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FireEmblemマケドニア興隆記
 竜王戦争編
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三十二章 消える運命

 アカネイア中央ではその男の髪の色は珍しいものではない。それでも、どこからどんな目が覗いているかもわからないと考えれば、自然と身に纏ったローブのフードを目深にしてしまおうというものである。その男の名前はアカネイアでは二人に一人くらいは知っているだろう。ましてや武術に関わる者や軍に所属する者では知らない者はいないはずだ。
 アカネイア一の剣士と言われ、その為に大陸一の剣士とも言われていたアストリア。アドリアに駐留するドルーア軍の主力に所属していた彼は、瓦解するドルーア軍とは逆にアカネイア中央へと歩を進めていた。
 目的は婚約者であるミディアの安否を確認すること。アストリアがドルーア軍へ協力していたのはミディアを人質に取られた形になっていたためだ。
 しかし、ドルーア軍はミディアの無事を確認させてくれたわけではない。逆らえばミディアを始めとした虜囚となっているアカネイア軍の命は保障しないと脅迫するばかりであった。このため、アストリアから見ればミディアの命が既に絶たれている可能性を否定しきれない。
 この脅迫の前提は、マケドニア軍がアカネイアパレスを占拠するに至って崩れた。ミディア達がアカネイアパレスに囚われていることはアストリアにも伝えられていた。情報の真偽はともかく、アカネイアパレスが占拠されたと言う情報が流れても、ミディア達に関する情報が変化しないところを見ると、アストリアとしてはそのままマケドニア軍に渡ったと考えるしかない。この時点でドルーア軍はアストリアを縛り付けておく枷を失った。
 状況の確認のため、アストリアは混乱するドルーア軍を抜け、慎重にアカネイアパレスへ向かった。撤退するドルーア軍、それを追うように各地を掌握するために派遣されてくるマケドニア軍、どちらにも警戒する必要があった。
 もっとも、マケドニア軍に対する警戒は杞憂に終わった。マケドニア軍では規律が厳しく守られており、占領地での略奪や暴行行為が行われている気配をアストリアは感じなかった。アストリアの歩みも、アカネイア中央が近づくにつれて安定し、むしろ加速していった。結局、一週間程度でアカネイアの城下町へたどり着くことができた。アストリアは適当な宿に逗留することを決め早速状況を確認することとした。
 サムスーフ候ベントが民衆に対する背任の罪をマケドニア軍に問われ、処刑されていたことはアストリアにとっても朗報であった。できれば自分の手で討ちたいほどであったが、これ以上、ベントの手によって苦しむ者がいなくなることは良いことには違いない。もう片方の佞臣、アドリア候ラングは逃亡し、行方不明となっていた。占領軍が作成した高札によると、その首にはすでに多大な賞金が懸けられている。
 アカネイアパレスはマケドニア軍の軍政下にあったが、マケドニア軍が主に行っているのは治安維持であった。市場における活動の制限は緩やかで、それなりに活気もある。ドルーア軍の統治とは大違いというのがアストリアから見た印象であったが、実際はドルーア軍の統治がひどすぎたということに思い当たる。ドルーア軍の前に、グルニア軍がパレスを管理していたときは、ドルーア軍が管理していた時よりもかなりまともだったはずだ。
 アストリアの行動も、夜間はともかく昼間に市街地を巡回することについては何の制約もなかった。ほどなくして、投降した者達が各収容所に収監されており、アカネイア軍の一団も同じような状態にあることはわかった。
 しかし、そこからはどうしようもなかった。アカネイア軍が収監されている収容所は他の収容所に比べて警備が格段に厳しかったのだ。その厳しさは、少し見ただけで警備員の配置などからはっきりとわかるほどで、調べれば面接も全く許可されていない。そもそも、外側からでは誰が収監されているかすらわからない。
 アストリアは途方に暮れたが、どうにかして内部と連絡を取るより他はない。連絡する方法を模索したが、駐留するマケドニア軍の壁は高く、うかつな行動は取れないためにその調査は難航した。
 マケドニア軍は精強であった。アストリアが見るところ、非常によく統率が取られている。そのせいで精強に見えたところはあるかもしれない。その精強さは、竜が力押しするドルーア軍にも、伝統をかさに着て効率的な行動が取れなかったかつてのアカネイア軍とも違う感じがした。街を眺めていてわかるのが隙の無さと無駄の無さである。これを見ればこの地を占領していたドルーア軍が負けるべくして負けてきたのも頷かざるを得ない。
 結局、調査すればするほど壁を突き崩す方法が失われていくような毎日であったが、転機が訪れた。収容所の警備が突然解かれたのだ。しかも、中にいたアカネイアの兵士達は外に出てくるようになった。
 マケドニア軍がニーナの活動を許可したためであったが、この段階ではニーナもまだ状況の把握に忙しく、城下に通知を出すところまで至っていない。だから、この突然の変化は周囲に色々な憶測を撒き散らした。ただ、誰一人としてニーナが既にパレスへ戻ってきているなど知っている者はいなかったため、的を射た話は無かった。
 アストリアにとって重要だったのは、この状況が罠か、そうでないかである。しかし、ここまで得た情報は少なすぎた。結局、アストリアは当たって見なくては始まらないと、信頼が置ける者が現れた場合に話を聞いてみることとした。
