね。でも、グルニアはごたついていて、ここしばらく行方知れずだって聞いてたけど?」
そう言ったのはリンダだった。あまりに無遠慮な言葉に、エルレーンが眉を吊り上げた。カミユはただ苦笑いするだけであった。
そろそろ時間ではあったが、マチスは未だ姿を現さない。
「詳しいことはマチス閣下が来られてから直接説明します。申し訳ないが今しばらくお待ちいただきたい。」
エルレーンの仕切りでその場は一度落ち着いた。ニーナにはミディアとリンダに対していろいろと話したいこともあったのだが、エルレーンの手前それははばかられた。
マチスはこの会議が極めて重要であることを認識はしていたが、結局は会議場に着くことが半時ほど遅れてしまった。このため、会議の場には既に参加予定の全員の姿があった。周囲を警備のために大勢の歩哨が見回っているのを横目に、マチスは会議室の扉を開けた。
既に紹介は終えているのだろうか、みな落ち着いている。マチスが部屋に入るまで、会話がかわされていたのかどうかはマチスからはよくわからなかった。マチスが扉を開けて中を確認したとき、誰も会話をしていなかったからだ。一見するとエルレーンが渋い顔をしていたが、それ以上に怒っているようにしか見えない表情をしていたのがミディアだった。
マチスは会議室の一番奥に用意されていた、彼のための椅子にそそくさと着席した。
「遅れて申し訳ありません。所用が片付きませんで。」
六人が三人づつ対面して座っている。マチスは真ん中にあるべきだが、マチスの側で真ん中に座っているのはエルレーンだった。マチスはその右に、マチスを挟んでエルレーンの左側にはリンダが座っていた。マチス自身は話しに聞くだけでリンダと会うのはこれが初めてだったのだが、魔道士の格好をしていたので当たりはついた。
反対側は、こちらは一応中央にニーナ、マチスの正面にカミユ、反対側にミディアという形だった。
「マチス殿、まずは説明をお願いできますか。」
ニーナの言葉で会議は始まった。会議に主な目的は、マチスからアカネイアの今後の方針についてニーナとそれに近い者に話し、理解と了解を得ることにある。そこで、マチスもその話を中心に進めていく。もっとも、最終的にはニーナやミディアにマケドニアの決定を覆すだけの力はない。
マチスはまず、最終的にはニーナへアカネイア中央の政権を返還するつもりであることを前置きとして話した。
話し合いが必要となるのは返還するその時期と方法である。ニーナ自身がここにいるのだから、短絡的に考えれば即日返還することも可能だ。
ここで、マケドニア側ではドルーアとの紛争が一段落するまでアカネイアパレスを中心にアカネイアへはマケドニアが軍政を敷くつもりであることが伝えられた。ドルーアから地続きなのはマケドニアだが、ドルーアの位置からは海を挟めばグルニア、アリティア、グラ、アカネイアにも直接侵攻できる。アカネイアへの軍政は、アカネイアの混乱を抑えると共にドルーア軍のアカネイア侵攻を阻止することが目的である。
「その間、ニーナ殿下にはアカネイアへ政権を返還するその準備をしてもらいます。まずは治安維持と経済状態の把握、これができていなければ話になりません。」
ニーナはマチスの話をじっと聞いている。ミディアも表情は険しいながらもしっかりと聞いている。リンダだけが退屈そうに説明を続けているマチスをぼんやりと眺めていた。
「ニーナ殿下、今のアカネイアにマケドニアは次のことを要求します。一つは独力で治安維持と行政が可能なだけの力を持つこと。もう一つはドルーアとの戦いに対して戦力を供出することです。一定の成果があったと我々が認めれば、アカネイアの主権は返還されるでしょう。」
「その基準はどのようにして決めるのですか。」
質問を発したのはミディアだった。一定の成果などという表現は曖昧に過ぎて、マチスがどのような考えでいるのかがミディアにはわからない。
「その時の状況を鑑みて、我々が策定します。」
ミディアは息を飲んだ。これでは口約束より性質が悪い。
「アカネイアの返還についてはそれほど悲観しなくても問題ありません。我々には分不相応の広範囲を統治するつもりはありません。ドルーアとの戦いが終われば、返還は行われると思っていてもかまいません。」
そう言われてもミディアは疑心暗鬼にならざるをえない。ミディアはどちらかと言えば武人だが、戦争状態においてはこのような約束がとても信頼できる物ではないとことは判断できる。
