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FireEmblemマケドニア興隆記
 竜王戦争編
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三十一章 爪痕

 マリクとエリスは、ガーネフとの戦いの後はサムスーフの隠れ家へは戻らなかった。ミネルバの計らいでオレルアン緑条城に部屋を用意してもらっていたのである。長い間の眠りから覚めたばかりのエリスの様子を見るために、なるべく良い環境が欲しいと考えていたマリクは、その取り計らいを受けることにしたのだ。
 オレルアンにいるミネルバは、本来であれば自身が持つ遊撃部隊の指揮のみを行う立場なのだが、マチスがレフカンディへ移動して以降はそれまでマチスが行っていたオレルアン総督の役割も果たしいる。もっとも、マチスがアカネイアパレスの奪回作戦を指揮するつもりであったのなら、マチスが負傷しなくても、オレルアンはミネルバに任されることとなっていただろう。
 ミネルバは、マケドニアへ帰還した後に自身で編成した遊撃部隊を率いてオレルアンに駐留している。政務面で口を挟まなければならないような場面はほぼないため、この遊撃部隊は日がな訓練に明け暮れている。ガーネフとの戦いの折には全面的にバックアップを行った。
 ミネルバは自分が白騎士団を率いていた時とは異なり、三姉妹と共に行動する機会も減ってはいた。ただ、カチュアとだけはマルスとの繋がりの為にオレルアンに常駐していたため、よく話をすることもあった。そのカチュアの伝令部隊もアカネイアへ拠点を移動することが決まり、基本的にはカチュアも部隊と共にアカネイアパレスへ移ることとなった。しかし、カチュアが行っていたマルスとの伝達役という役割は変わらずカチュアが続けることになっている。依然オレルアンへ逗留することも多いため、カチュアの部屋はオレルアンでもそのままにされている。
 カチュアはまた本国との重要な連絡も取り仕切っている。アカネイアパレスが陥落し、書簡のやりとりの頻度も増した。ミネルバに対しても週に二通や三通は恐ろしいほどの長さの書簡が届けられる。
「マリク、ミネルバ殿下はどのような用向きだったのですか?」
 ミシェイルからの書簡が届いたその日、珍しくマリクはミネルバに呼び出され、マリクは今までミネルバと面会していたところだった。あてがわれている自室に戻ってきたマリクを迎えたのは、待ちきれなくなって隣室から話を聞きに来ていたエリスである。
「エリス様……、ミネルバ殿下に拠ると私に新しい国の国王になって欲しいとのことです。」
「新しい国?」
 ミシェイルは、ニーナをアカネイアへ移動させたことでかねてから考案していたことを現実的な計画線上に乗せた。それがアカネイアの分割計画である。その第一段階として、分割後の国王候補としている人物につながりを持ち、計画を伝えることを現実に移した。
 マリクはオレルアンに、ハーディンはサムスーフの隠れ家にいる。このため、この方面の書簡はミネルバに届けられた。
「ミシェイル国王はアカネイア王国を分割する心積もりだそうです。アカネイアには人がいないため、アリティアから私にアドリア領の統治をお願いしたいと……そういうことだそうです。」
 ミシェイルがマリクを指名したのは、マリクが実質的にアリティアでマルスに次ぐ地位にあるからだ。
 生存しているアリティアの組織を見れば、頂点に立つのはもちろんマルスである。次点はエリスとなるのだが、エリスはその立場上政治的関与をほとんど期待されていない。アリティアが陥落した時期から言って、マルスもマリクもアリティアの政治に関係してはいないのだが、アリティアの舵取りをしていくとなれば第一は王子であるマルスだし、次はアリティアの公爵家の跡継ぎであるマリクとなる。
「分割するとしても、大半はアカネイアに縁のある者たちが統治することになるそうですが……グラに隣接するアドリア領を私に、オレルアンに隣接するサムスーフ領をハーディン公にとの考えのようです。」
 マリクは嘆息する。ミシェイルの考えはわかっている。戦後のアリティアの力、オレルアンの力を分散して削ぐことが目的だろう。引き受けるにしてもアリティアもアドリア領はこの戦役で荒れ果てている。一筋縄ではいかないだろう。
「マリクは……どうすればよいと思いますか。」
 思うかと聞いているが、どうするつもりかと聞いていることと同じだ。
 マリクとしても思案のしどころだ。断ってマルスの手伝いをすることはできるだろうが、マケドニアがドルーアに勝利した後のことをを考えればマケドニアとの関係を悪化させることは避けたい。
「考えどころです。話を受諾し、マルス殿下と協力してアリティアと共存関係を築くことができれば上々でしょうが……。」
 マケドニアはアカネイアの力を削ぐ為にアカネイアを分割する。だから、その変わりにアリティアを極端に強化するようなことは許さないはずだ。なんらかの干渉は必ずあるだろう。