 その日、収容所の周りに張り込み数刻、体格のいい二人組みの男達が収容所から出てきたことをアストリアは確認した。体格のせいもあるが、二人は一度会えば忘れられない特徴を持っている。体つきばかりでなく、二人は顔付きもそっくりなのだ。アストリアにはすぐにその二人が軍で馴染みであった双子の重装歩兵、トムスとミシェランであることがわかった。
 彼らであれば信頼できる。アストリアは、市の方へ向かって歩いていく二人の後を追い、しばらくして建物から十分離れた頃合を見計らっていきなり声を掛けた。
「トムス!ミシェラン!」
 名前を呼ばれ、二人は振り向く。
「久しぶりだな。」
 二人は、しばらく何も言わずにいた。目の前の人物が誰なのかを必死に思い出していたのだ。
「アストリア……アストリアさんじゃないですか!」
 双子の片方が驚いて言う。聞いた、双子のもう一方も目を見開いた。長く会っていなかったせいもあるが、アストリアからはどっちがどっちなのかわからない。
「二人とも、よく無事だったな。」
「アストリアさんこそ。」
 どうやら、いきなり斬りかかられるような無いようであった。二人は市場へ向かう途中ということで、アストリアはまずは同行することとした。
「二人とも、今まであの建物に閉じ込められていただろう。どうして外に出ることができるようになったのだ?」
 指し当たって一番の疑問はそこであった。
「俺たちにもいきなりのことで、良くわからないところはあるんですが……どうもニーナ様が占領軍と取引したらしくて。」
「ん!?ニーナ殿下が居られるのか?」
 驚きであった。以前、アストリアのところにも連絡が来てはいたがその時にはニーナはカミユと共に隠れているとのことだった。
「来てます。俺達も見かけましたし、城の方じゃなくて俺達と同じ建物に当分は住むらしいですぜ。まぁ、詳しい話はミディアさんに聞いた方が早いですよ。」
「そうか。」
 思わずミディアの名前を聞くことができた。どうやら無事らしい。
「ミディアは無事なのか。」
「心配しなくてもミディアさんならぴんぴんしてますよ。……残念ながらボア司祭は病気で亡くなられてしまいましたが。」
「そうか……。」
 やはり年月が過ぎれば変わることもあるわけで、全てそのままではない。
 アストリアはそのまま話しながら二人の用事に付き合い、その後、ミディアに会うために彼らの宿舎まで同行することとした。
 アストリアは、二人から敗北後はずっとパレスの地下牢に幽閉されていたこと、ボア司祭が亡くなったのがもう二年も前であることなどを聞いた。二人は、なぜドルーアが自分達を処刑せず、わざわざ地下牢に閉じ込めていたのかを不思議に思っていたが、アストリアはその理由を知っていた。他の理由もあったのかも知れなかったが、アストリアなどに対する人質の役目を残しておくことが理由の一つではあったのだろう。アストリアも、今までのことなどを話す。
 収容所から彼らの宿舎となった建物に案内されたアストリアは、早速ミディアを探し始めた。そして、すぐに部屋の片付けをしていたミディアを見つけた。
「ミディアさん、懐かしい人を連れてきましたよ。驚きますよ。」
「あら、トムス。もう買ってきてくれたの?驚くって……。」
 振り返ったミディアは、危うく持っている書類を床にばら撒きかけるところだった。
「え?アストリア?」
 長い間離れていても間違えようがなかった。そこに、ミディアが最も会いたかった相手がいた。
「ミディア……随分痩せたな。大丈夫か。」
「アストリア……会いたかった。」
 アストリアは飛びつくミディアをしっかりと抱きしめた。
「あー、気持ちはわかりますが、そういうのは後にしませんか。」
 アストリアを連れてきた二人は、ばつが悪そうにしていた。
「あ、ごめんなさい。私ってば。」
 ミディアは慌てて飛ぶように離れる。
「おいおい、久しぶりの再会なんだからもうちょっと気をきかせろよ。」
 と、双子のもう片方が言うが、
「いや、いい。それよりも、今どうなっているか詳しく聞かせてくれ。この二人じゃどうも埒があかなくてな。」
 と、アストリアが答えた。
「さりげなくひどいことを言いますね。」
「当たり前だ。お前ら、どうしていきなり行動が自由になったとか、これからどうするのかとか、重要なところが全然わかってないじゃないか。」
「しかたがないでしょ。俺らだって、いきなりこんな風になったんだから。」
 そんな二人にミディアは呆れていた。
「あなた達ねぇ。外出できるようになった時に一通り説明したでしょう?聞いてなかったの?」
 二人は顔を見合す。
「そういえば、一度全員で集まりましたが……その時の話は良くわかっていませんわ。」
「俺も。」
 肩を落とすミディアの傍らで、変わっていないなとアストリアは感じていた。この二人は昔からこんな感じだった。長い年月が経って、大きく状況が変わっていても同じ情景がそこにあるのは、今のアストリアにはとても貴重に思えた。
「アストリアには私から色々説明しておくから、あなた達は仕事に戻りなさい。」
 と、ミディアが言うと、
「へいへい。」
「二人っきりだからって羽目を外しすぎないようにして下さいよ。」
 二人はめいめいに部屋から出て行った。以前もそうだったのだが、結局アストリアには二人の区別がつかなかった。
「……まったくもう。アストリア、ここはニーナ様の執務室だから私の部屋で話をしましょう。」
 ミディアとアストリアは、ミディアの部屋に移動した。先ほどの部屋と比べても狭くは無い。部屋は綺麗に片付けられていたが、明らかにミディアの私物と思われるものが点在している。
「ここは、お前の部屋なのか?」
「当分の間は私の部屋ね。ニーナ様を含めてしばらくはこの建物に住むことになってるから。」