それではどのように反論するべきか。マケドニアがこのように話を展開するにもかかわらず条件を明確にしないのであれば、本来はニーナやミディアの側から何らかの条件を示し、認めさせるべきだろう。しかし、そのための情報をミディア達は持っていない。
「それでは、私達にアカネイアが返還されるまで、マケドニアの占領下での私達にはこれからどれほどの権限があたえられるのですか。」
とニーナが聞く。
「あなた方へはアカネイア中央の収入の半分まで使用を認めます。その範囲内では自由に動いてもらって構いません。」
ニーナは考え込む。これは、悪くは無い条件なのかもしれない。
「ただし、マケドニアからは更に条件があります。」
と、マチスは続ける。
「一つはカミユ殿の意思の確認が必要になります。カミユ殿がニーナ殿と婚礼を挙げアカネイアの王位がカミユ殿に委譲されることです。」
場にいた者達は息を飲んだ。
「……性急に答えを出す必要はありませんが、これは条件の一つです。少なくともドルーアとの戦いに答えが出るまでには考えておいてください。」
話を聞き、最も動揺していたのは本人達であるように見えた。カミユの方は黙ったままで、いま一つ何を考えているのかはわからなかったが、ニーナの方は目に見えて動揺していた。
ニーナに忠誠を誓っているミディアは、実はそこまでの動揺はしていない。ニーナの立場を考えれば、結婚が政略的に大きな意味を持っていることは確かだからだ。同じ考えはリンダにも少なからずあった。
マケドニアの目的はアカネイアの権力がマケドニアに都合の悪い者に渡ること避けることにあるのだろう。そう、ミディアは考えた。
「そして、もう一つ。アカネイア王国領だった各地の領土には、それぞれ王国として独立してもらいます。」
こちらは、ニーナとカミユは既に知らされていたことだったが、ミディアが首をかしげた。その言葉だけではマチス達が何を行おうとしているのか、ミディアには理解できなかった。
「それは……どういうことだ?」
当然、ミディアからは疑問が出てくる。
「アカネイアの各侯爵領はそれぞれ王国として独立してもらいます。今までも独自の裁量権は大きな範囲で持っていたとは思いますが、これをアカネイア中央から完全に切り離します。」
ミディアは唖然とした。
「馬鹿なことを言うな!アカネイアはこれから復興していかなければならないのだ。そのようなことをすれば大きく弊害が出るに決まっているではないか。」
ミディアはマチスへ向き合う。ミディアの視線は厳しい。
「……受け入れられない領域では、必要な形が整うまでマケドニアの統治が続くだけの話です。ニーナ殿下に置かれては問題はありませんね。」
ニーナはゆっくりとこれに答える。
「この場で即時に決めることができないこともあるようですが……。分割の件については私が口を出すことではありません。」
ミディアは相変わらずマチスを睨み付けている。大方、どんな手管を使って言いくるめたのかとでも考えているのだろう。
「ニーナ様!それでよろしいのですか!こんなことを許せばアカネイアはアカネイアでなくなってしまいます。」
ミディアは自分で言葉にして気がついた。それこそがマケドニアの狙いなのであろう。
「マチス殿、分割という話を拒否すればどうなりますか。」
ニーナはそう質問したが、答えはニーナにはわかっていただろう。口調に抑揚はなく、あくまで穏やかだった。
「アカネイアの分割はマケドニアの規定事項です。この計画の遂行なくしてアカネイアへの主権返還はありえません。」
そして、その通りのことをマチスは答えた。
「横暴です!」
ミディアが机を叩いて叫ぶ。マチスは冷静であった。
「マケドニアはこの決定について、アカネイアの了解を得ようとも、理解を得ようとも思っていません。マケドニアがこのような結論に至った背景は、アカネイアの者には想像もつかないだろうからです。」
マチスはともかく、どうしてニーナ様はこれほど冷静なのだろう。ミディアは不思議に思う。リンダは状況を把握しきれていないように見えるが、カミユに至っては微動だにしていない。激高しているのは自分ばかりである。
アカネイアの影響力を削ぐ。これは長らく続いている戦争の中での、マケドニアにとっての至上命題であった。親マケドニアの指導者がアカネイアを治めるとしても、それは一時的なことであるかもしれない。大陸全土に大きな影響力を持つアカネイアをそのままにしておくことはマケドニアにとって危険極まりないのだ。それでは、今まで戦争を行ってきた意味がドルーアからの防衛だけとなってしまう。アカネイアはその影響力がマケドニアを揺るがさない程度に力を削ぐ必要がある。