「ミネルバ殿下とカチュア殿は早いうちにマルス殿下の隠れ家へ赴き、ハーディン殿下へこのことを伝えるそうです。」
 マリクは続ける。
「それと……ガーネフの死によってカダインが混乱したため、グラとマケドニアが講和しました。実質的にはグラが降伏したと考えて間違いないでしょう。マケドニアはグラの占領下にあったアリティアを要求し、受け入れられました。アリティアはマルス殿下へ返還されるとのことです。」
 いい話であるはずなのだが、マリクの話は淡々としている。アリティアが失われたのはアリティア王家の責任だが、これを奪回したのはアリティア王家の功績ではない。このあたりを民衆がどのように捉えるか、不安なところではある。
「何か、難しそうですね。」
 エリスの言葉にマリクは肩をすくめる。
「アリティアの復興は調べてみなければわからないことが多いですから。今からあれこれ考えていても仕方がないことはわかっているのですが……それともう一つ、マルス殿下にはドルーア討伐に参加して欲しいということです。ファルシオンがありますから当然ですが、そうなれば私も出向くことになります。」
 マリクはファルシオンに目を向けた。ファルシオンはテーブルの上に堂々と置かれている。無造作ではあるが、アリティアの直系以外には扱えないという制約のため、マルス以外が普通に持ち運ぼうとすれば重さがかさみ満足に動かせない。もちろん、十分に警備はされている。
「仕方がありません、それがアリティアの役目なのですから。」
 エリスはゆっくりと首を振る。
「とにかく、一度、隠れ家へ戻る必要があります。マルス殿下にファルシオンをお渡ししなければなりません。既に隠れている意味も薄れてきていますし、一度に移動しても問題はないでしょう。エリス様も一緒にいらっしゃいますか?」
「もちろんです。」
 悪い方向ばかりに考えてはいけない。マケドニアの思惑があるとはいえ、ファルシオンもエリスも戻ってきた。アリティアの国も戻ろうとしている。
「エリス様、大丈夫です。きっとアリティアは元に戻ります。」
「ええ。」
 エリスは頷いて見せたが、どこかしら納得しきっていないようにもマリクには見えた。

 マリクとエリスは、マルスへ会いに行くというミネルバと共にサムスーフの隠れ家へ向かうこととした。カチュアも同行しており、飛竜と天馬あわせて四騎と隠れ家へ向かうには大所帯である。マリクは飛竜に、エリスは天馬にそれぞれ便乗していた。それぞれが空を駆けていれば、偵察や伝令などではないことは誰の目にも明らかだった。
 マルス達にはすでにテーベの話とアカネイアパレスの話は伝達済みである。外を見張っていたジュリアンから飛竜が来たことを聞くと、マルスはハーディンを伴って出迎えに上がった。
 最初に姿を現したのは軽装の鎧に身を包んだ女丈夫、マルスは初めて見る顔である。正確には以前にも会ったことはあるのだが、十年以上間が開いてしまっていては誰だかわかるはずもない。
「お初にお目に掛かる。ミシェイルの妹で、今はオレルアンを任されているミネルバだ。」
 その女丈夫、ミネルバは丁寧に頭を下げた。
「……アリティアのマルスです。」
「オレルアン騎士団長、ハーディンだ。」
 マルスはやや気圧されながら、ハーディンは堂々とそれに応じた。ハーディンはミネルバとも面識があり、時間はだいぶ空いてはいるがミネルバのことも覚えている。
「マリク、おかえりなさい。それに姉上……ご無事でよかった。」
 ミネルバの後ろには、カチュア、マリク、エリスの三人が控えている。
「殿下、これを。」
 マリクは早速、背中に紐で括っていた剣をマルスへ差し出した。
「ファルシオンです。お納めください。」
 その剣は確かにマルスも見覚えがある、玉座の間に象徴としても置かれていた剣、ファルシオンであった。
 マルスはファルシオンの柄をつかみしっかりと両手で持った。その特徴的な曲刀を二度、三度振り回す。
「……手になじむ。それに、他のどんな剣よりも軽い。これがファルシオン。」
 マルスがそうしているのを、ミネルバもマリクもしばらく黙ってみていた。ファルシオンはアリティアの直系にしか扱えないと言われるが、マルスは長年愛用してきた道具のようにファルシオンを扱っている。
「不思議なものだな。今はマルス殿下しか扱えない剣か。一体どのようになっているのだろうな。」
 ミネルバが興味深くその様子を眺める。ミネルバも、城に運ばれてきたファルシオンを確かめているから、その光景はことさら不可思議だった。
 マルスは素振りを五、六回行った。
「失礼しました。少々確認させていただきました。中に席を用意してあります。暗くて窮屈なところで恐縮ですが、案内します。」
 マルスが案内したのは、いつも会合に使っている小部屋であった。豪華な城内の会議室ではないから、粗末な木のテーブルと椅子が置かれているだけである。光はほとんど差さず、机の上には燭台が置かれている。既に一人の老将が席についていた。