 以前、アカネイアパレスにいた時に住んでいた場所がどうなっているかはわからない。おそらく住んでいたことの痕跡はなくなっているだろう。
「あ、アストリアはその椅子を使って。」
 ミディアはアストリアに机の前の椅子を進めると、自分はベッドに座る。
「どこからお話しましょうか。」
「ニーナ様は一緒に居られるのか?」
「そうね……ニーナ様にお変わりはないわ。今は、パレスに出掛けられていますが、夜にはこちらへ戻ってきています。ニーナ様はパレスにも部屋を用意してもらっていますが、こちらにいることが多いですね。」
「私が調べた限りではアカネイアの全域はマケドニアの占領下にあるようだが、ニーナ様が無事として何をなされているのだ?」
「……そうね。順番に説明するわ。」
 ミディアは今までの経緯をアストリアに説明した。ニーナの婚姻、アカネイアの分割も含めてである。
「ミディアが国王?何かの冗談か?」
「私も冗談だと思ったわよ。でもニーナ様は反対されなかった。ニーナ様はニーナ様でマケドニアの人と色々調整されているようだけど、正直これからの指針が固まっているとは言えないわ。」
「ニーナ様からは何も?」
「ええ、当面の住居となるこの建物の整理と、地下牢に幽閉されていた兵士達の扱いをまずはっきりとさせる……と、言うことらしいわ。」
「そうか。」
 アストリアは考える。マケドニアがアカネイアを占領下に置いている以上、アカネイアの生殺与奪権はマケドニアが握っている。ミディアに聞いたところによれば、マケドニアはニーナに対してかなり厳しい条件を突きつけてきてはいる。それについては腹立たしいことではあるが、無条件にこれをのむとまでは行かなくても前向きに検討するくらいの確約はしておかなくては事は進展していかないだろう。
 これからの交渉でどれだけマケドニア側から譲歩を引き出せるかがポイントになりそうではある。しかし、アストリアはそういった交渉事は苦手だ。元々単なる一剣士に過ぎないから、交渉に関する経験や技術など皆無だ。ミディアはこれでも侯爵家の令嬢だから、まだましではあるが、普通の貴族の令嬢と異なり武人の道を歩んでいることからもわかる通り期待できるものではない。
 誰がどのようになっているかはミディアもまだ把握していないことではあったが、聞けばアカネイアパレス陥落時にアカネイアからドルーアへ寝返った狡猾な高官達は、マケドニアに再度降ることが許されず、捕縛の後に次々と粛清されていると言う。すぐに頼りにできるような人材は少なかった。
「確か、ジョルジュを呼び寄せていると言ったな。」
「ええ。ペラティにいるということですから、合流するためにだいぶ時間はかかると思いますが。」
「本格的に動くのはジョルジュと合流してからになるか。」
 ボア司祭亡き今、アカネイアの人材で最も交渉事に向いているのはメニディ候の子息であるジョルジュを置いて他にいない。アストリアはジョルジュとは性格の違いからそりが合わないことも多いのだが、その実力はお互いの認めるところである。
「わかった。ともかく、俺もニーナ様に協力しよう。どうすればいい?」
「それはうれしいけれど、あなたの方の都合は大丈夫なの?」
「問題ない。元々こっちへはお前の無事を確かめに来たんだ。ドルーアの連中は逃げ帰ったし、協力するのは当然だろう?」
「アストリア……。」
 改めてアストリアにそのように言われると、ミディアにもこみ上げてくるものがある。
「それじゃあ、お願いするわ。これからどうなるかわからないけど、多分忙しくなると思うから。」
「わかった、何でも言ってくれ。」
「アストリアは、今はどこに住んでいるの?」
「いや、ドルーアの部隊から抜け出してからはどこに住んでいるとかはない。今は、宿屋に部屋を借りている。」
「だったら、こっちに移ってくる?部屋は用意できるけど。」
「その方がいいだろう。お願いする。」
「それじゃ、部屋の用意もしておくわね。」
 ミディアと合流できればミディアの力になる。それは、アストリアには最初から決めていたことであった。
 アストリアの帰還は、アカネイア軍の者にとっては喜ばしいことであった。ニーナも喜んでくれた。アストリアは、ミディアよりも更に武断的な局面でニーナを補佐していくことになる。

 ニーナ自身はといえば、会議の翌日から積極的に動き始めてはいた。とは言うものの、何をどうするべきなのか、五里霧中の状態であることには変わりない。ミディア達に頼りながらも、方針を決めアカネイアとしての動きを形作って行った。
 ニーナ達はまずは、今まで捕虜になっていた者達へそのままアカネイア軍として留まるか、去るかの選択をさせた。ほとんどの者は引き続き留まることを選んだ。去ることを選んだ者には一時金が渡された。
 残ることを選んだ一団は、マケドニアからアカネイア軍兼アカネイア政府と見なされた。もちろん、本来の組織ではなく、どちらも頭に暫定の文字がついている。そもそも、元々ニーナを守っていた軍の部隊がそのままこれらの役目を請け負っているわけで、政務的なこととなるとどの程度のことまでできるのかは当の本人達にしても懐疑的だ。
 トップはニーナだが、実質的なとりまとめはアストリアの助けも受けてミディアが行った。一行は一通りの組織的な体系が形作られると、アカネイア各地の現状の把握に向かった。対象となったのは、今までドルーアの占領下にあったアカネイア中央領と、アドリア領である。
 この流れの中で、カミユとカミユに付いてきた黒騎士団の騎士達はマケドニア側にもアカネイア側にも属せないような不安定な立場に置かれていた。特に長い間地下牢に囚われていたミディア達は、なぜカミユがニーナの側にいるのか、その経緯が全くわかっていなかったから、相互に理解するためには相応の時間を要した。この点については、ニーナから一度連絡をもらっているアストリアの方がまだ状況を把握していた。
