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FireEmblemマケドニア興隆記
竜王戦争編
三十六章 春遠からず
「これは、確かに封印の盾だ。間違いない。」
ミシェイルとカミユの前でガトーが唸る。
諸国の王達がアカネイアに集まったあの会議から、早くも一月近くの時が流れた。会議の場で封印の盾がその姿を現した時、その真偽をガトー本人に確認してもらおうと言うのは必然的な流れであった。
ニーナは盾を簡単に持ち出すことを渋った。
姿を変えても、それはアカネイアの象徴であるファイアーエムブレムに違いはなかったからだ。
しかし、既にニーナはその盾をカミユへ与えていたから、カミユが持ち出す分にはニーナも何も言わない。会議の場では、折を見てカミユが盾を携えてマケドニアを訪れることとなった。
だが、アカネイアの復興作業はやるべきことが多く、同時に軍事面の面倒をほぼ一人で見ているカミユにはマケドニアまで往復するだけの余裕がなかなか空かなかった。
移動には飛竜を使える。飛竜を使えば陸路と海路を継ぐ道のりに比べ、遥かに短い時間で移動することができる。それでもカミユがアカネイアを離れてガトーの元へ同行するとなれば三日間はアカネイアを留守にする必要がある。ドルーアの戦いまでに確認を行うことができればよいのだからというアカネイア側の思いもあり、それをいつ行うか、具体的なことについては全く決まらない状態だった。
カミユは復興作業の方も手伝ってはいたが、復興作業の陣頭指揮を執っているのは主にジョルジュとミディアである。カミユは軍事面での指揮を執っていて、当面の課題は来るべきドルーアへの攻撃作戦となっていた。
これには、マケドニアも深く関わってくる。カミユは未だアカネイアに駐留しているマチスと必要な点を打ち合わせることで、この準備を進めていた。
この準備がある程度進んだところで、エルレーンと直接細かいところを打ち合わせようと言う話が持ち上がった。この話を聞いたミシェイルが会議への参加を望んだ。エルレーンのみであればエルレーンがアカネイアへ移動すれば良かったが、ミシェイルが参加するために打ち合わせはマケドニアで行われることとなる。その結果、カミユはマチスと共に一度、マケドニア王都へ赴くこととなった。
ミシェイルが会議へ参加することを決めたのは無論、カミユを呼び出すための方便でもある。
ガトーへの訪問はこの時にようやく実行された。会議に先立って、ミシェイルとカミユでガトーを訪れることとなったのである。もっとも、ガトーへはミシェイルの側から連絡を取る手段が無い。普段は留守がちでもあるから、突然に訪ねることは賭でもあった。しかし、ガトーは封印の盾のことも既に知っており、ミシェイル達の来訪を待っていた。
ガトーの家は以前と全く変わっていない。内装も、同じで簡素なものである。
テーブルの上にはカミユが持参した紋章の盾が置かれた。遠見の術で見ても五つの宝玉が強烈な力を発している。わざわざ確認しなくともそれが真に紋章の盾であることはガトーにはわかっていた。ミシェイルにそれを提示させたのは、ガトーが実際に目で確認したかったからに他ならない。
「して、ガトー殿。この盾があれば、竜族は力を発揮できないと考えてよろしいのですか。」
ミシェイルの関心は専らそこにある。しかし、ガトーは首を振る。
「この盾が本来の効果を発揮するためにはこれを元々あった竜の祭壇に安置する必要がある。このままでも効力がないわけではない。実際、変化できない竜人もいるだろうし、変化した竜人も力を削がれることにはなろう。だが、全ての力を封じるまでには至らぬ。」
ガトーはすまなそうに話をしているが、ミシェイルには少しでも効果があることであれば使う価値があるものでもある。
ガトーの話は続く。
「この盾を竜の祭壇へ安置すれば、地竜や魔竜のような力を持った竜の中で、理性を失い暴れるだけしか能がなくなった竜達は、封印の効果が及んでいる間は表に出てくることはない。だが、ドルーアの竜人は自分の意志で変化することもできるだろう。気をつけることだ。」
「言われるまでもありません。」
ミシェイルにしても、既に竜となった竜人との戦闘は経験してきている。注意するべきことは注意するべきではあるが、竜に対して必要以上に恐れを抱くことはない。
「では、この盾は戦いの前にその竜の祭壇へ戻した方がよいのですか?」
と、カミユが聞く。
「ニーナ殿下が納得されるかな?」
普段はニーナに対して殿下など付けないミシェイルがそのように茶化す。
「納得するも何も、してもらわなければ困る。相手はあのドルーアなのだから。」
カミユの生真面目な答えに、ミシェイルは苦笑する。ミシェイルは、また他の理由で、盾を戻すことは難しいだろうと考えていた。
「ガトー殿、竜の祭壇というのはどの辺りにあるのですか?ドルーアの奥地ではないですか?」
「その通り。今のドルーアの帝都からさらに奥地に入ったところだ。ドルーアの帝都を通り抜けずに辿り着くことは困難だ。」