「アリティア騎士団長のジェイガンです。」
 ミネルバがわざわざ来訪すると聞いたマルスが、参考に意見を聞くために同席させたものだった。ジェイガンはマルスに紹介され、頭を下げる。
「久しぶりに御意を得ます。ミネルバ殿下。」
 マルスとは異なり、ジェイガンもコーネリアスに従ってマケドニアと行き来した際のミネルバを覚えている。もっとも、ジェイガンが覚えているのは少女であったころのミネルバではあったが、確かにその面影は残されている。これに対してはミネルバは簡単に頷いたのみである。
 マルスに促され、ミネルバとカチュアが席に着く。ハーディンとマルスは相対して座り、マリクも席に着いた。
「早速だが……。」
 ミネルバはここに来た目的の説明を始めた。まずは、アカネイア王国分割の話である。ハーディンはこのために同席している。
「貴殿の言われることは了解した。私、個人としては了承することを約束しよう。ただし、これはオレルアンへの影響が大きい事柄であるから国内での調整を行わなくてはならん。正式な返答はそれまで待っていただきたい。」
 他の者が驚いたことに、ハーディンは二つ返事で肯定的な返答をした。
「国内の調整とは?」
 唯一、気に掛かったところをミネルバが聞き返す。ミネルバが聞くところではそれは理解できない言葉であった。オレルアンは未だマケドニアによる占領統治下にあるし、ハーディンが存在しなくてもオレルアンの運営に問題はない。ハーディンがその気であればその身一つでサムスーフへ赴くことが可能なはずだ。
「貴殿の言われるところは私が陛下の臣下ではなくなることを意味している。これは陛下に許しをもらわなければならない事柄だ。陛下は城内に居るのだろう?早めに面会の手筈を整えていただきたい。」
「……心得た。」
 マケドニアはオレルアンやタリスから統治権は取り上げているが、国王を廃しているわけではない。現地の役人は依然、その国王の臣下という立場にある。これは、マケドニアが各地の円滑な統治のために広く知らしめていることでもあるのでハーディンの依頼はもっともなことであった。
 本来、ミネルバにはオレルアンの国王夫妻を使って活動するだけの権限は持たされていないが、これは勝手に処刑したり、人質としての行き過ぎた扱いをさせないための処遇である。ハーディンと面接する機会を設けるくらいであれば問題はないだろうとミネルバは判断した。
 引き続き、アカネイアの状況が説明される。アカネイア中央ではニーナとカミユを中心にした活動が始まりつつあること。瓦解したドルーア軍は本国へ撤収していることなどが説明された。
 そしてアリティアのことに話は移る。
「先ほど説明したとおり、マケドニアはグラが現在領有しているアリティア領を割譲してもらうことを条件としてグラと講和しました。但し、現状では割譲されたことが決定したばかりで、アリティア領にはグラ軍が駐留しているはずです。陛下からは引き受けたアリティア領は速やかにマルス殿下へ返還するよう言付かっています。」
 いい知らせではあった。しかし、マルスは考え込んでしまう。
「ジェイガン、どう思う?」
「難しいですな。アリティア宮廷騎士団は今ここにいる四名のみ。この人数でできることは極限られてしまいます。即座に引き受けたとしても安定させるためには民の助力が必要不可欠ですが……まずは実際の状況を知らねばなりますまい。」
 ジェイガンの言葉にマルスも頷く。マケドニアからは返還が約束されていた事項であったとはいえ、長い間にドルーア、ガーネフ派のグラと領有されてきたアリティアが疲弊していることは想像に難くない。
「また、一つ条件があります。来たるドルーアへの攻勢に参加していただきたい。数の多寡は問いません。マルス殿下にファルシオンを持って参加していただければ、他については問いません。規模によってはこちらで輜重隊を用意することも考えます。」
 と、ミネルバが言う。
「そちらは問題ありません。元々の約束でもありますから、それを違えるつもりはありません。」
 これにはマルスがはっきりと答えた。
「ドルーアへの攻勢はまだいつ行うかははっきりとしていませんが、アカネイアの混乱をある程度は抑えてからです。これから冬になりますので、その後になるでしょう。」
 と、ミネルバは説明する。
「……そうであれば、アリティアのことについてそれまで何もしないわけにはいきますまい。」
 と、ジェイガンが言う。冬を越し、春まで準備に当てるとなればまだ半年近く時間がある。
「アリティアへは、すぐにでも戻るこことができるのですか?」
「グラへ時期について説明する必要がありますが、すぐにでも可能です。」
 アリティアへの帰還は、マルスも望んではいたが、マケドニアの元の話を聞く限りそれはドルーアとの戦いの後になるだろうと考えていた。急な話であり、段取りも何も考えられてはいない。しかし、折角グラ、マケドニアとの話が付いていて本国に戻ることができる状態となっているのに、いつまでも戻らないと言うのは本領土の民に取っても問題だろう。