 アカネイア軍の宿舎となった建物には新しくカミユ達やニーナの部屋が用意されたが、カミユの部屋はニーナの消極的な希望でニーナの部屋と隣接している。ニーナが宿舎に部屋を用意させたのは、ミディアがことある毎にニーナを城に訪れるのは効率が悪いとしてニーナがそれを望んだからだが、ニーナが使用するような空き部屋は連続して空き部屋となっていたので、結果として同時に用意されたカミユの部屋が隣接した形だ。これは、宿舎に部屋を用意したということで、ニーナもカミユもアカネイアパレスの中に自室が用意されている。こちらはこちらでマケドニアの意図があり、隣接して配置されている。
 カミユがどのような人物であるか、ミディアは元々グルニアの黒騎士団の長であったことしか知らない。騎士の国グルニアを象徴するような人物であり、勇名は大陸中に轟いていたから、有能な人物であることは想像できる。その人物をアカネイアと結びつけることはグルニアの弱体化が目的なのか。ミディアにはカミユとニーナのこれまでの噂話を聞きながらも、腑に落ちないところがあった。
 腑に落ちないと言えば、マチスが二人の婚姻を促したときの二人の反応もそうだった。困ったような驚いたような何とも形容しがたい表情を浮かべていた。マチスの話し方からすると、この話が二人にされたのも始めてであることが見て取れた。それにしても二人ともあれ以来一言もこのことについて言及していないことがおかしい。
 しかし、数日を経るうちに、そのようなことはどうでも良くなっていた。カミユと話している時のニーナはとても満ち足りているように感じたからだ。マケドニアの思惑はどうあれ、あの方とであればニーナ様は幸せになれるだろう。ミディアはそんなふうに考えるようになっていた。
 本人達はどうだったかと言うと、表には出さないところはさすがだが、内心で激しく動揺していたのはカミユである。共にいる時間が長かったとは言え、ニーナは自国が裏切った宗主国の王女、しかも今ではそのアカネイアの頂点に立っている人物である。ニーナへの想いが成就するという点に関してはカミユ自身、願望こそあっても最初から諦めていたことだ。だからニーナに対しては今まで我を押さえ、臣下の態度で接してきたつもりであった。それが、外部から、それなりの強制力を持つところから話が上がってくるなどとは正しく晴天の霹靂である。
 さりげなくニーナと話していても、カミユにはそのことが気になって仕方がない。
 そのような状況だったから、突破口はニーナから開かれた。ニーナは、自室でフィーナに話を聞かれないタイミングを狙っていたのだ。
「そろそろ……返事をせねばなりませんね。」
 気にしていたカミユはすぐにニーナが何を話そうとしているのか察した。
「ニーナ様、よろしかったのですか。あのような話……すぐに否定されても、問題はなかったと考えますが。」
 しかし、ここに至っても、カミユにはそれが現実的に到来し得る未来には見えてはいなかった。
「カミユ、あなたはどうなのですか?」
 ニーナも今まで王女として生きてきている。自分がどのように扱われるか、理解しているつもりでいた。例えば婚姻などはその最たるもので、王家に生まれた以上は自由などないに等しい。
 ニーナの頭によぎるのはアルテミスの運命と呼ばれる逸話だった。ファイアーエムブレムの権威を使って得られた平穏は、最も大切な者を代償にする。
 誰が、何のために広めたのかすらわからなにも関わらず、広く伝承されている逸話。だが、ミシェイルなどが聞けば迷信と一蹴されるだろう。なにしろ、この逸話に当てはまる史実は、百年前のアルテミスとアンリの話しかないからだ。それなのに、アカネイア王家にまつわるジンクスのように語られている。ミシェイルの考えるところでは、これは、アカネイア王家に多大な影響を及ぼした英雄が、アカネイア王家を乗っ取らないために、王家の者と婚姻させないような防波堤として広めたものである。  しかし、メディウスを封印したアンリの英雄譚は一人歩きし、この逸話も広く信じられている。ニーナも同じである。
 ニーナにとっては考えれば考えるほど奇妙な状態なのだ。ファイアーエムブレムを託した挙兵は失敗し、自身は捕らえられ、すぐにでも処刑されるものだとばかり考えていた。それがカミユに助けられ、今まで助けられ続け、そしてアカネイアパレスにいる。その長い時間、支えとなっていたのは間違いなくカミユだった。
「カミユ、確かにこれはマケドニアが出してきた話かもしれません。それでも、あなたに受け入れてもらえるのなら、とても嬉しく思います。」
「ニーナ様……。」
 ニーナがまわりくどくとも自分の心を表に出したのは、これが初めてだった。ニーナの方からもカミユには壁があった。アカネイアの伝統と、アカネイアの騎士から始まったグルニアの伝統は、二人の無意識に大きな壁となってそびえていた。これも、王族ですら奴隷出身という出自のあるマケドニア王家のミシェイルから見ればばかばかしいことこの上ないのだが、二人にしてみれば大問題である。
「それとも、あなたの近くに居たいと思うのは私だけなのですか。」
 そんなことはない。そうは思いつつもこの時まで、カミユを押さえ込んでいたのは、やはりグルニアへの忠誠心であった。ニーナと婚姻することになればグルニアとの関係は表面上では完全に切れてしまう。しかし、最後に思い出したのはユベロの好きにせよという言葉だった。
 思えばカミユは前王のルイにも同じことを言われた。性格は大きく違う親子に見えるが、芯には似通ったところもあるのか。それとも、自分がそれほど頼りなく見えるということなのか。