場所がわかれば竜を使って空を行くのだから移動について困難なことは何もない。しかし、ミシェイルの予想通りのその場所は厄介なことには変わりない。
「……では、やはりドルーアの攻略に片が付いてから持って行くとしよう。予めそのようなところへ持って行って、事前にドルーアにこのことが伝われば、守備をするだけの十分な兵力が配置できん。」
「……それもそうですな。」
カミユもあっさりと納得する。
「この盾は強い力を持っている。無理をして竜の祭壇に安置する必要はひとまずはない。最終的に、在るべき場所へ戻してもらえれば、それでかまわない。」
ガトーは盾を見据えながら説明を続ける。
「盾のことをお話ししよう。この盾は竜の祭壇にて、理性を失った竜達、特に地竜族を封印するための物だ。封印が弱まればやがて地竜が目覚め、暴れ出すこととなる。」
ガトーがそう説明するが、ミシェイルもカミユも話の内容を実感はできない。
「地竜は事を戦いに限れば全ての竜族の中で最強の種族だ。これに対することができるのは竜の中でも神竜のみ。かつての異変の折に、地竜は長を除いて竜人となることを拒んだ。理性を失った彼らは、ナーガの力で竜の祭壇に封じられた。メディウスがその地竜達の長だったのだ。」
「……それは、メディウスと同じ力を持つ竜がその祭壇から出てくるということですか?」
カミユの問いにガトーは肯く。
「厳密に言えば、メディウスは地竜の中でも抜きん出ている存在だから、同じ力というところまでは行かぬかもしれん。そうは言っても、ファルシオンなど神竜の力を使わなければかすり傷を付けることすら難しいだろう。」
ミシェイルとカミユは顔を見合わせる。メディウスですらどれほどの力を持っているかわからないと言うのに、同じ程度の力を持つ竜が他にも多くいると言うのだ。脅威であることは理解できる。しかし、感覚が付いて来ず、恐怖すら浮かんでこない。
「このことは気にする必要はない。封印の盾がこうして元に戻っていれば、竜の祭壇から離れたところに盾があろうとも、もう奴らは出ては来れん。六百年間、封印の盾が封印の盾として機能していない間、眠りに付いた彼らは目覚めつつあった。しかし、こうして封印は再び形となったのだ。この封印がある限り、彼らが地上に現れることはない。」
六百年と言えば、人の歴史のほぼ全てだ。ミシェイルとしても考えが及ぶところではない。ガトーの説明から読み取れる最も重要な点は、この盾がある限り竜の祭壇については特に何も対策を取る必要がないということだ。最終的に盾を祭壇へ返すとしても、それは全てが終わった後のこととなるだろう。
「ガトー殿、これは我が軍の騎竜にも影響を与えるものですか?今のところ、竜騎士への悪影響は現れていないようですが。」
同じ竜と呼ばれる存在を使役しているミシェイルは、その点をガトーに尋ねた。
「竜騎士の竜についてはほとんど心配する必要はない。この封印は、対象が竜として強い力を持てば持つほど強力に作用する。既に炎の息を吐く力すら失っている飛竜に対する影響は気にするほどには現れないだろう。」
ガトーの返答にミシェイルはやや考える。
「……なるほど。逆に考えると、竜人達は竜に変身することがなければそれほど不自由でもないし、竜の中でも比較的力が弱い飛竜や火竜などには効果が薄いと言うことですか。」
「さよう。加えて言うと、封印には竜石に力を封じた竜族の理性を安定させる効果もある。……もっとも、老いには勝てぬから、今に残っている竜人にどれほど効いているかは疑問だがの。」
先の戦いで、マケドニアはドルーアの竜を数多く討ち取った。しかし、それでもまだ相当数の竜がドルーアの本土には残っているはずである。封印の盾があるとは言え、その竜の力が全てなくなるような都合の良いことはないようだ。
「ドルーアとの戦い。厳しい物になりそうですな。」
同じような事を考えていたのか、カミユが何とはなしに呟く。
「ドルーアを陥とすは不可能ではない。そのために今まで、あらゆる手立てを尽くしてきたのだ。目的の完遂まで、全力を尽くすのみ。」
ミシェイルの言葉にカミユが頷く。
「いや、この盾さえあればかなり状況は有利になるはずじゃ。確かに、今のドルーアの竜族には効果は薄いかもしれん。じゃが、この盾によって封印されていたメディウスとなれば話は別じゃ。メディウスは地竜の中ではただ一人、竜石に力を封じ込めていた。だからこそ、他の地竜が未だ封印を破れずにいる中で姿を現し、行動することができておる。じゃが、この盾があれば少なくとも竜の姿に戻った上で自由に動くことはできん。メディウスに限って言えば、相当の力を削ぐことができるじゃろう。」
と、ガトーは言う。
「それは良いことを聞きました。少しは気持ちも楽になろうと言う物です。」
実際、メディウスのことについてはミシェイルにとってかなりの心配事ではあった。ファルシオンは無事に取り戻すことはできたが、これを扱えるのはマルスのみである。いくら切り札があるとしても、扱えるマルスがメディウスに技量で負けていれば全く意味をなさない。