「ジェイガン、まずは戻るだけは戻ってみてはどうだろうか。機会があるなら戻ったほうがよいと思う。」
 マルスの言葉に、ジェイガンはしばし考える。祖国ではあるが、離れていた六年の間にどのような変化があったか予測もつかない。素直に戻ったばかりに足元をすくわれるようなことがあってはたまらない。
「殿下、それではこうしてはいかがでしょうか。まずは私とアベルで様子を見に戻ります。問題がないと判断しましたら改めて殿下にも戻ってもらえればよいでしょう。」
「……それがよさそうですね。お願いできますか、ジェイガン。」
「お任せください。」
 この提案はマルスも素直に受け入れた。マルス以外に、アリティアへ戻って現地を纏め上げるだけの立場を持っている者はジェイガンしかいない。
「それでは、アリティアへはジェイガン殿のことを取りはかっておきます。」
 ジェイガンは頷く。
「マケドニアと違って、飛竜を飛ばすわけではないから到着までに時間はかかると思うが……、よろしくお願い申し上げる。」
「もし、よければ、私の部下にアリティアまで送らせますが?」
「……いや、それには及びません。そこまで世話を掛けるわけにはいきませんし、アベルと出立の準備をする必要もあります。予定が不透明ですからな。アリティアへ話を通して置いてさえ下されれば問題はありません。」
 ジェイガンはマルスを見る。
「モドロフ殿はお元気であろうか……。」
 出てきたのはアリティアの高官の名前であった。文官としては、唯一マルスに付いてタリスへ流れた者だ。宰相や、国務大臣ほど上位の職務に就いていたわけではないが、タリスに落ち延びてからアリティアの高官は彼一人となってしまっていたため、折衝事ではいろいろと動いてもらっていたことがある。
 ただ、レフカンディの決戦に際しては随陣せず、オレルアンに留まった。そして、その後の消息は全く掴めていない。
 軍事には全く口を出さない人で、タリスを発って以降は表に出ることも少なかったが、政務に関しては実力を発揮する。
「確かに、モドロフ卿がいれば色々と力になってくれるとは思いますが……。」
「うーむ。」
 ジェイガンが唸る。モドロフの話はジェイガンの愚痴のようなものだ。
 元々モドロフは高齢だったし、戦後にここまで連絡がつかないのであれば、これ以降に見つかる可能性はほとんどない。それはジェイガンもわかっている。
 ジェイガンはアリティアではかなり長い間、宮廷騎士団の長を務めている。その立場上、政務にも度々口を出すことはあったから、政務に対して全くの無知と言うわけでもない。しかし、基本的には武官だから、政務の舵取りは決してうまくはない。
「アリティアで新しく人材を探すしかないですな。致し方ない。」
 ジェイガンはそう結論付けた。
「決まりましたか。こちらからお話することはこれだけです。アカネイアの話はすぐに結論を出すことはできないかもしれませんが、マリク殿に置かれても色よい返答が頂けると期待しています。ハーディン殿の件についてはすぐにでも手配します。」
 ミネルバからの話が終わり、マルスからの話に移ったが、マルスからは特別なことは何もない。いつも通り、カチュアと物資の状態について話し合った程度である。
 ミネルバとカチュアはその用件を済ませると、すぐに緑条城へ戻るため飛び去った。普段であれば、カチュアはしばらくマルスと話込んでから戻るのだが、そのようなこともなく、どこか慌しかった。
「ハーディン殿、随分と簡単にミネルバ殿の……サムスーフの話を引き受けていましたが……オレルアンには戻らなくともよろしいのですか。」
 ミネルバ達を見送ったマルスはハーディンに疑問をぶつけた。ハーディンがサムスーフを治めるということは、オレルアンの領土が二分されるようなものだ。軍事面、財政面、その他にも色々と影響を受けるところがあるだろう。そのあたりを考える振りもなく前向きな回答をしたハーディンの考えが、マルスにはわからなかった。
「マルス殿、オレルアンもアカネイアに対してはいろいろと考えるところがあるのだ。」 ハーディンはそう答えたが、マルスにはやはり何のことかわからない。
 オレルアンはアカネイアからの入植者達が建国した国家だ。そして、建国以来、入植者と草原の民と呼ばれる先住者との間で諍いが絶えなかった。
 この問題を、草原の民をオレルアンの中枢部に取り込むことで解決したのが若き日のハーディンである。しかし、それ以来、オレルアンは影響力が薄まることを恐れたアカネイアから多くの干渉を受け、内乱と言う最悪の事態まで発展した。
 ハーディンから見れば、これはアカネイアの力の暴走である。アカネイアの周辺国は皆その影響を受けていた。だからこそ、マケドニアの狙いがアカネイアの国力削減にあることにハーディンはすぐに気付いた。このために、ハーディンはマケドニアからのこの話をまずは引き受ける方向で進めたのである。うまく行けばサムスーフ領を新しくオレルアンの民の受け皿とできるかもしれない。