 もしカミユがユベロの意向を全て理解していたとしたら、カミユはためらうことはなかっただろう。ユベロは、マケドニアがカミユにアカネイアの舵取りを望むのであれば、それをグルニアが望む方向に向けることができれば結果的にグルニアの利益になるだろう、そう考えていた。カミユは前国王のルイばかりでなく、グルニアの国民に慕われていた人物であるから、アカネイアの民を損ねることなくそのくらいのことをやってくれるだろうと期待していたのだ。
 ユベロは人質に出されてからはカミユと接点が皆無と言っていい。ミシェイルなどがカミユをまじめに過ぎる軍の指揮官に過ぎないなどと評しているのは聞いていたが、それでもカミユはカミユなりに行動するだろうと期待するところはユベロにはあった。
 しかし、ユベロがそう考えようともカミユ自身には政治に関する自信はない。この点ではミシェイルの考えの方が当たっている。
 ただ、カミユはニーナに対する想いが覆しようのないものであることは、自身でもわかっている。最終的に彼を促したのはルイとユベロのその言葉であり、それによってグルニアへの天秤が軽くなったのだ。
「ニーナ様……私はあなたの隣にいる事を望みます。」
「カミユ!」
「いえ、偽りは申しません。愛しています……ニーナ様。」
 一度決まればカミユの精神は強い。ニーナの目を見据え、はっきりとそう伝えた。
「カミユ!」
 感極まって身を預けてくるニーナを、カミユはしっかりと受け止めた。
「カミユ、これが夢ならばもう覚めなくてもいい。私は、あなたと一緒にいることさえできれば何もいらないのです。」
 カミユはそんなニーナをしっかりと抱きしめた。
「ニーナ様、この場で誓いましょう。もう、あなたから離れることはありません。あなたを悲しませることも。」
 そして、カミユはニーナにそっと口付けをした。

「カミユ殿の話は何だったのですか?」
「ええ、ニーナ殿下との婚姻の話、受けてもらえるそうです。ニーナ殿下にも了解を得たと、聞きました。」
「それは……随分、早かったですね。」
 カミユは一度決断さえすれば行動することを躊躇わない。翌日にはこのことをマチスへ伝えていた。
「私も驚きましたよ。このように早く話がまとまるとは思っていませんでした。陛下の考えがその通りに当たったのでしょう。」
 マチスが言うようにカミユとニーナの婚姻をアカネイア中央の返還についての条件として提示したのはミシェイルである。アカネイア王国の分割についても発案はミシェイルだ。
 その狙いがアカネイアの弱体化にあることは明らかだった。カミユとニーナの婚姻については、アカネイアの政略結婚を封じる一方で、グルニアの力を落とすという意味合いもある。
「結局、あの噂は真実だったということですかね。」
 ミシェイルがカミユをニーナの相手として選んだ理由は、これらの理由の他にカミユとニーナの仲が噂話に上がっていたからだ。ニーナの立場からすればカミユは二段から三段は下の立場であり、政略的に考えても伴侶の候補には考えられない。現存する人物から考えれば、候補としての第一はアカネイア侯爵家のジョルジュとなるだろう。次点がハーディン、そしてミシェイル自身、年齢的な要因はこの場合無視されるからマルスやユベロも候補に入る。
 しかし、ミシェイルは自らがアカネイアと同化するつもりはなかったし、他国の王族がアカネイアと結びつくことも避けたかった。そこで噂を耳にし、人物的には高名でありながら政治力を持たないカミユに焦点を当てたのである。
「陛下がニーナ殿下を助ける役をカミユ殿に任せたのはこの含みもあってのことではあったのですが……今の時点では何とも言えません。単にニーナ殿下がアカネイアを復活させるために条件を飲んだとも考えられますし。これは、考えても仕方がありませんね。我々が出した条件の一つをニーナ殿下が受けたのは確かなのですから。二人の仲がどのようなものなのかは、追々わかるでしょう。」
 と、マチスは言う。マチスはカミユとニーナにはほとんど関わってはいない。それに、マチスも貴族の出身であるから自分が思うような婚姻などできないことは覚悟している、と言うよりも前に当然のことだと考えている。だからこう考えることも無理はない。もっとも、マチスのこの考えは後でエリエスから猛反発を受けることにはなるのだが。
 指し当たって、マチスはアカネイアでの定例報告と共にミシェイルにこのことを知らせるようにした。マチスから見てもミシェイルの狙いは成功しつつあるように見えた。

 マケドニア軍からも協力し、探していたジョルジュは、それほど時を置かずに見つけることができた。ジョルジュはそれがニーナからの招聘であることを理解すると、復帰を約束し、マケドニアの竜騎士の協力で空路を通りアカネイアパレスへ帰還した。ニーナが会見してからジョルジュが帰還するまでには、ほんの一週間程度しか経っておらず、アストリアなどはマケドニア軍が持つ機動力に驚くことしきりだった。
「殿下、長らく側にいることかなわず、遅参となったことお許し下さい。こうしてお側に参りましたからには、何なりとお申し付け下さい。」
 こうしてジョルジュはニーナの前に膝を折り、ニーナの一団に加わった。
 ジョルジュはミディアから、現状の詳細を聞いた。この過程でジョルジュもアカネイア分割の話は耳にした。
「それにしても、人が少ない……。半分としてもアカネイアの税収が使えるのだ。ともかく人を増やそう。」
「それが簡単にできれば苦労はしません。」
 ミディアも色々と準備はしているが、動くに動けない。特に、外交官や、内務を取り仕切ってきた貴族達がマケドニアに次々と粛清されてしまい、彼らの力を借りることができない状態になってしまっている。