「ガトー殿、ファルシオンなのですが、アリティアの血筋でなくとも使えるようにはできないのですか?」
ふと、ミシェイルは気になってそんなことを口にしてみる。マルスはアリティアの王子としては名が知られているが、武人としての勇名はそれほど高いわけではない。まして、個人の武勇などは話に上ることはない。ドルーアへ攻め込むこの戦い、最も不安な点はマルスしかファルシオンを扱えないと言う点にあるのだ。
「うむ……。」
思いのほかにガトーは黙り込んでしまった。カミユがこれに続ける。
「私も前々から気になっていたことはあります。ファルシオンはアリティアの直系嫡流の長子のみしか扱えないとされていますが、初代のアンリに子はなく、既にその時点で嫡流は絶えていますよね?しかし、次代のマルセレス以降もファルシオンが扱えるのはアリティアの王のみとされています。本来であれば、アンリのみにしかファルシオンは扱えないはずです。」
ガトーはゆっくりと口を開く。
「お主らが考えている通りじゃ。ファルシオンに制約を課したのはわしじゃ。アンリが亡くなった時、マルセレスに再度制約の術を掛けさせてもらった。」
「……なぜ、そのようなことを。」
「ファルシオンは地竜だけでなく、すべての竜に対し大きな威力を持つ。それはナーガの一人娘に対しても例外ではない。竜の中も一枚岩でないのは今までお主らに話てきた通りだ。そのような意図で使用されることを防ぎたかったのだ。」
「なるほど……。」
これはミシェイルは納得せざるを得なかった。武器を作った側のわがままだと言ってしまうのは簡単だ。しかし、実際にファルシオンはガーネフに奪われている。ガトーの懸念を間違いだと断言することはできない。
「それではガトー殿、ファルシオンの使い手を増やすことは可能なのですか?」
とカミユが尋ねる。
「無論、可能だ。ファルシオンに埋め込まれている特定の血筋への制約を拡張して行けばよい。」
カミユが何か言いかける前にミシェイルが口をはさむ。
「いや、カミユ殿。ガトー殿の言うことにも理はある。闇雲に使用者を増やすことは得策ではない。……結果論ではあるが、この制約があったおかげでガーネフもメディウスへは手が出せなかったのであろう。」
ミシェイルはガトーに向き直って続ける。
「しかし、次の戦いが失敗し、マルス殿に万が一のことがあるようであれば、その時は再びガトー殿にしかるべくお願いすることとなるでしょう。よろしいですかな?」
「それは……致し方なかろう。」
ガトーもこれは承諾した。
「これから臨む戦いに負けることは考えたくはないのですが。考えないわけにもいきません。封印の盾があれば問題は無いようですが。」
「それは、わしが保障しよう。ナーガの力はそう簡単に失われたりはせぬ。」
ガトーは力強く肯定した。ナーガに対する大きな信頼が見て取れた。
「ところで、封印の盾を元に戻すことは戦いが上手くいった後のこととなるでしょうが、念のため、祭壇の位置を教えてはいただけませんか?」
「うむ、そうじゃな。」
ガトーは立ち上がると、おもむろに質素な棚に整然と置かれている道具の中から透明な硝子の板を取り出した。これを机の上に置くと、ミシェイル達には理解できない言葉を二言、三言と呟く。
硝子には青い海の中に浮かぶ緑の島が映し出されていた。
「これは、マケドニアですか?」
竜を駆り、何度となく上空からマケドニアを見たことがあるミシェイルには、それがマケドニアとドルーアが存在する島であることがすぐにわかった。しかし、一枚のガラス板に島の全景が収められていることから、かなりの上空から眺めている像であることがわかる。ミシェイルも、このように見えるまで高空へは昇ったことはない。
「さよう。ドルーアとマケドニアがある島を天空から見下ろしているところだ。」
ミシェイルもカミユも硝子板に真剣に視線を注いでいる。
「ところどころ薄雲が掛っておるようじゃが、この程度なら問題ないじゃろ。」
ガトーは、硝子板へ指を指しながら話を進める。
「マケドニアの王都がこのあたり。ドルーアの王都がこのあたりじゃな。」
このような上空から見ても、さすがにマケドニアやドルーアの王都はすぐに判別できる。人口の建造物が密集している個所は明らかに他の地域と色彩が異なっている。
ドルーアの王都を示したガトーの指はそのままドルーア王都の北東にあるとある地点へ移動した。
「竜の祭壇はここじゃ。」
島の北東部、そこには山と森しか存在していない。
「高い空から見下ろしているからわからんが。近づけば明らかに人が作ったとわかる建造物がある。作ったのは人ではなく竜じゃがな。その建造物が竜の祭壇と呼ばれておる。実際には祭壇は建物の最深部にある。そこへ、安置してもらえればよい。」
「これは、さすがに竜で飛ばないことには移動できそうもないな。」
ドルーアの王都から離れたその場所は、全く人の手が入っていないような奥地である。
「こんな場所でも昔は道がここまで通っていたのじゃがな。もう、失われて久しいわ。」
それは何百年前のことであるのか。少なくともマケドニアの歴史に比べるまでもなく遠い過去のことなのだろう。