「これは、貴殿に頼むことではないかも知れないが……。マリク殿のアドリア領受領も認めてやってほしい。長期的に見れば、アリティアのためになるはずだ。」
 マルスの父王であるコーネリアスも、アカネイアからは激しい干渉を受けていたのだが、それをマルスは知らない。ハーディンもジェイガンも、アカネイアを中心としてドルーアに対する構想が捨てきれない以上、マルスにそんな話をするわけにはいかなかったのだ。
 話半分に聞いていたマルスが、アカネイアによる干渉の実情を知るのはだいぶあとの話になる。
 一方マルスはマリクにもこの話をどうするべきか訊ねたが、逆にマルスの方がマリクからどうしたらいいか質問される始末だった。
 ハーディンはもちろんマリクもこの話を受けるべきだと考えている。他に、アリティア内でマルスにもマリクにも判断できないことがあれば、やはり頼りにするのはジェイガンである。
 ジェイガンは単純に考えれば引き受けるべきだとした。単純にと言うのは、マルスとマリクで治める領土が広くなればそれだけ実入りが増えると、そういう意味だ。
 事はそう単純に行かないだろうことの予測はできる。マケドニアがどのような方法でアドリア領の譲渡を行うのかもわからないし、アドリア領の民衆が素直に受け入れてくれるかどうかもわからない。
 しかし、そういったことを乗り越えて、長期的視野で考えるならば、その価値はあると、ジェイガンは言った。
 一番のポイントはマルスとマリクの連携である。国が分かたれれば連絡も取りにくくなるから思わぬすれ違いが発生することもある。四代、五代と比較的短いアカネイア大陸の王国間でも今まで多くの問題が発生しているのだから、懸念も発生する。
 しかし、マルスとマリクが仲たがいすることなどお互いにありえないことだと考えている。二人は即座にその考えを否定した。
 この辺りから、マルスもこの話がそれほど悪い話ではないように感じてきていた。マルスもマリクも、現段階では前向きに検討を行うということで結論付けた。
 二つに分かれる王国の間が親密となるだろうことについてはもう一つ、ゆるぎない保障があった。マルスの姉、エリスはマリクがアドリアへ赴くのであれば自分も付いていくと明言したのだ。もちろん言外の意味も含まれている。これは、マリクに取ってはもちろん、マルスにとっても心強いことだった。

 ミネルバとの会議の三日後には、ジェイガンとアベルの二人はアリティアへ戻る準備を完了し、その日の早朝から山を降りた。緑条城城下へ立ち寄り、騎乗用の馬を調達する。
 大陸の地図を見ると、オレルアンからアリティアへ向かうには海岸沿いを東に向かった後にカダインの入り口から南下した方が早いように見える。これならば海を通らず、全て陸路を進むことができるからだ。しかし、オレルアンから陸路でカダインへ向かう道は、険しい山脈と広大な砂漠に遮られていて、未だ人が行き来することはない。
 オレルアンからは草原を抜けて、大陸の内海に面した港からグラを経由してアリティアへ向かう。幸運なことにグラとアリティアがマケドニアと和解したことを知った抜け目ない商人達が、すでにアカネイア、アリティア、グラ、オレルアンを交互に結ぶ船便を再開させていた。城下で調達した馬は港で返し、船に乗り込む。
 別段海路にはトラブルもなくアリティアの北岸へ到着した。
「帰って来たんですね。」
 アベルは思わずそうつぶやいていた。
 一見して、以前と変わりない景色。しかし、航路が再開したばかりの港はまだ人影が少ない。
 二人は小休止の後、アリティアの中央へ向かう。街道沿いの村は、荒廃が進んでいた。民衆はなんとか働いているものの、見た目にやせ細り動きに覇気がない。見えないところにどれくらいの動けない者がいるのだろう。民家の三軒に一軒は生活臭がない。ドルーアの厳しい支配に逃げ出したか、それとも……と考えてジェイガンは首を振る。どのように言い訳したところでそれは過去のことなのだ。
 途中の比較的大きな村で一泊する。その村に着いたとき、まだ日は十分に高かったが、そこから先の村に宿泊できるようなところがあるかどうかわからなかったためそこで泊まることとした。
 村人の話によると、一番状況がひどかったのは去年の冬らしい。ドルーアの支配が始まってから年々備蓄が減り続け、去年の冬には五人に一人は餓死しているような状態だったと言う。ドルーアからグラへ実質的な統治者が移って、余りの惨状にアリティアの備蓄が放出された。それでも、全ての食料は賄いきれてはいないという。
 グラがマケドニアへアリティアの権限を移譲することが決まってから、グラの部隊は最低限を残して本国へ引き上げていた。このせいで、今までガーネフを恐れて表に出てきていなかった山賊や盗賊の類が動き始めているという。すでに、いくつか壊滅させられた村落もある。