ミディアはアカネイア侯爵家の娘だ。軍で指揮を取る立場にあっても、結局はアカネイアから外に出たことはなく、アカネイアの中からの視点でしか物を見ることができない。マケドニアがアカネイアに対してどのように考えていたかなど、考えることもできない。そこが他の参加者との温度差になっていたのだが、ミディアはそのことに気が付くことができない。ただ、マチスの強い物言いに対しては歯噛みすることしかできなかった。
ミディアが反論しないことを確認して、マチスは話を続ける。
「ミディア殿、リンダ殿。ミディア殿はディール領、リンダ殿はレフカンディ領の国主をお願いすることになります。実際に計画が実現すれば、ディール国王、レフカンディ国王ということになります。」
「……私が、王?」
今度は首をかしげるミディアの対角線上から怒鳴り声が飛んだ。
「ちょっと待て、聞いてねぇぞそんなこと!」
およそその場に相応しくない荒い口調に、アカネイア側の三人は不謹慎と思うよりも先に驚いていた。隣にいて、直に大声を浴びせられる形になったエルレーンは思わず右手でこめかみを押さえていた。
「俺なんかに王様が務まるわけねぇだろ。今までスラム街の連中と一緒にやってきてんだぞ。どこをどうやったらそんな話になるんだ。」
頭を抱えながらもエルレーンは心の底からその言葉には同意していた。魔道技術に関しては一角の物を持っていることは疑いようのない彼女であったが、とても一国の王として政務が務まるとは思えない。
もっともマチスに言わせれば、それだけの才を持っているのであれば政務に関しても問題なく吸収していけるだろうとのことであった。しかし、それ以前に性格に問題があるような気がして仕方がない。
「候補となるような人材がいないのです。ミディア殿は元々ディール候の公女ですから、候補とされるのは当然のところです。メニディのジョルジュ殿も同様です。しかし、残りの領主はドルーア側へ寝返ったか、行方不明です。リンダ殿であればアカネイア大司祭の御子息ですし、問題はありません。」
このシナリオはマチスとミシェイルがかねがね詰めていたものであり、マチスはそれを実行に移そうとしているに過ぎない。説明が滞るようなことはなかった。
しかし、体面上は納得できる話でも、実際的な部分ではリンダは全く納得できない。
「リンダ、落ち着きなさい。」
「……ニーナ様。それどころじゃ。」
「何も、今日、明日にもという話ではないのです。考える時間もあるでしょう。……それでは、私はあなたやミディアにはこの話を引き受けて欲しく思います。それで、アカネイアは復興することができるのですから。」
リンダもニーナにそう言われると押し黙ってしまった。リンダにはニーナがなぜこの話を承知しているのか、従来政治の世界など気にしたこともないリンダにはわかるわけがない。
しかし、リンダは納得などしていない。確かに、父親のミロアはアカネイアの大司祭として、アカネイアの政治にもそれなりに影響を与えていた。だが、国を治める力が自分にあるとは思えない。
一方のマケドニア側が提示した国王候補は、あくまで現状に沿ったマケドニアの希望から選出されている。すでにレフカンディの予定がついに行方がわからなかったカルタスからリンダへ変更となったように、ミディアやジョルジュ、リンダがあくまで引き受けないと言うならば変更も有り得る。できるだけ面倒は起こしたくはないというのがマチスの正直なところではあったが、重要なことだけに打診から実現までを見届ける必要があった。
「先ほど、ジョルジュ殿の名前が出てきたようだが、彼も行方不明ではないのか?」
一度、落ち着いたところで、ミディアがそう聞いた。
「ミネルバ殿下がペラティへ遠征した折、ジョルジュ殿にお会いしたそうです。その時はそのまま別れてしまったとか。現状はペラティの総督府へ連絡要請を行っています。あの辺りはマケドニアが遠征した折にマケドニア領へ併合しました。その後、大きな争いは起きていませんので、引っ越したりしていなければ連絡を取ることは難しくないはずです。」
と、マチスは言う。