「位置は……ドルーアの王都からほぼ北東の方角ですな。迷うことはないでしょう。事が片付いた折には責任を持って盾を返却しましょう。カミユ殿、よろしいですな。」
「……そういうことであれば仕方はありませんな。」
「よろしく頼む。」
約束するミシェイルを横に、カミユは難しい顔をしていた。アカネイアの象徴である盾が失われることをニーナにどう説明すべきか考えているのだろう。
いきなり、ガトーは頭を深く下げた。
「我らの不始末をその方らに押し付けるようなことになってしまい本当に申し訳ない。もはや我らが大陸の表舞台へ出ることはないだろう。」
謝罪するガトーを前に、ミシェイルの思考はどこか冷めていた。
「ガトー殿。ガトー殿がメディウスのことについて心を痛める必要はありません。我らがアカネイアではなくドルーアと同盟をしていたのと同じように、竜についても全てが同じ立場にあるとは今は考えてはいません。ただ、ドルーア帝国は、我らの生存と繁栄に関して大いに脅威です。全てはその脅威を取り除くために行っていることです。このことは、ガトー殿の考えがどうあろうと変わりはしません。」
これを聞くと、ガトーは頭を上げ、ミシェイルを見据えた。
「そなたは変わらぬな。」
「国王の考えが頻繁に変わるようでは、国は安定しませんよ。」
相変わらず沈痛な面持ちのガトーに対し、ミシェイルは苦笑しつつそう答えた。
一通りの話を終えた、ミシェイルとカミユはガトーに別れを告げ、マケドニアの王城へと帰還した。
ミシェイルとカミユに、マチスとエルレーン、そしてユベロを加えた対ドルーアに関する会議は、翌日の日中を全て潰して行われた。作戦の大筋や、動員される兵力については既にほぼ確定されていたため、議題として上がるのはそれぞれの立場から疑問点となっているような細かいところがほとんどであった。そういった個所について、突き詰めて話し合いをした結果、時間的には丸一日を費やすことになったのだ。
「陛下、折り入ってお話したいことがあるのですが。」
マチスがミシェイルへそう切り出したのは、長く続いた会議がようやく終わり、解散しようとしていた時だった。
「どうした?何か問題でもあったか。」
「いえ……少々私的なことについて申し上げたいことがありまして、人払いできる場を設けてはいただけませんでしょうか。」
マチスの顔は真剣そのものであった。ミシェイルもただ事ではないと心構える。
「わかった。では、用意でき次第、使いの者を送る。それでよいな。」
「はい。」
二人の会話は、他の者には聞こえてはいないようであった。ミシェイルは首をかしげつつ、マチスの話を聞く準備をするのであった。
翌日、早々にマチスとカミユはアカネイアへ、ユベロはグルニアへと戻って行った。
人知れずマチスと話をしていたミシェイルは、いつもよりその口数を少なくしていた。もっとも、その些細な変化を、そうと気付く者はほとんどいない。
しかし、休憩時間を共に過ごしていたパオラはその微細な変化にも気が付いた。
「陛下、どうかなさいましたか?心なしか、考え事があるようですが。」
「ああ、マチスから多少厄介な申し出があってな。」
ミシェイルは国王であるから、他の人には想像もつかないような懸念事項を多く抱えていることはパオラにも想像がつく。ミシェイルが何かを考えている時は多い。この時も、パオラは何か政策上に検討すべき点があって、マチスとやり取りをしたのだろうと、そう考えていた。
パオラは、ミシェイルとの会話の種としてこういった話題も出すが、ミシェイルがどういう返事をするかについてはそれほど気にしているわけではない。時には意見を求められることもあり、その場合にはパオラも自分の考えを答えることもある。しかし、ミシェイルが持つ問題の大部分はパオラに相談するようなものではない。
だから、その後に再び会話が途切れるようなことがあっても、パオラは別段に気にしない。パオラは高そうなカップに入れられたお茶を一口、口に含む。ミシェイルとのこのような機会が増えるにつれ、王城付きの侍従が入れたお茶の美味しさを楽しむ程度の余裕をパオラは持てるようにはなっていた。
ミシェイルがカップに注がれた茶の水面を凝視しつつ考え事をしている間、パオラは一言も口に出すことはなかった。
どれくらい時間が過ぎただろうか、ミシェイルはカップから視線をパオラへ移し、パオラをじっと見つめる。パオラはミシェイルとこのような場を過ごすことが多くはあったが、さすがにミシェイルの視線を真正面から受け止めることには慣れていない。なんとなしに居心地の悪さを感じつつも、自分から視線を外すわけにもいかない。
「パオラ。お主、予の妃となってもらえぬか?」
投げつけられた言葉をパオラが咀嚼するにはしばらくの時間を必要とした。ぼんやりと理解した後でも、
「はい?」
と、およそ国王に対する言い方とは思えないような返事をしていた。
顔が紅潮していくのが自分でもわかる。
「な、何故突然そのような話に?それに、私は白騎士団団長という過分な職責を頂いてはおりますが、単なる平民にすぎませんよ。」