 話を聞き、アベルなどはかなり塞ぎこんでしまっていた。
 翌日、王都へは夕刻近くに到着した。アリティアの王城は湖に囲まれており、山の上にあるマケドニアの王城、山に囲まれているアカネイアの王城と比べても難攻不落と言われている。しかし、手入れされていない城壁は色褪せ、剥がれ落ち、ところどころでは蔦が這い回っている。
 王城を仮に管理しているグラの兵士は、すでに全部で十人も満たなかった。率いているのはほんの小隊長ほどに見える。
 隊長は、ジェイガンとアベルにアリティア地方に関する全ての権限を委譲するという、グラ国王レギノスの署名が入った書状を渡すと、翌日にはアリティア王都を退去していた。ジェイガンは苦笑するしかなかった。何しろ、広いアリティア城の城内に二人しかいないのだ。もし、宝があるならば、盗賊が忍び込めば盗みたい放題だっただろう。
「これからどうするのですか。」
「まずは人を集めるしかあるまい。」
 このような有様ではとてもではないがマルスを呼ぶことはできない。
 指し当たって役割分担を行った。ジェイガンは人を集め、アベルは城内の資産を確認する。
 まず、ジェイガンは高札を作成し、城下の大通りと城門にこれを置いた。以前、城で働いていた者、城で働きたい者に城で働くよう呼びかける内容である。ジェイガンは募集者を受け付けるために城門から動けない。
 アベルの方ではざっと確認したところ、糧食の蓄えはある程度あった。しかし、武具の類がほとんど見当たらない。金になるような財宝の類もほとんどない。これでは騎士団を再編成するにしても大きな収入がある来年以降となるだろう。今は、貧困状態にある民衆を助けてやることすらままならない。
 城への希望者は、高札にあった名前がジェイガンであったためか、ぽつりぽつりと集まりつつあった。その大体が兵士希望であったが、少数の元文官は直ちに重要な役目が負わされることになる。
 数日後にミネルバから使者が来た際にはジェイガンはその窮状を訴えることとなった。ドルーアに占拠されていた地域がその被害を受けていることは想像ができていたため、ミネルバはアリティアへの援助を快く引き受けた。今までの、オレルアンの備蓄が切り崩され、そこから援助が行われることとなった。
 マケドニアからもたらされた援助物資はアベルを中心に整理され、王都の民衆へと施された。このため、王都の状況はここで一度落ち着いた。
 地方にはより多くの問題があった。形式的にでも存在していたグラの治安維持部隊が引き上げたため、山賊や盗賊の類がやりたい放題に暴れていたのだ。
 これにはミネルバの独立部隊が対応した。こちらも問題の深刻さを理解したミネルバが、自ら援護を買って出たのだ。
 今まで実戦の機会がなかった独立部隊だが、その力を如何なく発揮した。元々正規の訓練もしていない山賊など彼らの敵ではない。
 この掃討戦にはミネルバは直接は参加していない。遊撃部隊の三分の一程度をアリティアへ送っただけである。単なる山賊の掃討程度であればその程度で十分だった。掃討は順調に進み、ミネルバの名前もあって、表立って活動する者はなりを潜めた。地方の情勢もそう簡単に命の危険にさらされない程度には良くなったのである。
 ジェイガンは城へと雇い入れた者を百名程度で一度打ち切った。情けない話ではあったが、往時には常時二千人程度は詰めていたこの城でも、今は雇い入れることができる人数に限界があった。応募者は日に日に増えてはいたが、マケドニアの援助があっても人数はその程度に抑えておかざるをえなかった。
 それでも何とか形を整えたジェイガンは、この時点で残った全員をアリティアへ呼ぶことにした。マルスとエリスが健在なことはジェイガンを通じて民衆に知らされていたが、実際に姿を見ればより安心できるだろう。また、ドーガやゴードンにも戻ってきてもらいアリティアの人的な中心になってもらわなくては困る。
 これを受けた一行はアリティアへと移動。七年振りにマルスは祖国の土を踏んだ。もともとアリティアの人間ではないが、ジュリアンとレナもアリティアへ同行した。すでにこのときにはハーディン以下の狼騎士団の者達も隠れ家を引き払っていたため、隠れ家はその役目を終え完全に無人となった。
 民衆への謁見用に作られた城のバルコニーから手を振るマルス。民衆はマルスの帰還を喜んだが、マルスの表情は決して晴れやかではなかった。
 かつての領土はドルーア軍や盗賊団などの影響で荒れ果て、民衆は疲れきってしまっている。マルス達はこういった山積している問題に対抗していかなくてはならないのだ。

 一方、ハーディンへの対応も早かった。ミネルバは早々にオレルアン国王ルクードとハーディンが会見できる席を設け、ハーディンを緑条城へ呼び寄せたのである。
 いつもはトレードマークのようにターバンを被っているハーディンだが、この時は目立つことを恐れて普段とは違う格好で緑条城へ向かった。右腕の自由が効かないため、別の意味で目立ってしまうことは仕方がない。