ジョルジュへは、ニーナも存在を確認しようとしたことがあったが、結局探し当てることはできなかった。ペラティなどと言う大陸からも離れた位置にある辺境にいたのであれば、それもわかることではある。ニーナが隠れていたグルニアの森から見れば、ちょうど大陸の反対側の端だ。
「わかりました。でしたら、私の名前でアカネイアパレスへ出向くよう書簡を認めます。」
と、ニーナが言う。ニーナにしても、ジョルジュがいるのであれば心強い。ニーナの腹心とも言えるのがミディア、アストリア、ジョルジュの三人だったが、この中ではジョルジュは参謀役と言った立場だった。
「こちらからお願いしたいところでした。よろしくお願いします。」
これで、マチスから話をすることはほぼ全てであった。
「現在、マケドニア軍は暫定的にでもアカネイア全土を掌握するべく行動しています。メニディ領やアドリア領は未だ混乱している地域もありますが、ドルーア軍が撤退していることもあり、早晩安定するでしょう。そこからどうするかは、あなた達次第です。」
マチスもこの場でニーナ達から結論が引き出せるとは思っていない。この場はあくまでマケドニアからアカネイアへの要望を伝えるための場である。
「マチス殿、それで私たちの行動の自由は保障してもらえるのか?」
と、ミディアが聞く。
「まずは、明日よりニーナ殿へ段階的に権限の移譲を行います。ただし、マケドニアはアカネイアの管理を放棄はしませんので形式上は資産や権限をニーナ殿へ貸与する形を取ります。また、これとは別に、ミディア殿はじめ、アカネイア軍の方達については明日より自由にして頂いて構いません。まずは、当面の細かい決め事に関して、これからお話します。」
マチスの説明では、マケドニアは現時点でアカネイアの責任者をニーナと定めるとした。アカネイアの側からマケドニアへ要請することがあれば、ニーナの名前を用いらなければならないことを明確にした。
物資や資金の譲渡、建造物の貸与などの要請がアカネイア側から行われる場合には、書面にニーナのサインがなければ無効であることを念を押した。
マケドニア側では、基本的にニーナから要請があればその都度その要請を処理していく。これらはその都度、貸与した量が換算され、その上限が収入の半分となる。
マケドニア側の窓口は、もちろん最高責任者はマチスであったが、常にマチスが応対するわけにはいかないのでアカネイアに応対する適当な者がアカネイアの管理に当たっている者から既に選ばれている。エルレーンにもそのような余裕はないため、また他の人物だ。これはまた、翌日紹介することになっている。
一応、ミディアの意思について確認が行われた。ミディア達はアカネイア軍としてマケドニア軍に収容されていたが、アカネイア王国という体制自体が崩壊している今、アカネイア軍という組織はすでに存在しない。収容所が解散した後にニーナについていくかどうかはミディア達の自由とされたのだ。このことについては、ミディアは一も二もなくニーナの力になると返答した。
ミディア達、地下牢から出された元アカネイア軍が収容されていた収容所は、そのままニーナの新アカネイア軍の宿舎兼詰め所として貸与されることとなった。ミディアは早いうちに収容所にいるアカネイア軍の兵達にニーナを手伝えるかどうかを確認する。
「リンダ、君もニーナ殿のところに戻るのだ。」
話が一段落したころに、エルレーンは切り出した。
「……やっぱりな。ここに連れてきたのはそれが狙いだろ。でもいいのか?俺はこんなだし、ニーナ様の手伝いなんてできやしない。」
と、リンダは言う。言葉遣いは相変わらずだが、列席している人に対する暴言にはなっていないだけましなのかと、エルレーンは考える。
「リンダ、戻ってきて下さい。お願いします。」
そんなリンダにも、ニーナは何も触れずただ頭を下げた。
「……わかったよ。」
リンダはしばらく考えていたが、結局はそう答えた。心のどこかにニーナに頼まれると嫌とは言えないような部分があったのかもしれない。
「決まりだな。君の持ち物は後で届けさせよう。」
エルレーンは安堵し、一人息をついた。リンダにも興味はあったものの、これで厄介払いができるという心情の方が大きい。
リンダは、ミディアがいる収容所の一室を借り受け、そこに移動することとなった。
他、細かいことを色々とマチスは主にミディアと調整した。その場で決めるべきことを全て片付けると、それでその会議はお開きとなった。結局その会議の間、カミユは一度も発言することはなかった。