パオラは飲みかけのカップを置こうとして、うまく置けず、底に残っていた茶をこぼしてしまう。慌ててテーブルを拭こうとするパオラに対して、ミシェイルは意地の悪い笑みを浮かべた。
「何だ。予の妃などにはなりたくはないか。」
「い、いえ。そういうわけではっ。」
パオラは混乱するばかりである。
「元々、常々文官達から早く妃を迎えるように催促はされていたのだ。そうは言っても、今更レナは応じることはないだろうし、変に他の国内の貴族と結びつくこともできん。権力を求めるような貴族達はもういないが、繋がることで妙な色気を出されても困る。お主ならばそのようなことはないだろう?この場合、お主が平民であることは問題ではないぞ。」
ミシェイルは、自分の国がドルーアの奴隷から興ったことを自覚している。そのため、ミシェイル自身の身分に対する特権意識は恐ろしく低い。これがパオラに対しても現れている。
「しかし、それでは納得しない者がいるのでは。」
だが、ミシェイルは特別な例でもある。大陸で暮らす大部分の人達は身分に縛られているし、貴族達は特権意識を持っている。ミシェイルも、その部分については完全に無視することはできない。
現状では、ミシェイルが持つ力を考えれば、そのままパオラを妃とすることも不可能ではない。だが、余計な波風を立てずに済むのであればそれに越したことはない。
そういった点を加味してミシェイルの巡り巡った思考の行き着いた先がパオラに対してしたこの話となっていた。
「昨日のマチスとの話だが……もし順調にドルーアとの戦いが終わった時には大将軍の位を返したいということだった。」
「マチス殿が?退役なさると言うのですか?」
話が突然変わり、ミシェイルの口を突いて出てきたのは驚くべきことだった。
「マケドニアからいなくなるということではない。ドルーアの地を統治するようなこととなったら、自分にそれ任せてほしいと言われたのだ。」
パオラには理解ができない話であった。もっとも、直接に話を聞いていたミシェイルも面喰らっているようではあった。
「それに……どのような意図があるというのでしょうか。理解に苦しみます。」
パオラは感想を素直に述べる。
「あ奴が言うには、戦争が終われば自分のような地位は必要でなくなるとな。確かに、大将軍はこの戦争が進んでから新設した地位ではある。予としては、引き続き近衛軍以外の全軍を統括する立場として引き続き仕事してもらうつもりだったのだがな。」
ミシェイルもやはり完全には納得していないのであろう。ゆっくりと首を振る。
「マチスの言い分も理屈が通っていないわけではないのだ。ドルーアを占領し、各国が再び独立するのであれば、マケドニアに残された最も大きな仕事はドルーアの統治になる。さすがに、あそこだけは旧勢力を独立させるわけにはいかないからな。それに、軍の統括も戦時ほど力を注ぐ必要もなくなる。」
理屈が通っているからこそ、ミシェイルもマチスの申し出を無下にはできない。
しかし、ミシェイルはマチスの申し出の裏の意味もなんとなく察してはいた。マチスは数々の作戦を立案、実行し実績を重ねてきた。そのマケドニア国内での名声は今やミネルバをも凌駕している。
そのマチスがマケドニア中央に戻り、ミシェイルのそばで政務を取ることで、国内がそれぞれを支持するミシェイル派とマチス派に別れてしまうことを危惧しているのだろう。大方、そんなところだろうとミシェイルは考えていた。
「……ところで、それが最初の話と何か関係してくるのですか?」
マチスの話は素直に驚きではあったが、今のパオラに取ってはある意味どうでもいいことではある。パオラはミシェイルに先を促す。
「うむ。マチスの要望は大将軍の職を辞した上でドルーアの地へ転封して欲しいということなのだ。そのようになるのであれば、マチスについては候から公へ格上げしようと思ってな。だが、そうなればマチスが元から持っていた侯爵の位が浮く。その位をお主に与えようと考えている。」
再びパオラには仰天する話であった。
「陛下、そのような厚遇は余りに過分です。」
侯爵に任じられるということはこの国の貴族となるということである。しかも、侯爵位は伯爵位や男爵位に比べても高位であるから、いきなり列せられるような前例はない。パオラは自分が貴族となることなど考えもしていなかった。しかも、いきなり侯爵と言うのはどう考えてもおかしい。
「今のマチスは侯爵ではあるが……所領は直轄地扱いだから、そのような話であればマチスにドルーア領を丸々任せることと意味は同じなのだがな。しかし、実際のところ、戦争中に害悪となるような貴族達は積極的に潰してきたのだ。結果的に、我が国で所領を持つ貴族は往時の三割程度にまで減っている。だから、功績があり、これからのマケドニアの為となるような人物であれば、機を見て叙勲を行うことを考えている。……お主とエルレーンがその筆頭なのだぞ。」