 ある程度、好奇の視線にさらされながらもハーディンは指定された時間に緑条城へ到着した。使者からもらった書状を見るに、ハーディンは偽名でミネルバの客と言うことになっているらしく、扱いは丁寧だった。
 案内の者は途中で交代した。おそらくミネルバ直属の者に交代したのだろう。
 ハーディンが通されたのは緑条城の中で、貴人を監禁しておくために作られた部屋であった。一日を過ごすことは苦にはならないが、見張りをすり抜けて外に出ることは難しい。そんな部屋である。
 厳重な監視の中、ハーディンは部屋へ通された。中には国王夫妻が座って待っていた。
「ご無沙汰しております。陛下、妃殿下。」
 久しぶりに二人を見て、ハーディンは頭を下げた。二人とも元気そうに見える。
「ハーディンよ、久しぶりじゃな……その腕はどうした?」
 ハーディンの右腕は一目見ても尋常ではないとわかる。それは本来の機能を果たさずに、力なく垂れ下がっているだけだった。思えば右腕がこうなってしまってから、今、初めて二人と顔を合わせている。
「マケドニアとの戦いでやられまして、もう古傷です。命まで取られることはありません。」
 と、ハーディンは笑う。しかし、ルクードの向かいに座ると一転して態度を改めた。
「今日の話のことは聞いていますか。」
「ミネルバ殿下から大まかなところはな。予はマケドニアがお主を欲しがっていると、そう受け取った。」
「それは間違いではありませんが、この話はオレルアンにとっては大きく益になること。引き受けるべきです。」
 ハーディンはミネルバが去った後、大陸の地図をにらみながら細かく検討を重ねた。
 アカネイア大陸はその七割を山岳地帯と砂漠が締める厳しい環境にある。サムスーフ領はオレルアンとタリスに隣接しているアカネイアの侯爵領で、その大半は山岳地帯だ。収入は周辺の侯爵領の中では最も低い。
 オレルアンは開拓こそされていないものの、広大な草原地帯と森林地帯を持ち、その領土はアカネイアのサムスーフ領、レフカンディ領、アドリア領に隣接している。もっとも、アドリア領との道であるアドリア街道は、マチスがオレルアン奇襲のために復活させたが、その後はほとんど整備されておらず、街道としての体をなしてない。実質的に隣接しているのはレフカンディ領とサムスーフ領である。
 しかし、双方に隣接しているため、先の戦争では両方面からマケドニア軍の猛攻を受けた。実際に、最初に緑条城が陥落させられた時も、波状攻撃と陽動作戦が組み合わされ、まんまと相手の策に乗ることになってしまったからである。
 また、この地理的状況ではアカネイアに圧迫され、他の国と交通が取りにくくなってしまっている。タリスですら、アカネイアを経由せずには移動できない。これは、ルクードとハーディンの代になってアカネイアから離れようとする動きをしたオレルアンにとってかなりの障害となっていた経緯もある。
 サムスーフがオレルアン側にあればタリスとの行き来は非常に楽になるし、北東からアカネイアを包囲するような地勢となるため、戦略的にも申し分ない。
「マケドニアの提案は巧妙です。アカネイアの解体という目的を持ちながら、こちらにも十分利益となるよう考えられています。マリクの方にしてもそうです。マリクがアドリアにあれば、グラはアリティアに包囲されたも同然になります。」
「守りはどうするのだ。今のアカネイアから軍までは引き継げまい。オレルアン軍を二分することになるぞ。」
「指し当たってサムスーフへは狼騎士団から希望者のみを連れて行きます。どちらにせよ、オレルアン軍はマケドニア軍の下で働いている者を除いては解体されていますから、マケドニアから主権が返還されてもいきなり力を回復できるわけではありません。有事に際してはお互いに連絡を取り合い、援軍を送りあうようにするべきかと。」
「……それしかないかのう。」
 ルクードは言う。
「予にはマケドニアの動きが正しく理解できているわけではない。仮に、お主がサムスーフ王となるとして、オレルアンと同盟が成り立つと思うか?」
「マケドニアは良い顔はしないでしょう。ただ、誓約を文面として保持する意味もありますまい。今、この場で陛下と私がそれぞれに盟約を確たる物として受け取ればそれで問題はありません。オレルアンが危地にあれば、必ずや駆けつけます。」
 ルクードは頷く。
「実際は同盟することに反対はせんじゃろうがな。余とお主の間柄じゃ。何もなくとも協力するだろうことくらいマケドニア王も想像の内じゃろう。」
 ルクードは一息つく。
「予もマケドニアから主権の返還について匂わされてはいるが、時期や方法などは欠片も話しに上がらん。ハーディンよ、サムスーフの件はオレルアンの血流を伸ばすためにも有用な話じゃ。狼騎士団も汝の自由にしてよい。好きなようにしてみるがよい。」
「有難き幸せ。陛下の恩寵に感謝致します。」
 ハーディンは深々と頭を下げた。