「とにかく、ドルーアに占領される前にアカネイアを取り仕切っていた者が軒並み失われています。まともな運営などできはしません。」
「なるほど……、ドルーアに逆らった者はドルーアに害され、ドルーアに従った者はマケドニアに害されているわけか。」
 ジョルジュにはこの時点で、マケドニアの動向の理由、その一面は理解していた。
 ジョルジュが落ちていたペラティは前の戦争以来、マケドニアが統治している。アカネイア王国南東部全体の統治が任されたマケドニアでは、それに伴って付随するペラティも自由にしてよいとドルーアから承った。つまり、ペラティの領有も任されたのである。
 ペラティは群島であり、アカネイア王国においても重要視された地方ではない。領主らしい領主も存在しない。ただ、ペラティには昔から一人の竜人が住んでいたため、好んでこれを刺激しようとする者もいなかった。
 しかし、ドルーアの意を汲んだマケドニアはペラティへ侵攻し、これを領有した。意外にも、ペラティの竜は人の行いについては不干渉であったため、マケドニア軍が行ったことは付近の海賊の掃討のみであった。
 こうして、ジョルジュが落ち延びてからしばらくの後、ペラティはマケドニア領となった。しかし、それほど大きな富を生み出すわけでもない地方であるので、占領後は小規模な総督府が置かれたのみである。治安維持のために常駐している兵士達の数も多くはない。その兵士達にジョルジュのことが知られていたかどうかはわからないが、ジョルジュの生活が脅かされるようなことはなかった。
 しかし、そういった兵士達の話にアカネイアに対する反感が語られることがしばしばあった。ジョルジュはアカネイア軍の主要人物の中でも比較的知性派として知られていたが、アカネイアの内部でのみ重用されており国外へ出たことなどない。アカネイアがマケドニアにそのように語られていることはジョルジュには驚きであった。
 始めはマケドニアの宣伝工作が末端まで行き届いているものだとジョルジュは考えていた。しかし、興味を持って狩猟の合間に調べてみると、アカネイアへの反感はマケドニアの先王、オズモンドの時代から存在するものだった。その先まで調べてジョルジュは初めてアカネイアがマケドニアに対し強圧的な外交を行っていたことを知ったのである。
「ミディア、あなたはアカネイアがマケドニアに反感を持たれていたことを知っているか?」
「反感?何のことですか。大陸の国同士が連動してドルーアに当たらねばならないところを真っ先に裏切って攻撃してきたのは当のマケドニアでしょう。」
 やはりミディアは何も知らない。ミディアですらこうなのだから、アストリアもおそらく何のことかわからないだろう。
 ジョルジュは自分が調べたアカネイアに対するマケドニアの印象を語った。自力で独立を果たしたマケドニアに対し、独立後の経済援助をかさに着て宗主国として強圧的な態度を取ったこと。マケドニアに派遣されたアカネイアの代官がその後ろ盾を頼って好き放題にしていたこと。こういったことがマケドニアの下級貴族や一般市民達のアカネイアに対する反感を大きく募らせていたことを語った。
 ジョルジュはマケドニアのことしか調べていない。アカネイアが強圧的態度を取っていたのはオレルアン、アリティア、グラ、グルニアにも変わらずだったのだが、そこまでは調べていない。しかし、ことマケドニアに限った話だとしても、ミディアに衝撃を与えるには十分であった。
「そんな、陛下がそのようなお考えでいたというのですか。」
 案の定、ミディアはそう簡単には信じようとしない。
「陛下の考えがどのようなものであったかは知らぬ。だが、マケドニアがアカネイアのやり方に不満を持っていたのは事実だ。代官など、ひどいありさまだったようだからな。陛下がそのようにお考えになっていなくとも、侯爵共が勝手に行動を起こしていた可能性もある。マケドニアに駐在している文官まで目が届いていなかった可能性もある。」
 ミディアは息を飲む。
「ラング侯とベント候のことですか。」
「十分ある話だ。率直に言えば、彼らの処刑はニーナ様にとっても悪い話ではなかった。……いや、ラングはまだ捕まっていないか。」
「アカネイアは彼らのせいで滅ぼされたと?」
「原因の一つとは呼べるかも知れないな。しかし……マケドニアが裏切らなかったとしてもドルーアが攻めてくればラングとベントは裏切っただろう。結局はドルーアには勝てない。ミディアも見ただろう。あの竜の圧倒的な力を。マケドニアとて、ドルーア側に付かなければ滅亡は必至だ。マケドニアが滅んだ後、ドルーアに攻められれば、例え実際とは違ってレフカンディ勢が助力に駆けつけることができたとしてもたかが知れている。」
 そこで、ジョルジュははっとなった。
「考えてみれば今の状況は最悪ではない。マケドニアとグルニアの介入なく、アカネイアパレスが失陥していたとすれば、ニーナ様が無事なはずがない。まだ、希望はあるということか。」
 ジョルジュは考え込む。
「何か手はありますか?」
「やはり何をするにしても人だ。状況を良い方に考えれば、ニーナ様の意に沿わないような行動を取る者、特に主たる者は既に放逐されたはず。これはある意味では幸いだ。ニーナ様が健在であることを大々的に宣伝して人を集めるしかあるまい。」
「アカネイアパレス城下には御触れを回す予定ではいます。しかし、部下達は各地の状況確認に出てしまっているため、募集については私が切り盛りするような状況です。」
「……三、四人、選んでこちらを手伝わせるわけには行かないか。」
「考えて見ます。」