パオラは混乱していた。子供のころ、二人の妹の面倒を見ながら農作業の手伝いをしていたことを思い出す。白騎士団に入ってからは、吸収するべきことは全て吸収してきた。ミネルバ殿下のためと考えてきたことが、いつの間にかミネルバ殿下の代わりをするようになっていた。そしてついにはこの国の国王が目の前にいて、妃となることを求められている。話を続けるミシェイルを相手に、パオラはそれ以上、一言も話すことはできなかった。
「侯爵であれば妃とするのもそれほど抵抗はなかろう。お主はまず侯爵となり、その後に予の妃となってもらえればよい。侯爵位は追ってカチュアかエストが継げばよいだろう。」
ミシェイルは簡単にそう言ってのける。実際にはそのような手順は必要ではなく、パオラが拒否したとしても強引に妃とすることも可能だ。今のミシェイルであれば、文官の重臣達の意見などそれほど大きな問題ではない。
「と……昨日、マチスと話をしてから考え通しでな。今の話も考えたばかりで実際には考慮するべきことがあるやも知れん。しかし、浅い考えでこう言っているわけでもない。お主の考えを聞かせてもらうことはできるか?」
パオラは固まったままであった。
「パオラ、どうだ?これはまだ誰にも話してはいないことだから、貴族から輿入れしようとしていたレナの時とは違い、断っても何も問題はないぞ。事が事であるからな。お主の意向は尊重する。」
と、ミシェイルは言う。元よりミシェイルにも強引に事を運ぶつもりはない。
「いえ、断るなど、そのようなことは考えられません。」
パオラはミシェイルも驚くような勢いでそう答えていた。次の瞬間には息を飲み、押し黙ってしまう。
「よいか、予は冗談でこのようなことを言っているのではない。これはお主にとっても重要なことであろうから……無理に即答する必要はないのだぞ。」
パオラのはっきりとした返事にさすがのミシェイルもいささかたじろいでいた。いつもの会話と同じような調子で、パオラを困らせるような心づもりも少しはあったのだ。
「いえ、私にその話を拒む理由はありません。進めていただいて結構です。」
勢いで受け答えたところもあるのかもしれない。そう考えてミシェイルは再度の確認をしてみたが、少しは落ち着いて見えたパオラも同じように返事をした。
パオラも一軍の将であることには変わりはない。その突発的なできごとに対応する能力は、戦いがどうこうということではなく発揮されているのだろう。ばかなことを考えているなと思いつつも、自然に頬が緩んでいくことをミシェイルは自覚していた。
「わかった。だが、具体的に話が進むのはドルーアに勝ってからだ。ドルーアを潰し、論功でお主に爵位を授与した後に話を進めることとなる。……すまないが、それまでは一切を内密としてほしい。心構えはしておいてもらいたい。」
「はい。」
パオラはただ一度頷き、はっきりと返事を返した。
ミシェイルはここで断られたとしても、爵位だけは与えるつもりでいた。ミネルバの後を継ぎ、白騎士団を纏めてきたパオラが受勲することに、反対する者は今のマケドニアにはいないだろう。かえって本人が一番遠慮してしまうのが予想できる。
もっとも、実はミシェイルにもパオラを妃とすることに関しては、パオラが最も身近な女性であるという以外、政治的な面でも考えることがあった。これは、爵位を与えるということも関係している。
マケドニア王家は、マリアがグルニアへ降嫁することが決まったことで、グルニア王家と強い姻戚関係を結ぶことになる。王家同士の婚姻は昔から普通に行われていたことであったが、マケドニアは比較的孤立した傾向にあった。
ミシェイルの代で、グルニアと姻戚による強固な同盟関係を築くことができるのであれば、それは大きな利益を生み出す。
ミシェイルはまた、別方面でパオラの妹のカチュアがアリティアのマルス王子と浅からぬ仲であるという噂を耳にしたのだ。
マルスがアリティア王として即位した時、カチュアがその隣にいれば、マケドニアとしてはアリティアへの影響力を持つこととなり、悪くはない。一歩先に進み、ミシェイルがパオラを妃とした上でカチュアがマルスの妃となるのであれば、遠回りながらもアリティアとも姻戚関係を結ぶことができる。
パオラへの受勲もこのカチュアのことを考えている部分もある。国の外から妃を迎えるという時に、その妃が平民というのはその国にとってはいかにも都合が悪い。婚姻には機会もあるから、必ずしも相手が王族であるとは限らないが、最低限爵位は準備しておく必要があるだろう。
ミシェイルはパオラを見つめる。あれだけの話の後でパオラも押し黙ってしまい、会話はなくなっていたが、ここに来る前に感じていた陰鬱さはすっかり無くなっていた。
お茶を飲み終えたミシェイルは席を立つ。そう、長い時間休んでいるわけにもいかなかった。
「すまないが、これで失礼する。……では、よろしく頼む。」
パオラは一礼をして、ミシェイルに応えた。
ミシェイルが去っていく背中を見ながら、パオラはふと気が付いた。自分はミシェイルに気持ちを伝えてはいない。
かろうじて同意することはできたが、これは自分の言葉で伝えなければ意味はない。しかし、これから先にその機会はいくらでもありそうではあった。