「今の様子だと、お主がサムスーフを任される方がオレルアンの返還よりも早そうじゃな。我らの地力を取り戻すには良い機会じゃろ。」
 ルクードは自分に言い聞かせるように語る。
 ルクードとハーディンは兄弟ではあるが、この形はルクードが王位を継いだ時点で君主と臣下という形に変化した。以来、ハーディンはこのように身内のみの場合でも言葉は崩さない。ルクードとハーディンが兄弟の割には年が離れていることも影響しているのかもしれないが、ハーディンは常に自分をルクードの臣下とするよう戒めている。
 ルクードはハーディンに絶大な信頼を寄せている。ハーディンが草原の民を軍に取り入れ、税制を改革したいと言い出したときも、ルクードはハーディンの案を聞いた上で全てを任せ、変に口も挟まず、それどころかこの時にはアカネイアに対する外交的な防波堤の役すら担っていた。共にオレルアンを愛する心に偽りはないのである。
 実際には、現時点からマケドニアが分割された各領国で問題を起こす可能性は低い。そのようなことをするのであれば多少無理をしても最初から全て自領に組み込めばいいだけの話だ。
 オレルアンをマケドニアが統治し続けるつもりがあるかどうかは、ルクードからもハーディンからも予測することはできない。ハーディンはそのことを鑑みて、自分がサムスーフを早期に安定させることができればできるほどマケドニアにとって圧力となることに気がついた。
 ルクードの元を退去したハーディンは、早速ミネルバに話の結論が出た旨を伝えた。陛下のお許しが出たので、早急にサムスーフ領を接収させて欲しいと伝えたのである。
 ミネルバは面食らった。サムスーフ領はアカネイア中央領とは違い、マケドニアがオレルアンを落とす前から占領し、統治してきた土地だ。マチスの構築した統治システムがすでに根付いている。引き渡すにしても一気にことを動かすことは難しい。
 ミネルバは一度ハーディンを帰し、ミシェイルに連絡を取った。ミシェイルはハーディンの力量に舌を巻いた。ミシェイルはサムスーフ領を条件付ながらもハーディンへ明け渡すよう命じた。
 条件と言ってもそれほど極端なものではない。マケドニア軍の領内通行を認めることと、行軍へ協力することの二点だ。うかつにサムスーフ領を通行できなくなってしまうと、タリスとの連絡が途切れてしまうためである。
 行軍への協力となれば豊かではないサムスーフ領では苦しいだろうが、オレルアンからレフカンディへ抜ける街道でサムスーフ領から協力しなければならないであろう箇所は極短い。タリスとオレルアンの間で大規模な軍事行動が起こるとはあまり思えない。ハーディンはこの条件を承諾した
 こうして、マルスの隠れ家にいたハーディンと部下の四名はサムスーフ山のふもとにある領主の町へと向かった。マケドニア軍は、ハーディンの到着と入れ替わりにオレルアンへ撤収した。即日、ハーディンがサムスーフ領の領主に就任したことが大陸に伝えられた。
 マケドニアの統治の下、ある程度の規模の軍を維持できると判断したハーディンは、すぐにかつての部下を集め始めた。これに呼応して昔の部下が百五十人程は集まった。しかし、考えていたよりはかなり少ない。これには、ハーディンの誤算があった。
 オレルアンとサムスーフの民衆は、ハーディンがマケドニアへ寝返ったと勘違いしたのだ。オレルアンでは特にハーディンへ対する風当たりが強くなってしまっていたが、ルクードが表に出れないため評判が覆る要素がなかった。サムスーフでの反発がほとんどなかったのが救いではある。
 サムスーフはアカネイアの領国時代、領主に搾取し続けられてきた土地である。税を払えない者は次々と山賊に身を落とし、大陸中にサムスーフの山賊は恐ろしいとの評判が定着してしまった。比べるとマケドニアの統治は地獄から天国に昇るほどの差があった。マケドニアに降ったオレルアンの者に統治者が移ったとしても、その平穏な暮らしが維持されるのであれば反対する必要はないというのがサムスーフ民衆の意識だった。
 サムスーフがオレルアンに隣接しつつも離れていることはハーディンに味方した。風評に関わらずハーディンの元に駆けつけてくれた部下達に事情を納得してもらうことは簡単であった。元々のマケドニアによる統治の評判が良かったため、ハーディンはそれを基本に体制の組み立てを行った。この方針はサムスーフの民衆にも受け入れやすいものであった。一月も経つと、把握しきれない地域はまだ多いものの、領内の経営は安定する方向へと向かっていった。
 こうして実質的にサムスーフ王国は成立していく。ミシェイルもマチスも、これほど早く委譲が行われるとは考えていなかった。実際に、これはアカネイア王国にとっては一つの転機となる出来事である。行動することを一度決めた後はどんどん実現に向けて動くハーディンの実行力は、後々までこの話によって代表されることになる。

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