「それと、人材がいるなら、パレスだけでなく各地を視野に入れることも重要だ。私はメニディを当たってみるから、ミディアもディールを当たってみてくれ。」
「わかりました。」
 一息、入れたところでミディアは話題を変えた。
「ところで、ジョルジュは例の侯爵領の分割についてはどう考えますか。」
「おいおい、どうもこうも、その話はまだ聞いたばかりだぞ。」
「聞いたばかりのその考えで構いません。」
 だいぶ、余裕がなくなっているなと、ジョルジュは感じた。事態の展開に完全には付いていけてないのだろう。こういうことのフォローはアストリアの役目だろうと思いつつ、ジョルジュはどう答えたものかと思案した。
「ニーナ様はそれほど反発はしていないということだったな。また、マケドニアの態度はかなり強いと。マケドニアに条件を翻すつもりがなければ……我々は条件をのむしかないだろう。」
「やはり……そうですか。」
「アカネイアの完全回復のためにニーナ様を連れて脱出し、あくまで戦い続けると言うなら話は別だが。」
 ジョルジュは冗談めかして言う。
「そのようなこと、可能とは思えません。」
「当たり前だ。」
「それでは引き受けるしかないのですか?」
 再びジョルジュは考え込む。
「俺は、マケドニアがどうして占領下にある領地を完全に自分の領土としないのかがわからない。今のところ、戦争が始まってから、マケドニアが完全に併合した領土はペラティだけだ。あそこはミシェイル王も正式にマケドニアの領土へ組み込むと発表している。総督府が置かれ、永続的に統治するようなシステムもでき上がっている。しかし、他のオレルアンやアカネイアの各領土ではペラティなどよりも遥かにレベルの高い統治が行われているにも関わらずそのような発表などない。」
「……私達に見えないところで、マケドニアにも何かがあるのかもしれませんね。」
 それはあるだろうと、ジョルジュも内心で同意しながらそれが何かまではまだわかっていなかった。実際問題としてミシェイルとマチスが最も頭を悩ませていたのは人材不足と戦線の拡大である。占領下の領土を永続的に統治するだけの人材がいないのだ。現地から登用する手段もないわけではないが、結局マケドニアには各地の統治を元締めするような人材すら不足している。このあたりは、ミシェイルが旧来の貴族達を整理したことも状況の一因になっているのだが、もとよりそのような輩に新しい領地を任せるわけにはいかない。
 戦乱の中、新旧の交代を同時に行ってきた各国はどこもかしこも人材不足にあえいでいる。マケドニアは今のところはその人材不足を統治の手間をできるだけ省くことによってごまかしてきている。これはマチスの手腕の賜物である。
「ともかく、ニーナ様がそれでよしとするなら俺達に意見はできても決定はできん。……思うにニーナ様はできれば静かに暮らしたいと思っているのではないか?」
「殿下に限ってそのようなことはないと思いますが。」
 ミディアは反論するがそれほど勢いはない。
「無理もない。ニーナ様はこのような戦乱が起こらなければ到底アカネイアの王位など継ぐ立場にはなかったのだからな。ニーナ様の王女としての重要性が増したのはアカネイアパレスが陥落して、他の高位の王位継承権を持つ者が軒並み失われてしまったからだ。ミディアはニーナ様にはアストリアを目に掛けてもらった恩もあるだろうが、大多数はニーナ様が政治に関わるとは思っていなかった。……俺も、おそらくはオレルアンのハーディン公あたりに時期が来れば降嫁するものだとばかり思っていた。」
 ジョルジュが言ったことはミディアが内心で考えていたことだ。このような戦争が起きなければと仮定があるだけに、ニーナには幸せになってもらいたいともミディアは思う。
「しかし、ニーナ様も責任感は強いお方だ。自分にできることがあればそれを放り出したりすることはあるまい。」
「条件のもう一方、カミユ殿との婚姻の話ですが、ニーナ様から望んで承諾したようです。」
「それこそ俺達が口を出す問題ではない……いや、政略的な見地からは口を出すべきなのかもしれないが。それよりも、ニーナ様から望んで?」
「本人から直接聞きました。第一、お二方とも時間があれば常に一緒に行動しています。このような時に、どう見てもあれは政略がどうこうという話ではありません。」
「それではあの噂は本当だったのか。それならばこれは喜ばしいことだ。そうであれば、分割のことも受け入れることを考えていた方がいいな。」
 これがマケドニアの思惑通りであるのならばたいしたものだと、ジョルジュは思う。二つ条件があって、片方が受け入れられるのであれば、もう片方も受け入れるとなりやすい。
「しかし、私にはどうしても分割した後のことが想像できません。私がディールに、あなたがメニディに行ったら、ニーナ様は誰がお守りするのですか。」
「……カミユ殿がおられるのではないか。」
 ジョルジュは呆れたように言った。ジョルジュはカミユとは直接の面識は持っていないが、聞こえてくる評判だけを聞けば十分に思える。
「ミディア、ともかく俺達は分割した後のことも考えて、分割した後も十分やっていけるだけの準備を整えなくてはならない。」
「そうですね……わかりました。さし当たって、ディールの方を確認してみます。」
「ああ、俺はメニディの方を確認する。レフカンディにも誰か向かわそう。まだ、リンダ殿では荷が重いだろう。」
「そうですね。」
「とにかく、連絡を密に取って行こう。」
 大変なことだが、アカネイアの自分達の居場所を取り戻すためには一つ一つ事を進めていくしかない。さし当たって手を付けることをまず考えるジョルジュであった。