パオラは時間を忘れ、片付けに来た侍従に声を掛けられるまで、呆然としていたのだった。
ドルーアの王城の奥、薄暗い玉座に腰を据えるメディウスは明らかにその覇気を衰えさせていた。重臣達の問い掛けには依然として的確な受け答えをしてはいたが、合間に見せる深い疲労は、既にメディウスの胆力を持ってしても隠し通せる限界をとうに超えていた。
玉座の前にゼムセルが跪く。
「陛下、ホルスタットめの姿が見えませぬ。」
ゼムセルは顔を伏せたまま、そう述べた。
「……逐電したか。無理もない。」
メディウスの声に感情はこもっていなかった。ゼムセルは緊張を解けずそのまま動くこともできない。
メディウスが座る玉座は、意匠こそ細かく豪華な作りとなっていたが、派手な色使いの布や、煌びやかな宝石の類は全く使われていない。光がほとんど差さないその空間は闇と隣り合わせだ。
このメディウスが常に座る玉座の造りは、メディウスが自分で指示してこのように作らせたものだ。メディウスは自身の威厳を闇を纏うことで表そうとした。
しかし、今となってはメディウスそのものが闇の中へ溶け込もうとしているようにしか見えない。以前のメディウスであれば、配下の将軍が逃亡したなどと言うことを報告するのであれば、落される叱責に怯え、身を震わせてその場にうずくまるしかなかったはずだ。それが、たとえ配下の中でも頭領的な立場にあるゼムセルであっても、メディウスから感じる威圧感は変わらない。
今、ゼムセルはメディウスに対し、欠片ほどの恐怖を感じることもなかった。それが、どうしようもなく口惜しかった。
「ゼムセル、面を上げよ。」
メディウスの声に従ってゼムセルはその顔をメディウスに向けた。
「傭兵は使い物になるのか?」
メディウスはゼムセルを正面から見据えると、そう尋ねた。ゼムセルは首を振る。
「誠に遺憾ながら、残っている傭兵の数と内容から考えて戦力になるとは思えませぬ。金のために動くような輩であれば、戦場に立たせたとしても散って逃げることは目に見えております。」
「そうか……、やはり城砦に引き込む一手であるな。」
「まことに不甲斐なきことながら。」
ゼムセルは伏せがちになってしまう顔を上げることができない。
「よい。済んだことだ。我等をいたずらに利しようと企んだ者は既に滅んだのだ。この上は今一度我等の存在を知らしめるのみ。それが我等をこのような境遇へ貶めたナーガへの手向けともなるであろう。」
メディウスはゆっくりと語る。
「して……傭兵の手を借りずに間に合うのか?」
「……動かせる人数も時間も少なく、全てに万全を期することは不可能です。可能なところのみ補強することが精一杯かとは思います。ただ、かねてから奥の造営は行われておりますれば、奴らを策に嵌めることについては問題はありません。」
二人が話題を移したのは攻めてくるであろうマケドニア軍に対抗するための準備のことである。
マケドニア軍は今やドルーアを総攻撃するための準備を何ら秘匿することなく進めている。マケドニア軍がどのタイミングで攻撃を仕掛けてくるかについては、ドルーア軍にもおおよその見当はついていた。
ゼムセルを始め、ドルーア軍はマケドニア軍を迎え撃つ準備をしているのだ。
ドルーア軍は今や危機的な状況にあった。主力となる竜人達は先のマケドニアとの戦いで半数以上を失った。マケドニアとグルニアを同盟国として巻き込んで以来、その伝で雇用していた人間の傭兵達は、前線の瓦解と共にほとんどが逃げ去り、意味のある数は残っていない。
周辺集落出身の蛮族兵達は状況を理解もせずに残っている者も存在はしたが、上手く指揮を出すものがいない。主力は過半数が失われ、その他はほとんどが逃げ去った。
先のマケドニアとの戦いの被害だけではない。以前、ガーネフに帝都を強襲された際にも、無視できない被害が竜人達には発生している。メディウスの考えるところでは、今のドルーアの戦力は最盛期の二割にも及ばない。
「失礼ながら、陛下、陛下はこのことを予期しておられたのですか?」
ゼムセルが訊ねる。ドルーアの城を、竜人が戦えるように要塞化することについて、メディウス以外の竜人達は熱心ではなかった。
自分達が負けるはずはない。この帝都で戦いが起こることなどありえない。帝都に戦いの準備など必要ない。
このような考えが主流を占める中、メディウスは王城の施工を強行させた。メディウスの考えに、逆らえる者などいなかった。
メディウスは口許を歪ませた。
「百年前の意趣返しよ。百年前、この大陸に敵は既にないと我等が確信していた時、予はあのファルシオンを持った男にその力を奪われた。あの時、予は全くの不意を打たれた。ドルーアは、今とは比べ物にならないほど強大であったにもかかわらず、奴に易々と突破を許したのよ。」
メディウスはそう語って聞かせる。
竜人の寿命は長い。人の世界では四世代、五世代と世代を重ねる百年という時の流れではあっても、彼らにとっては未だ自身の記憶に残る歴史とするには新しすぎる時分の出来事である。
今、ドルーアに集結している竜人は、ほぼ百年前の戦いを経験してきている。ゼムセルも当時からドルーア帝国の中では高い地位にあった。
しかし、ゼムセルは百年前にメディウスが倒されたところを知らない。ゼムセルだけでなく、ほとんどの竜人にとって、それは突然のことであった。
メディウスを倒された竜人達は混乱状態に陥り、その混乱から回復できないままカルタスやオードウィンに占領地を次々と奪い返されたのだ。
「あの時の予には油断があった。もはや自身を脅かす者はいないであろうとの油断がな。二度は同じ轍は踏まぬ。」
「陛下……。」
王城の構築は、予期せぬ侵攻に対する備えであった。メディウスにとっては必要なことであったが、他の竜人には理解できなかったことであった。しかし、それが役に立つときが来ようとしている。
「ゼムセル、我らは追い詰められておる。今、油断があるのは奴らの方よ。おそらく我らは勝てぬ。しかし、そう簡単に負けることもせぬ。早晩に滅びるのであれば、せめてミシェイルとマルスの首を挙げてからにしようではないか。」
そう言うと、メディウスはまた静かに笑った。
ドルーアへの攻撃開始までの間、最も忙しく動き回っていたのはアカネイアであった。ドルーアとの戦いの準備と平行し、軍の再建と領地の復興を同時に行っていたのだから無理はない。
その上に問題となっていたのはマケドニアから突きつけられていた王国分割の要求であった。
マケドニアとアカネイア、つまりマチスとニーナの交渉についてはニーナがマケドニアの要求を飲むという形で話が進行したため、特に問題となるようなところはなかった。
問題は、ジョルジュ、ミディア、リンダの三人が中央での復興作業に当たっていたため、各自が赴くべき地方の管理が全く行われないことにあった。マチスはアカネイアに駐留している配下の部隊と、レフカンディに駐留するハーマイン将軍の部隊を使ってこれをフォローしていたが、ドルーアとの決戦のため、マチスがアカネイアを離れれば、体制に無理が生じるのは必至である。
マチスはミシェイルと示し合わせ、アカネイア中央部だけは決戦に先立って独立させることを決定した。
冬の終わりにはささやかな式典と共にこの手続きは執り行われた。これを境にニーナは臨時でアカネイア王国の国主となり、全ての統治権はマケドニアからアカネイアへ移譲された。
マケドニアは、アカネイア中央領から段階的に軍を撤収させた。もっとも、各軍は本国までは戻らず、そのままアカネイア各地に駐留する。アカネイア中央には最低限の兵のみ残すこととなった。これに伴って、マチスもマケドニア王城へ移動した。
独立したと言っても、マケドニアの監視下にあることは変わってはいなかった。各地に配備されなおしたマケドニア軍は、その地方の治安維持を行う一方で、アカネイア中央に対する睨みも利かせていた。
アカネイア各地の押さえは主にハーマインが担当し、マチスの方はドルーアへの作戦準備へ注力していく。この段階になると作戦の実施については検討すべきことはほぼ検討されつくされており、マチスとエルレーンの主な仕事は作戦参加者の訓練となっていた。エルレーンの魔道士隊とマチスが編成する軽歩兵隊を連携させて竜を打ち倒すため、連日の訓練が続いた。
日々の寒気も和らぎ、野草が芽吹くようになりつつあるころ、作戦の準備はいよいよ最終段階を迎えた。各軍が進発し、マケドニアへ集結する。
アリティアとアカネイアからは少数部隊による参加であるため、まずはアリティアからアカネイアへ移動してアカネイアの部隊と合流することとなっていた。その後にレフカンディからディールを経てマケドニアへ渡る。
アリティアもアカネイアも、参加者はそう多くはなかった。アリティアはファルシオンを携えたマルスを始めとしてせいぜい十人程度。しかし、風の魔法エクスカリバーの使い手であるマリクが同行していた。ジェイガンに代わりを頼まれたアベルも随行している。
マリクはここで、アドリア領の件を引き受ける旨をニーナへと伝えた。マリクとしては、マルスの側で常にマルスを助けて行くつもりではあったのだが、結局はマルスからの説得に折れる形となっていた。
アリティアとしては、初代以降、何かと対立しがちなグラが隣国としてあり、それをはさんだ向こう側に親しい国ができることは歓迎すべきことであった。この点をマルスに説いたのはジェイガンだったが、マルスも納得した上でマリクを説得していた。さすがにマリクも、マルスから直接頼まれれば、嫌とは言えなかった。
アカネイア分割の他の件については、ジョルジュとミディアは既に了解しており、リンダもニーナに説得され引き受ける約束をしていたため、当事者間での懸案はこれで全て片が付いたこととなる。
アカネイアからの戦力もまた二十人程度ではある。しかし、三種の神器を持ったカミユ、ジョルジュ、アストリアがいる上に光魔法オーラの使い手であるリンダも同行している。また、ナバールもこの一行に従っていた。
正にこれ以上ないほどの精鋭である。
一行は、アカネイアにて二日ほど逗留すると、留守の間のことをニーナへ任せ、一路マケドニアへと向かった。