 アカネイアパレスで静かにアカネイアの命運が決まる動きが起こりつつある時にも、大陸の情勢は変化をしていった。この段階で大きな変化を起こしていたのはユベロが帰還したグルニアである。ドルーアと決別したマケドニアでは、もうグルニアとのやり取りを阻害する要因は無いため、マチスの元へも矢継ぎ早に情報が舞い込んでくる。
 ユベロはグルニアの反ドルーアを標榜して旗揚げした反乱軍へグルニアの正規軍としての旗印を与え、グルニア全土へその知らせを流布させた。また、自身は掌握した軍を率いて即座に出撃し、電光石火の勢いでグルニア本城へ迫り、これを包囲した。カナリスが率いる今や賊軍扱いとなってしまったグルニア軍は、篭城を続けたが、内部からの離反者が後を絶たず、逆にユベロの側への志願兵は日毎に増えていった。時を追うごとにその傾向は加速し、王城は内部からの降伏によって数日もしないうちに陥落することとなった。カナリスは捕らえられ、即座に処刑された。
 ユベロは城内を調べ、無駄に蓄えられていた財産を放出し民衆へと還元した。どのようにすればグルニア各地へ平等に援助ができるかが考えどころではあったが、すでに志願兵そのものがグルニアの各地から集まっていたため状況を把握することが可能だった。
 ユベロは財産を四等分し、半分を民衆へ分け与え、四分の一を褒章として兵士に支払い、残った四分の一を今後への蓄えとした。
 一通りの供与が終わると、ユベロは略式ながら即位式を行った。外国からの正式な参加者はマケドニアのラドビスのみで、きらびやかな晩餐会やら舞踏会やらとは無縁な質素な式ではあったが、城の広場に集まった民衆から新しい王は歓呼の声で迎え入れられた。
 こうして、ユベロはグルニアの四代目国王へ正式に即位した。また、マケドニアのマリア王女を近いうちに妃に迎えることも傍らにいるマリアと共に発表した。
 ミシェイルはこれを受けて、祝辞と一緒にグルニアに大量の援助物資を送った。それは、即位への祝いの品としてはあまり適切なものではなかったかもしれないが、ユベロには非常にありがたいものであった。
 即位の後、ユベロは改めてマケドニアと同盟を組む旨をミシェイルへ通知した。ミシェイルはこれを即座に承諾した。
 ユベロは集まった兵士達をグルニアの正規軍として再編成する一方で、それ以外の面については民衆の安寧を第一に考え、疲弊した各地方の建て直しを図った。各地の状況はひどいものであった。中には少ない食料の奪い合いになっているような箇所もあった。
 ドルーアの爪あとは深く、そう簡単に痕跡を消すようなことはできそうもない。幸いにしてグルニアの冬は他の地方と比べて厳しくはない。ユベロは民衆と共に、腰を据えてこの難題に取り掛かることとした。

 ドルーアの帝都にしては珍しく、ここしばらくは喧騒が一帯を支配していた。アカネイアへ展開していたドルーア軍が、一つ、また一つと撤退してきていたからである。
 その直接の管理はメディウスの側近であるゼムセルが行っていたが、ここに至って各地へ派遣していた兵力の詳細が全くの不明であることが判明していた。ゼムセルは頭を抱えたが、戻ってくる兵を受け入れないわけにもいかず、場当たり的な対応でその場を繕うほかなかった。
 竜人は直接アカネイアなどに赴いて統治していたのは極わずかで、戻ってきている部隊の多くはドルーア帝国の再建後に吸収した部族の兵士である。この時点で部隊の統率は期待できるものではない。ドルーア帝国では傭兵も多く雇い入れていたが、こちらは離散してしまいドルーアまで戻ってきたのは極少数であった。
 このような状態なのでゼムセルは事態を収拾するためにかなりの時間を費やした。その間、メディウスは特に方向性を変更するようなことはなかった。まず、国内を安定させることを最優先にした。このため、この間はアカネイアやドルーアに対する攻勢は完全になくなった。ドルーアの軍が何とか秩序を取り戻すまでに二ヶ月余りを費やした。
「陛下、反撃の準備が整いました。」
 軍の体制が整ったことを確認したゼムセルは、メディウスに奏上した。
「どうするつもりだ。」
「もちろん、マケドニアを攻略するのです。我らの力を以ってすれば簡単なことです。」
 ゼムセルの言葉は自信に溢れていた。
「お主、本当にそう思っているのか?」
 だが、メディウスは違った。
「よく見回してみるのだ。ガーネフとミシェイルは裏切り、グラもグルニアも潰された。今や残った兵力で大陸の全てを相手にせねばならぬ。そのようなことが本当に可能であると思っているのか。」
「これは異な事をおっしゃられる。我々竜の力があればいかに人間が束になって掛かってこようが敵ではありませぬ。」
 ゼムセルは心からそう考えているようであった。いかにも驚いた顔がメディウスにはこっけいに見えた。
「愚か者が!そのように攻め入ったグルニアで汝らは二度も負けているではないか!あのミシェイルが何の備えもなしにこのような挙に出るわけがないではないか!」  ゼムセルはメディウスに怒鳴られてもまだ呆けていた。
 メディウスがゼムセルから聞いたところによると、手元に残った戦力は吸収した周辺部落出身の兵が五千ほど、しかし竜人は二百ほどしか残っていない。竜人という種自体がもう増えることがなく竜人から見れば無限に兵力を回復できる人が、竜に対抗する手段を持ち始めているのであれば、追い詰められるのは竜の方だ。
「お主にはわからぬか。グルニアには派遣した魔竜が倒されておるのだ。もはや我らは奴らにとって絶対的脅威ではない。」
「そ、そんなはずは……。」
 なおも言い澱むゼムセルに対し、メディウスは断言した。
「マケドニアとは講和を結ぶ。急ぎ、使者を用立てるのだ。」

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